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2022年3月11日 (金)

観劇感想精選(430) 京都四條南座 「三月花形歌舞伎」(令和4年3月5日 午後の部)

2022年3月5日 京都四條南座にて

午後3時30分から、京都四條南座で「三月花形歌舞伎」を観る。平成生まれの若手歌舞伎俳優を中心とした公演である。演目は、「番町皿屋敷」と「芋掘長者」。

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開演前に、中村壱太郎(かずたろう。成駒家)と中村隼人(萬屋)によるトークがある。
上村淳之デザインの緞帳が上がり、定式幕が下がる中、坂東巳之助の影アナに続いて上手から壱太郎が登場。「今日は土曜日ということでいつもより沢山のお客さんにお越し頂いております」といったような挨拶を行った後、「隼人君、早く出て来ないかなと思ってらっしゃる方も多いと思いますので(中村隼人はイケメン歌舞伎俳優として知られている)」中村隼人が呼ばれる。隼人は花道から登場。拍手が起こるので、隼人は手で更に盛り上げる仕草をして、「パン、パンパン、パン」という手拍子を誘う。

二人は番付(パンフレット)や公演グッズなどの説明を行う。隼人に「宣伝?」と言われた壱太郎は、「紹介」と直していた。
その後、写真撮影コーナーなどがあり、二人でポーズを決めていた。スマホで撮影される方は、電源を切るのではなく、マナーモード(バイブではなく呼び出し音オフ)にしておくのが良いと思われる。
そして二人は、「番町皿屋敷」が南座で上演されるのは51年ぶり(前回の上演は昭和46年8月、片岡孝夫=現・仁左衛門の青山播磨、坂東玉三郎のお菊)、「芋堀長者」に至っては70年ぶり(前回の上演は昭和27年12月、十七代目中村勘三郎の主演)であると紹介する。


「番町皿屋敷」。「半七捕物帖」などで知られる岡本綺堂が大正5(1916年)に書いた歌舞伎である。従来の怪談「番町皿屋敷」を恋愛物に解釈し直したという、当時としては意欲的な作品である。
午前の部と午後の部で配役が異なるが、午後の部の配役は、中村橋之助(青山播磨)、中村米吉(腰元お菊)、中村蝶紫(腰元お仙)、中村橋吾(用人柴田十太夫)、中村蝶一郎(奴権次)、中村歌之助(並木長吉)、坂東巳之助(放駒四郎兵衛)ほか。

旗本と町人が徒党を組んで争っているという、「ウエスト・サイド・ストーリー」のような設定の中、旗本の青山播磨は、腰元のお菊と身分違いの恋仲にある。播磨は旗本なので、当然ながら良い縁談に事欠かない。それがお菊には気がかりである。
そんな中、青山家では家宝である高麗焼きの皿を用いて水野十郎兵衛らを接待することとなる。家宝であるため、1枚でも割れば命はない。だが播磨の心の内を信じ切れないお菊は、わざと皿を割り、播磨が自分を許すかどうか試そうとする。だが意図的に割るところを、折悪しく同僚のお仙に目撃されていた。
お菊が皿を割ったことを、当然ながら播磨は許すが、お菊が皿をわざと割ったことを知り、自分に対する不信故に試そうとしたと悟るや態度を一変させる。自分のことを信じ切れていないということが許せなかったのである。播磨は一生涯掛けてもお菊以上の女には出会えないと知りつつ、お菊の行いを裏切りと感じ、手討ちにするのだった。

理屈では理解出来るが、共感は難しい展開である。旗本とその腰元という身分の違いがあり、この時代、主従関係は絶対ではあるが、それ以上に男女の格差というものが感じられる。「女は男より生まれながらに身分が低い」それが常識であってこそ成り立つ展開であり、今現在の価値観を持ってこの筋書きに心から納得するのは難しいだろう。身分差故の悲恋といえば悲恋だが、お菊の意志は一切尊重されていない。ただ、時代を感じるから上演しない方がいい、筋書きを変えようということではない。往時の世界観を知る上でも上演を行うことは大切だと思う。

やはり歌舞伎はキャリアがものをいうようで、声の通りが良くなったはずの南座であっても若手俳優達のセリフが聞き取りにくかったり、こなれていなかったり、間が妙だったりという傷は散見される。
そんな中で中村米吉の細やかな演技が光る。女声に近い声を発することの出来る女形だが、だんまりの場面や、皿を差し出す時の手の震えなど、セリフ以上に仕草で心理描写を行うことに長けている。将来の名女形の座は約束されたも同然である。


「芋堀長者」。こちらも大正7(1918)年という「番町皿屋敷」と同時期に書かれた作品である。岡村柿紅の作で、六世尾上菊五郎や七世坂東三津五郎らによって東京市村座で初演されている。大正期の上演は初演の時だけ、昭和に入ってからも僅かに3回と人気のない演目だったが、十代目坂東三津五郎がこの作品を気に入り、自らの振付で復活させている。
出演は、坂東巳之助(十代目坂東三津五郎の長男。芋堀藤五郎)、中村隼人(友達治六郎)、中村橋之助(魁兵馬)、中村歌之助(莵原左内)、中村歌女之丞(松ヶ枝家後室)、中村米吉(腰元松葉)、中村壱太郎(息女緑御前)。振付は、十代目坂東三津五郎、坂東三津弥。

松ヶ枝家の後室は、娘の緑御前に婿を取らせたいと思っているのだが、婿にするなら踊り上手が良いということで、歌合戦ならぬ踊合戦のようなものが行われることになる。
そんな中、緑御前に懸想する芋堀藤五郎も踊合戦に加わろうとするのだが、芋堀を家業としている藤五郎には踊りの素養は全くない。そこで舞を得意とする友人の治六郎と共に参内し、面を被ったまま踊るとして治六郎と入れ替わることにする。

まんまと成功する藤五郎と治六郎だが、緑御前に「直面で踊って欲しい」と言われたため、事態は一変。藤五郎は下手な人形遣いによる操り人形のような動きしか出来ず、緑御前達を訝らせる。治六郎が衝立の向こうで藤五郎にだけ見えるよう舞の見本を見せるのだが、舞ったことがないので上手くいく訳もない。緑御前の前で緊張したということにして、藤五郎は緑御前と連舞を行うことになるのだが……。

幼い頃から舞を行っている人達であるため、手足の動きの細やかさ、無駄のなさ、動作の淀みなさなどいずれも見事である。

コミカルな動きが笑いを誘うが、百姓ならではの舞も「荒事」に通じる豪快さがあり、それまでに舞われていた上方風のたおやかな舞との対比が生きていた。

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