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2022年3月 5日 (土)

観劇感想精選(429) 三谷幸喜 作・演出 斉藤由貴&長澤まさみ「紫式部ダイアリー」

2014年12月11日 大阪の森ノ宮ピロティホールにて観劇

午後7時から、大阪の森ノ宮ピロティホールで「紫式部ダイアリー」を観る。作・演出:三谷幸喜。出演:長澤まさみ、斉藤由貴。開場は開演の30分前が演劇の基本であるが、森ノ宮ピロティホールは屋外で開場を待つことになり、冬は寒いため、午後6時15分頃にロビー会場、6時30分に客席開場となった。

「紫式部ダイアリー」は「紫式部日記」のことで、紫式部が清少納言のことをこれでもかとばかりにこき下ろしていることで有名であるが、今回はそれを舞台に転じたものではない。舞台は現代である。清少納言(斉藤由貴)は『枕草子』という大ヒット作を持つベテランエッセイスト、紫式部(長澤まさみ)は『源氏物語』という長編恋愛小説が大ヒット中の新進ベストセラー作家という設定になっている。

実は、斉藤由貴と長澤まさみの他にもう一人、セリフを一言も発さない男優がバーテンダーとして出演しているため、厳密な意味でこれが二人芝居といえるのかどうかは微妙なところである。セリフで物語を進めるのは二人だけなので、二人芝居に入れてもいいのかも知れないが。

音楽は、モーツァルトやベートーヴェンのような作曲家が書いたものではない正真正銘の「トルコ行進曲」を使用。その他にもイスラム系の音楽が用いられる。


とあるバー。あけぼの文学賞の選考委員である清少納言は、このバーに紫式部を呼んだ。紫式部は今年からあけぼの文学賞の選考委員に選ばれたのである。そこで打ち合わせをしたいということでこのバーを選んだのだ。だが、バーのスツールは清少納言には高すぎて、いったん下りてしまうと上るのに苦労する。

廻り舞台を用いており、バーのカウンターが回転する。時系列を飛ばすときなどに廻り舞台が用いられる。この劇は三谷の劇によく見られる一幕物であるが、カウンターの回転は場面転換と取れるし、同時系列ではない。

清少納言が苦労するスツールに、紫式部はすんなりと座ってしまう。紫式部を演じる長澤まさみはセクシー路線を取っているため、肩や背中の開いた露出の多い衣装である。

紫式部は常にノートパソコンを携帯、思いついたらすぐに小説の続きなどを書けるようにしている。


清少納言と紫式部は初対面。『蜻蛉日記』の藤原道綱母の葬儀の時に互いに顔を見たことがあるだけで言葉を交わすのは今日が初めてである。

二人はまず日本語の乱れを指摘し合う。

あけぼの文学賞の今回の受賞者は、二人とも和泉式部で決まりだと思っているのだが、清少納言は授賞式の講論(代表が講評を口頭で論じること)を自分にやらせて欲しいという。清少納言は前回と前々回で講論を務めており、好評だったので、今回もやりたいというのだ。だが、紫式部は……というところで、長澤まさみがミスをする。「(マスコミが)今回の講論は紫式部さんでお願いしますって」というべきところを「今回の講論は清少納言でお願いしますって」と言ってしまった。それだと清少納言の意が通ってしまうことになり、その後の展開に支障を来すため、斉藤由貴は少し間をおいてから「あなた今なんて言ったの?」というセリフをアドリブで入れ、長澤まさみが今度は「今回の講論は紫式部さんでお願いしますって」と言って軌道修正した。

その後、紫式部は出版社から電話で『源氏物語』の続きのプロットの締切が今日だと告げられ、清少納言も何故か『源氏物語』の今後のストーリー展開を作らされる羽目になるのだが、清少納言が描いたシノプシスは紫式部にことごとく否定されてしまう。紫式部は『枕草子』についても「軽い」と批評する。

紫式部は今、『紫式部ダイアリー』なるものを執筆中である。紫式部初のエッセイで日記の体裁を取るという。紫式部はパソコンで今日のこともエッセイにする。清少納言は紫式部がトイレに立った隙に自分のことを紫式部がどう書いたのか読みたくてパソコンを開くが、4桁の暗証番号が必要であり、読むことが出来ない。

紫式部はパソコンの蓋に罠としてピーナッツの殻を3つ置いており、それが全て落ちていたので清少納言が『紫式部ダイアリー』を読もうとしたことの確証を得る。

本音を言うと清少納言は紫式部のことが大嫌いである。

清少納言は「自分は書くことしか能が無い人間だ」と語り、紫式部に向かって「あなたは文章も書けるし、スタイルも良い。狡い! どっちかにしなさいよ!」と堂々と嫉妬を語るが、紫式部は「あなたは美人の気持ちがわかっていない」とやり返す。「誰も私の文章をちゃんと読んでいない。最近は文章も荒れ放題なのに誰もそれを指摘しない。顔の皺が少しでも荒れたらすぐにでも取り上げる癖に」と不満を口にする。


作家論であると同時に女優論、アイドル論とも取れる芝居である。紫式部も自分よりも若くて男にモテモテの和泉式部のことを憎むほどに嫌っている。作家も俳優もだが、それ以上に女優や女性アイドルは自分よりも若くて勢いがある人に少なからず脅威の念を持つものである。


残念ながら、「もっと掘り下げて欲しい」と思う場面が沢山あった。ここからどうなるかとこちらが期待していると「トルコ行進曲」が鳴り、次のシーンへと移ってしまう。ドロドロしたものにしたくなかったのかも知れないが(斉藤由貴演じる清少納言のセリフにそのような内容のものがある)、見ている側としては中途半端なまま置き去りにされた気分になってしまう。


さて、紫式部は清少納言のことを『紫式部ダイアリー』にどう書いたのか? これは明かせない。というより明かす意味がないと書くべきだろうか。


長澤まさみであるが、今回の演技は一本調子に見えた。だが紫式部のキャラクターがぶれないため、多彩な演技を披露する必要がなかったのも事実であり、一本調子だから必ずしも悪いということにはならない。

斉藤由貴はコミカルな味わいがなかなかである。

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