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2022年4月の10件の記事

2022年4月29日 (金)

コンサートの記(775) ミハウ・ネステロヴィチ指揮 京都市交響楽団第666回定期演奏会

2022年4月22日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第666回定期演奏会である。「666」は、「オーメン」などで知られる通り、キリスト教においては不吉な数字だが、キリスト教徒のほとんどいない日本なので、本気で気にする人はいないだろう。

今日の指揮者は、ポーランド出身のミハウ・ネステロヴィチ。

3月をもって広上淳一が常任指揮者を離れ、空位期を迎えた京都市交響楽団。後任としては、「ヨーロッパ在住の指揮者」が予定されていたが、コロナにより就任が延期になったとされている。「ヨーロッパ在住」というだけで、日本人なのか外国人なのかも不明のままだ。
ということで迎えた新シーズン。残念ながら今期は大物外国人指揮者の招聘は予定されていない。京都市が財政難ということもあるだろうが、これまでは広上淳一のお友達ということで客演してくれた指揮者も多かった。常任指揮者不在の影響も出ているのだろう。
なお、広上淳一は、名誉称号などは辞退しているが、プログラムには無冠で名前が記されている。


ミハウ・ネステロヴィチは、バーゼル交響楽団(スイス)とアルトゥール・ルービンシュタイン・フィルハーモニー・ウッチ(ポーランド)の首席客演指揮者を務めている。有名オーケストラにも数多く客演しているが、シェフの座はまだ射止めていないようである。
コンクール歴は、2008年にカダケス交響楽団ヨーロッパ指揮者コンクールで優勝。祖国ポーランドのカトヴィツェで行われたグジェゴフ・フィテルベルク国際コンクールでは入賞を果たしている。


曲目は、キラールの弦楽オーケストラのためのオラヴァ、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調(ヴァイオリン独奏:郷古廉)、ブラームスの交響曲第1番。


今回のプレトークは、通訳の小松みゆきが質問して、ネステロヴィチがそれに答えるという形が取られる。キラールは、ポーランドの作曲家だが、ネステロヴィチはどのコンサートでも1曲は祖国であるポーランドの作曲家の作品を取り入れることにしているようだ。ちなみに長身の指揮者であり、約2mあるそうで、「どこのオーケストラからも指揮台がいらないということで喜ばれている」と語る。勿論、今日も指揮台なしである。

ロシアがウクライナに侵攻中ということで、ブラームスの交響曲第1番第4楽章の、ベートーヴェンの「第九」を模した旋律は「平和」への祈りが感じられると語り、またブラームスの演奏終了後に、ウクライナの作曲家の短い作品をアンコールとして演奏することを予告した。


今日のコンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平。なお、キラールでは泉原の隣には尾﨑ではなく立石康子が座ったが、冒頭がコンサートマスターと第2ヴァイオリンのセカンドプルトの演奏で始まるという特異なスタイルの楽曲であるため、コンサートマスターの隣に座ったからフォアシュピーラーの役割を果たすという訳ではないようだ。
今日はチェロが客席側に来るアメリカ式の現代配置による演奏である。


キラールの弦楽オーケストラのためのオラヴァ。
ヴォイチェフ・キラール(1933-2013)は、当時はポーランド領であった現ウクライナのルヴツ出身の作曲家。1955年にカトヴィツェ音楽院に入学し、卒業後はパリに留学して、名教師として知られるナディア・ブーランジェに師事している。
映画音楽も数多く手がけており、名画として知られるロマン・ポランスキー監督の「戦場のピアニスト」の音楽担当がキラールだったそうだ。
なお、オラヴァというのは、ポーランドとスロヴァキアにまたがるカルパチア山脈を流れるオラヴァ川のことだが、発音が似ている「牧草地」という意味の言葉も掛けられているそうである。

弦楽によるミニマルミュージックの要素を取り入れた音楽であり、マイケル・ナイマンの作風に似ている。終盤になると開放的な長調と入り組んだ不協和音が交互に奏でられ、光と影が互い違いに描かれているような音楽へと変わっていく。なお、ラストでは「ヘイ!」という声を奏者が発するよう指示がある(任意のようで行わなくてもいいようだ)が、コロナがまだ収束には至っていないということで、指揮者のネステロヴィチのみが「ヘイ!」と叫んだ。


メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調。
若手ヴァイオリニストの中でも比較的知名度の高い郷古廉(ごうこ・すなお)がソロを奏でる。
これまで幾たびも聴いてきたメンコンことメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。郷古のソロは他の奏者に比べてスケールが小さめなのが気になったが、音の純度は高く、また第3楽章の憂いの表情などは見事である。
京響の伴奏も優れていたが、もっと上質の伴奏を奏でたこともあるので、完全に満足の行く出来とまでは行かなかったように思う。

郷古のアンコール演奏は、J・S・バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番より第3楽章アンダンテ。典雅にして温かな演奏であり、日だまりの道がずっと先まで続いている様が見えるような希望に満ちた音楽が奏でられた。


ブラームスの交響曲第1番。おそらくこれまで接した演奏会で最も多く取り上げられている曲である。
冒頭は威圧感や迫力ではなく透明度を重視する。大仰さがなくなり、染み込むような苦悩が全面に出る。その後、徐々に情熱を高めていくが、どれほど熱い場面であっても上品さを失うことはない。実演、録音含めて何度聴いたか分からない曲だが、こうした演奏に接するのはおそらく初めてであるように思う。ブラームスも奥が深い。
京響は金管に威力があるため、たまに管のバランスが強くなることもあるが、基本的にはエレガントなブラームスである。首席奏者を揃えた管も実に上手い。
ネステロヴィチは初来日で、これまで名前を聞いたこともなかったが、実力はかなりのものと見た。


予告通りのアンコール演奏。コンサートマスターの泉原がマイクを手に、曲目の紹介とウクライナ侵攻の平和的終結を願って演奏される旨を述べる。
演奏されるのは、ミロスラフ・スコリクの映画「High Pass」より「メロディ」(管弦楽版)。抒情的にして哀切な美しさに溢れていた。

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2022年4月27日 (水)

観劇感想精選(433) 広田ゆうみ+二口大学 「受付」@UrBANGUILD 2022.4.19

2022年4月19日 木屋町のUrBANGUILDにて観劇

木屋町のUrBANGUILD(アバンギルド)で、広田ゆうみ+二口大学の「受付」という作品を観る。別役実が書いた二人芝居で、1980年に初演されている。今回の演出は、広田ゆうみが単独でクレジットされている。

別役実は、早大中退後、一時期労働組合の仕事に就いていたことがあるのだが、このことはこの作品を観る上では念頭に置いておいた方が良いように思う。

とある雑居ビルの一角にあるヨシダ神経科クリニック(神経科とあるが、精神科のことである。「精神科」という言葉に抵抗感を覚える人も多いため、「神経科」と少し柔らかめの表現にしている病院もかなり多い)の受付が舞台である。ここに45歳の男(二口大学)が訪ねてくる。メンタルの不調で、「重い」という程ではなさそうだが、苦しい思いをしているのは確かなようである。


余りにも自殺者が多いということもあり、20世紀から21世紀に移り変わる時期に始まった「うつ病キャンペーン」がメディアを中心に広まり、精神科にも普通に通える時代になった。少なくとも精神科に通っているというだけで不審者扱いされることは少なくなったが、「受付」が初演された1980年前後は精神科に通っただけで後ろ指をさされたり、今では放送禁止用語となっている言葉で呼ばれたりということは普通にあった。今でもその傾向は残っているが、「心を病むのは弱い人」「甘えている」「危険人物」というイメージがあり、症状が重くてもそれを嫌って精神科の受診をためらう人が多かった。この劇に登場する男も、会社の同僚には「神経科クリニックに行く」とは言えず、「歯の痛み止めを買ってくる」という理由で会社を出て、長引いたら「歯医者に回されることになった」と嘘をつくつもりでいた。メンタルで病院を受診したとばれたら、誰も口をきいてくれなくなるかも知れない。そんな時代にメンタルクリニックに通おうと決意するにはかなりの度胸が必要であり、また精神科にかかろうと思った時点で本人が自覚しているよりも症状が重い可能性もある。余り知られていないかも知れないが、精神障害が重篤化した場合、解雇の正当な理由となる。これは今でも変わっておらず、SEなどをデスマーチに追い込み、精神に傷を負わせて解雇し、新しい人材を入れて回すという使い捨て前提の悪徳IT企業の存在が問題視されていたりする。というわけで、男にもこれ以上症状を悪化させるわけにはいかないという理由があったのだと思われるが、受付の女(広田ゆうみ)は、受付の仕事らしい仕事はほとんど行わず、ベトナム(ベトナム戦争終結後ほどない時期である)やパレスチナの難民や餓死する孤児達が可哀そうなので寄付を行えだの、角膜移植が必要な子どもがいるからドナーになれだの、死後に献体をして欲しいだのと要求ばかり。受け付けているのは目の前の患者ではなく、雑居ビルにいる他の団体の希望で、患者に対しての振る舞いは押し売りとなんら変わらない(この時代には押し売りを生業とする人はまだいたはずである)。

受付の女は、突然なんの脈略もなく、「あなた独身ですか?」と聞いて、男に妻と4人の子どもがいることを聞き出す。男女雇用機会均等法が施行されるのは1986年のこと。ということでこの芝居が初演された時点では、全く同じ仕事をしていても女性は男性よりも時給が大幅に低いというのは当たり前であり、「寿退職」などという言葉もあったが、「結婚したら退職」が雇用契約書に堂々と書かれていたりもした。「女は仕事をする存在ではない」という前提があり、そんな時代に女の子ばかり4人ということで、将来的に十分な稼ぎ手になれない可能性も高い。男の子が生まれるか女の子が生まれるかは運でしかないが、男の子が欲しいために4人生んで全員女では、受付の女からでなくても叱られる可能性もゼロではない(フィクションなので笑っていられるが)。そういう時代である。

男は見た目以上に追い詰められているのではないかという推測も、決して的外れにはならないだろう。

そうやって追い詰めた男に、受付の女は雑居ビル内の他の受付からの要求を全て吞ませることに成功するのである。オレオレ詐欺などでも話題になったが、騙されてしまうのは、パニックになりやすい人、精神状態に余裕ない人である。この時代にメンタルクリニックを受診しようとしている男の精神状態は見た目よりも混乱している可能性が高く、受付の女はそれに付け込んだという見方も可能である。少なくとも受付の女は全てを得ることに成功する。

一方で、ヨシダ神経科クリニックの受付の女を始め、この雑居ビルの受付はある程度の年齢に達しているが全員独身。この時代は社会設計上、女性が一人で生きていくのは極めて困難であるため、早めに結婚する必要があるのだが、それに失敗していることが分かる。どうやらこの場にいる女達は全員不幸を背負っているようでもあり、絶対的な弱者であると見ることも出来る。一つ不幸が別の形の不幸を呼ぶことは歴史が証明しているのだが、外見上は華やかな時代にあって、この時代の人々はそうしたことにどれだけ自覚的であっただろう。

受付の女がなぜ受付の仕事に就いたのかは不明であるが、複数の受付の「不幸な」女達が訪れた人の身ぐるみを剥いでいくような過程は不気味である。そして受付の女たちが要求するのは、「反論のしようもない正義」であり、「反論のしようもない」ことの恐ろしさも浮かび上がる。誰かのための善意が目の前の人を追い詰めていく。目の前に苦しんでいる人がいるのにそれを無視して会ったこともない誰かの幸せを望むのは欺瞞でしかないが、こうした欺瞞は今もあちこちで見られる現象である。ウクライナの勝利を願っても、今朝、電車に飛び込んだ人のことは気にも留めないといったように。

1980年代。高度成長期が終わり、バブルの始まる前夜の時代である。華やかではあったが、今から見ればブラックな労働環境が当たり前で、1987年にはリゲインという栄養ドリンクの「24時間働けますか」というキャッチコピーが流行語となった。企業に全権を委任して就職し、自らを奴隷化して働くのが美徳とされた時代である。働いた分だけ給料が上がる時代でもあってそれが疑問視されることも少なかったのだが、この「受付」という芝居でも、男は死後に角膜やら遺体やらを全権委任する羽目に陥る。まるでメフィストフェレスや荼枳尼天との契約のようであるが、世相を反映していると見るべきか。一般的にはどうかわからないが、別役実はこの過酷なシステムに意識的であったように思われる。

ラストで、どうやら受付の女が医師への取次ぎを妨害していることがわかる。受付を通さないと医師には会えないらしい。受付は訪れた男のために設けられたもので、カフカの「門」のようでもあるが、治療を受ければ復帰できる可能性もある患者を医師に会わせないよう仕向けている。これはあるいは当時の「精神科のイメージ」をめぐるメタファーなのだろうか。受付の女は単なる受付の女ではなく、「社会の空気」そのものの象徴であるようにも見える。

目の前にいる人間を救えないどころか追い詰めるという「風潮」は、実際のところ今も余り変わっていない。

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2022年4月22日 (金)

美術回廊(75) 京都市京セラ美術館 「兵馬俑と古代中国 ~秦漢文明の遺産~」

2022年3月30日 左京区岡崎の京都市京セラ美術館にて

京都市京セラ美術館で、「兵馬俑と古代中国 ~秦漢文明の遺産~」を観る。日中国交正常化50周年を記念した展覧会である。

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私の生まれた1974年、西安市郊外にある始皇帝の陵墓の東側で、等身大の兵馬の俑(副葬品の人形)が数多発見され、世界的な大ニュースとなった。他の皇帝も殉死者の代わりに俑を埋めるということは行ってきたが、等身大であることがまず初めて、そして尋常でない数の兵馬の俑に全世界が驚愕した。始皇帝の兵馬俑は確認出来るだけで8千を超えるらしいが、きちんと発掘されているのは今日に至るまで1600程度だそうで、まだ多くの兵馬俑が眠っていることになる。俑を等身大に作るのは、実は縁起が悪いそうで、始皇帝がなぜ数多くの等身大の俑を作らせたのかについては、今も正確な理由は不明のようである。

会場は、京都市京セラ美術館の本館北回廊2階。ということで、展示はそれほど多くない。そもそも等身大の兵馬俑を中国から運ぶのは一苦労である。ということで、小型のものも含めて36体の選抜メンバー(?)による展示。このうち等身大のものは数点だが、いずれも個性溢れる兵と馬である。始皇帝の兵馬俑に関しては原則撮影可であり、京都市京セラ美術館自体がSNSへの投稿を推奨している。

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それ以外は、刀、矛、鏃(やじり)などの青銅製の武器、貨幣、木簡、副葬品などの展示である。
今回は、紙製のリストは作られておらず、リストが欲しい場合は、会場入り口付近などによるQRコードをスマホで読み取って、確認することになる。
始皇帝に関しては、近年、原泰久のマンガ「キングダム」で描かれて人気であり、今回の展覧会でも「キングダム」絡みの展示があった。

兵の俑も個性が出ていて良いが、馬などの動物の俑の方がよりリアルであり、当時の職人の腕の確かさと描写力の高さが感じられる。

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中国史上初の統一王朝となった秦。拼音だとQinで、これはChinaの語源となっている。だが秦は漢民族による王朝ではなく、元々は西方の遊牧民族によって建国されたものである。ということもあってか、始皇帝は後に漢民族となるマジョリティに対して圧政を行い、反発を買って統一後わずか15年で秦は瓦解。劉邦が漢を建国し、今に至るまで漢が中国と中国人の代名詞となっている。

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2022年4月20日 (水)

コンサートの記(774) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第557回定期演奏会

2022年4月8日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフィエスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第557回定期演奏会を聴く。今日の指揮は大阪フィルハーニー交響楽団音楽監督の尾高忠明。

曲目は、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番(ピアノ独奏:藤田真央)とエルガーの交響曲第2番。

ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番の独奏は、元々はフランス人ピアニストであるアンヌ・ケフェレックが担う予定であったが、コロナ禍により来日不可となったため、気鋭の若手ピアニストとして知名度を上げている藤田真央が代役に指名された。


今日のコンサートマスターは崔文洙、フォアシュピーラーに須山暢大。ドイツ式の現代配置による演奏である。


ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番。
ちょっと風変わりな青年であるが、天衣無縫の音楽性を持つピアニストである藤田真央(有名人ではあるが一応注釈を入れておくと男性ピアニストである)。冒頭の天国的な響きから聴衆を魅了する。音楽は次第に思索を深めていくが、藤田真央のピアノはピアノの音そのものよりも高い音楽性で聴かせる。「いいピアノだ」という印象よりも「なんて素敵な音楽なのだろうと」、ベートーヴェンの音楽性の高さをありありと示すことが出来るのである。まだ若い故に時にムラッけが出ることもあるが、リリシズムやロマンティシズム、この上ない喜びなどを自在に奏でてみせるのだからその実力に疑問の余地はない。
尾高指揮の大フィルも、ピリオドを取り入れた深くて格好の良い伴奏を聴かせた。


藤田真央のアンコール演奏は、J・S・バッハの「無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ」よりガヴォット(ラフマニノフ編)。チャーミングにして愉悦感に飛んだ演奏であった。


エルガーの交響曲第2番。
大英帝国の栄耀栄華を描いたような交響曲第1番で名声を博したエドワード・エルガー。彼の交響曲第2番も大いに期待されたが、1911年5月24日にクイーンズホールで行われた作曲者自身の指揮による初演は、演奏終了後に困惑が広がったという。聴衆は交響曲第1番のような壮麗な楽曲を期待していたのだと思われるが、交響曲第2番は旋律も短めで、しかも何度も同じ音型が繰り返されるというものであり、交響曲第1番に比べてモダンな印象も受けるが、その余りの落差に、初めて聴いた聴衆が戸惑ったのもむべなるかなという気もする。

全ての楽章で、当時、大英帝国の首都として世界一の賑わいを見せていたロンドンの街の種々雑多な賑わいが描かれているようであり、楽しい曲ではあるのだが、作風がモダンすぎたのかも知れない。
第2楽章は、「故エドワード7世陛下の想い出に捧ぐと」記された追悼曲であるが、それにしては明るめの印象を受ける。一説には、エルガーが親しくしていた人物の他界に寄せた楽曲でもあるといわれているようだ。
第4楽章のラストは、「高揚」というよりも、「次の時代へと続く」という「その先」を感じさせる終わり方で、効果的である。

エルガーの交響曲第1番は英国音楽史上に燦然と輝く名曲だが、交響曲第2番も、ヴォーン=ウィリアムズを始め、その後の英国人交響曲作曲家に繋がるような曲調であり、英国音楽史上重要な音楽作品と見ることが出来るだろう。

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2022年4月19日 (火)

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に関するメモ(4)

頼朝は運があるゆえ生き残り、広常は運なきゆえに粛正された。ならば頼朝も運をなくした時に没するということか。運なく落命した頼朝像は歌舞伎の「将軍頼家」で描かれたものが知られるが、まさかな。「将軍頼家」では頼朝は女装しての最期だったが。ああ、頼朝は第1話で女装していたが、まさかな。

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2022年4月 9日 (土)

「都をどり」令和四年公演「泰平祈令和花模様」 2022.4.3

2022年4月3日 京都四條南座にて

午後4時40分から南座で開演の「都をどり」令和四年公演を観る。

都をどりは、新型コロナウイルスの蔓延により、昨年、一昨年と中止になった。昨年は弥栄会館のギオンコーナーで、小規模公演である「春の雅(みやび)」が行われたが、寂しく感じたのも確かである。
というわけで、今回が令和に入ってから初の都をどりとなった。

「泰平祈令和花模様(たいへいのいのりれいわはなもよう)」と題された上演。いつも通り、京都の名所を中心とした踊りが行われるが、競馬や弓などの武芸の場面が取り入れられており、「病に勝つ」という祈りが込められたそうである(元々は、東京オリンピックを記念した演目で2020年に上演される予定で、乗馬やアーチェリーをモチーフにしたものだったようなのであるが、新たに設定を変えて上演されたようだ)。

第1景「置歌」、第2景「上賀茂社梅初春(かみがもしゃうめのはつはる)」、第3景「夏座敷蛍夕(なつざしきほたるのゆうべ)」、第4景「京遊戯色々(きょうのあそびいろいろ)」、第5景「那須与一扇的(なすのよいちおうぎのまと)」、第6景「勝尾寺紅葉揃(かつおうじもみじぞろえ)」、第7景「宇治浮舟夢一夜(うじのうきふねゆめのひとよ)」、第8景「御室仁和寺盛桜(おむろにんなじさかりのさくら)」からなる上演時間約1時間の演目である。「勝尾寺紅葉揃」には、「達磨さん、ころころころな、ころなに負けるな」という詞も出てくる。

令和初上演を祝うためか、上賀茂神社の紅梅と白梅、那須与一が扇の的を射た屋島合戦の源氏と平家、宇治十帖の匂宮と浮舟の衣装など、紅白の対比が多い。また今回は舞妓さんの出番が比較的多いのも特徴である。

久しぶりに観る大人数での芸舞妓の踊りに、京都らしさが戻ってきたようでホッとさせられる。

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2022年4月 7日 (木)

コンサートの記(773) 藤岡幸夫指揮関西フィルハーモニー管弦楽団枚方特別演奏会「エンター・ザ・ミュージック スペシャルコンサート」

2022年3月31日 枚方市総合文化芸術センター関西医大大ホールにて

午後7時から、枚方市総合文化芸術センター関西医大大ホールで、関西フィルハーモニー管弦楽団枚方特別演奏会「エンター・ザ・ミュージック スペシャルコンサート」を聴く。指揮は関西フィルハーモニー管弦楽団首席指揮者の藤岡幸夫。

能と狂言による杮落とし公演以来となる枚方市総合文化芸術センター関西医大大ホール。関西医大こと関西医科大学のキャンパスの隣にあるが、ホール名はネーミングライツによるもので、関西医科大学のホールではない。

藤岡幸夫が司会を務めている音楽番組「エンター・ザ・ミュージック」(BSテレ東)の収録を兼ねての演奏会である。


曲目は、ヴィヴァルディの「四季」(ヴァイオリン独奏:神尾真由子)、サラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」(ヴァイオリン独奏:神尾真由子)、ストラヴィンスキーの「火の鳥」組曲(1919年版)。

「エンター・ザ・ミュージック」の収録を兼ねているため、テレビ東京アナウンサーの狩野恵里が司会を務める。「エンター・ザ・ミュージック」の現在のメインのアシスタントは、テレビ東京アナウンサーの繁田美貴(はんだ・みき)であるが、狩野恵里は繁田の代役として何度か出演したことがある。


「四季」と「火の鳥」では、本番の前に藤岡が作品解説を行い、実際に関西フィルを鳴らして音が何を示しているのかを分かりやすく示す。
更にコンサートの協賛が森下仁丹であることを紹介し、藤岡が森下仁丹のサプリメントを愛用していることを明かしていた。
また今日の演奏会には、枚方市長、東大阪市長、門真市長の3人の市長が駆けつけているという。枚方市長は説明するまでもないが、このコンサートは本来は東大阪市で行われるはずだったのがコロナで延期になり、東大阪の新しいホール(東大阪市文化創造館Dream House大ホール)は予約で埋まっているということで、東大阪市長が直々に枚方市のホールを推薦してくれたそうである。また、関西フィルは以前は大阪市港区にある弁天町に事務所を構えていたが、パナソニックの街として知られる門真市に事務所や練習場を移転したため、門真市長も駆けつけてくれているようである。

本編に入る前に、藤岡と狩野は当然ながら「『エンター・ザ・ミュージック』を見て欲しい」とアピールする。狩野が、「BSなので日本全国どこでも見れます」と語っていたが、実は京都市内ではテレビ東京系(テレビ大阪)の地上デジタル放送は複雑な事情により、基本、見ることは出来ない。BSは勿論例外で、京都でもBSアンテナを付けたり、ケーブルテレビや配信サービスを使えばBSテレ東を見ることが出来る。


ヴィヴァルディの「四季」。事前に行った藤岡の解説により、「春」の第2楽章の犬の鳴き声の描写について、神尾から「なるべく汚い音でやって欲しい」と注文があったことが明かされるが、確かに汚い音でやると犬の鳴き声のように聞こえる。これまで聴いてきた「四季」のCDや実演では、犬の鳴き声も綺麗に演奏されていたが、解釈によってかなり違うことが分かる。

「四季」の弦楽アンサンブルはドイツ式の現代配置での演奏である。コンサートマスターは岩谷祐之。

歴史的演奏法(HIP)を駆使した演奏であり、新鮮な印象を受ける。神尾の独奏も音を足し(ているのかこれまでとは違う譜面が存在するのか)て自在な描写を繰り広げる。即興的な印象も受けるため、ジャズのように聞こえる場面もあったりする。当時は作曲家が演奏も兼ねる、もしくは演奏家が作曲の技術も備えていることが当たり前であったため、即興の要素もかなり盛り込まれていたはずである。

関西フィルのビブラートを抑えた透明感のある弦も印象的であった。「四季」を世界的にヒットさせたイ・ムジチ合奏団も、近年はピリオドスタイルで「四季」を演奏しているが、やはり作曲された当時のスタイルで演奏した方が鋭くて格好いいように感じられる。

先日の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で、ヴィヴァルディの「四季」より「冬」第1楽章を模した音楽が流れたので、それを思い出しつつ聴くのも良い。

枚方市総合文化芸術センター関西医大大ホールは多目的ホールであり、残響などは余り感じられないが、客席の奥行きが余りないということもあって音の通りが良く、細部までよく聞こえる。


後半の「ツィゴイネルワイゼン」と「火の鳥」は、アメリカ式の現代配置(ストコフスキーシフト)で演奏される。

サラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」は、誰もが一度は耳にしたことのある名曲であるが、神尾真由子が「ツィゴイネルワイゼン」をオーケストラと演奏することは珍しいらしい。どのオーケストラでも「神尾さんを呼ぶなら大曲だよね」ということで、演奏時間8分ほどの「ツィゴイネルワイゼン」は選ばれないようである。

演奏前に神尾は、「速い部分が難しいです」と語っていたが、緩やかな部分の難度も相当なものである。また彼女特有の影のある輝きを持つ音はこの曲に合っている。


ストラヴィンスキーの「火の鳥」(1919年版)。
大阪に4つあるプロコンサートオーケストラのうち、大阪フィルハーモニー交響楽団と日本センチュリー交響楽団は、ドイツ指向のガッシリとしたアンサンブルを特徴とするが、関西フィルハーモニー管弦楽団は、特定の国のオーケストラを規範とするスタイルではなく、フラットな音楽性を持つ。ということで国籍不明の音楽になってしまうこともあるのだが、「火の鳥」では、ストラヴィンスキーの鮮やかなオーケストレーションや迫力、神秘的な雰囲気などを十全に表しており、桜の時期に相応しいフレッシュな快演となっていた。


藤岡によると、枚方での演奏会は、「エンター・ザ・ミュージック」では小出しにして複数回に渡って放送されるそうで、楽しみである。

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2022年4月 4日 (月)

これまでに観た映画より(291) 岸井ゆきの&浜辺美波「やがて海へと届く」

2022年4月1日 京都シネマにて

京都シネマで、日本映画「やがて海へと届く」を観る。彩瀬まるの同名小説の映画化。原作小説は幻想的な要素が濃いようだが、この映画では冒頭とラスト近くにアニメーションのシーンを挿入することで処理している。

主演は岸井ゆきの、準主役に浜辺美波。魅力的な若手女優二人を揃えたほか、鶴田真由、中嶋朋子、光石研ら脇役陣も充実している。監督は、中川龍太郎。


すみれ(浜辺美波)が消息を絶つ。海を見るために一人旅に出掛けた彼女は、2011年3月11日、岩手県の陸前高田市付近にいた可能性が高く、津波に呑まれたのではないかと見られていた。だが、すみれの親友であった真奈(岸井ゆきの)は、5年が経った今もすみれが生きている可能性を捨て切れないでいる。

二人が出会ったのは、2005年。大学の入学式もしくは新入生説明会の後(大学によって異なるが、フォーマルな格好はしていないので後者の可能性が高い)で行われたサークルの新歓においてだった。控えめな性格である真奈は、多くの先輩達が自身のサークルへの呼び込みを行っている中を恐る恐る進む。テニスサークルに誘われた真奈は断り切れそうにないが気も進まないということで立ち往生。そこに颯爽と現れたのが同じく新入生のすみれだった。誰に対しても笑顔で愛想が良く、人に合わせることの出来るすみれは先輩からの受けも良い。そしてその夜に行われた新歓コンパでは、所在なげだった真奈をすみれが救った。共に文学部に入学ということで、二人は親友となっていく。ある時からは、すみれが真奈のアパートに同居するようになる。
だが、その後、すみれは恋人の遠野敦(杉野遥亮)と同棲することを選び、1年ちょっとを過ごした二人のアパートから出て行くことになる。

真奈は、就職活動で、西川家具(京都西川)を本命としていたが、本社が京都であるため現在の場所から動くことに不安を覚える。結果的には真奈は東京の企業に就職し、飲食部門であるベイエリアのレフトランバーでフロア係(2016年時点ではフロアチーフ)として働くことになる。就職後も引っ越すことなく、学生時代からのアパートに住み続けた。レストランバーの店長である楢原(光石研)との関係も良好で、充実した日々。栖原はその時の雰囲気に合わせてBGMをチョイスする能力に長けている。深夜に真奈が落ち込んでレストランバーを訪れた時には、「いつか王子様が」を選んだ。

学生時代からすみれは、ビデオカメラで撮影することを好んでいた。真奈と二人で初めて行った旅行でもすみれはカメラを回していた。

遠野が引っ越すことになり、すみれの荷物を整理する必要があった。遠野と真奈はすみれの実家にすみれの品を届けに行く。遠野もすみれの母親である志都香(鶴田真由)も、すみれはすでに他界したものと見なしていたが、真奈は志都香からすみれの意外な一面を知らされる。そして遠野もすみれの本当の性格を実は見抜いていた。

真奈は有休を取って、レストランのシェフである国木田(中崎敏)と共に、陸前高田へと向かう。東日本大震災で街が壊滅状態に追い込まれた陸前高田。海沿いには高い防波堤(というよりは防波壁に近い)が立つ。そこで二人は、津波被害の思い出をインタビューという形で映像に収めている祥栄(中嶋朋子)らに出会うのだった。


女同士の友情と喪失を少し変わった形で描いた作品で、その繊細さが良い。すみれの本当の性格が明かされていく過程もスリリングであり、すみれが別の自分を演じ続けた理由や、なぜ真奈を友人として選んだかについての動機なども説得力がある。

アニメーションによる一種の「スピリチュアル」な過程の描写については、飛躍が目立つような気がするが、それはいったん置いて(実のところ、スピリチュアルでよく使われるとある言葉が二人の関係に最もしっくりくるのであるが)、女同士の心理劇として見ると、結構楽しめるように思う。主演の岸井ゆきのの演技も見事だ。実は岸井ゆきのと浜辺美波は8歳差で、同い年とするには無理があるのだが(すみれの出番は2011年で止まり、真奈はそれ以降の場面にも登場し続けるので、真奈を演じる俳優の方が年上である必要はある)、実年齢よりも若い役を演じて注目を浴びた岸井ゆきのだけに、「明らかに不自然」とは映らないレベルにはもって行けているように感じた。
浜辺美波は、語弊を恐れずにいえば「浮世離れした美貌」を持つ女優であるが、それがすみれ役に嵌まっていたように思う。

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2022年4月 3日 (日)

笑いの林(128) よしもと祇園花月 「祇園ネタ」&祇園吉本新喜劇「諸太郎の惚れたあの子は名子役」2022.2.23

2022年2月23日 よしもと祇園花月にて

午後3時から、よしもと祇園花月で、「祇園ネタ」と祇園吉本新喜劇「諸太郎の惚れたあの子は名子役」を観る。吉本興業内でもコロナは流行っており、今日もコロナ陽性からの復帰者や、濃厚接触者認定を受けて仕事から遠ざかっていた者も出演する。
なお、よしもと祇園花月では現在、京都・滋賀割というものが行われており、京都府内と滋賀県内に在住もしくは通勤・通学者は通常3800円のところを500円引きの3300円で入ることが出来る(証明出来るものが必要)。


「祇園ネタ」の出演者は、コロコロチキチキペッパーズ、ライス、あべこうじ、アキナ、西川のりお・上方よしお。


コロコロチキチキペッパーズ。
西野が相方のナダルの紹介をするのだが、あばれる君や市川海老蔵などナダルと同じ坊主頭の有名人の紹介を始めてしまう(海老蔵は最近は坊主頭を止めたようだが)。
その後、「合わせるゲーム」を二人で行う。お題を出して、思いつくものを同時に言い、重なったらポイントになるというもの。「お茶」というお題にはナダルが「緑茶」と言うが、西野は「マテ茶」と言う。西野は基本的に横文字の入った言葉を選んで、ナダルから「格好つけようとしている」などと突っ込まれる。
「住みたい街」では、西野が中目黒というのだが(東京都内でもお洒落で人気の街である)、ナダルは「巣鴨」という。関東だと巣鴨は「おばあちゃんの原宿」としてかなり有名なのだが、関西で巣鴨と言われてもピンとこない人の方が多いと思われる。巣鴨から「熟女」に寄せてると、西野からナダルは突っ込まれるのだが、多分、こっちの人は意味が分からない。という訳で受けは今ひとつである。二人とも関西出身なのだが。


ライス。喫茶店を舞台にしたコントなのだが、正直、どこで笑っていいのか分からない。ということで内容は書かないが、なぜこの内容でコントに出来ると思ったのだろうか。


あべこうじ。基本的に先月と同じネタであるが、歌のネタはやらず、「状況によって笑いになるケース」を増やしている。電車の中で音漏れしている人には近くに寄ってリズムを取って踊ってみる、というのは私の好きなネタだが、先月はやらず今回は入れていた。
あべこうじも若い頃は、「あべこうじってうざいんですね」という自虐フレーズを定番としていたが、最近は封印しているようである。
祖母が101歳で大往生した際、親戚の高校1年生の女の子が、「天国に行った時に食べられるように」と何故かケンタッキーフライドチキンを選んだという話から、「お骨になった時に、多分、ケンタッキー入ってますよね」と繋ぐネタが面白かった。


アキナ。山名がコロナ陽性判定を受けたため、漫才を行うのは17日ぶりだそうである。
山名が出典不明の四字熟語を言うネタ、ニューヨークの証券会社で働いた時の想定(山名はカタカナ英語を使っていたが、実際は名古屋外国語大学出身であるため、英語は堪能だと思われる)、行列の出来るラーメン屋で並んでいるときに割り込まれたらというネタを行う。


西川のりお・上方よしお。
のりおが、「最近お笑いを見に来る女性は美人が多い。昔は漫才師より面白い顔をした女性が多かった。美人の前では照れて漫才が出来ないが、今日は出来ます」というネタから、「最近のお笑い芸人は美男子が多い。チュートリアル・徳井とか、ロンドンブーツ・田村亮とか。この間、二人で挨拶に来ましてん。『これから頑張ります。ゼロからのスタートです』。なんかあったの?」、「FUJIWARAの藤本も凄い顔してます。全てはタピオカから始まりました」と不祥事ネタを絡めていた。


祇園吉本新喜劇「諸太郎の惚れたあの子は名子役」。出演は、諸見里大介、信濃岳夫、鵜川耕一、今別府直之、伊丹祐貴、若井みどり、浅香あき恵、いがわゆり蚊、重谷ほたる、湯澤花梨。

花月ホテルが舞台。このホテルで子役のオーディションが行われるという設定である。ホテルのオーナー・若井みどりの子供で、小学校1年生の諸太郎(諸見里大介)が主人公である。このオーディションには名子役として有名な浅香花梨(湯澤花梨)も参加の予定。花梨の母親である浅香あき恵がいわゆるステージママという設定である。
吉本新喜劇は役者の魅力で見せる軽演劇だけに、やはり座長クラスがいないとどうにも締まらない。ラストも上手く着地出来ずにドタバタしている間に終わってしまっていた。

伊丹祐貴が、空港ネタ(伊丹空港、通称は大阪空港)で、「関西国際」、「神戸」(関西には無駄に空港が多い)などと間違われ、更に同じ兵庫県内の「尼崎」、「西宮」、「宝塚」、大阪府の「富田林」などと地名でいじられるネタが一番面白かった。

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2022年4月 1日 (金)

これまでに観た映画より(290) 「ベルファスト」

2022年3月29日 京都シネマにて

京都シネマで、ケネス・ブラナー脚本・監督作「ベルファスト」を観る。アイルランド・イギリス合作。アカデミー賞では脚本賞に輝いた作品である。イギリス(グレート・ブリテンおよび北アイルランド連合王国)の北アイルランドの中心都市、ベルファストを舞台としたカトリック派とプロテスタント派の闘争を少年の視点から描いた作品。ケネス・ブラナーはベルファストに生まれ、9歳の時までこの街で生活していた。ということで、自身の子供時代を重ねて描いた映画である。

出演:ジュード・ヒル、カトリーナ・バルフ、ジェイミー・ドーナン、キアラン・ハインズ、ジュディ・デンチほか。

宗教闘争が鍵となっているが、それには北アイルランドの成り立ちについて知らないと内容がよく分からないことになる。
カトリックの国であったアイルランドであるが、徐々にイギリスに浸食されることになり、遂にはイギリスに併合されてしまう。その過程で、イギリスはカトリックを離れたイギリス国教会(英国聖公会)を樹立させ、更に多くの派が分離してプロテスタント系へと流れていく。ということで、イギリスはプロテスタントが主流、アイルランドはカトリックが主流ということになる。その後、ようやく20世紀に入ってからアイルランドはイギリスからの独立を勝ち取るのだが、北アイルランドはカトリック系の住民よりもプロテスタント系の住民の方が圧倒的に多かったため、アイルランド独立後もイギリスに属することになった。これが火種となる。

映画は現在のベルファスト市の上空からのカラー映像に続き、1969年8月15日のモノクロ映像へと移る。9歳のバディ(ジュード・ヒル)が戦士ごっこを終えて家へと帰ろうとした時のことだ。向こう側から、武装した異様な風体の男達が現れる。男達は火炎瓶を投げるなどして周囲を混乱と恐怖へと陥れていった。バディが住む街ではプロテスタント派もカトリック派も家族のように仲良く暮らしていた。だが、プロテスタントのタカ派青年達がやって来て、カトリックの住民を排斥するために暴力に訴え出たのである。これがIRAなどを生んだことで知られる北アイルランド紛争の始まりであった。実はバディの一家はプロテスタントを信仰しており、直接的に排除される対象ではなかった。後にバディは従姉のモイラによって反カトリック派によるスーパーマーケット襲撃の列に強引に加えられてしまったりする。

一方、バディの父親(本名不明。演じるのはジェイミー・ドーナン)はその日、家を空けていた。北アイルランドでは待遇が悪いため、ロンドンに出稼ぎに出て大工(正確には建具工のようである)をしていたのだ。平日はロンドンで働き、週末にベルファストに戻るという生活をしていたが、ベルファストが物騒になってきたため、週末にロンドンで働いて、それ以外はベルファストにいるという逆の生活を選ぶことになる。経済的に苦しくなることが予想されたが、そんな折り、契約しているロンドンの会社から大工の正社員にならないかという誘いを受ける。それも新居が約束されているという好待遇でである。しかしバディの母親(こちらも本名不明。演じるのはカトリーナ・バルフ)は生まれ育ったベルファストに愛着があり、またアイルランドなまりによって差別を受けるのではないかとの怖れからロンドンに移ることを渋る。

バディは小学校では成績優秀。クラス一の秀才であるキャサリンに好感を抱いている。小学校では、テストがある度に席替えが行われ、成績優秀者が最前列で、点数が低いと後ろに下がることになる。今回のテストでバディの成績は3番。オリンピックになぞらえて「銅メダル」と呼ばれる。あと一つ、順位を上げれば「金メダル」であるキャサリンの隣の席になれる。
そうした事情もあり、また祖父(キアラン・ハインズ)や祖母(ジュディ・デンチ)と別れたくないとの理由もあって「ベルファストから離れたくない」と泣きわめくのだった。


ケネス・ブラナーが自身の子供時代を投影していると思われるシーンがいくつかある。バディの一家は映画好きで、たびたび家族で映画館に出掛けており、映画館で「チキ・チキ・バン・バン」を観るシーンがある。またバディが一人でテレビで放送される西部劇映画を食い入るように見つめている場面がクローズアップなども使って描かれている。また、一家は劇場にも通う習慣があったようで、ディケンズ原作の「クリスマス・キャロル」を舞台化したものを観るシーンも盛り込まれている。夢見る少年にとって、生まれた場所を離れるのは耐えがたいことであったが、ベルファストの状況が日毎に悪化していく中で、母親も移住賛成派に回り、ベルファストを去ることが決定的となるのであった。


人生の最も重要な時期の一つである少年時代の夢と悪夢を絡めながら描いた瑞々しい作品である。状況的には悲惨なのであるが、幼い日の淡い恋心や映画への憧れなど、子供を主人公にしたからこそ可能な、心が軽くスキップするような瞬間が丁寧に描かれている。そしてそうであるが故に、それと対比される暴力や争うことの愚かさが、より際立って見える。

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