コンサートの記(775) ミハウ・ネステロヴィチ指揮 京都市交響楽団第666回定期演奏会
2022年4月22日 京都コンサートホールにて
午後7時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第666回定期演奏会である。「666」は、「オーメン」などで知られる通り、キリスト教においては不吉な数字だが、キリスト教徒のほとんどいない日本なので、本気で気にする人はいないだろう。
今日の指揮者は、ポーランド出身のミハウ・ネステロヴィチ。
3月をもって広上淳一が常任指揮者を離れ、空位期を迎えた京都市交響楽団。後任としては、「ヨーロッパ在住の指揮者」が予定されていたが、コロナにより就任が延期になったとされている。「ヨーロッパ在住」というだけで、日本人なのか外国人なのかも不明のままだ。
ということで迎えた新シーズン。残念ながら今期は大物外国人指揮者の招聘は予定されていない。京都市が財政難ということもあるだろうが、これまでは広上淳一のお友達ということで客演してくれた指揮者も多かった。常任指揮者不在の影響も出ているのだろう。
なお、広上淳一は、名誉称号などは辞退しているが、プログラムには無冠で名前が記されている。
ミハウ・ネステロヴィチは、バーゼル交響楽団(スイス)とアルトゥール・ルービンシュタイン・フィルハーモニー・ウッチ(ポーランド)の首席客演指揮者を務めている。有名オーケストラにも数多く客演しているが、シェフの座はまだ射止めていないようである。
コンクール歴は、2008年にカダケス交響楽団ヨーロッパ指揮者コンクールで優勝。祖国ポーランドのカトヴィツェで行われたグジェゴフ・フィテルベルク国際コンクールでは入賞を果たしている。
曲目は、キラールの弦楽オーケストラのためのオラヴァ、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調(ヴァイオリン独奏:郷古廉)、ブラームスの交響曲第1番。
今回のプレトークは、通訳の小松みゆきが質問して、ネステロヴィチがそれに答えるという形が取られる。キラールは、ポーランドの作曲家だが、ネステロヴィチはどのコンサートでも1曲は祖国であるポーランドの作曲家の作品を取り入れることにしているようだ。ちなみに長身の指揮者であり、約2mあるそうで、「どこのオーケストラからも指揮台がいらないということで喜ばれている」と語る。勿論、今日も指揮台なしである。
ロシアがウクライナに侵攻中ということで、ブラームスの交響曲第1番第4楽章の、ベートーヴェンの「第九」を模した旋律は「平和」への祈りが感じられると語り、またブラームスの演奏終了後に、ウクライナの作曲家の短い作品をアンコールとして演奏することを予告した。
今日のコンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平。なお、キラールでは泉原の隣には尾﨑ではなく立石康子が座ったが、冒頭がコンサートマスターと第2ヴァイオリンのセカンドプルトの演奏で始まるという特異なスタイルの楽曲であるため、コンサートマスターの隣に座ったからフォアシュピーラーの役割を果たすという訳ではないようだ。
今日はチェロが客席側に来るアメリカ式の現代配置による演奏である。
キラールの弦楽オーケストラのためのオラヴァ。
ヴォイチェフ・キラール(1933-2013)は、当時はポーランド領であった現ウクライナのルヴツ出身の作曲家。1955年にカトヴィツェ音楽院に入学し、卒業後はパリに留学して、名教師として知られるナディア・ブーランジェに師事している。
映画音楽も数多く手がけており、名画として知られるロマン・ポランスキー監督の「戦場のピアニスト」の音楽担当がキラールだったそうだ。
なお、オラヴァというのは、ポーランドとスロヴァキアにまたがるカルパチア山脈を流れるオラヴァ川のことだが、発音が似ている「牧草地」という意味の言葉も掛けられているそうである。
弦楽によるミニマルミュージックの要素を取り入れた音楽であり、マイケル・ナイマンの作風に似ている。終盤になると開放的な長調と入り組んだ不協和音が交互に奏でられ、光と影が互い違いに描かれているような音楽へと変わっていく。なお、ラストでは「ヘイ!」という声を奏者が発するよう指示がある(任意のようで行わなくてもいいようだ)が、コロナがまだ収束には至っていないということで、指揮者のネステロヴィチのみが「ヘイ!」と叫んだ。
メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調。
若手ヴァイオリニストの中でも比較的知名度の高い郷古廉(ごうこ・すなお)がソロを奏でる。
これまで幾たびも聴いてきたメンコンことメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。郷古のソロは他の奏者に比べてスケールが小さめなのが気になったが、音の純度は高く、また第3楽章の憂いの表情などは見事である。
京響の伴奏も優れていたが、もっと上質の伴奏を奏でたこともあるので、完全に満足の行く出来とまでは行かなかったように思う。
郷古のアンコール演奏は、J・S・バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番より第3楽章アンダンテ。典雅にして温かな演奏であり、日だまりの道がずっと先まで続いている様が見えるような希望に満ちた音楽が奏でられた。
ブラームスの交響曲第1番。おそらくこれまで接した演奏会で最も多く取り上げられている曲である。
冒頭は威圧感や迫力ではなく透明度を重視する。大仰さがなくなり、染み込むような苦悩が全面に出る。その後、徐々に情熱を高めていくが、どれほど熱い場面であっても上品さを失うことはない。実演、録音含めて何度聴いたか分からない曲だが、こうした演奏に接するのはおそらく初めてであるように思う。ブラームスも奥が深い。
京響は金管に威力があるため、たまに管のバランスが強くなることもあるが、基本的にはエレガントなブラームスである。首席奏者を揃えた管も実に上手い。
ネステロヴィチは初来日で、これまで名前を聞いたこともなかったが、実力はかなりのものと見た。
予告通りのアンコール演奏。コンサートマスターの泉原がマイクを手に、曲目の紹介とウクライナ侵攻の平和的終結を願って演奏される旨を述べる。
演奏されるのは、ミロスラフ・スコリクの映画「High Pass」より「メロディ」(管弦楽版)。抒情的にして哀切な美しさに溢れていた。
| 固定リンク | 0
« 観劇感想精選(433) 広田ゆうみ+二口大学 「受付」@UrBANGUILD 2022.4.19 | トップページ | コンサートの記(776) 「ローム ミュージック フェスティバル 2022」リレーコンサートA「萩原麻未 featuring 岡本麻子」 »
コメント