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2022年5月の11件の記事

2022年5月30日 (月)

観劇感想精選(435) 「狂言三代 祝祭大狂言会」2021振替公演 2022.4.10

2022年4月10日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後3時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、「狂言三代 祝祭大狂言会」2021の振替公演を観る。本来は昨年の4月に上演される予定だったのだが、コロナ禍により1年延びた。昨年買ったチケットは有効で、そのまま入ることが出来る。

演目は、野村萬斎による解説に続き、「能楽囃子」(大鼓:山本寿弥、小鼓:大山容子、太鼓:加藤洋輝、笛:竹市学)、「二人袴 三段之舞」(聟:野村裕基、太郎冠者:石田淡朗、舅:高野和憲、兄:野村太一郎)、「月見座頭」(座頭:野村万作、上京の男:野村萬斎)、池澤夏樹の作・野村萬斎の演出・補綴による「鮎」(国立能楽堂委嘱作品。小吉:野村萬斎、才助:石田幸雄ほか)。

中央に一段高くなった舞台があり、そこから上手奥と下手奥に延びる二つの橋懸かりがある。

野村萬斎が3つの演目についての解説を行うが、その前に、昨年行われる予定だった「祝祭大狂言会」について、「狂言会の翌日からまん防だというのでやれやれ(間に合った)と思っていたら中止になった」「荷造りをしていたが、途中で止めることになった」と語る。

「二人袴」に出てくる「通い聟」の制度について述べ、「狂言はエアです」と解説する。

「月見座頭」という不思議なタイトルについては、「座頭が月見をする。といっても見えませんので、月に影響されて鳴く虫の声を聴いて月見をする」と種明かしし、「虫の声もエアです」と述べる。

「鮎」は池澤夏樹による現代狂言だが、鮎を役者が演じるという設定にしたのは萬斎のようである。
内容について萬斎は、「邯鄲の夢」のようなところがあると語っていた。


鋭い響きによって奏でられた能楽囃子(水流を表しているようである)に続いて上演される「二人袴」。元々の登場人物は、聟とその父親という設定のようだが、今回は兄弟という設定に変えて上演される。
初めて袴をはいて歩くという設定の、野村裕基演じる聟のロボットのようなカクカクした動きが笑いを誘う。
以前にも観たことのある演目だが、「表面を取り繕うことの滑稽さ」が描かれているように見える。


「月見座頭」。上京の男(セリフでは「洛中に住まいする者」)と月見座頭が詠む(というより記憶していて語る)和歌が無料パンフレットに記されたものとは一部異なっており、洛中の男は、「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山にいでし月かも」(阿倍仲麻呂)、座頭は、「月見れば千々にものこそかなしけれ我が身一つの秋にはあらねど」(大江千里)と詠む(唱える)。
京都の、おそらく東山あたりが舞台だと思われるのに、洛中の男が奈良を詠んだ歌を自作として披露してしまうのもなんだか可笑しい。

「残酷狂言」とも呼ばれることのある「月見座頭」。風雅に満ちた展開が一変して障害者虐待となる。生きることと人間の残酷さが描かれているが、それでも淡々と生きることを選ぶ座頭が心強くもある。狂言は上の者が下の者にしてやられるという展開の作品も多いが、いうなれば下の者の忍辱のようなものがこの話では表されているのだろうか。


「鮎」。池澤夏樹が自身の短編小説を狂言とした作品であるが、小説「鮎」も実は南米の民話を下敷きにしたものとのことである。

池澤夏樹は狂言のファンだそうだが、それでも小説家が狂言を書くのは大変なことのようで、半分くらいは野村萬斎が補作したそうであるが、違和感は拭いえない。

小吉が都に出て出世するが、全ては一炊の夢であったという「邯鄲の夢」や芥川龍之介の「杜子春」などの系譜にある作品である。歌舞伎のような外連を出すなど、新しい表現にチャレンジしているが、野村萬斎の腕をもってしてもここまでというのはショックでもあった。お客さんには好評のようで、笑い声も大きかったが、狂言の一種の「粋」とは異なる作品が出来上がっているように見えた。

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2022年5月29日 (日)

これまでに観た映画より(297) チャン・イーモウ監督作品「ワン・セカンド 永遠の24フレーム」

2022年5月25日 京都シネマにて

京都シネマで、張芸謀(チャン・イーモウ、张艺谋)監督作品「ワン・セカンド 永遠の24フレーム」を観る。出演:チャン・イー、リウ・ハオツン、ファン・ウェイほか。

文化大革命真っ只中の中国が舞台となっている。
風吹きすさぶ広大な砂漠の中を一人の男(チャン・イー)が歩いているシーンから始まる。男は喧嘩を行ったことを密告され、改造所(強制収容所)送りとなっていた。その間に離婚し、一人娘ともはぐれることになった。

この時代、映画のフィルムが送り届けられ、劇場(毛沢東思想伝習所という名になっている)で上映会が行われていた。田舎の人々にとってはそれが数ヶ月に一度の楽しみであった。上映前の場面では、劇場に詰めかけてきた全ての人の高揚感がこちらにも伝わってきて、胸がワクワクする。

娘がニュース映画の22号に映っているという情報を得た男は、14歳になる最愛の娘の映像を観るために改造所から逃亡してきたのだ。
夜中に農業会館(礼堂)にたどり着いた男は、子どもがオートバイに下げられた袋からフィルム一巻を盗むのを目撃して追いかける。男の子かと思っていたが、女の子であった。フィルムを取り返した男だったが、彼女はその後も何度もフィルムを奪いに来る。やがて男は、彼女が貧しく、劉の娘(演じるのはリウ・ハオツン)という名前のみで呼ばれていることを知る。彼女には幼い弟がいて、成績優秀なのだが、貧しいためにライトスタンドを買うことが出来ず、夜に十分に勉強することが出来ない(字幕では「本が読めない」となっていたが、おそらく「看书」は「勉強する」という意味で使われていると思われる)。そこで、借りることにしたのだが、誤って傘の部分を燃やしてしまい、持ち主から傘を付けて返すよう脅迫される。借りたのはやっちゃな少年達の一団からだったようで、劉の娘は彼らから散々にいじめられている。
当時は、映画のフィルムでライトの傘を作ることが流行っていたようで、劉の娘もフィルムで傘を作ろうとしていた。いじめられないため、そして弟のために必死だったのだ。


文化大革命の下放中に映画監督を志した張芸謀監督。若い頃は画家志望だったが、才能に不足を感じ、写真家志望へと転向している。文革終了後、北京電影学院(日本風に書くと北京映画学院。「学院」というのは単科大学のこと)を受験した際は、年齢制限に引っかかっていたが、彼の写真家としての腕が高く買われ、特別に入学を許されている。北京電影学院の同期(第五世代)で、仲間内で文学の才を称えられた陳凱歌は張芸謀の写真家としての才能を絶賛する詩を書いていたりするほどだ。映画監督よりも先に撮影監督として評価されたことからもその才能はうかがわれるが、この映画の主人公である逃亡者の男も写真を学んだことがあるという設定になっており、この男もまた張芸謀監督の分身であることが分かるようになっている。

第2分場の劇場で映写を担当しているのはファン(ファン・ウェイ)という男である。映画(電影)のことを知り抜いているため、ファン電影の名で呼ばれている。
逃亡者の男と、劉の娘がフィルムの取り合いを行いながら、ファン電影のいる第2分場にたどり着く。その間、ヤンという男がオートバイで第2分場へとフィルムを運んでいたのだが、ヤンは荷馬車引きであるファン電影の息子にフィルムを託してしまう。これが事件へと発展する。知能に障害のあるファンの息子は、フィルムを入れた缶の蓋をきちんと閉めることを怠り、フィルムが路上に投げ出されてしまう。土まみれで、とぐろを巻いた蛇のようにグチャグチャになったフィルム。このままでは上映は出来ないが、ファン電影は分場総出で、フィルムの洗浄を行う。なお、第2分場の劇場にはフィルムの洗浄液が置かれていないが、子ども時代のファン電影の息子が洗浄液を水と間違えて飲んでしまい、後遺症で知能に後れが出て荷運びしか出来ない青年となってしまったため、ファン電影は洗浄液を劇場に置くのを止めたのであった。
フィルム洗浄の工程からはファン電影の執念の凄まじさが感じられるが、ファン電影もやはり張芸謀の分身の一人であると思われる。

なんとかかんとかフィルムの修復が完了。だが、その後も、逃亡者の男が劉の娘の復讐のためにやんちゃな少年達とやり合うなど場は混乱。その際、劉の娘に預けたニュース映画22号のフィルムを劉の娘がライトスタンドの傘にするために家の持ち帰ったのではないかと疑った男が劇場を離れるなどしたため、本編の前に上映されるニュース映画を飛ばして映画本編からの上映となる。

ニュース映画に男の娘が映っている時間はわずかに1秒(ワン・セカンド One Second。映画は1秒間に24コマ=フレームを費やす)。14歳であるが、大人に交じって袋を担ぐ肉体労働を行っている。男は、ファンにそのシーンを何度も上映するよう命令する。


1秒だけ映る14歳の娘の姿は、男にとって何よりも大事な映像だが、映画や芝居、ドラマなどが好きな人は誰でも「自分だけの大切な一場面」を胸に宿しているはずで、多くの人が娘の場面を、「自分の愛しい瞬間」に重ねることだろう。勿論、娘を思う男の気持ちにも心動かされる。

ライトスタンドの傘であるが、最終的にはフィルムが美しい傘となって劉の娘に送られる。形は違うが、娘のフィルムへの執着が実っており、これまた映画への愛を感じることになる。

「映画への愛」と「自分だけの大切な場面」を描き切った張芸謀の力量に感心させられる一本であった。

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2022年5月26日 (木)

これまでに観た映画より(296) 「勝手にしやがれ」4Kレストア版(2K上映)

2022年5月23日 京都シネマにて

京都シネマで、ジャン=リュック・ゴダール監督の「勝手にしやがれ」を観る。日本では特に沢田研二がこの映画にインスパイアされた曲をヒットさせたということもあるが、ゴダール監督作品の中でも最も有名な映画と見て間違いないだろう。長編第1作が著名にして今なお世界的評価を得ているというのも稀なことである。

出演:ジャン=ポール・ベルモンド、ジーン・セバーグほか。原案をフランソワ・トリュフォー、監修をクロード・シャブロルが務めている。

2007年にDVDで観ているが、映像特典では、ジョン=ポール・ベルモンドが、自身が行った即興の演技の解説を行っていた。
有名なラストシーンで、どこまで走るかはベルモンドに一任されており、ゲリラ撮影であったため、ベルモンドは、「これ以上走ると車に轢かれる」という寸前で倒れたことを明かしている。死ぬ前に自分の手でまぶたを閉じるという有名な仕草もベルモンドによる即興である。


ろくでなしのミシェル(ジャン=ポール・ベルモンド)の話。実話が基になっている。マルセイユで車を盗み、南仏で乗り回していたミシェル。警察のバイクに追いかけられ、逃げるが、エンストして追い込まれた時に警官を射殺してしまう。かくてミシェルはお尋ね者となった。
パリに戻ったミシェルは、知り合いの女性から金をくすねたり、トイレで手を洗っていた男性を襲って金を奪ったりと、相変わらずのろくでなし生活。最終的にはアメリカ人の恋人であるパトリシア(ジーン・セバーグ)の下に転がり込むことになる。パトリシアはジャーナリストを志している。そうしている間にも捜査は進み、ミシェルは指名手配され、新聞にも顔写真と名前が載るようになっていた。


多くの映画監督が言葉を武器とする批評家からスタートしたというヌーヴェルヴァーグの映画らしく、過度にエスプリをちりばめたセリフが特徴。いくらフランス人とはいえ(ジーン・セバーグはアメリカ人だが)、ここまで凝った言葉を喋る人はいないと思われ、リアリティを欠くのだが、いわゆるリアリティとは別のところで勝負しているところがヌーヴェルヴァーグ(新しい波)の特徴である。おそらくヌーヴェルヴァーグの作家達にとって、リアリティの重要度はそれほど高くはなかっただろう。

ジャン=リュック・ゴダールの作品は、私はそれほど好きではないが、「勝手にしやがれ」の完成度にはやはり感心させられる。

ちなみに、「勝手にしやがれ」制作時に、ジャン=リュック・ゴダールは28歳、ジャン=ポール・ベルモンドは26歳、ジーン・セバーグは二十歳である。みんな若い。


フランソワーズ・サガン原作の映画「悲しみよこんにちは」のセシル役で鮮烈なデビューを飾ったジーン・セバーグ。続けて出た「勝手にしやがれ」も好評だったが、実は彼女の出演作の中でヒットしたのは、この2作だけである。興行成績的にいうなら「悲しみよこんにちは」も成功とはいえないとされる。以降は女優としては低迷し、政治活動に力を入れるが、精神を病み、40歳の若さで自殺している。
ただ、「悲しみよこんにちは」で売れたということで、「勝手にしやがれ」のセリフの中に、サガンの『一年ののち』や『ブラームスはお好き』といった小説のタイトルがちりばめられている。だが、今日は残念ながら客席から笑いや反応は起こらなかった。天才少女作家の代名詞でもあったフランソワーズ・サガンも他界して久しく、小説も絶版が多く、今後は読まれない過去の作家となっていくのかも知れない。

とはいえジーン・セバーグもジャン=ポール・ベルモンドもとにかく魅力的である。セリフも映画のスタイルも自己中心的もしくは自己完結的であり、登場人物の間、そしてスクリーンと観客の間でもすれ違いが起こっていることは実感出来る。まさしく「勝手にしやがれ」状態だが、それが魅力になるというのが、この映画の強さである。車を盗んでは逃げ回っている男、そんな男についていく女、ろくでもない二人だが、そのろくでもなさの哀感が観る者を魅了する。「勝手にしやがれ」という邦題はベルモンドのセリフに由来するが、かなり上手い邦題だと思える。

3年前(2019年)に火災に遭ったノートルダム大聖堂、凱旋門、エッフェル塔、コンコルド広場など、舞台となっているパリの名所も多く登場し、パリの美しい街並みや風景も目にすることが出来るが、同時に例えばユゴーの『ノートルダム・ド・パリ』に描かれたような、もう一つのパリとその魅力が語られているような独特の妙味を持った映画と賞賛したい。

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2022年5月25日 (水)

2346月日(37) 京都国立博物館 伝教大師1200年大遠忌記念 特別展「最澄と天台宗のすべて」

2022年5月20日 東山七条の京都国立博物館で

京都国立博物館平成知新館で、伝教大師1200年大遠忌記念 特別展「最澄と天台宗のすべて」を観る。前期と後期の展示に分かれているが、前期は訪れる機会を作れず、後期のみの観覧となった。

2021年が、伝教大師最澄の1200年大遠忌(没後1200年)に当たるということで開催された特別展。最澄の他に、中国で天台宗を確立した天台大師・智顗や、最澄の弟子である円仁と円珍に関する史料、延暦寺や園城寺(三井寺)所蔵の史料や仏像、平泉の中尊寺や姫路の書写山圓教寺などに伝わる仏典や高僧の座像、恵心僧都源信が著した「往生要集」、六道絵より阿修羅道と地獄の絵、延暦寺の鎮守である日吉大社の神輿や曼荼羅図、そして江戸(東京)の東叡山寛永寺にまつわる南光坊天海僧正像、江戸時代の寛永寺の全体を描いた「東叡山之図」、寛永寺を江戸の鬼門除けとなる東の比叡山として開いた東照大権現(徳川家康)の像、更に江戸で一番の賑わいを見せた浅草寺の絵巻などが展示されている。

今の大津に生まれ、近江国分寺に学び、東大寺で受戒した最澄。生まれ故郷に近い比叡山に一乗止観院を設け、これが後に延暦寺へと発展する。一乗止観院は、一乗思想(誰もが往生することが出来るとする思想)に基づくもので、その後、会津の徳一が支持する三乗思想(菩薩のみが往生が可能で、声聞や縁覚、そして無性は悟りを開けないとする)との三一権実争論が繰り広げられることになる。

最澄は、延暦寺にも戒壇院を築きたいと願っていたのだが、なかなか許可が下りず、嵯峨天皇からの勅許が降りたのは、最澄の死後1週間経ってからであった。

ということで、日本の天台宗の歴史においては、最澄よりもその後継者達の方がより任が重くなる。最澄に次ぐ天台宗の大物が、円仁と円珍であった。
最澄の弟子達の中で最も優秀であったとされる円仁は、唐に渡り、9年6ヶ月に渡って彼の地で学んで、「入唐求法巡礼行記」を記す。
一方、空海の親族である円珍も唐に渡り、帰国後は天台座主となるが、園城寺を新たに天台の道場とする。
延暦寺は山門派、園城寺は寺門派を名乗り、抗争が起こるのは後の世のことである。

天台思想は、奥州に伝わり、浄土を模したといわれる藤原三代の都・平泉で花開いた。金堂で有名な中尊寺には金文字で記された一切経が伝わっている。

良源と性空の像が並んでいる。命日が正月三日であるため元三大師の名で知られる良源、書写山圓教寺の開山となった性空は、共に異相であり、常人でないことが見た目からも伝わってくる。

また、空也上人立像も展示されている。空也上人立像は、六波羅蜜寺のものが有名だが、今回は愛媛県松山市の浄土寺に伝わるものの展示である。六波羅蜜寺の空也上人立像同様、口から「南無阿弥陀仏」を表す6つの阿弥陀像が吐き出されている。

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2022年5月22日 (日)

これまでに観た映画より(295) とよキネマ Vo.41 「12人の優しい日本人」

2022年5月19日 豊中市立文化芸術センター中ホール(アクア文化ホール)にて

午後7時から、豊中市立文化芸術センター中ホール(アクア文化ホール)で、映画「12人の優しい日本人」を観る。「とよキネマ」という映画上映会での鑑賞である。値段は千円と、通常の映画に比べて安めに設定されている。

アクア文化ホールは、今では大小2つのホールなどがある豊中市立文化芸術センターの中ホールという位置づけだが、元々は別の文化施設。ついこの間まで半年間の改修工事を行っていた。中に入るのは初めてだが、トイレなどはかなり綺麗で、ほぼ新築に近いような状態となっていた。客席シートも柔らかく、おそらく全席入れ替えられたのだと思われる。

脚本が、三谷幸喜と東京サンシャインボーイズ名義となっている映画「12人の優しい日本人」。キネマ旬報ベストテンと毎日映画コンクールの2つで脚本賞を受賞している。1991年の作品で、監督は中原俊が務めている。
東京サンシャインボーイズによる舞台版の初演が1990年であるため、映画化がトントン拍子で決まったことが分かる。東京サンシャインボーイズが人気劇団だったとはいえ、小劇場で行われた作品がこれほど短期に映画化されるのは珍しい。

2009年に日本に裁判員制度が取り入れられたが、1990年代前半にはまだそんなものが日本に出来ると想像する人は誰もいなかった。「12人の優しい日本人」はタイトルからも分かる通り、「十二人の怒れる男」の一種のパロディとして書かれた作品であり、陪審員制度が存在する架空の日本を舞台としている。

出演は、塩見三省(陪審員1号)、相島一之(陪審員2号)、上田耕一(陪審員3号)、二瓶鮫一(陪審員4号)、中村まり子(陪審員5号)、大河内浩(陪審員6号)、梶原善(陪審員7号)、山下容莉枝(陪審員8号)、村松克己(陪審員9号)、林美智子(陪審員10号)、豊川悦司(陪審員11号)、加藤善博(陪審員12号)、近藤芳正(ピザ配達員)、久保晶(守衛)。

相島一之と梶原善は東京サンシャインボーイズのメンバー、豊川悦司は映画俳優としてはまだ駆け出しで、スター俳優の出演はなく、制作費は安く抑えられていると思われる。
今では余り知られていないのかも知れないが、豊川悦司は、渡辺えり子(現・渡辺えり)が主宰する劇団3○○(さんじゅうまる)の出身で、小劇場の出である。他の出演者も舞台出身者が多い。
なお、舞台「12人の優しい日本人」では、西村まさ彦(旧芸名および本名・西村雅彦)が陪審員9号を演じており、西村自身も映画版への出演を疑っていなかったがキャスティングされず、かなり落ち込んでいたと、後に三谷幸喜が記している。

全て当て書きである三谷幸喜。「12人の優しい日本人」も劇団員や出演者への当て書きで生まれたため、三谷幸喜と東京サンシャインボーイズ名義としたのであろう。何度も陪審員2号を演じることになる相島一之や、陪審員7号の常連である梶原善は、彼らの持つ個性がそのまま生きたキャラクター設定になっている。

30年以上前の作品ということで、鬼籍に入った人もいる。村松克己は、10年後の2001年に死去。加藤善博は、2007年に48歳の若さで亡くなっている。塩見三省も病気を抱えながらの芸能活動を続けている。

陪審員裁判で、まず飲み物の注文から入るのだが(今の裁判員制度でそんなものはあるのだろうか? 多分、ないと思われるのだが)、ここで登場人物の性格を明らかにする手法が鮮やかである。もし仮に三谷幸喜が劇団出身でなかったら、ここまでの手際よさを見せることはなかったのではないだろうか。

情報係(陪審員5号)、突っ込み担当(陪審員12号)、考えることが苦手な女性(陪審員8号)、直感を大切にするご老人(陪審員10号と4号)、とにかく有罪を願う男(陪審員2号)、裁判に全く興味が無かったが昔取った杵柄で評価を得る人物(陪審員11号)、嫉妬深く自分の容姿にコンプレックスを抱く男(陪審員7号)など、キャラクターが立った人物が多く、こうしたキャラクター設定が出来た時点で成功間違いなしと三谷幸喜も自信を持ったと思える。魅力的な人物達によるスリルとどんでん返しの連続が、観る者を飽きさせない。

実は、映画「12人の優しい日本人」をスクリーンで観るのは初めてである。テレビ放送を録画したものは2度ほど観ているのだが、やはり他にお客さんがいて笑い声の響くところで観てこそのコメディ映画であると思える。

昔、有楽町マリオンで、周防正行監督の「Shall We ダンス?」を観たことがあるが、満員の観客で、うねるような笑いが起こり、最後は拍手喝采であった。映画祭でもなんでもない上映で拍手が起こったのは後にも先にもこの時だけだが、生きているうちにまたいつか体験したいことの一つである。

関西だからという訳でもなくやはりトヨエツの人気は高いようで、上映終了後もトヨエツの話をしている女性が多かった。
そのトヨエツの演技であるが、今に比べると大分下手で、その後着実に演技力を積み重ねていったタイプであることが分かる。一方で梶原善のように見た目が若いだけで演技力がほとんど変わらない人もいる。今は大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の寡黙なアサシン・善児役でお茶の間を凍り付かせている梶原善だが、「12人の優しい日本人」でのいい奴だが垢抜けないというタイプも巧みに演じている。


「12人の優しい日本人」は、90年代前半の小劇場での上演を経て、2005年にはオール・キャストでの上演が行われ、私も大阪のシアター・ドラマシティでの上演を観ている。この時も出演者に合わせて台本の書き直しが行われていたが、スター俳優はパブリックイメージが強いだけにそれをなぞるシーンも多く、またキャパの大きい劇場では臨場感を欠く上に観客の大爆笑でセリフが聞こえなかったり、出演者が笑いが収まるのを待ってから喋る必要があったりと、本来想定された上演はもう出来ないことが明らかになっていた。
2005年版の「12人の優しい日本人」は、公演を収録したDVDが発売されていて今でも観ることが出来るが、総合点では映画版の「12人の優しい日本人」を推したい。実は演劇の素晴らしさを体現した人物である陪審員11号もなんだかんだでトヨエツがベストであろう。


すぐに茶化したり突っ込みを入れたりする陪審員12号。初演時から再々演(三演)まで一貫して伊藤俊人が演じていた役である。私が劇場や映像で観た伊藤俊人出演の舞台、例えば「ショウ・マスト・ゴー・オン 幕をおろすな」(劇場&映像) 、「君となら」(斉藤由貴&佐藤慶版。映像)、「1979」(ナイロン100℃の公演。坂本龍一役。劇場)でも伊藤俊人は突っ込みを入れることが多く、伊藤本来の持ち味が生かされていたことが分かる。伊藤俊人は、2002年に40歳の若さで世を去る。
映画版で陪審員12号を演じた加藤善博も若くして他界するが、自殺であった。実は陪審員12号は、「自殺」の可能性に気づく役であり、そうした役割を演じた俳優が自殺を遂げたということを知りながらその場面を見ていると、やりきれなくなる。あの時はあんなに輝いていたのに。

推論の重要なアイテムとなるドミソピザ。ドミノピザのもじりだが、このドミソピザはその後、三谷幸喜脚本・監督の映画「記憶にございません!」にも再登場して観客を喜ばせた。

バブル期の映画ということで、ファッションを確認するのも面白い。原色系やサイケなど、今着ると浮きそうな服装の人もいるが、ダブルのジャケットを着ている人が3人もいるというのが時代を感じさせる。ダブルのスーツはバブル期に流行ったようだが、今ではほとんど見かけることはない。

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2022年5月21日 (土)

これまでに観た映画より(294) 「気狂いピエロ」

2022年5月13日 京都シネマにて

京都シネマで、「気狂いピエロ」を観る。ジャン=リュック・ゴダール監督の代表作の一つ。出演:ジャン=ポール・ベルモンド、アンナ・カリーナほか。
原作があるそうで、最近、邦訳が出たようだが、基本的に即興重視であり、バルザック、ランボー、ボードレール、プルーストといったフランスの詩人や小説家、またスコット・フィッツジェラルドの『夜はやさし』などのアメリカの文学作品のタイトルなどが衒学的にちりばめられている。ただ、実際にそれらの文学作品を読んでいれば分かりやすくなるかといえば、そんなことは全くない。

「気狂いピエロ」は、二十代の頃にビデオで観ているはずだが、内容は完全に忘れており、見返してみても、「こんな映画だったっけかな?」と尻尾をつかむことが出来ない状態であった。

アメリカンニューシネマに影響を与えた作品として知られており、実際、アメリカンニューシネマに通じるテイストや色彩感、雰囲気などを備えているが、やはり即興性が強いため、強引に感じる場面も多く、練りに練った脚本や当時流行っていた思想などで勝負するアメリカンニューシネマとは実は見た目は近いが最も遠い作品なのではないかという印象も受ける。

ストーリー自体は単純で、妻との関係に飽きた文学かぶれのフェルディナン(ジャン=ポール・ベルモンド)は、5年ぶりに再会したマリアンヌ(アンナ・カリーナ)と恋仲になる。マリアンヌは、フェルディナンのことを「ピエロ」というあだ名で呼ぶが、フェルディナンはそのたびに「フェルディナンだ」と言い返し、「ピエロ」というあだ名を気に入っていない。マリアンヌの兄が右翼系の武器流通組織に関与していたということで、事件に巻き込まれた二人はパリから南仏へと逃げることになる。
これだけなのだが、フェルディナンが書き記しているやたらと詩的なメモ、唐突に切り替わってはぶつ切りにされる音楽、一貫性を欠いた(即興なので当然なのだが)場面設定、突然始まるミュージカルなど、ごった煮状態であり、ある意味、理解するのではなく状況をそのままに味わった方が楽しめる映画である。

アメリカンニューシネマに影響を与えたと書いたが、アメリカンニューシネマは「俺たちに明日はない」などの例外はあるが、基本的に男性が活躍する作品が多いため、「気狂いピエロ」のアンナ・カリーナは、アメリカンニューシネマのどのヒロインよりも魅力的と断言してもいいだろう。

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2022年5月14日 (土)

観劇感想精選(434) 加藤健一事務所 「サンシャイン・ボーイズ」

2022年5月3日 京都府立府民ホールアルティにて観劇

午後2時から、京都府立府民ホールアルティ(ALTI)で、加藤健一事務所創立40周年・加藤健一役者人生50周年記念公演第1弾「サンシャイン・ボーイズ」を観る。
本来は一昨年に予定されていた公演であるが、コロナ禍により延期となり、本年に改めて上演されることとなった。

出演:加藤健一、佐藤B作、佐川和正(文学座)、田中利花、照屋実、加藤義宗、韓佑華。声の出演:清水明彦(文学座)、加藤忍。テキスト日本語訳:小田島恒志、小田島則子。
演出は、堤泰之が手掛ける。

「サンシャイン・ボーイズ」は、ニール・サイモンの代表作であり、ニール・サイモンに憧れて演劇を志した三谷幸喜(彼は本来は映画監督志望であったため、最初から演劇を目指していたという訳ではないのだが)が、自身が日大藝術学部時代に旗揚げした劇団に、東京サンシャインボーイズという名を与えたことでも知られる。
私が東京サンシャインボーイズの公演に接した経験は一度だけで、東京・新宿の紀伊國屋ホールで行われた「ショウ・マスト・ゴー・オン ~幕をおろすな!」の1994年再演版がそれなのだが、実はその時、座長である宇沢萬役で出演していたのが佐藤B作であった。当時の東京サンシャインボーイズは、看板俳優であった西村雅彦(現・西村まさ彦)が、三谷の脚本である「振り返れば奴がいる」への出演や、フジテレビの深夜音楽特集の一つである「マエストロ」に主演するなどして知名度を急速に高めていたが、知名度自体では客演の佐藤B作が最も高かった。

サンシャイン・ボーイズと佐藤B作が繋がったということで、個人的な原点回帰のようで嬉しくなる。


出演者は比較的多めだが、実質的には、かつて「サンシャイン・ボーイズ」の名でヴォードヴィル界を沸かせた、ウィリー・クラーク(今回演じるのは加藤健一)とアル・ルイス(同じく佐藤B作)の二人が軸であり、本道ではないが一種のバディものとなっているのが特徴である。時折、バディもの映画の代表的存在である「明日に向かって撃て!」のオープニング&エンディングテーマ(“Not Goin' Home Anymore” バート・バカラック作曲)が流れ、以前の二人の関係がノスタルジックに浮かび上がる。この音楽による演出はとても良い。


かつてアル・ルイスとコンビを組み、サンシャイン・ボーイズの名で一世を風靡したウィリー・クラーク。サンシャイン・ボーイズとして43年活躍したが、12年前にウィリーとアルの間で諍いが生じ、11年前にサンシャイン・ボーイズは解散。アルはヴォードヴィルでやっていける自信がないとして株式仲買人へと転身したが、ウィリーは、芸能の仕事を続けている。だが、すでに老境に達しつつあるウィリーの下に舞い込む仕事はほとんどない。
甥であるベン・シルバーマン(佐川和正)がマネージャーを務めているが、仕事を取ってくることは少なく、ウィリーは、経年劣化の進むホテルの一室に暮らし、通俗的な昼メロをぼんやりと見続けるような無為な日々を送っている(一応、仕事の依頼がいつ来てもいいよう、電話のそばにいる必要があるとの理由があるらしい)。本当にやる気があるのなら、映画館に出掛けて前衛的な作品を鑑賞したりもするのだろうし、テレビ映画は当時でもそれなりのものが放送されていたと思うが、そうしたものを観る気力ももう失せているようである。「サンシャイン・ボーイズ」というタイトルを付けながら、こうした黄昏の日々を舞台としているところがいかにもニール・サイモンらしい甘悲しさである。

そんな時、ベンがCBSからの仕事の依頼を持ってくる。往年のアメリカコメディーを特集する番組にウィリーにも出て欲しいというのだ。だが、11年前に解散したサンシャイン・ボーイズ再結成という形で、というのが条件であった。
喧嘩別れをしたということもあってウィリーは乗り気ではなかったが、ベンがようやく取ってきた「金メダル」級の仕事、またアルの方も、「孫にヴォードヴィルスターとしての自分の姿を見せたい」ということで、ニュージャージーからニューヨークへと出てきていた。

久しぶりに再会するウィリーとアル。過去のしこりは残っているものの、得意芸だったコント「診察室へどうぞ」のリハーサルを始めることにするのだが・・・・・・。


ビターな味わいのある大人のためのコメディであり、若き日の栄光と、そうではなくなった今の対比が、滑稽と悲哀を生む。

華々しさを取り戻すことはないという、リアルでシビアな展開なのだが、「近い将来実は」という救いになりそうな話を持ってくるところが憎い。あるいはサンシャイン・ボーイズはとある場所で、大成功こそしないかも知れないが……という希望が見える。日没前後のマジックアワーは人生にもあるのかも知れないと、強くではないが背中を押されたような気分になる素敵な作品であった。

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2022年5月11日 (水)

これまでに観た映画より(293) 「見えるもの、その先に ヒルマ・アフ・クリントの世界」

2022年5月6日 京都シネマにて

京都シネマで、ドキュメンタリー映画「見えるもの、その先に ヒルマ・アフ・クリントの世界」を観る。監督:ハリナ・ディルシュカ、撮影:アリシア・パウル、ルアーナ・クニップファー。ドイツ映画であるが、ドイツ語、英語、スウェーデン語の3カ国語が用いられている。

カンディンスキーらに先駆けて抽象画を生み出したスウェーデンの女流画家、ヒルマ・アフ・クリントの生涯とその謎に迫る、再現VTRなどもまじえたドキュメンタリーである。

カンディンスキーらが抽象画を発表したのは1910年代であるが、ヒルマ・アフ・クリントは、それよりも前の1906年に初めて抽象画の系譜に入る絵画を創作している。だが、当時、ヒルマの抽象画はほとんど認められず、ヒルマもつましい生活のまま82歳で世を去り、甥のエリックに、「晩年の作品は死後20年公開しないように」との遺言を残した。

ヒルマ・アフ・クリントが生まれたのは、1862年。代々海軍士官を務める貴族の家に生を受けた。当時、スウェーデンの貴族の娘が長年独身でいるケースが目立っており、「自立させる」ための絵画教育を施すことが流行っていた。ヒルマもこれの波に乗り、スウェーデン王立美術院に学んで、卒業後は伝統的な絵画を描くことで職業画家として自立。ストックホルムの当時の中心部にアトリエを与えられ、純粋な絵画作品の他に、病院などで用いられる実用的な作品も手掛けていた。

当時のスウェーデンでは降霊術が流行っており、ヒルマも降霊術のサークルに参加している。同じサークルにのちに劇作家となるストリンドベリも参加していたそうだが、その時は互いに有名になる前だったため、接点らしい接点はなかったようである。

やがて神秘主義に傾倒したヒルマは、志を同じくする女性芸術家達と「5人」という芸術集団を結成。啓示を受け、降霊などにインスピレーションを得た絵画を創造することになる。

「降霊などにインスピレーションを得た」などと書くといかにも怪しそうだが、シャーロック・ホームズ・シリーズで知られるサー・アーサー・コナン・ドイルも降霊術に傾倒していたことで知られているように、降霊に興味を持つことは世界的な風潮でもあった。スウェーデンは、その名もずばりエマヌエル・スウェーデンボルグ(スウェーデンボリ)という、世界史上最大級の心霊学者が生まれた国でもある。
また、科学が一大進歩を遂げる時代でもあり、原子や波動などの発見があり、「世界そのものを描きたいなら見えるように描いてはいけない」という科学からの影響も大きかった。

ただ、新しいものは往々にして受け入れられない。ヒルマの新しい絵画は仲間の女性芸術家2人から否定的に受け取られ、ヒルマが理解を求めた神秘思想家のルドルフ・シュタイナーからも色よい返事は貰えず、シュタイナーと会った1908年から4年ほどは創作自体を行っていない。

当時はスウェーデンでもまだ、「女性は結婚したら家庭に入り、仕事は辞めるべき」という風潮があり、女性が芸術家として生きていくことは難しい時代。そして、美術史は男性画家の歴史であり、女性の作品というだけで価値以前の扱いを受けていた。

こうして、カンディンスキーやモンドリアンといった男性の抽象画家が注目を浴びる中、ヒルマは埋もれた存在となっていく。これまでヒルマは生前に展覧会を開いたことはないとされていたが、実はロンドンで一度だけ個展を開いていることが分かったそうだ。
売れない画家として後半生を送ったヒルマ。彼女が生活していけたのは、芸術団体「5人」のメンバーで、富豪の娘であったアンナ・カッセルによる援助があったためとされている。

ところが、2019年、ヒルマは突如として脚光を浴びる。没後20年が経過し、ヒルマの抽象画も世に出るようになるが、最初のうちは、「降霊術の絵なんて興味はない」と断られたりもしていた。しかし、各地の展覧会での好評を受けて、ニューヨークのグッゲンハイム美術館で行われた回顧展が大評判となり、同美術館史上最高となる約60万の来場者を記録。マスコミ各紙からも絶賛される。

ただ大成功したからといって、美術的な価値が診断されるには20年から30年掛かるそうで、ヒルマがこのまま偉大な画家との評価が定まるかどうかは不確定であるが、このドキュメンタリーに出演した多くの専門家は、美術史の書き換えに肯定的な意見を述べている。

彼女の作品は巨大であり、実物を観ないことには、そのエネルギーは感じられないであろうことが察せられる。一度は実作を目にしてみたくなる。

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2022年5月 3日 (火)

これまでに観た映画より(292) マリア・カラス&パゾリーニ「王女メディア」

2022年4月15日 京都シネマにて

京都シネマで、ピエル・パオロ・パゾリーニ生誕100年記念上映「王女メディア」を観る。
「王女メディア(メデイア)」は、エウリピデスの代表的悲劇の一つ。衝撃的な内容故か、初演時の記録では評判が芳しくなかったようだが、その後は、同時上演されたギリシャ悲劇の中で最高の評価を得て、現在に至るまでギリシャ悲劇の名作として演じ続けられている。

主演は、「20世紀最高のプリマドンナ」として知られるマリア・カラス。しかし、マリア・カラスは難曲を得意としたことが災いして喉を痛め、全盛期は30代だった1950年代に終わりを迎え、最後のオペラ出演は1965年。この映画が撮影された1969年には、オペラより負担の軽いリサイタルを中心に活動していたが、往年の名声は取り戻せないでいた。1960年代には海運王と呼ばれたアリストテレス・オナシスと愛人関係にあったが、オナシスは再婚相手としてジャクリーン・ケネディを選び、カラスとの仲は破綻。まさに「王に袖にされた女」となったカラスが「王女メディア」への出演を決めたのはその直後だった。そしてこの映画の制作から8年後、パリで孤独死することになる。結果的に、「王女メディア」はマリア・カラス唯一の映画出演作となった。

映画監督のパゾリーニの最期はもっと悲惨である。
飛び級して大学に入学するほど頭脳明晰であったパゾリーニであるが、イタリア共産党の党員であり、「王女メディア」を撮影してから6年後の1975年に、ローマ近郊のオスティア海岸において惨殺死体となって発見される。未成年の少年が殺人容疑で逮捕されるが、今では共産党員であるパゾリーニを嫌うファシスト達の犯行であったことがほぼ明らかになっている。

そうした悲劇的な最期を迎えた二人がクロスしたのが、この「王女メディア」である。

ギリシャ悲劇ということでエウリピデスの原作は三一致の法則で書かれ、セリフも膨大なものであるが、この映画ではセリフを極力排し、異国情緒を出すためにトルコのカッパドキアで撮影が行われた。結果として、極めて耽美的であり、映像の美しさで勝負する「映像詩」と呼ぶべき作品になっているが、一方で、時間と場所、現実と妄想が次々に飛ぶ上にそれを表すセリフなどもないため、「王女メディア(メデイア)」を知らない場合、何が行われているのかさっぱり分からないということになる可能性も高い。私は王女メディアは読んでいるし、それを基にした演劇作品も観たことがあるのだが、「あれ? ひょっとしてここ20年ぐらい飛んでる?」となった場面もあった。

かつてはコルキスの王女でありながら、今はコリントスでイアソンの妻となり、イアソンの正妻の座をコリントスの王女に奪われた上に、追放の憂き目に遭うメディア。かつてオペラ歌手として世界一の座に君臨しながら、今は歌劇場に出ることも叶わず、往事の名声を失った上に恋にも敗れたマリア・カラスの姿がメディアに重なる。歌声は彼女の最大の武器なのだが、カラス本人の悲劇性を強調するためか、この映画でカラスが歌うことは一切ない。そうした無念さが、大きな瞳と、豊かな表情によって表現されている。映像詩ということで、「王女メディア」の中でも異色作だと思われる本作品だが、マリア・カラスのための映画といってもいいだろう。

映画は、ケンタウロスの賢者ケイローンが、イアソンの出自を語る場面から始まる。華麗な血筋を誇るイアソンであるが、イアソン役にキャスティングされたのは元陸上選手でもあるジュゼッペ・ジェンティーノ。ジゴロのような風貌で、身のこなしも野盗のようであり、好人物としては描かれておらず、メディアのイアソンに対する「子孫を絶つ」という復讐の正当性が描かれているようである。

また竪琴の音として、日本の箏の音色が採用されており、無国籍的な印象が混沌とした悪夢のような質感を生み出している。

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2022年5月 2日 (月)

コンサートの記(777) 「ローム ミュージック フェスティバル 2022」オーケストラ コンサートⅡ マーラー「巨人」×R.シュトラウス「ティル・オイレンシュピーゲル」 角田鋼亮指揮新日本フィルハーモニー交響楽団

2022年4月24日

午後5時から、ロームシアター京都メインホールで、「ローム ミュージック フェスティバル 2022」オーケストラ コンサートⅡ マーラー「巨人」×R.シュトラウス「ティル・オイレンシュピーゲル」を聴く。「ローム ミュージック フェスティバル 2022」のトリを飾るコンサート。ロームシアター京都で「ローム ミュージック フェスティバル」が始まった当初は、オーケストラコンサートは京都市交響楽団が受け持っていたが、昨年初めて東京のオーケストラとして東京交響楽団が登場し(残念ながらオンライン配信のみとなった)、今年は新日本フィルハーモニー交響楽団を迎えることになった。東響は配信のみになったため、実質的には初めて東京のオーケストラが「ローム ミュージック フェスティバル」の舞台に上がることになった。

東京のオーケストラが関西でコンサートを行う場合は、第一選択肢はどうしても最大都市である大阪市内ということになり、新日フィルの実演にも大阪のザ・シンフォニーホールで接したことがある。小澤征爾の指揮であった。マーケットとして大阪が頭一つ抜け出しているということもあり(大阪市内なら、京都府からも兵庫県内からも通える)、それ以外の場所、京都市内や神戸市内、兵庫県立芸術文化センターのある西宮市内などに他の地方からのオーケストラが来てくれることは稀となってしまう。NHK交響楽団は、京都コンサートホールやロームシアター京都メインホール、神戸文化ホール、びわ湖ホール大ホールなどで地方公演を行っており、オーケストラ・アンサンブル金沢も京都コンサートホールで公演を行うことがあるが、それ以外のオーケストラはこれまでは京都で公演を行うことに積極的ではなかった。ただ、ロームシアター京都が出来てからは、日本フィルハーモニー交響楽団がまずは親子向けのコンサートを毎年開催するようになり、更に小林研一郎指揮による「コバケン・スペシャル」の2年連続での公演を行う。日フィルは、今年はロームシアター京都で計3回公演を行うなど、京都に新たな拠点を築きつつある。それが影響しているのかどうかは分からないが、「ローム ミュージック フェスティバル」にも2年連続で東京のオーケストラが招聘された。なお、新日フィルを久石譲が指揮した場合の名義である新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラとしては新日フィルは京都コンサートホールで数度演奏会を開いたことがある。

日フィル争議により、小澤征爾を慕って旧日本フィルハーモニー交響楽団から飛び出した楽団員によって結成された新日本フィルハーモニー交響楽団。海外でも「セイジのオーケストラ」として知られ、クリスティアン・アルミンクなど小澤征爾の弟子がシェフになることが多い。2016年からは上岡敏之を音楽監督に招き、期待されたが、上岡は契約を更新せず、新たに佐渡裕がミュージック・アドヴァイザーとして招かれている。新日フィルは佐渡裕が日本デビューを飾ったオーケストラ。佐渡もまた小澤征爾の弟子である。


今日の指揮者は、2016年から2020年まで大阪フィルハーモニー交響楽団の指揮者を務めたことで関西でもお馴染みの角田鋼亮(つのだ・こうすけ)。若さ溢れる音楽作りが魅力の指揮者である。

ナビゲーターは、「ローム ミュージック フェスティバル」ではお馴染みとなった朝岡聡。今回は楽曲の解説を行う。
また構成として音楽学者の新井鷗子の名がクレジットされている。


新日本フィルのコンサートマスターは、西江辰郎。ドイツ式の現代配置での演奏である。


曲目は、ヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツ「美しく青きドナウ」、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」、マーラーの交響曲第1番「巨人」。

朝岡聡は、ティル・オイレンシュピーゲルが、昔のドイツに実在したいたずら者であることを紹介し、彼がやったいたずらや最後は処刑されたことなどを語る。『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』は、岩波文庫に収められており、私も若い頃に読んでいるのだが、特に面白いとは思わなかった。


ヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツ「美しく青きドナウ」。新日本フィルがロームシアター京都で演奏するのは、昨日と今日のコンサートが初めて。という訳で音響の把握が十全ではないため、当然ながら演奏にも影響する。
「美しく青きドナウ」は誠実な演奏であるが、指揮者が若いということもあって表情が硬く、ウィーン情緒を十分に引き出せたとは言い難い。そもそも、日本のオーケストラはウインナ・ワルツやポルカをそれほど得意とはしていない。


リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」。この曲では角田の巧みなオーケストラ捌きが光り、完成度に関しては更なる高みが目指せるように思われたが、描写力に長けた面白い演奏となった。指揮者にとっては若さはマイナスに働くことが多いのだが、この曲では若さが魅力に繋がっている。


マーラーの交響曲第1番「巨人」。作品の由来について朝岡聡が解説。「巨人」というタイトルは、ジャン・パウルが書いた大長編教養小説『巨人』に由来している。私も90年代に、神田神保町の東京堂書店でジャン・パウルの『巨人』の日本語訳版が売られているのを見かけたことがあるが、余りの分厚さに読みたいという気も起こらなかった。だが、マーラーはこの大長編小説がお気に入りで、この小説に基づく5楽章からなる交響詩をまず作曲。タイトルも小説からそのまま取って「巨人」とした。その後、「花の章」を削るなど改訂を行い、交響曲第1番とした時には「巨人」というタイトルも削除したが、今でも慣例としてマーラーの交響曲第1番は「巨人」というタイトルで親しまれている。

マーラーの青春の歌である「巨人」。この曲でも指揮者の角田の若さが魅力となって生きているが、フォルムが不安定になる場面があるなど、やはり指揮者として常に安定した演奏を行うには長い月日が必要となることも分かる。先月、広上淳一指揮京都市交響楽団の「巨人」を聴いているだけに、その思いは余計強くなる。
とはいえ、新日フィルの奏者達の実力も高く、ロームシアター京都初見参としてはなかなかの演奏を行っていた。

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2022年5月 1日 (日)

コンサートの記(776) 「ローム ミュージック フェスティバル 2022」リレーコンサートA「萩原麻未 featuring 岡本麻子」

2022年4月23日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールにて

正午から、左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールで、「ローム ミュージック フェスティバル 2022」リレーコンサートA「萩原麻未 featuring 岡本麻子」を聴く。個性派ピアニストとして人気の萩原麻未が、岡本麻子(まこ)と行うピアノ・デュオコンサート。

2020年はコロナのために中止、2021年は直前になって配信のみに切り替わったローム ミュージック フェスティバル。久しぶりの実演ということになる。

曲目は、モーツァルトの2台のピアノのためのソナタ ニ長調、ラヴェルの「ラ・ヴァルス」(ラヴェル自身による2台ピアノ版)、プーランクの「シテール島への船出」、ラヴェルの「耳で聴く風景」(「ハバネラ」「鐘が鳴るなかで」)、チャイコフスキーのバレエ音楽「くるみ割り人形」組曲(N・エコノム編)。
途中休憩15分を含み、上演時間約1時間半のコンサートである。

タイトルは、「萩原麻未 featuring 岡本麻子」となっているが、立場は対等。モーツァルトの2台のピアノのためのソナタ、プーランクの「シテール島への船出」、ラヴェルの「耳で聴く風景」では萩原麻未が第1ピアノ、その他の曲では岡本麻子が第1ピアノを奏でる。

萩原麻未は青の、岡本麻子は黄緑色のドレスを纏って登場。譜めくり人をつけての演奏である。


今日は前から6列目の真ん中の席に座るが、この席は直接音が届きすぎるため、モーツァルトなどは音像が大きすぎて、席のチョイスに失敗した感じであった。その他の曲は良かったが、もう少し後ろの席であった方が、音楽の全体像を把握しやすかったように思う。

とはいえ、洗練されつつも力強く、表現力豊かな二人のピアノを聴いているのは楽しい。「音楽は何よりも楽しさが大事」ということを思い出した。


モーツァルトの2台のピアノのためのソナタ ニ長調。1990年代に、この曲を聴くと知的能力が向上するという学説が発表されたことがあるが(モーツァルト効果)、現在ではそれは否定されている。普通に考えて音楽をちょっと聴いたぐらいで知的能力が向上するとは考えにくいのだが、非常にチャーミングな楽曲であり、リラクゼーション効果はあるため、それが調査結果に結びついたのかも知れない。
先に書いた通り、ステージから近めの席を選んだのは、この曲に関しては失敗だったと思うが、音楽自体を愉しむことは出来る。


萩原麻未は、パリ国立高等音楽院に学び、パリ地方音楽院で室内楽を学んでいて、十八番はラヴェルのピアノ協奏曲ということでフランスものは全般的に得意である。
「エスプリ・クルトワ」溢れるフランシス・プーランク(「パリのモーツァルト」との異名を取った)、ドビュッシーとともに近代フランス音楽を代表する作曲家であるラヴェルの演奏も当然ながら優れたものとなる。プーランクにおける洗練と愛らしさ、そしてバスク地方に生まれ、スペイン的な熱狂と土俗感にも富むラヴェルの演奏なども巧みである。岡本麻子は、萩原ほど知名度は高くないが、堅実にして確かな技術と表現力を感じさせる。


チャイコフスキーのバレエ音楽「くるみ割り人形」組曲。編曲を担当したニコラス・エコノム(1953-1993)は、キプロス生まれの編・作曲家だそうだが、ピアニストに高い技巧を求める編曲を施している。

萩原と岡本の丁々発止のピアニズム、表現力とレンジの幅広さ、優雅さと神秘性豊かな編曲など聴き所満載であり、一人では生み出せないピアノ・デュオならではの音楽と、二人のピアニストが生み出す親密な空気を味わうことの出来る演奏会であった。

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