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2022年5月22日 (日)

これまでに観た映画より(295) とよキネマ Vo.41 「12人の優しい日本人」

2022年5月19日 豊中市立文化芸術センター中ホール(アクア文化ホール)にて

午後7時から、豊中市立文化芸術センター中ホール(アクア文化ホール)で、映画「12人の優しい日本人」を観る。「とよキネマ」という映画上映会での鑑賞である。値段は千円と、通常の映画に比べて安めに設定されている。

アクア文化ホールは、今では大小2つのホールなどがある豊中市立文化芸術センターの中ホールという位置づけだが、元々は別の文化施設。ついこの間まで半年間の改修工事を行っていた。中に入るのは初めてだが、トイレなどはかなり綺麗で、ほぼ新築に近いような状態となっていた。客席シートも柔らかく、おそらく全席入れ替えられたのだと思われる。

脚本が、三谷幸喜と東京サンシャインボーイズ名義となっている映画「12人の優しい日本人」。キネマ旬報ベストテンと毎日映画コンクールの2つで脚本賞を受賞している。1991年の作品で、監督は中原俊が務めている。
東京サンシャインボーイズによる舞台版の初演が1990年であるため、映画化がトントン拍子で決まったことが分かる。東京サンシャインボーイズが人気劇団だったとはいえ、小劇場で行われた作品がこれほど短期に映画化されるのは珍しい。

2009年に日本に裁判員制度が取り入れられたが、1990年代前半にはまだそんなものが日本に出来ると想像する人は誰もいなかった。「12人の優しい日本人」はタイトルからも分かる通り、「十二人の怒れる男」の一種のパロディとして書かれた作品であり、陪審員制度が存在する架空の日本を舞台としている。

出演は、塩見三省(陪審員1号)、相島一之(陪審員2号)、上田耕一(陪審員3号)、二瓶鮫一(陪審員4号)、中村まり子(陪審員5号)、大河内浩(陪審員6号)、梶原善(陪審員7号)、山下容莉枝(陪審員8号)、村松克己(陪審員9号)、林美智子(陪審員10号)、豊川悦司(陪審員11号)、加藤善博(陪審員12号)、近藤芳正(ピザ配達員)、久保晶(守衛)。

相島一之と梶原善は東京サンシャインボーイズのメンバー、豊川悦司は映画俳優としてはまだ駆け出しで、スター俳優の出演はなく、制作費は安く抑えられていると思われる。
今では余り知られていないのかも知れないが、豊川悦司は、渡辺えり子(現・渡辺えり)が主宰する劇団3○○(さんじゅうまる)の出身で、小劇場の出である。他の出演者も舞台出身者が多い。
なお、舞台「12人の優しい日本人」では、西村まさ彦(旧芸名および本名・西村雅彦)が陪審員9号を演じており、西村自身も映画版への出演を疑っていなかったがキャスティングされず、かなり落ち込んでいたと、後に三谷幸喜が記している。

全て当て書きである三谷幸喜。「12人の優しい日本人」も劇団員や出演者への当て書きで生まれたため、三谷幸喜と東京サンシャインボーイズ名義としたのであろう。何度も陪審員2号を演じることになる相島一之や、陪審員7号の常連である梶原善は、彼らの持つ個性がそのまま生きたキャラクター設定になっている。

30年以上前の作品ということで、鬼籍に入った人もいる。村松克己は、10年後の2001年に死去。加藤善博は、2007年に48歳の若さで亡くなっている。塩見三省も病気を抱えながらの芸能活動を続けている。

陪審員裁判で、まず飲み物の注文から入るのだが(今の裁判員制度でそんなものはあるのだろうか? 多分、ないと思われるのだが)、ここで登場人物の性格を明らかにする手法が鮮やかである。もし仮に三谷幸喜が劇団出身でなかったら、ここまでの手際よさを見せることはなかったのではないだろうか。

情報係(陪審員5号)、突っ込み担当(陪審員12号)、考えることが苦手な女性(陪審員8号)、直感を大切にするご老人(陪審員10号と4号)、とにかく有罪を願う男(陪審員2号)、裁判に全く興味が無かったが昔取った杵柄で評価を得る人物(陪審員11号)、嫉妬深く自分の容姿にコンプレックスを抱く男(陪審員7号)など、キャラクターが立った人物が多く、こうしたキャラクター設定が出来た時点で成功間違いなしと三谷幸喜も自信を持ったと思える。魅力的な人物達によるスリルとどんでん返しの連続が、観る者を飽きさせない。

実は、映画「12人の優しい日本人」をスクリーンで観るのは初めてである。テレビ放送を録画したものは2度ほど観ているのだが、やはり他にお客さんがいて笑い声の響くところで観てこそのコメディ映画であると思える。

昔、有楽町マリオンで、周防正行監督の「Shall We ダンス?」を観たことがあるが、満員の観客で、うねるような笑いが起こり、最後は拍手喝采であった。映画祭でもなんでもない上映で拍手が起こったのは後にも先にもこの時だけだが、生きているうちにまたいつか体験したいことの一つである。

関西だからという訳でもなくやはりトヨエツの人気は高いようで、上映終了後もトヨエツの話をしている女性が多かった。
そのトヨエツの演技であるが、今に比べると大分下手で、その後着実に演技力を積み重ねていったタイプであることが分かる。一方で梶原善のように見た目が若いだけで演技力がほとんど変わらない人もいる。今は大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の寡黙なアサシン・善児役でお茶の間を凍り付かせている梶原善だが、「12人の優しい日本人」でのいい奴だが垢抜けないというタイプも巧みに演じている。


「12人の優しい日本人」は、90年代前半の小劇場での上演を経て、2005年にはオール・キャストでの上演が行われ、私も大阪のシアター・ドラマシティでの上演を観ている。この時も出演者に合わせて台本の書き直しが行われていたが、スター俳優はパブリックイメージが強いだけにそれをなぞるシーンも多く、またキャパの大きい劇場では臨場感を欠く上に観客の大爆笑でセリフが聞こえなかったり、出演者が笑いが収まるのを待ってから喋る必要があったりと、本来想定された上演はもう出来ないことが明らかになっていた。
2005年版の「12人の優しい日本人」は、公演を収録したDVDが発売されていて今でも観ることが出来るが、総合点では映画版の「12人の優しい日本人」を推したい。実は演劇の素晴らしさを体現した人物である陪審員11号もなんだかんだでトヨエツがベストであろう。


すぐに茶化したり突っ込みを入れたりする陪審員12号。初演時から再々演(三演)まで一貫して伊藤俊人が演じていた役である。私が劇場や映像で観た伊藤俊人出演の舞台、例えば「ショウ・マスト・ゴー・オン 幕をおろすな」(劇場&映像) 、「君となら」(斉藤由貴&佐藤慶版。映像)、「1979」(ナイロン100℃の公演。坂本龍一役。劇場)でも伊藤俊人は突っ込みを入れることが多く、伊藤本来の持ち味が生かされていたことが分かる。伊藤俊人は、2002年に40歳の若さで世を去る。
映画版で陪審員12号を演じた加藤善博も若くして他界するが、自殺であった。実は陪審員12号は、「自殺」の可能性に気づく役であり、そうした役割を演じた俳優が自殺を遂げたということを知りながらその場面を見ていると、やりきれなくなる。あの時はあんなに輝いていたのに。

推論の重要なアイテムとなるドミソピザ。ドミノピザのもじりだが、このドミソピザはその後、三谷幸喜脚本・監督の映画「記憶にございません!」にも再登場して観客を喜ばせた。

バブル期の映画ということで、ファッションを確認するのも面白い。原色系やサイケなど、今着ると浮きそうな服装の人もいるが、ダブルのジャケットを着ている人が3人もいるというのが時代を感じさせる。ダブルのスーツはバブル期に流行ったようだが、今ではほとんど見かけることはない。

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