これまでに観た映画より(297) チャン・イーモウ監督作品「ワン・セカンド 永遠の24フレーム」
2022年5月25日 京都シネマにて
京都シネマで、張芸謀(チャン・イーモウ、张艺谋)監督作品「ワン・セカンド 永遠の24フレーム」を観る。出演:チャン・イー、リウ・ハオツン、ファン・ウェイほか。
文化大革命真っ只中の中国が舞台となっている。
風吹きすさぶ広大な砂漠の中を一人の男(チャン・イー)が歩いているシーンから始まる。男は喧嘩を行ったことを密告され、改造所(強制収容所)送りとなっていた。その間に離婚し、一人娘ともはぐれることになった。
この時代、映画のフィルムが送り届けられ、劇場(毛沢東思想伝習所という名になっている)で上映会が行われていた。田舎の人々にとってはそれが数ヶ月に一度の楽しみであった。上映前の場面では、劇場に詰めかけてきた全ての人の高揚感がこちらにも伝わってきて、胸がワクワクする。
娘がニュース映画の22号に映っているという情報を得た男は、14歳になる最愛の娘の映像を観るために改造所から逃亡してきたのだ。
夜中に農業会館(礼堂)にたどり着いた男は、子どもがオートバイに下げられた袋からフィルム一巻を盗むのを目撃して追いかける。男の子かと思っていたが、女の子であった。フィルムを取り返した男だったが、彼女はその後も何度もフィルムを奪いに来る。やがて男は、彼女が貧しく、劉の娘(演じるのはリウ・ハオツン)という名前のみで呼ばれていることを知る。彼女には幼い弟がいて、成績優秀なのだが、貧しいためにライトスタンドを買うことが出来ず、夜に十分に勉強することが出来ない(字幕では「本が読めない」となっていたが、おそらく「看书」は「勉強する」という意味で使われていると思われる)。そこで、借りることにしたのだが、誤って傘の部分を燃やしてしまい、持ち主から傘を付けて返すよう脅迫される。借りたのはやっちゃな少年達の一団からだったようで、劉の娘は彼らから散々にいじめられている。
当時は、映画のフィルムでライトの傘を作ることが流行っていたようで、劉の娘もフィルムで傘を作ろうとしていた。いじめられないため、そして弟のために必死だったのだ。
文化大革命の下放中に映画監督を志した張芸謀監督。若い頃は画家志望だったが、才能に不足を感じ、写真家志望へと転向している。文革終了後、北京電影学院(日本風に書くと北京映画学院。「学院」というのは単科大学のこと)を受験した際は、年齢制限に引っかかっていたが、彼の写真家としての腕が高く買われ、特別に入学を許されている。北京電影学院の同期(第五世代)で、仲間内で文学の才を称えられた陳凱歌は張芸謀の写真家としての才能を絶賛する詩を書いていたりするほどだ。映画監督よりも先に撮影監督として評価されたことからもその才能はうかがわれるが、この映画の主人公である逃亡者の男も写真を学んだことがあるという設定になっており、この男もまた張芸謀監督の分身であることが分かるようになっている。
第2分場の劇場で映写を担当しているのはファン(ファン・ウェイ)という男である。映画(電影)のことを知り抜いているため、ファン電影の名で呼ばれている。
逃亡者の男と、劉の娘がフィルムの取り合いを行いながら、ファン電影のいる第2分場にたどり着く。その間、ヤンという男がオートバイで第2分場へとフィルムを運んでいたのだが、ヤンは荷馬車引きであるファン電影の息子にフィルムを託してしまう。これが事件へと発展する。知能に障害のあるファンの息子は、フィルムを入れた缶の蓋をきちんと閉めることを怠り、フィルムが路上に投げ出されてしまう。土まみれで、とぐろを巻いた蛇のようにグチャグチャになったフィルム。このままでは上映は出来ないが、ファン電影は分場総出で、フィルムの洗浄を行う。なお、第2分場の劇場にはフィルムの洗浄液が置かれていないが、子ども時代のファン電影の息子が洗浄液を水と間違えて飲んでしまい、後遺症で知能に後れが出て荷運びしか出来ない青年となってしまったため、ファン電影は洗浄液を劇場に置くのを止めたのであった。
フィルム洗浄の工程からはファン電影の執念の凄まじさが感じられるが、ファン電影もやはり張芸謀の分身の一人であると思われる。
なんとかかんとかフィルムの修復が完了。だが、その後も、逃亡者の男が劉の娘の復讐のためにやんちゃな少年達とやり合うなど場は混乱。その際、劉の娘に預けたニュース映画22号のフィルムを劉の娘がライトスタンドの傘にするために家の持ち帰ったのではないかと疑った男が劇場を離れるなどしたため、本編の前に上映されるニュース映画を飛ばして映画本編からの上映となる。
ニュース映画に男の娘が映っている時間はわずかに1秒(ワン・セカンド One Second。映画は1秒間に24コマ=フレームを費やす)。14歳であるが、大人に交じって袋を担ぐ肉体労働を行っている。男は、ファンにそのシーンを何度も上映するよう命令する。
1秒だけ映る14歳の娘の姿は、男にとって何よりも大事な映像だが、映画や芝居、ドラマなどが好きな人は誰でも「自分だけの大切な一場面」を胸に宿しているはずで、多くの人が娘の場面を、「自分の愛しい瞬間」に重ねることだろう。勿論、娘を思う男の気持ちにも心動かされる。
ライトスタンドの傘であるが、最終的にはフィルムが美しい傘となって劉の娘に送られる。形は違うが、娘のフィルムへの執着が実っており、これまた映画への愛を感じることになる。
「映画への愛」と「自分だけの大切な場面」を描き切った張芸謀の力量に感心させられる一本であった。
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