観劇感想精選(435) 「狂言三代 祝祭大狂言会」2021振替公演 2022.4.10
2022年4月10日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて
午後3時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、「狂言三代 祝祭大狂言会」2021の振替公演を観る。本来は昨年の4月に上演される予定だったのだが、コロナ禍により1年延びた。昨年買ったチケットは有効で、そのまま入ることが出来る。
演目は、野村萬斎による解説に続き、「能楽囃子」(大鼓:山本寿弥、小鼓:大山容子、太鼓:加藤洋輝、笛:竹市学)、「二人袴 三段之舞」(聟:野村裕基、太郎冠者:石田淡朗、舅:高野和憲、兄:野村太一郎)、「月見座頭」(座頭:野村万作、上京の男:野村萬斎)、池澤夏樹の作・野村萬斎の演出・補綴による「鮎」(国立能楽堂委嘱作品。小吉:野村萬斎、才助:石田幸雄ほか)。
中央に一段高くなった舞台があり、そこから上手奥と下手奥に延びる二つの橋懸かりがある。
野村萬斎が3つの演目についての解説を行うが、その前に、昨年行われる予定だった「祝祭大狂言会」について、「狂言会の翌日からまん防だというのでやれやれ(間に合った)と思っていたら中止になった」「荷造りをしていたが、途中で止めることになった」と語る。
「二人袴」に出てくる「通い聟」の制度について述べ、「狂言はエアです」と解説する。
「月見座頭」という不思議なタイトルについては、「座頭が月見をする。といっても見えませんので、月に影響されて鳴く虫の声を聴いて月見をする」と種明かしし、「虫の声もエアです」と述べる。
「鮎」は池澤夏樹による現代狂言だが、鮎を役者が演じるという設定にしたのは萬斎のようである。
内容について萬斎は、「邯鄲の夢」のようなところがあると語っていた。
鋭い響きによって奏でられた能楽囃子(水流を表しているようである)に続いて上演される「二人袴」。元々の登場人物は、聟とその父親という設定のようだが、今回は兄弟という設定に変えて上演される。
初めて袴をはいて歩くという設定の、野村裕基演じる聟のロボットのようなカクカクした動きが笑いを誘う。
以前にも観たことのある演目だが、「表面を取り繕うことの滑稽さ」が描かれているように見える。
「月見座頭」。上京の男(セリフでは「洛中に住まいする者」)と月見座頭が詠む(というより記憶していて語る)和歌が無料パンフレットに記されたものとは一部異なっており、洛中の男は、「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山にいでし月かも」(阿倍仲麻呂)、座頭は、「月見れば千々にものこそかなしけれ我が身一つの秋にはあらねど」(大江千里)と詠む(唱える)。
京都の、おそらく東山あたりが舞台だと思われるのに、洛中の男が奈良を詠んだ歌を自作として披露してしまうのもなんだか可笑しい。
「残酷狂言」とも呼ばれることのある「月見座頭」。風雅に満ちた展開が一変して障害者虐待となる。生きることと人間の残酷さが描かれているが、それでも淡々と生きることを選ぶ座頭が心強くもある。狂言は上の者が下の者にしてやられるという展開の作品も多いが、いうなれば下の者の忍辱のようなものがこの話では表されているのだろうか。
「鮎」。池澤夏樹が自身の短編小説を狂言とした作品であるが、小説「鮎」も実は南米の民話を下敷きにしたものとのことである。
池澤夏樹は狂言のファンだそうだが、それでも小説家が狂言を書くのは大変なことのようで、半分くらいは野村萬斎が補作したそうであるが、違和感は拭いえない。
小吉が都に出て出世するが、全ては一炊の夢であったという「邯鄲の夢」や芥川龍之介の「杜子春」などの系譜にある作品である。歌舞伎のような外連を出すなど、新しい表現にチャレンジしているが、野村萬斎の腕をもってしてもここまでというのはショックでもあった。お客さんには好評のようで、笑い声も大きかったが、狂言の一種の「粋」とは異なる作品が出来上がっているように見えた。
| 固定リンク | 0
« これまでに観た映画より(297) チャン・イーモウ監督作品「ワン・セカンド 永遠の24フレーム」 | トップページ | コンサートの記(778) ムジークフェストなら2022@奈良県コンベンションセンター天平ホール The Osaka Brassters »
コメント