コンサートの記(797) 一般社団法人京都バレエ団公演「ロミオとジュリエット」全幕
2022年8月11日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて
午後4時から、ロームシアター京都メインホールで、有馬龍子記念一般社団法人京都バレエ団公演「ロミオとジュリエット」を観る。プロコフィエフの傑作バレエの全曲上演である。演奏は京都市交響楽団。指揮は国立パリ・オペラ座バレエ団のミッシェル・ディエトラン。ジュリエット役は国立パリ・オペラ座バレエ団のロクサーヌ・ストヤノフ、ロミオ役は国立パリ・オペラ座バレエ団のフロロン・メラックが務める。振付は国立パリ・オペラ座バレエ団のファブリス・ブルジョワ、指導はパリ・オペラ座バレエ学校のエリック・カミーヨ。ティボルト役は京都バレエ団の鷲尾佳凛、マキューシオ役はトゥールーズ・キャピトル・バレエの金子稔。
クラシック音楽の世界では、英語よりイタリア語の方が優位。また舞台がイタリアのヴェローナということもあって、イタリア風の「ロメオとジュリエット」表記が一般的であるが、勿論、英語由来で現在の日本で一般的なタイトルとなっている「ロミオとジュリエット」表記であっても一向に構わない。
一般にバレエ音楽はバレエダンサーの動きを想定して書かれている。そのため、チャイコフスキーの三大バレエであってもバレエなしの音楽のみで聴き通すことはかなり苦しい。バレエの動きあっての音楽なのである。一方でプロコフィエフの「ロメオとジュリエット」は音楽優位。世界にバレエ音楽は数あれど、1時間を超える作品で「長大な交響詩」として聴けるのは、プロコフィエフの「ロメオとジュリエット」ただ1作である。
プロコフィエフの「ロメオとジュリエット」は、作曲者が当初は、「死人は踊れない」としてハッピーエンドに変更しようとしたり、リハーサルに入ってからもバレリーナから「音楽が洗練されすぎていて踊れない」という苦情が入ったりと、初演に漕ぎ着けるまで難航したが、誰もが知るシェイクスピアの「ロミオとジュリエット」の筋書きと、プロコフィエフの強靱な音楽により、世界中で親しまれている傑作バレエとなっている。前述通り「長大な交響詩」として聴ける唯一のバレエ音楽であり、1時間を超えるバレエ音楽としては今後これを超えるものは出てこないのではないかと思えるほどの完成度を誇る。
ミッシェル・ディエトランは、バレエ専門の指揮者ということで、バレエに合わせた指揮を行うことが可能である。アゴーギクなども彼が行うと自然だ。プロコフィエフの音楽の色彩美、可憐さ、迫力、悲劇性などを無理なく京響から引き出していた。
その京響は、今日は金管が粗めの曲があったが、艶やかでこぼれるような美音を奏で、迫力あるナンバーでも鉄壁のアンサンブルで聴かせる。
ロームシアター京都メインホールは、基本的にオペラ・バレエ、ポピュラー音楽向けの音響であるが、オーケストラがピットに入った時の方が、舞台上で演奏するよりもいい音が届くようである。
日本人のバレエダンサーの場合、特に男性は体格面で白人に劣るため、迫力に欠ける傾向にあるが、今日は遠目の席(3階席4列目)だったということもあり、不満に感じるということは特になし。女性も体格やスタイルでは白人に適わないが、可憐さなど他の部分で勝負出来るため、男性よりは世界水準に近いと思える。
小部屋で黒装束の人物が嘆きの表情を浮かべているシーンでスタート。舞台から席が遠目なので、それが誰なのかは分からなかったが、バレエが進むにつれて、ジュリエットの父親(山本隆之)らしいことが分かる。今回の「ロミオとジュリエット」は、ジュリエットの父親の悔恨に満ちた回想というスタイルを取ってるようであり、ラストも小部屋で嘆くジュリエットの父親の姿で終わる。
今回の「ロミオとジュリエット」は、ロミオの周囲にもジュリエットの周囲にもいたずら好きが集まっているのが特徴。ロミオの周囲は原作でもマキューシオのような常にいたずらばかりしている者がいるわけだが(最後まで道化ているという解釈が一般的だが、レオナルド・ディカプリオ主演の映画「ロミオ+ジュリエット」では本気で呪いの言葉を吐く設定に変わっており、衝撃的である)、ジュリエットも侍女達と共に乳母をからかうなど、少女らしい(設定では13歳である)無邪気さを発揮している。ということで、二人とも原作通りの性格を体現しているといえる(ロミオの軽佻浮薄な性格は「イメージを損なう」として従来はカットされることが多かった)。
モンタギュー家の衣装を緑色、キャピュレット家の衣装を赤と対抗色にしたのも分かりやすい。
100点満点とまではいかないが、常に80点を保つという完成度であり、日本におけるバレエの上演としては満足のいく出来である。
それにしてもプロコフィエフの音楽は素晴らしい。近年ではソフトバンクのCMに使われるなど知名度が高まっているが、あるいはバレエなしのコンサートでの全曲演奏を行うのも面白いかも知れない。そう度々行うべきものでもないと思うが、音楽だけで聴かせることの出来る唯一のバレエ音楽だけに一度は企画されても良いように思われる。
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