コンサートの記(795) 飯森範親指揮日本センチュリー交響楽団いずみ定期演奏会№27 ハイドンマラソン第1回“夜が明け「朝」が来る”
2015年6月5日 大阪・京橋のいずみホールにて
午後7時から、大阪・京橋のいずみホールで、日本センチュリー交響楽団いずみ定期演奏会 №27を聴く。指揮は日本センチュリー響首席指揮者の飯森範親。ハイドンの交響曲全曲を演奏し、レコーディングも行うというハイドンマラソンの第1回演奏会である。今日の演奏会のサブタイトルは“夜が明け「朝」が来る”
ハイドンマラソンは8年掛かりという長期プロジェクトである。ハイドンは104曲の交響曲を書いているが、「ハイドン交響曲全集」はレコーディング史上数えるほど。クリストファー・ホグウッドが「ハイドン交響曲全集」に挑む予定だったが、クラシック音楽界の不況のために未完に終わっている。そのため、8年に渡ってレコーディングを行うということが可能なのかは飯森にも分からないとのこと。
飯森は音楽監督を務めている山形交響楽団とモーツァルトが書いた交響曲を番号のないものも含めて50曲を演奏会で取り上げてレコーディングするというプロジェクトを行い、今度は日本センチュリー響とハイドンの企画をスタートさせる。日本センチュリー響は中編成のオーケストラであるため、ハイドンを演奏するには最適の楽団である。かつて橋下徹が大阪府知事だった時代にセンチュリー響への補助金カットを明言した時に、センチュリー響の音楽監督だった小泉和裕や首席客演指揮者だった沼尻竜典はブルックナーなどの大曲路線を何故か選んだ。確かにブルックナーの交響曲は人気の曲目であるが、大阪フィルの十八番であり、演奏しても大阪フィルには勝てないし客も呼べないということで、「なんでハイドンをやらないんだ?」と歯がゆく思ったものである。飯森はアイデアマンだけに、就任してすぐにハイドンの交響曲連続演奏を決定。再評価が進むハイドンを演奏することで、大阪以外からの客も取り込もうという作戦である。
オール・ハイドン・プログラム。交響曲第35番、チェロ協奏曲第2番(チェロ独奏:アントニオ・メネセス)、交響曲第17番、交響曲第6番「朝」。サブタイトルの通り、ラストに「朝」が来る。
ライブレコーディングというとデッカツリーと呼ばれるマイクの釣り方が王道であるが、今日は天井から下がっているのは常設のセンターマイクだけ。代わりにステージ上に確認出来るだけで8本のマイクがある。最前列のマイク、左右1本ずつは高さ推定3mほどの細い柱の上に乗っており、これがデッカツリーの左右のマイクの代わりになるようだ。
古典配置での演奏。通奏低音であるチェンバロが、奏者が指揮者と向き合う形になるよう中央に据えられている(チェンバロ独奏:パブロ・エスカンデ)。交響曲は第1第2ヴァイオリン共に8人の編成。協奏曲の時は共に6人と一回り編成が小さくなる。
今日は女性奏者達が各々カラフルなドレスを纏って舞台上に登場する。日本クラシック界の宿命、というほど大袈裟ではないが、音大や音楽学部、音楽専攻に在籍している学生の8割が女子という事情もあり、オーケストラの楽団員も当然の結果として女性の方がずっと多い。今日は舞台上がかなり華やかである。
交響曲第35番。中編成でピリオド奏法を採用ということで、冒頭は音がかなり小さく聞こえるが、そのうちに耳が自然に補正される。第3楽章ではコンサートミストレスの松浦奈々と首席第2ヴァイオリン奏者の池原衣美が、ソロパートで対話するような場面があり、視覚的にも聴覚的にも楽しい。また第4楽章はラストがラストらしくなく、すっと音を抜くようにして終わりとなる。
チェロ協奏曲のための配置転換の間に、飯森がマイクを持ってスピーチ。昨日セッション録音を行い、今日のゲネプロでもレコーディングが行われたそうで、今日の演奏会も含めて最低でも3回の録音を行うことになる。そのためか、ノンタクトで指揮した今日の飯森は神経質な指示はほとんど出さず、センチュリー響の自発性に委ねるところも多かった。何度も本番のつもりで演奏して来たので、事細かに指で指示を出さなくても緻密なアンサンブルが可能になったのであろう。
飯森は、「ハイドンの時代にはビブラートという観念がなかった」と語る。一応、「指を揺らす」という技法はあったようだが、感情が高ぶって左手が自然に揺れるということ、もしくは感情の昂ぶりを左手の揺れで音にするという考えで、20世紀に入ってからのように「音を大きくするためにビブラートを掛ける」ということはなかった。そのため音を大きくするのは当時は弓を持った右手の役割だったという。
ちなみにドイツの音楽大学では、モダン楽器専攻の学生であってもピリオド奏法などの古典的な演奏法(Historicaly Informed Performance。略して「HIP」と呼ばれる)を学ぶことは当たり前のようで、日本の音大とは大分事情が異なるようである。
ハイドンマラソン参会者には首から提げるタイプのパスカードが配られる。これにシールを貼り、ハイドンマラソン演奏会全てに参加した方には豪華景品が贈呈されるという。私は残念ながら全部聴きたいほどハイドンが好きではないので完走することはないと思うが。
チェロ協奏曲第2番。チェロ独奏のアントニオ・メネセスは、1957年、ブラジル生まれのチェリスト。16歳の時にヨーロッパに渡り、1977年にはミュンヘン国際コンクール・チェロ部門で優勝。1982年にはチャイコフスキー国際コンクール・チェロ部門でも覇者となる。ソリストとしての活動の他に、1998年から2008年までボザール・トリオのメンバーとしても活躍した。現在はスイスのバーゼルに住み、ベルン音楽院で後進の指導にも当たっている。
メネセスのチェロは典雅な音色を奏で、センチュリー響もそれに負けじと明るい音色を出す。
ハイドンは人生の大半をハンガリーのニコラウス・エステルハージ候の宮廷楽長として過ごした。当時の音楽家の身分は召使いと同程度であり、音楽そのものも明るく分かりやすいものが好まれた。ということで、ハイドンは貴族のお気に召す音楽を書く必要があり、そのことでモーツァルトやベートーヴェンのような毒に乏しく、「浅薄」と後世から評価されかねない音楽を書いた。それは現在、ハイドンが人気の面においてモーツァルトやベートーヴェンに大きく水をあけられている一因となっているだろう。一方でハイドンはハンガリーという、当時は音楽の中心地からは離れた場所にいたため、他の音楽を知る機会が余りなく、自然と自分で工夫を凝らして作曲をするようになっていったという。居眠りしている聴衆を叩き起こす「驚愕」交響曲や、曲が終わったと聴衆に勘違いさせる仕掛けが何度もある交響曲第90番、ティンパニがやたらと活躍する「太鼓連打」、楽団人が一人ずつ去って行く「告別」など個性豊かな交響曲も多い。
メネセスはアンコールとしてJ・S・バッハの無伴奏チェロ組曲第1番から「サラバンド」を弾く。スケールが大きく、渋みもあり、大バッハとハイドンの実力の差を聴いてしまったような気分にもなった。
交響曲第17番は3楽章の交響曲。第2楽章は短調であり、痛切ではないがメランコリックな旋律が奏でられる。第2楽章があることで、次の第3楽章が更に明るく聞こえる。
交響曲第6番「朝」。今日演奏される曲の中では最も有名な作品である。ちなみに交響曲第7番のタイトルは「昼」、交響曲第8番のタイトルは「晩」という冗談音楽のようなシリーズになっている。
第2楽章と第4楽章ではコンサートマスターがヴァイオリンソロ奏者並みの役割を担う。センチュリー響のコンサートミストレス、松浦奈々が巧みな演奏を聴かせる。第2楽章と第3楽章ではチェロにもソリストのような場面があり、第3楽章ではコントラバスとファゴットにソロパートがある。チェロの北口大輔、コントラバスの村田和幸、ファゴットの宮本謙二が優れた演奏を聴かせた。
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