キンボー・イシイ指揮 NHK交響楽団「大河ドラマ&名曲コンサート」第1部大河ドラマ編
池辺晋一郎「黄金の日日」
稲本響「どうする家康」メインテーマ~暁の空~
三善晃「春の坂道」
林光「国盗り物語」
林光「花神」
林光「山河燃ゆ」
坂田晃一「おんな太閤記」
坂田晃一「いのち」
服部隆之「真田丸」(ヴァイオリン独奏:三浦文彰)
冬野ユミ「光る君へ」メインテーマ~Amethyst~
池辺晋一郎「黄金の日日」
稲本響「どうする家康」メインテーマ~暁の空~
三善晃「春の坂道」
林光「国盗り物語」
林光「花神」
林光「山河燃ゆ」
坂田晃一「おんな太閤記」
坂田晃一「いのち」
服部隆之「真田丸」(ヴァイオリン独奏:三浦文彰)
冬野ユミ「光る君へ」メインテーマ~Amethyst~
2024年5月12日 左京区岡崎の京都市勧業館 みやこめっせ3階「第3展示場」にて
左京区岡崎の京都市勧業館 みやこめっせ3階「第3展示場」で、「TAIWAN+PLUS 2024 京都新宝島 KYOTO FORMOSA(台湾の別称。「美しい」という意味である)」というイベントの2日目にして最終日を見に行ってみる。台湾の屋台と、音楽ステージで行われる演奏の二本柱で行われる2日間のイベント。「TAIWAN+PLUS」は、これまでは東京の上野で行われてきたが、今年は文化施設が集中する「京都の上野」ともいうべき左京区岡崎のみやこめっせで行われることになった。入場無料である。
音楽ステージでは、キンボー・イシイ指揮のStyle KYOTO管弦楽団(イベント会社のStyle KYOTOがメンバーを集めたオーケストラで、常設ではないと思われるが、ゴールデンウィークにロームシアター京都で行われた「『のだめカンタービレ』音楽祭 in KYOTO」にも出演しており、仕事は多いようである)の演奏が行われており、京都市少年合唱団による「日本の四季・京のわらべ歌」(編曲:松園洋二)、京都市出身で同志社大学卒の毎日放送(MBS)アナウンサー・西村麻子が『徒然草』の現代語訳テキストを朗読する岸田繁(くるり)作曲の「京わらべ歌による変奏曲~朗読とオーケストラのための~」(広上淳一指揮京都市交響楽団の演奏、栗山千明の朗読によって初演された曲である)が取り上げられていた。西村麻子はアナウンサーだけあって朗読も安定感があって上手い。
ラストは台湾の少数民族・普悠瑪族出身の一族の歌唱による普悠瑪音樂家族×Style KYOTO管弦楽団の演奏が行われる。普悠瑪族は、台湾の台東市に住む少数民族で、南王村に居住することから南王族とも呼ばれているようである。全員、民族衣装を着ての登場。
「小鬼湖の恋」「冬の祭り」「美しき稲穂」「卑南山」「祖先頌歌」「みなさんさようなら(再見大家)」といった普悠瑪族の民謡が歌われ、キンボー・イシイ指揮のStyle KYOTO管弦楽団が伴奏を行う。なお、みやこめっせの「第3展示場」は当然ながら音響設計が全くなされていないため、ステージ上にマイクを何本も立てて、スピーカーで拡大した音が流れる。
背後のスクリーンには文字や映像が流れた。
指揮者のキンボー・イシイは、名前だけみると日系人っぽいが、日本人の指揮者である。台湾生まれということと、幼少期を日本で過ごしたほかは、ヨーロッパとアメリカで教育を受けたというところだけが一般的な日本人指揮者とは異なる。最初、ヴァイオリニストを志すも左手の故障のために断念し、指揮者に転向している。本名は石井欽一で、「一(いち)」を横棒に見立てた「キンボー」があだ名となり、師である小澤征爾から「お前はキンボーを名乗れ」と言われたことからあだ名の「キンボー」を芸名にしている。以前は母方の姓も含めたキンボー・イシイ=エトウと名乗っていたが、長すぎるためかキンボー・イシイに改めている。キャリアは欧米中心で、現在はドイツのシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州立劇場の音楽総監督。大阪シンフォニカー交響楽団(現・大阪交響楽団)の首席客演指揮者を務めていたこともあるが、関西のプロオーケストラの定期演奏会に出演する機会は最近では余り多くない。今年はNHK交響楽団の演奏会に客演し、NHK大河ドラマのテーマ曲集などを指揮。今年の大河ドラマである「光る君へ」の冬野(とうの)ユミ作曲によるテーマ音楽「Amethyst」や、昨年の大河ドラマ「どうする家康」の稲本響作曲によるテーマ音楽「暁の空」も指揮している。この演奏会は映像収録が行われ、NHK交響楽団の公式YouTubeチャンネルでその模様を見ることが出来る。
アンコールとして、「野火」と「大巴望の歌」が歌われ、キンボー・イシイもマイクを向けられて一節を歌った(台湾生まれだけに言葉が出来るのかも知れない)。
かなり楽しい音楽で、珍しさもあり、聴衆に好評であったように思う。
午後5時過ぎに演奏が終わった後も、屋台などは午後6時まで営業を続けるが、食品などは屋内ということもあってか控えめ。お馴染みのパイナップルケーキや、日本ではブームが去ったタピオカ入りミルクティーなどを買って飲んだ。
2024年5月8日 東九条のTHEATRE E9 KYOTOにて観劇
午後6時30分から、東九条のTHEATRE E9 KYOTOで、マキノノゾミ・犀の角「初級革命講座飛龍伝」を観る。作:つかこうへい、演出:マキノノゾミ。
今でこそウエルメイドな本を書く人として知られているマキノノゾミだが、元々はつかこうへいに憧れて本格的に演劇を始めた人で、同志社大学と同志社女子大学の学生を中心に自ら主宰として立ち上げた劇団M.O.P.も元々はつかこうへい作品を上演する劇団だった。
無料パンフレットに、マキノノゾミがつか作品との出会いを記している。同志社大学に入学したマキノノゾミだが、最初から演劇サークルに入った訳ではなく、1回生の途中から、それも成り行きで同志社大学の演劇サークルの一つである第三劇場(今もバリバリの現役学生劇団である)に入部。下宿先の先輩の家でたまたま「つかこうへい特集」がテレビで放送されており、「初級革命講座飛龍伝」のダイジェスト映像を観たマキノは一発で引き込まれ、直後に劇団「つかこうへい事務所」が大阪公演を行うというので、サークル仲間と3人で観に行き、「これはロックだ!」と大興奮。ちなみに下宿先の先輩も一緒に劇を観に行った仲間もマキノほどには熱狂しなかったようである。以降、つかを崇拝し、つか作品を上演し続ける日々が続く。マキノノゾミ(1959年生まれ)と同時代に同志社大学に在籍していた演劇人に生瀬勝久(1960年生まれ)がいるが、生瀬の証言によると「当時は『熱海殺人事件』を上演すれば客が入る時代」だったそうで、生瀬は喜劇研究会(元々はモリエールなど西洋の喜劇を演じるサークルだったが、生瀬が入学した頃にはお笑いサークルだった。生瀬は「喜劇をやりたい」というので第三劇場などの演劇サークルに演劇のイロハを教わったようである。喜劇研究会は今はお笑いサークルに戻っている)に所属していたが、客を呼びたいので、「熱海殺人事件殺人事件」というパロディ劇を作って上演したこともあったようである。その後、生瀬は第三劇場に移り、マキノと交流。しかし、京都大学の劇団であった「そとばこまち」の座長、辰巳琢郎(当時の芸名は、つみつくろう)に呼ばれ、いきなり辰巳から劇団員に「新しく入った生瀬だ」と紹介され、「僕は同志社ですよ!」と断ろうとするも成り行きで「そとばこまち」の座員となり、槍魔栗三助の芸名で活躍、後に京大出身者以外では初となる「そとばこまち」の座長となっている。
ちょっと生瀬の紹介が長すぎたが、つか演劇が熱かった時代だということだ。
アングラ演劇(アンダーグラウンド演劇)には第3世代まであり、第1世代を代表するのが先頃亡くなった唐十郎や鈴木忠志、蜷川幸雄など複数の人物であるが、第2世代はつかこうへいの独走。他にも学者を兼任して実際に起こった事件を題材にした演劇を多く作った山崎正和などがいるが、つかに比べると幾分影が薄い。
つかこうへい自身は慶應義塾大学の出身であるが、つかこうへい演劇を代表する俳優である風間杜夫、平田満、三浦洋一らは早稲田大学の出身である。つかはエッセイで、「人間最後に信用出来るのは金と学歴」と記したこともあり、阿部寛(中央大学出身)、石原良純(慶應義塾大学出身)ら有名難関大学出身者と好んで仕事をしている。弟子とした作家の秦建日子も早稲田大学出身である。
今回のプロジェクトは、長野県上田市にある小劇場・犀の角を訪れたマキノが直感的に「この小さな舞台で『飛龍伝』をやってみたい!」と思いついたことから始まっている。犀の角の主宰者である荒井洋文は第三劇場の遠い後輩という縁もあったようだ。
出演は、武田義晴、吉田智則、木下智恵の3人。
オリジナルの台本では、冒頭で学生運動や安保闘争などが長台詞で説明され、つか演劇ではお馴染みのキャストの紹介も行われるのだが、今回は演出の都合上カットされている。その代わり台本の冒頭部分が無料パンフレットに掲載されており、平田満、長谷川康夫といった初演時のキャストの名が見られる。
吉田智則が「狂犬」と呼ばれた機動隊員の山崎を、武田義晴が「機動隊殺し」と呼ばれた田町解放戦線の熊田留吉を、木下智恵が熊田の息子の嫁であるアイ子を演じる。つか演劇の特徴である長台詞が多用されており、延々と語るシーンが続く。つか自身は「口立て」と呼ばれる独自の演出法を採用しており、予め台本が用意され、俳優は各々覚えてくるのだが、稽古場でつかが即興的に台詞を変えて発し、俳優はそれに付いていくことになる。つかの「口立て」については、「熱海殺人事件 モンテカルロ・イリュージョン」に主演した阿部寛の著書『アベちゃんの悲劇(後に『アベちゃんの喜劇』とタイトルを変えて文庫化)』や北区つかこうへい劇団に入団した内田有紀の証言などで触れられているが、一発で覚えられないと台詞がどんどん短くなっていくという過酷なものであった。ただマキノはこうした演出は行っていないと思われる。
なお、放送だと自粛規制に引っかかる言葉や死語になったもの、変更された企業名などが出てくるが、出来るだけ台詞を変えずに上演される。
機動隊員・山崎は、学生運動をしていた立花小夜子を介抱したことから同棲するようになる。
一方、田町解放戦線の勇者であった熊田留吉(田町は慶應義塾大学三田キャンパスの最寄り駅で、熊田も慶應義塾大学出身)は、脚を怪我して今は石磨き職人をしている。公団住宅に住み、家具も次々に増え、趣味でUSENを引いているなど良い暮らしで、息子の嫁であるアイ子(早稲田大学出身)と共に過ごしている。熊田はアイ子に投石用の石を探させており、アイ子は練馬区の外れまで適度な石を探しに行くも見つからず引き返してくるが、「秋田や新潟まで行くのが革命だ」と熊田は怒る。
熊田と共に田町解放戦線で学生運動を行っていた慶大の学生は、その後、三菱銀行に入ったり都庁の職員になったりしており、学生運動のことなど忘れたかのようであった。本来なら革命からは最も遠いはずの人達であり、熊田を訪ねてきた山崎はそれが憎らしくてたまらない。ちなみに田町解放戦線は、熊田によると「エリートしか入れない」そうで、慶大の中でも上流のお坊ちゃんばかりを集めており、学生運動の現場まで外車で乗り付け、運転手が敷いた赤絨毯の上を歩いて登場したそうである。お坊ちゃんは引き際を心得ているというので、東大と慶大の学生は逃げるのが上手く、日大の学生(当時、日大全共闘は最も過激と言われた)は逃げずにやられるというパターンだったと語られる。熊田は実は軟派な学生で、学生運動の現場のすぐ横で女の子とデートしていたり、交番で警官と将棋を指したりしていたらしい。台詞は当時の学生運動の描写などが中心になるが、熊田は千葉県成田市の三里塚闘争で逃げ出してしまい、熊田が援軍を呼びに行ったと信じた多くの仲間が犠牲になった。
負傷した学生達は警察病院に運び込まれるが、「警察の世話にはならない」として治療を拒否、身体が不自由になる。
アイ子は、熊田の脚の怪我はもう治っているのではないかと疑うが、山崎も同様の印象を抱いており、1980年11月26日に熊田が闘士として国会議事堂前に帰ってくることを願っていた。
「初級革命講座」とあるように、学生運動を知らない世代の人にも分かるよう作劇がなされている。飛龍が投石で使われる特別な石の名前だったりするなどエンターテインメントの要素も強いが、山形県の田舎の小作農の八男坊で、中卒で機動隊員になり、もうこれ以外に道のない山崎と、難関大学に在籍する上流階級出身者で将来が明るい学生達との差などが語られ、「熱海殺人事件」にも通じる格差や差別なども描かれる。在日韓国人二世として生まれ、生涯帰化しなかったつかこうへいの世界観がここに提示されている。
ストーリーとしては他のつか作品に及ばない印象は受ける。ただ発せられるエネルギー量は凄まじく、なぜ人々がつかの演劇に熱狂したのかが伝わってくる。
2022年11月29日 京都シネマにて
京都シネマで、黒澤明監督作品「蜘蛛巣城」を観る。4Kリマスター版での上映だが、京都シネマは基本的に2K対応なので4Kで上映されたのかどうかは不明である。
1957年の作品ということで、制作から60年以上が経過しているが、今もなお黒澤明の代表作の一つとして名高い。シェイクスピアの「マクベス」の翻案であり、舞台が戦国時代の日本に置き換えられた他は、基本的に原作にストーリーに忠実である。ただ、有名シーンを含め、黒澤明の発想力が存分に発揮された作品となっている。
脚本:小國英雄、菊島隆三、橋本忍、黒澤明。出演:三船敏郎、山田五十鈴、千秋実、志村喬、佐々木孝丸、浪花千栄子ほか。音楽:佐藤勝。
マクベスは三人の魔女にたぶらかされて主君を殺害するが、「蜘蛛巣城」の主人公である鷲津武時(三船敏郎)は、物の怪の老女(浪花千栄子)の発言と妻の浅茅(山田五十鈴)の煽動により、主君で蜘蛛巣城主である都築国春(佐々木孝丸)を暗殺することになる。
魔女や物の怪が唆したからマクベスや鷲津は主君を討つことにしたのか、あるいは唆す者の登場も含めて運命であり、人間は運命の前に無力なのか。これは卵が先か鶏が先かの思考に陥りそうになるが、いずれにせよ人間は弱く、その意思は脆弱だということに間違いはない。人一人の存在など、当の本人が思っているほどには強くも重くもないのだ。
冒頭、土煙の中「蜘蛛巣城趾」の碑が立っているのが見え、栄華を誇ったと思われる蜘蛛巣城が今は碑だけの廃墟になっていることが示されるのだが、そうした砂塵が晴れると蜘蛛巣城の城門や櫓などが見え、時代が一気に遡ったことが分かる。
ラストも蜘蛛巣城が砂埃に包まれて消え、「蜘蛛巣城趾」の碑が現れる。「遠い昔あるところに」といった「スター・ウォーズ」の冒頭のような文章や「兵どもが夢の跡」といった語りが入りそうなところを映像のみで示しており、ここに黒澤明の優れた着想力が示されている。
鷲津が弓矢で射られるシーンは、成城大学弓道部の協力を得て本物の矢が射られている。メイキングの写真を見たことがあるが、思ったよりも三船の体に近いところを射ており、黒澤の大胆さを窺うことが出来る。
2024年5月20日 新京極のMOVIX京都にて
MOVIX京都で、草彅剛主演映画「碁盤斬り」を観る。白石和彌監督作品。草彅剛も白石和彌監督も私と同じ1974年生まれである。主演:草彅剛。出演:清原果耶、國村隼、中川大志、小泉今日子、音尾琢真、奥野瑛太、市村正親、斎藤工ほか。脚本:加藤正人(小説化も行っている)、音楽:阿部海太郎。エグゼクティブプロデューサー:飯島三智。
囲碁シーン監修:高尾紳路九段(日本棋院東京本院)、岩丸平七段(日本棋院関西総本部)。
落語「柳田格之進」をベースにしており、碁を打つシーンが多いという異色時代劇である。
撮影は昨年(2023年)の春に、京都、彦根、近江八幡で行われた。
元彦根藩進物番の柳田格之進(草彅剛)は、清廉潔白な人柄で、井伊の殿様からの覚えもめでたかったが、狩野探幽の掛け軸を盗んだ疑いで藩を追われて浪人となり、今は江戸の裏長屋で娘のお絹(清原果耶)と二人暮らし。長屋の店賃も滞納する貧乏ぶりである。ちなみに格之進の妻は琵琶湖で入水自殺している。格之進は篆刻を、娘のお絹は縫い物をして小金を稼ぐ毎日。吉原の女郎屋・松葉屋の大女将であるお庚(こう。小泉今日子)から篆刻を頼まれており、吉原に篆刻を届けに行ったついでに、お庚に碁を教える格之進。格之進は碁の名手であり、今日は裏技「石の下」をお庚に教える。お庚は篆刻の費用のついでに碁を教えて貰ったお礼代も払う。これで店賃を払えることになった格之進であったが、帰り道、馴染みの碁会所で囲碁好きの質両替商・萬屋源兵衛(國村隼)が賭け碁を行っているのを知る。格之進は金がないので刀を売ってしまい、脇差ししか差していない。一目で賭ける金のない貧乏侍と見た源兵衛だったが、格之進は勝負に乗る。腕は格之進の方が上だったが、途中で一両を払って勝負を降りてしまう。
その後、萬屋で不逞の侍が家宝の茶碗に傷を付けたと言い掛かりを付ける騒ぎがある。元彦根藩進物番の格之進は目利きであり、一発で偽物の茶碗と見抜く。恥をかいた侍は退散。源兵衛はお礼にと十両を渡そうとするが、潔癖な人柄の格之進は受け取らない。
格之進と源兵衛は碁を通して次第に親しくなり、度々碁を打つ関係になる。碁仲間を得た源兵衛は性格が和らぎ、それまでは「鬼のケチ兵衛」と呼ばれていたのが、「仏の源兵衛」と呼ばれるまでになる。清廉潔白で実直な人柄の格之進は、「嘘偽りのない手」を打つことを専らとしており、源兵衛も影響を受ける。碁が分からないので退屈していたお絹と萬屋の手代・弥吉(中川大志)は退屈している者同士、次第に親しくなる。格之進はお絹と弥吉に碁を教え、二人で碁の勝負をするよう勧めたことで、更に惹かれ合う二人。
しかし、ある日、格之進の元に、「柴田兵庫が探幽の掛け軸を盗んだことが分かり、すでに出奔した」という知らせが伝わる。柴田兵庫(斎藤工)と格之進は折り合いが悪く、彦根城内で斬り合いになったこともあった。更に兵庫が格之進の妻を脅して関係を迫り、それを苦にして妻が自殺したことも判明する。復讐心に燃える格之進。
中秋の名月の日。源兵衛に誘われて碁を打ちに出掛けた格之進。しかし碁の最中に柴田兵庫の話を聞いた格之進は、いつものような手が打てない。源兵衛の提案で対局は中止となった。対局の最中に淡路町の伊勢屋から五十両が源兵衛に届く。碁に夢中な源兵衛はその五十両をどうしたのか失念してしまう。番頭の徳兵衛(音尾琢真)が、柳田様が怪しいというので、弥吉を格之進の元に使いに出す。格之進は、弥吉を「無礼者!」と一喝した。しかし五十両といえば大金である。格之進は吉原のお庚に五十両を貸してもらい、お絹が自ら進み出て松葉屋に入ることになる。住み込みの小間使いだが、期限の大晦日までに返済しないとお絹も女郎として店に出ることになる。
柴田兵庫が中山道をうろつきながら賭け碁で稼いでいるという情報を得た格之進は、中山道を西へ。碁を打てる場所を片っ端から当たるが、兵庫は見当たらない。兵庫は六尺の大男で、格之進に斬られた片足が悪いという特徴があるので、他の人物よりは見つけやすいが、情報網の発達していない江戸時代にあって人捜しは困難を極める。塩尻宿で彦根藩時代の同僚、梶木左門(奥野瑛太)と出会った格之進。左門は潔白が証明されたので彦根に戻ってはどうかと格之進に告げる。だがそれより先に兵庫を探さねばならない。中山道に兵庫はいないと見た二人は甲州街道を下り、韮崎宿で兵庫とおぼしき男がいたという情報を手に入れる。その男は今は韮崎を去り、江戸の両国で行われる碁の大会に出ると話していた。二人は急ぎ江戸へと向かう……。
落語が原作ということもあり、昨日、志の輔の落語で聞いた「文七元結」にも似た要素が出てくるのが興味深い。金をなくす経緯や若い二人が祝言に至る過程などがそっくりだ。
普段は穏やかで知的だが、激高すると凄みの出る柳田格之進を演じた草彅剛。「白川の清き流れに魚住まず」と言われるほど生一本な性格で、NHK連続テレビ小説「ブギウギ」で演じた羽鳥善一とは真逆に近いキャラクターであるが、どちらも立体的な人物に仕上げてくるのは流石である。髭を伸ばした姿にも色気があり、普段バラエティーや彼の公式YouTubeチャンネルで見せる「親しみやすい草彅君」とは違った姿を見ることが出来る。
格之進は清廉すぎて不正を見逃せず、殿様に度々讒言を行って多くの者が彦根を追われている。そうしたどこか親しみにくい人柄や己に対する後悔も随所で表現出来ていたように思う。
格之進の娘・お絹役の清原果耶と萬屋の手代で源兵衛の親類に当たる弥吉を演じた中川大志は美男美女の組み合わせで、この作品における甘いエピソードを一手に引き受けている(格之進はああした性格なので女遊びはせず、色恋とも縁がない)。二人とも特別好演という訳ではなかったように思うが、若さ溢れる姿は魅力的だった。
敵役の柴田兵庫を演じる斎藤工は、まず容姿が格好いいが、格之進と反りが合わなかっただけで、根っからの悪人というわけでもなさそうな印象を受けるのは斎藤の持つキャラクターゆえだろう。
最初出てきた時は小悪党っぽかった萬屋源兵衛を演じた國村隼。身内にとにかく厳しい性格だったが、次第に和らいでいく様が印象的である。
ちなみに「キネマ旬報」2024年5月号の草彅剛へのインタビューと白石監督との対談には、草彅剛、國村隼、斎藤工らは囲碁の知識が全くないまま対局シーンに臨んでおり、囲碁のルールが分かっているのは本来は碁を知らないという設定のはずの清原果耶と中川大志の二人だけだったという逆転話が載っている。白石和彌監督は「碁盤斬り」を撮ることを決めてからスマホに囲碁のアプリをダウンロードしてやり方を覚えたそうである。
2024年5月6日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールにて
午後2時から、左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールで、海老原光指揮日本フィルハーモニー交響楽団によるローム クラシック スペシャル「心と体で楽しもう!クラシックの名曲 2024 日本フィル エデュケーション・プログラム 小学生からのクラシック・コンサート」を聴く。上演時間約70分休憩なしの公演。演目はグリーグの劇音楽「ペール・ギュント」より抜粋で、江原陽子(えばら・ようこ)がナビゲーターを務める。
毎年のようにロームシアター京都で公演を行っている日本フィルハーモニー交響楽団。夏にもロームシアター京都メインホールで主に親子向けのコンサートを行う予定がある。
昔から人気曲目であったグリーグの劇付随音楽「ペール・ギュント」であるが、2つの組曲で演奏されることがほとんどであった。CDでは、ネーメ・ヤルヴィ指揮エーテボリ交響楽団による全曲盤(ドイツ・グラモフォン)、ヘルベルト・ブロムシュテット指揮サンフランシスコ交響楽団(DECCA)やネーメの息子であるパーヴォ・ヤルヴィ指揮エストニア国立交響楽団の抜粋盤(ヴァージン・クラシックス)などが出ているが、演奏会で組曲版以外が取り上げられるのは珍しく、シャルル・デュトワ指揮NHK交響楽団の定期演奏会で取り上げられた全曲版が実演に接した唯一の機会だろうか。この時は歌手や合唱も含めた演奏だったが、今回はオーケストラのみの演奏で、前奏曲「婚礼の場にて」、「夜の情景」、「婚礼の場にて」(前半部分)以外は2つの組曲に含まれる曲で構成されている。
ヘンリック・イプセンの戯曲「ペール・ギュント」は、レーゼドラマ(読むための戯曲)として書かれたもので、イプセンは上演する気は全くなかったが、「どうしても」と頼まれて断り切れず、「グリーグの劇音楽付きなら」という条件で上演を許可。初演は成功し、その後も上演を重ねるが、やはりレーゼドラマを上演するのは無理があったのか、一度上演が途切れると再演が行われることはなくなり、グリーグが書いた音楽のみが有名になっている。近年、「ペール・ギュント」上演復活の動きがいくつかあり、私も日韓合同プロジェクトによるものを観た(グリーグの音楽は未使用)が、ゲテモノに近い出来であった。
近代社会に突如現れた原始の感性を持った若者、ペール・ギュントの冒険譚で、モロッコやアラビアが舞台になるなど、スケールの大きな話だが、ラストはミニマムに終わるというもので、『イプセン戯曲全集』に収録されているほか、再編成された単行本なども出ている。
今回の上演では、海老原光、江原陽子、日フィル企画制作部が台本を纏めて共同演出し、老いたソルヴェイグが結婚を前にした孫娘に、今は亡き夫のペール・ギュントの昔話を語るという形を取っている。江原陽子がナレーターを務め、「山の魔王の宮殿にて」では聴衆に指拍子と手拍子とアクションを、「アニトラの踊り」ではハンカチなどの布を使った動きを求めるなど聴衆参加型のコンサートとなっている。
指揮者の海老原光は、私と同じ1974年生まれ。同い年の指揮者には大井剛史(おおい・たけし)や村上寿昭などがいる。鹿児島出身で、進学校として全国的に有名な鹿児島ラ・サール中学校・高等学校を卒業後に東京芸術大学に進学。学部を経て大学院に進んで修了した。その後、ハンガリー国立歌劇場で研鑽を積み、2007年、クロアチアのロヴロ・フォン・マタチッチ国際指揮者コンクールで3位に入賞。2010年のアントニオ・ペドロッティ国際指揮者コンクールでは審査員特別賞を受賞している。指揮を小林研一郎、高階正光、コヴァーチ・ヤーノシュらに師事。日フィルの京都公演で何度か指揮をしているほか、日本国内のオーケストラに数多く客演。クロアチアやハンガリーなど海外のオーケストラも指揮している。2019年に福岡県那珂川市に新設されたプロ室内オーケストラ、九州シティフィルハーモニー室内合奏団の首席指揮者に就任し、第1回と第2回の定期演奏会を指揮した(このオーケストラはその後、大分県竹田市に本拠地を移転し、改組と名称の変更が行われており、シェフ生活は短いものとなった)。
ナビゲーターの江原陽子は、東京藝術大学(東京芸術大学は国立大学法人ということもあり、新字体の「東京芸術大学」が登記上の名称であるが、校門やWeb上で使われている旧字体の「東京藝術大学」も併用されており、どちらを使うかはその人次第である)音楽学部声楽科を卒業。現在、洗足学園音楽大学の教授を務めている。藝大在学中から4年間、NHKの番組で「歌のおねえさん」を務め、その後、教職や自身の音楽活動の他に、歌や司会でクラシックコンサートのナビゲーターとしても活躍している。日フィルの「夏休みコンサート」には1991年から歌と司会で参加するなど、コンビ歴は長い。
舞台後方にスクリーンが下がっており、ここに江原のアップや客席、たまにオーケストラの演奏などが映る。
海老原光の演奏に接するのは久しぶり。私と同い年だが、にしては白髪が目立つ。今年で50歳を迎えるが、指揮者の世界では50歳はまだ若手に入る。キビキビした動きで日フィルから潤いと勢いのある響きを引き出す。ビートは基本的にはそれほど大きくなく、ここぞという時に手を広げる。左手の使い方も効果的である。
日フィルは、創設者である渡邉暁雄の下で、世界初のステレオ録音による「シベリウス交響曲全集」と世界初のデジタル録音による「シベリウス交響曲全集」をリリースし、更にはフィンランド出身のピエタリ・インキネンとシベリウス交響曲チクルスをサントリーホールで行って、ライブ録音を3度目の全集として出すなどシベリウスに強いが、渡邉の影響でシベリウス以外の北欧ものも得意としている。北欧出身者ではないが、フィンランドの隣国であるエストニアの出身で北欧ものを得意としているネーメ・ヤルヴィ(現在は日フィルの客員首席指揮者)を定期的に招いていることもプラスに働いているだろう。
音楽は物語順に演奏され、合間を江原のナレーションが繋ぐ。降り番の楽団員やスタッフも進行に加わる。演奏曲目は、前奏曲「婚礼の場にて」、「イングリットの嘆き」、「山の魔王の宮殿にて」、「オーゼの死」、「朝(朝の気分)」、「アラビアの踊り」、「アニトラの踊り」、「ペール・ギュントの帰郷」、「夜の情景」、「ソルヴェイグの歌」、そしてペール・ギュントとソルヴェイグの孫娘の結婚式があるということで「婚礼の場にて」の前半部分が再び演奏される。
ロームシアター京都サウスホールは、京都会館第2ホールを改修したもので、特別な音響設計はなされておらず、残響もほとんどないが、空間がそれほど大きくないので音はよく聞こえる。日フィルも音色の表出の巧みさといい、全体の音響バランスの堅固さといい、東京芸術劇場コンサートホールやサントリーホールで聴いていた90年代に比べると大分器用なオーケストラへと変わっているようである。
江原陽子のナビゲートも流石の手慣れたものだった。
演奏終了後に撮影タイムが設けられており(SNS上での宣伝に使って貰うためで、スマホやタブレットなどに付いているカメラのみ可。ネットに繋げない本格的な撮影機材は駄目らしい)多くの人がステージにカメラを向けていた。
終演後には、海老原光と江原陽子によるサイン会があったようである。
2024年5月23日 東山七条の京都国立博物館・平成知新館にて
東山七条にある京都国立博物館・平成知新館で、特別展『雪舟伝説 -「画聖(カリスマ)の誕生」-』を観る。
日本史上最高の画家(絵師)の一人として崇められる雪舟等楊。備中国赤浜(現在の岡山県総社市。鬼ノ城や備中国分寺があることで有名なところである)に生まれ、京都の相国寺(花の御所の横にあり、五山十刹の五山第2位。相国は太政大臣など宰相の唐風官職名で征夷大将軍にして太政大臣の足利義満が開基である)で天章周文という足利将軍家お抱えの画僧に本格的な画を学び、庇護を申し出た周防国の守護大名・大内氏の本拠地である「西京」こと山口で過ごしている。応仁の乱勃発直前に明の国に渡り、明代よりも宋や元の時代の絵を参考にして研鑽を重ね、天童山景徳禅寺では、「四明天童山第一位」と称せられた。帰国してからは九州や畿内を回り、山口に戻った後で、石見国益田(島根県益田市)に赴き、当地で亡くなったとされる。ただ最晩年のことは詳しく分かっていない。残っている雪舟の絵は、伝雪舟も含めて50点ほど。後世の多くの絵師や画家が雪舟を理想とし、「画聖」と崇め、多大な影響を受けている。
今回の展覧会は、雪舟の真筆とされている作品(国宝6点全てを含む)と伝雪舟とされる真偽不明の作品に加え、雪舟に影響を受けた大物絵師達の雪舟作品の模写や、雪舟にインスパイアされた作品が並んでいる。
国宝に指定されているのは、「秋冬山水図」(東京国立博物館蔵)、「破墨山水画」(東京国立博物館蔵)、「山水図」(個人蔵)、「四季山水図巻(山水長巻。期間によって展示が変わり、今は最後の部分が展示されていて、それ以外は写真で示されている)」(毛利博物館蔵)、「天橋立図」(京都国立博物館蔵)、「慧可断臂図」(愛知 齊年寺蔵)である。全て平成知新館3階の展示が始まってすぐのスペースに割り当てられている。いずれも病的な緻密さと、異様なまでの直線へのこだわりが顕著である。普通なら曲線で柔らかく描きそうなところも直線で通し、木々の枝や建築も「執念」が感じられるほどの細かな直線を多用して描かれている。「病的」と書いたが、実際、過集中など何らかの精神病的傾向があったのではないかと疑われるほどである。少なくとも並の神経の人間にはこうしたものは――幸福なことかも知れないが――描けない。狩野探幽を始め、多くの絵師が雪舟の直系であることを自称し、雪舟作品の模写に挑んでいるが、細部が甘すぎる。当代一流とされる絵師ですらこうなのだから、雪舟にはやはり常人とは異なる資質があったように思われてならない。
だが、その資質が作画には見事に生きていて、繊細にして描写力と表出力に長け、多くの絵師に崇拝された理由が誰にでも分かるような孤高の世界として結実している。山の盛り上がる表現などは、富岡鉄斎の文人画を観たばかりだが、残念ながら鉄斎では雪舟の足下にも及ばない。一目見て分かるほど完成度が違う。雪舟がいかに傑出した異能の持ち主だったかがはっきりする。
国宝にはなっていないが、重要文化財や重要美術品に指定されているものも数多く展示されており、その中に伝雪舟の作品も含まれる。伝雪舟の作品には国宝に指定された雪舟作品のような異様なまでの表現力は見られないが、雪舟も常に集中力を使って描いたわけでもなく、リラックスして取り組んだと思われる真筆の作品も展示されているため、「過集中の傾向が見られないから雪舟の真筆ではない」と判断することは出来ない。風景画が多い雪舟だが、人物画も描いており、これもやはり緻密である。
2階の「第3章 雪舟流の継承―雲谷派と長谷川派―」からは、雪舟の継承者を自認する絵師達の作品が並ぶ。雪舟は山口に画室・雲谷庵を設けたが、雲谷派はその雲谷庵にちなみ、本姓の原ではなく雲谷を名乗っている。江戸時代初期を代表する絵師である長谷川等伯も雪舟作品の模写を行うなど、雪舟に惚れ込んでいた。雲谷派も長谷川派も雪舟の正統な継承者を自認していた。
江戸時代中期以降の画壇を制した感のある狩野派も雪舟は当然意識し、神格化しており、狩野探幽などは雪舟の「四季山水図巻」(重要文化財)を模写して、五代目雪舟を名乗っていたりする(雪舟の「四季山水図巻」も探幽による模本も共に京都国立博物館の所蔵)。狩野古信が描いた「雪舟四季山水図巻模本」は模本にも関わらず、何と国宝に指定されている。
展示はやがて、雪舟がモチーフとした富士山や三保の松原を題材とした画に移る。原在中の描いた「富士三保松原図」は描写力が高く、緻密さにおいて雪舟に近いものがある。ただ画風は異なっている。京都ということで伊藤若冲の作品も並ぶが、画風や描写力というよりも題材の選び方に共通点があるということのようだ。
その他にも有名な画家の作品が並ぶが、描写力や表現力はともかくとして緻密さにおいて雪舟に匹敵する者は誰もおらず、それこそ雪舟は富士山のような屹立した独立峰で、後の世のゴッホのように画家なら誰もが崇める存在であったことは間違いないようだ。
2024年4月28日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇
午後5時から、兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、「『GOOD』-善き人-」を観る。イギリスの劇作家、C・P テイラーの戯曲を長塚圭史の演出で上演。テキスト日本語訳は浦辺千鶴が務めている。原作のタイトルは「GOOD」で、2008年にイギリス・ドイツ合作で映画化、日本では2012年に「善き人」のタイトルで公開されているようである。また、英国での舞台版がナショナル・シアター・ライブとして映画館で上映されている。
主演:佐藤隆太。出演:萩原聖人、野波麻帆、藤野涼子、北川拓実(男性)、那須佐代子、佐々木春香、金子岳憲、片岡正二郞、大堀こういち。ミュージシャン:秦コータロー、大石俊太郎、吉岡満則、渡辺庸介。出演はしないが、音楽進行に三谷幸喜の演劇でお馴染みの荻野清子が名を連ねている。
専任のミュージシャンを配していることからも分かる通り、音楽が重要な位置を占める作品で、出演者も歌唱を披露する(歌唱指導:河合篤子)など、音楽劇と言ってもいい構成になっている。
イギリスの演劇であるが、舞台になっているのはナチス政権下のドイツの経済都市、フランクフルト・アム・マインである(紛らわしいことにドイツにはフランクフルトという名の都市が二つあり、知名度の高い所謂フランクフルトがフランクフルト・アム・マインである)。ただ一瞬にしてハンブルクやベルリンに飛ぶ場面もある。
佐藤隆太の一人語りから舞台は始まる。大学でドイツ文学を教えるジョン・ハルダー教授(愛称は「ジョニー」。演じるのは佐藤隆太)は、1933年から音楽の幻聴や音楽付きの幻覚を見るようになる。1933年はナチス政権が発足した年だが、そのことと幻聴や幻覚は関係ないという。妻のヘレン(野波麻帆)は30歳になるが、脳傷害の後遺症からか、部屋の片付けや料理や子どもの世話などが一切出来なくなっており(そもそも発達障害の傾向があるようにも見える)、家事や3人の子どもの面倒は全てジョンが見ることになっていた。母親(那須佐代子)は存命中だが痴呆が始まっており、目も見えなくなって入院中。だが、「病院を出て家に帰りたい」と言ってジョンを困らせている。二幕では母親は家に帰っているのだが、帰ったら帰ったで、今度は「病院に戻りたい」とわがままを言う。
友人の少ないジョンだったが、たった一人、心を許せる友達がいた。ユダヤ人の精神科医、モーリス(萩原聖人)である。ジョンは幻聴についてモーリスに聞くが、原因ははっきりしない。幻聴はジャズバンドの演奏の時もあれば(舞台上で生演奏が行われる。「虹を追って」の演奏で、ジョンはショパンの「幻想即興曲」の盗用であると述べる)、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏の時もある(流石にこれは再現は無理である)。音楽付きの幻覚として、ジョンはマレーネ・ディートリヒや、ヴァイオリンで「ライムライト」を弾くチャップリン(実際はアドルフ・ヒトラーである)の姿を見る。バンド編成によるワーグナーの「タンホイザー」序曲が演奏される珍しい場面もある。
ナチスが政権を取ったばかりであったが、ジョンもモーリスも「ユダヤ人の頭脳や商売に依存しているドイツはユダヤ人を排斥出来ない」「ユダヤ人差別ももうやめるに違いない」「政権は短期で終わる」と楽観視していた。
ある日、ジョンの研究室にゼミでジョンに教わっている女子学生のアン(藤野涼子)が訪ねてくる。19歳と若いアンは授業について行けず、このままでは単位を落としそうだというのでジョンに教えを請いに来たのだった(まるで二人芝居「オレアナ」のような展開である)。
その夜、アンを家に呼んだジョンは、雨でずぶ濡れになったアンを愛おしく思う。アンは明らかにジョンに好意を持っており、後はジョンがそれを受け入れるかどうかという問題。結果的に二人は結婚し、新居を構えることになる。
小説家や評論家としても活躍しているジョンは、ある日、ナチスの高官、フィリップ・ボウラーからジョンの書いた小説が宣伝大臣のヨーゼフ・ゲッベルス(元小説家志望)に絶賛されていることを知らされる。母親の病状を見て思いついた安楽死をテーマにした小説で、後のT4作戦に繋がる内容だった。ジョンの小説はゲッベルスからヒトラーに推薦され、ヒトラーも大絶賛しているという。ジョンは安楽死に関して、「人道的」立場から、安心させるためにバスルームのような施設にするいう案も編み出しており、更にユダヤ人の個人中心主義がドイツ第三帝国の「全体の利益を優先する」という主義に反しており、文化を乱すという論文も発表していた。
大学の教員もナチ党員であることを求められた時代。ジョンもナチ党員となり、親衛隊に加わる。ジョンは、「水晶の夜」事件が起こることを知りながらそれを黙認し、ナチスの焚書に関しても協力した。
ユダヤ人であるモーリスはフランクフルト・アム・マインを愛するがために当地に留まっていたが、身の危険を感じ、出国を申請するも叶えられない。モーリスは、永世中立国であるスイス行きの汽車の切符を手配するようにジョンに頼む。往復切符にすれば出国と捉えられないとの考えも披露するがジョンはその要望に応えることが出来ない。
アンは、「私がユダヤ人だったらヒトラーが政権を取った最初の年に逃げ出している」と語り、「今残っているのはどうしようもないバカか、財産に必死にしがみついている人」と決めつける。
やがてジョンは、アイヒマンの命により、新たな収容施設が出来た街に視察に赴くことになる。アウシュヴィッツという土地だった。
アウシュヴィッツの強制収容所に着いたジョンは、シューベルトの「軍隊行進曲」の演奏を聴く。それは幻聴ではなく、強制収容所に入れられたユダヤ人が奏でている現実の音楽だった。
アンが親衛隊の隊服を着たジョンに「私たちは善人」と言い聞かせる場面がある。実際にジョンに悪人の要素は見られない。T4作戦に繋がる発想もたまたま思いついて小説にしたものだ。ジョンは二元論を嫌い、モーリスにもあるがままの状態を受け入れることの重要性を説くが、後世から見るとジョンは、T4作戦の発案者で、障害のある妻を捨てて教え子と再婚、文学者でありながら焚書に協力、反ユダヤ的で親友のユダヤ人を見殺しにし、アウシュヴィッツ強制収容所に関与した親衛隊員で、ガス室の発案者という極悪人と見做されてしまうだろう。実際のジョンは根っからの悪人どころか、アンの言う通り「善人」にしか見えないのだが、時代の流れの中で善き人であることの難しさが問われている。
ジョンに幻聴があるということで、音楽も多く奏でられるのだが、シューベルトの「セレナーデ」やエノケンこと榎本健一の歌唱で知られる「私の青空」が新訳で歌われたのが興味深かった。今日の出演者に「歌う」イメージのある人はいなかったが、歌唱力に関しては普通で、特に上手い人はいなかったように思う。ソロも取った佐藤隆太の歌声は思ったよりも低めであった。
親衛隊の同僚であるフランツが、SP盤のタイトルを改竄する場面がある。フランツはジャズが好きなのだが、ナチス・ドイツではジャズは敵性音楽であり、黒人が生んだ退廃音楽として演奏が禁じられていた。それを隠すためにフランツはタイトルを改竄し、軍隊行進曲としたのだが、日本でもジャズは敵性音楽として演奏を禁じられ、笠置シヅ子や灰田勝彦は歌手廃業に追い込まれそうになっている。同盟国側で同じことが起こっていた。
佐藤隆太は途中休憩は入るもの約3時間出ずっぱりという熱演。宣伝用写真だとW主演のように見える萩原聖人は思ったよりも出番は少なかったが、出演者中唯一のユダヤ人役として重要な役割を果たした。
結果として略奪婚を行うことになるアン役の藤野涼子であるが、小悪魔的といった印象は全く受けず、ジョンならヘレンよりもアンを選ぶだろうという説得力のある魅力を振りまいていた。
今日が大千秋楽である。座長で主演の佐藤隆太は、公演中一人の怪我人も病人も出ず完走出来たことを喜び、見守ってくれた観客への感謝を述べた。
佐藤によって演出の長塚圭史が客席から舞台上に呼ばれ、長塚は「この劇場は日本の劇場の中でも特に好き」で、その劇場で大千秋楽を迎えられた喜びを語った。
2024年5月11日 イオンシネマ京都桂川スクリーン8にて
イオンシネマ京都桂川まで、コンサート映画「Ryuichi Sakamoto|opus」を観に出掛ける。「Ryuichi Sakamoto|opus」は日本全国で上映されるが、京都府で上映されるのはイオンシネマ京都桂川のみである。生前の坂本龍一が音響監修を務めた109シネマズプレミアム新宿で先行上映が開始され、昨日5月10日より全国でのロードショー公開が始まっている。
イオンシネマ京都桂川の入るイオンモール京都桂川は、京都市の南西隅といっていい場所に建っており、すぐ南と西は京都府向日(むこう)市で、敷地の一部は向日市内に掛かっている。
最寄り駅はJR桂川駅と阪急洛西口駅で、桂川駅は目の前、洛西口駅からも近く、交通の便はいいのだが、立地面からこれまで訪れたことはなかった。ただイオンシネマ京都桂川でしか上映されないので行くしかない。イオンモール京都桂川とイオンシネマ京都桂川は2014年オープンと新しく、「Ryuichi Sakamoto|opus」が上映されるイオンシネマ京都桂川スクリーン8はDolby Atmos対応で、音響面から選ばれたのだと思われる。
洛西口駅を東に出て、歩いて5分ほどのところにあるイオンモール京都桂川に入る。横断歩道に直結しており、2階から入ることになった。
「Ryuichi Sakamoto|opus」は、坂本がNHKの509スタジオを借りて数日掛けてモノクロームで収録し、「これが最後」のコンサートとして有料配信したピアノ・ソロコンサート「Playing the Piano 2022」の完全版である。「Playing the Piano 2022」(13曲60分)の倍近くの長さ(20曲115分)があり、配信コンサートではおまけとして流されたアルバム「12」に収録された音楽の実演の姿も見ることが出来る。また、別テイクも収録されている。監督は空音央(そら・ねお。坂本龍一の息子)、撮影監督はビル・キルスタイン、編集は川上拓也、録音・整音はZAK、照明は吉本有輝子。3台の4Kカメラでの収録で、この時、坂本は体力的に一日数曲弾くのがやっとだった。
映画館の入り口でポストカードが配布され、裏面にセットリストが載せられている。
曲目は、「Lack of Love」、「BB」、「Andata」、「Solitude」、「for Johann」、「Aubade 2020」、「Ichimei-small happiness」、「Mizu no Naka no Bagatelle」、「Bibo no Aozora」、「Aqua」、「Tong Poo」、「The Wuthering Heights」、「20220302-sarabande」、「The Sheltering Sky」、「20180219(w/prepared piano)」、「The Last Emperor」、「Trioon」、「Happy End」、「Merry Christmas Mr.Lawrence」、「Opus-ending」。邦題やカタカナ表記の方が有名な曲もあるが、一応、オリジナル通りアルファベットのみで記した。
ピアノは、2000年に坂本龍一のためにカスタムメイドされ、長年コンサートやレコーディングで愛用してきたYAMAHAのCFⅢS-PSXG(シーエフスリーエス ピーエスエックスジー)が使用されている。
イタリアでやると何故か大受けする曲で、映画「バベル」にも用いられた「Bibo no Aozora(美貌の青空)」は原曲の長さが終わっても弾き続け、主旋律を保ったまま伴奏を暗くしていくという実験を行っており、途中で納得がいかずに演奏を中断。弾き直してまた止めてやり直すというシーンが収められており、演奏を終えた後で坂本は「もう一度やろうか」と語る。NGテイクが映画では採用されていることになる。
1曲目の「Lack of Love」は全編、ピアノを弾く坂本の背後からの撮影。後頭部を刈り上げてもみあげを落としたテクノカットにしていることが分かる。
YMO時代の代表曲「Tong Poo(東風)」は、リハーサルからカメラが回っており、練習する坂本の姿が捉えられている。
ジュリエット・ビノシュ主演のイギリス映画「嵐が丘」のテーマ曲である「The Wuthering Heights」や、市川海老蔵(現・第十三代目市川團十郎白猿)主演の映画「一命」のテーマ曲である「Ichimei-small Happiness」は、コンサートにおいてピアノ・ソロで演奏するのは初めてだそうである。特に「The Wuthering Heights(嵐が丘)」は、KABからピアノ・ソロ版の楽譜が出版されているだけに意外である。
2020年にも配信でピアノ・ソロコンサートを行った坂本だが、生配信を行ったのは、「癌で余命半年」との宣告を受けた翌日であり、自身では何が何だか分からないまま終わってしまった。これが最後になるのはまずいということで、2022年の9月に8日間掛けて収録されたのが今回の映画と、元になった配信コンサートである。坂本本人は出来に満足しているようである。
坂本本人も指摘されていたようだが、年を重ねるごとにピアノのテンポが遅くなっており、今回のコンサート映画の演奏もテンポ設定は全編に渡って比較的遅めである。誰でもそうした傾向は見られ、収録時70歳ということを考えれば、バリバリ弾きこなすよりもじっくりと楽曲に向かい合うようになるのも当然かも知れない。またこの時点で死が目前に迫っていることは自覚しており、彼岸を見つめながらの演奏となったはずだ。
坂本のピアノ・ソロで聴いてみたかった曲に「High Heels」がある。ペドロ・アルモドバル監督のスペイン映画「ハイヒール」のメインテーマで、これもKABからピアノ・ソロ版の楽譜が出ており、実は私も弾いたことがある。坂本本人がメインテーマをピアノで弾いたことがあるのかどうか分からないが(別バージョンのピアノの曲はサウンドトラックに収められていたはずである)、弾いていたらきっと良い出来になっていただろう(その後、音源を発見した)。
エンディングの「Opus」は、当然ながら坂本が弾き始めるが、途中でピアノの自動演奏に変わり、演奏終了後にスタジオを去る坂本の足音が収録されていて、「不在」が強調されている。
坂本の生年月日と忌日が映され、坂本が愛した言葉「Ars Longa,vita brevis(芸術は長く、人生は短し)」の文字が最後に浮かび上がる。
ピアノ一台と向かい合うことで、坂本龍一という存在の襞までもが明らかになるような印象を受ける。彼の音楽の核、クラシックから民族音楽まで貪欲に取り込んで作り上げた複雑にしてそれゆえシンプルな美しさを持った音の彫刻が屹立する。それは他の誰でもない坂本龍一という唯一の音楽家が時代に記した偉大なモニュメントであり、彼の音楽活動の最後を記録した歴史的一頁である。
2024年4月26日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて
午後7時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、大阪交響楽団の第271回定期演奏会「外山雄三追悼」を聴く。指揮は、大阪交響楽団常任指揮者の山下一史。
日本指揮者界の重鎮として、また作曲家として活躍した外山雄三(1931-2023)。晩年は大阪交響楽団のミュージックアドバイザーを務め、2020年に名誉指揮者の称号を得ていた。
東京・牛込の音楽一家の生まれ。東京音楽学校本科作曲科に入学。在学中に学制改革があり、官立東京音楽学校本科作曲科から国立東京芸術大学音楽学部作曲科の学生へと変わる。芸大在学中に「クラリネット、ファゴット、ピアノのための<三つの性格的断片>」で、第20回音楽コンクールに入賞。作曲家としてのデビューの方が早い。
芸大卒業後は、NHK交響楽団の打楽器練習員となり、その後、指揮研究員へと変わって、1956年9月にNHK交響楽団を指揮してデビュー(盟友である岩城宏之と同じコンサートを振り分けてのデビューである)。その間、林光、間宮芳生と作曲家グループ・山羊の会を結成。作曲家としての活動も活発化させている。
1958年から60年に掛けてウィーンへと留学。少し足を伸ばしてザルツブルク・モーツァルティウム音楽院で、オーケストラトレーナーとしても知られるエーリヒ・ラインスドルフのマスタークラスにも参加している。
1960年のNHK交響楽団世界一周旅行に岩城宏之と共に指揮者として帯同。アンコール演奏用曲目として作曲されたのが、代表作となった「管弦楽のためのラプソディ」である。
当初は現在の3倍ぐらいの長さがあったらしいが、岩城から、「ここいらない」「ここもいらない」と次々に指摘され、今の長さに落ち着いたという。
その後、大阪フィルハーモニー交響楽団の専属指揮者となり、初のシェフのポストとして京都市交響楽団の第4代常任指揮者を1967年から1970年までの3年間務めている。3年は短いように感じるが、この頃の京都市交響楽団は常任指揮者を2、3年でコロコロ変えており、外山だけが短いわけではない。在任中の第100回定期演奏会ではストラヴィンスキーの3大バレエ(「火の鳥」、「ペトルーシュカ」、「春の祭典」)全てを演奏するなど意欲的な試みを行っている。
1979年にNHK交響楽団の正指揮者に就任。私がNHK交響楽団の学生定期会員をしていた頃には、外山に加え、岩城宏之、都響から移った若杉弘の3人がNHK交響楽団の正指揮者であったが、当時のN響は定期演奏会は完全に外国人指揮者指向。4月の定期に日本人指揮者の枠があったが、若手優先ということで、正指揮者は指揮台に立つ機会が限られていたため、N響と外山の組み合わせのコンサートを聴くことはなかった。外山もN響以外の東京のオーケストラに客演しており、私もサントリーホールで日本フィルハーモニー交響楽団を指揮した自作自演コンサートなどは聴いている。これはライブ録音が行われ、CDとして出ている。京都に来てからは、先斗町歌舞練場で行われた京都市交響楽団の創立50年記念コンサートを聴いている。大響とのコンサートは、大阪4オケの第1回の演奏会で聴いたのが唯一である。
音楽総監督兼常任指揮者を務めていた名古屋フィルハーモニー交響楽団時代には、広上淳一がアシスタント・コンダクターに就任。1年だけだが面倒を見ている。1991年に広上がスウェーデンのノールショピング交響楽団の首席指揮者になった際には外山に「ノールショピング交響楽団のためのプレリュード」の作曲を依頼し、初演してCD録音も行っている。ちなみに名フィルのアシスタント・コンダクターの最終候補2人に広上と共に入り、落選したのは佐渡裕であるが、外山は佐渡に「君はうちとは方向性が違うみたいだから他の場所で」頑張るよう告げている。その後、仙台フィルハーモニー管弦楽団や神奈川フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督を務め、愛知県立芸術大学では教鞭も執った。民音コンクール指揮者部門(現・東京国際指揮者コンクール)の審査員も長きに渡って務めている。
2023年5月27日に、東京芸術劇場コンサートホールで行われたパシフィックフィルハーモニア東京の演奏会のリハーサル中に体調を崩し、本番は後半のシューベルトの交響曲第9番「ザ・グレイト」のみを指揮することになったが、本番中に指揮が出来なくなり、車椅子で退場。オーケストラは指揮者なしで演奏を続けた。カーテンコールには車椅子に乗ったまま現れたが、それが公に見せた最後の姿となった。7月11日、自宅にて没。92歳での大往生、生涯現役であった。
大阪交響楽団は、普段はプレトークを行う習慣はないようだが、今日は特別に午後6時40分頃に山下一史が舞台に現れ、プレトークが行われる。
山下は桐朋学園大学で尾高忠明に師事しているが、外山はその尾高の師匠だそうで、先生の先生に当たると話す。
山下と外山の出会いは民音コンクールで、山下がブラームスの交響曲第3番の第1楽章を指揮した後で、審査員の外山が近づいてきて、「君のブラームスが一番良かった」と褒めてくれたそうである。
2022年4月から山下が大阪交響楽団の常任指揮者となることが決まり、外山に電話で報告したのだが、「僕はもう名誉指揮者だから(自由にやりなさい)」と言われたそうである。4月23日には外山の卒寿を祝うコンサートがザ・シンフォニーホールで行われ、そのゲネプロの時に挨拶したのが外山との最後だったようである。
外山の没後、八ヶ岳の外山の自宅を訪ねた山下は、奥さんに「そのままにしてあるから」と言われた自室で、ブラームスの「ドイツ・レクイエム」の総譜が開かれたままになっていることに気づく。近く「ドイツ・レクイエム」を指揮する予定はなく、研究をしていたようだ。「主にあって死ぬものは幸いである」のページが開かれていたという。
また、外山がいつも腰掛けていたというダイニングルームの椅子からはリビングルームの壁に掛けてある小さな十字架を見ることが出来たという。外山はクリスチャンだった。
山下は帰り際に、外山雄三の追悼コンサートを行うことを決めたという。
曲目は、1960年代、外山が30代だった頃の楽曲から選ばれている。管弦楽のためのディヴェルティメント(1961)、ヴァイオリン協奏曲第2番(ヴァイオリン独奏:森下幸路。1966)、バレエ「幽玄」演奏会用組曲(1965)、交響曲「帰国」(1965-66/1977・78改作)。
外山雄三の作品の中では先に挙げた通り「管弦楽のためのラプソディ」が有名で、山下もこれまでに100回ぐらい指揮しているそうだが、今日のプログラムは全て初めて取り組む曲ばかりだそうで、勉強して演奏に臨むという。
「管弦楽のためのラプソディ」は演目に含まれていないが、アンコールで演奏されることが予想される。
今日のコンサートマスターは、今月付でコンサートマスターからソロコンサートマスターに格上げになった林七奈(はやし・なな)。アソシエイトコンサートマスターという肩書きで岡本伸一郎が、アシスタントコンサートマスターの名で里屋幸がフォアシュピーラーを務める。
管弦楽のためのディヴェルティメントは、プラハ交響楽団に客演することになった岩城宏之から、「外国のお客さんに楽しんで貰えるものを」との依頼を受けて書かれたもので、秋田のドンパン節を筆頭に様々な民謡を入れたショーピースで、日本情緒に溢れている。
ヴァイオリン協奏曲第2番。ソリストの森下幸路(もりした・こうじ)は、大阪交響楽団の首席ソロコンサートマスター。桐朋学園大学に学び、シンシナティ大学特別奨学生としてドロシー・ディレーに師事。仙台フィルハーモニー管弦楽団コンサートマスターを経て、大阪交響楽団の首席ソロコンサートマスターに就任。大阪音楽大学特任教授も務めている。
「通りゃんせ」のメロディーが登場する外山節の曲調だが、第3楽章でピッチカートの場面が連続するのが印象的。まるで箏曲を聴いているような錯覚に陥る。
聴くからに「難曲」と思わせる曲であるが、森下の技術は高かった。
バレエ「幽玄」演奏会用組曲。私は外山の「幽玄」が好きで、NHK交響楽団を指揮した自作自演盤(DENON)を何度も聴いているが、鮮烈な響きに始まり、日本的なメロディーをストラヴィンスキー的な鋭さでくるんだような、和と洋の止揚された作風が魅力的である。京響の第100回定期演奏会で、ストラヴィンスキーの3大バレエを取り上げたことからも分かる通り、外山はストラヴィンスキーに大きな影響を受けており、響きにも似たところがある。
バレエ「幽玄」はオーストラリア・バレエ団の監督兼振付師であったロバート・ヘルプマンの依頼で書かれたものだが、NHK交響楽団は1964年に岩城と外山の指揮で行ったツアーでオーストラリアを訪れており、外山作品も演奏されている。ヘルプマンはその公演を聴いて外山にオファーしたようである。
交響曲「帰国」。外山は交響曲作品を何曲も書いているが、何曲書いたと断定することは難しいそうで、通し番号があるのは第2番から第4番まで、しかしそれ以外にも交響組曲や交響連歌と題されたものもあり、第1番の番号を持つものがない。作曲年代やスタイルから考えると、この交響曲「帰国」が交響曲第1番に相当するもののようである。
「帰国」というタイトルが何を意味するのかも不明で、謎めいた作品である。
外山はミュージカル「祇園祭」の音楽も書いているが、「帰国」に聴かれる打楽器の派手な活躍は祭り囃子を思わせ、やはり民謡を引用しつつも鮮烈な響きを生む日本の祝祭感を謳い上げたかのような作品となっている。
ちなみにこの曲は、音響最悪で知られた京都会館第1ホールで、作曲者指揮の大阪フィルハーモニー交響楽団の演奏により1966年1月に初演が行われているが、響きの良いザ・シンフォニーホールで聴くものとは明らかに違う曲に聞こえたことは間違いないと思われる。
演奏が終わってから、各楽器の奏者達が新しい譜面を取り出すのが見える。
拍手に応えて指揮台に上がった山下は、「外山先生と言えばこの曲でしょう」と告げ、「管弦楽のためのラプソディ」が演奏される。お馴染みの曲だけに大阪交響楽団も手慣れており、音色、輝き、迫力共に十分な演奏となった。
山下は1曲ごとに総譜を掲げて敬意を表したが、最後は全ての総譜を抱えて現れ、高々と示した。
2023年10月8日 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール中ホールにて
午後2時から、びわ湖ホール中ホールで、びわ湖ホール オペラへの招待 モーツァルト作曲「フィガロの結婚」を観る。指揮はびわ湖ホール芸術監督の阪哲朗。演奏は日本センチュリー交響楽団(コンサートマスター・松野弘明)。演出は松本重孝。美術:乃村健一、衣装:前岡直子。合唱はびわ湖ホール声楽アンサンブル。出演は、平欣史(たいら・よしふみ。アルマヴィーヴァ伯爵)、森谷真理(伯爵夫人)、熊谷綾乃(スザンナ)、内山建人(フィガロ)、山際きみ佳(ケルビーノ)、藤井知佳子(マルチェリーナ)、萩原寛明(バルトロ)、谷口耕平(バジリオ)、福西仁(ふくにし・じん。ドン・クルツィオ)、脇阪法子(バルバリーナ)、大野光星(アントニオ)、高田瑞希(花娘Ⅰ)、小林あすき(花娘Ⅱ)。
今日は大津祭の影響で、びわ湖浜大津駅が使えず、山科からJRに乗り換えて、大津駅から徒歩でびわ湖ホールに向かう。
新型コロナウィルスの影響で、演奏会形式などでのオペラ上演が続いていたびわ湖ホール。実に4年ぶりとなる制限なしでの上演となる。
ビゼーの「カルメン」と並んで世界で最も有名なオペラ作品と言われるモーツァルトの「フィガロの結婚」。ボーマルシェのフィガロ3部作の第2作として書かれ、「セビリアの理髪師」の続編となる。「罪ある母」が第3作であるが、「罪ある母」をボーマルシェが書いた時には、モーツァルトはすでに亡くなっていた。
台本を担当したのは、当時のウィーンの宮廷詩人であったロレンツォ・ダ・ポンテで、ダ・ポンテとモーツァルトは、「ドン・ジョヴァンニ」、「コジ・ファン・トゥッテ」でも組み、ダ・ポンテ3部作と呼ばれている。モーツァルトは100本以上の台本を読んで、その中から「フィガロの結婚」を見出し、ダ・ポンテにオペラ台本化を頼んだと言われる。
フィガロが主人公となる前作の「セビリアの理髪師」は、後にロッシーニがオペラ化して有名だが、当時の理髪師は外科医なども掛け持ちする何でも屋であるが、被差別階級であり、ホームレスであった人も多い。そんな低い身分であったフィガロが、アルマヴィーヴァ伯爵とロジーナとの愛の架け橋役となったことから、伯爵邸に部屋を与えられ、使用人頭に取り立てられたところから話は始まる。フィガロは小間使いのスザンナと婚約しているが、スザンナは伯爵が初夜権の復活を目論み、二人の部屋を伯爵の部屋のすぐそばに置いたのも、フィガロが留守の間に自分をすぐに襲えるからだと見抜いていた。フィガロはショックを受け、伯爵を懲らしめるため、スザンナと伯爵夫人となったロジーナと策を練るが、混乱したフィガロの作戦はことごとく上手くいかない。これが、音楽祭のタイトルにもなっている原題「ラ・フォル・ジュルネ(狂乱の日)、あるいはフィガロの結婚」というオペラタイトルの由来である。名アリアがいくつもあり、ケルビーノ(少年だがメゾ・ソプラノの女性が歌う。いわゆるズボン役)のアリア「恋とはどんなものかしら」、フィガロのアリア「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」などは特に有名で、両曲ともカラオケに入っていたりする。ドン・バジリオの歌う「コジ・ファン・トゥッテ」はそのままダ・ポンテとの次回作のタイトルとなった。
指揮とフォルテピアノを担当する阪哲朗。ピリオドを援用した生き生きとした音像をセンチュリー響から引き出す。
びわ湖ホールのある大津に居を定めた阪。モーツァルトの音楽にも適性があり、今後の展開に期待が持てる。
松本重孝の演出はオーソドックスで、抑制された存在である女性像も的確に示している。
注目のソプラノである森谷真理演じる伯爵夫人の貫禄ある歌声、スザンナを演じた熊谷綾乃の可憐さも印象的であった。
2024年5月1日 三条高倉の京都文化博物館にて
三条高倉の京都文化博物館で、「松尾大社(まつのおたいしゃ)展 みやこの西の守護神(まもりがみ)」を観る。王城の西の護りを担った松尾大社(まつのおたいしゃ/まつおたいしゃ)が所蔵する史料や絵図、木像などを集めた展覧会。
松尾山山上の磐座を祀ったのが始まりとされる松尾大社。祭神の大山咋神(おおやまくいのかみ)は、「古事記」にも登場する古い神で、近江国の日吉大社にも祀られている。別名は「山王」。大山咋神は素戔嗚尊の孫とされる。松尾山山麓に社殿が造営されたのは701年(大宝元)で、飛鳥時代のことである。ちなみに、松尾大社の「松尾」は「まつのお」が古来からの正式な読み方であるが、「まつおたいしゃ」も慣例的に使われており、最寄り駅の阪急松尾大社駅は「まつおたいしゃ」を採用している。
社名も変化しており、最初は松尾社、その後に松尾神社に社名変更。松尾大社となるのは戦後になってからである。
神の系統を記した「神祇譜伝図記」がまず展示されているが、これは松尾大社と神道系の大学である三重県伊勢市の皇學館大学にしか伝わっていないものだという。
松尾大社があるのは、四条通の西の外れ。かつて葛野郡と呼ばれた場所である。渡来系の秦氏が治める土地で、松尾大社も秦氏の氏神であり、神官も代々秦氏が務めている。神官の秦氏の通字は「相」。秦氏は後に東家と南家に分かれるようになり、諍いなども起こったようである。
対して愛宕郡を治めたのが鴨氏で、上賀茂神社(賀茂別雷神社)、下鴨神社(賀茂御祖神社)の賀茂神社は鴨氏の神社である。両社には深い関係があるようで共に葵を社紋とし、賀茂神社は「東の厳神」、松尾大社は「西の猛神」と並び称され、王城の守護とされた。
秦氏は醸造技術に長けていたようで、松尾大社は酒の神とされ、全国の酒造会社から信仰を集めていて、神輿庫には普段は酒樽が集められている。今回の展覧会の音声ガイドも、上京区の佐々木酒造の息子である俳優の佐々木蔵之介が務めている(使わなかったけど)。
「名所絵巻」や「洛外図屏風」、「洛中洛外図」屏風が展示され、松尾大社も描かれているが、都の西の外れということもあって描写は比較的地味である。「洛中洛外図」屏風ではむしろ天守があった時代の二条城や方広寺大仏殿の方がずっと目立っている。建物のスケールが違うので仕方ないことではあるが。
松尾大社が酒の神として広く知られるようになったのは、狂言「福の神」に酒の場が出てくるようになってからのようで、福の神の面も展示されている。松尾大社の所蔵だが、面自体は比較的新しく昭和51年に打たれたもののようだ。
松尾大社で刃傷沙汰があったらしく、以後、神官による刃傷沙汰を禁ずる命令書が出されている。当時は神仏習合の時代なので、刃傷沙汰は「仏縁を絶つ」行為だと記されている。松尾大社の境内には以前は比較的大きな神宮寺や三重塔があったことが図で分かるが、現在は神宮寺も三重塔も消滅している。
PlayStationのコントローラーのようなものを使って、山上の磐座や松風苑という庭園をバーチャル移動出来るコーナーもある。
徳川家康から徳川家茂まで、14人中12人の将軍が松尾大社の税金免除と国家の安全を守るよう命じた朱印状が並んでいる。流石に慶喜はこういったものを出す余裕はなかったであろう。家康から秀忠、家光、館林出身の綱吉までは同じような重厚な筆致で、徳川将軍家が範とした書体が分かるが、8代吉宗から字体が一気にシャープなものに変わる。紀伊徳川家出身の吉宗。江戸から遠く離れた場所の出身だけに、書道の流派も違ったのであろう。以降、紀州系の将軍が続くが、みな吉宗に似た字を書いている。知的に障害があったのではないかとされる13代家定も書体は立派である。
豊臣秀吉も徳川将軍家と同じ内容の朱印状を出しており、織田信長も徳川や豊臣とは違った内容であるが、松尾大社に宛てた朱印状を出している。
細川藤孝(のちの号・幽斎)が年貢を安堵した書状も展示されている。
松尾大社は摂津国山本(今の兵庫県宝塚市)など遠く離れた場所にも所領を持っていた。伯耆国河村郡東郷(現在の鳥取県湯梨浜町。合併前には日本のハワイこと羽合町〈はわいちょう〉があったことで有名である)の荘園が一番大きかったようだ。東郷庄の図は現在は個人所蔵となっているもので、展示されていたのは東京大学史料編纂所が持っている写本である。描かれた土地全てが松尾大社のものなのかは分からないが、広大な土地を所有していたことが分かり、往事の神社の勢力が垣間見える。
その他に、社殿が傾きそうなので援助を頼むとの書状があったり、苔寺として知られる西芳寺との間にトラブルがあったことを訴えたりと、窮状を告げる文も存在している。
映像展示のスペースでは、松尾祭の様子が20分以上に渡って映されている。神輿が桂川を小船に乗せられて渡り、西大路七条の御旅所を経て、西寺跡まで行く様子が描かれる。実は西寺跡まで行くことには重要な意味合いが隠されているようで、松尾大社は御霊会を行わないが、実は御霊会の発祥の地が今はなき西寺で、往事は松尾大社も御霊会を行っていたのではないかという根拠になっているようだ。
室町時代に造られた松尾大社の社殿は重要文化財に指定されているが(松尾大社クラスでも重要文化財にしかならないというのが基準の厳しさを示している)、その他に木像が3体、重要文化財に指定されている。いずれも平安時代に作られたもので、女神像(市杵島姫命か)、男神像(老年。大山咋神か)、男神像(壮年。月読尊か)である。仏像を見る機会は多いが、神像を見ることは滅多にないので貴重である。いずれも当時の公家の格好に似せたものだと思われる。老年の男神は厳しい表情だが、壮年の男神像は穏やかな表情をしている。時代を考えれば保存状態は良さそうである。
神仏習合の時代ということで、松尾社一切経の展示もある。平安時代のもので重要文化財指定である。往事は神官も仏道に励んでいたことがこれで分かる。松尾社一切経は、1993年に日蓮宗の大学で史学科が有名な立正大学の調査によって上京区にある本門法華宗(日蓮宗系)の妙蓮寺で大量に発見されているが、調査が進んで幕末に移されたことが分かった。移したのは妙蓮寺の檀家の男で、姓名も判明しているという。
松尾大社は、摂社に月読神社を持つことで知られている。月読神(月読尊)は、天照大神、素戔嗚尊と共に生まれてきた姉弟神であるが、性別不詳で、生まれたことが分かるだけで特に何もしない神様である。だが、松尾大社の月読神はそれとは性格が異なり、壱岐島の月読神社からの勧請説や朝鮮系の神説があり、桂、桂川や葛野など「月」に掛かる地名と関連があるのではないかと見られている。
2024年5月2日
大映映画「舞台は廻る」を観る。1948年の作品。久生十蘭(ひさお・じゅうらん)の小説『月光の曲』が原作。脚本:八木沢武孝、監督:田中重雄。出演:三條美紀、若原雅夫、笠置シヅ子、齋藤達雄、潮万太郎、美奈川麗子、牧美沙、有馬脩ほか。演奏:淡谷のり子と大山秀雄楽団、クラックスタースヰング楽団(トランペットソロ:益田義一)。ダンス:SKDダンシングチーム。作曲:服部良一。
笠置シヅ子は歌手役で出演。「ヘイヘイ・ブギウギ(ヘイヘイブギー)」が主題歌になっているほか、「ラッパと娘」、「恋の峠路」、「還らぬ昔」など全4曲を歌っている。「ヘイヘイブギー」のリリースは1948年4月で「舞台は廻る」の封切りも同じ48年4月。ということで、やはりプロモーションを兼ねているようだ。「ヘイヘイブギー」は笠置シヅ子による本編の歌唱の後も女声コーラスなどによって歌い継がれ、延々と続く。
佐伯正人(齋藤達雄)と笠間夏子(笠置シヅ子)は元夫婦。離婚して、一人息子で8歳になる孝(有馬脩)は、佐伯が引き取ったが、夏子も孝を取り戻したいと考えている。
街頭で、佐伯と恋愛論を闘わせた雨宮節子(三條美紀)は、丹羽稔(若原雅夫)と婚約中で新居を探している。笠間夏子が出演するステージを観に来た節子は、横に座った孝が気になる。
箱根に住む節子。両親と兄と暮らしている。ある日、隣家からピアノの音が聞こえる。その家の主は、恋愛論を闘わせた相手、佐伯であった。佐伯は作曲家。笠間夏子のヒット曲は全て佐伯が作曲したものだった。
節子と孝の劇場での出会いのシーンで、笠置シヅ子演じる笠間夏子の「ラッパと娘」に続いて、淡谷のり子が大山秀雄楽団を従えて歌うシーンがある。
夏子と離婚してヒット曲が書けなくなる佐伯であるが、それから約10年後に笠置シヅ子を失うことで大ヒットに恵まれなくなった服部良一の未来を暗示しているようでもある。
箱根の家で友人を呼んで馬鹿騒ぎする佐伯。女の友人が「ラッパと娘」を歌って佐伯が怒るシーンがある。
夏子の楽屋をこっそり訪れた節子は、夏子と対面。孝について語り合う。
大阪弁の印象が強い笠置であるが、この映画では全て標準語で通している。
笠置シヅ子が歌うシーンが多く、ほとんど笠置シヅ子の歌を楽しむために作られたような映画である。
ヒロインの三條美紀は京都市の出身で、一応二世タレントということになるようだが、商業高校を出て大映の経理課にいたところ、社内上層部の目にとまり、演技課の女優へと転身したという変わり種で、その後長く活躍した。
若原雅夫は、新興キネマの俳優としてデビューし、大映を経て松竹に移って活躍するが、松竹を退社してフリーになった後はテレビに主舞台を移す。その後、病を得て引退している。現在の消息は不明。生きていれば100歳を優に超えている。
齋藤達雄は、若い頃にシンガポールで過ごしたという変わった人で、小津安二郎の映画の常連となり、1968年に65歳で死去している。
バイプレーヤーとして150本以上の映画に出演したという潮万太郎。91歳と長寿であった。
2024年5月6日
録画しておいた連続テレビ小説「ブギウギ 総集編」前・後編を見る。主演:趣里。出演:草彅剛、柳葉敏郎、水川あさみ、菊地凛子、水上恒司、生瀬勝久、黒崎煌代、伊原六花、蒼井優、翼和希、近藤芳正、黒田有、村上新悟、木野花、森永悠希、吉柳咲良、市川実和子、三浦獠太、みのすけ、中村倫也、藤間爽子、田中麗奈、水澤紳悟、小雪、三浦誠己、富田望生、ふせえり、陰山泰、新納慎也、安井順平、中越典子、橋本じゅん、升毅、澤井梨丘ほか。脚本:足立紳、櫻井剛。音楽:服部隆之。
「東京ブギウギ」などで知られるブギの女王、笠置シヅ子(歌手時代の表記は笠置シズ子)をモデルに、歌と踊りで綴る昭和絵巻。
1話15分だが、週5回放送、半年続くので、結構な長さであるが、総集編として上手くまとめてある。
ヒロインの福来スズ子を演じる趣里の歌の進歩が確認出来るのが大きい。第1回での「東京ブギウギ」では旋律通りの歌い方といった印象だが、次第に即興性を増し、最後のバラード版「東京ブギウギ」では本職の歌手も真っ青の出来まで高めている。
NHK大阪放送局(JOBK)の制作だけに、血の繋がらない親子や師弟関係、悲恋など人情の描き方も上手く、華やかさと哀しさを合わせ持った良作となっている。戦時突入で公演が思うように打てなくなる様子が、エンターテインメント界を直撃したコロナ禍にも繋がり、芸術や芸能のパワーを示すメッセージも込められている。
初の朝ドラ出演で、服部良一をモデルとした羽鳥善一を演じた草彅剛の存在感はやはり大きく、羽鳥が望んだ「ジャズ」を演技で体現しているかのよう。同時期に西島秀俊や濱田岳が指揮者役で他のドラマに出ていたが、草彅剛の動きと佇まいが一番指揮者っぽい。
意外に不評の声もあった富田望生や三浦獠太であるが、初々しさもあり、好演といって良いと思う。
少し抜けた弟、六郎を演じた黒崎煌代。高倍率のオーディションを何度も突破した猛者だが、人とは違ったキャラを巧みに演じている。実は脚本の足立紳の息子が発達障害の傾向があるそうで、そうした要素を取り入れることになったようである。
未来の大女優候補である伊原六花。OSKで40年以上に渡って舞台に立ち続けたという秋月恵美子がモデルとされる秋山美月を、最初は少し生意気な後輩として、後には東京でスズ子と同居しながら夢を追う盟友として生き生きと演じていた。彼女は「バブリーダンス」で有名になった大阪府立登美丘高校ダンス部の元キャプテンであり、梅丸少女歌劇団を引っ張って行くであろう姿が様になっていた。
2024年4月27日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて
午後2時から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、坂本龍一の音楽+コンセプト、高谷史郎(ダムタイプ)のヴィジュアルデザイン+コンセプトによるシアターピース「TIME」を観る。坂本が「京都会議」と呼んでいる京都での泊まり込み合宿で構想を固めたもので、2019年に坂本と高谷史郎夫妻、浅田彰による2週間の「京都会議」が行われ、翌2020年の坂本と高谷との1週間の「京都会議」で大筋が決定している。当初は1999年に初演された「LIFE」のようなオペラの制作が計画されていたようだが、「京都会議」を重ねるにつれて、パフォーマンスとインスタレーションの中間のようなシアターピースへと構想が変化し、「能の影響を受けた音楽劇」として完成されている。
2021年の6月にオランダのアムステルダムで行われたホランド・フェスティバルで世界初演が行われ(於・ガショーダー、ウェスタガス劇場)、その後、今年の3月上旬の台湾・台中の臺中國家歌劇院でのアジア初演を経て、今年3月28日の坂本の一周忌に東京・初台の新国立劇場中劇場で日本初演が、そして今日、ロームシアター京都メインホールで京都・関西初演が行われる。
京都を本拠地とするダムタイプの高谷史郎との作業の中で坂本龍一もダムタイプに加わっており、ダムタイプの作品と見ることも出来る。
出演は、田中泯(ダンサー)、宮田まゆみ(笙)、石原淋(ダンサー)。実質的には田中泯の主演作である。上演時間約1時間20分。
なお、シャボン玉石けんの特別協賛を受けており、配布されたチラシや有料パンフレットには、坂本龍一とシャボン玉石けん株式会社の代表取締役社長である森田隼人との対談(2015年収録)が載っており、来場者には「浴用 シャボン玉石けん 無添加」が無料で配られた。
「TIME」は坂本のニュートン時間への懐疑から構想が始まっており、絶対的に進行する時間は存在せず、人間が人為的に作り上げたものとの考えから、自然と人間の対比、ロゴス(論理、言語)とピュシス(自然そのもの)の対立が主なテーマとなっている。
舞台中央に水が張られたスペースがある。雨音が響き、鈴の音がして、やがて宮田まゆみが笙を吹きながら現れて、舞台を下手から上手へと横切っていく。水の張られたスペースも速度を落とすことなく通り過ぎる。
続いて、うねるようでありながらどこか感傷的な、いかにも坂本作品らしい弦楽の旋律が聞こえ、舞台上手から田中泯が現れる。背後のスクリーンには田中のアップの映像が映る。田中泯は、水の張られたスペースを前に戸惑う。結局、最初は水に手を付けただけで退場する。
暗転。
次の場面では田中泯は舞台下手に移動している。水の張られたスペースには一人の女性(石原淋)が横たわっている。録音された田中泯の朗読による夏目漱石の「夢十夜」より第1夜が流れる。「死ぬ」と予告して実際に死んでしまった女性の話であり、主人公の男はその遺体を真珠貝で掘った穴に埋め、女の遺言通り100年待つことになる。
背後のスクリーンには石垣の中に何かを探す田中泯の映像が映り、田中泯もそれに合わせて動き出す。
暗転後、田中泯は再び上手に移っている。スタッフにより床几のようなものが水を張ったスペースに置かれ、田中泯はその上で横になる。「邯鄲」の故事が録音された田中の声によって朗読される。廬生という男が、邯鄲の里にある宿で眠りに落ちる。夢の中で廬生は王位を継ぐことになる。
田中泯は、水を張ったスペースにロゴスの象徴であるレンガ状の石を並べ、向こう岸へと向かう橋にしようとする。途中、木の枝も水に浸けられる。
漱石の「夢十夜」と「邯鄲」の続きの朗読が録音で流れる。この作品では荘子の「胡蝶之夢」も取り上げられるが、スクリーンに漢文が映るのみである。いずれも夢を題材としたテキストだが、夢の中では時間は膨張し「時間というものの特性が破壊される」、「時間は幻想」として、時間の規則性へのアンチテーゼとして用いているようだ。
弦楽や鈴の響き、藤田流十一世宗家・藤田六郎兵衛の能管の音(2018年6月録音)が流れる中で、田中泯は橋の続きを作ろうとするが、水が上から浴びせられて土砂降りの描写となり、背後にスローモーションにした激流のようなものが映る。それでも田中泯は橋を作り続けようとするが力尽きる。
宮田まゆみが何事もなかったかのように笙を吹きながら舞台下手から現れ、水を張ったスペースも水紋を作りながら難なく通り抜け、舞台上手へと通り抜けて作品は終わる。
自然を克服しようとした人間が打ちのめされ、自然は優雅にその姿を見守るという内容である。
坂本の音楽は、坂本節の利いた弦楽の響きの他に、アンビエント系の点描のような音響を築いており、音楽が自然の側に寄り添っているような印象も受ける。
田中泯は朗読にも味があり、ダンサーらしい神経の行き届いた動きに見応えがあった。
「夢の世界」を描いたとする高谷による映像も効果的だったように思う。
最初と最後だけ現れるという贅沢な使い方をされている宮田まゆみ。笙の第一人者だけに凜とした佇まいで、何者にも脅かされない神性に近いものが感じられた。
オランダでの初演の時、坂本はすでに病室にあり、現場への指示もリモートでしか行えない状態で、実演の様子もストリーミング配信で見ている。3日間の3公演で、最終日は「かなり良いものができた」「あるべき形が見えた」と思った坂本だが、不意に自作への破壊願望が起こったそうで、「完成」という形態が作品の固定化に繋がることが耐えがたかったようである。
最後は高谷史郎が客席から登場し、拍手を受けた。なお、上演中を除いてはホール内撮影可となっており、終演後、多くの人が舞台セットをスマホのカメラに収めていた。
2024年4月23日 木屋町のUrBANGUILDにて観劇
午後7時30分から、木屋町のUrBANGUILDで、広田ゆうみ+二口大学の公演「舞え舞えかたつむり」を観る。作:別役実、演出:広田ゆうみ。広田ゆうみと二口大学による二人芝居である。ライブハウス(イベントスペース)での上演であるが、満員御礼となっている。
「舞え舞えかたつむり」は、昭和27年に起こった「荒川放水路バラバラ殺人事件(巡査バラバラ殺人事件)」を下敷きにした一種の心理劇である。刑事ものであるが登場人物が二人に絞られているというのが特徴。
出てくるのは小学校の教師である井上富美子(ふみこ。演じるのは広田ゆうみ)と富美子の旦那が務めていた板橋区の志村警察署(実在する)に所属する刑事(二口大学)である。富美子は大阪の出身という設定であるが、一部を除いて大阪弁や関西風のアクセントは出ない。
七段飾りのひな人形が舞台の真ん中にしつらえられている。五人囃子の一人が欠けているが、その理由は後に語られる。
J・S・バッハの無伴奏チェロ組曲第1番プレリュードが流れてスタート(無伴奏チェロ組曲が流れるのは、別役による指示である)。井上富美子は着物姿で登場する。実は3月も中旬になった頃が舞台であり、ひな飾りがあるのはおかしいのだが、富美子本人の言動も不可解である。母親(シカという名前)や弟(あきらという名前)を呼ぶのだが、二人が出てくることはない。また独り言も多い。
荒川でバラバラになった遺体が発見されたという事件概要は録音された影アナで流される。時代設定は、モデルとなった事件が起こったのと同じ昭和27年である。被害者の職業が志村警察署の巡査で名前が忠夫、犯人は志村第三小学校(実在する)で教諭をしていた妻で、富美子という名前や大阪出身というのも一緒。家族構成も一致している。
富美子は母や弟をしきりに呼ぶが、実は二人ともこの家にはいない。志村署に保護されているのだ。訪ねてきた刑事に富美子は、夫に借金があったこと、赤羽駅前の「みどり」というバーに勤めるスズキツネという女性と夫が愛人関係にあったこと、タジマというヤクザの男と付き合いがあることなどを述べるが、夫は借金はしておらず、スズキツネという女性は実在していない、タジマの正体はおそらくタシロという名のヤクザだと思われるが、タシロと井上巡査との間に接点は一切ないことを刑事は明かす。
上演時間約65分の中編であるが、溶暗の回数が多く、殺害の場面が再現されたり、遺体をバラバラにしている時の様子が出演者の声によって語られたりするなど、生々しいシーンも多い。遺体をバラバラにしているシーンでは、再びJ・S・バッハの無伴奏チェロ組曲第1番プレリュードが流れる。
「荒川放水路バラバラ殺人事件」の犯行動機は、夫の素行不良や今でいうDV(当時の名称で言うと「家庭内暴力」)というありふれたものであったが、「舞え舞えかたつむり」の犯行動機は、意外なものである。憎悪の感情の複雑さが描かれている。
富美子は風鈴の幻聴を聞き続けるのだが、この風鈴が犯行動機に関わっている。風鈴の音が聞こえなくなったことが殺意へと結びついたのだ。
タイトルの「舞え舞えかたつむり」は、風鈴から下がった短冊に書かれていた言葉だが、出典は「梁塵秘抄」のようである。
バラバラ殺人は猟奇的な動機のものを除けば犯人が女であることも多く、外資系企業に勤めるエリートサラリーマンをお嬢様大学卒で社長令嬢の美人妻が撲殺して遺体をバラバラにしたことで話題になった「新宿・渋谷エリートバラバラ殺人事件」(犯人は刑期を終えて最近、出所したはずである)もそうだが、体力的に劣る女性が遺体を運搬するにはバラバラにして部分部分を軽くして運ぶしかないというのもその理由の一つであり、「荒川放水路バラバラ殺人事件」も同様の理由で遺体がバラバラにされている。
2024年4月25日
1947年制作の東宝映画「春の饗宴」を観る。脚本・製作・演出(監督):山本嘉次郎。出演:池部良、若山セツコ、藤原釜足、轟夕起子、笠置シズ子(笠置シヅ子。流行歌手時の芸名が笠置シズ子、女優専念以降の芸名が笠置シヅ子である)、橘薫(本人役で出演)、進藤英太郎ほか。東宝舞踊団(T・D・A)のメンバーが全員出演している(大阪の舞踊団という設定なので大阪弁を話す)。作曲・音楽監督:服部良一。演奏:東宝交響楽団。演出補佐に後に「ゴジラ」シリーズを撮る本多猪四郎の名が見える。
1948年の正月映画として制作され、1947年の年末に公開されたもので、娯楽色が強い。
古い時代の映画なので、セリフが聞き取りにくいところがある。
雨の降り続ける東京。老舗劇場の東京座で、100万円当選の宝くじの抽選会が行われようとしている。東京座は、大阪の会社に身売りされるという情報があり、芸能担当の新聞記者、早坂三平(池部良)もその噂を知っている。山岡という大阪の男(進藤英太郎)が買収を進めており、劇場の内装を作り替えてダンスホールやカフェにしようと計画している。山岡はオペラ歌手の三村珠子にはレビューとオペラの常打ち小屋になると別の話をしていた。
100万円の当選者であるが現れない。実は東京座の電気係をしている神田老人(藤原釜足)の孫娘であるみよ子(若山セツコ)が当選券を手にしていたのだが、恐ろしくて名乗り出ることが出来なかったのだ。早坂は当選者について聞き込みを始める。
そんなことをよそに、大阪歌劇団による東京公演のレビューが延々と続いていくというストーリーである。
大阪のオペラの女王・三村珠子役の轟夕起子、大阪のジャズの女王・淡島蘭子役の笠置シズ子の歌唱シーンもあり、笠置シズ子は、「センチメンタル・ダイナ」や当時ラジオで大ヒット中の「東京ブギウギ」など数曲を歌っている。ソウルフルな歌声が特徴である。「東京ブギウギ」のSP盤が発売されるのは、1948年の1月ということで、この映画はそのプロモーションも兼ねていた。舞台上にいるのはほぼ全員大阪人という設定で、笠置シズ子も出身地である大阪の言葉を使っているが、ステージ上では東京の言葉も上品に操る。
ちなみに宝くじの当選番号は、番号入りの浮かび上がる風船を笠置シズ子演じる淡島蘭子がボウガンを使って矢で射るという物騒な方法が用いられているが、安全面がかなり気になる。
暴風雨となり、停電で公演は中断。都電などの交通機関も止まってしまったため、自家発電で照明が確保された劇場は終夜開放されることになり、やがてステージ上に歌手やダンサーが現れ、客席の客も促されて全員で踊ることになる。1947年ということで、まだ西洋のダンスが普及しておらず、皆踊りが盆踊りの身振りなのが時代を感じさせる。
面白いのは「雨のブルース」をダンスミュージックにしてステージ上の出演者達が皆で踊る場面があるところ。原曲のイメージをかなり変えるシーンである。
出演者のその後について記す。池部良は、「青い山脈」などに主演して天下の二枚目俳優としての地位を築き、立教大学文学部卒でシナリオも学んだ元映画監督志望という経歴を生かして随筆家としても活躍。日本映画俳優協会の初代理事長も務めている。92歳の長命であった。
宝塚歌劇団出身の轟夕起子は、「原節子似」と言われた美貌と、宝塚出身の歌唱力を生かして活躍するも、次第に体型が肥満化したため性格俳優へと移行。しかし病を得て49歳の若さで他界する。
笠置シズ子は、服部良一とのコンビで次々にブギの名曲を世に送り出し、「ブギの女王」の称号を手にするが、約10年後の1957年に体力の衰えから42歳の若さで歌手を引退。女優、笠置シヅ子として母親役などで映画やテレビ、ラジオドラマなどに出演。「家族そろって歌合戦」の審査員やカネヨ石鹸のクレンザー、カネヨンのCMなどで親しまれた。1985年に70歳で他界。
ヒロインである若山セツコは、後に若山セツ子に改名。「青い山脈」などに出演して清純派スターとして人気となり、1961年に一度女優を引退するもその後に復帰。しかし次第に精神を病むようになり、55歳で自殺して果てた。
2024年4月13日 左京区岡崎の京都国立近代美術館にて
左京区岡崎の京都国立近代美術館で、没後100年 富岡鉄斎「Tessai」を観る。「最後の文人画家」とも呼ばれ、京都で活躍した富岡鉄斎の展覧会である。
富岡鉄斎は、1837年(天保7)の生まれ。坂本龍馬の1つ年下となる。長命で数えで89歳となる1924年(大正13)の大晦日まで生きた。1924年は関東大震災の翌年であるが、鉄斎も義援金を送っている。
三条新町の法衣商の家に生まれる。富岡家の先祖は石田梅岩から直接、石門心学を教わっており、代々、心学の教えが受け継がれてきた。鉄斎も心学を学び、その後、儒学、国学、漢学、南画、仏典、詩文、書、陽明学、勤王思想などを学んで、勤皇派の人物とも交流を持つ。坂本龍馬が暗殺された近江屋事件の当日に近江屋を訪れて、自作の「梅椿図」の掛け軸を贈った(結果としてその掛け軸は龍馬の血染めの掛け軸として有名になる)勤皇派文人の板倉筑前介(淡海槐堂)とは友人である。長崎遊学時代には龍馬の支援者でもあった文人画家・書家の小曽根乾堂にも師事している。19歳の頃には北白川(今の左京区北白川)の心性寺(現在の日本バプテスト病院付近にあった。廃寺となり現存しない)で、歌人で陶芸家の太田垣蓮月尼の学僕として住み込みで学んでいる。
儒学者を志し、それなりに評価もあったようだが、聖護院村(現在の左京区聖護院)に開いた私塾は繁盛せず、絵を描いて収入を得るようになる。若い頃には複数の神社の宮司も務めた。その中には有名な社も含まれる。
文人画家の心得である「万巻の書を読み、万里の道を征く」を座右の銘とした人物であり、日本国中を旅して回った。北海道の名付け親である松浦武四郎とも親しく、北海道にも渡っている。また富士山を愛し、たびたび絵の題材とした。
勤皇家ということで、明治天皇の東京行きの際には同行しているが、母親が亡くなったため、すぐに京都に戻っている。今の京都市内で度々転居を繰り返し、頼山陽の邸宅であった鴨川沿いの山紫水明處で暮らしたこともあったが、明治14年に室町一条下ルの薬屋町に転居し、ここが終の棲家となった。屋敷内には無量寿仏堂という名のアトリエがあったようである。
教育者としても活動し、西園寺公望の私塾・立命館で教えたほか、京都市美術学校(現在の京都市立芸術大学美術学部及び京都市立美術工芸高校の前身)でも教員となっている。美術学校の教師ではあるが、教えていたのは絵ではなく修身(道徳)だったようで、鉄斎自身は自分のことを学者と見なしていたようである。
鉄斎の絵の特徴はまず余白が少ないこと。ダイナミックで迫力があり、山岳の描写なども筋骨隆々といった感じで、男性的である。絵の中心に描く対象を縦に並べたり、中心に川や道といった縦の空間を作って、その横に家屋や人物を並べるなど、センターラインを重視した構図のものが多い。また自然の描写が雄渾なのと対照的に人物は小さく可愛らしく描かれており、対比がなされている。人物画の特徴は細くて吊り上がった目の持ち主が多く描かれていることで、南画の影響かとも思われる。
刻印収集が趣味であり、淡海槐堂や松浦武四郎らの篆刻による刻印がずらりと展示されている。鉄斎自身も篆刻を行った。
書家としても評価されていたようで、力強い筆致が印象的である。
2024年4月22日 京都シネマにて
京都シネマで、イギリス映画「異人たち」を観る。日本を代表する脚本家で、昨年亡くなった山田太一の小説『異人たちとの夏』(1987年刊行)を原作とした作品である。第1回山本周五郎賞を受賞した『異人たちとの夏』は山田太一の小説家としての代表作と言える。
大林宣彦の監督により1988年に映画化されているが、山田太一は脚本には関わらず、市川森一に任せている。大林宣彦監督版「異人たちとの夏」(出演:風間杜夫、片岡鶴太郎、秋吉久美子、名取裕子、永島敏行ほか)は評価も高く、これが映画デビュー作となった片岡鶴太郎は、キネマ旬報賞、ブルーリボン賞、日本アカデミー賞で助演男優賞を獲得。日本アカデミー賞受賞時は男泣きした。鶴太郎が俳優として認識されるきっかけを作った作品でもある。
その他、大林宣彦監督が毎日映画コンクール監督賞、秋吉久美子が毎日映画コンクールとブルーリボン賞の助演女優賞、市川森一が日本アカデミー賞の脚本賞を受賞している。作品自体もファンタスティック映画祭審査員特別賞を受賞した。風間杜夫の代表作の一つであるとも思われるが、意外にも無冠である。風間杜夫演じる脚本家の原田はプッチーニのオペラを愛聴しているが、私がプッチーニという作曲家を知るきっかけとなったのはこの映画であった。
舞台化も何度かされており、椎名桔平の主演による2009年の公演がメジャーで、すき焼き屋のシーンでは、実際に舞台上ですき焼きを作り、芳香が客席にまで立ちこめていた。
2003年に『異人たちとの夏』の英訳版が出版され、大林宣彦監督の映画も含めて広く知られた存在になっているという。今回のイギリス制作の映画は、2003年の英訳版『異人たちとの夏』を原作に、大幅な改変を加えて映画化されたものである。大林宣彦版の映画とは趣が大きく異なり、ほとんど参考にされていないようだ。
ロンドンの高層マンションと、そこから電車で少し掛かる郊外の住宅街が主舞台となっている。
監督:アンドリュー・ヘイ。出演:アンドリュー・スコット、ポール・メスカル、ジェイミー・ベル、クレア・フォイほか。
ロンドンの高層マンションに住む脚本家のアダム(アンドリュー・スコット)は、スランプ気味であるようで、ダラダラとした生活を送っている。アダムが住むマンションは夜になると人気がなくなる。友達が一人もいないアダムは孤独な日々を過ごしている。ある夜、マンションの6階に住むハリー(スコット・ポール)という男が訪ねてくる。寂しいので日本産のウイスキーでも一緒にどうかと勧めるハリー。アダムはゲイであり、同じくゲイであるハリーもそれを見抜いているようだったが、アダムはハリーを室内には入れずに帰す。
12歳になる前に両親を交通事故で亡くしたアダム。ふと思い立って子ども時代を過ごした郊外の住宅街を訪れる。そこでアダムは亡くなったはずの両親と出会う。それがきっかけで、アダムは両親を題材にした脚本を書き始めることになる。
両親はアダムが物書きになったことを喜ぶが、ゲイだと告白したことに戸惑いも見せる。
アダムはハリーとの仲も深めていくが、ゲイであるために差別され、子どもの頃から、からかわれたりいじめられたりしたことが深い傷となっている。だがそのことを両親に告げることが出来なかった。再会した父親にも、自分がアダムの同級生だったらいじめに加わっていただろうと告げられる。ハリーもまた同じような境遇にあったことが察せられ、最初にアダムの部屋を訪れた時から孤独に押しつぶされそうな雰囲気を湛えていた。
「孤独」を主題にした作品に置き換えられている。原作や大林版の映画にも恐ろしく孤独な女性が登場するのだが、男女の恋愛要素も強くなっている。だが、今回のアンドリュー・ヘイ版では、二人ともゲイであるということで、濃密なラブシーンこそあるが、周囲から理解されない孤独な魂を抱えた二人の話となっている。大林版では、日本的な抒情美や東京の下町を舞台としたことから起こるノスタルジアも印象的であったが、今回の映画からはそうしたものはほとんど感じられない。また実は山田太一の原作は結構怖い話であり、大林版の映画にもそうした部分はあるのだが、そうしたものは今回の映画では省かれている。
大林宣彦作品のイギリス版を期待するとかなりの違和感を覚えるはずであり、全く別の映画として捉えた方が良いように思える。
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