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2024年6月の10件の記事

2024年6月20日 (木)

観劇感想精選(463) 第73回京都薪能 「光源氏の夢」初日

2024年6月1日 左京区岡崎の平安神宮境内特設会場にて

左京区岡崎の平安神宮で行われる第73回京都薪能。午後6時開演である。今回は「光源氏の夢」というタイトルが付いている。演目は、「半蔀(はじとみ)」(観世流)、「葵上」(金剛流)、狂言「おばんと光君(ひかるきみ)」(大蔵流)、「土蜘蛛」(観世流)。
思ったよりも人が多く、最初は立ち見。その後、補助席が設けられた。どうやら京都市京セラ美術館から椅子を借りてきたようである。

まずナビ狂言として、茂山千五郎家の茂山茂(しげやま・しげる)と井口竜也が登場。京都薪能があるので急いでいるという設定で、茂山茂が、「西宮神社の福男」に例えて一番乗りを目指すのが京都薪能の見方だと語る。ちなみに今年から指定席も設けられたことも紹介される(ただし高い)。井口竜也から今年の京都薪能の演目を聞かれた茂山茂は、「今年はNHK大河ドラマが『光る君へ』ゆえ、『源氏物語』にちなんだ演目が揃っておりまする」
井口「それは、『ちなんだ』というよりも、『便乗商ほ……』」
茂山「シーッ!」
確かに例年より客が多いような気がする。「光る君へ」は低視聴率が続いているが、なんだかんだでテレビの影響力は大きい。
井口「それがし、能についてはようわからんのだが」
茂山「そういう方のために、パンフレットを販売しております。あとイヤホンガイドも貸し出してございます」
井口と茂山は、その後、「半蔀」の紹介(そもそも半蔀とは何かから説明する)などを行う。

能「半蔀」。『源氏物語』の中でもホライックな場面として教科書などでもお馴染みの「夕顔」を題材にした演目である。シテの夕顔の亡霊を演じる松井美樹さんとは知り合いなのだが、長いこと顔を合わせていない。
北山の雲林院(今も大徳寺の塔頭として規模と宗派は異なるが同じ名前の後継寺院がある)の僧が花供養をしていると、女がやって来て夕顔の花を捧げる。女は「五条あたりにいた者」と名乗る。
僧が五条の夕顔の咲いた茅屋を訪ねると、半蔀を開けて夕顔の亡霊が現れる(そもそも光源氏は半蔀を開けていた夕顔を見初めたのである)。夕顔は夕顔の花にまつわる光源氏との思い出を語る。

「半蔀」の上演後、平安神宮の本殿から神官によって火が運ばれ、薪に移す火入式が行われる。傍らでは消防の方々が見守る。

その後、松井孝治京都市長による挨拶がある。松井市長は「文化首都・京都」を掲げて当選。古典芸能を愛するほか、自称「クラオタ(クラシックオタク)」で、X(旧Twitter)などを見ると沖澤のどかの追っかけをしていたりするのが確認出来る。そんな市長なので、文化芸能について語るのかと思いきや、それを後回しにして、「まずお詫びがございます」と始める。立ち見の方が出てしまったことや今も立ち見状態の方へのお詫びだった。座席数よりかなり多くのチケットを売ってしまった訳で、やはりこれは計算ミスだったであろう。

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再びナビ狂言の茂山茂と井口竜也が登場し、「葵上」について語る。
井口「しかし肝心の葵上の名前がないが、これはミスプリか?」
茂山「いえいえ」
葵上は病気になって寝ているという設定で、着物(小袖)を敷いて葵上に見立てる。茂山茂が着物を敷いた。

能「葵上」。今でいうメンヘラの六条御息所が生き霊となって葵上に祟るという内容である。
葵上が病で伏せっている(着物しかないが寝ているという設定)。そこへ照日巫女が連れてこられ、梓弓の呪法を行う。夕顔の名も登場する。破れ車に乗った六条御息所の怨霊が現れ、愚痴りまくった上で、恨み(賀茂の祭りこと葵祭での車争いの恨みとされる)を晴らそうとする。結構激しいシーンとなる。
比叡山の横川の小聖が呼ばれることになる。横川まではかなり遠いはずだが、物語の展開上、早く着く。横川の小聖は延暦寺ではなく修験道の行者である。小聖は苦戦の末、六条御息所の霊をなんとか調伏する。


狂言「おばんと光君」。光源氏が出てくる狂言の演目は古典にはないそうで、そこで明治以降に書かれた現代狂言の中から、光源氏ならぬほたる源氏(茂山逸平)、頭中将ならぬとうふの中将(茂山忠三郎)、惟光ならぬあれ光(鈴木実)とそれ光(山下守之)などが登場するパロディが上演される。パロディということで、表現も思いっきり砕けており、「熟女」という比較的新しい言葉が使われたり、「スキャンダル」という英語が用いられたり、「文春砲」という芸能用語が飛び出したりする。
ほたる源氏も光源氏同様にモテモテで、声を掛ければどんな女でもなびくので面白くなくなり、これまで抱いたことのない熟女にチャレンジしようと決めたことから起こるドタバタ劇で、途中、歌舞伎の「だんまり」に似た場面もある。

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能「土蜘蛛」。京都では壬生狂言でも人気の演目である。ちなみに「土蜘蛛」は明日も金剛流のものが上演されるので、明日も観る予定がある場合は、ここで席を立つ人も多かった。
源頼光が主人公であるが、四天王は登場しない。その代わり、独武者という頼光の従者が登場する(四天王の誰かに当たるのかも知れないが、名前がないので分からない)。
頼光が病気で伏せっていると、僧侶が現れる。僧侶の正体は葛城山の土蜘蛛で、頼光に蜘蛛の糸を投げつける。
土蜘蛛と独武者との大立ち回りが見物の演目である。
土蜘蛛の正体は、大和葛城郡を根拠地とし、渡来人を多く抱えていた有力豪族の葛城氏であるとされる。葛城氏はその後に滅ぼされることになるが、土蜘蛛伝説となって後世に存在を残すこととなった。

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2024年6月18日 (火)

ホームドラマチャンネル「笠置シヅ子スヰング伝説」

2024年6月10日

録画しておいたホームドラマチャンネルのオリジナル特番「笠置シヅ子スヰング伝説」を見る。司会は佐藤利明。「スヰングかっぽれ ラッパと娘」「HOT CHINA 聖林(ハリウッド)見物」「HOT CHINA ほっとちゃいな」という神戸映画資料館から見つかった3本のショートフィルムが公開される。
いずれも笠置シヅ子が、SGDこと松竹楽劇団に所属していた26歳頃の映像である。

「スヰングかっぽれ ラッパと娘」には、まず、やんちゃガールズという4人組(荒川おとめ、雲井みね子、志摩佐代子、波多美喜子)の女性グループが現れ、「スヰングかっぽれ」を踊りながら歌う。続いて、笠置シズ子(笠置シヅ子)が現れ、デビュー曲の「ラッパと娘」を歌う。音声も映像も古いので途中で飛んだり、ノイズが多かったりするが、戦前の笠置シヅ子の映像は存在しないとされていただけに貴重である。単に映像を撮っているだけではなく、トランペットの映像を重ねるなど、当時としては凝った編集が施されている。トランペット独奏は斉藤広義。SGDスイングバンドのバンドマスターで、「ラッパと娘」のSP盤でもトランペットを吹いている奏者である。新交響楽団、日本交響楽団(いずれもNHK交響楽団の前身)を経て、大阪に渡り、関西交響楽団(大阪フィルハーモニー交響楽団の前身)の首席トランペット奏者として活躍した。

「HOT CHINA 聖林見物」。聖林というのは、Hollywood(柊林)のHollyをHolyだと勘違いして付けられた日本語表記である。
まず、リズム・ボーイズ(一條徹、上白潔、飛鳥亮、三上芳夫。「あすか・りょう」という人物がいるのが面白い)の「お江戸日本橋」の歌唱があり、SGDスイングバンドの演奏を経て、笠置シズ子が登場して「紺屋高尾の聖林見物」を歌う。「紺屋高尾の聖林見物」は、篠田実の浪曲「紺屋高尾」を服部良一がジャズ化したもので、途中でアニメーションが挿入され、笠置シズ子がハリウッド俳優のタイロン・パワーと出会う様が描かれている。

「HOT CHINA ほっとちゃいな」は、笠置シズ子の「ホットチャイナ」と、やんちゃガールが「支那の夜」ならぬ「支那の朝」を歌う様が収録されている。
SGDスイングバンドの華麗な演奏(予想以上に上手い)に始まり、爆竹の鳴る映像が流れて、笠置シズ子が中華風の衣装を纏って登場して歌う。普段よく見るのは、笠置シズ子が「東京ブギウギ」を発表して以降の映像なので、若くて可愛らしい頃の笠置シズ子の映像を見ることが出来るのは新鮮な心地を覚える。
やんちゃガールズは、まず「支那の夜」(李香蘭主演の同名映画の主題歌。渡辺はま子が歌った)を歌い、その後、小芝居を挟んで、中国を題材にした楽曲を次々に歌い、最後は「支那の夜」のパロディーである「支那の朝」を歌って終わる。途中でタップを踏む場面があるなど、やんちゃガールズがかなり器用な女性の集まりであることが分かる。

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2024年6月17日 (月)

スタジアムにて(43) 日本生命セ・パ交流戦2024 オリックス・バファローズ対東京ヤクルトスワローズ第1戦 奥川恭伸復帰登板 2024.6.14@京セラドーム大阪

2024年6月14日 京セラドーム大阪にて

京セラドーム大阪で、日本生命セ・パ交流戦、オリックス・バファローズ対東京ヤクルトスワローズの一戦を観戦。久しぶりの京セラドーム大阪であり、久しぶりの東京ヤクルトスワローズの試合観戦である。午後6時プレーボール。

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試合前には、山田哲人の母校である履正社高校の吹奏楽部とチアリーディング部によるパフォーマンスがある。履正社高校のチアリーディング部は意外に歴史が浅く、創部からまだ2年しか経っていないそうだ。

その山田哲人は今日は出場はなく、セカンドには武岡龍世が9番バッターとして入る。
今日のスワローズ打線は、相手投手が右腕のカスティーヨということもあるが、両外国人と捕手の松本直樹以外の6人が左バッターである。相手が右腕だからというだけでなく、主力に右投げ左打ちが多いということでもある。

今日のスワローズの先発は奥川恭伸。金沢・星陵高校時代に高校ナンバーワン投手と呼ばれ、甲子園では準優勝。ドラフト1位でスワローズに入団し、2年目には中10日前後という余裕を持たせた登板で規定投球回数未到達ながらチームトップタイの9勝を挙げて優勝と日本一に貢献し、ブレークしたが、翌年はコンディション不良で投球がままならず、オフには肘の故障によりトミー・ジョン手術を勧められるが、手術は避け、保存的療法を選択する。

4年目となる2023年は二軍では投げて、それなりに好投することもあったが成績自体はよくはなく、更に右足首の骨折により戦線離脱していた。

奥川が背負っていた背番号11は、ヤクルトスワローズの準エースナンバーであるが、歴代の背番号11の選手の中には、荒木大輔や由規(佐藤由規)といった、活躍はしたが長期離脱も経験した選手が複数含まれおり、また奥川も背番号変更を望んだため、験担ぎの意味も込めて背番号を18に変えている。12球団共通のエースナンバーであるとされる18(たまに野手がつけたりもするが)であるが、ヤクルトで成功した背番号18は伊東昭光と藤井秀悟が目立つ程度。特に藤井は背番号23の時の方が活躍している。先に背番号18をつけていた寺島成輝(てらしま・なるき)は、高校ナンバーワン左腕としてドラフト1位で履正社高校から入団しながらほとんど活躍できずにチームを去っており、その前の背番号18である杉浦稔大(すぎうら・としひろ)も即戦力右腕としてドラフト1位で國學院大學から入団したが、入団直後に右肘靱帯断裂の故障が判明し、その後も不振のままトレードで北海道日本ハムファイターズに移っている。ということでスワローズに関しては18も余り良い番号ではない。

奥川は、今年の1月1日に、帰省していた石川県かほく市の実家で令和6年能登半島地震に遭遇。隣町の親戚宅に避難している。


今日の京セラドーム大阪はブラザーDAYとして、バファローズ高校という架空の高校が設定され、甲子園球場での高校野球でアナウンスをしていた女性(ウグイス嬢とはもういわないのかな?)が招かれて、バファローズの選手は高校野球同様に「君」付けでアナウンスされ、出身高校が呼ばれる。大卒や社会人経由の選手もそれらの経歴には触れられず、高校のみである。甲子園の常連校出身者もいれば、甲子園には縁がないが地方では強豪の高校を出た選手、そして全くの無名校出身の選手もいる。出身高校の知名度とプロでの実績が必ずしも一致しているわけではない。オーロラビジョンには選手の高校時代の写真が映る。甲子園に出ている選手は甲子園での写真が選ばれているが、そうでない選手は地方大会や練習試合での写真。それもない場合は卒業アルバムの写真が用いられる。

オリックス・バファローズの先発はドミニカ出身のカスティーヨ君。外国人の選手であっても出身高校名(リセオ・パドレ・ファンティノ高校)はコールされる。MAX152キロを記録するが、球が走っているという感じはなく、本人も自覚があるのか、ストレートは見せ球に使って、スライダーなどの変化球で勝負する。今日の京セラドーム大阪のスピードガンは、全体的に跳ね気味で、実際よりも2~3キロほど速く計時されているような印象を受けた。

スワローズは先頭打者の西川遥輝がファーストゴロを放つが、カバーに入ったカスティーヨがボールを後逸。いきなりのエラーでトップバッターが出塁する。2番の丸山和郁が送りバントを決め、一死二塁。長岡秀樹は凡退するが、4番の村上宗隆がセンター前に抜ける当たりを放ち、西川が生還して、スワローズが先制点を奪う。


奥川恭伸は、ストレートのMAXは151キロ。球速よりも打者の手元での伸びが感じられるストレートで、押されてファールになったり、いい当たりでも途中で失速して野手が追いつくという場面が見られる。
ただ奥川もストレート主体というよりは、スライダー、カット、フォークなどを織り交ぜて打たせるピッチングである。

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ちなみにオリックスの1番バッターは、廣岡大志君(智弁学園出身)。スワローズ時代は大型ショートとして将来を期待されたが田口麗斗とのトレードでジャイアンツに移籍。ジャイアンツでもそこそこの活躍で今度はバファローズに移り、内野手登録ながら今日はセンターでの出場である。打率は1割台半ばで、このままだとレギュラー定着は難しい。

今日のスワローズは、青木宣親を7番レフトで先発起用するが、3打数ノーヒットでベンチに引っ込んだ。これで打率は2割を下回り、青木も年には勝てないようである。

3回表、ヤクルトは先頭の9番セカンド・武岡龍世がヒットで出塁。西川は三振に倒れるも、丸山和郁がヒットで繋いで一塁三塁。長岡のセカンドゴロの間に武岡が帰って追加点を奪う。村上は四球。続くサンタナの当たりはライトへの大飛球。ライトが追いついたかに見えたが捕れず、更に2点が加わった。4-0。

4回裏にオリックスはラオウこと杉本裕太郎君(徳島商業出身)の左中間への一発が飛び出して1点を返す。VTR映像が出たが、ど真ん中へのストレートであった。
奥川は5回を投げて被安打7、奪三振3と上出来とはいえないピッチングであったが、四死球はなく、失点1に抑えて、勝利投手の権利を得たままマウンドを降りる。


5回裏、ヤクルトは一死一塁三塁のチャンスを作り、オスナはライトへの浅いフライ。サードランナーの村上はタッチアップで本塁を狙うが、バファローズのライト・来田涼斗君(きた・りょうと。明石商業出身)のバックホームが速い上にコントロールが良く、キャッチャーはノーバウンドキャッチで楽々アウトとした。好返球にスタンドが沸く。

スワローズの2番手は大西広樹だったが、大西も150キロ台を連発。やはりスピードガン表示がいつもより速いようである。

スワローズの3番手は、今年はケースによってはクローザーも務めた石山泰稚。石山も最近には珍しく151キロをマークするが、ヒットを許して暴投と乱調。代打の森友哉君(大阪桐蔭出身)にライトへのツーベースを打たれて1点を与える。その後ツーアウトまで漕ぎ着けるが、太田椋君(天理高校出身)にレフトへのタイムリーツーベースを打たれて、1点差。伊藤智仁ピッチングコーチが現れて、石山はここで降板となった。左の西川龍馬君(敦賀気比高校出身)がバッターボックスということで、ヤクルトも左腕の山本大貴をマウンドに送る。勝負は山本が勝った。

8回表、オリックスのマウンドには2番手の富山凌雅君(とみやま・りょうが。九州国際大付属高校出身)。戦力外、育成契約を経て支配下登録に戻った左腕である。富山はそれほど球の速いピッチャーではないが、先頭の丸山和郁の頭に当ててしまう。一時は担架も運ばれたが、丸山は立ち上がり、一塁まで歩いたところで代走を送られた。セ・リーグだとバッターの頭に当てると問答無用でピッチャー一発退場だが、交流戦ということで富山の続投が許される。ヤクルトはチャンスを作るが二者連続三振で点は奪えなかった。

8回裏。ヤクルトは清水昇ではなく、木澤尚文をマウンドに送る。木澤も登板過多の傾向にあり、以前ほどの安定感はない。木澤はMAX153キロのツーシームを投げるが、オリックス打線も負けず、一死満塁とする。しかしここで木澤は踏ん張り、二者連続三振を奪って点を許さなかった。

9回表に、バファローズは中日ドラゴンズから現役ドラフトで移った鈴木博志君(磐田東高校出身)をマウンドに送る。
先頭のオスナがスワローズファンの待つ左中間スタンドへのアーチを架ける。5-3。

2点リードで迎えた9回裏。スワローズはクローザーの田口麗斗をマウンドに送る。故障が癒えたばかりの田口。球速は戻っておらず、MAXは144キロに留まったが、3人で抑え、5-3で東京ヤクルトスワローズがオリックス・バファローズとの交流戦第1戦を制した。

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ヒーローインタビューは、980日ぶりの一軍勝利を挙げた奥川恭伸が受ける。奥川は感極まって男泣き。スタンドから拍手と「奥川」コールが奥川を励ました。

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2024年6月16日 (日)

コンサートの記(850) ヤン・ヴィレム・デ・フリーント指揮京都市交響楽団第689回定期演奏会 フライデー・ナイト・スペシャル デ・フリーント京都市交響楽団首席客演指揮者就任披露演奏会

2024年5月24日 京都コンサートホールにて

午後7時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第689回定期演奏会フライデー・ナイト・スペシャルに接する。今年の4月から京都市交響楽団の首席客演指揮者に就任したオランダ出身のヤン・ヴィレム・デ・フリーントの就任披露演奏会である。
休憩なし上演時間約1時間のフライデー・ナイト・スペシャルは、いつもなら翌土曜日のマチネーの短縮版である場合が多いのだが、今回はフライデー・ナイト・スペシャルと土曜日の公演は全くの別曲目であり、2日続けてデ・フリーントのお披露目コンサートとなっている。

今日はオール・モーツァルト・プログラムで、ピアノと管楽器のための五重奏曲 K.452(ピアノ独奏:デヤン・ラツィック)、セレナード ニ長調 K.239「セレナータ・ノットゥルナ」、セレナード ト長調 K.525「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」の3曲が取り上げられる。

ちなみに明日はラツィックのピアノ独奏によるベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番とシューベルトの交響曲第1番が演奏される予定である。

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ヤン・ヴィレム・デ・フリーントは、現在、ウィーン室内管弦楽団首席指揮者、シュトゥットガルト・フィルハーモニー管弦楽団首席客演指揮者、グリーグの街のオーケストラとして知られるノルウェーのベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団のアーティスティック・パートナーを務める。2015年から19年までハーグ・レジデンティ管弦楽団の首席指揮者、2006年から17年までフィオン・ヘルダーラント&オーファーアイセル管弦楽団の常任指揮者、2015年から21年まで、大植英次や大野和士が音楽監督を務めたことでも知られるバルセロナ交響楽団の首席客演指揮者、2008年から15年までブラバント管弦楽団の首席客演指揮者を務めている。
デ・フリーントは、コンサートマスター兼指揮者として自ら創設した18世紀音楽専門楽団、コンバッティメント・コンソート・アムステルダムの音楽監督として名を上げ、オペラの分野でも欧米で活躍。古楽中心ながら、モンテヴェルディからヴェルディまで幅広く指揮している。オランダでは音楽番組へのテレビ出演も多く、2012年にはオランダ公共放送NPO Radio 4から賞を贈られている。

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プレトーク(通訳:小松みゆき)でデ・フリーントは、「今日は夜の演奏会ということで夜の音楽を並べた」と説明する。セレナードは日本語で「小夜曲」と訳されるように夜の音楽だが、「セレナータ・ノットゥルナ」の「ノットゥルナ」は「夜の」という意味であり、「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」の「ナハトムジーク」は「夜の音楽」という意味である。
モーツァルトは、「ザルツブルクは退屈でつまらない」と書き記しているが、少しでも楽しい音楽をと書かれたのが「セレナータ・ノットゥルナ」で、客の目の前の楽団の他に、客からは見えない場所に別働隊を置き、観客に戸惑わせるように仕向けた音楽である。即興で楽しませる工夫もある。デ・フリーントは、「今日は別働隊はステージ上にいますが、いないものとして楽しんで下さい」と述べる。
ウィーンに出たモーツァルトだが、ウィーンでは夜会での音楽演奏が盛んで、ピアノと管弦楽のための五重奏もそうした夜会での演奏用に書かれたという。
モーツァルトの時代の演奏会ではよく貴族が居眠りをしていたそうだが、デ・フリーントは、今日の演奏会は眠くなるどころか、今夜眠れなくなるほどのものになるだろうと予告する。


まずは、ピアノと管楽器のための五重奏曲。この曲にはデ・フリーントは登場しない。
ピアノのデヤン・ラツィックは、クロアチアの首都ザグレブ生まれ、オーストリアのザルツブルク育ち。モーツァルティウム音楽大学でクラリネットとピアノ、作曲を学び、ハンガリーのバルトーク・フェスティバルで、ゾルターン・コチシュとイムレ・ローマンに認められたことからキャリアをスタートさせている。コンクール歴などはないようだ。作曲家としても活躍しており、2015年にシコルスキ音楽出版に所属して作品を発表、欧米で演奏されている。現在はアムステルダム在住。

編成は、ピアノ、オーボエ、ファゴット、ホルン、クラリネット。管楽器奏者達がステージ最前列に横に並び、ピアノはその後ろに設置されている。合図などは、一番下手側に座ったオーボエの髙山郁子がコンサートマスター代わりとなって送る。
ラツィックのピアノはウエットな音色が特徴。モーツァルトも良いが、ブラームスなどロマン派の楽曲が合いそうなタイプだ。
京響の管楽器奏者達も堅調で、しっかりとしたモーツァルト演奏となった。
2曲目と3曲目は弦楽オーケストラのための作品なので、管楽器奏者達はこれで出番は終わりである。


2曲目の「セレナータ・ノットゥルナ」からデ・フリーント登場。指揮台を使わずステージ上に直接立ってノンタクトで指揮する。
オーケストラはヴァイオリン両翼の古典配置だが、ステージ最後部に別働隊が横一列に並ぶ。下手側からティンパニ(打楽器首席)の中山航介、コンサートマスターの泉原隆志、第2ヴァイオリン首席の安井優子、コントラバス首席の黒川冬貴、ヴィオラ首席の小峰航一。ソロがあるため、オーケストラ本体よりも別働隊の方が重要である。
モダン楽器にピリオド奏法を用いて演奏するコンバッティメント・コンソート・アムステルダムの指揮者だけに当然ながらピリオドを援用。強弱のはっきりした付け方や、木のバチを使ったバロックティンパニの強打などが目立つが、ピリオドとしては自然体に近い演奏である。
別働隊の奏者達には見せ場が用意されており、特にソロは即興で演奏するようで、コントラバスの黒川冬貴は、マーラーの交響曲第1番「巨人」第3楽章冒頭でコントラバスがソロで演奏する民謡(長調にしたものが日本では「グーチョキパーの歌」として知られる)を奏で、ティンパニの中山航介は、ラヴェルの「ボレロ」のリズム(元々のボレロのリズムとは異なる)を叩いていた。
デ・フリーントは、別働隊のみが演奏するときは指揮をせず、奏者達に任せる。ラストで奏者達に即興を求める振りをして、小峰航一が、「いや、もうネタがない」と手を振り、締めの合奏へと入る流れでは客席から笑いが起こっていた。一種の冗談音楽で、モーツァルトの筋書き通りだと思われる。ティンパニの中山航介の出番はここで終わる。


セレナード「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」。モーツァルトの作品の中でも最も知名度の高いものの一つで、ベストセラー小説のタイトルにもなるほどだが、演奏会で取り上げられることは少ない。室内楽編成版でなら聴いたことがあるかも知れないが、少なくともフル編成のプロオーケストラの定期演奏会で全曲が取り上げられたのは、アンドレ・プレヴィン指揮NHK交響楽団の定期演奏会しかすぐには頭に浮かばない。90年代のことだ。
「セレナータ・ノットゥルナ」では別働隊として舞台後方にいた首席奏者達も本来の場所に戻って演奏する。
強弱の細かな付け方や透明な音色の生かし方などが絶妙で、典雅ながらフレッシュな味わいがある。ヴァイオリン両翼配置であるため、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンの音の受け渡しが視覚でも確認出来るのも新鮮だ。
1956年の結成直後に「モーツァルトの京響」と呼ばれて称えられた京都市交響楽団。その伝統は今も生きている。
第4楽章は、今は亡き斎藤晴彦がクラシック音楽に歌詞を付けて歌う芸のレパートリーとしていたものである。ふと思い出して懐かしくなった。

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2024年6月12日 (水)

コンサートの記(849) 〈RMF&山田和樹 グローバル プロジェクト〉 山田和樹指揮モンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団来日演奏会2024京都

2024年5月31日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後6時30分から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、〈RMF&山田和樹 グローバル プロジェクト〉モンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団来日演奏会に接する。指揮は、モンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団芸術監督兼音楽監督の山田和樹。

モンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団の来日演奏会は、2016年に大阪のフェスティバルホールで西本智実指揮のものを聴いているが、ホールが異なるということもあってか、当時の印象とは大きく異なる。

「クール・ビューティー」こと女優のグレース・ケリーが、グレース王妃となったことでも知られるモナコ公国のモンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団。2016年から山田和樹が芸術監督兼音楽監督を務めている。
モンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団は、旧モンテカルロ国立オペラ管弦楽団(モンテカルロ国立歌劇場管弦楽団)で、スヴャトスラフ・リヒテルのピアノ、ロヴロ・フォン・マタチッチの指揮で録音したグリーグとシューマンのピアノ協奏曲の伴奏を務めていることで知られている。それ以外には知られていないともいえる。元々は新外国人管弦楽団の名で1856年に結成された歴史あるオーケストラで、1980年にモンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団に改称したが、今もオペラやバレエの演奏は続けている。多くの作曲家が初演をモンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団に託しており、特に隣国のイタリアとフランスの作曲家に好まれている。
録音は余りしてこなかったモンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団であるが、2010年に自主レーベル「OPMCクラシックス」レーベルを立ち上げ、山田和樹ともサン=サーンスの歌劇「デジェニール」を録音、リリースしている。


オール・フレンチ・プログラムで、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」、ラヴェルのピアノ協奏曲ト長調(ピアノ独奏:藤田真央)、サン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」(オルガン独奏:室住素子)の3曲が演奏される。

ロームシアター京都メインホールでは、サンクトペテルブルク・マリインスキー劇場によるチャイコフスキーの歌劇「エフゲニー・オネーギン」(指揮:ヴァレリー・ゲルギエフ)や、キエフ・バレエ(ウクライナ国立バレエ)の「白鳥の湖」、中国・南京の江蘇省演芸集団有限公司による歌劇「鑑真東渡」などの引っ越し公演が行われているが、海外のコンサートオーケストラが演奏会を行うのはこれが初めてであると思われる。京都には北山にクラシック音楽専用の京都コンサートホールがあり、海外のオーケストラが京都公演を行う場合は、京都コンサートホールの大ホールを使うのが通例であったが、ここに来て初めてロームシアター京都メインホールが使われることになった。なお、山田和樹は来年ももう一つの手兵であるバーミンガム市交響楽団を率いてロームシアター京都メインホールで公演を行うことがすでに決まっている。
キャパ自体はロームシアター京都メインホールが2000弱、京都コンサートホールが1800と、ロームシアター京都メインホールの方が大きいが、ロームシアター京都メインホールは音響がオペラ、バレエ、ポピュラー音楽向けの多目的ホールであり、オーケストラコンサートには必ずしも適した会場ではない。だが、京都市交響楽団も「オーケストラ・ディスカバリー」シリーズの会場をロームシアター京都メインホールに変更し、NHK交響楽団の京都公演会場もロームシアター京都メインホールに変わるなど、徐々にシフトが行われていくのかも知れない。京都コンサートホールがそろそろメンテナンスの時期ということもあるだろう。


日本の若手音楽家の中でもリーダー的存在である山田和樹。往年の名指揮者、山田一雄(山田和雄)に名前が似ているが、血縁関係は一切ない。1979年、神奈川県秦野市生まれ。前身が旧制神奈川県立横浜第一中学校である名門・神奈川県立横浜希望ヶ丘高校を経て、東京藝術大学指揮科に入学。松尾葉子と小林研一郎に師事。藝大在学中に有志とTOMATOフィルハーモニー管弦楽団(現・横浜シンフォニエッタ)を結成し、ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝という経歴から、「リアル千秋真一」と呼ばれたこともある。NHK交響楽団の副指揮者を経て、2012年から18年までスイス・ロマンド管弦楽団の首席客演指揮者、2016年からモンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団の芸術監督兼音楽監督、2023年からバーミンガム市交響楽団の首席指揮者兼ミュージックアドバイザーとなり、今年の5月から音楽監督に昇格。日本では日本フィルハーモニー交響楽団の正指揮者や読売日本交響楽団の首席客演指揮者を務めたことがある。2026年には池袋にある東京芸術劇場の芸術監督(音楽部門)に就任する予定である。

コロナの最中にはZoomなどを利用し、作曲家の藤倉大、指揮者の沖澤のどか、ピアニストの河村尚子や萩原麻未などとのWeb対談を積極的に行っている。
「リアル千秋真一」というと、何においても完璧というイメージだが、藤倉大との対談では、「運動音痴自慢大会(?)」を行っており、「スイミングスクールに通ったのに泳げるようにならなかった」という自虐エピソードを語っていたりする。
オーケストラとの共演の他に東京混声合唱団の音楽監督兼理事長としても活動しており、武満徹の合唱曲集などを録音。また東京オリンピックのために全参加国の国歌のレコーディング(「アンセム・プロジェクト」)なども行った。
関西では、読売日本交響楽団の大阪定期演奏会でフェスティバルホールの指揮台に何度か立っている他、大阪の4つのプロオーケストラを振り分けたシューベルト交響曲全曲演奏会などを行っている。ただ京都市交響楽団に客演したことはまだ一度もない。京都で指揮するのも今日が初めてのはずである。


午後6時15分頃に山田和樹がステージ上に登場し、プレトークを行う。「兵庫で始まったこのツアー、東京での公演を経まして、昨日は……、あれ、昨日どこ行きましたっけ? どこ行きましたっけ? (袖に)どこ行きました? 愛知! 愛知ね! 昨日のこと忘れちゃいけない。どこいるんだか分からなくなっている。そして今日は京都」。今回のツアー公演は、「ROME MUSIC FOUNDATIONと山田和樹の合同グローバルプロジェクト」であり、ローム ミュージック ファンデーションの奨学生の中から選ばれた音楽家が、現地リハーサルを含めてモンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団の一員として参加するという教育的内容を含んだものになっている。ということで選ばれたメンバーがステージ上に呼ばれ、自己紹介を行った。
最後に山田は、ソリストの藤田真央について、「私の息子と呼ばれている。顔が似てるのか雰囲気が似てるのか」と紹介する。年齢は丁度20歳違いであるが、藤田は山田のことを「パパ」と呼んでおり、特別に親しい関係にある。


ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」。ドイツ式の現代配置での演奏である。
冒頭のフルートに若干の伸び縮みを付けるなど、個性的な演奏である。ただロームシアター京都メインホールはオペラ向きの音響であるため、弦楽器などは輪郭がはっきりしすぎていて、ドビュッシーならではのたゆたうような響きは生まれにくく、ドビュッシー作品には向いていないようである。
西本智実の指揮で聴いた時はシックな印象を受けたモンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団であるが、南仏に近いということもあって、今回は音の濃さが目立つ。原色系の色彩感で、日本のオーケストラからは絶対に生まれない音だ。


ラヴェルのピアノ協奏曲ト長調。人気ピアニストの藤田真央がソリストを務める。
この間も「題名のない音楽会」で2週続けての特集が組まれた藤田真央。天衣無縫のピアノを奏でる天才肌のピアニストだが、いくぶん風変わりなところがある。最近はエッセイ集なども出して好評を博している。
ラヴェルの音楽はドビュッシーと違ってクッキリしたものであるため、モンテカルロ・フィルの良さが生きている。音色が単に美しいだけではなく、往年のフランスの名楽団の響きのような人間くささも感じられる。
藤田のピアノは、第1楽章では音の移り変わりや明滅を巧みに表現し、ラヴェルがなぜ「印象派」に含まれるのかが分かるような音楽として奏でる。
ロマンティックな第2楽章は、一転して楷書風。藤田ならロマンティシズムを思い切り前に出すかと思われたが、楷書で演奏することで曲自体に語らせるという手法を取ったようだ。第2楽章は確かに甘く美しいが、一歩間違えると劇伴のようになってしまう怖れもあるため、これはこれで見事な解決である。
第3楽章の透明感ある音による演奏も活気とモダンな詩情に溢れており、20世紀的なエスプリを表出してみせた。

アンコール演奏は1曲。グリーグの抒情小品集第3集から「愛の歌」。瑞々しい出来であった。


サン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」。山田は来年の6月にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会の指揮台に立つことが決まっているが、メインはこのサン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」になる予定である。ロームシアター京都にはパイプオルガンは設置されていないので、室住素子は電子オルガンを演奏する。
各楽器の音色の濃厚さが生き、パリというよりもスペインの音楽のように聞こえるのが面白い。山田は、音のグラデーションを丁寧に重ね、神秘感や洗練された曲調などを的確に表現していく。室住のオルガンも力強い。
ニュアンス豊かな一方で、音楽としての全体のフォルムは崩れがちで、ちょっとアンバランスな印象を受けたのも確かである。ホールの音響も影響しているだろう。
なお、Maki Miura Belkinと共にピアノ連弾で参加した榊真由(さかき・まゆ)は、本来は指揮者だが、RMFのアシスタントコンダクターには京都私立ナンバーワン進学校の洛星高校出身で、広上の弟子である岡本陸が選ばれたため、特別にピアノで参加することになったという。
造形美よりもオーケストラの特性を生かした個性的な音楽作りが印象的なサン=サーンスであった。オーケストラが変わるとまた別の音楽が生まれることになると思われる。


アンコール演奏は2曲。まず、シュレーカーの舞踏劇「ロココ」より第3番“マドリカル”。歌劇などを多く作曲しているシュレーカーの作品だけに、オペラを得意とするモンテカルロ・フィルは活き活きとした演奏を展開する。

2曲目は、ビゼーの「アルルの女」より“ファランドール”。南仏を舞台とした音楽だけにモンテカルロ・フィルの個性に合っている。洗練されたフランス北部のオーケストラとは違った意図的な土俗性の表出が面白いが、プロヴァンス太鼓奏者を舞台上ではなく、1階客席通路に配し、歩きながら叩かせたのが効果的で、客席から手拍子が起こる。山田も手拍子をリードし、音楽的な楽しさと一体感に満たされた時間が過ぎていった。

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2024年6月11日 (火)

コンサートの記(848) カーチュン・ウォン指揮日本フィルハーモニー交響楽団 第255回 芸劇シリーズ「作曲家 坂本龍一 その音楽とルーツを今改めて振り返る」

2024年6月2日 池袋駅西口の東京芸術劇場コンサートホールにて

東京へ。

午後2時から、池袋駅西口にある東京芸術劇場コンサートホールで、日本フィルハーモニー交響楽団の第255回 芸劇シリーズを聴く。日フィルが日曜日の昼間に行っている演奏会シリーズで、回数からも分かる通り、かなり長く続いている。私も東京にいた頃にはよく通っていて、ネーメ・ヤルヴィやオッコ・カムなどの指揮で日フィルの演奏を聴いている。

東京芸術劇場は、音楽と演劇、美術の総合芸術施設であるが、考えてみれば音楽でしか来たことはない。
コンサートホールは、東京芸術劇場の最上階にあり、長いエスカレーターを上っていくことになる。以前はエスカレーターは1階から最上階のコンサートホール(当時は大ホールといった)まで直通というもっと長く巨大なものだったが、「事故が起こると危ない」などと言われており、リニューアル工事の際に付け替えられて二段階でコンサートホールまで昇るようになっている。

前回来たときは1階席の前の方だったが、今回も1階席の下手側前から2列目。東京芸術劇場コンサートホールは、ステージから遠いほど音が良いことで知られるが、前の方でも特に悪くはない。

今回の芸劇シリーズは、パンフレットやチケットなどにはタイトルが入っていないが、ポスターには「作曲家 坂本龍一 その音楽とルーツを今改めて振り返る」という文言が入っており、事実上の坂本龍一の追悼コンサートとなっている。

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指揮は、日本フィルハーモニー交響楽団首席指揮者のカーチュン・ウォン。シンガポールが生んだ逸材であり、2016年のグスタフ・マーラー指揮者コンクールで優勝。日本各地のオーケストラに客演して軒並み絶賛を博し、2023年9月に日フィルの首席指揮者に就任した。京都市交響楽団や大阪フィルハーモニー交響楽団に客演した際に聴いているが、演奏が傑出していただけでなく、京響のプレトークではちょっとした日本語を話すなど、まさに「才人」と呼ぶに相応しい人物である。ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団の首席客演指揮者でもあり、また今年の9月からは、イギリスを代表する工業都市・マンチェスターに本拠地を置く名門、ハレ管弦楽団の首席指揮者兼アーティスティック・アドバイザーへの就任が決まっている。


曲目は、ドビュッシーの「夜想曲」(女声合唱:東京音楽大学)、坂本龍一の箏とオーケストラのための協奏曲(二十五絃箏独奏:遠藤千晶)、坂本龍一の「The Last Emperor」、武満徹の組曲「波の盆(「並の凡」と変換されたが確かにそれもありだ)」よりフィナーレ、坂本龍一の地中海のテーマ(1992年バルセロナ五輪開会式音楽。ピアノ:中野翔太、合唱:東京音楽大学)。

コンサートマスターは客演の西本幸弘。ソロ・チェロとして日フィル・ソロ・チェロの菊地知也の名がクレジットされている。また生前の坂本龍一と共演するなど交流があったヴィオラ奏者の安達真理が、2021年から日フィルの客演首席奏者に就任しており、今日は乗り番である。


プログラムは評論家で早稲田大学文学学術院教授の小沼純一が監修を行っており、プログラムノートも小沼が手掛けている。
午後1時半頃より小沼によるプレトークがある。
昨年の暮れに、小沼の元に日フィルから「坂本龍一の一周忌なので何かやりたい」との連絡があり、指揮者がカーチュン・ウォンだということも知らされる。小沼は坂本が創設した東北ユースオーケストラも坂本の追悼演奏会をやるとの情報を得ていたため、「余りやられていない作品を取り上げよう」ということで今日のようなプログラムを選んだという。全曲坂本龍一作品でも良かったのだが、坂本龍一が影響を受けた曲を「コントラスト」として敢えて入れたそうだ。

坂本龍一が亡くなり、彼のことをピアニスト・キーボーディスト、俳優として認識していた人は演奏や演技を録音や録画でしか見聞き出来ず、それらは固定されて動かないものであるが、坂本龍一は何よりも作曲家であり、作曲されたものは生で演奏出来、同じ人がやっても毎回変わるという、ある意味での利点があることを小沼は述べていた。

坂本が若い頃に本気で自身のことを「ドビュッシーの生まれ変わり」だと信じていたということは比較的よく知られているが、「夜想曲」の第1曲「雲」は特にお気に入りで、テレビ番組でも「雲」の冒頭をピアノで弾いてその浮遊感と革新性について述べていたりする。小沼との対話でもたびたび「雲」が話題に上ったそうで、心から好きだった曲を取り上げることにしたそうである。
坂本龍一の箏とオーケストラのための協奏曲は、2010年に東京と西宮で初演され、「題名のない音楽会」でも取り上げられたが、その後1度も再演されておらず、14年ぶりの再演となる。沢井一恵のために作曲された作品で、初演時は、それぞれ調が異なる十七絃箏を1楽章ごとに1面、計4面を用いて演奏されたが、今日のソリストである遠藤千晶が「二十五絃箏を使えば1面でいけるかも知れない」ということで、今日は1面での初演奏となる。

「The Last Emperpr」は、ベルナルド・ベルトルッチ監督が清朝最後の皇帝となった愛新覚羅溥儀を主人公にした映画「ラストエンペラー」のために書かれた音楽で、坂本龍一は最初、俳優としてのオファーを受け、甘粕正彦を演じたが、音楽を依頼されたのはずっと後になってからで、全曲を締め切りまでの2週間で書き上げたというのが自慢だったらしい。「ラストエンペラー」の音楽で坂本は、デヴィッド・バーン、コン・スー(蘇聡、スー・ツォン)と共にアカデミー賞作曲賞を受賞。「世界のサカモト」と呼ばれるようになる。

武満徹の「波の盆」を入れることを提案したのは指揮者のカーチュン・ウォンだそうで、日本人作曲家の劇伴音楽という共通点から選んだようだ。
1996年に武満徹が亡くなり、NHKが追悼番組「武満徹の残したものは」を放送した時に真っ先に登場したのが坂本龍一で、学生時代に東京文化会館で行われたコンサートで、アンチ武満のビラを撒いていたところ武満本人が現れ、「これ撒いたの君?」と尋ねられたこと、後年、作曲家となって再会した時には、「ああ、あの時の君ね」と武満は坂本のことを覚えており、「君は作曲家として良い耳をしている」と言われた坂本は「あの武満徹に褒められた」と有頂天になったことを語り、「そんないい加減な奴なんですけどね」と自嘲気味に締めていた。

地中海のテーマは、1992年のバルセロナ・オリンピックのマスゲームの音楽として作曲されたもので、当初はオリンピックという国威発揚の側面がある催しの音楽を書くことを拒んだというが、最終的には作曲を引き受け、7月25日の開会式では自身でオーケストラを指揮し、その姿が全世界に放映された。指揮に関しては、当時、バルセロナ市立管弦楽団の首席指揮者をしていたガルシア・ナバロ(ナルシソ・イエペスがドイツ・グラモフォンに録音したアランフェス協奏曲の伴奏で彼の指揮する演奏を聴くことが出来る)の指揮に間近で触れて、「本物の指揮者は凄い」という意味の発言をしていたのを覚えている。またオリンピックで自作を指揮したことで、「凄い人」「偉い人」だと勘違いされるのが嫌だった旨を後に述べている。
地中海のテーマは、CDが発売され、また一部がCMにも使われたが、オーケストラ曲として日本で演奏されたことがあるのかどうかはちょっと分からない。ただこれはコンサートホールで生演奏を聴かないと本当の良さが分からない曲であることが確認出来た。

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ドビュッシーの「夜想曲」。「雲」「祭り」「シレーヌ」の3曲からなる曲で、ドビュッシーの管弦楽曲の中でも人気曲だが、第3曲「シレーヌ」は女声合唱を伴うという特殊な編成であるため、演奏会または録音でもカットされることがある。今回は東京音楽大学の女声合唱付きで上演される。東京音楽大学の合唱団は必ずしも声楽科の学生とは限らず、学部は「合唱」の授業選択者の中からの選抜、大学院生のみ声楽専攻限定となるようだ。

フランス語圏のオーケストラによる名盤も多いため、流石にそれらに比べると色彩感や浮遊感などにおいて及ばないが、生演奏ならではのビビッドな響きがあり、繊細な音の移り変わりを視覚からも感じ取ることが出来る。
ノンタクトで指揮したカーチュン・ウォンは巧みなオーケストラ捌き。日フィルとの相性も良さそうである。
東京音楽大学の女声合唱もニュアンス豊かな歌唱を行った。


坂本龍一の箏とオーケストラのための協奏曲。独奏者の遠藤千晶は当然と言えば当然だが着物姿で登場。椅子に座って弾き、時折、身を乗り出して中腰で演奏する。箏のすぐ近くにマイクがセットされ、舞台左右端のスピーカーから音が出る。箏で音が小さいからスピーカーから音を出しているのかと思ったが、後にピアノもスピーカーから音を出していたため、そういう趣旨なのだと思われる。
遠藤千晶は、東京藝術大学及び大学院修了。3歳で初舞台を踏み、13歳で宮城会主催全国箏曲コンクール演奏部門児童部第1位入賞という神童系である。藝大卒業時には卒業生代表として皇居内の桃香楽堂で御前演奏を行っている。現在は生田流箏曲宮城社大師範である。
第1楽章「still(冬)」、第2楽章「return(春)」、第3楽章「firmament(夏)」、第4楽章「autumn(秋)」の四季を人生に重ねて描いた作品で、いずれも繊細な響きが何よりも印象的な作品である。箏の音が舞い散る花びらのようにも聞こえ、彩りと共に儚さを伝える。


坂本龍一の「The Last Emperor」。カーチュン・ウォンは冒頭にうねりを入れて開始。壮大さとオリエンタリズムを兼ね備えた楽曲として描き出す。坂本本人が加わった演奏も含めてラストをフォルテシモのまま終える演奏が多いが(オリジナル・サウンドトラックもそんな感じである)、カーチュン・ウォンは最後の最後で音を弱めて哀愁を出す。


武満徹の組曲「波の盆」よりフィナーレ。倉本聰の脚本、実相寺昭雄の演出、笠智衆主演によるテレビドラマのために書いた曲をオーケストラ演奏会用にアレンジしたものだが、このフィナーレは底抜けの明るさに溢れている。「弦楽のためのレクイエム」が有名なため、シリアスな作曲家だと思われがちな武満であるが、彼の書いた歌曲などを聴くと、生来の「陽」の人で、こちらがこの人の本質らしいことが分かる。この手の根源からの明るさは坂本龍一の作品からは聞こえないものである。


坂本龍一の地中海のテーマ。映画音楽でもポピュラー系ミュージックでも坂本龍一の音楽というとどこかセンチメンタルでナイーブというものが多いが、地中海のテーマはそれらとは一線を画した豪快さを持つもので、祝典用の楽曲ということもあるが、あるいは売れる売れないを度外視すれば、もっとこんな音楽を書きたかったのではないかという印象を受ける。若い頃は現代音楽志向で、難解な作品や前衛的な作品も書いていた坂本だが、劇伴の仕事が増えるにつれて、監督が求める「坂本龍一的な音楽」が増えていったように思う。特に映画などは最終決定権は映画監督にある場合が多いわけで、書きたいものよりも求められるものを書く必要はあっただろう。ファンも「坂本龍一的な音楽」を望んでいた。そういう意味ではバルセロナ五輪の音楽は「坂本龍一的なもの」は必ずしも求められていなかった訳で、普段は書けないようなものも書けたわけである。監督もいないし、指揮も自分がする。ストラヴィンスキーの「春の祭典」に通じるような音楽を書いても今は批難する人は誰もいない。というわけで基本的にアポロ芸術的ではあるが、全身の筋肉に力を込めた古代オリンピック選手達の躍動を想起させる音楽となっている。前半だけ、今日初めて指揮棒を使ったカーチュン・ウォンは、日フィルから凄絶な響きを引き出すが、虚仮威しではなく、密度の濃い音楽として再現する。バルセロナやカタルーニャ地方を讃える歌をうたった東京音楽大学の合唱も力強かった。

タブレット譜を見ながらピアノを演奏した中野翔太。プレ・カレッジから学部、大学院まで一貫してジュリアード音楽院で教育を受けたピアニストであり、晩年の坂本龍一と交流があって、今年の3月に行われた東北ユースオーケストラの坂本龍一追悼コンサートツアーにもソリストとして参加。「戦場のメリークリスマス」を弾く様子がEテレで放送されている。
地中海のテーマは、ピアノソロも力強い演奏が要求され、中野は熱演。
先に書いた通り、スピーカーからもピアノの音が鳴っていたが、そういう設定が必要とされていたのかどうかについては分からない。


アンコール演奏。カーチュン・ウォンは、「アンコール、Aqua」と語って演奏が始まる。坂本龍一本人がアンコール演奏に選ぶことも多かった「Aqua」。穏やかで優しく、瑞々しく、ノスタルジックでやはりどこかセンチメンタルという音楽が流れていく。坂本本人は「日本人作曲家だから日本の音楽を書くべき」という意見に反対している。岡部まりからインタビューを受けて、日本人じゃなくても作曲家にはなっていたという仮定もしている。だが、「Aqua」のような音楽を聴くとやはり坂本龍一も日本人作曲家であり、三善晃の弟子であったことが強く感じられる。

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なお、カーテンコールのみ写真撮影が可能であった。

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池袋では雨は降っていなかったが、帰りの山手線では新宿を過ぎたあたりから本降り、品川では土砂降りとなった。

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2024年6月10日 (月)

NHK「かんさい熱視線 奈良を“音楽の都”へ ピアニスト・反田恭平」

2024年5月26日

NHK「かんさい熱視線 奈良を“音楽の都”へ ピアニスト・反田恭平」を見る。昨年の11月にオンエアされたものの再放送。反田恭平が奈良県文化会館(現在は耐震工事のため休館中)の芸術監督に就任することが発表されたのを受けての再放送だと思われる。

ショパン国際コンクールで2位となり、内田光子と並ぶ日本人最高位を獲得した反田恭平であるが、1位を取れなかったことに心残りがあり、次世代から1位を取れる逸材を生み出す学び舎を作り出そうと、奈良で教育活動を始めた。反田が教育活動の拠点の条件としてあげたのが、「空気が澄んでいること」「文化・歴史的背景があること」「外国人が多く訪れる場所であること」で、それに合致するのが奈良だった。指揮活動もしている反田は、株式会社立であるジャパン・ナショナル・オーケストラ(JNO)を結成。若手の実力派を集めている。本拠地は響きの良い、やまと郡山城ホールに置いているが、あるいは芸術監督となった奈良県文化会館国際ホールに移るかも知れない。
現在、奈良県ではムジークフェストならという音楽祭が行われているが、知名度は今ひとつで、ほとんど奈良の人しか知らない。奈良フィルハーモニー管弦楽団というプロオーケストラもあるが、定期演奏会は年2回ほどで、恵まれた状態にあるとは言えないのが現状である。
そんな奈良から音楽発信をすべく、反田とJNOは世界中で演奏会を行い、反田のみならずJNOのメンバーも奈良で教育活動も行っている。

東大寺開山・良弁僧正1250年御遠忌の法要として東大寺大仏殿の前での奉納演奏を行うことになった反田とJNO。反田は大の雨男だそうで、デビュー2年目のツアーの時は毎回雨。東大寺大仏殿の前での演奏当日も雨となった。悪環境の中ではあったが、ショパンの「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」と、ブラームスの交響曲第1番が演奏される。リハーサルにもカメラが入っているが、反田と年の近いメンバー同士ということもあって、対等の立場で「仲間」として音楽が形作られていく様を見ることが出来、一世代前の指揮者とオーケストラの関係とは大分異なっていることが分かる。

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2024年6月 9日 (日)

コンサートの記(847) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第578回定期演奏会

2024年5月17日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第578回定期演奏会を聴く。今日の指揮は、大フィル音楽監督の尾高忠明。

曲目は、モーツァルトのピアノ協奏曲第20番ニ短調(ピアノ独奏:アンヌ・ケフェレック)、シベリウスの組曲「レンミンカイネン」

今日のコンサートマスターは崔洙珠。ドイツ式の現代配置での演奏である。


モーツァルトのピアノ協奏曲第20番ニ短調。モーツァルトが書いた多くのピアノ協奏曲の中でたった2曲の短調による作品の1曲で、デモーニッシュとも呼ばれる響きや、第2楽章の典雅さなどが有名である。

フランスの女流ピアニストを代表する存在であるアンヌ・ケフェレック。親日家であり、来日も多い。フランス発の音楽祭「ラ・フォル・ジュルネ」の日本公演に何度も参加しており、以前はびわ湖ホールで行われていた「ラ・フォル・ジュルネびわ湖」(その後、独立して「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」を経て「びわ湖の春 音楽祭」となる)にも2016年に出演しており、中ホールで、ドビュッシー、ケクラン、ラヴェルといったお国ものとリスト作品を弾いている。
パリ生まれ。パリ国立高等音楽院(コンセルヴァトワール・ドゥ・パリ)ピアノ科を首席で卒業。パウル・バドゥラ=スコダ、イェルク・デームス、アルフレッド・ブレンデルといった名ピアニストに師事。1968年のミュンヘン国際音楽コンクール・ピアノ武門で優勝。翌年にはリーズ国際ピアノコンクールで入賞している。
1990年にはヴィクトワール・ドゥ・ラ・ムジークの年間最優秀演奏家賞を受賞。最新録音は今日演奏するモーツァルトのピアノ協奏曲第20番と第27番で、伴奏は京都市交響楽団への客演でお馴染みのリオ・クオクマン指揮するパリ室内管弦楽団が務めている。
なお、名画「アマデウス」のサウンドトラックでは、音楽監督を務めたサー・ネヴィル・マリナー指揮するアカデミー室内管弦楽団と共にピアノ協奏曲の演奏を手掛けており、ラストで流れるピアノ協奏曲第20番第2楽章のピアノもケフェレックの演奏だと思われる。

大フィルは第1ヴァイオリン10型の小さめの編成での演奏。フェスティバルホールは空間が大きいが、音の通りに不満はない。尾高の指揮による伴奏は端正だが、その一方で、闇、痛み、孤独、焦燥、毒といったものに欠けた印象があり、綺麗に過ぎるのが物足りない。その分、第2楽章は端麗そのものだった。解釈云々の問題ではなく尾高の音楽性に寄るところが大きいのだろう。
ケフェレックのピアノは尾高とは対照的に内容重視。まろやかな音の背後に痛切な寂寥感が湛えられており、モーツァルトの声に出せない叫びのようなものを感じる。第2楽章も単に美しいだけでなく、歯を見せてにっこりしてはいるが寂しげな表情が見えるかのよう。第3楽章の切迫感も胸に迫るものがある。
音楽性に隔たりが感じられ、ケフェレックと尾高の相性は余り良くないように思われた。

ケフェレックのアンコール演奏は、ヘンデル作曲、ヴィルヘルム・ケンプ編曲の「メヌエット ト短調」。たおやかで煌びやかで寂寞感に溢れた音楽が流れていく。


シベリウスの組曲「レンミンカイネン」。フィンランドの長編叙事詩『カレワラ』に登場する女好きの英雄、レンミンカイネンを題材にした交響詩をまとめたものである。元々はレンミンカイネンを主人公にした「船の建造」というオペラを構想していたシベリウスだが、筆は進まず、結局、オペラの作曲を断念。オペラのための素材をレンミンカイネンを題材にした交響詩へと転用したようだ。オペラのイメージが薄いシベリウスだが、「塔の乙女」というスウェーデン語の短いオペラを1曲だけ完成させており、面白いことにこれまたオペラのイメージが薄いパーヴォ・ヤルヴィが指揮して録音を行っている。

組曲「レンミンカイネン」であるが、最初から組曲として書かれた訳ではなく、4つのバラバラの交響詩として作曲され、後に改定を経て組曲としてまとめられた。

シベリウスを十八番としている尾高忠明。BBCウェールズ交響楽団の首席指揮者をしていた時代に英国で人気のシベリウスを多く指揮する機会があり、日本でもシベリウスは人気ということで、札幌交響楽団の音楽監督時代には、札幌と東京でそれぞれシベリウス交響曲チクルスを行っており、ライブ録音による「シベリウス交響曲全集」も完成させていて評価も高い。
余談であるが、高校の後輩である広上淳一が一時期、尾高の影響でシベリウス作品に熱心に取り組んでいたが、最近はたまにしか指揮していないようである。
尾高は、今から31年前の1993年に大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会で組曲「レンミンカイネン」を取り上げたことがあるそうで、大阪フィルハーモニー交響楽団事務局長の福山修氏が行っているプレトークサロンによると、「31年前より大分上手くなった」と尾高は語っていたそうだが、「まだ分からない奴がいる」ということで、手厳しく指示するバチバチのリハーサルとなったそうで、尾高は「今日で大分嫌われちゃったかなあ」と話していたそうである。
大阪フィルでシベリウス交響曲チクルスを行うという話も尾高の音楽監督就任時から出ているそうだが、「集客の問題」で実現していないそうだ。関西にはもう一人、藤岡幸夫という渡邉暁雄直系のシベリウスのスペシャリストがおり、藤岡は関西フィルハーモニー管弦楽団を指揮して1年1曲7年掛けるシベリウス交響曲チクルスを完成させていて、ライブ録音による「シベリウス交響曲全集」もリリース。大阪のシベリウス好きも満足したはずである。日本で人気のシベリウスとはいえドイツ系の作曲家の人気とは比べものにならず、関西フィルが手掛けた後で大フィルがやっても大阪の聴衆がついてきてくれるかということだろう。実際、今日も空席は目立つ。

組曲「レンミンカイネン」であるが、「レンミンカイネンと島の娘たち」「トゥオネラの白鳥」「トゥオネラのレンミンカイネン」「レンミンカイネンの帰郷」の4曲からなる。
この中では、「トゥオネラの白鳥」が飛び抜けて有名で、単独で演奏会のプログラムに載ったり、録音されていたりする。イングリッシュ・ホルンの活躍が印象的な曲である。

「レンミンカイネンと島の娘たち」。大フィルの弦には神秘性と透明感と深遠さが宿り、空から降ってくるような管の抜けも良く、時折、大地が鳴動するような音がする。娘たちとの舞曲だけに華やかでリズミカル。愉悦感にも富む。

「トゥオネラの白鳥」。黄泉の国トゥオネラの川に浮かぶ白鳥を描いた作品である。黄泉の国が題材だけにこの世ならぬ響きが特徴。大フィルの音の瑞々しさが印象的である。イングリッシュ・ホルンのソロを吹く大島弥州夫(宮本文昭が出演したJTのCMを見てオーボイストを志したらしい)は無料パンフレットにもインタビューが載っているが、丁寧な演奏を聴かせた。

「トゥオネラのレンミンカイネン」も黄泉の国の音楽ということで霊感に満ちつつ仄暗い響きで曲は進むが、途中で明るさが増し、快活な曲調となる。尾高と大フィルの明るめの音がプラスに出ている。

「レンミンカイネンの帰郷」。管楽器が英雄的な旋律を奏で、シベリウスらしい透明感と、自然と人間の調和した響きが鳴り渡り、ドラマティックな展開を経て終わる。大フィルは響きに威力があり、尾高による音の設計と推進力も万全である。

4つの音楽からなるということで、交響曲に例える向きもあるかも知れないが、やはりこれは交響詩の連作という印象を受ける。深遠さや雄大さ、叙情味など共通点を持ちつつ曲の方向性と性格が異なるためで、4つの曲を通して楽しむというよりも別個の個性を楽しんだ方が楽曲の本質に近づけるように思われる。

尾高とシベリウスの相性の良さを再確認した演奏会であった。

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2024年6月 3日 (月)

これまでに観た映画より(336) 「ジョン・レノン 失われた週末」

2024年5月15日 京都シネマにて

京都シネマで、ドキュメンタリー映画「ジョン・レノン 失われた週末」を観る。
1969年に結婚し、1980年にジョンが射殺されるまでパートナーであったジョン・レノンとオノ・ヨーコだが、1973年の秋からの18ヶ月間、別居していた時代があった。不仲が原因とされ、ジョンはニューヨークにオノ・ヨーコを置いてロサンゼルスに移っている。この間、ジョンのパートナーとなったのが、ジョンとヨーコの個人秘書だったメイ・パンであった。
中国からの移民である両親の下、ニューヨークのスパニッシュ・ハーレム地区に生まれ育ったメイ・パンは、カトリック系の学校に学び、卒業後は大学への進学を嫌ってコミュニティ・カレッジに通いながら、大ファンだったビートルズのアップル・レコード系の会社に事務員として潜り込む。面接では、「タイピングは出来るか」「書類整理は出来るか」「電話対応は出来るか」との質問に全て「はい」と答えたものの実は真っ赤な嘘で、いずれの経験もなく、まさに潜り込んだのである。プロダクション・アシスタントとして映画の制作にも携わったメイ。ジョン・レノンの名曲「イマジン」のMVの衣装担当もしている。また「Happy Xmas(War is Over)」にコーラスの一人として参加。ジャケットに写真が写っている。

ジョンの最初の妻、シンシアとの間に生まれたジュリアン・レノン。ヨーコは、ジュリアンからの電話をジョンになかなか繋ごうとしなかったが、メイはジョンとジュリアン、シンシアとの対面に協力している。ジョンが「失われた週末」と呼んだ18ヶ月の間に、ジョンはエルトン・ジョンと親しくなって一緒に音楽を制作し、不仲となっていたポール・マッカートニーと妻のリンダとも再会してセッションを行い、ジョン・レノンとしてはアメリカで初めてヒットチャート1位となった「真夜中を突っ走れ」などを制作するなど、音楽的に充実した日々を送る。デヴィッド・ボウイやミック・ジャガーなどとも知り合ったジョンであるが、メイは後にデヴィッド・ボウイのプロデューサーであったトニー・ヴィスコンティと結婚して二児を設けている(後に離婚)。

テレビ番組に出演した際にジョンが、「ビートルズの再結成はある?」と聞かれて、「どうかな?」と答える場面があるが、その直後にビートルズは法的に解散することになり、その手続きの様子も映っている。

現在(2022年時点)のメイ・パンも出演しており、若い頃のメイ・パンへのインタビュー映像も登場するなど、全体的にメイ・パンによるジョン・レノン像が語られており、中立性を保てているかというと疑問ではある。メイにジョンと付き合うことを勧めたのはオノ・ヨーコだそうで、性的に不安定であったジョンを見て、「あなたが付き合いなさい」とヨーコが勧めたそうである。ジョンの音楽活動自体は「失われた週末」の時期も活発であり、ヨーコの見込みは当たったことになるが、ジョンも結局はメイではなくヨーコを選んで戻っていくことになる。
ジョンがヨーコの下に戻ってからも付き合いを続けていたメイであるが、1980年12月8日、ジョンは住んでいた高級マンション、ダコタハウスの前で射殺され、2人の関係は完全に終わることになる。

メイ・パンは、ジュリアン・レノンとは親しくし続けており、映画終盤でもインタビューを受けるジュリアンに抱きつき、歩道を肩を組みながら歩いている。
ちなみにメイ・パンが2008年に上梓した『ジョン・レノン 失われた週末』が今年、復刊されており、より注目を浴びそうである。

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2024年6月 1日 (土)

コンサートの記(846) 遊佐未森「cafe mimo Vol.23 ~春爛漫茶会~」大阪公演

2024年5月18日 心斎橋PARCO SPACE14にて

午後5時から、心斎橋PARCO SPACE14で、遊佐未森の「cafe mimo Vol.23 ~春爛漫茶会~」に接する。シンガーソングライターの遊佐未森(ボーカル&ピアノ)が、ドラムス・パーカッション・打ち込み担当でバンドマスターの楠均(くすのき・ひとし)とギターの西海孝(にしうみ・たかし)の3人と行う春の恒例ライブ。東京、遊佐の出身地である仙台、名古屋での公演を経て、今日の大阪公演が千秋楽となる。
大阪公演のゲストは、wasambon。遊佐未森がハープの吉野友加(よしの・ゆか)と二人で始めたユニットで、純粋なゲストというよりも遊佐未森が別団体で加わる形になる。

会場となる心斎橋PARCO SPACE14(イチヨン)は、旧大丸心斎橋劇場、元そごう劇場で、遊佐未森は大丸心斎橋劇場時代にも、そごう劇場時代にもcafe mimo公演を行っている。名前の通り、心斎橋パルコ(大丸心斎橋店北館を改装したもの)の14階にある。

遊佐未森と西海孝の二人でスタート。「クレマチス」と「遠いピアノ」が歌われる。
若く見えるが、今年で還暦を迎えた遊佐未森。黄色い上着と白のロングスカートで登場する。
楠が加わり、3曲目には、ルー・リードの「Perfect Day」が歌われる。ここで、役所広司主演、ヴィム・ヴェンダース監督の映画「PERFECT DAYS」の話になる。リハーサルをしている期間に遊佐と楠は観ていて、スタジオで感想を語ろうとしたところ、西海からストップがかかった。西海は「PERFECT DAYS」をまだ観ていなかったので、ネタバレを聞きたくなかったのである。その後、西海は「PERFECT DAYS」を気に入り、3回観たという。遊佐が客席に「『PERFECT DAYS』ご覧になった方」と聞くとパラパラと拍手が起こっただけ。ほとんで観られていないようである。楠が「ネタバレ出来ないですね」と語る。遊佐に「PERFECT DAYS」の感想を聞かれた楠は、「素晴らしかったです」と返すが、遊佐に「普通ですね。バンマスとしては普通」と言われる。楠は、「いや、本気で職業替えしようかなと思いました」と映画の内容を称えていた。

桜の季節の歌をうたいたいということで、出身地である仙台をモデルにした「旅立ち」が歌われる。

cafe mimoの仙台での公演は、近年では秋保温泉(あきうおんせん。映画のタイトルにもなったことがある有名な温泉で、私も子どもの頃に泊まったことがある)の近くにある慈眼寺(じげんじ)という寺院の本堂で行っているのだが、本堂の屋根裏に燕が巣を作っていたそうで、公演中に燕が飛び交っていたという。「僕の森」を歌った時には鳴き声がレスポンスのように響いていたそうだ。だがスタッフによるとライブが終わり、撤収した途端に燕の姿も鳴き声も消えたそうである。
昨日は名古屋での公演だったのだが、乗ったタクシーがつばめタクシーという会社のもので、「燕が続いている」という。

「銀と砂金の星」、「野の花」などが歌われた後で、wasambonのために遊佐が衣装替えで引っ込む。その間、楠と西海が「水夢(すいむ)」という曲で繋いでいた。

西海と楠が引っ込み、遊佐未森と吉野友加のwasambonが登場。「『遊佐未森です』『吉野友加です』(二人で)『wasambonです』」と新人のように自己紹介する。二人とも縞模様のワンピース姿である。二人でお揃いのワンピースを買いに行ったそうで、試着しながら遊佐が「なんとか姉妹みたいだね」と言ったところ、吉野が「阿佐ヶ谷姉妹ですか?」と返してきたそうで、遊佐は「阿佐ヶ谷姉妹も好きだけど、安田姉妹とかのつもりだったのに」と思ったそうだ。ユニット名の由来となった「wasambon(和三盆)」という曲でスタート。

wasambonは一昨年に結成されたが、その年は1回ライブを行っただけ。だが昨年は、遊佐のデビュー35周年ということで、「wasambonでツアーをやってみたら」という話があり、東北と中国・四国地方でコンサートを行ったという。色々なところで色々な美味しいものを食べたそうだ。
四国で公演を行うとき、ハープを運ぶので新幹線で岡山まで行き、そこからレンタカーを使って瀬戸大橋を渡り、途中、与島(よしま)で瀬戸内海の風景を楽しんでいたのだが(遊佐は「お薦めです」と言った後に、「あ、こっちの人の方が絶対詳しいよ」と吉野に語る)、「祝35周年」という垂れ幕がかかっているのを吉野が見つけ、遊佐と一緒に写真を撮ったそうで、「(デビューからの歳月が)瀬戸大橋と同じ35周年」という話であった。

wasambonは、録音を行ったことがないので、客席に曲を知っている人がほとんどいない。歌入りのものだけでなく、遊佐のピアノ、吉野のハープによるインストゥルメンタル作品も演奏される(遊佐のアルバムにはインストゥルメンタル楽曲が入っている場合が多い)。和三盆ということで、タイトルに「スノーボール」「葛桜」などお菓子由来のものが多いのも特徴である。「JUNE」という曲もあったが、これもお菓子ではないがお菓子の名前でもある「水無月」にタイトルが変わるかも知れないとのことであった。「葛桜」については色々話してくれたのだが、和菓子に興味も知識もないため、こちらはピンとこなかった。
「赤い実」という曲は二人とも楽器を離れて、2本用意されたマイクを前にアカペラで歌う。間奏の部分は楽器が鳴らないので、遊佐が「間奏」といって過ごしていた。また「僕の森」は今回は吉野のハープ伴奏で歌われた。

楠と西海が戻ってきて、吉野も残り、4人編成での演奏。「森とさかな」「一粒の予感」などが歌われた。

本編終了後、楠と西海のBPB(物販ブラザーズ)が、「BPB! BPB!」を連呼しながら登場。Tシャツなど物販の紹介を行うが(西海が、「Tシャツも丁シャツなの? T字路も元々は丁字路だった」という話をする)、今回はグッズの流通が上手くいっていないようで、会場にグッズが余り届いておらず、後でネットで注文することになるようだ。

アンコールは昭和歌謡のカバーで、二村定一の「アラビアの唄」(1928年=昭和3年。遊佐未森のカバーアルバム「檸檬」に収録されている)が、楠の打ち込みによる伴奏、遊佐の楠の二人のボーカルにより、振り付きで歌われた。
振りは遊佐が考えたものだが、自身のYouTube公式チャンネル CHANNEL MïMOに振付の動画をアップしているそうで、客席でも一緒に踊っている人がいた。

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