これまでに観た映画より(336) 「ジョン・レノン 失われた週末」
2024年5月15日 京都シネマにて
京都シネマで、ドキュメンタリー映画「ジョン・レノン 失われた週末」を観る。
1969年に結婚し、1980年にジョンが射殺されるまでパートナーであったジョン・レノンとオノ・ヨーコだが、1973年の秋からの18ヶ月間、別居していた時代があった。不仲が原因とされ、ジョンはニューヨークにオノ・ヨーコを置いてロサンゼルスに移っている。この間、ジョンのパートナーとなったのが、ジョンとヨーコの個人秘書だったメイ・パンであった。
中国からの移民である両親の下、ニューヨークのスパニッシュ・ハーレム地区に生まれ育ったメイ・パンは、カトリック系の学校に学び、卒業後は大学への進学を嫌ってコミュニティ・カレッジに通いながら、大ファンだったビートルズのアップル・レコード系の会社に事務員として潜り込む。面接では、「タイピングは出来るか」「書類整理は出来るか」「電話対応は出来るか」との質問に全て「はい」と答えたものの実は真っ赤な嘘で、いずれの経験もなく、まさに潜り込んだのである。プロダクション・アシスタントとして映画の制作にも携わったメイ。ジョン・レノンの名曲「イマジン」のMVの衣装担当もしている。また「Happy Xmas(War is Over)」にコーラスの一人として参加。ジャケットに写真が写っている。
ジョンの最初の妻、シンシアとの間に生まれたジュリアン・レノン。ヨーコは、ジュリアンからの電話をジョンになかなか繋ごうとしなかったが、メイはジョンとジュリアン、シンシアとの対面に協力している。ジョンが「失われた週末」と呼んだ18ヶ月の間に、ジョンはエルトン・ジョンと親しくなって一緒に音楽を制作し、不仲となっていたポール・マッカートニーと妻のリンダとも再会してセッションを行い、ジョン・レノンとしてはアメリカで初めてヒットチャート1位となった「真夜中を突っ走れ」などを制作するなど、音楽的に充実した日々を送る。デヴィッド・ボウイやミック・ジャガーなどとも知り合ったジョンであるが、メイは後にデヴィッド・ボウイのプロデューサーであったトニー・ヴィスコンティと結婚して二児を設けている(後に離婚)。
テレビ番組に出演した際にジョンが、「ビートルズの再結成はある?」と聞かれて、「どうかな?」と答える場面があるが、その直後にビートルズは法的に解散することになり、その手続きの様子も映っている。
現在(2022年時点)のメイ・パンも出演しており、若い頃のメイ・パンへのインタビュー映像も登場するなど、全体的にメイ・パンによるジョン・レノン像が語られており、中立性を保てているかというと疑問ではある。メイにジョンと付き合うことを勧めたのはオノ・ヨーコだそうで、性的に不安定であったジョンを見て、「あなたが付き合いなさい」とヨーコが勧めたそうである。ジョンの音楽活動自体は「失われた週末」の時期も活発であり、ヨーコの見込みは当たったことになるが、ジョンも結局はメイではなくヨーコを選んで戻っていくことになる。
ジョンがヨーコの下に戻ってからも付き合いを続けていたメイであるが、1980年12月8日、ジョンは住んでいた高級マンション、ダコタハウスの前で射殺され、2人の関係は完全に終わることになる。
メイ・パンは、ジュリアン・レノンとは親しくし続けており、映画終盤でもインタビューを受けるジュリアンに抱きつき、歩道を肩を組みながら歩いている。
ちなみにメイ・パンが2008年に上梓した『ジョン・レノン 失われた週末』が今年、復刊されており、より注目を浴びそうである。
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