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2024年7月の13件の記事

2024年7月31日 (水)

これまでに観た映画より(342) 「帰ってきた あぶない刑事」

2024年5月30日 新京極jのMOVIX京都にて

MOVIX京都で、「帰ってきた あぶない刑事」を観る。1980年代に社会現象を巻き起こした人気ドラマの劇場版第8弾。前回の作品から8年が経過している。
出演:舘ひろし、土屋太鳳、仲村トオル、早乙女太一、西野七瀬、杉本哲太、鈴木康介、小越勇輝、長谷部香苗、深水元基、ベンガル、岸谷五朗、吉瀬美智子、浅野温子、柴田恭兵ほか。監督:原廣利。脚本:大川俊道、岡芳郎。

「あぶない刑事」は私が小学校から中学生の頃に日本テレビ系で放送されていた連続ドラマで、まさに世代である。他の刑事ドラマと違って、謎解きなどは重視されず、渋い格好良さを持った刑事二人がとにかく拳銃をぶっ放すという豪快さと、お洒落な街・横浜を舞台にした洗練された雰囲気、ブッチ・キャスディ&サンダンス・キッドをモチーフにしたような軽妙なやり取りなどを特徴としたバディものであり、刑事ものにありがちな「人情」などの湿っぽさがないのも特徴であった。

当時の横浜には、みなとみらい地区はまだ出来ておらず、ランドマークタワーもない。エンディングロールに流れる赤レンガ倉庫は今でこそ飲食店や展示スペースとなっている観光地だが、当時は廃墟で、「近づくのは危険」とされていた。当時と今とでは横浜のイメージも大分異なると思われるが、山下公園、港の見える丘公園、馬車道、元町、中華街などは当然ながら当時もあり、東京のベイエリアの再開発がまだ進んでいなかったということもあって、「気軽に海を見に行けるお洒落な街」として人気があった。東京ではなく異国情緒溢れる横浜を舞台にしたこともこの作品の成功に大いに寄与していると思われる。
今では日本を代表する俳優の一人となっている仲村トオルであるが、「あぶない刑事」第1シリーズが初の連続ドラマ出演で、この時はまだ専修大学文学部に通う学生(専大松戸高校からの内部進学)であった。撮影のために卒業式には出られなかったため、撮影現場で卒業証書を授与される場面がメイキング映像に入っていたことを覚えている。

今回も、オープニングテーマはシリーズドラマの時と同じ舘ひろし作曲のフュージョン風のものが用いられており、エンディングテーマとして第2シリーズのエンディングだった舘ひろしの「翼拡げて」の2024年版が流れる。

さて、元刑事の「セクシー大下」こと大下勇次(柴田恭兵)と「ダンディー鷹山」こと鷹山敏樹(舘ひろし)の二人は、横浜港署捜査課を定年退職し、二人でニュージーランドに渡って探偵事務所を開いていたが、自己防衛のためにやむを得なかったとはいえ、盛大なやらかしを行ってしまい、ニュージーランドの探偵免許を剥奪され、横浜に戻って「タカ&ユージ探偵事務所」を開くことになる。交通課にいた真山薫(浅野温子。ドラマのラストカットは必ず彼女であった)は二人を追ってニュージーランドに行くが、今は行方不明だそうである。映画は観客のために、鷹山と大下が横浜港の埠頭でこれまでの経緯を説明する場面から始まる。

時が経ち、若手刑事だった町田透(仲村トオル)も高層ビル化された横浜港署の捜査課長になっている。ちなみに透の「とろい動物」というあだ名は現場で柴田恭兵がつけたもので、「飯を食べるのが遅かった」というのがその理由である。仲村トオルは人と食事をすると早い方なのだが、柴田と舘は異様に早いらしい。
透の部下は更に若く、エースといえるのは女性捜査員の早瀬梨花(西野七瀬)だ。若い女性刑事がエースというのも時代の流れを感じさせる。
鷹山は港で、ある女に目がとまる。ステラ・リーという女(吉瀬美智子)で、横浜の裏社会に通じる劉飛龍(リュウ・フェイロン。岸谷五朗)と共に車に乗り込んだ。

横浜の新興会社、ハイドニックが業績を上げている。若手社長の海堂巧(早乙女太一)の父親は、「あぶ刑事」ファンにはお馴染みの暴力団・銀星会の会長であり、大下と鷹山に殺害されていた。巧は二人に恨みを持っている。海堂は、「横浜は(東京特別区を除く)都市としての人口が日本一なのに、生産力は(人口2位の)大阪市の3分の2に過ぎない」として、これを覆すべくカジノの誘致を進め、劉と繋がる。横浜市は大阪市より人口は約100万人多いが、大阪市は面積が主要都市の中では最も狭く、周辺の都市の人口を合わせると横浜よりも上になる。また横浜は昼間人口より夜間人口の方が多く、産業都市でもあるが、ベッドタウンの要素の方がより強い街でもある。

タカ&ユージ探偵事務所に最初の依頼人が訪れる。永峰彩夏という若い女性(土屋太鳳)で、失踪した母親の夏子を探して欲しいという依頼だった。ホームページを見て来たという。夏子は以前、横浜のクラブでシンガーをしていたが、鷹山とも大下とも関係を持っており、二人とも彩夏が「自分の娘なのではないか」と色めき立つ。

かつて港署の「落としの中さん」と呼ばれ、今は情報屋をしている田中(ベンガル)に話を聞く鷹山だったが、現在の夏子の情報は得られない。

探偵として捜査に出る二人。横浜港署まで出向いてかつての後輩である透にも情報を求める。透がお偉いさんになっても、二人との関係は余り変わらないのが微笑ましい。透は二人が「あぶない」ことをしないよう、早瀬に監視命令を出す。
横浜では最近、殺人事件が多発しており、その背後に海堂がいるのではないかという疑惑が浮上する。透は神奈川県警が動いていないことを不審に思うが、海堂は政治家など多くの権力者の弱みを握っており、うかつに手が出せない。
やがて鷹山は夏子を見つけ出す……。

激しいアクションと銃撃が売りの「あぶない刑事」。二人とも年を取り、探偵という設定ということでどうなるのかと思ったが、柴田恭兵は草野球にのめり込んでいるためか、走るシーンでも疲れた素振りを見せることはない。銃撃に関してはある裏技が使われる。
柴田恭兵も舘ひろしもプライベートでは白髪にしているが、今回は役作りのため、「白髪だけど染めてはいます」ということが分かる髪で登場。老いても格好良さを失わないのは流石俳優である。

岸谷五朗は、大河ドラマ「光る君へ」でも中国語を喋るシーンがあったが、同じ中央大学出身である上川隆也とは違い、外国語のセリフを話すのは得意ではないようである(ただし「光る君へ」ではそこそこ上手く喋れたのに、「もっと下手にして下さい」と言われたとのこと)。今回は中国人役だけにもう少し頑張って欲しかった。

若手女優のイメージだった土屋太鳳ももう29歳(映画上での設定は24歳)。今は女優の旬の時期も延びており、松本まりかのように30代でブレークする女優がいたり、40代でもヒロインになれたりするが、「あぶない刑事」第1シリーズの頃は、浅野温子がーー彼女は既婚者で子持ちということもあったがーー20代後半でもう「そこそこベテラン」であった。女優が花盛りなのは20代までという空気があり(作家の村上龍が「20代以外は女ではない」と平気で言っていた時代である)、今とは大分事情が異なっていた。

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2024年7月28日 (日)

京都芸術劇場春秋座 「立川志の輔独演会」2024 「試し酒」&「文七元結」

2024年5月19日 京都芸術劇場春秋座にて

午後1時から、京都芸術劇場春秋座で、「立川志の輔独演会」に接する。春秋座での志の輔の独演会は、今年で16年目となる。

今回も満員の盛況で、今日は上手側サイドの補助席で観た。

まず、志の輔の七番弟子である立川志の麿による「初天神」が打たれる。
父親が天神詣でに向かうが、女房から息子も連れて行って欲しいとせがまれる。「あれが欲しい、これが欲しいとせがむから駄目だ」と父親は言うが、結局は共に初天神に向かうことになる。息子が、「あれが欲しい、これが欲しいと言わなかったから褒美に飴買って頂戴」と言い、父親は飴屋で飴を探すのだが、一つ取り上げては息子に「違う」と言われて戻し、指を舐めて、その手で次の飴を取り上げるを繰り返したため、飴屋の主に注意される。
続いては団子屋。「あんこと蜜どちらがいいか」と聞かれた息子は蜜を選ぶが、父親は蜜を付けた団子の蜜を全て舐めて壺に入った蜜に再び浸ける。息子もそれを真似て同じことをするという内容である。

続いて、志の輔の六番弟子である志の太郎による「釜泥」。「釜泥棒」の略である。
泥棒達の間で石川五右衛門は尊敬されているのだが、「天下の大泥棒、石川五右衛門」ではなく、「釜ゆでの刑にされた石川五右衛門」として広まってしまっている。そこで江戸中の釜を盗んで釜ゆでを連想出来ないようにして五右衛門の名誉を回復しようということになり、江戸の泥棒達が総出で釜を盗むようになる。まず釜飯屋が狙われ、釜飯が作れなくなった釜飯屋は路地裏に下がって飯屋をやるようになる。「これがうらめしや(恨めしや)」
そば屋や豆腐屋といった釜を使う店も狙われた。豆腐屋の会合に出てきた豆腐屋の爺さんは、「釜の中に入って、釜泥棒が釜を盗みに来たら中から飛び出して、『石川や浜の真砂は尽きぬとも我泣きぬれて蟹とたわむる』と叫んで飛び出せば(豆腐屋の婆さんに石川が違う〈石川啄木のこと〉と言われる)、泥棒達も『五右衛門の幽霊が出た!』と逃げ出すに違いない」と考え実行する。
さてその夜、豆腐屋の爺さんが釜の中に入っていると、二人組の泥棒が釜を盗みに来る。釜を縛り、天秤棒で担ぎ上げて表に出るが、爺さんは酔っていて気がつかない。外は満天の星と月で泥棒も良い気分になるが、起きた爺さんが婆さんを呼ぶ。当然ながら返事はないが、そこで怒った爺さんが大声を上げて飛び出すと、泥棒達は「お化けだ!」と言って逃げ出す。
満天の星と月を見て爺さんは、「しまった、家を盗まれた」とつぶやくのだった。


志の輔登場。「試し酒」をやる。
「今日が3日間の公演の3日目ということで、今日のために昨日一昨日と2日間、リハーサルをして参りました」と冗談を言う。
まず枕として、京都が外国人だらけという話をする。小さな路地にも外国人は我々とは感性が違うのか入っていくが、冷静に考えると「あれ、迷ってるんじゃないか?」
桜の季節は外国人が多いので押し合いへし合い、紅葉の季節もまた押し合いへし合い、ゴールデンウィークを避ければ5月は大丈夫なんじゃないかと思ったが、それでもまだ外国人観光客が多いという。「その京都にこんなに多くの日本人がいたとは」と客席を見回して笑いを取る。京都はどこに行っても観光客が多いが、「京都にはなんでもあるが一つだけないものがある。富士山」。京都に富士山があれば外国人観光客は皆、富士山に行って他のところが空くのではないかという。
富士山観光も外国人には人気で、それも富士山のみではなく、富士山と麓のコンビニを一緒に撮るのが定番だそうである。志の輔は毎年のように東南アジアで公演を行っており、今年もベトナムのハノイで独演会を開くそうだが、ハノイのコンビニは日本のそれとは違い、「とりあえずある」という感じで、それに比べると日本のコンビニはハイクラスであり、それが外国人には珍しいらしい。コンビニ側も対策として黒い幕で店を覆ったりしているそうだ。

東山七条の京都国立博物館で、「雪舟伝説」という展覧会を観てきた志の輔であるが、「入っていきなり国宝。次も国宝、その次も国宝」と驚くが、「5点ぐらい国宝が続くと飽きる」そうである。また「雪舟伝説」は「雪舟伝説」と銘打ちながら雪舟の作品は全体の3分の1程度で、残りは雪舟に影響を受けた絵師や画家の作品。志の輔は最初気づかず、雪舟作品だと思って見ていたが、違うことに気づき、これまでの道を引き返して、最初の雪舟の作品でない絵に戻って、半ば2周することになったそうである。
そんなこんな色んなことがあっても大谷翔平がヒットを打っている姿を見ると落ち着くそうで、そこからもう一人の天才、藤井聡太の話になる。100手先が読めるということで、朝を起きてからのその日の100手を読むと、夜にベッドに入るまでが全て分かって困るということで、「(皆さん)平凡で良かったですね」と言う。藤井聡太と渡辺名人との対局で、藤井聡太は一手打つのに2時間28分掛けたという話をする。藤井聡太も渡辺名人も手を読んでいるからいいが、審判員の3人、モニターを見ている記者達などは2時間28分何も起こらないのにじっと見ていなければならない。その点、落語はずっと喋ってるので、「将棋よりは楽しい2時間28分」と語る。

「試し酒」。店の主が、近江屋の主人から酒を勧められるが、体調が万全ではないとして断る。近江屋の主人は店の表に連れてきた手代の久蔵を待たせているが、久蔵は大酒飲みで、近江屋の女房によると五升を飲み干すらしい。そこで主は、久蔵を呼び、「五升飲み干したら金子をやろう」と提案する。しかし、飲み干せなかった場合は、「箱根への温泉旅行に行かせて貰う」。勿論、旅費は近江屋の主人が出す。久蔵は、「主人に金は出させられねえ」と言って表に出て行ってしまうが、しばらくして戻ってきて、五升飲むことに挑戦する。
主の「酒よりも好きなものはあるのか?」との問いに、「金でさあ」と答える久蔵だったが、金は田畑を買ったりするのではなく、酒を買うために使うので、結局は酒が一番であることを明かしたり、「酒は体に毒というが、百薬の長だぞ」などと、あれやこれやと言いながら五升飲み干した久蔵。店の主は、何か酒が飲める薬でもあるのか、まじないでもやるのかと問うが、久蔵は、「今まで酒を五升飲んだことがないので、そこの酒屋で試しに五升飲んできた」


「文七元結(ぶんしちもっとい)」。元は落語だが、歌舞伎の演目としても有名な話である。歌舞伎版の「人情噺文七元結」は、女優が出ても構わない数少ない歌舞伎の演目で、波乃久里子や松たか子が、お久役で出演している。歌舞伎座で行われた「人情噺文七元結」の公演を観ていた脚本家の市川森一が、「やけに綺麗な女形が出ているな」と気づき、後にそれが九代目松本幸四郎(現・二代目松本白鸚)の次女である松たか子(当時16歳)だと知り、自らが脚本を手掛けた大河ドラマ「花の乱」で主人公である日野富子の少女時代役に抜擢したという話がある。
歌舞伎版の「人情噺文七元結」は、南座の耐震工事期間中にロームシアター京都メインホールで行われた顔見世の演目で観ている。中村芝翫の長兵衛で、お久を演じたのは女形の中村壱太郎であり、中村芝翫の襲名披露公演ということで途中で口上が述べられた。

まず枕。志の輔は、酒は365日飲む。入院したこともあるが、それでも隠れて飲む。強いわけではないが飲むことが好きである。今はやめたがゴルフに嵌まっていたこともあり、春秋座での独演会を終えた翌日に、狂言の茂山千五郎家の人々と一緒に滋賀県でゴルフをしたこともあるそうだ。
もう一つ嵌まっているものとして中古レコード収集があり、京都に来るたびに中古レコード店に行くのが習慣になっているという。ただ京都で一番大きい中古レコード店が宝塚市に移転してしまったため、仕方なく小さな中古レコード店を2件訪ねたのだが、いずれも品揃えが貧弱。困っていると弟子がネット検索して「髙島屋の4階にあります」と教えてくれたという。「髙島屋って、あの髙島屋? 家賃どうしてるの?」と気になったらしいが、今朝、四条河原町の京都髙島屋に行ってみたそうだ。思いのほか広いスペースを誇る中古レコード店で、東京のディスクユニオンなどとは比べものにならないが、品揃えもまずまずで、808円の中古レコードを買ったそうだ。そのレコードを東京の自宅に持って帰って棚に入れると同じレコードが12枚並ぶ。ということで同じレコードでも何枚も買っているらしい。その中には「葬儀の時に棺桶に入れて貰うために」封も切っていないレコードもあるらしい。東京では中古レコード店を巡ることはなく、自分でも不思議だったのだが、「きっと飲みに行っているからでしょうね」と結論づける。
中毒と言えば、「今は9割の人がそうなんじゃないか」というスマホ中毒が挙げられ、「スマホがないとえらいことになる。今、スマホがないことに気づいた人は落語聞いてる場合じゃない、探さないと」
「でも大谷翔平も野球中毒でしょう。彼に『半年間バットを持たないでくれ』と言ったら気が狂うと思う。藤井聡太も将棋中毒でしょう」

左官頭の長兵衛は、腕は良いが博打好きで、多額の借金をこさえており、それでも懲りずに博打に出掛けて身ぐるみ剥がれて帰ってきた。家は真っ暗。女房によると油を買う金もないという。女房は娘のお久が出て行ったことを長兵衛に告げる。吉原の大店、佐野槌(さのづち)に買って貰い、親の借金を返そうとしていたのだ。
それを知った長兵衛は佐野槌に向かおうとするが、身ぐるみ剥がれてしまったため、半纏とふんどししか身につけておらず、このままでは吉原には行けない。そこで女房の衣装を引き剥がし、それを纏って吉原へと向かう。佐野槌に着いた長兵衛は、女将から五十両の借金をする。返済の期限は来年の大晦日。それまでに返せなかったら、お久は女郎として店に出すという。
五十両を受け取って帰路についた長兵衛だが、吾妻橋に差し掛かったところで、隅田川に身投げしようとしている青年がいることに気づく。なんとか止める長兵衛。青年は鼈甲商尾張屋に奉公している文七で、石川屋から金を受け取り、店に帰る途中、枕橋で人相の悪い男とすれ違いざまに五十両を盗まれてしまったのだという。このままでは店に帰れないと身投げをすることに決めたのだ。
何度も説得したあげく、長兵衛は虎の子の五十両を文七に譲ることにする。「吉原の大店、佐野槌にいる娘が店に出て客を取る。病気をするかも知れない。か○わになるかも知れない。が、死ぬわけじゃない。そうならないよう、観音様かお不動さんに祈っとけ」と言って長兵衛は去る。
店に帰った文七は、五十両を差し出すが、主は、文七が碁に嵌まっていることを知っており、石川屋でも店先で主人と夢中になって碁を打ち、五十両を忘れて帰って行ったと先方から使いが来て、五十両を先に受け取っていた。五十両は盗まれたのではなかったのだ。
主は、五十両をくれた男について、「商人(あきんど)には出来ないことだ」と感心。早速、五十両を渡した男の正体を探ることになる。文七は男の娘が吉原の大店にいることは覚えていたが、店の名前が思い出せない。主は吉原には詳しくなく、番頭もお堅い男だという。主は最初の一文字でも思い出せないかと、一音ずつ発するが、「さ」が出たところで、「さの」が出て、番頭が躍り上がって「佐野槌!」と言い、店の位置まで唱える。お堅いと思わせていたのは表面だけで、実際は遊んでいたらしい。
ということで、男の正体が長兵衛だと分かり、一行は日本橋達磨町の長兵衛の長屋に行く。町の者に聞くと、夫婦仲が悪く、いつも「バカヤロー!」と罵声が聞こえるのが長兵衛の長屋だという。すぐに分かった。着るもののない女房を屏風の裏に隠し、対応する長兵衛。「一度やったものは受け取れない」と突っぱねる長兵衛だったが、それを諫める声が屏風の向こうから聞こえる。「誰かいるのか?」となるが長兵衛は誤魔化す。結果的には、長兵衛は金を受け取り、お久も尾張屋の主に身請けされて戻り、文七とお久は夫婦となって元結(髷を結う紐)屋を始めたという。

志の輔の語りはしかるべき言葉がしかるべき場所に嵌まっていく見事なものである。いずれも古典落語であるが、志の輔が作った落語のように聞こえてくるのが面白く、話を完全に自分のものにしているのが分かる。


なお、志の輔の一番弟子である立川晴の輔が「笑点」の大喜利レギュラーになったそうである。「何枚座布団を貰うんでしょう。私は一枚だけ」
今度、WOWOWでPARCO劇場でやった公演が放送されるそうであるが、今はYouTubeで様々な映像が出回っており、許可を得ずに録音した落語の音声が流れているそうで、「アンケートに書いてありました。『私の前の席の人が録音してました』。その時、言えって!」。録音している人の特徴は分かっているそうで、「自分の声が入るといけないので笑わない」そうである。
2時間ほど喋ったが、藤井聡太はまだ一手も打っていないという話もする。
来年の1月にもまたPARCO劇場で1ヶ月公演をやるそうだが、「3日やるだけでも苦しいのに1ヶ月。京都で言う話ではないかも知れませんが、1ヶ月もやるんだから観に来ない理由はありませんわな」と締めていた。

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2024年7月24日 (水)

コンサートの記(852) 沖澤のどか指揮 京都市交響楽団「ZERO歳からのみんなのコンサート」2024「打楽器で遊ぼう~キッチン・コンチェルト」@京都市呉竹文化センター

2024年7月20日 丹波橋の京都市呉竹文化センターにて

午前11時から、伏見区、京阪丹波橋駅南口目の前の京都市呉竹文化センターで、NOSTER presents 京都市交響楽団「ZERO歳からのみんなのコンサート」2024~さあ、クラシックファンをはじめよう~を聴く。指揮と進行役は、京都市交響楽団第14代常任指揮者の沖澤のどか。
沖澤のどかは、今月の京都市交響楽団の定期演奏会の指揮台にも立つ予定だが、ちょっと油断している間にチケット完売になってしまった。沖澤人気を甘く見ていたようだ。というわけで今月の京響の定期には行けないことが決定。代わりに今日の「ZERO歳からのみんなのコンサート」のチケットを取った。ちなみに沖澤指揮の「ZERO歳からのみんなのコンサート」は、今日は呉竹文化センターで、明日は西京区上桂の西文化会館ウエスティで行われるが、いずれもすでにチケット完売で人気の高さが表れている。
なお、沖澤は11月の京響の定期演奏会も振る予定だったが、出産の予定があるということですでにキャンセルしている。

何度も来ている呉竹文化センター。経年劣化は否めないが、ホールは空間が小さめで音の通りの良い会場である。

今回のテーマは、「打楽器で遊ぼう~キッチン・コンチェルト」で、打楽器をフィーチャーしたコンサートとなっている。


曲目は、カバレフスキーの組曲「道化師」より「ギャロップ」、レオポルト・モーツァルトのおもちゃの交響曲から第1楽章、ヨーゼフ・シュトラウスの「鍛冶屋のポルカ」、ルロイ・アンダーソンの「タイプライター」、ルロイ・アンダーソンの「シンコペーテッド・クロック」、榊原栄のキッチン・コンチェルト(台所用品独奏:中山航介)、チャイコフスキーのバレエ組曲「くるみ割り人形」より「こんぺいとうの踊り」、プロコフィエフの組曲「三つのオレンジへの恋」から「行進曲」、ビゼーの歌劇「カルメン」前奏曲。
休憩なし、上演時間1時間弱のコンサートである。チケットは1000円均一と安い。


ポピュラーな曲目が並ぶ。定期演奏会では本格的な曲目が取り上げられることが多いので、こうしたポピュラーな小品がコンサートで取り上げられることは案外少ない。録音においてもそうで、有力な指揮者でこうした小品集をレコーディングしているのは、ヘルベルト・フォン・カラヤン、サー・アンドルー・デイヴィス、ウォルフガング・サヴァリッシュが目立つ程度である(アンドルー・デイヴィスとサヴァリッシュは往時の東芝EMIの企画でレコーディングを行っている)。

今日のコンサートマスターは、京響特別客演コンサートマスターの会田莉凡(りぼん)。泉原隆志と尾﨑平はいずれも降り番である。フルート首席の上野博昭、クラリネット首席の小谷口直子は乗り番である。なお、先月まで京響首席ヴィオラ奏者として活躍していた小峰航一は退団し、東京フィルハーモニー交響楽団の首席ヴィオラ奏者に転じている。

今日は指揮者も楽団員も、SOU・SOUと京響のコラボTシャツを着て演奏する。

0歳児から入れるコンサートなので、常に子どもが泣きわめいている状態なのであるが、そういうコンサートなので気にしても仕方が無い。京響側もそれを考えて気楽に聴けるポピュラーなプログラムにしていると思われる。


カバレフスキーの組曲「道化師」から「ギャロップ」は、小学校の運動会の徒競走の音楽としてお馴染みであるが、今の小学校の運動会でも使われているのかは定かでない。沖澤も演奏終了後に同じことを語っていた。ちなみに沖澤はベルリン在住なので、現在の日本の小学校についてはよく知らないと思われる。
シロフォンの活躍する曲で、沖澤は、シロフォン奏者を特別に紹介して立たせた。
カバレフスキーの作品は、この「ギャロップ」のみが飛び抜けて有名で、組曲「道化師」全曲を収めたものも長年に渡って発売されているのは、ウォルフガング・サヴァリッシュ盤だけだったのだが、今はNAXOSからCDが出ているはずである。カバレフスキーはソビエト共産党支持の体制側の作曲家だったので、日本では好まれない傾向にある。
活気のある演奏であった。


レオポルト・モーツァルトのおもちゃの交響曲から第1楽章。おもちゃの交響曲は、長年に渡ってヨーゼフ・ハイドンの作品と見做されてきたのだが、どうやら違うということが分かり、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの父親であるレオポルト・モーツァルトが書いた「カッサシオン」の中に同様の音型があったため、レオポルトの作品とされ、「カッサシオン」のCDも発売された。今回もレオポルト・モーツァルトの作品としてプログラムに載っているが、「レオポルトは書き写しただけなのではないか」という説が浮上し、現在ではエトムント・アンゲラーなる人物が真の作者と考えられるようになっている。沖澤もチロル地方出身のアンゲラーが地元のおもちゃの紹介のために書いたのではないかという説を紹介していた。
上手側の花道におもちゃの楽器を持った京響の楽団員が並んで、楽器の紹介。中山航介がでんでん太鼓のようなものを叩き、トランペット首席のハラルド・ナエスがおもちゃのトランペットを吹いたほか、鳥の鳴き声や郭公の鳴き声を模した笛などが奏でられる。おもちゃの楽器を持った奏者はそのまま上手側の花道に立ったまま演奏を行う。
この曲のみ沖澤はノンタクトで指揮。華やかで可愛らしい音楽が奏でられる。


ヨーゼフ・シュトラウスの「鍛冶屋のポルカ」。沖澤は、「今、鍛冶屋というとドラクエの中でしか耳にしないと思うんですけれど」と言いつつ、運ばれてきた金床(鉄床)を前に、「熱した金属を叩いて鉄器などを作る」と説明する。金床はアンヴィルと呼ばれるようであるが、沖澤は、「今、お腹の中に赤ちゃんがいるんですが、アンヴィルが鳴るとよく反応する」そうである。
ウィンナ・ポルカを演奏するには呉竹文化センターの音響は素っ気ないようにも思うが、快活な演奏が繰り広げられる。アンヴィルを叩く打楽器奏者(女性。名前は分からず)もユーモラスなパフォーマンスを行っていた。


ルロイ・アンダーソンの「タイプライター」。この曲も有名ではあるが、実演に接するのは10年以上前に行われた広上淳一指揮京都市交響楽団の円山公園音楽堂での野外演奏会以来ではないだろうか。タイプライターのみで独奏を行う演奏もあるが、今回は、ベルとギロ入りでの演奏である。
沖澤は、タイプライターは今ではパソコンに相当すると述べるが、パソコンが比較的静かにタイプ可能なのに対して、タイプライターは音も大きく、それゆえ打楽器(鍵盤楽器?)として使用する試みが行われたのだろう。当時は、タイプライターを使って仕事をするタイピストは女性の花形職業であったが、今はタイプするだけの仕事はいくつかの例外を除いてなくなってしまった。いくつかの例外も非正規社員の仕事になっていると思われる。
タイプする男性奏者は手慣れたもの。ベル奏者とギロ奏者は、締め切り間近を示すかのように徐々に男性奏者に近づいて圧力を掛ける。


ルロイ・アンダーソンの「シンコペーテッド・クロック」。ウッドブロックが活躍する曲である。沖澤は、打楽器奏者にウッドブロックを掲げるよう指示する。「今、目覚まし時計というとスマホを使うと思うんですけど」という話もしていた。
ルロイ・アンダーソンの曲は、京響らしい洗練された音と適度なユーモアが特徴的な都会的な仕上がりとなっていた。「シンコペーテッド・クロック」の演奏を終えて沖澤は、「時計、壊れちゃいましたね」と語る。


榊原栄のキッチン・コンチェルト。下手側花道にキッチンスペースが設けられ、コック帽をかぶった中山航介(京響打楽器首席)が、フライパン、ボウル、おたまなど調理道具を打楽器としたソロ演奏を行う。カデンツァは長いが(その間、聴衆の他、沖澤と京響メンバー全員が中山を見つめる)、終えると中山はワインを飲み、椅子に腰掛けて新聞を読み始める。そこに別の京響団員(女性)が背後から近づいて、「仕事しなさい!」とけしかけるという内容である。
音楽は、半世紀ほど前のアメリカのテレビドラマの音楽を連想させるもので、分かりやすいが、特に面白いという訳でもない。あくまでパフォーマンスが主役の作品という気がする。
榊原栄は、本業は指揮者だったようで、作曲は東京芸術大学で山本直純に師事。2005年に永眠したようである。


「キッチンが出てきたので、皆さんお腹空きませんか? ここで食べ物の曲を2曲」と沖澤は言って、チャイコフスキーのバレエ組曲「くるみ割り人形」から「こんぺいとうの踊り」と、プロコフィエフの組曲「三つのオレンジへの恋」から「行進曲」が演奏される。
「こんぺいとうの踊り」は、チェレスタが活躍することで知られる。京響がチェレスタを必要とする場合、大抵は佐竹裕介が演奏を行うことになるのだが、今日は佐竹ではなく、女性の奏者がチェレスタを奏でた。
プロコフィエフの組曲「三つのオレンジへの恋」から「行進曲」。「三つのオレンジへの恋」は歌劇で、沖澤は「三つ目のオレンジがパカーンと割れて」出てきた王女と王子が結ばれる話だと説明する。
「こんぺいとうの踊り」の神秘性、「三つのオレンジへの恋」から「行進曲」の推進力と諧謔姓などいずれも豊かな演奏である。


今年の「ZERO歳からのみんなのコンサート」は、3公演ともボディーパーカッションが入る。今日は山本愛香がボディーパーカッションのレクチャーをした後、ビゼーの歌劇「カルメン」前奏曲に乗せて、聴衆と共にパフォーマンスを行った。


アンコール演奏は、「弦楽器を打楽器的に用いる」ということで、ヨハン・シュトラウスⅡ世&ヨーゼフ・シュトラウスの「ピッチカート・ポルカ」。典雅な演奏であった。

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2024年7月23日 (火)

美術回廊(84) パリ ポンピドゥーセンター 「キュビスム展 美の革命 ピカソ、ブラックからドローネー、シャガールへ」

2024年5月29日 左京区岡崎の京都市京セラ美術館1階南北回廊にて

左京区岡崎の京都市京セラ美術館1階回廊(南・北とも)で、パリ ポンピドゥーセンター「キュビスム展 美の革命 ピカソ、ブラックからドローネー、シャガールへ」を観る。
タイトル通り、パリのポンピドゥーセンターが所蔵するキュビスムの絵画や彫刻、映像などを集めた展覧会。「50年ぶりの大キュビスム展」と銘打たれている。

写実ではなく、キューブの形で描写を行うことを特徴とする「キュビスム(キュービズム)」。抽象画ではなく、あくまで実物をキューブ化して描くのが特徴である。元々は「印象派」同様、どちらかというと蔑称に近かった。パブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックによって始まり、最初は不評だったが、代表作「ミラボー橋」で知られる詩人で評論家のギヨーム・アポリネールがその創造性を評論『キュビスムの画家たち』において「美の革命」と絶賛したことで、次第に多くの画家に取り入れられるようになる。マリー・ローランサンがアポリネールと彼を取り巻くように並ぶ友人達を描いた作品(「アポリネールとその友人たち」第2ヴァージョン。ローランサンとアポリネールは恋仲だった)も展示されている。ローランサンもこの絵においてキュビスムの要素を取り入れているが、結局はキュビスムへと進むことはなかった。

キュビスムの源流にはアフリカの民俗芸術など、西洋の美術とは違った要素が盛り込まれており、それがアフリカに多くの領土(植民地)を持っていたフランスに伝わったことで画家達に多くのインスピレーションを与えた。だが、ピカソやブラックが全面的にキューブを取り入れ、分かりにくい絵を描いたのに対し、それに続く者達はキューブを意匠的に用いて、平明な作風にしているものが多い。ピカソやブラックの画風がそのまま継承された訳ではないようで、キュビスムが後々まで影響を与えたのは絵画よりもむしろ彫刻の方である。
ピカソはフランスで活躍したスペイン人、ブラックはフランス人だったが、キュビスム作品を扱った画商のカーンヴァイラーがドイツ系だったため、「キュビスムは悪しきドイツ文化による浸食」と誤解されて、第一次大戦中にフランス国内で排斥も受けたという。ブラックらキュビスムの画家も前線に送られ、カメレオン画家のピカソはまたも画風を変えた。これによりキュビスムは急速に衰えていく。

ピカソもブラックも楽器を題材にした作品を残している。ブラックは、「ギターを持つ女性」を1913年の秋に描き、翌1914年の春に「ギターを持つ男性」を作成して連作としたが、「ギターを持つ男性」が抽象的であるのに対して、「ギターを持つ女性」の方はキュビスムにしては比較的明快な画風である。顔などもはっきりしている。

キュビスムの画風はフェルナン・レジェ、ファン・グリスによって受け継がれたが、それ以降になると具象的な画の装飾的傾向が強くなっていく。
ロベール・ドローネーは、キュビスムを取り入れ、都市を題材にした絵画「都市」と壮大な「パリ市」を描いたが、マルク・シャガールやアメデオ・モディリアーニになるとキュビスムと呼んで良いのか分からなくなるほどキュビスム的要素は薄くなる。共に個性が強すぎて、流派に吸収されなくなるのだ。

発祥の地であるフランスでは衰えていったキュビスムであるが、他国の芸術には直接的にも間接的にも影響を与え、イタリアの未来派やロシアの立体未来主義に受け継がれていく。

フランスにおけるキュビスムを総括する立場になったのが、建築家、ル・コルビュジエの名で知られるシャルル=エドゥアール・ジャヌレ=グリである。ル・コルビュジエは画家としてスタートしており、キュビスムの影響を受けた絵画が展示されている。初期のキュビスムとは異なり、込み入った要素の少ない簡素な画だが、シンプルな合理性を重視した建築家としての彼のスタイルに通じるところのある作品である。ル・コルビュジエは、「純粋主義(ピュリスム、ピューリズム)」を提唱し、『キュビスム以降』を著して、装飾的傾向が強くなったキュビスムを批判し、よりシンプルで一般人の関心を惹く芸術を目指した。

最後に展示されているのは、実験映画「バレエ・メカニック」(1924年)である。坂本龍一が影響を受けて、同名の楽曲を作曲したことでも知られるフェルナンド・レジェとダドリー・マーフィー制作の映像作品で、作曲はアメリカ人のジョージ・アンタイル。彼の作曲作品の中では最も有名なものである。上映時間は13分48秒。
音楽は何度も反復され、映像は断片的。女性の顔がアップになったり、部分部分が隠されたり、同じシーンが何度も繰り返されたり、機械が動く要素が映されたり、マークが突如現れたりと、当時の最前衛と思われる技術をつぎ込んで作られている。キュビスムとは直接的な関係はないかも知れないが、現実の再構成やパーツの強調という似たような意図をもって作られたのだろう。

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2024年7月22日 (月)

これまでに観た映画より(341) 「関心領域 THE ZONE OF INTEREST」

2024年5月27日 京都シネマにて

京都シネマで、アメリカ・イギリス・ポーランド合作映画「関心領域 THE ZONE OF INTEREST」を観る。監督・脚本:ジョナサン・グレイザー。出演:クリスティアン・フリーデル、ザンドラ・ヒュラーほか。音楽:ミカ・レヴィ。原作:マーティン・エイミス。音響:ジョニー・バーン&ターン・ウィラーズ。ドイツ語作品である。
第76回カンヌ国際映画祭グランプリ、英国アカデミー賞非英語作品賞、ロサンゼルス映画評論家協会賞作品賞・監督賞・主演賞・音響賞、トロント映画批評家協会賞作品賞・監督賞、米アカデミー賞国際長編映画賞(元・外国語映画賞)・音響賞などを受賞している。

ドイツ占領下のポーランド領アウシュヴィッツにあった強制収容所の隣に住んでいたナチス親衛隊中尉一家、ヘス家の日常を描いた作品である。アウシュヴィッツ強制収容所の直接的な描写は一切ないが、遠くからなんとも言えない声や音がヘス家の中まで響いてきて、目に見えない惨劇を連想させる。音響のための映画とも言えるだろう。
アウシュヴィッツ強制収容所との対比を出すために、意図的に何気ない日常が中心に描かれており、隣で何が起こっているのかについては、登場人物の多くが関心を持たない。ドラマとしては面白いものとは言えないだろうが(実際、いびきが響いていた)、それが狙いであると思われる。実際にアウシュヴィッツで撮られた映像は理想郷をカメラに収めたかのように美しい。

主人公のルドルフ・ヘス(クリスティアン・フリーデル)は、アウシュヴィッツ強制収容所の隣に住み、収容所の所長をしているが、近く異動になる予定である。出世であるが、単身赴任する必要があり、妻子がアウシュヴィッツの家で暮らすことが出来るよう取り計らってくれるように頼んでいる。ヒムラー、アイヒマン、ヒトラーなどのナチスを代表する人物達の名前が登場するが、彼らが画面に登場することはない。なお、ルドルフ・ヘスは実在の人物で、アウシュヴィッツ強制収容所の所長をしていた頃の告白遺録『アウシュヴィッツ収容所』を遺しており貴重な史料となっているようである。

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2024年7月20日 (土)

楽興の時(48) Salon&Bar SAMGHA MANGETSU LIVE 2024.4.24 小出智子(リュート)

2024年4月24日 元本能寺町そばのSalon&Bar SAMGHAにて

元本能寺の近く、油小路に面したSalon&Bar SAMGHAで、MANGETSU LIVEに接する。
毎月、満月の日にSAMGHAで行われる古楽を中心とした演奏会。今日はリュート奏者の小出智子がソロで出演する。

小出智子は、同志社女子中学校時代にクラシックギターを始め、同志社大学英文科卒業後、会社員生活を経てリュートを始め、関西を中心にリュートの演奏活動を行っている。左京区下鴨の月光堂音楽教室リュート科講師であり、日本リュート協会理事も務めている。

バロック時代までは盛んに奏でられていたリュートだが、その後、急速に衰退。弦の数が多すぎることや音が小さいことなどがその理由とされる。ギターやマンドリンといった楽器に取って代わられ、20世紀半ばに古楽ブームが起きるまでは過去の楽器扱いだった。現在も知名度こそ回復しているが、レパートリーが古い時代のものに限られるということもあり、演奏家の数や演奏を教える教室の数などもギターなどに比べると段違いで少ない。

午後7時からと、午後8時から、それぞれ演奏時間30分ほどの2回公演。
小出はまず、「誰でも知っているはず」の曲として「グリーンスリーブス」を演奏する。
リュートの音楽の多くが、パッサメッツォというコード進行で出来ているということで、パッサメッツォの進行による音楽が何曲も奏でられた。

服部良一の「蘇州夜曲」を弾いて欲しいというリクエストがあったのだが、小出が出だししか知らないということで、私が急遽アカペラで「蘇州夜曲」を歌って協力したりした。
その後、ネット上にあった「蘇州夜曲」の楽譜が印刷されて配られ、皆で歌うことになったが、印刷した譜面は渡辺はま子が歌った女声バージョンを元にしているため、キーが高く、男声には歌いにくかった。

リュートの主なレパートリーとしてベルガマスカ(ベルガマスク)という北イタリアのベルガモ地方の中世の舞曲があり、第2部ではベルガマスカを中心として演奏が行われた。
フランスの作曲家であるドビュッシーがベルガマスク組曲(第3曲の「月の光」が有名)を、フォーレが「マスクとベルガマスク」という舞台音楽を書いているが、フランスにおけるベルガマスクは、イタリア発の中世のベルガマスクとは趣が大きく異なるようである。

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これまでに観た映画より(340) ドキュメンタリー映画「ビヨンド・ユートピア 脱北」

2024年1月31日 京都シネマにて

京都シネマで、ドキュメンタリー映画「ビヨンド・ユートピア 脱北」を観る。アメリカの作品。金王朝が続く北朝鮮。洗脳教育が行われ、民は貧しく餓死者が出る始末。飲み水にも事欠くという状況であり、脱北を試みる人が後を絶たないが、金正恩は脱北は犯罪行為と断言したため、連れ戻されて悲惨な目に遭う人も多い。最悪、死刑もあり得るようだ。

今回のドキュメンタリーでは、北朝鮮から鴨緑江を越え、中国へと入った一家5人が、中国大陸を通過し、ベトナムとラオスを経てタイに亡命するまでを追っている。ソウルに住む牧師が計画を立ててリードを行い、ブローカーが何人も間に入るが、ブローカーは人助けがしたいわけではなく、金目当てだという。

中国国内も安全というわけではないが、そこから先は更に危険。ベトナムでは3つの道なき山を上る必要があり、予想以上に時間が掛かってしまう。ラオスも共産圏だけあって中国との結びつきが強く、途中、危険な目に遭うことはなかったが、用心する必要はある。

最後はラオスとタイの間を流れるメコン川。船は小さく、川に落ちたら渦巻く底流によりまず助からないという。そうした危機の数々を乗り越えて、ようやくソウルに至った家族。それでもまだ金正恩に対する洗脳が解けていないのが印象的であり、北朝鮮がいかに異様な国家であるかをうかがい知ることが出来る。

北朝鮮の家庭では、金日成、金正日、金正恩の肖像を一家で一番良いところに掛けねばならず、時折、当局から抜き打ちの検査があり肖像に埃が付いていたりすると大変なことになるようだ。また北朝鮮の威容を世界に示すマスゲームも幼い頃から放課後に有無を言わさず練習させられるようで、実情を知る人は哀れで見ていられないという。

この異様な国家がどこへ向かうのか。我々は見届ける必要があるように思う。

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2024年7月19日 (金)

これまでに観た映画より(339) 濱口竜介監督作品「悪は存在しない」

2024年5月22日 京都シネマにて

京都シネマで、濱口竜介監督作品「悪は存在しない」を観る。第94回アカデミー賞で国際長編映画賞(旧・外国語映画賞)、第74回カンヌ映画祭で脚本賞などを獲得した「ドライブ・マイ・カー」の濱口竜介監督の最新作。出演:大美賀均(おおみか・ひとし)、西川玲(にしかわ・りょう)、小坂竜士(こさか・りゅうじ)、渋谷采郁(しぶたに・あやか)、菊池葉月、三浦博之、島井雄人、山村崇子、長尾拓磨、宮田佳典、田村泰二郎ほか。音楽:石橋英子。
ほぼ無名の俳優や素人同然の俳優を使った意欲的な配役である。主役の大美賀均に至っては、俳優ではなく映画の助監督出身で、昨年、中編映画で初監督を経験したという完全に作り手側の人である。子役の西川玲は映画初出演。重要な役を演じる小坂竜士は俳優業を休んでいて久しぶりの復帰。渋谷采郁は、チェルフィッチュの作品など演技力が余り求められないところでの演技経験が主である。この素人っぽさがある意味、この映画の肝であり、上手い俳優を使っていたら退屈極まりないものになっていたかも知れない。

濱口竜介監督は、東京大学文学部卒業後、横浜の馬車道にある東京藝術大学大学院映像研究科を修了しているが、スタッフにも東京藝術大学大学院映像研究科出身者が目立つ。アカデミックな制作陣が素人を使って制作しているというのも興味深い。

元々は、「ドライブ・マイ・カー」の音楽を担当した石橋英子が好評を得たことから、音楽フィルムを撮ることを濱口に提案。それがいつしか物語作品へと変化している。冒頭は音楽が流れる中、延々と空と木々が映されるシーンが続くが、それは音楽映像として作成されたことの名残なのかも知れない。

長野県水挽町という架空の自治体が舞台。安村巧(大美賀均)は、町の便利屋として、薪割り、木の伐採、水汲み、山菜採りなどを行っている。これで生活が成り立つのかどうか微妙に思えるが、特に金に不自由はしておらず、娘の花(西川玲)と一軒家で二人暮らし。母親の姿はないが、そのことについては特に触れられることはない。
水挽町は、名水の産地で、峯村佐知(菊池葉月)は、水の良さに感動して東京から移り住み、名水を使ったうどん屋を営んでいる。
そんな水挽町に、東京の芸能事務所がグランピング(テントを使った一種のホテル)を建てる計画を立て、説明会が行われることになる。コロナの補助金目当ての事業であることは明白だった。町の公民館のような施設で、東京から来た高橋(小坂竜士)と黛(渋谷采郁)の二人が映像などを使って説明を行うが、浄化槽の位置が問題で、水挽町の水に影響を与えるのではないかといった疑問や、管理人が24時間常駐している訳ではないので、管理人がいない間に花火などをされたら困るなどの意見が出る。高橋も黛も芸能畑の人間なので、環境面などについては詳しいことを把握しておらず、責任を取れる立場の者が来ていないということもあって、説明会は一触即発の状態になる。

一方、高橋と黛の側からも物語は描かれる。補助金目当ての社長とのネット会議を経て、二人が水挽町に向かう車中で行う会話は自然体で、ある意味、セリフっぽくなく、独特の魅力がある。二人の出自を説明する会話なのだが、芸能マネージャーの高橋が俳優の元付き人で俳優として作品に出たことがあったり、黛が元介護福祉士で、半ばミーハーな気持ちから芸能事務所に社員として入ったことが分かる(介護福祉士というのがいかにもそれっぽいので当て書きかも知れない)。管理人に関しては、巧にやって貰ったらどうかという提案や、高橋が「自分がやろうか」と立候補の気配を見せたりする。二人とも自然環境を破壊する気はなく、水挽町の人々もグランピングに関して素人の高橋と黛を嫌悪するでもなく、それこそ「悪は存在しない」状態である。
そんな中、巧の娘である花が行方不明になる。町の人々も高橋も黛も花を探す。途中、黛が右手を怪我をしたため、巧の家に戻ることになる……。

第80回ヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞を受賞したほか、海外で多くの賞を受賞しているが、高橋と黛の車中の会話は日本人だからこそピンとくるはずの内容で、こうした細部が海外の人にどれだけ伝わっているのか疑問である。

ラストは自然との調和を乱そうとしたことへの自然側からの報いであり、町を守るために部外者の目を塞ぐ行為と見るべきだろうが、おそらく意図的にだと思われるが、詳しいことはぼやかされている。

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2024年7月14日 (日)

これまでに観た映画より(338) 「ゲキ×シネ 劇団☆新感線『メタルマクベス』」(2006)

2024年5月16日 T・ジョイ京都にて

京都駅八条口の南西、イオンモールKYOTO5階にある映画館、T・ジョイ京都で、「ゲキ×シネ 劇団☆新感線『メタルマクベス』」を観る。劇団☆新感線が2006年に上演した演劇作品を収録した映像の映画館上映。映像自体はイーオシバイドットコムからDVDで出ているものと同一内容だと思われる。
原作:ウィリアム・シェイクスピア(ちくま文庫から出ている松岡和子訳がベース)、脚色:宮藤官九郎。演出:いのうえひでのり。出演:内野聖陽(うちの・せいよう。上演当時は本名の、うちの・まさあき読みだった)、松たか子、北村有起哉、森山未來、橋本じゅん、高田聖子、栗根まこと、上条恒彦ほか。休憩時間15分を含めて上映時間4時間近い大作となっている。今はなき東京・青山劇場での収録。

宮藤官九郎が脚本ではなく脚色担当となっていることからも分かるとおり、大筋ではシェイクスピアの「マクベス」とずれてはいない。しかし、1980年代にデビューしたヘビメタバンド・メタルマクベスと、2206年の未来の世界がない交ぜになったストーリー展開となっており、生バンドによるメタルの演奏、出演者の歌唱などのある音楽劇であり、新感線ならではの殺陣などを盛り込んで総合エンターテインメント大作として仕上げている。「メタルマクベス」はその後も俳優や台本を変えて何度も上演されているが、今回上映される2006年のものが初演である。

ヘヴィメタルバンド・メタルマクベスは、一人を除く全員が「マクベス」の登場人物名を芸名に入れている。マクベス内野、マクダフ北村といった風にだ。メタルマクベスが発表したアルバムに含まれる楽曲の歌詞には、2206年に起こる出来事の予言めいた内容が多く含まれていた。
その2206年の未来では、「マクベス」さながらの物語が展開されている。ランダムスター(愛称はランディー。内野聖陽)は3人の魔女からマホガニーの新たな領主となること、また将来、ESP国の王となることを告げられる。ランディーの親友であるエクスプローラ(橋本じゅん)は、自らは王にはならないが、息子が王位に就くという。ランディーは妻のローズ(松たか子)の強い後押しもあり、ESP国の王(上条恒彦)の殺害を計画。殺害自体は成功するが、置いてくるはずだった短剣を持って帰ってきてしまう。ローズは短剣を殺害現場である寝室に戻しに行き、眠り込んでいた見張り役二人の顔と手に血を塗りたくって下手人に見せかけるが、自らの手も血で真っ赤に染まり、それがその後にトラウマとなって現れる。

まだ二十代だった松たか子。1990年代にすでに歌手デビューしていて、そこそこの売り上げを記録しており、コンサートツアーなども行っていた。ディズニー映画『アナと雪の女王』の挿入歌「Let It Go ~ありのままで~」日本語版の歌手に抜擢され、高い歌唱力で注目を浴びているが、この時点ですでに歌唱力は出来上がっており、メタル伴奏の激しいナンバーも歌いこなしている。また発狂したマクベス夫人の演技も巧みである(彼女は18歳の時に真田広之主演、蜷川幸雄演出の「ハムレット」でオフィーリアを演じており、狂乱の場で迫真の演技を見せている)。

内野聖陽はテレビでは余り歌うイメージはないかも知れないが、「エリザベート」に出演し、ブレヒトの「三文オペラ」のベースとなったジョン・ゲイの「乞食オペラ」に主演するなど、ミュージカルや歌ものの芝居にも出ており、歌唱力はなかなか高いものがある。内野は芝居でピアノを弾いたこともあり、何でも出来る器用な俳優である。舞台俳優としては間違いなく日本人トップを争う実力者である。

俳優であると同時にダンサーとしても活躍している森山未來。「メタルマクベス」でも華麗なダンスを披露する場面があり、また歌唱も披露。ずば抜けてというほどではないがまずまずの上手さである。

盛りだくさんの内容であるが、セリフを歌にしたり、クドカン独特のギャグが続いたり、殺陣の場面を多くしたりしたため、全体として長めとなり、間延びしているように見える場面があるのが惜しいところである。

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2024年7月 8日 (月)

観劇感想精選(465) KAAT 神奈川芸術劇場プロデュース「ライカムで待っとく」京都公演@ロームシアター京都サウスホール

2024年6月7日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールにて観劇

午後7時から、ロームシアター京都サウスホールで、KAAT 神奈川芸術劇場プロデュース「ライカムで待っとく」を観る。作:兼島拓也(かねしま・たくや)、演出:田中麻衣子。出演:中山祐一郎、佐久本宝(さくもと・たから)、小川ゲン、魏涼子(ぎ・りょうこ)、前田一世(まえだ・いっせい)、蔵下穂波(くらした・ほなみ)、神田青(かんだ・せい)、あめくみちこ。

1964年、アメリカ統治下の沖縄で起きた米兵殺傷事件を題材に、現在の沖縄と神奈川、1964年の沖縄、そして「物語の世界」を行き来する形で構成された作品である。

まず最初は現在の神奈川。横浜市が主舞台だと思われるが(中山祐一郎演じる浅野悠一郎が、「ウチナーンチュウ」に対して「横浜ーんちゅう」と紹介される場面がある)、神奈川県全体の問題に絡んでくるので、「神奈川」という県名の方が優先的に使われている。
カルチャー誌の記者をしている浅野悠一郎は、編集長の藤井秀太(藤田一世)から沖縄で起こった米兵殺傷事件について記事にするよう言われる。藤井は、横浜のパン屋に勤める伊礼ちえという沖縄出身の女性(蔵下穂波)と親しくなったのだが、ちえの祖父(無料パンフレットによると伊佐千尋という人物がモデルであることが分かる)が沖縄の米兵殺傷事件の陪審員をしており、その時の記録や手記を大量に書き残していた。そのちえの祖父が悠一郎にそっくりだというのだ。悠一郎が見ても、「これ僕だよ」と言うほどに似ている。実は伊礼ちえには別の正体があるのだが、それはラストで明かされる。
悠一郎の妻・知華(魏涼子)の祖父が亡くなったというので、知華は中学生になる娘のちなみを連れて、一足先に沖縄の普天間にある実家に戻っていた。知華の実家は元は今の普天間基地内にあったのだが、基地を作るために追い出され、普天間基地のすぐそばに移っている。実は知華の亡くなったばかりの祖父が、米兵殺傷事件の容疑者となった佐久本寛二(さくもと・かんじ。演じるのは佐久本宝)であったことが判明する。
沖縄に降り立った悠一郎は、タクシーの運転手(佐久本宝二役)から、若い女性が飲み屋からの帰り道に米兵にレイプされて殺害される事件があったが、その女性をタクシーに乗せて飲み屋まで送ったのは自分だという話を聞く。
悠一郎と知華は、亡くなった人の声を聞くことが出来る金城(きんじょう)という女性(おそらく「ユタ」と呼ばれる人の一人だと思われる。あめくみちこが演じる)を訪ねる。金城は、「どこから来た」と聞き、悠一郎が「神奈川から」と答えると、「京都になら行ったことがあるんだけどね。京都はね、平安神宮の近くに良い劇場(ロームシアター京都のこと)があるよ」と京都公演のためのセリフを言う。
ユタに限らず、降霊というとインチキが多いのだが、金城の力は本物で、29歳の時の祖父、佐久本寛二が現れ、金城は佐久本の言葉を二人に伝える(佐久本は三線を持って舞台奥から現れるが、悠一郎と知華には見えないという設定)。

舞台は飛んで、1964年の沖縄・普天間。近くに琉球米軍司令部(Ryukyu Command headquarter)があり、「Ry」と「Com」を取って「ライカム」と呼ばれていた。米軍が去った後でライカムは一帯を指す地名となり、残った。ライカムの米兵専用ゴルフ場跡地に、2015年にイオンモール沖縄ライカムがオープンしている。
1964年の沖縄でのシーンは、基本的にウチナーグチが用いられ、分かりにくい言葉はウチナーグチを言った後でヤマトグチに直される。
写真館を営む佐久本寛二は、部下の平豊久(小川ゲン)、タクシー会社従業員の嘉数重盛(かかず・しげもり。演じるのは神田青)と共に、大城多江子(あめくみちこ二役)がマーマを務めるおでんやで嘉数の恋人を待っている。嘉数は数日前に米兵から暴行を受けていたが、警察に行っても米兵相手だと取り合ってくれないため、仲間以外には告げていない。恋人がやってきたと思ったら、やってきたのは寛二の兄で、嘉数が勤めるタクシー会社の経営者である佐久本雄信(ゆうしん。前田一世二役)であった。雄信は米兵の知り合いも多い。実は寛二にはもう一人弟がいたのだが、その運命は後ほど明かされた。
嘉数の恋人、栄麻美子(蔵下穂波二役)がやってくる。「ちゅらかーぎー(美人)」である。
嘉数らはゴルフに行く予定で、皆でゴルフスイングの練習をしたりする。しかし結局、「沖縄人だから」という理由でゴルフ場には入れて貰えなかった。
嘉数は麻美子を連れて糸満の断崖へ行って話す。嘉数は11人兄弟であったが、一族は沖縄戦の際に全員、この崖から飛び降りて自決した。「名誉の自決」との教育を受けた世代であり、それが当たり前だった。嘉数一人だけが偶然米兵に助けられて生き残った。

現代。悠一郎はパソコンで記事を書いている。「中立」を保った記事のつもりだが、藤井から「中立というのは権力にすり寄るということ」と言われ、「沖縄の人達の怒りや悲しみを伝えるのが良い記事」だと諭される。悠一郎は、「沖縄の人々に寄り添った記事」を書くことにする。

米兵殺傷事件が起こる。平が米兵に暴行されたのが原因で、寛二はゴルフクラブを手に現場に向かおうとするが、やってきた雄信に「米兵に手を出したらどうなるのか分かっているのか」と説得され、それでも三線を手に現場に向かう。この三線は尋問で凶器と見做される。

米統治下であるため、尋問や証人喚問などはアメリカ人により英語で行われる(背後に日本語訳の字幕が投影される)。またアメリカ時代の沖縄には本国に倣った陪審員制度があり、法律もアメリカのものが適用された。統治下ということはアメリカが主であるということであり、アメリカ人に有利な判決が出るのが当たり前であった。沖縄人による陪審員裁判の現場に悠一郎は迷い込み、陪審員の一人とされる。寛二が現れ、「どっちみち俺らは酷い目に遭うんだから有罪に手を挙げる」よう悠一郎に促す。

「物語」の展開が始まる。「沖縄は日本のバックヤード」と語られ、内地の平和のために犠牲を払う必要があると告げられる。
実は「物語」の作者は悠一郎本人なのであるが、本人にも止められない。
琉球処分、沖縄戦(太平洋戦争での唯一の市民を巻き込んだ地上戦)、辺野古問題などが次々に取り上げられる。辺野古では沖縄人同士の分断も描かれる。アメリカ側が容疑者の引き渡しを拒否した沖縄米兵少女暴行事件も仄めかされる。
いつも沖縄は日本の言うがままだった。そしてそれを受け入れてきた。沖縄戦では大本営の「沖縄は捨て石」との考えの下、大量の犠牲を払ってもいいから米軍を長く引き留める作戦が取られた。沖縄の犠牲が長引けば長引くほど、いわゆる本土決戦のための準備が整うという考えだ。ガマ(洞窟)に逃げ込んだ沖縄の人々は、日本兵に追い出された。また手榴弾を渡され、いざとなったら自決するように言われ、それに従った。そんな歴史を持つ島に安易に「寄り添う」なんて余りにも傲慢である。悠一郎が「寄り添う」を皮肉として言われる場面もある。
丁度、今日のNHK連続テレビ小説「虎に翼」では、穂高教授(小林薫)の善意から出た見下し(穂高本人は気づいていない)に寅子(伊藤沙莉)が反発する場面が描かれたが、構図として似たものがある。

最後に、京都で「ライカムで待っとく」を上演する意義について。戦後、神奈川県内に多くの米軍施設が作られ、今も使われている(米軍施設の設置面積は沖縄県に次ぐ日本国内2位である)。横須賀のどぶ板通りを歩くと、何人もの米兵とすれ違う。これが神奈川で上演する意義だとすると、京都は「よそ者に蹂躙され続けた」という沖縄に似た歴史を持っており、そうした街で「ライカムで待っとく」を上演することにはオーバーラップの効果がある。鎌倉幕府が成立すると、承久の乱で関東の武士達が京に攻めてきて、街を制圧、六波羅探題が出来て監視下に置かれる。鎌倉幕府が滅びたかと思いきや、関東系の足利氏が京の街を支配し、足利義満は明朝から日本国王の称号を得て、天皇よりも上に立つ。足利義政の代になると私闘に始まる応仁・文明の乱で街は灰燼に帰す。
足利氏の天下が終わると、今度は三好長慶や織田信長が好き勝手やる。豊臣秀吉に至っては街を勝手に改造してしまう。徳川家康も神泉苑の大半を潰して二条城を築き、その北に京都所司代を置いて街を支配する。幕末になると長州人や薩摩人が幅を利かせるようになり、対抗勢力として会津藩が京都守護職として送り込まれ、関東人が作った新選組が京の人々を震え上がらせる。禁門の変では「どんどん焼け」により、またまた街の大半が焼けてしまう。維新になってからも他県出身の政治家が絶えず街を改造する。それでも京都はよその人を受け入れるしかない。沖縄の人が「めんそーれ」と言って出迎えるように、京都は「おこしやす」の姿勢を崩すわけにはいかないのである。

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2024年7月 6日 (土)

観劇感想精選(464) 京都四條南座「坂東玉三郎特別公演 令和六年六月 『壇浦兜軍記』阿古屋」

2024年6月15日 京都四條南座にて

午後2時から京都四條南座で、「坂東玉三郎特別公演 令和六年六月」を観る。このところ毎年夏に南座での特別公演を行っている坂東玉三郎。今年の演目は、「壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)」で、お得意の阿古屋を演じる。

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まず坂東玉三郎による口上があり、片岡千次郎による『阿古屋』解説を経て、休憩を挟んで「壇浦兜軍記 阿古屋」が演じられる。
なお今回は番付の販売はなく、薄くはあるが無料にしてはしっかりとしたパンフレットが配られる。表紙はポスターやチラシを同じもので、篠山紀信が撮影を手掛けている。

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坂東玉三郎の口上。京都に来て東山の方で何か光がすると思ったら、京都競馬場が主催する平安神宮での宝塚記念ドローンショーだったという話に始まり、南座の顔見世に初めて出演した際の話などが語られる。これは以前にも語られていたが、28歳で顔見世に初出演した玉三郎。昼の部は普通に出られたのだが、当時の顔見世の夜の部は日付が変わる直前まで行われ、押して開始が11時半を過ぎる演目があると、客の帰宅に差し支えるというので上演が見送られたのだが、玉三郎の出る演目は前の演目が押したため11時半に間に合わず、舞台を踏めなかったという話であった。
阿古屋についてはその文学性の高さに触れていた。本当は罪人の縁者なので縛られていないとおかしいのだが、そのままでは縄を解かれてもすぐには楽器が上手く演奏できないので、縄を使わなくても不自然に見えないよう書かれているという。また、阿古屋がこの後も出てくるのだが、その時の衣装の方が見栄えがいいそうで、今日演じられる場面は普段着に近いという設定なのだがそれでもよく見えるような工夫が必要となるようである。またこの場は、前後との接続が難しいことでも知られているようで、全段上演した時は苦労したという。
最後は、「南座のみならず歌舞伎座を(大阪)松竹座をよろしくお願いいたします」と言って締めていた。


片岡千次郎による『阿古屋』解説。阿古屋が出てくる「壇浦兜軍記」は、今から300年ほど前に大坂の竹本座で初演された人形浄瑠璃、その後の俗称だと文楽が元になった義太夫狂言で、源平合戦(治承・寿永の乱)が舞台となっており、悪七兵衛景清(藤原景清、伊藤景清、平景清)を主人公とした「景清もの」の一つである。「だた景清はこの場には出てきません」と千次郎。今日上演されるのは、「阿古屋琴責めの場」と呼ばれるもので、今では専らこの場のみが上演されている。片岡千次郎は今回は岩永左衛門致連(むねつら)を人形振りで演じるのだが、この人形振りや、竹田奴と呼ばれる人々が入ってくるのは文楽の名残だそうである。

「阿古屋琴責めの場」に至るまでの背景説明。壇ノ浦の戦いで平家は滅亡したが、平家方の景清はなおも生き残り、源頼朝の首を狙っている。そこで源氏方は景清の行方を捜すためあらゆる手段に出る。禁裏守護の代官に命じられた秩父庄司重忠(畠山重忠)と補佐役の岩永左衛門致連は、重忠の郎党である榛沢(はんざわ)六郎成清(なりきよ)から景清の愛人でその子を身籠もっているという五条坂の遊女・阿古屋を捕らえたとの知らせを受け、堀川御所まで連れてこさせる。そこでの詮議を描いたのが、「阿古屋琴責めの場」である。


「壇浦兜軍記 阿古屋」。阿古屋は、琴、三味線(実際は平安時代にはまだ存在しない)、胡弓(二胡ではない)の演奏を行う必要があり、しかも本職の三味線と対等に渡り合う必要があるということで、演じられる俳優は限られてくる。そのため、今では「阿古屋といえば玉三郎」となっている。
出演:坂東玉三郎(遊君 阿古屋)、片岡千次郎(岩永左衛門致連)、片岡松十郎、市川左升、中村吉兵衛、市川升三郎、中村吉二郎、市川新次、澤村伊助、中村京由、市川福五郎、中村梅大、豊崎俊輔、末廣郁哉、山本匠真、和泉大輔、坂東功一(榛沢六郎成清)、中村吉之丞(秩父庄司重忠)。人形遣い:片岡愛三郎、片岡佑次郎。後見:坂東玉雪。

秩父庄司重忠と岩永左衛門致連が待つ堀川御所に、榛沢六郎成清が阿古屋を連れてくる。阿古屋は花道を歩いて登場。捕り方に周りを囲まれているが、優雅な衣装と立ち姿で動く絵のように可憐である。赤塗りの悪役である岩永は、景清の行方を知らないという阿古屋を拷問に掛けようとするが、重忠は、責め具として、琴、三味線、胡弓の3つの楽器を持ってこさせる。
重忠は、阿古屋に楽器を奏でて唄うように命じる。阿古屋は、「蕗組みの唱歌」を琴で奏でながら唄い、景清の行方を知らないことを告げ、景清との馴れ初めも唄う。
次は三味線を弾きながら「班女」を唄う。平家滅亡後、景清とは秋が来る前に再開しようと誓い合ったが、今では行方が知れないことを嘆く。
最後は胡弓。阿古屋は景清との恋とこの世の儚さを歌い上げる。重忠は、阿古屋の奏でる楽器の音に濁りや乱れがないことから、阿古屋が景清の行方を知らないのは誠として、阿古屋の放免を決める。
名捌きの後で、登場人物達が型を決めて終わる。


音楽劇として見事な構成となっている。3つの趣の異なる弦楽器を演奏しなくてはならないので、演じる側は大変だが、役者の凄さを見る者に印象づけることのできる演目でもある。琴の雅さ、三味線の力強さ、胡弓の艶やかさが浄瑠璃や長唄、三味線と絡んでいくところにも格別の味わいがある。それは同時に地方(じかた)への敬意であるようにも感じられる。


南座を後にし、大和大路通を下って、六波羅蜜寺に詣でる。境内に阿古屋の塚があるのである。まずそれに参拝する。阿古屋塚説明碑文のうち歌舞伎の演目「阿古屋」の部分の解説は坂東玉三郎が手掛けており、傍らには「奉納 五代目 坂東玉三郎」と記された石柱も立っている。

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その後、六道の辻の西福寺(一帯の住所は轆轤(ろくろ)町。髑髏(どくろ)町が由来とされる)で可愛らしい像を愛でてから西に向かい、三味線の音が流れてくる宮川町を通って帰路についた。

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2024年7月 4日 (木)

コンサートの記(851) 角田鋼亮指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2024「マエストロとディスカバリー!」第1回「ダンス・イン・ザ・クラウド」

2024年6月16日 左京区岡崎のロームシアーター京都メインホールにて

午後2時から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2024「マエストロとディスカバリー!」第1回「ダンス・イン・ザ・クラウド」を聴く。指揮は若手の角田鋼亮(つのだ・こうすけ)。

昨年度までは北山の京都コンサートホールで行われていたオーケストラ・ディスカバリーであるが、今年度はロームシアター京都メインホールが会場となった。トークが重要となるコンサートだけに、ポピュラー音楽対応でしっかりとしたスピーカーのあるロームシアター京都メインホールの方が向いているということなのかも知れない。実際に声は聞き取りやすかった。

オーケストラ・ディスカバリーは、吉本芸人を毎回ナビゲーターとして招いていたが、今年はナビゲーターが発表にならず、あるいはなしで行くのかと思われたが、1ヶ月ほど前に東京吉本の女性3人組、3時のヒロインがナビゲーターを務めることが発表された。オーケストラ・ディスカバリーのナビゲーターを女性が務めるのは初めてとなる。

曲目は、ヨハン・シュトラウスⅡ世の「トリッチ・トラッチ・ポルカ」、ヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツ「ウィーンの森の物語」、ラヴェルの「ラ・ヴァルス」、アブレウの「ティコ・ティコ」(山本菜摘編)、ファリアの歌劇「はかない人生」から「スペイン舞曲」、ヤコブ・ゲーゼの「ジェラシー」(日下部進編。ヴァイオリン独奏:会田莉凡)、ピアソラの「アディオス・ノニーノ」(日下部進編)、ガーシュウィンの「キューバ序曲」


今日のコンサートマスターは、特別客演コンサートマスターの会田莉凡(りぼん)。泉原隆志と尾﨑平は共に降り番で、フォアシュピーラーには客演アシスタント・コンサートマスターとして對馬佳祐(つしま・けいすけ)が入る。フルート首席の上野博昭は降り番。クラリネット首席の小谷口直子は、前半のポルカとワルツ3曲のみを吹いた。
ドイツ式の現代配置での演奏である。


指揮者の角田鋼亮は、大阪フィルハーモニー交響楽団の指揮者をしていたということもあって関西でもお馴染みの存在である。中部地方私立トップ進学校である名古屋の東海高校を経て、東京藝術大学指揮科と同大学院指揮修士課程を修了。ベルリン音楽大学国家演奏家資格課程も修了している(日本と違い、国家資格を得ないとプロの演奏家として活動することは出来ない)。2008年にドイツ全音楽大学指揮コンクールで第2位入賞。2010年の第3回グスタフ・マーラー指揮コンクールでは最終6人に残った。
2015年に名古屋のセントラル愛知交響楽団の指揮者に就任し、2019年からは常任指揮者、更に今年の4月には音楽監督へと昇進している。2016年から20年まで大阪フィルハーモニー交響楽団の指揮者、2018年から22年までは仙台フィルハーモニー管弦楽団の指揮者も兼任している。溌剌とした音楽性が持ち味。


ナビゲーターの3時のヒロインは、2019年に「女芸人No.1決定戦 THE W」で優勝している。福田麻貴、ゆめっち、かなでによる3人組で、このうちリーダーを務める福田麻貴はお笑い芸人輩出数日本一の関西大学出身であるが、最初からお笑い芸人一本での活動を志向していた訳ではなく、NSC大阪校の女性タレントコース(現在は廃止)を出て、桜 稲垣早希(現在は、パッタイ早希の芸名を得て、タイのバンコク在住)の後輩アイドルユニット・つぼみ(現・つぼみ大革命)で活動していた。その後、お笑いを活動の中心に据え、自身のお笑い活動の他に作家として他のお笑い芸人に本を提供してもいる。
ゆめっちは吹奏楽の名門・私立玉名女子高校(熊本県玉名市)に音楽推薦で入学し、吹奏楽部でトロンボーンを吹いていた経験がある。
かなでは、桐朋学園芸術短期大学演劇専攻(俳優座系。出身者に大竹しのぶ、高畑淳子など)を出て舞台女優をしていたところを演技のワークショップで知り合った福田に誘われてお笑いの道へと進んでいる。いいとこのお嬢さんである。
福田がリーダーとしてマイクと台本を持ち、進行を担当する。3人組だと、2人に話を振らないといけないため、話が長くなりがちだが、福田はテキパキとした性格のようで、なるべく短めに話を切り上げるようにしていた。


角田は、日本人としては比較的長身であるため、指揮台も低めのものが用いられる。

ヨハン・シュトラウスⅡ世の「トリッチ・トラッチ・ポルカ」。京響は音が美しく、勢いが良く楽しい音楽進行を見せる。
3時のヒロインの3人が登場し、「トリッチ・トラッチ・ポルカ」の由来(ペチャクチャとしたお喋り)などを紹介する。

今年度のタイトルにある「マエストロ」とは何かという話。角田は、「元々は音楽の先生という意味だったのですが、いつの間にか音楽では指揮者を指す言葉に。『料理の鉄人』の料理人なんかもマエストロです。サッカーのマラドーナやメッシなどの名手もマエストロ」。福田によると台本には「角田鋼亮マエストロ」と書かれているそうだが、角田は「若手とされているので、マエストロと呼ばれるのは恥ずかしい」「指揮者で良いとされる年齢というのは60歳から70歳くらい」と述べていた。かなでが冷やかしで角田に「マエストロ!」と声を掛ける。

ゆめっちが吹奏楽の名門・玉名女子高校吹奏楽部の出身であることが紹介され、「顧問の先生が練習の時はいつも厳しくて、本番の時だけ笑顔になるのが嬉しかった」と話し、角田に「練習の時は厳しいんですか?」と聞く。角田は冗談交じりで「世界で一番優しい」と答え、「50年ぐらい前までは厳しい指揮者もいたが、今は楽団員が上手くなり、一個の音楽家として尊敬されるようになったので、厳しい指揮者は余りいなくなった」と述べた。今、トスカニーニのように楽団員を罵倒し続けて、怪我まで負わせるようなリハーサルをしたら半日持たずにボイコットされてクビになるだろう。カール・ベームのような口が悪くネチネチとしたリハーサルにも付き合ってくれないだろう。指揮者が絶対的な権威から降りたことは楽団員にとっては幸せかもしれない。だが、先日も世界的な指揮者であるフランソワ=グザビエ・ロトによる複数の楽団の女性楽団員へのセクハラ行為が告発され(ロトは一部の事実を認めた)、ロトとレ・シエクルとの来日演奏会が中止に追い込まれたように、指揮者が上の立場を利用して問題化するケースはまだ存在する。

ヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツ「ウィーンの森の物語」。福田は、「美しく青きドナウ」、「皇帝円舞曲」と並んで、ヨハン・シュトラウスⅡ世の三大ワルツに数えられることを紹介する。
ウィーンの森ということで、ゆめっちが「鳥鳴くんですかね」と期待する。鳥の鳴き声をフルートが真似する部分はある。
今日はコンサートマスターとフォアシュピーラーが京響の専属ではないが、共に美しい響きを奏でる。
角田のしなやかな音楽性が生き、雅やかで潤いに満ちた音楽が紡がれていく。音の美しさだけなら、日本でもトップレベルのウィンナワルツであろう。ただ、山田和樹指揮モンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団の来日演奏会でも感じたことだが、ロームシアター京都メインホールは音が散りやすいので、フォルムを形作るのが難しいようである。

ラヴェルの「ラ・ヴァルス」。角田は、3時のヒロインの3人に、「『ラ・ヴァルス』は英語でいうと『ザ・ワルツ』。ラヴェルはワルツが好きだったが、肝心のウィーンではワルツが人気を失いつつあった」と語る。ウィーンでワルツの人気が復活するのは、クレメンス・クラウスが、1939年にヨハン・シュトラウスファミリーの曲目を中心としたウィーン・フィル・ニューイヤーコンサートを始めてからである。クラウスの指揮するウィンナ・ワルツやポルカは録音はやや古めだがCDがリリースされており、聴くことが出来る。
ラヴェルの作品は、「ボレロ」などラストで「とんでもないことが起こる」曲があるが、「ラ・ヴァルス」もそうした曲の一つである。それが悪かったということではないだろうが、ラヴェルも人生のラストで大変な事故に巻き込まれて、後遺症から快復できないまま亡くなることになる。
角田は、3時のヒロインの3人に、「ラ・ヴァルス」の、「冒頭、雲間から俯瞰でワルツを踊る人々が見える」と作曲者が明かした意図(今回のコンサートのタイトルでもある)を教えていた。
エスプリのようなものは感じられないが、リズム感が良く、冒頭の神秘感の表出も上手い。華やかなワルツの場面の描写にも長け、京響の長所である音の密度の濃さも感じられる。「とんでもないことが起こる」ラストは強調はされなかったが、良い演奏であった。


アブレウ作曲、山本菜摘編の「ティコ・ティコ」。角田はノンタクトで指揮し、リズム感豊かな音楽作り。
演奏終了後、福田麻貴が、編曲者の山本菜摘について、「今注目の人」と紹介していた。

福田が、「次はフラメンコです」と振る。ファリアの歌劇「はかない人生」より「スペイン舞曲」。3時のヒロインの3人はフラメンコに興味があるようだ。
色彩感豊かな演奏で、京響の技術も高い。情熱的な盛り上げ方も上手かった。

ヤコブ・ゲーゼの「ジェラシー」(日下部進編。ヴァイオリン独奏:会田莉凡)と、ピアソラの「アディオス・ノニーノ」(日下部進編)の2曲が続けて演奏される。いずれもタンゴの曲である。
ゲーゼは、デンマークの作曲家兼ヴァイオリニストだが、タンゴに触れ、作曲を行った。
「ジェラシー」もそうしたヨーロピアン・タンゴ(日本では和製英語のコンチネンタル・タンゴの名で知られる)の一つである。
ソリストの会田莉凡は達者なソロを披露。スケールの大きなヴァイオリンを弾く。演奏終了後、会田は客席からの喝采を受けた。

ピアソラの「アディオス・ノニーノ」。1990年代半ばのピアソラ・ブームで一躍時の人となったアストル・ピアソラ。アルゼンチン国立交響楽団が来日演奏会を行い、ピアソラのバンドネオン協奏曲などを演奏したりしたのもこの頃である。私もすみだトリフォニーホールで、アルゼンチン国立交響楽団の演奏を聴いているが、サッカー・ワールドカップ・フランス大会の予選リーグで日本はアルゼンチンと対戦することが決まっており、客席にもアルゼンチンの国旗を掲げる人がいるなど盛り上がっていた。ちなみに日本でのピアソラ・ブームに一役買ったのが、ピアソラの大ファンで、今丁度、京都四條南座の舞台に出ている坂東玉三郎で、彼が音楽誌などに書いた「これからも私はピアソラと共に生きていくのです」という一文が反響を呼んでいた。その後、チェリストのヨーヨー・マがウィスキーのCMでピアソラの「リベルタンゴ」を演奏して話題となり、ヴァイオリニストのギドン・クレーメルが弾き振りしたピアソラ作品のCDがベストセラーとなった。
ピアソラは元々はクラシックの作曲家になることを熱望していたが、パリ国立高等音楽院で名教師のナディア・ブーランジェに師事した際に、「あなたはせっかくアルゼンチンに生まれたのだからタンゴを書きなさい」と言われ、タンゴを一生の道と決める。売春宿で奏でられる楽器だったバンドネオンを使った楽曲の数々は人生の悲哀を切々と歌い上げ、多くの人々の胸を打った。
「アディオス・ノニーノ」は、父の死に接し、追悼曲として書かれたもので、哀歓と共にスケールの大きさと南米情緒が感じられる楽曲となっている。

かなでは、会田のヴァイオリンソロに、「女としてジェラシーを感じました」と語る。


本日最後はルンバの曲。かなではルンバについて、「掃除機(アイロボット社のロボット掃除機)しか思い当たらない」と言うが、角田が、「タンタ、タンタン」とルンバのリズムを教え、「『コーヒールンバ』をご存じですか」と3人に聞く。世代的にタイトルしか知らないようであったが、「コーヒールンバ」のルンバは裏打ちであることなどを説明する。演奏されるのは、ガーシュウィンの「キューバ序曲」。角田はガーシュウィンについて、「色々なところに旅したり滞在するのが好きな人だった。パリにいた時は、『パリのアメリカ人』を作曲したり。『キューバ序曲』もキューバに旅行して、昼間の賑やかさと夜の寂しさに触れた書いた」と説明する。
ガーシュウィンの「キューバ序曲」は、そこそこ有名で、たまにコンサートのプログラムにも載るが、もっと演奏されて知名度が上がっても良い曲だと個人的には思っている。
角田は、「打楽器に特に注目して欲しい」と言って演奏スタート。抜けるような青い空、輝く太陽、美しい海とビーチ、陽気な人々などの姿が目に浮かぶような楽しい音楽が流れていく。マラカスやボンゴの使い方も効果的で、ケの日でもハレ的なキューバ気質のようなものが伝わってくる。
ラスト付近になると、「タンタ、タタタタ、タンタンタン」というリズムが繰り返され、徐々に盛り上げっていく。ガーシュウィンという才人とキューバ音楽の幸福な邂逅が生んだ傑作である。
京響の明るめの音色もプラスに作用し、角田の生気溢れる音楽作りもあって、ご機嫌なラストとなった。

3時のヒロインは、福田麻貴がお笑いに走らず、メンバーに話を振りつつも進行役に徹していたのが好印象。立場や役割を心得た頭の良さが伝わってくる。

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これまでに観た映画より(337) 笠置シヅ子主演映画「ペ子ちゃんとデン助」(1950)

2024年6月17日

録画してまだ観ていなかった、笠置シヅ子主演映画「ペ子ちゃんとデン助」を観る。1950年制作の松竹作品。原作:横山隆一(漫画「ペ子ちゃん」「デンスケ」)、脚本:中山隆三、監督:瑞穂春海。音楽:服部良一。出演:笠置シヅ子、堺駿二、高倉敏(たかくら・びん。コロムビア・レコード)、横尾泥海男(よこお・でかお)、河村黎吉、沢村貞子、殿山泰司(とのやま・たいじ)、紅あけみほか。撮影:布戸章。
「フクちゃん」の作者である横山隆一の原作ということで、劇中で漫画「フクちゃん」が読まれる場面がある。

笠置シヅ子は、歌手時代は「笠置シズ子」名義で、女優に専念してから「笠置シヅ子」に芸名を変えたとする記述がよく見られるが、歌手時代に出演した映画でもクレジットが「笠置シヅ子」表記になっているものがあり、「ペ子ちゃんとデン助」もその一編である。ということで芸名を変えたというよりは、歌手「笠置シズ子」、女優「笠置シヅ子」と使い分けていた可能性の方が高いことが分かる。

笠置シヅ子が演じているのは、フラワ社という弱小カストリ雑誌社の記者兼編集者の大中ペ子である。ペ子は映画の途中で新しく創刊されることの決まった雑誌の編集長に抜擢されるが、取材の内容はクローバーレコードから売り出し中の覆面歌手、ミスタークローバーの正体を探って覆面を剥がすという下世話なもので、カストリ雑誌と余り変わらないように思える。この映画では笠置は「買い物ブギー」の歌詞以外は標準語で通しているが、たまにアクセントが大阪弁風になる時がある。
一方のデン助(堺駿二)は、フラワ社の給仕である。かなりドジな性格で、銀座の交差点で手紙類をばら撒いてしまい、たまたま通りかかったペ子に車道まで飛び散った手紙を拾わせて、自身は逃げてしまう。このシーンは、実際の銀座かどうかまでは分からないが繁華街の公道でのロケで、多くのエキストラを使って撮影したと思われるのだが、人や車、路面電車を全て止めて撮影したのだろうか。あるいは人通りの少ない早朝などにゲリラ撮影を行ったのだろうか。俯瞰でのアングルでどこから撮っているのかも気になる。

ペ子には大きく年の離れた弟がおり、「サザエさん」のサザエとカツオのようであるが、この時代には大きく年の離れた姉弟は珍しくなかったようである。

笠置シヅ子は美人ではなく、笠置本人も自身を「けったいな顔」と評していたり、初対面時に服部良一からがっかりされているが、映画での笠置シヅ子の表情はかなり魅力的で顔の造形が全てではないことが分かる。若き日の三島由紀夫が熱愛する笠置シヅ子と対談を行った時の記事が残っているのだが、三島の笠置に対する崇拝ぶりは凄まじく、読んでいるこちらが恥ずかしくなってくるほどであるが、なるほど、これなら三島が惚れるのも納得である。

笠置シヅ子は、映画オリジナルの「ペ子ちゃんセレナーデ」や「ラッキーサンデー」、デビュー曲の「ラッパと娘」の抜粋なども歌っているが、何よりも見物聞き物なのは代表曲「買い物ブギー」である。服部良一が上方落語「ないもん買い」をヒントに大阪弁の歌詞で作った意欲的な楽曲であるが、メロディーを歌うというよりも音を置いていくような進行は、ラップを先取りしていると見ることも出来る。ちなみに「ペ子ちゃんとデン助」の公開は1950年5月21日。「買い物ブギー」の発売は1950年6月15日で、やはりプロモーションを兼ねているようである。
「買い物ブギー」のシーンは、2階建てのセットを組み、水平方向のカメラ移動と、垂直方向への移動が組み合わされており、笠置シヅ子の動きも決まっていて、当時としてはかなり凝ったカットである。笠置が横顔を見せる場面では、向かいのビルや背後にもエキストラを配して手拍子させるなど芸が細かく、ミュージックビデオとして通用する。このシーンには女優デビューしたての黒柳徹子が通行人役で出演しているはずだが、映っているのかどうかはっきりとは確認出来ない。黒柳は何度もNGを出したそうだが、笠置がとても優しくにこやかな人で助かったという。

黒柳徹子の証言(連続テレビ小説「ブギウギ」放送を記念したNHKの特別インタビューより)
 “「通行するっていっても難しくて、『いま後ろ行った人、スパって行って、なんか不自然だから普通に歩いて!』ってディレクターから指示が出て、普通にってっどうやって歩くんだっけなと思って。『申し訳ありません。上手にやります』って言って。それでまた何回かトボトボ歩くと『もうちょっと元気よく!』って言われて、何回も何回もやらされたりして。そのたびに笠置さんは『今日は朝から♪』ってやらなきゃいけなくて、本当に申し訳なかったんですけど」
 「3回か4回やっていたら、笠置さんが私をご覧になってね、『大変でんな』っておっしゃったんですよ。なんていい方だろうと思って。私が下手なために、笠置さんはそのたびに『今日は朝から♪』って歌っていらっしゃるわけですから。『何回やらせるのよ!』っておっしゃったっていい立場なのに、とても優しくしてくださってね。芸能界ってのは怖いって聞いていたけど、あまり怖くないかもしれないなと思ったりしました」”

「買い物ブギー」は、曲が長く、全編がSP盤には収まらないので、最後の落語で言う下げの部分がカットされているが、この映画ではカットなしの全編を聴くことが出来る。なお、放送自粛用語(放送禁止用語という言葉があるが、戦後の日本には検閲制度はないので禁止にすることは出来ず、自粛に任せるというのが実情に近い)が含まれているが、この映画の2カ所と最初のSP盤の1カ所は伏せることなく歌われている。「買い物ブギー」は5年後に再録音が行われており、そちらは歌詞を変えて放送自粛用語は含まれていないため、現在では再録音盤の方が主に使用されている。

映画の中にエイプリルフールの下りがあるが、どうやらこの頃には日本でもエイプリルフールの習慣が広まっていたことが分かる。世相を知る上でも興味深い映画となっている。
また劇中に「のど自慢コンクール」(まだテレビはない時代なのでラジオでの放送)が登場するが、審査の結果を知らせるのがチューブラーベルズの響きというところは今と変わっていない。

この映画におけるデン助の役割はピエロ的であり、ラストも寂しげなデン助のシーンで終わる、かと思いきや「買い物ブギー」のアンコールがあり、「ものみな歌で終わる」展開となっている。


「ペ子ちゃんとデン助」に出演した男優は、殿山泰司を除き、おしなべて若くして亡くなっている(高倉敏に至っては癌のため41歳で没)が、まだ日本人の平均余命が短かった時代であり、俳優や歌手であったから若死にするということでもないはずである。
そんな中で、沢村貞子だけが飛び抜けて長命(87歳)で、女優としての名声も高い。

堺駿二は、堺正章の父親で、本名は栗原正至。堺正章の本名は栗原正章であるが、堺の芸名を受け継いでいるということになる。堺正章の娘も栗原小春を経て堺小春という女優になったので、芸名の堺姓が3代に渡って受け継がれることになった。

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