コンサートの記(853) 井上道義指揮 京都市交響楽団第690回定期演奏会 フライデー・ナイト・スペシャル
2024年6月21日 京都コンサートホールにて
午後7時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第690回定期演奏会 フライデー・ナイト・スペシャルを聴く。指揮は京響第9代常任指揮者兼音楽監督であった井上道義。井上の得意とするショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第1番(チェロ独奏:アレクサンドル・クニャーゼフ)と交響曲第2番「十月革命」(合唱:京響コーラス)の組み合わせ。明日はこれにショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第2番が加わる。
プレトークは開演の30分前が基本なのだが、今日は特別に開演10分前となっている。
井上道義は、「どうも井上です」と言いながら登場。「ショスタコーヴィチで完売になる日が来るなんて。今日は違います。明日です」
京都市交響楽団の音楽監督と務めたのがもう35年ほど前、京都コンサートホールが出来てから約30年(正確にいうと、1995年開場なので29年である)ということで時の流れの速さを井上は語る。あの頃は京響の宣伝のために燕尾服を着て鴨川に入った写真を撮ってテレホンカードにしたが、「今、テレホンカードなんて何の役にも立たない」
今ではショスタコーヴィチ演奏の大家となった井上であるが、ショスタコーヴィチの魅力に気づいたのは京響の音楽監督をしていた時代だそうで、京都会館でのことだそうである。ここから先は他の場所で話していたことになる。
以前に京都市交響楽団が本拠地としていた京都会館第1ホールは前川國男設計の名建築ではあるのだが、音響が悪いことで知られていた。音響の悪い原因は実ははっきりしており、なんとも京都らしい理由なのだが、ここには書かないでおく。井上は色々と試したのだが、何をやっても鳴らない。ただ唯一、ショスタコーヴィチだけはオーケストレーションが良いので音が通ったそうで、ショスタコーヴィチの凄さを知ったという。
ここで、今日、井上が語った内容に戻る。それまでは井上も、ショスタコーヴィチの音楽について、「重ったるい、暗い、社会主義的な音楽」だと思っていたのだが、いったん開眼するとそうではないことに気づいたという。明日演奏するチェロ協奏曲第2番についても、「クニャーゼフにも聞いたんだけど、暗い曲じゃない」。ただチェロ協奏曲第2番を演奏するのは明日なので、詳しくは明日話すことにするという。
ショスタコーヴィチの交響曲第2番「十月革命」は、ショスタコーヴィチが二十歳の時に書いた作品である(交響曲第1番は17歳で書いている)。この頃、ショスタコーヴィチは作曲家よりもピアニストに憧れていたというが、ショパン・コンクールでは入賞出来なかった。井上は客席に「二十歳以下の人」と聞く。結構手が上がるが、井上の見える範囲内では8人程度。「二十歳と言ったら(作曲家としては)まだ青二才です」
ショスタコーヴィチは「天才中の天才」と言える人で、「ソ連が生んだ初の天才作曲家」と言われているが、私の見るところ、「音楽史上最高の天才」で、おそらくモーツァルトよりも上である。ただモーツァルトの音楽が「天から降ってきた」ような音楽であるのに対し、ショスタコーヴィチの音楽は「あくまで人間が創造したもの」であるところが違う。
ロシア革命が起こり、それまでの体制が全てひっくり返る。若い人々がやる気に満ちている。井上は、「レーニンがみんな平等の社会を作ろうとした。ただ人間はそこまでクレバーじゃなかった。善意だけで国を作ろうとするとどうなるか」とその後のソ連の運命を暗示した。ただショスタコーヴィチが二十歳の頃のソ連は、世界のどこよりも自由で、ロシア・アヴァンギャルドなどの芸術が興り、何をどう表現してもいいような雰囲気に満ちていた。これはスターリンが台頭するまで続く。
無料パンフレットによると、ショスタコーヴィチはアレクサンドル・ベズィメンスキーの書いた「十月革命とレーニン礼賛」の詩を嫌っていたとあるが、井上はショスタコーヴィチはレーニンを尊敬していたと語った。
この曲ではサイレンが鳴るのだが、井上は、「サイレンが鳴りますがびっくりしないでね。心臓の悪い人、気をつけて」
この時代のショスタコーヴィチの音楽は、「まだ二枚舌じゃない」と井上は語り、「分かりやすい」とも付け加えた。
今日のコンサートマスターは、特別客演コンサートマスターの会田莉凡(りぼん)。フォアシュピーラーには泉原隆志。チェロの客演首席には櫃本瑠音(ひつもと・るね)が入る。佐渡裕が創設したスーパーキッズオーケストラ出身のようである。
ティンパニは中山航介(打楽器首席)が皆勤状態だったのだが、今日は降り番。終演後にホールの外で京響の団員に「今日は中山さんどうされたんですか?」と聞いている人がいた。
ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第1番。私が初めて聴いたショスタコーヴィチの曲の1つである。聴いたのは高校1年生頃だっただろうか。今はソニー・クラシカルとなっているCBSソニーのベスト100シリーズの中に、レナード・バーンスタインとニューヨーク・フィルハーモニックが東京文化会館で行ったショスタコーヴィチの交響曲第5番の演奏のライブ収録のものがあり、それにカップリングされていたのがショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第1番であった。ヨーヨー・マ(馬友友)のチェロ、ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団の伴奏。2曲とも今でもベスト演奏に挙げる人がいるはずである。
今回、チェロ独奏を務めるアレクサンドル・タニャーゼフはロシア出身。1990年のチャイコフスキー国際音楽コンクール(ヴァイオリン部門で諏訪内晶子が優勝して話題になった年である)チェロ部門で2位入賞。ロシア国内外の名指揮者と共演を重ねている。一方でオルガンも習得しており、バッハ作品などをオルガンで演奏して好評を博しているという。今、ロシアは戦争中であるため、具体的には書かないが色々と制約があるようである。タニャーゼフも以前はウクライナで何度も演奏を行っていたが、今は入ることも出来ないそうだ。ちなみに井上とタニャーゼフの初共演は20年前だそうで、タニャーゼフが20年前とはっきり覚えていたようである。
力強いが豪快と言うよりは粋な感じのチェロ独奏である。ロシアよりもフランスのチェリストに近い印象も受ける。ロシア音楽はフランス音楽を範としているため、フランス的に感じられてもそうおかしなことではない。歌は非常に深く印象的である。
指揮台なしのノンタクトで指揮した井上の伴奏もショスタコーヴィチらしい鋭さと才気に溢れた優れたものであった。
タニャーゼフのアンコール演奏は、J・S・バッハの無伴奏チェロ組曲第3番よりサラバンド。深々とした演奏であった。
ショスタコーヴィチの交響曲第2番「十月革命」。京響コーラスの合唱指揮(合唱指導)は大阪フィルハーモニー合唱団の指揮者である福島章恭(あきやす)が務めている。京響コーラスを創設したのは実は井上道義である。
宇宙的な響きのする曲で、一体どうやったら二十歳でこんな曲が書けるのか全く分からない。井上と京響も迫力と透明感を合わせ持った名演を展開し、「これはえらいものを聴いてしまった」という印象を抱く。なお、井上道義指揮による2度目の「ショスタコーヴィチ交響曲全集」を制作する予定があり、ホールの前にはオクタヴィア・レコードのワゴンが停まっていて、ホール内には本格的なマイクセッティングが施されていた。
粛清の嵐を巻き起こしたソビエト共産党との関係の中で、ショスタコーヴィチはミステリアスでアイロニカルな作風を選ぶ、というより選ばざるを得なくなるのだが、もっと自由な世界に生まれていたらどんな音楽を生み出していたのだろうか。更なる傑作が生まれていたのか、あるいは名画「第三の男」のセリフにあるように、「ボルジア家の悪政下のイタリア、殺戮と流血の日々はルネサンスを開花させた。一方、スイス500年の平和と民主主義が何を生み出したか。鳩時計さ」という聴衆にとっては不幸なことになっていたのか。想像は尽きない。
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