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2024年8月 2日 (金)

これまでに観た映画より(343) ドキュメンタリー映画「トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代」

2024年6月6日 京都シネマにて

京都シネマで、ドキュメンタリー映画「トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代」を観る。ザ・フォーク・クルセダーズ、サディスティック・ミカ・バンドなどの中心メンバーとして活躍し、日本ポピュラー音楽界をリードし続けながら残念な最期を遂げた加藤和彦(愛称:トノバン)の姿を多くの音楽関係者達の証言を元に浮かび上がらせるという趣向の映画である。

京都市伏見区生まれの加藤和彦。実は生まれてすぐに関東に移っており、中高時代は東京で過ごして、自身は「江戸っ子」の意識でいたようなのだが、京都市伏見区深草にある龍谷大学経済学部に進学し、在学中にデビューしているため「京都のミュージシャン」というイメージも強い。ということもあってか、京都シネマは満員の盛況。一番小さいスクリーンでの上映であるが、それでも満員になるのは凄いことである。

監督:相原裕美。出演:きたやまおさむ(北山修)、松山猛、朝妻一郎、新田和長、つのだ☆ひろ、小原礼、今井裕、高中正義、クリス・トーマス、泉谷しげる、坂崎幸之助(THE ALFEE)、重実博、清水信之、コシノジュンコ、三國清三、門上武司、高野寛、高田漣、坂本美雨、石川紅奈(soraya)、斉藤安弘“アンコー”、高橋幸宏ほか。声の出演:松任谷正隆、吉田拓郎、坂本龍一。

加藤和彦は、バンドを始めるに当たって、雑誌でメンバーを募集。住所が京都市内となっていたため、それを見た、京都府立医科大生のきたやまおさむ(北山修)が、「京都で珍しいな」と思い、参加を決めている。参加したのは、加藤と北山を含めて5人。うち二人は浪人生で一人は高校生。浪人生二人は受験のために脱退。一人は東京の大学に進学したために戻ってこなかった。大阪外国語大学(現・大阪大学外国語学部)に進学を決めた芦田雅喜は戻ってくるが、再び脱退。加藤、北山、平沼義男の3人で再スタートする。
加藤和彦が龍谷大学への進学を決めたのは、祖父が仏師であるため、それを継ぐ志半分で、浄土真宗本願寺派の龍谷大学を選んだということになっているが、どうも東京時代に東京を離れたくなる理由があったようだ。龍谷大学には文学部に仏教学科と真宗学科があるが、加藤が選んだのは経済学部であり、特に仏教について学びたい訳ではなかったことが分かる。
常に新しいことをやりたいと考えていた加藤和彦。「帰ってきたヨッパライ」はメンバーが新しくなったので新しいことをやりたいという思いと、半ば「ふざけ」で作ったものだが、その先に何か新しいことが開ける予感のようなものがあるという風なことを若き日の加藤は語っている。

「帰ってきたヨッパライ」は、自主制作アルバム「ハレンチ」の1曲として発売された。当時、関西のミュージシャンが関西でレコーディングしたアルバムを出し、加藤もそのアルバムの録音に参加。「関西でもやろうと思えば出来る」との思いがあった。また関西の音楽人には、中央=東京に対する反骨心のようなものがあったと、北山は述べている。「帰ってきたヨッパライ」は、ラジオ関西で放送され、大きな反響を呼ぶ。それがやがて東京に飛び火。オールナイトニッポンのパーソナリティーだった斉藤安弘“アンコー(安弘を有職読みしたあだ名)”は、「帰ってきたヨッパライ」を一晩に何度も流したそうだ。
「帰ってきたヨッパライ」に関しては、高橋幸宏や坂崎幸之助が、「今まで聴いたことのない新しい音楽」と口を揃えて評価する。そんな曲が関西のアマチュア音楽家でまだ大学生の若い人々によって作られたというのは衝撃的だった。
一方、加藤、そして医大生だった北山は大学卒業と同時に音楽は終わりと考えていた。北山は大学院に進学して医師を目指し、加藤は普通に就職する気だった。だが、プロデビューの話が舞い込み、パシフィック音楽出版と東芝レコード(東芝音楽工業。後に東芝EMI、EMIミュージック・ジャパンを経て、ユニバーサル・ミュージックに吸収される)と契約。東芝からレコードを出し、1年限定のプロ活動を行うことにする。この時、はしだのりひこが加わる。どうもこの頃、加藤は学生生活が上手くいっていなかったようで、はしだが加藤の面倒をよく見ていたようだ。プロデビューのために龍谷大学は中退した。
東芝側は、第2、第3の「帰ってきたヨッパライ」を期待していたのだが、ビートルズは1曲ごとにスタイルを変えているということで、ザ・フォーク・クルセダーズ側は全く趣が異なる「イムジン河」を第2弾シングルとすることを決める。だがここで問題が起こる。ザ・フォーク・クルセダーズのメンバーは全員、「イムジン河」が朝鮮の民謡だと思い込んでいたのだが、実際は北朝鮮の作詞家と作曲家が作ったオリジナル楽曲だったのだ。北山は、「南北分断が歌詞に出てくるんだから民謡の訳がない」と後になって気づいたそうだが、朝鮮総連から「盗作」「歌詞を正確に訳すように」と物言いが付き、東芝は当時、韓国進出に力を入れていて、北朝鮮と揉めたくないということで、「イムジン河」は発売中止となる。そこで、「加藤をスタジオに缶詰にするから」という条件で、サトウハチローに作詞を依頼して書かれたのが、「悲しくてやりきれない」だった。

その後、ソロミュージシャンとしての活動をスタートさせた加藤和彦。新しいものが好きで、「イギリスで、グラムロックというものが流行っている」と知るといち早く真似をして髪を染めてステージに立った。

北山との共作でベッツィ&クリスに「白い色は恋人の色」を提供。ヒットさせる。

北山修との共作で「あの素晴らしいを愛をもう一度」をリリースしてヒット。実は、クリスに歌って貰うつもりで作ったのだが、出来が良いので「俺たちで歌っちゃおうぜ」となったようだ。「あの素晴らしい愛をもう一度」は高校の音楽の教科書に載っており、私が初めて知った加藤和彦の楽曲である。また、若き日の仲間由紀恵も出演していた、村上龍原作、庵野秀明監督の映画「ラブ&ポップ」のエンディング曲として主役の三輪明日美が拙い歌声で歌っており、そのため却って印象に残っている。

代表曲「悲しくてやりきれない」は、実は最初は松本伊代によるカバーをラジオで聴いて知ったのだが、周防正行監督の映画「シコふんじゃった。」で印象的な使われ方をしていた。立教大学をモデルとした教立大学相撲部が合宿を行うシーンで、おおたか静流の歌唱で流れた。

1970年に加藤は同じ京都出身の福井ミカと結婚。サディスティック・ミカ・バンドの結成へと繋がる。ちなみに私が福井ミカの声を初めて聴いたのは、サディスティック・ミカ・バンドの音楽ではなく、YMOのアルバム「増殖」に含まれていた有名ナンバー「NICE AGE」の途中に挿入される「ニュース速報」のナレーション(ポール・マッカートニーが大麻取締法違反で逮捕されたことを仄めかしたもの)においてであった。
ちなみにドラムの高橋幸宏を加藤に紹介したのは、小原礼だそうで、小原は高橋幸宏と一緒に演奏活動をしており、「高橋幸宏といういいドラマーがいる」と加藤に紹介。加藤と高橋はロンドンでたまたますれ違い(そんなことってあるんだろうか?)、加藤が「話には聞いてます」と話しかけたのが最初らしい。

加藤和彦の若い頃の映像は見たことがあったが、高橋幸宏の若い頃の映像は余り見たことがなく、想像以上に若いのでびっくりする。
つのだ☆ひろは、若い頃にずっと加藤和彦にくっついており、サディスティック・ミカ・バンドにも加入するが、すぐに辞めてしまったそうだ。
サディスティック・ミカ・バンドは、日本よりも先にイギリスで評判となり、逆輸入という形で日本でも売れた。高橋幸宏はYMOでも同じような体験をしている。

この頃の加藤和彦は音響にも熱心で、「日本はPAが弱い」というので、イギリスから機材を個人輸入して使っていたそうだ。

イギリスでの好評を受けて、イギリスからクリス・トーマスが招かれ、サディスティック・ミカ・バンドのレコーディングが行われることとなる。クリス・トーマスは、ビートルズのアルバム制作にも関わったプロデューサーであり、レコーディングの初日にはメンバー全員が緊張していたというが、クリスはまず「左と右のスピーカーの音が違う」とスタジオの音響から指摘。スピーカーの調整から始まった。クリス・トーマスへのインタビューも含まれるが、福井ミカについては、「彼女は、何というか、音程が、その……自由だった」と語っている。クリスは気に入るまで作業をやめず、レコーディングが朝まで続くこともたびたびであった。
そんな苦労の末にセカンドアルバム「黒船」を完成させ、イギリスでのツアーも成功させる。日本に帰ってきた加藤であるが、東芝の新田和長に「ミカが帰ってこない」と漏らす。新田は若い頃に加藤とミカと暮らしていた経験を持つ人物である。新田は、「そのうち帰ってくるよ」と慰めるが、3、4日して、「これはミカはもう帰ってこない。クリス・トーマスと一緒になる」ということが明らかになる。そんな折りに加藤が失踪。ほうぼう電話しても見つからなかったが、しばらくして「ズズのところにいる」と加藤から連絡が入る。ズズというのは作詞家の安井かずみのことである。コシノジュンコの親友で、ハイクラスの人物であり、新田は「我々とは釣り合わないのではないか」と思ったというが、加藤と安井は結婚する。安井との結婚後、加藤もまたハイクラス志向になったそうで、明らかに影響を受けている。ちなみに、安井が亡くなった後、加藤は有名ソプラノ歌手の中丸三千繪と結婚しているが、そのことについては今回の映画では触れられていない。サディスティック・ミカ・バンドの再結成や再々結成についても同様である。

加藤和彦は、「ヨーロッパ三部作」という一連のアルバムを作成することになるが、レコーディングスタジオにはこだわったようだ。YMOのメンバーが参加しており、レコーディングの様子などについて坂本龍一が語っているが、細野晴臣は写真に写っているだけで、今回は何も語っていない。坂本は、加藤について「事前に何冊も本を読んで練り上げる人」といったような証言をしている。また加藤は、楽曲が出来上がってレコーディングをする振りをしてアレンジが出来る音楽家を呼び、「いいイントロない?」「いいアレンジ出来ない」と言っていきなり仕事を振ることがあったそうで、竹内まりやの「不思議なピーチパイ」で清水信之がそうした経験をしており、「教授にもやってる」と証言しているが、教授こと坂本龍一もそれを裏付ける発言をしている。
三部作最後のアルバム「ベル・エキセントリック」では、最後にサティの「Je Te Veux(ジュ・トゥ・ヴー)」(「おまえが欲しい」と訳される男版「あなたが欲しい」と訳される女版の二つの歌詞を持つシャンソン。ピアノソロ版も有名)を入れることにし、坂本龍一がピアノを担当することになった。楽譜は当時、坂本と事実婚状態にあった(その後、正式に結婚)矢野顕子が買ってきたそうである。

加藤和彦は料理が得意で、料理を味わう舌も肥えていた。いきつけの店だったという、京都の祇園さゝ木が紹介されている他、岡山の吉田牧場でのエピソードなどが語られる。

音楽面ではその後、映画音楽や歌舞伎の音楽に挑戦するなど、様々なチャレンジを行っているが、この映画では触れられていない。

2009年10月17日、加藤和彦は軽井沢のホテルで遺体となって発見される。首つり自殺であった。鬱病を患っており、鬱病の患者は自殺率が高いことから、精神科医となっていた北山修は加藤に「絶対に自殺はしない」と誓わせていたが、果たされることはなかった。

北山修は、加藤について、「完璧を目指す人。だが完璧を演じる自分と素の自分との間に乖離があり、それが広がっていったのではないか」という意味の分析を行っている。
プロデューサーの朝妻一郎、つのだ☆ひろ、坂崎幸之助なども「自分が何かしてあげられたら」結末は違うものになっていたのではないかとの後悔を述べている。

小原礼は加藤を「ワン・アンド・オンリー」と称し、北山修は「ミュータント。彼のような人に会ったことはない」と語り、高中正義は「加藤さんと出会わなかったら今の自分はない」と断言した。

最後は、「あの素晴らしい愛をもう一度」の2024年版のレコーディング風景。高野寛と高田漣がギターを弾き、きたやまおさむ、坂崎幸之助、坂本美雨、石川紅奈などのボーカルにより録音が行われる。坂本美雨を映像で見るのは久しぶりだが(舞台などでは見ている)、顔が両親に似てきており、体型は矢野顕子そっくりになっていて、遺伝の力の強さが伝わってくる。


映画の中では全く触れられていない、俳優・加藤和彦についての思い出がある。岩井俊二監督の中編映画「四月物語」である。松たか子の初主演作として知られている。今はなくなってしまったが、渋谷のBunkamuraの斜向かいにあったシネ・アミューズという映画館(上のフロアからハイヒールで歩く音が絶えず響いてくる映画館で、映画館側も苦情を入れていたようだが、上のフロアには何があったのだろう?)でロードショー時に観ている。ファーストシーンで観客を笑わせる仕掛けのある映画であるが、加藤和彦はラストシーンに登場する。千葉市の幕張新都心での撮影である。
主人公の楡野卯月(松たか子)は、高校時代、密かに思いを寄せる先輩(山崎先輩。田辺誠一が演じている)がおり、その先輩が東京の武蔵野大学(映画公開時には架空の大学であったが、その後、浄土真宗本願寺派の武蔵野女子大学が共学化して武蔵野大学となり、実態は違うが同じ名前の大学が存在することとなった)に進学したと知り、卯月も武蔵野大学を目指して合格。上京した四月の出来事を描いた作品である。卯月は先輩がアルバイトをしている本屋を探しだし、高校と大学の後輩だと打ち明けた後、スコールに襲われ雨宿りをする。ここで画廊から出てきた加藤と出会う。加藤もスコールだというので画廊の職員から傘を借りたところだったのだが、加藤は「傘ないの? じゃあこれ使いなさい。まだ中に傘あるから」と提案。卯月は傘を受け取るも、「傘買ってすぐ戻ってくるんで。すぐ戻りますから」と言って、先輩がアルバイトをしている本屋に引き返し、傘を借りようとする。しかし本屋にあるのは破れ傘ばかり。だが卯月は破れ傘を「これでいいです。これがいいです」と言って引き返す。加藤は破れ傘で戻ってきた卯月を見て、「それどうしたんだい? 拾ったのかい?」と笑いかけるという役であった。役名は画廊の紳士・加藤で、身分は明かされていなかったが、画家ではおそらくなく、知的な雰囲気であったことから、大学の先生か出版社の人物か何かの役で、エレガントな身のこなしが印象的であった。

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