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2024年9月の30件の記事

2024年9月30日 (月)

美術回廊(86) 大丸ミュージアム京都 「写真展 星野道夫 悠久の時を旅する」

2024年9月19日 大丸京都店6階 大丸ミュージアム京都にて

大丸京都店6階にある大丸ミュージアム京都で、「写真展 星野道夫 悠久の時を旅する」を観る。
カムチャツカ半島で、熊害(ゆうがい)に遭うという壮絶な最期を遂げた写真家、探検家、詩人、エッセイストの星野道夫が、アラスカの風景を写真に収めた展覧会。

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星野がアラスカに目覚めたのは二十歳の時。当時、彼は慶應義塾大学経済学部に学ぶ学生だった。神田神保町の洋書専門古書店でアラスカの写真集を見つけた星野は、アラスカに魅せられ、アラスカのシシュマレフを訪れるべく、現地の村長に英文による手紙を送った「Mayer」という宛名になっている。そして返事が来る。「歓迎する」とのことだった(両名の英文による手紙が展示されている)。「こちらには漁業などの仕事もある」と記されており、星野はアラスカに向かい、3ヶ月ほど現地に滞在した。
慶大卒業後、カメラマンのアシスタントなった星野だが、アラスカ留学を決意。英語の勉強に励む。
アラスカ大学フェアバンクス校野生動物管理学部に入学。合格点には足りなかったが、何とか頼み込んで入れて貰ったようである。その後、アラスカ全土に渡る撮影旅行を繰り返し、動物を中心に風景や人物を被写体に選ぶ。アラスカ大学は最終的には中退した。

動物を撮った写真は、被写体をアップで撮ったものも勿論あるが、引きのアングルで撮り、大自然の中に動物が点のようにポツンと存在しているものも多い。大いなる自然の中で、動物たちも自然の一部として存在しているという解釈だろう。日本人らしい発想とも言える。動物の被写体としては、カリブーやグリズリーを収めたものが多い。
ホッキョクグマなどを収めたものもあり、今回の展覧会のメインビジュアルにはホッキョクグマが採用されている。ホッキョクグマ2頭がじゃれている写真などもあり、動物の意外な可愛らしさが切り抜かれている。また、アザラシなど、純粋に見た目が可愛らしい動物の姿も記録されている。

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狩りを行う人物達も収めており、動物を解体する様も冷静に捉えている。逞しく生きている人達であり、動物愛護などとは言っていられない。同じく、冒険家として活躍してきたC・W・ニコルのエッセイを読んだことがあるが、「動物が可哀相などという人は残念ながらこの世界(北極圏)では生きていけない」というようなことが書いてあったことを覚えている。
アラスカの長老の写真もあるが、102歳という高齢。彼もまた猟師として生きてきた人であり、顔に自信が表れている。
アラスカの人々を撮影した集合写真もあるが、皆、いい顔をしている。

風景写真もやはり高い場所から引きのアングルで撮られたものが多く、広大な自然への畏敬の念が感じられる作品となっている。同じ冒険家の植村直己が消息を絶ったマッキンレーの写真も展示されている。夕陽を受けて真っ赤に染まるマッキンレー。湖に映った逆さマッキンレーも捉えた二重構図になっている。星野もおそらく植村のことを思ったであろう。
ちなみに星野の奥さんであった直子さんの講演も大丸ミュージアム京都で予定されているのだが、平日の昼間なので行くことは出来ない。


1996年8月8日。星野はカムチャツカ半島にて死去。テレビ番組のクルーが同行していた。
撮影班一行はコテージに泊まるが、星野は一人離れてテントを張った。夜、ヒグマがコテージの食料庫を襲う。撮影班は星野にコテージに移るよう告げるが、星野は、「今の時期は鮭が豊富に取れるからヒグマが人を襲うことはない」と断言。そのままテントに泊まり続けたが、ヒグマの襲撃を受け、帰らぬ人となった。43歳没。遺体は見るも無惨な状態だったという。実はこの年は鮭の遡上が遅れており、不作だった。鮭が捕れないヒグマは腹を空かせていた。また星野を襲った個体は純粋な野生種ではなかった。
ヒグマの生態と現地の情報に詳しかったことが却って徒になったといえる。なお、この証言は撮影班からのものであり、星野は亡くなっているので、真相がこの通りなのかどうかは分からない。

星野が遭った熊害に関する記事は、熊害を集めた『慟哭の谷』(文春文庫)に、「三毛別羆事件」、「福岡大学ワンダーフォーゲル同好会ヒグマ襲撃事件」などと共に収められている。

映像のコーナーもあり、星野が収めた写真と、それにまつわる言葉が浮かんでは消えていく。上映時間は10分ちょっと。いずれもこの展覧会に出展されている写真であり、言葉も壁に並べられた写真の下に書かれているものがほとんどなので、目新しさはないが、写真と言葉を重ねることで分かりやすくなった部分もあるように思う。

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2024年9月29日 (日)

コンサートの記(857) 大友直人指揮 第13回関西の音楽大学オーケストラ・フェスティバル IN 京都コンサートホール

2024年9月15日 京都コンサートホールにて

午後3時から、京都コンサートホールで、第13回関西の音楽大学オーケストラ・フェスティバル IN 京都コンサートホールを聴く。

大阪音楽大学、大阪教育大学、大阪芸術大学、京都市立芸術大学、神戸女学院大学、相愛大学、同志社女子大学、武庫川女子大学の8つの音楽大学や音楽学部を持つ大学が合同で行う演奏会である。指揮は、大阪芸術大学教授、京都市立芸術大学客員教授でもある大友直人。大友は他に東邦音楽大学特任教授、洗足学園音楽大学客員教授も務めている。

大阪音楽大学は大阪府豊中市にある音楽学部のみの単科大学で、大阪音楽大学ザ・カレッジ・オペラハウスを持っていることから、声楽に特に強いが器楽も多くの奏者が輩出している。朝比奈隆がこの大学でドイツ語などの一般教養を教えており(大阪音楽大学には指揮科はない)、目に付いた優秀な演奏家を自身の手兵である大阪フィルハーモニー交響楽団にスカウトすることが度々であった。

大阪教育大学は、大阪府柏原(かしわら)市にあるのだが、大阪府の東端にある柏原市の中でも更に東端にあり、ほぼ奈良県との県境に位置している。教育大学なので音楽の先生になる課程もあるが、音楽を専門に学ぶコース(芸術表現専攻音楽表現コース)も存在する。このコースの校舎は奈良との県境が目の前のようだ。

大阪芸術大学は、大阪府南河内郡河南町にある総合芸術大学で、音楽よりも演劇、ミュージカル、文芸、映画などに強いが、音楽学科も教員に大友直人、川井郁子(ヴァイオリン)、小林沙羅(ソプラノ歌手)などを迎えており、充実している。

京都市立芸術大学は、音楽学部と美術学部からなる公立芸術大学で、西日本ナンバーワン芸術大学と見なされている。これまでは西京区の沓掛(くつかけ)という町外れにあったが、このたび、JR京都駅の東側にある崇仁地区に移転し、都会派の公立芸術大学に生まれ変わった。有名OBに佐渡裕がいるが、彼は指揮科ではなくフルート科の出身である。少数精鋭を旨としている。

神戸女学院大学は、神戸を名乗っているが、西宮市にメインキャンパスがあるミッションスクールである。以前は西日本ナンバーワン私立女子大学であった神戸女学院大学であるが、女子大不人気により、最近は定員割れするなど苦しい状況にある。音楽学部を持つ。キャンパスにはウィリアム・メレル・ヴォーリズ設計の建物(多くが重要文化財に指定)が並ぶ。

相愛大学は、浄土真宗本願寺派の大学で、人文学部と音楽学部と人間発達学部を持ち、キャンパスは大阪市の南港と、北御堂(浄土真宗本願寺派津村別院)に近い本町(ほんまち)の2カ所にある。

新島八重が創設したミッション系の同志社女子大学は、京都市上京区の今出川、同志社大学の東隣にもキャンパスがあるが、本部のある京都府京田辺市に設置された学芸学部に音楽学科を持つ。京田辺キャンパスのある場所は田舎である。京都市内で活躍する女性音楽家には、同女(どうじょ)こと、この大学の出身者が割と多い。

武庫川女子大学は、日本最大の女子大学であり、西宮市にメインキャンパスがある。総合大学であり、音楽学部を持つ。


曲目は、千住明のオペラ「万葉集~二上山挽歌編~」(大津皇子・大伯皇女レクイエム)より抜粋(オーケストラバージョン,2013。台本:黛まどか)とベルリオーズの幻想交響曲。


開演前にウェルカムコンサートがあり、ホワイエで、大阪教育大学の学生と、大阪芸術大学の学生が演奏を行う。

大阪教育大学は、全員が打楽器奏者で、木製のスツールにバチを当ててリズム音楽を奏でる。ジュリー・ダビラの「スツール・ビジョン」という曲である。リズミカルに躍動感を持って音を出す大阪教育大学の学生。互いのバチ同士を当てて音を出す場面もあり、仲の良さが伝わってくる。

大阪芸術大学は、レイモンド・プレムルの5つの楽章「ディヴェルティメント」よりを演奏。トランペットとトロンボーンが4、ホルンとチューバが1人ずつという編成。ちょっと音が大きめの気もするが、快活な演奏を聴かせてくれた。


千住明のオペラ「万葉集~二上山挽歌~」(大津皇子・大伯皇女レクイエム)より抜粋(オーケストラバージョン)。
千住明のオペラ「万葉集」は2009年に作曲され、2011年に改訂されて「明日香風編」と「二上山挽歌編」の二部構成になった。初演は東京文化会館小ホールで行われており、オペラではあるが、音楽劇、オラトリオ的な性質を持っており、「二上山挽歌編」は挽歌とあることからも分かる通り、レクイエム的性格が強い。

独唱者は、伊吹日向子(ソプラノ。京都市立大学大学院修士課程声楽専攻1回生)、吉岡七海(メゾソプラノ。大阪音楽大学大学院声楽研究室に在籍)、向井洋輔(テノール。京都市立芸術大学大学院修士課程2回生)、芳賀拓郎(大阪芸術大学大学院在学中)。
合唱は、各大学からの選抜。大阪音楽大学、大阪芸術大学、武庫川女子大学(当然ながら女声パートのみ)の学生が比較的多めであり、これらの大学は声楽が強いことが分かる。

この曲のコンサートミストレスは、原田凜奏(京都市立芸術大学)。メンバーは弦楽器は京都市立芸術大学在籍者が圧倒的に多く、管楽器や打楽器は各大学がばらけている。

大津皇子と草壁皇子による皇位継承問題を題材とした作品であり、讒言により失脚した大津皇子は自害して果て、亡骸は二上山に葬られた。姉である大伯皇女(大来皇女。おおくのひめみこ。日本初の伊勢斎宮)が弟を思って詠んだ「うつそみの人なる我や明日よりは二上山(ふたかみやま)を弟(いろせ)と我(あ)が見む」(現世の人である私は明日よりは二上山を弟と見なして生きていきます)がよく知られており、この作品でも歌われている。

大津皇子も草壁皇子も、天武天皇の子であるが、大津皇子と大伯皇女の母親は大田皇女の子、一方の草壁皇子の母親は神田うのの名前の由来として有名な(でもないか)鸕野讃良皇女(うののさららのこうじょ/ひめみこ)、後の持統天皇である。大田皇女は鸕野讃良皇女の姉であるが若くして亡くなっており、息子の後ろ盾にはなれなかった。そこで草壁皇子が立太子するが、草壁皇子は病弱であった上に、異母兄の大津皇子は文武両道の「人物」であり、鸕野讃良皇女は危機感を持ち、大津皇子に謀反の疑いを掛け、死へと追い込んだとされる。時に24歳。
しかし鸕野讃良皇女の願いも空しく、草壁皇子は即位することなく28歳の若さで病死。そこで鸕野讃良皇女は、草壁皇子の息子を次の天皇に就けることにするが、その軽皇子は8歳と幼かったため、繋ぎとして自らが女帝として即位。持統天皇が誕生する。軽皇子はその後、文武天皇として即位している。

今回の黛まどかの台本は、石川女郎(いらつめ)と大津皇子の問答歌、草壁皇子の歌で始まる。草壁皇子は石川女郎に恋心を寄せているのだが、石川女郎は大津皇子に惚れている。

その後、初代の伊勢斎宮に選ばれ、神宮に赴いた大伯皇女の下に、弟の大津皇子がやって来る。この頃はまだ皇室では近親婚もそれほどタブー視されておらず、大津と大伯の間には姉弟を超えた愛があることが仄めかされる。

飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)では、草壁皇子が「大津皇子が謀反を企てている」と母親に讒言(史実では讒言を行ったのは川島皇子であるとされる)。大津皇子に死を賜ることが決まる。大津皇子は死ぬ前に姉に一目会いたいと伊勢までやって来たのだった。当時、意味なく伊勢神宮に参拝するのは禁止されていたようで、これが大津が死を賜る直接の原因となったという説もある。
大和へと帰る大津皇子を大伯皇女がなすすべもなく見送り、和歌のみを詠んだ。
鸕野讃良皇女と息子の草壁皇子は、大津を排し、新たな国を作る決意をする。

フィナーレは、大伯皇女の「うつそみの人なる我や明日よりは二上山を弟と我が見む」の和歌に始まり、天武天皇(合唱のバスのメンバーの一人が歌う)、大伯皇女、持統天皇、草壁皇子、大津皇子、民の合唱が、大津皇子の御霊がシリウス(天狼)として青い炎を身に纏い、大和で輝き続けることを願う歌詞となって終わる。

大友直人は今日は全編ノンタクトで指揮。この曲は4拍子系が基本なので振りやすいはずである。
いかにもレクイエム的な清浄な響きが特徴であり、分かりやすくバランスの良い楽曲となっている。メロディーも覚えやすい。

独唱は学生で京都コンサートホールの音響に慣れてないということもあってか、声量が小さめで、発声ももっと明瞭なものを求めたくなるが、まだ大学院生なので多くを望むのは酷であろう。合唱もバラツキがあったが、臨時編成でもあり、これも許容範囲である。

大友は若い頃はしなやかな感性を生かした音楽作りをしていた。最近は押しの強い演奏が目立っていたが、パワーがそれほど望めない学生オーケストラということもあってか、歌心と造形美の両方を意識した音楽作りとなっていた。大友は声楽付きの作品には強いようである。
オーケストラは、弱音の美しさに限界があるが、なかなかの好演だったように思う。


後半、ベルリオーズの幻想交響曲。大友は譜面台を置かず、暗譜での指揮となる。
幻想交響曲のコンサートミストレスは、日下部心優(京都市立芸術大学)。
大友は比較的遅めのテンポで開始。じっくりと妖しい音を愛でていく。オーケストラも輝きと艶やかさがあり、臨時編成の団体としてはレベルが高めである。アンサンブルの精度も高く、金管や打楽器にも迫力がある。

第2楽章は、コルネット不採用。典雅なワルツが奏でられ、やがて哀しきとなり、最後は強引に盛り上げて切り上げる。ベルリオーズの意図通り。

第3楽章でのオーボエのバンダは、上手袖すぐの場所で吹かれるため音が大きい。寂寥感が自然に表出されている。

第4楽章「断頭台への行進」。大友さんなので狂気の表出まではいかないが、力強い金管と蠢くような弦楽のやり取りや対比が鮮やかである。

第5楽章「最初のワルプルギスの夜」も、弦楽のおどろおどろしさ、クラリネットなどが奏でる「恋人の主題」の不気味さなど、よく表れた演奏である。鐘は下手袖で叩かれた。明るめの音色である。大友のオケ捌きは万全であり、学生のみの演奏としては十分に納得のいく出来に達していた。

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2024年9月28日 (土)

「あさイチ プレミアムトーク」 伊藤沙莉 2024.9.6

2024年9月6日

「あさイチ プレミアムトーク」。ゲストは、連続テレビ小説「虎に翼」で主役の佐田(猪爪)寅子を演じた伊藤沙莉。8月31日に、「虎に翼」がクランプアップしての出演である。
コロコロ笑っていたかと思うと、メッセージに涙し、1時間に4回も泣くなど、感情豊かな人であることが分かる。

クランクアップの様子も放送されるが、泣きながら「明日から佐田寅子としていられないっていうのがちょっと想像つかない」と言いながら、「3日後ぐらいには徐々に実感」と言って笑い取りに行っているのが、いかにもお笑い芸人の妹である。

周りからは「朝ドラのヒロインって大変でしょ」と言われたそうだが、「意外とそうではなくて」「作品を作る楽しさ」の方が勝っていたそうである。

この人はかなりの人たらしだと思われるのだが(唐沢寿明や織田裕二に可愛がられているようである。また「虎に翼」でナレーション担当の尾野真千子ともかなり親しくなったらしい。出来るドジっ子なので当然、モテる)、自分を下げてでも必ず相手を立てるので悪い印象のない人である。

セリフ覚えが良く、普段はセリフを間違えないようだが、土居志央梨の証言によると、一度、ちょっとだけ噛んだときに、いきなり自分で自分の頬を「周りが引くぐらい」思いっきりはたき、頬が真っ赤になって、メイクさんが「あー!」と言いながら寄っていったそうで、逆に迷惑を掛けてしまったそうだが、シンプルに集中力を欠いていたので切り替えるのに一番早いというのでセリフビンタを選んだようである。土居志央梨は、「自分に厳しすぎるだろ」と笑っていた。

猪爪時代の寅子がお見合い中に居眠りするシーンがあるが、伊藤沙莉のフォトエッセイを読むと、「コンビニのバイト中はレジ打ち中にシンプルに就寝」と書かれており、この辺から取られている可能性がある。

森田望智(みさと)の証言、「どこか別の世界に行っている」に関してもフォトエッセイには、「居酒屋のバイトではビラ配りしてたら夜の散歩が気持ちよくなって一時行方不明」と呼応するようなことが書かれており、昔からそうだったようだ。

この人はなんなんだろう。


後半には、リアルにその時代を生きた人達の、想像では補えないくらいの苦労に思いをはせ、表現する上での難しさやプレッシャーなども述べて、その上で今の時代とリンクする部分に考えさせられることも多かったと語った。


前作の朝ドラ「ブギウギ」(NHK大阪放送局=BK制作)のヒロインである趣里から、励ましのメッセージを何度も受け取ったことや、プレゼントとして練り香水を貰ったことも明かして、今もつけているということで、手首の匂いを鈴木菜穂子アナウンサー(私の父親の大学の後輩で学部も一緒である)や博多華丸・大吉にかがせていた。

伊藤沙莉は、シングルマザーの貧しい家庭環境で育っており、伯母の協力を得ていたという境遇を寅子の娘である優未に例えていた。同じ千葉県出身の女優である麻生久美子も同じような幼少期を送っており、苦労人も多いようである(伊藤沙莉は千葉市若葉区出身で私と同郷。麻生久美子は山武〈さんぶ〉郡山武町〈さんぶまち〉、現・山武〈さんむ〉市出身)。


最後に、生まれて初めてネイルサロンに行ったということで爪を見せていた。女優だと様々な役をやるので、ネイルをデコレーションしたりは出来ないようである。


今後は1ヶ月ほど休養を取るようだ。

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2024年9月27日 (金)

WOWOWライブ PARCOステージ「首切り王子と愚かな女」

2024年7月22日

録画しておいたWOWOWライブ、PARCOステージ「首切り王子と愚かな女」を観る。作・演出:蓬莱竜太。出演:井上芳雄、伊藤沙莉、高橋努、入山法子、太田緑ロランス、石田佳央、和田琢磨、小磯聡一郎、柴田美波、林大貴、BOW、益田恭平、吉田萌美、若村麻由美。音楽:阿部海太郎。2021年、東京・渋谷のPARCO劇場での収録。

伊藤沙莉と高橋努は、NHK連続テレビ小説「虎に翼」の主人公、猪爪(佐田)寅子(ともこ)と、竹中次郎記者として絡みがあったが、その他にも「虎に翼」出演者が含まれている。

雪深き架空の古代王朝、ルーブが舞台である。この国では女性の地位が低く、女性が出世するには王室の子を産むしかない。第一王女役の入山法子が女がいかに冷遇され、いかに愚かかを嘆く独白がある。
先王バルが亡くなり、王妃のデン(若村麻由美)が「永久女王」として即位して独裁を続けているが、政務能力はなく、国は傾くばかり。デンは第一王子のナルを溺愛していたが、ナルは病気に倒れ、寝たきりとなり、やがてみまかる。そこで第二王子のトル(井上芳雄)が城に呼ばれる。トルはナルが生まれた後、妊娠3ヶ月で生まれ、「呪われた子」として北海の離島に隔離されていたのだった。


アクリル板のようなもので囲われたスペースがあり、そこが楽屋のようになっていて、上演開始前に俳優達が準備をしている。蜷川幸雄が真田広之を主役に迎えた時の「ハムレット」のようである。

一人語り(モノローグ)が多いのが特徴。また再現VTR挿入風になる場面があるなど映像的な要素もある。同時多発セリフも用いられる。舞台狭しと駆け回り、突然動きがスローモーションになるところなどは野田秀樹の影響が濃厚である。

伊藤沙莉が一人で現れ、、右手を挙げると音楽が始まり、スタート。「ヴィリは死ぬことにした」という、「ベロニカは死ぬことにした」のような一節で始まる。リンデンの谷のヴィリ(伊藤沙莉)は自殺を思い立つ。病気の母親を看取り、もはや生きるべき理由が見いだせなかった。途中、トルがツトム(高橋努)に次々と斬首刑を行わせているところに出くわす。ツトムは斬首される者の思い出を語ってから斧を振り下ろす。

トルは、「首切り王子」と呼ばれ、民衆から恐れられて、それが王宮攻撃の抑止力となっているのだが、ヴィリにはどうでも良かった。最果ての崖から飛び降りようとしたヴィリだがトルの部下に取り押さえられる。捕らえられたヴィリは、斬首されることになるが、元々死ぬつもりであったヴィリは動じない。それを見たトルにヴィリは命を救われ、召使いのメイを斬首したばかりなので、代わりの召使いとして雇われる。ヴィリは先王バルの政治についても率直に非難してしまうような女性である。
王宮にはヴィリの実の姉、リーガン(太田緑ロランス)がいた。8年前。姉は介護中の母を見捨てて出て行ったのだった。第2幕ではリーガンもまた最果ての崖から飛び降りようとして(出だしも「リーガンは死ぬことにした」という言葉から始まり、第1幕を完全になぞる形になっている)。、ナル(井上芳雄二役)に助けられていたことが分かる。

最初は第一王女(入山法子)から「野良犬」と蔑まれていたヴィリだったが、トルの性格を見抜いたヴィリは、トルの遊び相手となる(トルは勉強嫌いで、チェスなど頭を使うゲームに弱いが、カードゲームを好む。ちなみにこのカードゲームは「愚者」の札が強い)ことで利用することを図り仲良くなる。ヴィリは子どもっぽいトルを内心見下していたが、トルと共に競馬レースに出た時にはヴィリは身を楯にしてトルの暗殺を防ぎ、最終的には第二王女となる。ただ育ちが悪いので、言葉は汚いままであり、プライベートではトルとタメ口で話す。また、トルとは夫婦としての営みを好まない。体調が悪いとトルには言いながら、ヴィリはツトムら兵士達と飲むこともたびたびである。トルの孤独は深まる。
競馬レースで狙撃を命じたのはリーガンであることが発覚する。

第一王女は身分の低いヴィリが第二王女となったことに不満を抱いており、手下に調べさせてリーガンがヴィリの姉であることを知っていて、これを気にヴィリの追い落としを図る。
しかしここでトルの身に異変が起こる。デンはトルの体を使ってナルの復活を行う魔術を強行したのだが、トルの意志や命よりも、自身のエゴや政体を優先させるデンにヴィリは、「ふざけんな!!」と激しく憤る。しかし、トルに同情的な者はいない。ヴィリ一人を除いては。トルは恐ろしく孤独だった。

「最も悲惨な貧困とは孤独であり、愛されていないと感じることです」(マザー・テレサ)

男と女は本来両輪のはずだが、一方を冷遇したため、結果としてルーブは滅亡へと向かう。


民衆の蜂起が始まる。トルとヴィリは二人が初めて出会った最果ての崖へと逃げるのだった。
王子と第二王女という関係でトルはヴィリの自由意志を認めなかったが、ラストでようやく身分や立場を越えて心が通じ合えたように思う。そしてヴィリはトルの意志を受け継ぎ、未来へと駆ける。


擬古典調の作風が取られており、俳優の長台詞が多用される。伊藤沙莉はセリフの他に狂言回しやツッコミ係の役割を担っている。
またセットはシンプルで、木枠を移動させるだけで場面の転換が行われる。
物語として特別優れているという印象は受けないが、ナルとトル、リーガンとヴィリの兄弟・姉妹間の関係の描き方の対峙など、構造的には上手くいっているような印象を受ける。
PAを使っての上演で、井上芳雄が出るということで歌のシーンもあるが思ったよりは短め。もう少し歌のシーンがあっても良かったように思う。歌はトルの象徴であり(いきなり歌い出してヴィリに突っ込まれる場面がある)、ヴィリがトルがまだナルではなくトルであると気づくのは歌をうたっていたからだ。

「愚かな女」という題であるが、教育を十分に受けておらず、一度は命を粗末にしようとしたヴィルの他、ナルへの愛で盲目になっているデンとリーガンなど複数の女性が当てはまるほか、こちらも教育が不十分なため知性的とは呼べず、首切りを続けているトルもまた女ではないが愚か者であり、エゴイスティックな愚か者が揃った結果国が滅びるという姿が描かれているが、人類は何度も同様の過ちを繰り返しており、人間の本質的な愚かしさを照射していると見ることも出来る。


今回は知性派の役柄ではなかったが、井上芳雄の凜とした佇まいは流石。
伊藤沙莉は、テレビドラマでは何度も見たことがあるのだが、舞台では未見。個性の強い女優だが、アクセントとして生きており、舞台でも見てみたくなる。

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2024年9月26日 (木)

これまでに観た映画より(346) 伊藤沙莉&須賀健太主演「獣道」

2024年9月13日

ひかりTVの配信で、日英独合作映画「獣道」を観る。監督・脚本は、「ミッドナイトスワン」の内田英治。出演:伊藤沙莉(主題歌も担当)、須賀健太(ナレーショ兼任)、アントニー(マンテロウ)、吉村界人、でんでん、矢部太郎、韓英恵、広田レオナ、近藤芳正ほか。

実話に基づく話とされる。

長く続く初恋の物語でもある。

伊藤沙莉演じる愛衣は、いくつもの新宗教にのめり込んでいる母親の下、地方都市で育ち(シングルマザーのようである。演じるのは広田レオナ)、やがてある新宗教の施設に引き取られて、アナンダ(釈迦の十大弟子の一人であるアーナンダに由来)の法名を得て信仰生活を送るようになるのだが、教祖ら教団幹部が警察に逮捕されて事実上の解散。初めて学校(中学校)に通うようになり、ここで亮太(須賀健太)と出会うが、共に暴走族のグループに関わるようになる。高校には進まなかったか早々に辞めたかで、彼氏が出来て、彼の家族と暮らすようになった愛衣は、髪を金色に染める。彼ら北見家は半グレ一家であり、万引きや生活保護(おそらく不正受給)で暮らしている(愛衣は煙草を吸うが、演じている伊藤沙莉は大の煙草嫌いであることが兄のオズワルド・伊藤俊介の証言で分かっている。オズワルド伊藤は喫煙者であるが、妹と同居していた時代に、「家では絶対煙草を吸わないで」と言われていたにも関わらず、風呂場で何度も吸ってしまい、ついには「家賃上げるよ(兄が4万、妹が12万と言われている)」「お前は、馬鹿お兄ちゃんか」とキレられたとのこと)。
だが彼と別れて行き場をなくした愛衣は、男絡みのいざこざに巻き込まれ、拉致された上、生き埋めにされて危うく殺されそうになる。何とか救い出された愛衣は、半グレの一家にいる同級生を訪ねてきた女の子であるユカに誘われ、家にやっかいになることに。清楚系に変わった愛衣。実の娘のように可愛がられる。だが、媚びた態度がユカの反感を買う。夜には工場で働いているということにしていたのだが、実はホステスをやっていた。愛衣の後を付けてそれを発見したユカの告げ口を受けて、義理の父親(ユカの実父。近藤芳正)が店に訪ねてくる。義絶を仄めかされた愛衣は女の武器を使って、何とか気持ちを引き留めようとするが上手くいかず、やがてホテトル嬢へと身を落とす。亮太と再会した愛衣は、「東京に行こう」と告白されるが、拒絶した。最終的には人気AV女優となり、身内からも尊敬されて多くのファンを持つことになる愛衣だが、表情はどこか寂しそうである(つま先をくっつけ、足の開きを「∧」の形にすることで愛らしくも弱々しく立っているように見える演技を行っていることが確認出来る)。

基本的に伊藤沙莉を見るための映画である。新宗教時代のすっぴんと見られる表情、清楚系からヤンキー、友人キャラに夜の仕事そして性風俗業界に生きる女性、可愛らしさから狂気までと様々な顔を見せてくれる。一々顔や声が変わるのが面白い。かなり妖艶なシーンもあり、AV女優になってからのとろんとしたあざとい目つきなどは実際にAVを見て研究しているようでもある。

伊藤沙莉の演技により、内容がかなり変わったそうで、他にも色々とあるのだが、伊藤沙莉を楽しむための映画と割り切った方が良さそうである。

なお、愛衣のモデルとなった女性がこの映画に出演しているようだが、はっきりとは分からない。

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米津玄師 「さよーならまたいつか!」(NHK連続テレビ小説「虎に翼」オープニングタイトルバック・フルバージョン)

米津玄師オフィシャルYouTubeチャンネルより。
朝ドラのヒロインにはイメージカラーがあり、猪爪寅子(伊藤沙莉)は虎に由来する黄色がイメージカラーで、若い頃は黄色い着物をよく着ています。明律大学専門部女子部の仲間との風景を経て、寅子は挫折して倒れます。そこから復活して、「綺麗な水のような」法律と戯れます。「空に唾を吐く」の部分で、米津玄師はやや粗めに歌っていますが、ここが伊藤沙莉のハスキーボイスを意識した箇所だと思われます。
ドラマのオープニングは、様々な職業の女性と共に踊る、寅子こと伊藤沙莉の実写で終わります。

2番の映像は、その後新たに撮られたもので、階段下の書生部屋にいる佐田優三(仲野太賀)と、明律大学講堂(当時、竣工したばかりの明治大学記念館の講堂がモデル)での法廷劇で、妨害行為を行った小橋浩之(名村辰)らに激怒した寅子を止めようとして引っ掻かれてしまう優三が映っています。笑い声の部分に出てくるのは、家庭裁判所の父こと多岐川幸四郎(滝藤賢一)です。
「雨霰」の部分では泣く猪爪改め佐田寅子と猪爪花江(森田望智)が描かれます。
「蓋し虎へ」の「蓋し」は「まさに」という意味ですが、「なるほど」というニュアンスも含まれ、「なるほど」が口癖の星航一(岡田将生)がちゃんと映っています。

そして、明律大学法学部の「魔女ファイブ」(佐田寅子=伊藤沙莉、山田よね=土居志央梨、桜川涼子=桜井ユキ、大庭改め竹村梅子=平岩紙、汐見香子こと崔香淑=ハ・ヨンス)+玉(村沢玉。羽瀬川なぎ)によるダンス。玉は戦後は車いすという設定なので、上半身だけ踊ります。
実は伊藤沙莉は、幼い頃はダンサー志望で、女優よりもダンサーとしてのデビューの方が先だったりします。土居志央梨は高校まではクラシックバレエをやっていたので、踊りはお手の物だと思われます。桜井ユキは日舞をやっているようですね。平岩紙はホルンを吹いているイメージで、ダンス経験は不明。ハ・ヨンスについてもよく分かりません。ただ簡単な振付なので動きに問題はないと思われます。

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2024年9月25日 (水)

美術回廊(85) 京都市京セラ美術館 コレクションルーム 夏期「特集 女性が描く女性たち」+やなぎみわ 「案内嬢の部屋1F」

2024年9月18日 左京区岡崎の京都市京セラ美術館本館南回廊1階にて

京都市京セラ美術館本館南回廊1階で、コレクションルーム 夏期「特集 女性が描く女性たち」を観る。タイトル通り、女性が女性を描いた絵画の展覧会である。5点のみ写真撮影可となっている。“先駆者の試み”、“着飾らない姿”、“よそゆきの姿”の3タイトルから構成。上村松園、伊藤小坡(いとう・しょうは)、梶原緋佐子、三谷十糸子(みたに・としこ)、秋野不矩(あきの・ふく)、広田多津、北沢映月、由里本景子、丹羽阿樹子の作品が並ぶ。

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梶原緋佐子は、疲れた女性や女芸人など、哀愁の漂う女性を多く描いている。

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梶原緋佐子「暮れゆく停留所」

由里本景子の「望遠鏡」は、天体望遠鏡、小型望遠鏡、肉眼で遠くを見つめる3人の女性を描いている。おそらく3人の見つめる先には希望があるのだろう。天体望遠鏡を覗く女性は、片足を台に乗せているのが印象的である。

丹羽阿樹子の「奏楽」は、着物姿の女性二人がヴァイオリンを奏でている様子を描いたものである。一人の女性(右側)はこちらを向き、もう一人の女性は向こうを向いていて顔は見えない。不思議なのは譜面台も譜面も描かれていないこと。こちらを向いた女性の視線は、もう一人の女性の足下を見ている。アマチュアの音楽家が譜面なしでデュオを奏でられるとは思われないのだが、譜面台を描いてしまうと着物が隠れてしまうため、フィクションとしてこうした構図にしたのだろうか。

今回の展覧会のメインビジュアルとして用いられている秋野不矩の「紅裳(こうしょう)」。都ホテルのラウンジのテーブルを5人の女性が囲んでいる様子を描いたものである。5人のうち、視線を交わしているのは手前の二人のみである。二人は後ろ向きだが、互いが互いの目を見ていることは分かる。他の女性のうち、一人はテーブルの中央に浅葱色の花瓶に生けられた花を見つめている。残る二人はどこかをぼんやりと見ている。五角形の構図の中で、バラバラの場所を見ている5人が、逆に緊密な雰囲気を生み出しているのが興味深い。

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秋野不矩「紅裳」

丹羽阿樹子の「達矢」は、女性が弓を構え、上方を狙っている様子を描いたもの。傾いた構図だが、90度の構造と垂直のラインは保たれており、美しくも力強い絵となっている。


「女性が描く女性たち」の作品はそれほど多くはなく、「青磁と染付」、「青々とした緑」、「シルクスクリーンの可能性」、「大量消費がもたらす儚さ」という展示が続く。

「大量消費がもたらす儚さ」のラスト。つまりこの展覧会の掉尾を飾るのが、やなぎみわの「案内嬢の部屋1F」という写真作品である。1997年の作品。当時、二十代と思われる女性が何人も写っている。1997年に二十代ということで、写真の中の女性達は私と同世代と思われる。
中央に動く歩道がある(関西では「動く歩道」のことを「歩く歩道」ということがある。「歩道は歩くでしょ」というツッコミはなしで)。1枚目の写真は、その上に赤い制服を着た案内嬢達が座っている。一番手前の女性は仰向けに寝転んでいるが、寝ているのは気絶しているのかは不明。続く女性達は、座って斜め上の角度を見上げている。凄く歩道の側面はガラス張りのディスプレイになっており、その中に花々が凜とした姿を見せている。女性達の憧れの象徴なのだろうか。同じ角度を見上げている、同一人物と思われる女性が複数写っているようにも見えるのだが、はっきりとは分からない。いずれも華の案内嬢達は、憧れを抱きながら、動く歩道で運ばれ続けていく。残酷な構図である。
2枚目の写真も動く歩道が中央に写っているが、乗っている人は誰もいない。動く歩道の両サイドのガラス張りのディスプレイには案内嬢達が立って並んでいる。女性が消費される存在であることを暗示しており、これまた残酷である。

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2024年9月24日 (火)

スタジアムにて(45) セ・パ交流戦 オリックス・バファローズ対東京ヤクルトスワローズ@京セラドーム大阪 2015.6.11

2015年6月11日 京セラドーム大阪にて

今日も昨日と同様、オリックス・バファローズ対東京ヤクルトスワローズのセ・パ交流戦を観戦。午後6時プレーボール。於・京セラドーム大阪。

予告先発投手は、バファローズがディクソン、スワローズが成瀬善久である。ディクソンは今季勝ち越しているが、FA移籍の目玉としてスワローズに移籍してきた成瀬は負け越しており、防御率も良くない。また一発病も改善されてはいない。

スターティングオーダーであるが、スワローズが昨日と変わらないのに対し、バファローズはかなり入れ替えている。昨日大活躍のT-岡田が何故かスタメン落ち。西野や伊藤も外される。単に成瀬との相性を考えた上でのメンバーチェンジなのだろうか。T-岡田も昨日あれだけ打ってスタメン落ちでは内心面白くないと思うが。なお、T-岡田がスタメンから外れたのは怪我などのためではなく、T-岡田は9回表の守備固めとしてレフトに入った。

T-岡田の代わりにファーストに入ったのは小谷野。西野の代わりに宮﨑。またセカンドに縞田が入り、安達がショートに回る。キャッチャーは山崎勝己。DHにはベテランの谷佳知が入る。


昨日は雄平の背番号41の入ったビジター用のレプリカユニフォームを着ていったが、今日は山田哲人の背番号23のホーム用のレプリカユニフォームを着ていく。たまたまだと思うが、昨日と完全に同じ席での観戦となる。


バファローズの先発、ディクソンであるが、長身から投げ下ろすストレートに球威があり、MAX148キロであるが、スワローズのバッターが押される場面も目立つ。ディクソンの縦に割れるボールが何なのかわからなかったのだが、後で調べたところ、ナックルカーブだそうである。

一方のスワローズの先発、成瀬は球速はなく、MAXでも133キロ。時には120キロ台のストレートも投げる。カーブは106キロ程度で、緩急の差はある。ただ、高めのストレートがホップするように見える。中島が頭の高さのボールに反応したり、カラバイヨが高めのストレートに釣られて三振したりしていたため、客席からだけではなく、打席からも伸びるように見えるのだと思われる。


初回、スワローズは先頭の山田が倒れた後で、上田が三塁線へのボテボテの当たりを打つ。バファローズのサード・中島は切れると思って打球を見つめていたが結局切れずに内野安打になる。続く川端の当たりも同じような三塁線へのボテボテの当たり。これまた切れずに、詰まったために連続内野安打という珍プレーとなる。これで勢いづきたいスワローズだったが、4番・雄平の当たりは予め右寄りに守っていたショート正面のゴロとなり、ショート・安達が自分で二塁ベースを踏んで一塁へ送球。ダブルプレーでチェンジとなった。

その裏、宮﨑が成瀬の高めの球を弾き返して出塁。安達の送りバントで一死二塁となったあとで、糸井の当たりはショート正面。スワローズのショート・今浪はサードを刺しに行くが、送球が宮﨑の背中に当たる。記録は今浪の悪性球となって一死三塁一塁。中島はフォアボールで歩き、小谷野との勝負になる。
小谷野の当たりはピッチャーゴロ。1-2-3のホームゲッツーでスワローズがピンチを切り抜ける。


3回裏、今季は当たっていない糸井がセンター前に抜けるヒットで出ると、4番・中島がレフトへ大きな当たりを飛ばす。ボールは左中間フェンスをわずかに越えるツーランアーチとなる。成瀬が今日も一発病を発症。バファローズが2点を先制する。


5回裏にスワローズは、今浪、中村の連続安打の後で、山田が詰まりながらも一二塁間を抜けるヒットを放ち、今浪が生還、スワローズが1点を返す。


だが、今日のバファローズの野手は守備が冴えており、セカンドの縞田、ショートの安達が本来は安打になるはずの打球に横っ飛びで追いついてアウトを取る。逆にスワローズは雄平が守備も本調子ではなく、脚が万全なら追いつくはずの当たりもヒットになってしまっていた。


昨日、弾丸ライナーのホームランを放った畠山は、今日も大きな当たりを飛ばすが、打ってすぐにわかるファール。畠山はその後も目にも止まらぬスピードの打球を放つが、プロ野球選手の動体視力は流石で、サード・中島が捕ってサードライナーとなる。


7回裏にバファローズは、縞田のヒット、山崎勝己の送りバントで一死二塁となる。一塁ランナーの縞田を牽制する意味で、ここまでは成瀬に任せて良かったのだが、続く宮﨑は右バッターなのでここでスワローズは右投手を送り込みべきだったように思う。成瀬は宮﨑にライト線へのタイムリーを打たれ、1-3とリードを2点に拡げられる。ここで成瀬はマウンドをロマンに譲る。

ロマンの投球は以前にも生で見たことがあるが、今日の席の位置からだと腕が良くしなるピッチャーであることがわかる。球速は148キロが最高であったが、バッターの位置からだとリリースポイントが見えにくいであろうことが想像出来る。


9回表、バファローズのマウンドには抑えの佐藤達也。MAX150キロのストレートでスワローズを三人で抑え、3-1でバファローズが勝利した。


今日は先発ピッチャーのボール球が二人とも少ないということもあり、ヒット数は両軍ともそれなりに多いのに昨日よりも1時間も早くゲームが終わった。

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スタジアムにて(44) セ・パ交流戦 オリックス・バファローズ対東京ヤクルトスワローズ 高知よさこいシリーズ@京セラドーム大阪 2015.6.10

2015年6月10日 京セラドーム大阪にて

京セラドーム大阪で、セ・パ交流戦、オリックス・バファローズ対東京ヤクルトスワローズの試合を観戦。三塁側の内野席で見たのだが、思ったよりもスワローズファンが多い。オリックス・バファローズと東京ヤクルトスワローズの試合はこれまでも京セラドーム大阪で見てきたのだが、いずれも三塁側までバファローズファンというのが常であった。ちなみに家族で来ていて、子供も含め両チームのファングッズを持ってどちらも応援という人もいた。そういうのもいい。

投手だけ予告先発で、バファローズは2年目の東明大貴(とうめい・だいき)、スワローズはホークスから去年移籍してきた新垣渚である。共に今シーズン挙げた勝ち星は1つだけで負け越している。

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今日は高知よさこいシリーズということで、「リョーマの休日」と書かれた高知家(高知県のキャッチフレーズ)の幟が立ち、高知県観光案内が入ったビニール袋を入り口で手渡された。また、ミス高知の岡林綾乃さんも来ており、岡林さんは始球式も務めた。「そういえばスワローズの90年代前半のエースだった岡林洋一もパラグアイ生まれの日系二世だったが、両親は高知県出身で、岡林本人も高校は高知商業だったな」と思い、後で調べてみると、「岡林」というのは高知県固有ではないが高知県ではかなり多い苗字だそうである(高知県だけ「多い苗字トップ10」に入っている。他の都道府県ではトップ500にすら入っていない)。
高知県のゆるキャラ、坂本龍馬くんも来ており、試合前と5回終了後のグラウンド整備の時間にバファローズのマスコットと並んでグラウンドを歩いた。

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先発ピッチャーであるが、新垣の方が調子が良い。ストレートは東明がMAX147キロ、新垣がMAX148キロで大差ないが、東明のストレートがリリースからキャッチャーミットに収まるまで同じ速度で進むように見えるのに対して、新垣のストレートは打者の手元で伸びがある。ストレートが途中から加速することは絶対にあり得ないので、初速と終速の差が少ないストレートなのであろう。


今日のヤクルトの先発ショートは今浪。「守備の人」というイメージの強い森岡がDHで入る。スワローズのセカンド・山田哲人とバファローズ・ファーストのTー岡田は大阪の履正社高校の先輩後輩である。


東明は立ち上がり、山田哲人に対して4球連続でスプリットを投げた後で146キロのストレートを投じるが、山田に詰まりながらもセンター前に運ばれる。2番・上田はサードゴロ。ゲッツーは免れてランナーが入れ替わり上田が一塁走者となる。その後、東明がバランスを崩してボールを上手くリリース出来ないという場面がある。ボークでランナー二塁。だが、東明はこの回は0に抑える。


2回表、スワローズは7番・森岡が右中間フェンス直撃のスリーベースヒットを放ち、チャンスを作ると、今浪は勝負を避けられるも、今年は打撃の調子が今一つの9番・中村がタイムリーヒットを放ち、ヤクルト先制、1-0。


新垣渚というとどうしても「ノーコン」「暴投」のイメージがあるが、今日はバファローズ打線の早打ちにも助けられ、球数も少ないまま快調なピッチングを続ける。

スワローズは4回表にも森岡のヒットと今浪のバント、山田へのフォアボール(キャッチャーは立ち上がらなかったがおそらく敬遠である)で二死一塁二塁とすると、上田がセンターに弾き返して追加点を挙げる。2-0。

4回裏、T-岡田がライト線に大きな当たり。軌道からファールだと思い、実際ファールであったが、思ったよりもライトポールに近い当たりであった。T-岡田のバットコントロールが良いのであろう。逆にバットコントロールが不調なのがヤクルトの4番打者・雄平で、バットスイングを見ていると、どうも自身が思っているスイングスピードと実際の速度に差があるように感じられた。


5回表、一死から畠山が痛烈な打球。スピードが速すぎてボールが見えなかったが、前で捌いたのはわかったのでレフトスタンドを見ると、ボールが弾丸ライナーで吸い込まれていくところであった。スワローズ追加点、3-0。


新垣はストレートとフォーク、カーブを軸にバファローズ打線を抑える。6回までに許した安打は中島の1本だけ。糸井に対してはスローカーブを投げ、スローカーブが全く頭になかった糸井がピクリとも動かずストライク。客席から笑い声が起こる。

しかし、7回表、中島が今日2本目のヒットを放ち、迎えるは前の打席で大飛球を飛ばしたT-岡田。岡田の痛烈な当たりが一塁コーチャーズボックスに向かって飛び、すんでのところで交わして横になったバファローズの佐竹コーチが立ち上がると客席から拍手が起こる。続く岡田の当たりは打った瞬間に入ったとわかる特大のもの。外野2階席中段に飛び込むビッグアーチであった。バファローズ追い上げ2-3。T-岡田はこれがプロ通算100号のメモリアルアーチとなった。新垣がTー岡田に2打席続けて大きな当たりを打たれたため、スワローズベンチはここから継投策に入る。2番手はサイドスローの秋吉。カラバイヨがフォアボールで歩いた後で、バファローズはこちらも「守備の人」のイメージのある原拓也を代打に送る。たが、原は期待に応えられず三振。二盗を試みたカラバイヨもタッチアウトとなり、三振ゲッツーでスワローズはピンチを切り抜ける。

バファローズは東明から岸田、塚原、マエストリという投手リレー。塚原とマエストリは共にMAX150キロを出した。

スワローズはセットアッパーのオンドルセクが8回を三者凡退に抑える。軸足である右脚に乗せた体重を左脚を踏み込むと同時に前に倒すように移動させるというピッチングフォーム。ストレートもMAX150キロを記録した。そして9回はクローザーのバーネットが登場。

バーネットは今日登板したピッチャーの中で最速となるMAX151キロを二度マークしたが、先頭打者の安達にライトオーバーの二塁打を許し、ピンチを招く。糸井はボテボテのキャッチャーゴロであったが、ランナーは進塁。一死三塁となる。内野ゴロでもランナー生還の可能性が高い場面である。ここで高津投手コーチがマウンドへ行き、内野手達もマウンドに集まる。
スワローズはゴロでは1点もやらないということで内野は超前進守備を敷く。外野は逆に深く守る。ヒットを外野手の前に打たれて同点は仕方ないが外野手オーバーの長打でサヨナラのランナーが得点圏に進むことは避けるという意味もある。

中島の当たりはサードへのゴロ。ヤクルトのサード・川端慎吾は三塁ランナーの動きを牽制してから一塁へ送球。二死三塁と変わる。

そして迎えるのは大砲のT-岡田。岡田はバーネットの球威に押され、ショートゴロ。予め右寄りに守っていた今浪がこれを捌いて、東京ヤクルトスワローズが、3-2で辛勝した。


ちなみに今日登板した投手の中でワインドアップで投げたのは0。アーム式のテイクバックの場合は球に勢いを付けるのに有効だったワインドアップであるが、肘から上げるスクラッチ式のテイクバックではワインドアップにするメリットはほぼないのでワインドアップするピッチャーはかなり減っている。

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2024年9月23日 (月)

ピッチャー青木宣親

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クラウス・マケラ指揮 hr交響楽団(ヘッセン放送交響楽団、旧フランクフルト放送交響楽団) ショスタコーヴィチ 交響曲第7番「レニングラード」

日本では1990年代に、「ちちんぷいぷい」の歌詞がつけられ、アーノルド・シュワルツェネッガーが出演した栄養ドリンクのCMでギャグ的に使われましたが、実はもの凄い名曲です。
前奏が終わり、スネアの音に乗せて、人食ったような間抜けとも思える旋律が聞こえ始めます。これがラヴェルの「ボレロ」のように何度も繰り返されるのですが、次第に凶暴性を増していきます。これは独裁者を揶揄しているのだと思われます。ヒトラーもスターリンも学校では劣等生で鼻で笑われていたような人でした、ところが次第にということですね。
「ボレロ」を意識しているのは明らかですが、「ボレロ」が2つの旋律を使っているのに対し、「レニングラード」は旋律は1つのみです。「ボレロ」は転調して聴く者を驚かせるだけですが、「レニングラード」は転調するととんでもないことが始まってしまいます。

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2024年9月22日 (日)

コンサートの記(856) 加藤訓子 プロデュース STEVE REICH PROJECT 「kuniko plays reich Ⅱ/DRUMMING LIVE」@ロームシアター京都サウスホール

2024年8月25日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールにて

午後5時から、左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールで、加藤訓子プロデュース STEVE REICH PROJECT 「kuniko plays reich Ⅱ/DRUMMING LIVE」を聴く。
全曲を現代を代表するアメリカのミニマル・ミュージックの作曲家、スティーヴ・ライヒの作品で固めたプロジェクト。ライヒと共演を重ねている打楽器奏者の加藤訓子(かとう・くにこ)が、自身のソロと若い奏者達との共演により、ライヒ作品を奏でていく。

曲目は、前半の「kuniko plays reich Ⅱ」(編曲&ソロパフォーマンス:加藤訓子+録音)が、「フォーオルガンズ」、「ナゴヤマリンバ」、「ピアノフェイズ」(ビブラフォン版)、「ニューヨークカウンターポイント」(マリンバ版)。後半の「DRUMING LIVE」が、「ドラミング」全曲。

開演前と休憩時間にロビーコンサートが行われ、開演前はハンドクラップによる「Clapping Music」の演奏が、休憩時間にはパーカッションによる「木片の音楽」の演奏が行われた。日本でのクラシックのコンサートでは、体を動かしながら聴くのはよろしくないということで(外国人はノリノリで聴いている人も多い)リズムを取ったりは出来ないのだが、ロビーコンサートはおまけということでそうした制約もないので、手や足でリズムを取りながら聴いている人も多い。ミニマル・ミュージックの場合、リズムが肝になることが多いため、体を動かしながら聴いた方が心地良い。


まず、スティーヴ・ライヒによる日本の聴衆に向けたビデオメッセージが流れる。1991年に初来日し、東京・渋谷のBunkamuraでの自身の作品の上演に立ち会ったこと、1996年に再来日した時の彩の国さいたま芸術劇場やBunkamuraでの再度の公演の思い出を語り、「日本に行きたい気持ちは強いのですが、1991年の時のように若くはありません」と高齢を理由に長距離移動を諦めなければならないことなどを述べた。

「kuniko plays reich Ⅱ」。第1曲目の「フォーオルガンズ」では、録音されたオルガンの音が流れる中、加藤がひたすらマラカスを振り続ける。この上演に関しては音楽性よりも体力がものを言うように思われる。
その後は、マリンバやビブラフォンを演奏。ちなみに木琴(シロフォン)とマリンバは似ているが、マリンバは広義的には木琴に属するものの、歴史や発展経緯などが異なっている。シロフォンがヨーロッパで発展したのに対し、マリンバはアフリカで生まれ、南米で普及している。日本ではオーケストラではシロフォンが用いられることの方が多いが、ソロではマリンバの方が圧倒的に人気で、日本木琴協会に登録している演奏家のほとんどがマリンバ奏者となったため、協会自体が日本マリンバ協会に名称を改めている。
ミニマル・ミュージックならではの高揚感が心地よい。


後半、「DRUMING LIVE」。「ドラミング」を演奏するのは、青柳はる夏、戸崎可梨、篠崎陽子、齋藤綾乃、西崎彩衣、古屋千尋、細野幸一、三神絵里子、横内奏(以上、パーカッション)、丸山里佳(ヴォーカル)、菊池奏絵(ピッコロ)、加藤訓子。

4人のパーカッション奏者が威勢良くドラムを奏で、しばらくしてからマリンバやビブラフォン、ヴォーカル、ピッコロなどが加わる。
リズミカルで高揚感があり、パワフルなドラムと、マリンバやビブラフォン、ヴォーカルやピッコロの神秘性が一体となった爽快で洗練された音楽が紡がれていく。音型が少しずつ形を変えながら繰り返されていく様は、聴く者をトランス状態へと導いていく。
偶然だが、久保田利伸の「You were mine」のイントロによく似たリズムが出てくるのも面白かった。

演奏修了後に、歓声が響くなど、演奏は大成功であった。

その後、カーテンコールに応えて、奏者達がハンドクラップを始める。聴衆もそれに乗り、一体感を生むラストとなった。

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米津玄師 「さよーならまたいつか!」(NHK連続テレビ小説「虎に翼」オープニング曲)オリジナルプロモーションビデオ(PV)

この映像はカラオケにも採用されており、見ながら歌うことが出来ます。

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2024年9月21日 (土)

観劇感想精選(469) 佐野史郎&山本恭司&小泉凡 「小泉八雲 朗読のしらべ 龍蛇伝説~水に誘われしものたち~」

2024年9月6日 大阪・谷町4丁目の山本能楽堂にて

午後6時から、谷町4丁目の山本能楽堂で、「小泉八雲 朗読のしらべ 龍蛇伝説~水に誘われしものたち~」を観る。小泉八雲が愛した松江出身の佐野史郎がライフワークとして続けている朗読公演。二夜連続で小泉八雲作品の公演に接することとなった。
原作:小泉八雲、監修・講演:小泉凡、脚本・朗読:佐野史郎、構成・音楽:山本恭司、翻訳:平井星一、池田雅之。

佐野史郎と山本恭司は松江南高校の同級生である。

今回の演目は、『知られぬ日本の面影』より「杵築」、『知られぬ日本の面影』より「美保の関」、『知られぬ日本の面影』より「日本海に沿って」河童の詫び証文、『天の川奇譚』より「鏡の乙女」、『霊の日本』より「振袖火事」、『怪談』より「おしどり」、『東の国から』より「夏の日の夢」


まず、小泉八雲の曾孫である小泉凡が登場。ちょっとした講演を行う。今年は小泉八雲の没後120年、そして代表作『怪談』出版120周年に当たるメモリアルイヤーだという。更に、来年のNHK連続テレビ小説が小泉八雲の妻である小泉節(小泉セツ、小泉節子)をモデルにした「ばけばけ」に決まり、会う人会う人みな一様に「おめでとうございます」と言ってくるという話をする。小泉節を主役級として描いた作品としては、八雲との夫婦生活を描いた「日本の面影」(1984年、NHK総合。原作・脚本:山田太一。小泉節を演じたのは檀ふみ。小泉八雲を「ウエストサイド物語」のジョージ・チャキリスが演じているという異色作である。私も子どもの頃に見てよく覚えている)以来となる。小泉凡が子どもの頃、家の奥に姿見があったそうだが、それが小泉節の遺品だったそうだ。鏡の右の部分が少し色あせたような感じだったので、「なんであそこだけあんなになってるの?」と聞くと、「おばあちゃん(小泉節)、いつもあそこに手ぬぐい掛けてたからよ」と母親が答えたそうである。ちなみに小泉凡が小学校に上がり、おもちゃのサッカーボールを買って貰って家の中で遊んでいたところ、その姿見に思い切りボールをぶつけてしまって、ひびが入り、その後はテープで留めてあるという。今回は井戸が鏡になるという話が出てくるのだが、ラフカディオ・ハーンが青年期を過ごしたアイルランドにも聖なる泉が沢山あり、そこに不思議な姿が映るという話が数多くあるそうだ。

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、来日当初は、東京や横浜、特に外国人居留区のあった横浜に長く滞在していたのだが、鎌倉や江ノ島(よく勘違いされるが、江ノ島は鎌倉市ではなく藤沢市にある)に出掛け、水泳が得意なのでよく泳いでいたそうだが、江ノ島の龍の像や龍神伝説を知って感銘を受けているという。ということで、今回は龍蛇を題材にした作品でランナップの組むことになった。

ちなみに出雲地方にはウミヘビが打ち上がるそうで、出雲の西の方では出雲大社に、出雲の東の方では佐太(さだ)神社に打ち上がったウミヘビを龍神として毎年奉納していたのだが、地球温暖化の影響で、ここ10年ほどはウミヘビが打ち上げられることがなくなってしまったそうである。出雲の沖には寒流が流れ込んでおり、それに行方を遮られたウミヘビが浜に打ち上げられるのだが、寒流がなくなってしまったため、男鹿半島の方まで行かないとウミヘビが打ち上がる様子は見られなくなってしまったそうである。
なお、「ばけばけ」とは全く関係なしに、現在、小泉八雲記念館では、「小泉セツ―ラフカディオ・ハーンの妻として生きて」という企画展をやっていることが紹介される。


佐野史郎は羽織袴姿で登場。山本恭司はエレキギターの演奏の他、効果音も担当する。舞台正面から見て左手(下手)に佐野史郎が、右手(上手)に山本恭司が陣取る。

佐野史郎は声音や声量を使い分けての巧みな朗読を見せる。音楽好きということもあって音楽的な語り口を聞かせることもある。だが、技術面よりも八雲への愛に溢れていることが感じられるのが何よりも良い。


ラフカディオ・ハーンは、素戔嗚尊が詠んだ日本初の和歌「八雲立つ出雲八重垣妻籠に八重垣作るその八重垣を」にちなんで八雲と名乗ったとされており、今回の佐野史郎が解説を担当した無料パンフレットにもそう書かれているが、日本ではハーンが、「ハウン」に聞こえ、「ハウンさん」と呼ばれたことから、「ハ=八、ウン=雲」にしたという説もある。

「杵築」は、八雲が出雲大社を参拝する時の記録で、宍道湖を船で渡っている時に見た、お隣、鳥取の大山の描写があるなど、旅情と詩情に溢れた文章である。

「美保の関」。美保関の神様は鶏を嫌うという。ついでに卵も嫌うという。ある日、船旅に出た一行は美保関で強風に遭う。誰か卵を持っていないかなどと言い合う人々。実は煙管に鶏の絵を入れた男がおり、それで美保関の神様が機嫌を損ねたのではないかという話になっている。この話には、大国主命の国譲りの神話が関与しているようである。美保関(美保神社)の神様はえびす様で事代主のこととされている。えびすは商売の神様としてお馴染みだが、実は蛭子(身体障害者)として流されており、祟り神でもある。
事代主自体は大国主の子とされ、鹿島神こと建御雷神に国譲りを迫られた大国主が事代主に聞くように言い、事代主が承諾したという展開になる。一方、弟神の建御方神は抵抗して建御雷神に敗れ、信州へと逃れ、諏訪大社に根付いている。建御雷神は藤原氏の氏神であるため、何らかの勢力争いが背景にあると思われる。
鶏というと、島根県の隣に鳥取県があるが、「鳥が騒がしい」と鳥取で乱が起こっているような描写が『古事記』に登場する。関係があるのかどうかは分からない。
大国主は、大神神社の大物主と同一視されることがあり、佐野史郎は、大神神社には卵が備えられることから、「大物主は蛇?」と記しているが、大物主が蛇なのは神話でも語られている。佐野は「卵は蛇の好物」としている。ということで、事代主は大国主=大物主とは逆の性質を持っていることが分かる。
鶏を嫌うことに関しては、折口信夫が面白い説を出しているが、鶏は朝を告げる鳥であり、太陽神である天照大神を最高神とする大和朝廷への反骨心があるのではないかと私は見ている。えびすが大和朝廷から捨てられた神であることもここに関係してくるのではないか。


日本各地にある河童の話。河童は馬を好むのだが、川に入った馬を掴んだところ、そのまま引きずり出され、人間達に捕らえられてしまう。そこで詫び状を書くという話である。
舞台は出雲の川津なのだが、小泉節は出雲弁がきつかったため、「かわづ」と発音できず、「かわぢ」と発音し、八雲は「河内」と聞き取り、そのまま記している。八雲は日本語はそれほど達者ではなかったため、節さんが頼りだったようだが、節さんが間違えるとそのまま間違えるということになっている。


『天の川奇譚』より「鏡の乙女」。京都が舞台である。ある日、男が井戸に飛び込んで死ぬという事件が起こる。
神官の松村が、京都にやってきて寺町に住み、老朽化した社殿復興の資金調達に奔走する。日照りがあり、京の水も涸れるのだが、松村の家の前の井戸だけは水が潤沢である。ある日、松村が井戸を覗くと、そこに絶世の美女が映っていた。余りに美しいので、松村は気を失い、危うく井戸に落ちるところであった。その美女がある日、松村の家を訪れる。美女は弥生という名の鏡の妖精で、毒蛇に捕らえられ、操られていたが、毒蛇は信州へと逃げた(つまり建御方神か?)という。井戸をさらうと鏡が見つかる。大分古びていたが、磨くと見事なものとなった。三月に作られたものであり、美女が弥生と名乗った意味も分かる。
弥生が再び現れる。百済からやってきた弥生は、藤原家の所有する鏡となったという。やはりここでも、藤原氏と建御方神の対立があるようだ。弥生の鏡は足利義政に献上され、義政は松村に金子を渡し、これで社殿の復興が叶うこととなった。


『霊の日本』より「振袖火事」。江戸時代初期、娘が町で色男を見かける。すぐに見失ってしまったが、色男の姿が脳裏に焼き付いた。色男の着物に似た色の振袖を着れば色男にまた会えるのではないかと考えた娘は、当時の流行りであった袖の長い青の振袖を作って貰い、それを常に着るようになる。だが、色男とは再会出来ない。娘は「南無妙法蓮華経」と唱え続ける。しかし恋の病のために次第に痩せ細り、ついには亡くなってしまう。振袖は娘の菩提寺に預けられたのだが、この寺の住職が高く売れると見込んで売りに出す。果たして、先の娘と同じ年頃の若い女性が振袖を結構な値段で買う。しかし、その女性もすぐにやつれて亡くなってしまう。振袖は寺に戻されるが、住職はまた売りに出す。また高値で売れ、買った若い女性がやつれて亡くなる、ということが繰り返される。流石に住職も、「この振袖には何かある」ということで、焼却処分しようとしたのだが、振袖は大いに燃え上がり、「南無妙法蓮華経」の七文字が火の玉となって江戸の町に飛び散る。延焼が延焼を生み、ついには江戸のほとんどが焼けてしまう。これが「振袖火事」こと明暦の大火である。火元となったのは、本郷の日蓮宗(法華宗)本妙寺であった。実は色男の正体は蛇であったという。

『怪談』より「おしどり」。陸奥国田村の郷、赤沼(現在の福島県郡山市に地名が残る)が舞台。村允(そんじょう)という鷹匠が狩りに出るが獲物を捕まえることが出来ない。ふと見ると、赤沼につがいのおしどりがいる。村允は空腹を満たすため、おしどりのオスを射る。メスの方は葦の中に逃げ去る。
その夜、村允の枕元に美しい女が現れる。女はおしどりのメスであることを明かし、なぜ罪もない夫を殺したのかと村允をなじる。そして赤沼に来いとの歌を詠む女。
翌朝、村允は赤沼に出向き、おしどりのメスを見つける。おしどりのメスは村允めがけて泳いできて、くちばしを自分に刺して自害して果てた。その後、村允は頭を丸めて僧侶となった。

『東の国から』より「夏の夜の夢」。浦島太郎の物語を翻案したものである。
大坂の住之江が舞台。漁師の倅である浦島太郎は、船で漁に出て釣り糸を垂らすが、かかったのは一匹の亀のみ。亀は千年万年生きるとされる縁起物である上に龍王の使い。殺す訳にはいかず、浦島太郎は亀を逃がす。すると水面を渡って美しい女がこちらに近づいてくる。女は龍王の娘であり、龍王の使いである亀を助けてくれたお礼に常夏の島にある父の宮殿、竜宮城へ共に行って、お望みならば花嫁となるので永遠に一緒に楽しく暮らそうと浦島太郎に言い、浦島太郎もそれに従った。二人で共に櫓を取り、竜宮城へと進む。
3年の楽しい月日が流れた。しかしある日、浦島太郎は、「両親の顔が見たいので戻りたい」と女に告げる。女は「もう会えなくなるから」と止めるが、浦島太郎は「顔を見て帰るだけだから」と聞かない。女は絹の紐で結んだ玉手箱を浦島太郎に渡し、「これが帰る助けになりましょうが、決して開けてはなりませぬ。どんなことがあっても!」と浦島太郎に念押しする。
浦島太郎は元いた浜に戻るが、全てが異なっている。老人に話を聞き、浦島太郎だと名乗ると老人は、「浦島太郎なら400年前に遭難したよ」と呆れる。古い墓を訪れた浦島太郎は、自分の墓を発見。一族の墓もそばにあった。落胆して帰路に就く浦島太郎。しかし、玉手箱を開ければ何かが変わるのではと思ってしまい……。

異国人の目が捉えた美しい日本が、日本語の名人にして小泉八雲の良き理解者である佐野史郎によって語られる。贅沢な夜となった。

なお、松江での公演が決定しており、『怪談』出版120年ということで、『怪談』からの話を多く取り上げ、いつもより上演時間も長く取った特別バージョンで行うという。興味深いが松江は遠い。

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2024年9月20日 (金)

観劇感想精選(468) イキウメ 「小泉八雲から聞いた話 奇ッ怪」

2024年9月5日 大阪・福島のABCホールにて観劇

午後7時から、大阪・福島のABCホールで、イキウメの公演「小泉八雲から聞いた話 奇ッ怪」を観る。原作:小泉八雲。脚本・演出:前川知大。出演:浜田信也(はまだ・しんや。小説家・黒澤)、安井順平(警察官・田神)、盛隆二(もり・りゅうじ。検視官・宮地)、松岡依都美(まつおか・いずみ。旅館の女将)、生越千晴(おごし・ちはる。仲居甲)、平井珠生(ひらい・たまお。仲居乙)、大窪人衛(おおくぼ・ひとえ。男性。仲居丙)、森下創(仲居丁)。ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の『怪談』で描かれた物語と、現代(かどうかは分からない。衣装は今より古めに見えるが、詳しくは不詳。「100年前、明治」というセリフがあるが、100年前の1924年は大正13年なので今より少し前の時代という設定なのかも知れない。ただ小泉八雲の時代に比べるとずっと現代寄りである)。役名は、現代の場面(ということにしておく)のもので、小泉八雲の小説の内容が演じられるシーンでは他の役割が与えられ、一人で何役もこなす。

舞台中央が一段低くなっており、砂か砂利のようなものが敷き詰められていて、中庭のようになっている。下手に祠、上手に紅梅の木。開演前、砂が舞台上方から細い滝のように流れ落ちている。舞台端に細い柱が数本。


京都・愛宕山(「京都の近くの愛宕の山」とあるが京都の近くの愛宕山は京都市の西にある愛宕山しかないので間違いないだろう)の近くの旅館が舞台。かつては寺院で、50年前に旅館に建て替えられたという。天然温泉の宿である。この宿に小説家の黒澤シロウが長逗留している。小説を書きながら周囲でフィールドワークを行っているため、つい根を張るようになってしまったらしい。この宿はGPSなどにもヒットしない隠れ宿である。
宿に男二人組が泊まりに来る。田神と宮地。実は二人とも警察関係者であることが後に分かる。

使用される小泉八雲のテキストは、「常識」、「破られた約束」、「茶碗の中」、「お貞の話」、「宿世の恋」(原作:「怪談牡丹灯籠」)の5作品。これが現代の状況に絡んでいく。

舞台進行順ではなく、人物を中心に紹介してみる。小説家の黒澤。雑誌に顔写真が載るくらいには売れている小説家のようである。美大出身で、美大時代にはシノブという彼女がいた。黒澤は当時から小説家志望だったが、余り文章は上手くなく、一方のシノブは子どもの頃から年齢に似合わぬ絵を描いていたが、それが予知夢を描いたものであることが判明する。来世の話になり、黒澤は、「シノブが生まれ変わったとしても自分だと分かるように小説家として有名にならないと」と意気込む。だが、その直後にシノブは自殺してしまう。シノブは自身の自殺も絵で予見していた。
生まれ変わったシノブに会いたいと願っていた黒澤。そして愛宕山の近くの宿で、シノブによく似た19歳の若い女性、コウノマイコ(河野舞子が表記らしいが、耳で聞いた音で書くことにする)と出会う。マイコが「思い出してくれてありがとう」と話したことから、黒澤はマイコがシノブの生まれ変わりだと確信するのだが、マイコもまた自殺してしまう。マイコの姉によると精神的に不安定だったようで、田神は「乖離性同一障害」だろうと推察する。

小泉八雲の怪談第1弾は、「常識」。白い像に乗った普賢菩薩の話。この宿が寺院だった頃、人気のある僧侶がいて賑わい、道場のようであったという。僧侶は夜ごと、白い像に乗った普賢菩薩が門から入ってくるのが見えるのだという。普賢菩薩を迎える場面では、般若心経が唱えられる。しかしその場に居合わせた猟師が普賢菩薩をライフルで撃ってしまう。殺生を生業とする自分に仏が見えるはずはなく、まやかしだとにらんでのことだった。普賢菩薩が去った後に鮮血が転々と続いており、池のそばで狐が血を流して倒れていた。化け狐だったようだ。その狐が祀られているのが、中庭の祠である。

続いて、「破られた約束」。落ちぶれはしたが、まだ生活に余裕のある武士の夫婦。だが、妻は病気で余命幾ばくもない。夫は後妻は貰わないと約束したが、妻は跡継ぎがまだいないので再婚して欲しいと頼む。傍らで見ていた田神が、「女の方が現実的で、男の方がロマンティストというか」と突っ込む。妻は、亡骸を梅の木の下に埋めることと、鈴を添えて欲しいと願い出る。
妻の死後、やはり男やもめではいけないと周囲が再婚を進め、それに従う男。比較的若い奥さんを貰う。しかし夫が夜勤の日、鈴が鳴り、先妻の幽霊が現れ、「この家から去れ、さもなくば八つ裂きにする」と脅す。夫が夜に家を空ける際にはいつもそれが繰り返される。新妻は恐れて離縁を申し出る。ある夜、また夫が夜勤に出ることになった。そこで夫の友人が妻の寝所で見守ることにする。囲碁などを打っていた男達だが、一人が「奥さん、もう寝ても構いませんよ」を何度も繰り返すようになり、異様な雰囲気に。やがて先妻の幽霊が現れ、新妻の首を引きちぎるのだった。

現代。それによく似た事件が起こっており、泊まりに来た二人はその捜査(フィールドワークを称する)で来たことが分かる。ここで二人の身分が明かされる。首なし死体が見つかったのだが、首が刃物ではなく、力尽くで引きちぎられたようになっていたという。


「茶碗の中」。原作では舞台は江戸の本郷白山。今は、イキウメ主宰で作・演出の前川知大の母校である東洋大学のメインキャンパスがあるところである。だが、この劇での舞台は白山ではなく、愛宕山近くの宿屋であり、警察の遺体安置所である。田神が茶碗の中に注いだ茶に見知らぬ男の顔が映っている。なんとも気持ちが悪い。そこで、他の人にも茶碗を渡して様子を見るのだが、他の人には別人の顔は見えないようである。
ところ変わって遺体安置所。検視官の宮地も茶碗の中に別人の顔が映っているのを見つける。そして遺体安置所から遺体が一つ消えた。茶碗の中に映った男の顔が黒澤に似ているということで黒澤が疑われる。消えた遺体は自殺したコウノマイコのものだった。黒澤はコウノマイコには会ったことがないと語る(嘘である)。捜査は、この遺体消失事件を中心としたものに切り替えられる。

温泉があるというので、田神は入りに出掛ける。宮地は「風呂に入るのは1週間に1度でいい」と主張する、ずぼらというか不潔というか。そうではなくて、「1日数回シャワー」、あ、これ書くと炎上するな。あの人は言ってることも書いてることもとにかく変だし、なんなんでしょうかね。もう消えたからいいけど。


「お貞の話」。これが、先に語った、シノブと黒澤シロウ、黒澤シロウとコウノマイコの話になる。来世で会う。この芝居の核になる部分である。
ついこの間、Facebookに韓国の女優、イ・ウンジュ(1980-2005)の話を書いたが(友人のみ限定公開)、彼女がイ・ビョンホンと共演した映画「バンジージャンプする」に似たような展開がある。「バンジージャンプする」は、京都シネマで観たが、キャストは豪華ながら映画としては今ひとつ。イ・ウンジュは映画運には余り恵まれない人であった。

「宿世の恋」。落語「怪談牡丹灯籠」を小泉八雲が小説にアレンジしたものである。この場面では、女将役の松岡依都美が語り役を務める。
旗本・飯島家の娘、お露は評判の美人。飯島家に通いの医師である志丈(しじょう)が、萩原新三郎という貧乏侍を連れてきた。たちまち恋に落ちるお露と新三郎。お露は、「今後お目にかかれないのなら露の命はないものとお心得下さい」とかなり真剣である。しかし、徳川家直参の旗本と貧乏侍とでは身分が違う。新三郎の足はなかなか飯島家に向かない。それでも侍女のお米の尽力もあり、飯島家に忍び込むなどして何度か逢瀬を重ねたお露と新三郎だったが、新三郎の足がまた遠のいた時に、志丈からお露とお米が亡くなったという話を聞いた新三郎。志丈は、「小便くさい女のことは忘れて、吉原にでも遊びに行きましょう。旦那のこれ(奢り)で」と新三郎の下僕であるトモゾウにセリフを覚えさせ、トモゾウはその通り新三郎に話すが、激高した新三郎に斬られそうになる。お露のことが忘れられず落胆する新三郎であったが、ある日、お露とお米とばったり出会う。志丈が嘘をついたのだと思った新三郎。聞くと二人は谷中三崎(さんさき)坂(ここで東京に詳しい人はピンと来る)で暮らしているという。二人の下を訪れようとする新三郎だったが断られ、お露とお米が新三郎の家に通うことになる。だが、お察しの通り二人は幽霊である。新三郎の友人達は二人の霊を成仏させるため、新三郎の家の戸口を閉ざし、柱に護符を貼り、般若心経が再び唱えられる。お守りを渡された新三郎はその間写経をしている。新三郎の不実を訴えるお露の声。
6日我慢した新三郎だが、今日耐えれば成仏という7日目に、会えなくなるのは耐えられないと、お守りを外し、戸口を開けて……。

照明がつくと、田神と宮地が寝転んでいる。旅館だと思っていたところは荒れている。「こりゃ旅館じゃないな」と田神。
黒澤がマイコの遺体を隠したのだと見ていた二人は、狐を祀る祠の下で抱き合った二人の遺骸を発見する。マイコはミイラ化しており、黒澤は死後10日ほどだった。「報告書書くのが面倒な事件だなこりゃ」とこぼしながら旅館らしき場所を去る田神と宮地。下手袖に現れた黒澤の霊はお辞儀をしながら彼らを見送り、砂の滝がまた落ち始める。
生まれ変わった恋人にも自殺されてしまった新三郎だが、再会は出来て、あの世で一緒になれるのならハッピーエンドと見るべきだろうか。少なくともマイコもその前世のシノブも彼のものである。


小泉八雲の怪談と現代の恋愛、ミステリーに生まれ変わりの要素などを上手く絡めたロマンティックな作品である。次々に場面が入れ替わるストーリー展開にも妙味があり、また、青、白、オレンジなどをベースとした灯体を駆使した照明も効果的で、洗練とノスタルジアを掛け合わせた良い仕上がりの舞台となっていた。
やはり幽霊や妖怪を駆使した作風を持つ泉鏡花の作品に似ているのではないかと予想していたが、泉鏡花が持つ隠れた前衛性のようなものは八雲にはないため、より落ち着いた感じの芝居となった(ただし抱き合った遺体は、鏡花の傑作『春昼・春昼後刻』のラストを連想させる)。


上演終了後、スタンディングオベーション。多分、私一人だけだったと思うが、周りのことは気にしない。ほとんどの人が立っている時でも立たない時は立たないし、他に誰も立っていなくても立つ時は立つ。ただ一人だけ立っている状態は、大阪府貝塚市で観た舞台版「ゲゲゲの女房」(渡辺徹&水野美紀主演)以来かも知れない。渡辺徹さんも今はもういない。

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2024年9月17日 (火)

史の流れに(12) 村井康彦最後の講義 寛永文化講座 村井康彦先生講演会「菊と葵ーー寛永文化の背景」

2024年9月7日 京都ブライトンホテル1階「雲の間」にて

京都ブライトンホテル1階「雲の間」で行われる、村井康彦の講演を聴きに出掛ける。2026年に行われる予定の「寛永御幸四百年祭」のプレイベントとして行われるものである。

京都ブライトンホテルは、大河ドラマ「光る君へ」で、この間亡くなった安倍晴明(あべのせいめい。劇中では、あべのはるあきら。演じたのはユースケ・サンタマリア。「光る君へ」で最初にセリフを発したのが安倍晴明である)の邸宅があった場所に建つと推定されている。具体的には南側の駐車場の一部が安倍晴明邸の跡地と考えられている。
晴明神社のある場所が安倍晴明の邸跡とされることもあるが、あの場所は当時、平安京の外にあるため、事実とは考えにくい。「安倍晴明は一条戻橋の下に式神を飼っていた」という伝説に基づく場所なのだろう。


村井康彦は、1930年山口県生まれ、京都大学文学部史学科に学び、同大大学院修士課程修了、同博士課程中退(1964年に論文で博士号取得)。中退と同時に京都女子大学助教授となり、以後、京都の国際日本文化研究センターの教授、彦根の滋賀県立大学の教授、京都市歴史資料館館長などを歴任。京都造形芸術大学大学院長なども務めている。京都市芸術文化協会の理事長でもあった。

村井康彦先生には、京都造形芸術大学在学中に「京都学」の講義を受けており、卒業前には、造形大前の横断歩道の前で挨拶している。「私はもうやめます」と仰っていた。その後、京都コンサートホールで行われたジョナサン・ノット指揮バンベルク交響楽団の来日公演の際にたまたま地下に向かう階段で出会い、言葉を交わしている。ちなみのそのコンサートはガラガラで(ジョナサン・ノットは東京交響楽団に着任する前でまだ知名度は低かった)、「早めにチケット取ったのに意外です」というようなことを仰られていた。ちなみに山口県立岩国高校出身で、友人の大先輩に当たる。


村井先生の講演は、「菊と葵ーー寛永文化の背景」というタイトルで、後水尾天皇と徳川和子(とくがわ・かずこ。東福門院和子。入内時に「まさこ」に読み方を変えている。「濁音のつく名前は雅やかでない」という理由で、現在も皇室には濁音のつく名前の方はいらっしゃらない)を中心としたものである。村井先生は最初「東福門院和子」を「かずこ」と読んでいて、幕末の和宮(親子。ちかこ)と対になると思ったそうだが違ったそうだ。
徳川和子が後水尾天皇に入内したのは、露骨に政略的理由である。徳川家康や秀忠が、徳川家が天皇の外祖父として振る舞えるようにと仕組んだものだ。結果的には、和子が生んだ後水尾天皇の男の子は全員早逝してしまい、女の子だけが残った。その中から明正天皇が生まれる。久々の女帝の誕生であり、諡号は奈良時代の元明天皇と元正天皇の二代続いた女帝から一字ずつ取られたものである。女帝は婚姻も出産も許されないため、一代限りとなる。そのため徳川の血を絶つ戦略でもあった。ただ明正天皇の妹達は摂関家に嫁いでおり、そこから天皇の后になった者も生まれているので、間接的にではあるが、徳川の血は天皇家に入っているそうである。

後水尾天皇は特殊な天皇で、水尾天皇を正式な諡号とする天皇はいない。清和天皇の陵墓が水尾山陵であることから、清和天皇は水尾帝という別名を持つ。ということで、後清和天皇でも良いところを敢えて後水尾天皇にしているのである。
そして、後水尾天皇は父親の諡号を後陽成天皇にしている。陽成天皇というのは、歴代の天皇の中でも屈指の危ない人で、宮中で殺人を犯したのではないかともされている。父親に後陽成とつけたことで、仲が悪かったことが分かる。元々、後陽成天皇は、桂離宮を営んだことで知られる八条宮智仁(としひと)親王に譲位する気であったが、智仁親王が豊臣秀吉の猶子となったことがあったため、徳川家から待ったがかかり、結果、智仁親王ではなく後水尾天皇が即位することになっている。

徳川和子の母親は、お江(達子。みちこ)。浅井長政とお市の方の三女である。お江与の方とも言われ、一般的には「おえよ」と読まれるが、実際には「おえど」であり、江戸の徳川将軍家に嫁いだのでこの名がある。そうでない限り別の名をつける意味は余りない。祖母は戦国一の美女とも呼ばれるお市の方(織田信長の妹)。ということで、その娘である浅井三姉妹も美女揃いで有名。徳川和子も美人であったことが予想される。
東福門院となった和子の陵墓は泉涌寺の月輪陵であるが、菩提寺が欲しいということで再興されたのが、鹿ヶ谷、今は哲学の道に近い光雲寺である。ここは観光寺ではなく、普段は非公開であるが、たまに一般公開される時があり、私も一般公開時に入っている。東福門院和子の座像があり、大変整った顔立ちである。お寺の方に、「美人でいらっしゃいますね」と話したところ、「初めて見た時に余りにも美人なので後水尾天皇が驚いたという話があります」と話してくれた。またたびたび「江戸に帰りたい」と口にしていたそうである。

村井先生は、特別公開時ではなく、鹿ヶ谷に住む友人がたまたま入れてくれたそうで、村井先生が注目したのは東福門院和子の座像ではなく、念持舎利塔で、この台座の下、一番下の部分に菊の御紋と葵の御紋が並んでいる。皇室と徳川家の紋である。しかし、古い写真を見ると、菊の御紋が真ん中にあり、それを左右から挟むように葵の御紋が二つあるそうで、「寅さんじゃないけど、『はて?』」(NHK連続テレビ小説「虎に翼」の主人公で、伊藤沙莉が演じる佐田寅子の口癖)となったそうである。お寺の人に聞くと、「表と裏で紋の数が違うので、入れ替えたのだろう」とのことだったのだが、菊の御紋を葵の御紋が挟むというのは何か意味がありそうである。


続いて、京都御所と二条城の関係。天皇の住まいは元々は平安京の大内裏内にあった内裏であるが、次第に里内裏を用いることが多くなり、現在の京都御所は足利義満の時代に東洞院土御門殿と呼ばれた里内裏が正式な天皇の御在所として定まったものである。元の内裏と大内裏のあった場所は、大家(おおうち)、内野などと呼ばれるようになる。
二条城と呼ばれたことのある城郭は全部で4つある。二条通は上京と下京の境であるが、周囲には何もなかったため、巨大城郭を建てやすかったのである。現在、二条城と呼ばれているのは、徳川家康が建てた二条城で、家康は神泉苑の大半を潰し、豊富な水を堀に転じさせた。家康の二条城は現在の二の丸部分のみの単郭の城だったのだが、後水尾天皇の御幸に合わせて、西側に拡張。本丸を設置し、天守を伏見城から移している。それまでの天守は淀城に移した。これは今回の講座ではなく、奈良県の大和郡山市で聞いた話なのだが、二条城の最初の天守は、大和郡山城(郡山城)からの移築ではないかという話があるそうである。その大和郡山城の天守が二条城を経て淀城に移された。この淀城の天守は江戸中期まで残っていた。大和郡山城の天守が江戸時代まで残っていたというのは大和郡山市民のロマンだそうである。

二条城を築いたことで、大宮通が中断されることとなった。大宮通は平安時代から続く南北の通りの中では一番長かったそうだが、二条城築城によってその座を明け渡すことになったようである(現在、最も長いとされる南北の通りは油小路通)。現在の阪急大宮駅の近くに、後院通という、京都市内ではほぼ唯一の斜めに走る大通りがあるが、これは大宮通が遮られたので、大宮通と千本通を繋ぐバイパスとして作られたのではないかということだった。


後水尾天皇の寛永御幸(二条城御幸)は、寛永3年(1626)9月に行われた。この御幸のために、二の丸庭園の南に御幸御殿と女御殿が特別に建てられている。普請を行ったのは小堀遠州(政一)。築城の名手である藤堂高虎の義理の孫ということで作事奉行として有能さを発揮。作庭なども得意とし、二条城庭園の改修もこの時に行った小堀遠州は、茶道にも長けた文化人で、彼を通して、本阿弥光悦や野々村仁清、近衛信尋といった寛永の文化人が生まれることになる。
堀川通を行く行列を描いた(ちなみに堀川通まで出る際に、京都ブライトンホテルのある場所を突っ切っているそうである)「二条城行幸屏風」には、多くの人々が描かれている。後水尾天皇は9月6日から10日までの5日間、二条城に滞在し、徳川秀忠(当時、大御所)・家光(3代将軍就任済み)親子の歓待を受けた。


しかし、後水尾天皇には、困難が待ち受けていた。紫衣事件である。徳川幕府は、朝廷に対し、僧侶に対して承諾なしに紫衣(高僧であることを示す)を贈ることを禁じていたが、後水尾天皇は紫衣の勅許を出す。これを3代将軍の家光が許さず、勅許の取り消しを求める。背後には、黒衣の宰相こと金地院崇伝(以心崇伝)の進言があった。大徳寺の沢庵宗彭(沢庵漬けを始めたとされる人)らが抗議したが、幕府は沢庵を出羽国に流罪とする。そして後水尾天皇は、怒りのためか、娘の明正天皇に勝手に譲位して院政を敷く。ただ、紫衣事件により徳川将軍家の方が皇室よりも格上であることが示され、徳川の治世は盤石となっていくのであった。

村井先生は、8月28日に94歳になられたということで、耳がかなり遠いのであるが、講座は最後まで立派に務められた。これが村井先生の最後の講義となる。

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2024年9月16日 (月)

NHK総合「土スタ 『虎に翼』特集@明治大学」 伊藤沙莉&仲野太賀 ハイライト映像へのリンクあり

2024年5月25日

NHK総合「土スタ(土曜スタジオの略のはずなのだが、「土曜にスターがやってくる」の略だとされており、そう読み上げられる)『虎に翼』特集@明治大学」を録画で見る。現在放送中の連続テレビ小説「虎に翼」のヒロインのモデルである三淵嘉子(独身時代の名前は武藤嘉子で、苗字にちなんで「ムッシュ」というあだ名で呼ばれていた。二度結婚しており、和田姓を経て三淵姓となっている)が旧制明治大学専門部女子部法科(3年制)と旧制明治大学法学部(3年制)卒ということで、東京都千代田区神田駿河台(最寄り駅は御茶ノ水)にある明治大学駿河台キャンパス・アカデミーコモン内のアカデミーホールからの生放送となる。ゲストは、ヒロインの猪爪寅子(いのつめ・ともこ)改め佐田寅子役の伊藤沙莉と、寅子の夫となった佐田優三役の仲野太賀。仲野太賀は俳優の中野英雄の息子(次男)で、再来年の大河ドラマ「豊臣兄弟!」で、羽柴小一郎や大和大納言の名でも知られる豊臣秀長役で主役を張ることが決まっている。

明治大学アカデミーコモンは、私が在学中には存在しなかった建物で、一部を除いては学部の教室ではなく、専門職大学院や社会人向け講座(リバティアカデミー)などで使われているそうだが、現在の私は明治大学とは関係がないし、東京にもいないので実態はよく分からない。地下に移転した明治大学博物館(「虎に翼」展開催中)があり、明大OBである阿久悠記念館が出来ている。
アカデミーホールは多目的ホールで、講演なども行われるが、毎年、明治大学シェイクスピアプロジェクト(MSP)の上演会場となっている。MSPは一度だけ、「ヴェニスの商人」を観ている。

明治大学出身者の法曹がモデルということで、伊藤沙莉も明治大学で法学の特別講義を4コマほど受けたそうだ。ちなみに女学校時代の寅子の親友で、今は寅子の兄の直道(上川周作)に嫁いでいる花江役の森田望智(もりた・みさと)も法律とは関係のない役なのに何故か付いてきたそうである。森田望智は大卒のはずだが(大学名非公開)また大学の雰囲気を楽しみたかったのだろうか。仲野太賀は明治大学には来ていなかったそうで、「だから落ちたのか!」と冗談を言っていた。

昨日の放送で、優三に赤紙(召集令状)が届き、出征するシーンが描かれたのだが、優三に届いた赤紙は色が薄いピンク色であった。前作の朝ドラ「ブギウギ」で、ヒロインの福来スズ子(趣里)の弟である花田六郎(黒崎煌代)に届いた赤紙は文字通り真っ赤であった。六郎が召集令状を受けたのは日米開戦前ということで染料が豊富にあったのだが、その後に染料が足りなくなり、赤紙の色も落ちていった。優三が招集されたのは昭和19年という設定である。

石田ゆり子、岡部たかし、土居志央梨、上川周作がビデオ出演。土居志央梨と上川周作は同い年(31歳)で、京都造形芸術大学映画俳優コースの同級生。伊藤沙莉も先日30歳になったばかりで、仲野太賀も31歳。若手陣は全員アラサーである。土居志央梨は、男装して男言葉を話す無愛想なキャラ(山田よね)を演じているため、ビデオ映像に出演した素に近い状態とのギャップがかなりある。
昨日、「あさイチ」に草彅剛が出演し、ゲストとしてT字路sが登場して歌を披露したのだが、伊藤沙莉はカラオケでT字路sの曲をよく歌うそうだ。「虎に翼」は名古屋がロケ地になっているのだが、名古屋ロケを終えた夜に伊藤沙莉と土居志央梨は二人でカラオケに出掛け、伊藤沙莉はT字路sを、土居志央梨は椎名林檎を歌った。二人とも歌は上手いらしい(伊藤沙莉は歌手デビュー済み)。

撮影の裏話が中心だが、チームの雰囲気はとても良さそうで、伊藤沙莉も仲野太賀も互いをリスペクトしている様子がよく伝わってくる。

伊藤沙莉と仲野太賀が夫婦役を演じるのは二度目で、NHKBSプレミアム(現在は統合によりチャンネル自体は廃止されている)とNHK総合「ドラマ10」で放送された連続ドラマ「拾われた男」で共演している。「拾われた男」には草彅剛も準主役で出演しており、昨日の「あさイチ」では「拾われた男」の映像も流れた。「拾われた男」は、現在はDisney+で配信されている。

ハイライト映像へのリンク

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観劇感想精選(467) 令和六年「能楽チャリティ公演~祈りよとどけ、京都より~」第2部 能「花月」、狂言「梟」、能「融」

2024年8月22日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールにて

午後6時30分から、左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールで、「能楽チャリティ公演~祈りよとどけ、京都より~」第2部を観る。演目は、能「花月」、狂言「梟」、能「融(とおる)」

まず、女性能楽師の鷲尾世志子による作品の説明があり、今年の元日に起こった能登半島地震のチャリティ公演にもなるということが告げられ、それが通訳の女性によって英訳される(外国人観客のため)。


能「花月」。出演は、河村浩太郎、原大。山下守之(アイ)。
7歳でさらわれた花月を巡る物語である。
九州筑紫国、彦山の麓に住む出家が現れ、7歳でさらわれた息子の花月を探して諸国を練り歩いていることを語る。桜が満開の清水寺(「きよみずでら」であるが、能狂言の場合は、音読みの「せいすいじ」と呼ばれる)にたどり着いた出家は、花月という少年が清水寺にいたという話を耳にする。
現れた花月は清水寺の由来に合わせて舞い、鶯を弓で射ようとする。出家はそれが自分の息子だと確信する。
父親に出会えた花月は嬉しさの余り、様々な舞いを披露しつつ、これまでの遍歴を述べるのだった。
日本諸国の「山づくし」が謡われる「鞨鼓舞」が印象深い。

「良弁杉由来」にちょっとだけ似ている展開である。


狂言「梟(ふくろう)」。出演は、茂山忠三郎、山本善之、鈴木実。
「梟」は以前にも、「能楽チャリティ公演」で茂山千五郎家によって上演されているのだが、今回は茂山忠三郎家の忠三郎が主役の法師を務める。実は忠三郎とはちょっとした知り合いなのだが、特に仲が良いわけでもない。

弟が、山に行った兄が放送自粛用語になったので、放送自粛用語に放送自粛用語を……、
あ、これじゃ分からないか。放送自粛用語になったので、法師に祈祷をお願いする。どうも兄は山で梟の巣をいじったようで、梟のような奇声を上げる。法師は祈祷を行うのだが……。
客観的に見ると、エクソシスト系の純粋なホラー作品である。狂言だということにしてあるため笑っていられるが、身近であんなことが起きたら、当時だと山奥に幽閉されそうな気がする。昔はその手の差別が酷かった。


能「融」。今回は後半部分のみの上演である。「融」の発音は、関東では「お」にアクセントが来るが、鷲尾世志子の「融」の発音は、英語のTallに近い。
嵯峨天皇の子であり、嵯峨源氏系渡辺氏の祖である源融。当事国内最大の荘園であった渡辺荘(現在の大阪市内にあったことは分かっているが、実際にどの辺りなのかははっきりしていないようである)の荘官を務め、渡辺氏を名乗った嫡流の子孫は融にあやかり、代々、諱は漢字一文字である(渡辺綱などはその代表例)。
光源氏のモデルの一人ともされており、六条河原町に広大な邸宅を建てて河原左大臣(かわらのさだいじん)とも呼ばれている。

出演は、片山九郎右衛門、有松遼一。

秋の名月の日、東国出身で初めて都に来た僧侶が六条河原院にやって来る。そこで汐汲みの田子を背負った老人と出会う。この老人は、以前、この邸の主だった源融のことを語る。

今回上演されるのは、これより後の、融(後シテ)の亡霊が現れて、舞を披露するが、夜明けと共に月の都へと帰っていく場面である。
後シテの舞に迫力があり、鳴り物の妙も相まって気高さの感じられる上演となっていた。

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2024年9月15日 (日)

NHKスペシャル「サイパン陥落から80年 “最後の1人を殺すまで” サイパン戦 発掘・米軍の音声記録」

2024年8月18日

NHKスペシャル「サイパン陥落から80年 “最後の1人を殺すまで” サイパン戦 発掘・米軍の音声記録」を見る。新たに発見されたアメリカのラリー・ヘイズら通信兵による米兵へのインタビュー音声などが公開されている。

日米戦争において大きなターニングポイントとなったサイパン決戦。日本がサイパンを絶対国防圏として重要な防衛ラインと見ていたのと同様に、アメリカもサイパンも日本本土攻撃の重要拠点になる場所として是が非でも取りたい場所であった。サイパンを落とせば、そこから飛び立ったB29が日本本土に直接爆撃を行うことが出来る。当時のサイパンには日本からの移民約2万人が原住民と共に暮らしていた。

サイパンでの戦いに投じられた兵員はアメリカが日本の約倍。序盤から日本は兵力の大半を失うなど不利な展開であったが、「万歳! 万歳!」と叫びながら突撃する攻撃は米軍を大いに悩ませる。

米軍は南北戦争での教訓もあったと思われるが、民間人にはなるべく手を出さないつもりであったが、崖際に追い込まれても降伏せず、自死を選ぶ民間人を見て、「日本人に対してはそうしたやり方は通じない」として、無差別攻撃へと方向転換を行っている。
日本側も、陸軍省の佐藤賢了が「女子供には玉砕してもらいたい。大和民族の気魂を世界と歴史に示すために、生き延びずにみんな死ね」と、自死を強要する方針であった。

通信兵が録音した音声はアメリカでは公開されることなく、眠ることとなった。

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2024年9月13日 (金)

東京ヤクルトスワローズ 青木宣親選手引退会見

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好きな短歌(39)

瀬を早み岩にせかるる滝川の割れても末に逢はむとぞ思ふ(崇徳院)

日本最強の怨霊ともいわれる崇徳院(崇徳上皇)。崇徳上皇を祀る京都市の白峯神宮は蹴鞠を家業とした飛鳥井家の邸跡に建つため、球技・スポーツの神様として知られる。

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「おとなのEテレタイムマシン」 ヴァーツラフ・ノイマン指揮 NHK交響楽団第1005回定期演奏会 スメタナ 連作交響詩「わが祖国」より「高い城」「モルダウ」「ブラニーク」

2024年8月31日

録画してまだ見ていなかった「おとなのEテレタイムマシン」N響第1005回定期公演の模様を見る。指揮はチェコの名匠、ヴァーツラフ・ノイマン。スメタナの連作交響詩「わが祖国」より、第1曲「高い城」(だから「他界しろ」じゃないって)、第2曲「モルダウ」、第6曲「ブラニーク」が放送される。おそらく「わが祖国」全曲演奏からの抜粋である。
1986年11月3日、東京・渋谷のNHKホールでの収録。
コンサートマスターは徳永二男。フルート首席の小出さん、オーボエ首席の北島さんなど懐かしい顔ぶれも見える。

長年に渡ってチェコ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者・常任指揮者として活躍したヴァーツラフ・ノイマン(1920-1995)。当時、世界的な名声を得ていたラファエル・クーベリックがチェコの共産化を嫌ってチェコを離れた後、チェコ楽壇を牽引し続けた。N響との共演も多かったが、当時は「凡庸」との評価も多かった。
非常にジェントルな風貌で、音楽も外見に相応しい洗練されたものである。チェコ人は「ビロード」という言葉を好んで使うが、ノイマンはまさにビロードの響きをN響から引き出している。N響の演奏力も長足の進歩を遂げているため、私が学生定期会員をしてた1990年代後半の演奏でも、今から見ると「あれ、N響ってこんなに下手だったっけ?」と思うことが多いのだが、ノイマンの指揮するN響はかなりの好演を見せている。

チェコには同時期に、同じヴァーツラフをファーストネームとする指揮者がいた。ヴァーツラフ・スメターチェクである。スメターチェクの方が大分年上である。スメターチェクは「チェコのカラヤン」と呼ばれており、「録音数が多いから」というのがその理由とされたが、彼の死後になっても公になった録音点数は余り多くないため、実力面での評価だったのかも知れない。
当時、チェコ(当時はチェコスロヴァキア)は共産圏であり、「共産圏では実力よりも政治力がものを言う」「音楽性ではスメターチェクの方が上だが、ノイマンには政治力がある」とまことしやかな話が流れていたが真相は不明である。

ノイマンはお国もの演奏、録音が多かったが、最晩年にキャニオン・クラシックスにマーラーの交響曲などを録音。熱い名演で、これが大評判となり、従来の「凡庸」との評価は覆ることとなった。大物音楽評論家の宇野功芳は、スメターチェクを絶賛する一方で、ノイマンに対しては厳しい見方をしていたが、キャニオン・クラシックスに録音したマーラーの演奏に関しては一転して最上級の評価を与えていた。

ちなみに私が最もよく聴いたスメタナの「わが祖国」のCDは、ノイマンとチェコ・フィルによる東京文化会館でのライブ収録盤である。

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2024年9月12日 (木)

こう読む  NHK連続テレビ小説「虎に翼」原爆裁判判決の回

判決文に関しては、一切説明がありませんでしたが、佐田寅子(伊藤沙莉)が「最後に何か書き加えてみては」と言っている以上、寅子の意志が国家の責任の部分に反映されているのだと思われます(ノベライズ本にはどこが寅子が関与した部分か分かるようになっています)。まさかここまでやるとは思っていなかったのですが、史実超えを狙っています。寅子自身は一言も発しておらず厳しい顔のままなのですが(伊藤沙莉さん、ほとんどまばたきしません。特に最初のロングカットでは1回しかまばたきしていません。これは「当事者」の目です)、最後の部分で山田よね(土居志央梨)が目の角度から寅子を見ているのが分かります。寅子も閉廷して立ち上がるときに一瞬だけよねを見ます。よねは泣いている。裁判に負けて悔しかったからではないと思われます。

第1回法廷の後、弁護団が竹中次郎記者(高橋努)に挨拶した後になりますが、よねと寅子がすれ違う時に「意義のある裁判にするぞ」という場面がありますが、これは「一緒に」を意図的に抜いたセリフです。寅子はすぐに「みんなで一緒に海行きましょう」などとと提案するタイプですが、よねが寅子に「一緒に」だとか「共に」というニュアンスを込めた言葉を発するのは初めてのはずで、寅子が驚いて振り返るのはそのためです。
よねが泣いたのは、寅子が「意義のある裁判」にしてくれたのが嬉しかったからだと思われます。土居さん、微かに頷いてますね。

説明のないシーンなので説明してみました。

佐田寅子が関与したと思われる部分(国家責任にまつわる箇所。前半にも関与している可能性があるが、セリフに沿うとこの部分である)
「それでこそ訴訟当事者だけでなく、原爆被害者全般に対する救済策を講ずることができるのであって、そこに立法および立法に基づく行政の存在理由がある。終戦後十数年を経て、高度の経済成長を遂げた我が国において、国家財政上、これが不可能であるとは到底考えられない。我われは本訴訟を見るにつけ、政治の貧困を嘆かずにはおられないのである」

その後、寅子は、山田轟法律事務所に行き、「私…」と言って深々と頭を下げます。これが「ごめんなさい」だと誤解する人は多いです。今まで徹底してそう言って来ましたので、今回もそうだと思い込む。だがこれは違います。「私、ごめんなさい」とは言わないので、飲み込んだのは他の言葉です。その次に星家で寅子が語る「私、出来ることはやった」が続きの言葉だと思われます。続きは、「でもこれで原告の被爆者の方々が救われた訳じゃない」。救うのは国・行政の役目ですので符号します。

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2024年9月10日 (火)

これまでに観た映画より(345) 「チャイコフスキーの妻」

2024年9月9日 京都シネマにて

京都シネマで、ロシア・フランス・スイス合作映画「チャイコフスキーの妻」を観る。キリル・セレブレンニコフ監督作品。音楽史上三大悪妻(作曲家三大悪妻)の一人、ピョートル・イリイチ・チャイコフスキーの妻、アントニーナを描いた作品である。ちなみに音楽史上三大悪妻の残る二人は、ハイドンの妻、マリアと、モーツァルトの妻、コンスタンツェで、コンスタンツェは、世界三大悪妻の一人(ソクラテスの妻、クサンティッペとレフ・トルストイの妻、ソフィアに並ぶ)にも数えられるが、モーツァルトが余りにも有名だからで、この中では比較的ましな方である。

出演:アリョーナ・ミハイロワ、オーディン・ランド・ビロン、フィリップ・アヴデエフ、ナタリア・パブレンコワ、ニキータ・エレネフ、ヴァルヴァラ・シュミコワ、ヴィクトル・ホリニャック、オクシミロンほか。

主役のアントニーナを演じるアリョーナ・ミハイロワは、オーディションで役を勝ち取っているが、これぞ「ロシア美人」という美貌に加え、元々はスポーツに打ち込んでいた(怪我で断念)ということから身体能力が高く、バレエや転落のシーンなどもこなしており、実に魅力的。1995年生まれと若く、将来が期待される女優なのだが、ロシア情勢が先行き不透明なため、今後どうなるのか全く分からない状態なのが残念である。

芸術性の高い映画であり、瞬間移動やバレエにダンスなど、トリッキーな場面も多く見られる。映像は美しく、時に迷宮の中を進むようなカメラワークなども優れている。

冒頭、いきなりチャイコフスキー(アメリカ出身で、20歳でロシアに渡り、モスクワ芸術座付属演劇大学で学んだオーデン・ランド・ビロンが演じている)の葬儀が描かれる。チャイコフスキーの妻として葬儀に出向いたアントニーナは、チャイコフスキーの遺体が動くのを目の当たりにする。チャイコフスキーはアントニーナのことを難詰する。

神経を逆なでするような蝿の羽音が何度も鳴るが、もちろん伏線になっている。

チャイコフスキーとアントニーナの出会いは、アントニーナがまだ二十代前半の頃。サロンでチャイコフスキーを見掛けたのが始まりだった(ロシアの上流階級が、ロシア語ではなくフランス語を日常語としていた時代なので、この場ではフランス語が用いられている)。作曲家の妻になりたいという夢を持ったアントニーナは、チャイコフスキーが教鞭を執るモスクワ音楽院に入学。チャイコフスキーが教える実技演習を立ち聞きしたりする。しかし学費が続かず退学を余儀なくされたアントニーナは、より大胆な行動に出る。郵便局(でだろうか。この時代のロシア社会の構造についてはよく分からない)でチャイコフスキーの住所を教えて貰い、『ラブレターの書き方』という本を参考に、チャイコフスキーに宛てた熱烈な恋文を送る。
チャイコフスキーから返事が来た。そして二人はアントニーナの部屋で会うことになる。しかし、そこで見せた彼女の態度は、余りにも情熱的で思い込みが激しく、一方的で、自己評価も高く、チャイコフスキーも「あなたは舞い上がっている。自重しなさい」と忠告して帰ってしまう。そして彼女には虚言癖があった。「チャイコフスキーと出会った時にはチャイコフスキーのことを知らなかった」という意味のことをチャイコフスキーの友人達に語ったりとあからさまな嘘が目立つ。

一度は振られたアントニーナだが、ロシア正教のやり方で神に祈り、めげずに恋文を送る。そしてチャイコフスキーは会うことを了承した。チャイコフスキーは同性愛者であった。当時、ロシアでは「同性愛は違法」であり、有名人であるチャイコフスキーが同性愛者なのはまずいので、ロシア当局がチャイコフスキーに自殺を強要したという説がある。この説はソビエト連邦の時代となり、情報統制が厳しくなったので、真偽不明となっていたのだが、ソビエトが崩壊してからは、情報の網も緩み、西側で資料が閲覧可能になったということもあって、「本当らしい」ことが分かった。以降、チャイコフスキー作品の解釈は劇的に変わり、交響曲第6番「悲愴」は、初演直後に囁かれた「自殺交響曲」説(チャイコフスキーは、「悲愴」初演の9日後に他界。コレラが死因とされる。死の数日前にコレラに罹患する危険性の高い生水を人前で平然と口にしていたことが分かっている)を復活させたような演奏をパーヴォ・ヤルヴィやサー・ロジャー・ノリントンが行って衝撃を与えた。また交響曲第5番の解釈も変わり、藤岡幸夫はラストを「狂気」と断言している。荒れ狂い方が尋常でない交響曲第4番も更に激しい演奏が増え、人気が上がっている。ただ、同性愛を公にしていた人物もいたようで、この映画にも架空の人物と思われるが、一目でそっち系と分かる人も登場する。
チャイコフスキーは、「今まで女性を愛したことがない」と素直に告白。「それにもう年だし、兄妹のような静かで穏やかな愛の関係になると思うが、それでも良ければ同居しよう」とアントニーナの思いを受け入れる。二人は教会で結婚式を挙げた。チャイコフスキーには自分が同性愛者であることを隠す意図があった。

プーシキンの作品を手に入れたチャイコフスキー。サンクトペテルブルクから仕事の依頼があり、二人の愛の形をオペラとして書くことに決め、旅立つ。この時書かれたのが、プーシキンの長編詩を原作とした歌劇「エフゲニー・オネーギン」であることが後に分かる。
しかしチャイコフスキーは帰ってこなかった。モスクワで見せたアントニーナの行動が余りにも異様だったからだ。夫婦の営みがないことにアントニーナは不満でチャイコフスキーを挑発する。二人の生活は6週間で幕を下ろすことになった。
史実では、アントニーナとの結婚に絶望したチャイコフスキーは入水自殺を図っており、それがアントニーナが悪妻と呼ばれる最大の理由なのだが、そうしたシーンは出てこない。

アントニーナをモスクワ音楽院の創設者でもあるニコライ・ルビンシテイン(オクシミロン)が、チャイコフスキーの弟であるアナトリー(フィリップ・アヴデエフ)と共に訪れる。有名音楽家の来訪にアントニーナは舞い上がるが、チャイコフスキーの親友でもあるニコライは、チャイコフスキーと離婚するようアントニーナに告げに来たのだった。アナトリーは、キーウ(キエフではなくキーウの訳が用いられている)近郊に住む自分たちの妹のサーシャ(本名はアレクサンドラ。演じるのはヴァルヴァラ・シュミコワ)を訪ねてみてはどうかと提案する。サーシャの家に逗留するアントニーナは、サーシャから「兄は若い男しか愛さない」とはっきり告げられる。

離婚協議が始まる。当時のロシアは、離婚に厳しく、王室(帝室)か裁判所の許可がないと離婚は出来ない。また女性差別も激しく、夫の家に入ることが決まっており、そこから抜け出すのも一苦労であり、選挙権もないなど女性には権利らしい権利は一切与えられていなかった。アントニーナにも男達に激しく責められる日々が待ち受けていた。
チャイコフスキーの友人達は、離婚の理由を「チャイコフスキーの不貞」にしても良いからとアントニーナに迫るが、アントニーナは「私はチャイコフスキーの妻よ。別れさせることができるのは神だけよ!」と、頑として離婚に応じない。チャイコフスキーの友人達はチャイコフスキーは天才であり、天才は「なにをしても許されており」褒め称えられなければならない。凡人が天才の犠牲になるのは当然との考えを示す。元々、性格に偏りのあったアントニーナだが、チャイコフスキーとの再会を願って黒魔術のようなことを行う(当時のロシアでは主に下層階級の人々が本気で呪術を信じていた)など、次第に狂気の世界へと陥っていく……。

チャイコフスキーを描いた映画でもあるのだが、チャイコフスキー作品は余り使われておらず、ダニール・オルロフによるオリジナルの音楽が中心となる。最も有名なメロディーである「白鳥の湖」の情景の音楽はチャイコフスキーの友人達が旋律を口ずさむだけであり、本格的に演奏されるのは、オーケストラ曲は「フランチェスカ・ダ・リミニ」の一部、またピアノ曲は「四季」の中の2曲をアントニーナが部分的に奏でるだけである。あくまでもアントニーナの映画だという意思表示もあるのだろう。

俳優の演技力、独自の映像美と展開などいずれもハイレベルであり、今年観た映画の中でもおそらくトップに来る出来と思われる。

アントニーナは本当に嫌な女なのだが、自分自身にもてあそばれているような様が次第に哀れになってくる。

ちなみにチャイコフスキーと別れた後の実際のアントニーナの生涯が最後に字幕で示される。彼女がチャイコフスキーと別れた後に再会するチャイコフスキーが幻影であることは映像でも示されているのだが、史実としてはアントニーナはチャイコフスキーと再会することなく(数回会ったという記録もあるようだが、正確なことは不明)、最後は長年入院していた精神病院で亡くなった。

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2024年9月 8日 (日)

これまでに観た映画より(344) 「ボレロ 永遠の旋律」

2024年8月28日 京都シネマにて

京都シネマで、フランス映画「ボレロ 永遠の旋律」を観る。

「ボレロ」で知られるフランスの作曲家、モーリス・ラヴェルの伝記映画である。監督:アンヌ・フォンテーヌ。出演:ラファエル・ペルソナ、ドリヤ・ティリエ、ジャンヌ・バリバール、ヴァンサン・ペレーズ、エマニュエル・デュヴォス、アレクサンドル・タローほか。エマニュエル・デュヴォスが演じるマルグリットは、往時の名ピアニスト、マルグリット・ロンのことである。録音が残っているピアニストとしては最も古い世代に属しているマルグリット・ロン。ヴァイオリニストのジャック・ティボーと共に、ロン=ティボー国際音楽コンクールを創設したことでも知られる。お金に細かく、出演料はその場でキャッシュで貰い、それを鞄に入れて持ったままステージに出演。鞄を椅子の下に置いて演奏していたという話がある。お金を盗まれるのが嫌だったかららしいが、この世代の音楽家は変わったエピソードに事欠かない。
マルグリット・ロンは有名ピアニストではあるが、映画に登場するのはあるいはこれが初めてかも知れない。

ラヴェルがローマ大賞に予選落ちした1905年(字幕では1903年となっていたがより事実に近い方を採用)、出征した1916年、「ボレロ」が作曲された1928年、最晩年の1937年が主に描かれる。

若くして作曲家として名声を得たラヴェル(ラファエル・ペルソナ)。更なる飛躍を求めて若手作曲家の登竜門であったローマ大賞に挑戦。しかし、何度受けても大賞受賞には至らなかった。多くの作曲家仲間がラヴェルを応援していたが、年齢的に最後のチャンスとなる5回目の挑戦では、本命視されながら本選にすら進めなかった。これが波紋を呼ぶ。作曲家仲間の多くが審査結果に納得がいかず、抗議。審査に問題があったとして、審査員長のテオドール・デュボワがパリ国立音楽院院長の座を追われるという事態にまで発展する(ラヴェル事件)。
ただこの映画では、5回落ちて残念だったと、皆で飲むシーンで終わっており、ラヴェル事件には触れられていない。

1916年、第一次世界大戦にラヴェルは志願して出征。その直後、最愛の母親を失う。
「ラ・ヴァルス」を自らの指揮で演奏するシーンがあるが、ラヴェルが指揮中に集中力を欠く様子が描かれている。
ラヴェルは、バレリーナのイダ・ルビンシュタイン(ジャンヌ・バリバール)と出会い、後にバレエ音楽の作曲を依頼される。スペイン情調溢れるものが良いということで、スペインの作曲家、アルベニスの「イベリア」をオーケストレーションすることにしたが、版権の都合上、編曲作業中に放棄せざるを得なかった。バスク人の血を引くラヴェルは、スペインのボレロのリズム(ラヴェルの「ボレロ」のリズムと正統的なボレロのリズムは実は異なる)に乗せた17分の楽曲を自らの手で作成することを決意。試行錯誤しながら作業を進める。

ラヴェルが同性愛者であることは当時よく知られていた。男性音楽家がラヴェルを訪ねたという話を聞くと、周囲は「で、ラヴェルはどうだった?」と聞くのが恒例となっていたようである。この映画の中でも、ラヴェルが「音楽と結婚した」と評されていたり、「君なら(女性といても)大丈夫だ」というセリフがあったりする。女性関係があったのかどうかは定かではないが、この映画では直接的な描写はないが、あったということになっている。

ラヴェルは、「ボレロ」についてインテンポ(テンポ変化なし)、17分ということにこだわりを見せる。だが実は、バレエのシーンで流れる「ボレロ」もラヴェルに扮したペルソナが指揮する場面の「ボレロ」もおそらく15分行くか行かないかのテンポで、更にアッチェレランドしている。この辺が徹底されていないのが何故なのかは分からない(演奏時間約17分の演奏として有名なものにはアンドレ・プレヴィン盤やシャルル・ミュンシュ盤があり、かなり遅めであることが確認出来る)。
ラヴェルは、イダの振付が気に入らず、リハーサルでも文句を言い、本番も途中でいったん退席している。だがその後、自分の方が誤りで、「ボレロ」の持つ性的な魅力に気づいていなかったと認めることになる。

なお、名前が可愛らしいということもあって日本でも人気の高いピアニストであるアレクサンドル・タローが、ラヴェルのピアノ楽曲の演奏を手掛ける(主演俳優のペルソナ自身がピアノを弾いているが、プロの演奏に届かない部分をタローが補うという形のようである)他、辛口の音楽評論家役で出演している。タローの実演には接したことがあり、サインも貰っているが、シャイで大人しい印象の人で、俳優をやるタイプには見えなかったのだが、結構、芸達者である。フランス語には強くないので正確には分からないのだが、表情といい、台詞回しといい、なかなか堂に入っている。タロー演じるラロはドビュッシーの信奉者で、ラヴェルの作品は酷評することが多かったのだが、「ボレロ」に関しては好意的な態度を示す。

ヴィトゲンシュタインから左手のためのピアノ協奏曲の作曲を依頼されたと語るラヴェル。このヴィトゲンシュタインというのは、ピアニストのパウル・ヴィトゲンシュタインのことで、著名な哲学者であるルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインの実兄である。ヴィトゲンシュタイン兄弟は、男ばかりの5人兄弟だったが、気を病みやすい家系だったようで、パウルとルートヴィヒ以外の3人は全員自殺している。
パウル・ヴィトゲンシュタインは戦争で右腕を失ったため、左手のピアニストとして活動を初めており、そのため複数の作曲家に左手のためのピアノ作品の作曲を依頼している。

更にラヴェルは、ピアノ協奏曲ト長調を作曲。エンディングテーマとして第2楽章が使われている他、初演に向けてマルグリット・ロン(エマニュエル・デュヴォス)がラヴェルの前で行うリハーサルで第2楽章の冒頭を弾く場面がある。
しかし、次第にラヴェルの作曲意欲は衰えていく。「ボレロ」が有名になりすぎて、「ラヴェル=ボレロ」というイメージも築かれ始めてしまう。

ラヴェル作品には、「ラ・ヴァルス」や「ボレロ」のようにラストで「とんでもないこと」が起こる曲があるのだが、皮肉にもラヴェルも人生の最後でとんでもない事態を迎えることになる。

脳に障害が生じたと思われるラヴェル。交通事故に遭って障害が進行したとされるが、この映画では交通事故には触れられていない。脳外科手術を勧められたラヴェルだが、手術は失敗。そのまま帰らぬ人となった。ラストシーンは、ラヴェルを演じたペルソナの指揮(の演技)、ペルソナを取り囲む形で配置されたブリュッセル・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で「ボレロ」が演奏される。

なお、「ボレロ」が様々な国において様々な形態で演奏されていることが冒頭付近で紹介されており、ジャズになったり、ハウスになったり、ポピュラーソング風や民族音楽風になったりした「ボレロ」が演奏されているが、その中に、アジア代表としてアジアのオーケストラが「ボレロ」を演奏している光景が一瞬映る。エンドロールには、「オルケストラ・フィルハーモニー・ド・トーキョー」とあり、東京フィルハーモニー交響楽団であることが分かった。


全体的にフィクションが多めであり、伝記映画としては必ずしも成功しているとは言えないかも知れないが、アレクサンドル・タローの演技はレアということもあり、クラシック音楽好きなら一見の価値はある映画である。

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2024年9月 6日 (金)

伊藤沙莉がとにかく可愛くて怖い映像

最初のうちはニコニコして見ていられますが、途中から、「伊藤沙莉怖っ! 女優怖っ!」となります。

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2024年9月 4日 (水)

コンサートの記(855) 広上淳一指揮京都市交響楽団第692回定期演奏会 フライデー・ナイト・スペシャル マーラー 交響曲第3番

2024年8月23日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第692回定期演奏会 フライデー・ナイト・スペシャルを聴く。
通常のフライデー・ナイト・スペシャルは、土曜のマチネーの短縮版プログラムを午後7時30分から上演するのだが、今回は演奏曲目がマーラーの大作、交響曲第3番1曲ということで、フライデー・ナイト・スペシャルも土曜日と同一内容で、開演時間も午後7時30分ではなく午後7時となっている。
今日の指揮者は、京都市交響楽団の第12代および第13代常任指揮者であった広上淳一。
現在は、京都市交響楽団 広上淳一という変わった肩書きを持っている。

午後6時30分頃より、広上淳一と音楽評論家の奥田佳道によるプレトークがある。広上はピンクのジャケットを着て登場。
広上淳一と京都市交響楽団によるマーラーの交響曲第3番の演奏は、広上淳一の京都市交響楽団常任指揮者退任記念となる2022年3月の定期演奏会で取り上げられる予定だったのだが、コロナ禍で「少年合唱団が入るので十分に練習できない」ということでプログラムが変更になり、広上の師である尾高惇忠(おたか・あつただ。指揮者の尾高忠明の実兄で、共に新1万円札の肖像になった渋沢栄一の子孫)の女声合唱曲集「春の岬に来て」より2曲とマーラーのリュッケルトの詩による5つの歌曲(メゾ・ソプラノ独唱:藤村実穂子)、マーラーの交響曲第1番「巨人」に変わった。広上はその時のプレトークでマーラーの交響曲第3番について、「2、3年後にやります」と語っていたが、ついに実現することになった。
プログラムが変更になったことについては、「災い転じて、じゃないですが」と語り始め、「マーラーの交響曲第3番は曲は長いんですが、歌の部分は短い(メゾ・ソプラノ独唱の部分は)7分ぐらいしかない」ということで、藤村の歌唱をより長く楽しめる曲になったことを肯定的に捉えていた。
奥田が、「『京都市交響楽団 広上淳一』というのはこれが称号ですか?」と聞き、広上が「そうです」と答えて、「名誉とか桂冠とか、そういうのは気恥ずかしい」ということで、風変わりな称号となったようである。奥田は、「個人名が称号になるのは異例」と話す(おそらく世界初ではないだろうか)。
広上はマーラーの交響曲第3番について、「神を意識した」と述べ、奥田が補足で、「当初は全ての楽章に表題がついていた。ただ当時は標題音楽は絶対音楽より格下だと思われていた。そのため、表題を削除した」という話をする。
奥田は、「こういうことを言うと評論家っぽいんですが、第1楽章だけで35分。ベートーヴェンなどの交響曲1曲分の長さ」とこの曲の長大さを語る。
この曲では、トロンボーンのソロと、ポストホルンのソロが活躍する。トロンボーンは戸澤淳が(現在、京響は首席トロンボーン奏者を欠いている)、ポストホルンソロは副首席トランペット奏者の稲垣路子が吹く。稲垣路子がどこでポストホルンを吹くのかを広上はばらしそうになって慌ててやめていた。
マーラーは作曲は指揮活動以外の時間、特に夏の休暇を使って行っていた。交響曲第3番は、1895年と1896年の夏の休暇に書かれている。作曲を行ったのは、オーストリアのアッター湖畔、シュタインバッハの作曲小屋においてであった。奥田はシュタインバッハに行ったことがあるそうで、広上に羨ましがられていた。マーラーの弟子で、後にマーラー作品の普及に尽力することになる指揮者のブルーノ・ワルターが1896年にマーラーの作曲小屋を訪れ、豊かな自然に見とれていると、マーラーが、「見る必要はない、全部ここに書いたから」と交響曲第3番の譜面の見せたという話が伝わっている。

奥田は、京都市交響楽団の成長について聞くが、広上は、「何もしてません。私を超えちゃいました」と答える。奥田は、「いや今のは謙遜で」とフォロー。
オーケストラと指揮者の関係についてだが、広上は、長年に渡ってアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団)の首席指揮者を務めたベルナルト・ハイティンクから、「いつか育てたオーケストラに感謝する日が来るよ」と言われたことを思い出していた。


今日のコンサートマスターは、京響特別客演コンサートマスターの「組長」こと石田泰尚。フォアシュピーラーに泉原隆志。尾﨑平は降り番である。ヴィオラの客演首席奏者として大野若菜が入る。
メゾ・ソプラノ独唱:藤村実穂子。女声合唱:京響コーラス。少年合唱:京都市少年合唱団。

広上が指揮したときの京響はやはり音が違う。音の透明度が高く、抜けが良く、程よく磨かれ、金管はパワフルで立体的で輝かしい。
これまで無意識に広上指揮する京響の演奏をロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団に例えて来たが、考えてみると、広上の指揮者としてのキャリアは、アムステルダム・コンセルトヘボウ(ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の本拠地。当時はアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団という名称だった)で、レナード・バーンスタインに師事したことから始まっており、原体験が広上の無意識に刻まれてベースとなっているのではないかという仮説も立ててみたくなる。

史上最高のマーラー指揮者とみて間違いないレナード・バーンスタイン。1960年代に「マーラー交響曲全集」を完成させ、マーラー指揮者としての名声を確立。その過程を見守っていたのが小澤征爾であり、小澤も後年、世界的なマーラー指揮者と見做されるようになる。
1980年代にも2度目の「マーラー交響曲全集」を完成させるべくライブ録音を開始したバーンスタイン。ウィーン国立歌劇場音楽監督であるマーラーが事実上の常任指揮者であったウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、晩年のマーラーが海を渡って音楽監督に就任し、バーンスタインも手兵としていたニューヨーク・フィルハーモニック、当時「不気味な音楽」として評価されていなかったマーラーの音楽を世界に先駆けて取り上げていたヴィレム・メンゲルベルクが率いていたアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団)の3つを振り分ける形で録音は進められたが、バーンスタインの死によって全集は未完となり、交響曲第8番「千人の交響曲」は映像用の音源を使ってリリースされたが、交響曲「大地の歌」は全集に収録されなかった(バーンスタインは「大地の歌」を生前2度録音しており、それが代用される場合がある)。

私も新旧のレナード・バーンスタインが指揮する「マーラー交響曲全集」を持っており、交響曲第3番はバーンスタインの新盤がベストだと思っている。ただ、余り好きな曲ではないため、その他にはエサ=ペッカ・サロネン盤など数種を所持しているだけである。

そんなレナード・バーンスタインに師事した広上のマーラー。「巨人」は京響で聴いたほか、広島まで遠征して広島交響楽団との演奏を聴いている。交響曲第5番は京響との演奏を2度ほど聴いている。ただ第3番を聴くのは、京都で取り上げるのは初ということもあってこれが一度目となる。他にホールで聴いた記憶もないので、実演に接するのも初めてのはずである。

チケットは完売。京都のみならず、日本中からの遠征組も存在すると思われる中でのコンサート。

広上はいつも通り個性的な指揮。時折、指揮台の端まで歩み寄って指揮するため、「落ちるのではないか」とハラハラさせられる。
バーンスタインのマーラーは、異様なまでに肥大化したスケールを最大の特徴とするが、広上は確固としたフォルムを築きつつ、大言壮語はしないスタイル。それでも、うなるようなパワーと緻密さを止揚させた説得力のあるマーラー像を築き上げる。

マーラーは、生前は指揮者として評価されていた人であり、オーケストラの性能を熟知していた。そのため、コル・レーニョ奏法の使用やベルアップの指示など、オーケストラの機能を極限まで追求する曲を書いているのだが、京響はマーラーの指示を巧みに捌いていく。

稲垣路子のポストホルンソロはステージの外で吹かれる。私の席からは死角になって姿は見えないのだが、朗々として純度の高い響きが天から降り注ぐかのようである。

藤村実穂子のメゾ・ソプラノは深みと奥行きを持った歌唱としてホール内の空気を伝っていく。テキストはニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』から取られたものである。
その後、京響コーラスの女声合唱と京都市少年合唱団による汚れのない歌声とのやり取りが、現世と彼岸とを対比させる。

そして最終楽章。哀切、清明、現在、過去、自己の内と外など、様々な要素が複雑に絡み合い、浄化へと向かっていく。
現在の日本人指揮者と日本のオーケストラによる最上級の演奏になったと見做しても間違いないだろう。贔屓目なしでそう思う。

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2024年9月 3日 (火)

NHK特集ドラマ「ももさんと7人のパパゲーノ」(再放送)+伊藤沙莉フォトエッセイ『【さり】ではなく【さいり】です。』より

2024年8月23日

「そうやってフェードアウトできたら楽かもしれない、怖いけど」(伊藤沙莉『【さり】ではなく【さいり】です。』より)

NHK総合で、深夜0時45分から、特集ドラマ「ももさんと7人のパパゲーノ」の再放送がある。2022年放映の作品。伊藤沙莉は、主人公のももに扮しており、この作品で令和4年文化庁芸術祭で放送個人賞を受賞している。パパゲーノというのは、モーツァルトの歌劇(ジングシュピール)「魔笛」に登場するユーモラスな鳥刺し男だが、絶望して首つり自殺を図ろうとする場面があることから、「死にたい気持ちを抱えながら死ぬ以外の選択をして生きている人」という意味の言葉になっている。自殺願望を抱えている人を周りが救った例をメディアが取り上げて自殺を抑止することを「パパゲーノ効果」といい、NHKは「わたしはパパゲーノ」というサイトを開設して、寄せられたメッセージを読むことが出来る他、自身で投稿することも出来るようになっている。
冒頭に掲げた言葉は、伊藤沙莉に自殺願望があったという意味ではないが、芸能生活が上手くいかなくなった時期の気持ちを表したもので、彼女の失意がストレートに出ている。

出演は、伊藤沙莉のほかに、染谷将太、山崎紘菜、中島セナ、橋本淳、野間口徹、平原テツ、池谷のぶえ、堀内敬子、浅野和之ほか。語り:古舘寛治。
作:加藤拓也、演出:後藤怜亜。精神科医療考証:松本俊彦(国立精神・神経医療研究センター 精神科医)、自殺対策考証:清水康之(NPO法人 自殺対策支援センターライフリンク代表)

ももが路上で寝転がり、「死にてー」というつぶやくシーンからドラマは始まる。
埼玉県川口市出身で都内で一人暮らししているOLのもも(伊藤沙莉)は、一緒にカラオケなどを楽しむ友人がおり、仕事も余り良い仕事ではないかも知れないがそこそこ順調。セクハラを交わす術も覚えて、陶芸など打ち込む趣味(伊藤沙莉の趣味が陶芸らしい)もあり、一般的と言われる人生を送っていた。
しかし、ある日、ももはオーバードーズ(薬物大量摂取)をしてしまい、救急車で病院に運ばれる(薬が病院で貰ったものなのか、また一人暮らしで意識のないももがどうやって救急車を呼んだのかは不明。だが事件を起こした後で、精神科に通い始めたことが分かるセリフがある)。自分に自殺願望があったことに気づくもも。死にたい気持ちを抑えるために、カッターナイフで足の甲を傷つけるレッグカットを行うようになってしまう。

特に好きではないが断る理由もない男から交際を申し込まれ、OKするももだったが、彼のSNSを見て余りの寒さに地雷臭を感じる。それでも一緒に部屋で暮らす時間を作るほどには親しくなるが、足の甲の傷を見つけられてしまい、説教される。一方的なメッセージにももは別れを決意する。
翌朝、出社するために電車に乗ったももだが、途中下車して休んでいるうちに気分がどんどん悪くなってしまい、会社に休むとの電話を入れる。その後もももは駅のベンチから動くことが出来ない。結局、ももは会社を辞めることを決意。SNSで「辛いけど楽しいことをしている人」を募集し、メッセージをくれた人に会いに行く。
ももはパパゲーノと出会う旅に出掛けることになる。

ももは自殺願望はあるものの、端から見るとそれほど強い動機には見えないため、そのため却って葛藤する。「たいしたことないよ」という風に言われるため、助けを求めることが出来ないのだ(「私が苦しいって思ってるんだから苦しいんだよ。貴様に何が分かる。くらいまでいく時はいく」『【さり】ではなく【さいり】です。』より。実はこの後、オチがあるのがお笑い芸人の妹らしい)。

セクハラを拒否したことで村八分にされ、IT会社を辞めて農業をする女性(玲。演じるのは山崎紘菜。たまたまももの同級生だった)と出会ったももは、宿を確保していなかっため、近所の家に泊めて貰おうとするという「ロケみつ」的展開となるが、早希ちゃんより可愛くないためか…、あ、こんなこと書いちゃ駄目ですね。ともかく断られ、テントがあると教えられてそこで野宿生活を送ることになる。

喫茶店で待ち合わせた雄太(染谷将太)と出会うもも。雄太は保育士のようなのだが、ももの影響を受けて仕事を辞めてしまう。ももは一人で旅したかったのだが、結果として雄太はももと二人で過ごす時間が増え、二人でアルバイトなどをしてお金を稼ぎながら旅を続ける。
その後も、トランペットに挫折した女子高生、もともとろくに働いていなかったが年を取って仕事に就けなくなった男性、仕事は苦手だが妻子を養うために辞められない男性、何をするでもなく生きている男、山口(浅野和之)らと出会い、様々な人生観に触れながらももは生きていく決意をする。

伊藤沙莉は、NHK連続テレビ小説「虎に翼」で、現在40代になった主人公の佐田寅子を演じており、40代の演技をしているため、20代前半を演じている「パパゲーノ」とはギャップが凄い。丸顔で童顔なため、今回は実年齢より若い役だが違和感はない(最近痩せてきているのが気になるところだが)。
比較的淡々と進む作品だが、そのなかで微妙に変化していくももの心理を伊藤沙莉が丁寧かつ自然体の演技で表している。

先進国の中でも自殺率が特に高い国として知られる日本。基本的に奴隷に近い就業体制ということもあるが、生きるモデルが限定されているということもあり、しかもそこから外れるとなかなか這い上がれない蟻地獄構造でもある。実際のところ、ももも何の展望もなく会社を辞めてしまったことを後悔するシーンがあり、「一人になりたい」と雄太に告げ、それでもその場を動かない雄太に、「一人になりたいの! なんで分からないの!」と声を荒らげてもおり、どこにも所属していない自分の不甲斐なさに不安を覚えてもいるようだ。
それでも自分だけがそんなんじゃないということに気づき、歩み始める。まっすぐに伸びた道を向こうへと歩き続けるももの後ろ姿を捉えたロングショットが効果的である。


引用があることからも分かるとおり、遅ればせながら伊藤沙莉のフォトエッセイ『【さり】ではなく【さいり】です。』(KADOKAWA)を買って読む。伊藤沙莉自身があとがきに「文才なんて全く持ち合わせておりません」と記しており、口語調で、Webに書き込むときのような文章になっているのが特徴。読点がかなり少なめなのも印象的である。文字数も余り多くなく、読みやすい。くだけた表現も多いので、ライターさんは使っていないだろう。お芝居以外は「ポンコツ」との自覚があるため、この人が演技にかけている演技オタクであり、結構な苦労人であることも分かる。出てくる芸能人がみんな優しいのも印象的(態度の悪いスタッフに切れるシーンはあるが、無意識にやってしまい、後で落ち込んでいる)。基本的に伊藤沙莉は愛されキャラではあると思われるが、この手の人にありがちなように悪いことは書かないタイプなのかも知れない。

ちょっと気になった記述がある。子役時代に連続ドラマ「女王の教室」に出演して、主演の天海祐希に金言を貰ったという、比較的有名なエピソードを語る場面だ。これに伊藤沙莉は、天海祐希の言葉を長文で載せ、「『A-studio+』でも言わせて頂いたが完全版はこれだ」と記しているのである。さらっと記しているが、長文で記された天海祐希の言葉は天海が実際に話した言葉を一言一句そのまま書き記したものだと思われる。ということで、伊藤沙莉は人が言った言葉をそのまま一発で覚えて長い間忘れないでいられるという異能者であることがここから分かる。他にも様々な人のセリフが出て来て、長いものもあるが、「だいたいこんな感じ」ではなく、言われた言葉そのままなのだろう。やはり彼女は並みの人間ではないということである。あとがきで伊藤は、「昔から記憶力だけはまあまあ良くて だったらそれをフル活用してやんべ(語尾が「べ」で終わるのは「方言がない」と言われる千葉県北西部地方の数少ない方言で、彼女が千葉県人であることが分かる)」と記しているが、「まあまあ」どころではないのだろう。彼女が挙げた膨大な「何度も観るドラマや映画」のセリフもかなり入っている可能性が高い。

「なぜこの人はこんな演技を軽々と出来てしまうのだろう」と不思議に思うことがあったが、本人の頑張りもさることながら(観て覚えて引き出しは沢山ある)、やはり持って生まれたものが大きいようである。実兄のオズワルド伊藤が妹の伊藤沙莉のことを「天才女優」と呼んでいるが、身贔屓ではないのだろう。

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2024年9月 2日 (月)

NHK MUSIC SPECIAL「玉置浩二~愛と平和のハーモニー」

2024年8月29日

祇園富永町にある4th AVENUEというショットバーまで飲み行った(といっても酒は飲めないので、ソフトドリンクを飲んで歌っているだけ。レパートリーはだいたい300曲ぐらいある)のだが、他にお客がいないので、マスターとその妹さんと(二人とも私より大分年上である)、モニターでNHK MUSIC SPECIAL「玉置浩二~愛と平和のハーモニー」を視聴。

オーケストラとの共演を続けている玉置浩二。今回は、栁澤寿男(やなぎさわ・としお。バルカン室内管弦楽団音楽監督、京都フィルハーモニー室内合奏団ミュージックパートナー、東北ユースオーケストラ指揮者)が指揮するバルカン室内管弦楽団+大阪交響楽団との共演で、大阪府吹田市の万博記念公園太陽の塔前お祭り広場で行われた公演を中心とした音楽兼ドキュメンタリー番組として放送された。語りは坂本美雨。冒頭に玉置浩二が太陽の塔の中に入る場面がある。玉置は岡本太郎の作品に強い感銘を受けており、太陽の塔の前で歌うのが長年の夢だったという。

バルカン室内管弦楽団は栁澤が旧ユーゴスラビアの音楽家を組織して結成したオーケストラで、今は紛争を経て別々の国に分かれた旧ユーゴスラビアの音楽家達を再び結びつける役割を担っている。
歌われたのは、「悲しみにさよなら」、「夏の終わりのハーモニー」、「ボードビリアン~哀しみの道化師~」、「SACRED LOVE」、「田園」(ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」の旋律が伴奏に現れるバージョン)、「メロディー」

普段は音楽を聴くときは何もしないのだが、バーでは余興で指揮をすることがある。今日も指揮しながら見ていた。話すことも音楽とは余り関係ないことで、「大阪交響楽団の首席フルートの三原萌って子が可愛くてね。あの子」といった、どうでもいいことを喋っていた。

今年の玉置浩二のオーケストラコンサートツアーは沖縄でスタート(指揮者は大友直人)。
玉置浩二は沖縄戦の激戦地の跡を訪れ、戦没者墓園に花を手向ける。なお、奥さんの青田典子が常に付き従っているが、クレジットも「妻:典子さん」と一般人のような紹介であり、青田典子も仲睦まじそうな様子を見せるも一言も発することはなく、内助の功に徹しているようである。玉置浩二は精神的にいくつかの不調を抱えている人だけに支えてくれるのはありがたいことである。

4月には長崎平和公園を訪れ、長崎原爆についての説明を受けている(長崎原爆「ファットマン」はプルトニウムを使っており、広島原爆の1.3倍の威力であった)。長崎の鐘が鳴らされる場面があるが、今回のコンサートでも祈りの鐘が鳴らされる。玉置浩二は左胸に手を当てる。歌われるのは「SACRED LOVE」。バッハの鍵盤楽器音楽のような伴奏が印象的である。

2014年、玉置浩二は東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県石巻市を訪れている。依頼を受け、ギター一本でライブを行ったのだ。それから10年を経た今年、玉置は再び石巻を訪れる。10年前に貼ったバミリが今もそのままになっていた。東日本大震災発生直後に玉置は「清く正しく美しく」という曲を一晩で作っており、2014年の石巻ライブで歌っている。その時の映像も流れる。

玉置浩二は、「愛を世界の平和のために」という思いで安全地帯を結成したという。これまで出会った人、別れた人から「しっかり生きなさい」と言われているような気がするという玉置浩二。そういう思いを受け止めて歌うのが使命と感じ、それでみんなが幸せになることを望んでいる。それは中学生の頃にバンドを始めた頃から変わっていないようである。


番組が終わった後、沖縄戦が登場したということで、カラオケで、沖縄の反戦歌である「さとうきび畑」(森山良子。「さとうきび畑」のオリジナルは長いため「みんなのうた」バージョンを選んだ)とTHE BOOMの「島唄」を歌った。なお、店に入っての第1曲目として森山直太朗の反戦歌「夏の終わり」を歌っている。

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2024年9月 1日 (日)

A Tribute to Seiji Ozawa カリーナ・カネラキス指揮 ボストン交響楽団 J・S・バッハ 「G線上のアリア(管弦楽曲第3番より「エア」)

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