WOWOWライブ PARCOステージ「首切り王子と愚かな女」
2024年7月22日
録画しておいたWOWOWライブ、PARCOステージ「首切り王子と愚かな女」を観る。作・演出:蓬莱竜太。出演:井上芳雄、伊藤沙莉、高橋努、入山法子、太田緑ロランス、石田佳央、和田琢磨、小磯聡一郎、柴田美波、林大貴、BOW、益田恭平、吉田萌美、若村麻由美。音楽:阿部海太郎。2021年、東京・渋谷のPARCO劇場での収録。
伊藤沙莉と高橋努は、NHK連続テレビ小説「虎に翼」の主人公、猪爪(佐田)寅子(ともこ)と、竹中次郎記者として絡みがあったが、その他にも「虎に翼」出演者が含まれている。
雪深き架空の古代王朝、ルーブが舞台である。この国では女性の地位が低く、女性が出世するには王室の子を産むしかない。第一王女役の入山法子が女がいかに冷遇され、いかに愚かかを嘆く独白がある。
先王バルが亡くなり、王妃のデン(若村麻由美)が「永久女王」として即位して独裁を続けているが、政務能力はなく、国は傾くばかり。デンは第一王子のナルを溺愛していたが、ナルは病気に倒れ、寝たきりとなり、やがてみまかる。そこで第二王子のトル(井上芳雄)が城に呼ばれる。トルはナルが生まれた後、妊娠3ヶ月で生まれ、「呪われた子」として北海の離島に隔離されていたのだった。
アクリル板のようなもので囲われたスペースがあり、そこが楽屋のようになっていて、上演開始前に俳優達が準備をしている。蜷川幸雄が真田広之を主役に迎えた時の「ハムレット」のようである。
一人語り(モノローグ)が多いのが特徴。また再現VTR挿入風になる場面があるなど映像的な要素もある。同時多発セリフも用いられる。舞台狭しと駆け回り、突然動きがスローモーションになるところなどは野田秀樹の影響が濃厚である。
伊藤沙莉が一人で現れ、、右手を挙げると音楽が始まり、スタート。「ヴィリは死ぬことにした」という、「ベロニカは死ぬことにした」のような一節で始まる。リンデンの谷のヴィリ(伊藤沙莉)は自殺を思い立つ。病気の母親を看取り、もはや生きるべき理由が見いだせなかった。途中、トルがツトム(高橋努)に次々と斬首刑を行わせているところに出くわす。ツトムは斬首される者の思い出を語ってから斧を振り下ろす。
トルは、「首切り王子」と呼ばれ、民衆から恐れられて、それが王宮攻撃の抑止力となっているのだが、ヴィリにはどうでも良かった。最果ての崖から飛び降りようとしたヴィリだがトルの部下に取り押さえられる。捕らえられたヴィリは、斬首されることになるが、元々死ぬつもりであったヴィリは動じない。それを見たトルにヴィリは命を救われ、召使いのメイを斬首したばかりなので、代わりの召使いとして雇われる。ヴィリは先王バルの政治についても率直に非難してしまうような女性である。
王宮にはヴィリの実の姉、リーガン(太田緑ロランス)がいた。8年前。姉は介護中の母を見捨てて出て行ったのだった。第2幕ではリーガンもまた最果ての崖から飛び降りようとして(出だしも「リーガンは死ぬことにした」という言葉から始まり、第1幕を完全になぞる形になっている)。、ナル(井上芳雄二役)に助けられていたことが分かる。
最初は第一王女(入山法子)から「野良犬」と蔑まれていたヴィリだったが、トルの性格を見抜いたヴィリは、トルの遊び相手となる(トルは勉強嫌いで、チェスなど頭を使うゲームに弱いが、カードゲームを好む。ちなみにこのカードゲームは「愚者」の札が強い)ことで利用することを図り仲良くなる。ヴィリは子どもっぽいトルを内心見下していたが、トルと共に競馬レースに出た時にはヴィリは身を楯にしてトルの暗殺を防ぎ、最終的には第二王女となる。ただ育ちが悪いので、言葉は汚いままであり、プライベートではトルとタメ口で話す。また、トルとは夫婦としての営みを好まない。体調が悪いとトルには言いながら、ヴィリはツトムら兵士達と飲むこともたびたびである。トルの孤独は深まる。
競馬レースで狙撃を命じたのはリーガンであることが発覚する。
第一王女は身分の低いヴィリが第二王女となったことに不満を抱いており、手下に調べさせてリーガンがヴィリの姉であることを知っていて、これを気にヴィリの追い落としを図る。
しかしここでトルの身に異変が起こる。デンはトルの体を使ってナルの復活を行う魔術を強行したのだが、トルの意志や命よりも、自身のエゴや政体を優先させるデンにヴィリは、「ふざけんな!!」と激しく憤る。しかし、トルに同情的な者はいない。ヴィリ一人を除いては。トルは恐ろしく孤独だった。
「最も悲惨な貧困とは孤独であり、愛されていないと感じることです」(マザー・テレサ)
男と女は本来両輪のはずだが、一方を冷遇したため、結果としてルーブは滅亡へと向かう。
民衆の蜂起が始まる。トルとヴィリは二人が初めて出会った最果ての崖へと逃げるのだった。
王子と第二王女という関係でトルはヴィリの自由意志を認めなかったが、ラストでようやく身分や立場を越えて心が通じ合えたように思う。そしてヴィリはトルの意志を受け継ぎ、未来へと駆ける。
擬古典調の作風が取られており、俳優の長台詞が多用される。伊藤沙莉はセリフの他に狂言回しやツッコミ係の役割を担っている。
またセットはシンプルで、木枠を移動させるだけで場面の転換が行われる。
物語として特別優れているという印象は受けないが、ナルとトル、リーガンとヴィリの兄弟・姉妹間の関係の描き方の対峙など、構造的には上手くいっているような印象を受ける。
PAを使っての上演で、井上芳雄が出るということで歌のシーンもあるが思ったよりは短め。もう少し歌のシーンがあっても良かったように思う。歌はトルの象徴であり(いきなり歌い出してヴィリに突っ込まれる場面がある)、ヴィリがトルがまだナルではなくトルであると気づくのは歌をうたっていたからだ。
「愚かな女」という題であるが、教育を十分に受けておらず、一度は命を粗末にしようとしたヴィルの他、ナルへの愛で盲目になっているデンとリーガンなど複数の女性が当てはまるほか、こちらも教育が不十分なため知性的とは呼べず、首切りを続けているトルもまた女ではないが愚か者であり、エゴイスティックな愚か者が揃った結果国が滅びるという姿が描かれているが、人類は何度も同様の過ちを繰り返しており、人間の本質的な愚かしさを照射していると見ることも出来る。
今回は知性派の役柄ではなかったが、井上芳雄の凜とした佇まいは流石。
伊藤沙莉は、テレビドラマでは何度も見たことがあるのだが、舞台では未見。個性の強い女優だが、アクセントとして生きており、舞台でも見てみたくなる。
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