コンサートの記(855) 広上淳一指揮京都市交響楽団第692回定期演奏会 フライデー・ナイト・スペシャル マーラー 交響曲第3番
2024年8月23日 京都コンサートホールにて
午後7時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第692回定期演奏会 フライデー・ナイト・スペシャルを聴く。
通常のフライデー・ナイト・スペシャルは、土曜のマチネーの短縮版プログラムを午後7時30分から上演するのだが、今回は演奏曲目がマーラーの大作、交響曲第3番1曲ということで、フライデー・ナイト・スペシャルも土曜日と同一内容で、開演時間も午後7時30分ではなく午後7時となっている。
今日の指揮者は、京都市交響楽団の第12代および第13代常任指揮者であった広上淳一。
現在は、京都市交響楽団 広上淳一という変わった肩書きを持っている。
午後6時30分頃より、広上淳一と音楽評論家の奥田佳道によるプレトークがある。広上はピンクのジャケットを着て登場。
広上淳一と京都市交響楽団によるマーラーの交響曲第3番の演奏は、広上淳一の京都市交響楽団常任指揮者退任記念となる2022年3月の定期演奏会で取り上げられる予定だったのだが、コロナ禍で「少年合唱団が入るので十分に練習できない」ということでプログラムが変更になり、広上の師である尾高惇忠(おたか・あつただ。指揮者の尾高忠明の実兄で、共に新1万円札の肖像になった渋沢栄一の子孫)の女声合唱曲集「春の岬に来て」より2曲とマーラーのリュッケルトの詩による5つの歌曲(メゾ・ソプラノ独唱:藤村実穂子)、マーラーの交響曲第1番「巨人」に変わった。広上はその時のプレトークでマーラーの交響曲第3番について、「2、3年後にやります」と語っていたが、ついに実現することになった。
プログラムが変更になったことについては、「災い転じて、じゃないですが」と語り始め、「マーラーの交響曲第3番は曲は長いんですが、歌の部分は短い(メゾ・ソプラノ独唱の部分は)7分ぐらいしかない」ということで、藤村の歌唱をより長く楽しめる曲になったことを肯定的に捉えていた。
奥田が、「『京都市交響楽団 広上淳一』というのはこれが称号ですか?」と聞き、広上が「そうです」と答えて、「名誉とか桂冠とか、そういうのは気恥ずかしい」ということで、風変わりな称号となったようである。奥田は、「個人名が称号になるのは異例」と話す(おそらく世界初ではないだろうか)。
広上はマーラーの交響曲第3番について、「神を意識した」と述べ、奥田が補足で、「当初は全ての楽章に表題がついていた。ただ当時は標題音楽は絶対音楽より格下だと思われていた。そのため、表題を削除した」という話をする。
奥田は、「こういうことを言うと評論家っぽいんですが、第1楽章だけで35分。ベートーヴェンなどの交響曲1曲分の長さ」とこの曲の長大さを語る。
この曲では、トロンボーンのソロと、ポストホルンのソロが活躍する。トロンボーンは戸澤淳が(現在、京響は首席トロンボーン奏者を欠いている)、ポストホルンソロは副首席トランペット奏者の稲垣路子が吹く。稲垣路子がどこでポストホルンを吹くのかを広上はばらしそうになって慌ててやめていた。
マーラーは作曲は指揮活動以外の時間、特に夏の休暇を使って行っていた。交響曲第3番は、1895年と1896年の夏の休暇に書かれている。作曲を行ったのは、オーストリアのアッター湖畔、シュタインバッハの作曲小屋においてであった。奥田はシュタインバッハに行ったことがあるそうで、広上に羨ましがられていた。マーラーの弟子で、後にマーラー作品の普及に尽力することになる指揮者のブルーノ・ワルターが1896年にマーラーの作曲小屋を訪れ、豊かな自然に見とれていると、マーラーが、「見る必要はない、全部ここに書いたから」と交響曲第3番の譜面の見せたという話が伝わっている。
奥田は、京都市交響楽団の成長について聞くが、広上は、「何もしてません。私を超えちゃいました」と答える。奥田は、「いや今のは謙遜で」とフォロー。
オーケストラと指揮者の関係についてだが、広上は、長年に渡ってアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団)の首席指揮者を務めたベルナルト・ハイティンクから、「いつか育てたオーケストラに感謝する日が来るよ」と言われたことを思い出していた。
今日のコンサートマスターは、京響特別客演コンサートマスターの「組長」こと石田泰尚。フォアシュピーラーに泉原隆志。尾﨑平は降り番である。ヴィオラの客演首席奏者として大野若菜が入る。
メゾ・ソプラノ独唱:藤村実穂子。女声合唱:京響コーラス。少年合唱:京都市少年合唱団。
広上が指揮したときの京響はやはり音が違う。音の透明度が高く、抜けが良く、程よく磨かれ、金管はパワフルで立体的で輝かしい。
これまで無意識に広上指揮する京響の演奏をロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団に例えて来たが、考えてみると、広上の指揮者としてのキャリアは、アムステルダム・コンセルトヘボウ(ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の本拠地。当時はアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団という名称だった)で、レナード・バーンスタインに師事したことから始まっており、原体験が広上の無意識に刻まれてベースとなっているのではないかという仮説も立ててみたくなる。
史上最高のマーラー指揮者とみて間違いないレナード・バーンスタイン。1960年代に「マーラー交響曲全集」を完成させ、マーラー指揮者としての名声を確立。その過程を見守っていたのが小澤征爾であり、小澤も後年、世界的なマーラー指揮者と見做されるようになる。
1980年代にも2度目の「マーラー交響曲全集」を完成させるべくライブ録音を開始したバーンスタイン。ウィーン国立歌劇場音楽監督であるマーラーが事実上の常任指揮者であったウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、晩年のマーラーが海を渡って音楽監督に就任し、バーンスタインも手兵としていたニューヨーク・フィルハーモニック、当時「不気味な音楽」として評価されていなかったマーラーの音楽を世界に先駆けて取り上げていたヴィレム・メンゲルベルクが率いていたアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団)の3つを振り分ける形で録音は進められたが、バーンスタインの死によって全集は未完となり、交響曲第8番「千人の交響曲」は映像用の音源を使ってリリースされたが、交響曲「大地の歌」は全集に収録されなかった(バーンスタインは「大地の歌」を生前2度録音しており、それが代用される場合がある)。
私も新旧のレナード・バーンスタインが指揮する「マーラー交響曲全集」を持っており、交響曲第3番はバーンスタインの新盤がベストだと思っている。ただ、余り好きな曲ではないため、その他にはエサ=ペッカ・サロネン盤など数種を所持しているだけである。
そんなレナード・バーンスタインに師事した広上のマーラー。「巨人」は京響で聴いたほか、広島まで遠征して広島交響楽団との演奏を聴いている。交響曲第5番は京響との演奏を2度ほど聴いている。ただ第3番を聴くのは、京都で取り上げるのは初ということもあってこれが一度目となる。他にホールで聴いた記憶もないので、実演に接するのも初めてのはずである。
チケットは完売。京都のみならず、日本中からの遠征組も存在すると思われる中でのコンサート。
広上はいつも通り個性的な指揮。時折、指揮台の端まで歩み寄って指揮するため、「落ちるのではないか」とハラハラさせられる。
バーンスタインのマーラーは、異様なまでに肥大化したスケールを最大の特徴とするが、広上は確固としたフォルムを築きつつ、大言壮語はしないスタイル。それでも、うなるようなパワーと緻密さを止揚させた説得力のあるマーラー像を築き上げる。
マーラーは、生前は指揮者として評価されていた人であり、オーケストラの性能を熟知していた。そのため、コル・レーニョ奏法の使用やベルアップの指示など、オーケストラの機能を極限まで追求する曲を書いているのだが、京響はマーラーの指示を巧みに捌いていく。
稲垣路子のポストホルンソロはステージの外で吹かれる。私の席からは死角になって姿は見えないのだが、朗々として純度の高い響きが天から降り注ぐかのようである。
藤村実穂子のメゾ・ソプラノは深みと奥行きを持った歌唱としてホール内の空気を伝っていく。テキストはニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』から取られたものである。
その後、京響コーラスの女声合唱と京都市少年合唱団による汚れのない歌声とのやり取りが、現世と彼岸とを対比させる。
そして最終楽章。哀切、清明、現在、過去、自己の内と外など、様々な要素が複雑に絡み合い、浄化へと向かっていく。
現在の日本人指揮者と日本のオーケストラによる最上級の演奏になったと見做しても間違いないだろう。贔屓目なしでそう思う。
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