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2024年9月21日 (土)

観劇感想精選(469) 佐野史郎&山本恭司&小泉凡 「小泉八雲 朗読のしらべ 龍蛇伝説~水に誘われしものたち~」

2024年9月6日 大阪・谷町4丁目の山本能楽堂にて

午後6時から、谷町4丁目の山本能楽堂で、「小泉八雲 朗読のしらべ 龍蛇伝説~水に誘われしものたち~」を観る。小泉八雲が愛した松江出身の佐野史郎がライフワークとして続けている朗読公演。二夜連続で小泉八雲作品の公演に接することとなった。
原作:小泉八雲、監修・講演:小泉凡、脚本・朗読:佐野史郎、構成・音楽:山本恭司、翻訳:平井星一、池田雅之。

佐野史郎と山本恭司は松江南高校の同級生である。

今回の演目は、『知られぬ日本の面影』より「杵築」、『知られぬ日本の面影』より「美保の関」、『知られぬ日本の面影』より「日本海に沿って」河童の詫び証文、『天の川奇譚』より「鏡の乙女」、『霊の日本』より「振袖火事」、『怪談』より「おしどり」、『東の国から』より「夏の日の夢」


まず、小泉八雲の曾孫である小泉凡が登場。ちょっとした講演を行う。今年は小泉八雲の没後120年、そして代表作『怪談』出版120周年に当たるメモリアルイヤーだという。更に、来年のNHK連続テレビ小説が小泉八雲の妻である小泉節(小泉セツ、小泉節子)をモデルにした「ばけばけ」に決まり、会う人会う人みな一様に「おめでとうございます」と言ってくるという話をする。小泉節を主役級として描いた作品としては、八雲との夫婦生活を描いた「日本の面影」(1984年、NHK総合。原作・脚本:山田太一。小泉節を演じたのは檀ふみ。小泉八雲を「ウエストサイド物語」のジョージ・チャキリスが演じているという異色作である。私も子どもの頃に見てよく覚えている)以来となる。小泉凡が子どもの頃、家の奥に姿見があったそうだが、それが小泉節の遺品だったそうだ。鏡の右の部分が少し色あせたような感じだったので、「なんであそこだけあんなになってるの?」と聞くと、「おばあちゃん(小泉節)、いつもあそこに手ぬぐい掛けてたからよ」と母親が答えたそうである。ちなみに小泉凡が小学校に上がり、おもちゃのサッカーボールを買って貰って家の中で遊んでいたところ、その姿見に思い切りボールをぶつけてしまって、ひびが入り、その後はテープで留めてあるという。今回は井戸が鏡になるという話が出てくるのだが、ラフカディオ・ハーンが青年期を過ごしたアイルランドにも聖なる泉が沢山あり、そこに不思議な姿が映るという話が数多くあるそうだ。

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、来日当初は、東京や横浜、特に外国人居留区のあった横浜に長く滞在していたのだが、鎌倉や江ノ島(よく勘違いされるが、江ノ島は鎌倉市ではなく藤沢市にある)に出掛け、水泳が得意なのでよく泳いでいたそうだが、江ノ島の龍の像や龍神伝説を知って感銘を受けているという。ということで、今回は龍蛇を題材にした作品でランナップの組むことになった。

ちなみに出雲地方にはウミヘビが打ち上がるそうで、出雲の西の方では出雲大社に、出雲の東の方では佐太(さだ)神社に打ち上がったウミヘビを龍神として毎年奉納していたのだが、地球温暖化の影響で、ここ10年ほどはウミヘビが打ち上げられることがなくなってしまったそうである。出雲の沖には寒流が流れ込んでおり、それに行方を遮られたウミヘビが浜に打ち上げられるのだが、寒流がなくなってしまったため、男鹿半島の方まで行かないとウミヘビが打ち上がる様子は見られなくなってしまったそうである。
なお、「ばけばけ」とは全く関係なしに、現在、小泉八雲記念館では、「小泉セツ―ラフカディオ・ハーンの妻として生きて」という企画展をやっていることが紹介される。


佐野史郎は羽織袴姿で登場。山本恭司はエレキギターの演奏の他、効果音も担当する。舞台正面から見て左手(下手)に佐野史郎が、右手(上手)に山本恭司が陣取る。

佐野史郎は声音や声量を使い分けての巧みな朗読を見せる。音楽好きということもあって音楽的な語り口を聞かせることもある。だが、技術面よりも八雲への愛に溢れていることが感じられるのが何よりも良い。


ラフカディオ・ハーンは、素戔嗚尊が詠んだ日本初の和歌「八雲立つ出雲八重垣妻籠に八重垣作るその八重垣を」にちなんで八雲と名乗ったとされており、今回の佐野史郎が解説を担当した無料パンフレットにもそう書かれているが、日本ではハーンが、「ハウン」に聞こえ、「ハウンさん」と呼ばれたことから、「ハ=八、ウン=雲」にしたという説もある。

「杵築」は、八雲が出雲大社を参拝する時の記録で、宍道湖を船で渡っている時に見た、お隣、鳥取の大山の描写があるなど、旅情と詩情に溢れた文章である。

「美保の関」。美保関の神様は鶏を嫌うという。ついでに卵も嫌うという。ある日、船旅に出た一行は美保関で強風に遭う。誰か卵を持っていないかなどと言い合う人々。実は煙管に鶏の絵を入れた男がおり、それで美保関の神様が機嫌を損ねたのではないかという話になっている。この話には、大国主命の国譲りの神話が関与しているようである。美保関(美保神社)の神様はえびす様で事代主のこととされている。えびすは商売の神様としてお馴染みだが、実は蛭子(身体障害者)として流されており、祟り神でもある。
事代主自体は大国主の子とされ、鹿島神こと建御雷神に国譲りを迫られた大国主が事代主に聞くように言い、事代主が承諾したという展開になる。一方、弟神の建御方神は抵抗して建御雷神に敗れ、信州へと逃れ、諏訪大社に根付いている。建御雷神は藤原氏の氏神であるため、何らかの勢力争いが背景にあると思われる。
鶏というと、島根県の隣に鳥取県があるが、「鳥が騒がしい」と鳥取で乱が起こっているような描写が『古事記』に登場する。関係があるのかどうかは分からない。
大国主は、大神神社の大物主と同一視されることがあり、佐野史郎は、大神神社には卵が備えられることから、「大物主は蛇?」と記しているが、大物主が蛇なのは神話でも語られている。佐野は「卵は蛇の好物」としている。ということで、事代主は大国主=大物主とは逆の性質を持っていることが分かる。
鶏を嫌うことに関しては、折口信夫が面白い説を出しているが、鶏は朝を告げる鳥であり、太陽神である天照大神を最高神とする大和朝廷への反骨心があるのではないかと私は見ている。えびすが大和朝廷から捨てられた神であることもここに関係してくるのではないか。


日本各地にある河童の話。河童は馬を好むのだが、川に入った馬を掴んだところ、そのまま引きずり出され、人間達に捕らえられてしまう。そこで詫び状を書くという話である。
舞台は出雲の川津なのだが、小泉節は出雲弁がきつかったため、「かわづ」と発音できず、「かわぢ」と発音し、八雲は「河内」と聞き取り、そのまま記している。八雲は日本語はそれほど達者ではなかったため、節さんが頼りだったようだが、節さんが間違えるとそのまま間違えるということになっている。


『天の川奇譚』より「鏡の乙女」。京都が舞台である。ある日、男が井戸に飛び込んで死ぬという事件が起こる。
神官の松村が、京都にやってきて寺町に住み、老朽化した社殿復興の資金調達に奔走する。日照りがあり、京の水も涸れるのだが、松村の家の前の井戸だけは水が潤沢である。ある日、松村が井戸を覗くと、そこに絶世の美女が映っていた。余りに美しいので、松村は気を失い、危うく井戸に落ちるところであった。その美女がある日、松村の家を訪れる。美女は弥生という名の鏡の妖精で、毒蛇に捕らえられ、操られていたが、毒蛇は信州へと逃げた(つまり建御方神か?)という。井戸をさらうと鏡が見つかる。大分古びていたが、磨くと見事なものとなった。三月に作られたものであり、美女が弥生と名乗った意味も分かる。
弥生が再び現れる。百済からやってきた弥生は、藤原家の所有する鏡となったという。やはりここでも、藤原氏と建御方神の対立があるようだ。弥生の鏡は足利義政に献上され、義政は松村に金子を渡し、これで社殿の復興が叶うこととなった。


『霊の日本』より「振袖火事」。江戸時代初期、娘が町で色男を見かける。すぐに見失ってしまったが、色男の姿が脳裏に焼き付いた。色男の着物に似た色の振袖を着れば色男にまた会えるのではないかと考えた娘は、当時の流行りであった袖の長い青の振袖を作って貰い、それを常に着るようになる。だが、色男とは再会出来ない。娘は「南無妙法蓮華経」と唱え続ける。しかし恋の病のために次第に痩せ細り、ついには亡くなってしまう。振袖は娘の菩提寺に預けられたのだが、この寺の住職が高く売れると見込んで売りに出す。果たして、先の娘と同じ年頃の若い女性が振袖を結構な値段で買う。しかし、その女性もすぐにやつれて亡くなってしまう。振袖は寺に戻されるが、住職はまた売りに出す。また高値で売れ、買った若い女性がやつれて亡くなる、ということが繰り返される。流石に住職も、「この振袖には何かある」ということで、焼却処分しようとしたのだが、振袖は大いに燃え上がり、「南無妙法蓮華経」の七文字が火の玉となって江戸の町に飛び散る。延焼が延焼を生み、ついには江戸のほとんどが焼けてしまう。これが「振袖火事」こと明暦の大火である。火元となったのは、本郷の日蓮宗(法華宗)本妙寺であった。実は色男の正体は蛇であったという。

『怪談』より「おしどり」。陸奥国田村の郷、赤沼(現在の福島県郡山市に地名が残る)が舞台。村允(そんじょう)という鷹匠が狩りに出るが獲物を捕まえることが出来ない。ふと見ると、赤沼につがいのおしどりがいる。村允は空腹を満たすため、おしどりのオスを射る。メスの方は葦の中に逃げ去る。
その夜、村允の枕元に美しい女が現れる。女はおしどりのメスであることを明かし、なぜ罪もない夫を殺したのかと村允をなじる。そして赤沼に来いとの歌を詠む女。
翌朝、村允は赤沼に出向き、おしどりのメスを見つける。おしどりのメスは村允めがけて泳いできて、くちばしを自分に刺して自害して果てた。その後、村允は頭を丸めて僧侶となった。

『東の国から』より「夏の夜の夢」。浦島太郎の物語を翻案したものである。
大坂の住之江が舞台。漁師の倅である浦島太郎は、船で漁に出て釣り糸を垂らすが、かかったのは一匹の亀のみ。亀は千年万年生きるとされる縁起物である上に龍王の使い。殺す訳にはいかず、浦島太郎は亀を逃がす。すると水面を渡って美しい女がこちらに近づいてくる。女は龍王の娘であり、龍王の使いである亀を助けてくれたお礼に常夏の島にある父の宮殿、竜宮城へ共に行って、お望みならば花嫁となるので永遠に一緒に楽しく暮らそうと浦島太郎に言い、浦島太郎もそれに従った。二人で共に櫓を取り、竜宮城へと進む。
3年の楽しい月日が流れた。しかしある日、浦島太郎は、「両親の顔が見たいので戻りたい」と女に告げる。女は「もう会えなくなるから」と止めるが、浦島太郎は「顔を見て帰るだけだから」と聞かない。女は絹の紐で結んだ玉手箱を浦島太郎に渡し、「これが帰る助けになりましょうが、決して開けてはなりませぬ。どんなことがあっても!」と浦島太郎に念押しする。
浦島太郎は元いた浜に戻るが、全てが異なっている。老人に話を聞き、浦島太郎だと名乗ると老人は、「浦島太郎なら400年前に遭難したよ」と呆れる。古い墓を訪れた浦島太郎は、自分の墓を発見。一族の墓もそばにあった。落胆して帰路に就く浦島太郎。しかし、玉手箱を開ければ何かが変わるのではと思ってしまい……。

異国人の目が捉えた美しい日本が、日本語の名人にして小泉八雲の良き理解者である佐野史郎によって語られる。贅沢な夜となった。

なお、松江での公演が決定しており、『怪談』出版120年ということで、『怪談』からの話を多く取り上げ、いつもより上演時間も長く取った特別バージョンで行うという。興味深いが松江は遠い。

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