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2024年10月の25件の記事

2024年10月31日 (木)

コンサートの記(866) アジア オーケストラ ウィーク 2024 ハンス・グラーフ指揮シンガポール交響楽団@京都コンサートホール エレーヌ・グリモー(ピアノ)

2024年10月19日 京都コンサートホールにて

アジア オーケストラ ウィークが関西に戻ってきた。

午後4時から、京都コンサートホールで、アジア オーケストラ ウィーク 2024 京都公演を聴く。
アジアのオーケストラを日本に招く企画、「アジア オーケストラ ウィーク」は、当初は東京の東京オペラシティコンサーホール“タケミツ メモリアル”と大阪のザ・シンフォニーホールの2カ所で行われていたが、東日本大震災復興への希望を込めて、東京と東北地方での開催に変更。関西で聴くことは叶わなくなっていた。だが、今年は一転して京都のみでの開催となっている。


シンガポール交響楽団は、1979年創設と歴史は浅めだが、アジアのオーケストラの中ではメジャーな方。ラン・シュイ(水蓝)が指揮したCDが数点リリースされている。

治安が良く、街が綺麗なことで知られるシンガポール(そもそもゴミを捨てると罰金刑が課せられる)。日本人には住みやすく、「東京24区」などと呼ばれることもあるが、シンガポール自体は極めて厳しい学歴主義&競争社会であり、シンガポールに生まれ育った人達にとって必ずしも過ごしやすい国という訳でもない。競争が厳しいため、優秀な人が多いのも確かだが。
シンガポールもヨーロッパ同様、若い頃に将来の進路を決める。芸術家になりたい人はそのコースを選ぶ。学力地獄はないが、音楽性の競い合いもまた大変である。

無料パンフレットには、これまでのアジア オーケストラ ウィークの歴史が載っている。私がアジア オーケストラ ウィークで聴いたことのあるオーケストラは以下の通り、会場は全て大阪・福島のザ・シンフォニーホールである。
上海交響楽団(2004年)、ソウル・フィルハーモニック管弦楽団(2004年。実はソウルには日本語に訳すとソウル・フィルハーモニック管弦楽団になるオーケストラが二つあるという紛らわしいことになっており、どちらのソウル・フィルなのかは不明)、ベトナム国立交響楽団(2004年。本名徹次指揮)、大阪フィルハーモニー交響楽団(2004年。岩城宏之指揮。これが岩城の実演に接した最後となった)、オーストラリアのタスマニア交響楽団(2005年。オーストラリアはアジアではないが、アジア・オセアニア枠で参加)、広州交響楽団(2005年。余隆指揮。このオーケストラがアジア オーケストラ ウィークで聴いた海外のオケの中では一番上手かった)、ハルビン・黒龍江交響楽団(このオケがアジア オーケストラ ウィークで聴いた団体の中では飛び抜けて下手だった。シベリウスのヴァイオリン協奏曲を取り上げたが、伴奏の体をなしておらず、ソリストが不満だったのか何曲もアンコール演奏を行った。女性楽団員が「長いわね」と腕時計を見るって、何で腕時計してるんだ?)。一応、このオーケストラは朝比奈隆が指揮したハルビン交響楽団の後継団体ということになっているが、歴史的断絶があり、実際は別のオーケストラである。この後、アジア オーケストラ ウィークは大阪では行われなくなった。2021年にはコロナ禍のため、海外の団体が日本に入国出来ず、4団体全てが日本のオーケストラということもあった。日本もアジアなので嘘偽りではない。
2022年には琉球交響楽団が参加しているが、大阪ではアジア オーケストラ ウィークとは別の特別演奏会としてコンサートが行われている。

そして今年、アジア オーケストラ ウィークが京都に来た。

指揮は、2022年にシンガポール交響楽団の音楽監督に就任したハンス・グラーフ。2020年にシンガポール響の首席指揮者となり、そこから昇格している。オーストリア出身のベテラン指揮者であるが、30年ほど前に謎の死亡説が流れた人物でもある。当時、グラーフは、ザルツブルク・モーツァルティウム管弦楽団の音楽監督で、ピアノ大好きお爺さんことエリック・ハイドシェックとモーツァルトのピアノ協奏曲を立て続けに録音していたのだが、「レコード芸術」誌上に突然「ハンス・グラーフは死去した」という情報が載る。すぐに誤報と分かるのだが、なぜ死亡説が流れたのかは不明である。ハイドシェックは、当時の大物音楽評論家、宇野功芳(こうほう)の後押しにより日本で人気を得るに至ったのだが、宇野さんは敵が多い人だっただけに、妨害工作などがあったのかも知れない。ともあれ、ハンス・グラーフは今も健在である。
これまで、ヒューストン交響楽団、カナダのカルガリー・フィルハーモニー管弦楽団、フランスのボルドー・アキテーヌ管弦楽団、バスク国立管弦楽団、ザルツブルク・モーツァルティウム管弦楽団の音楽監督として活躍してきた。


曲目は、メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」序曲、ラヴェルのピアノ協奏曲ト長調(ピアノ独奏:エレーヌ・グリモー)、シンガポールの作曲家であるコー・チェンジンの「シンガポールの光」、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」


開演の大分前から、多くの楽団員がステージ上に登場。さらっている人もいるが特に何もしていない人もいる。そうやって人が増えていって、最後にゲストコンサートマスターのマルクス・グンダーマン(でいいのだろか。アルファベット表記なので発音は分からず)が登場して拍手となる。なお、テューバ奏者としてNatsume Tomoki(夏目智樹)が所属しており、夏目の「アジア オーケストラ ウィークに参加出来て光栄です」という録音によるメッセージがスピーカーから流れた。

ヴァイオリン両翼の古典配置がベースだが、ティンパニは指揮者の正面ではなくやや上手寄り。指揮者の正面にはファゴットが来る。またホルンは中央上手側後列に陣取るが、他の金管楽器は、上手側のステージ奥に斜めに並ぶという、ロシア式の配置が採用されている。なぜロシア式の配置を採用しているのかは不明。
多国籍国家のシンガポール。メンバーは中華系が多いが、白人も参加しており、日本人も夏目の他に、第2ヴァイオリンにKURU Sayuriという奏者がいるのが確認出来る。


グラーフは、メンデルスゾーンとベートーヴェンは譜面台を置かず、暗譜で振る。指揮姿には外連はなく、いかにも職人肌というタイプの指揮者である。その分、安定感はある。

メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」序曲は、各楽器、特に弦楽器がやや細めながら美しい音を奏でるか、ホールの響きに慣れていないためか、内声部が未整理で、モヤモヤして聞こえる。それでも推進力には富み、活気のある演奏には仕上がった。


ラヴェルのピアノ協奏曲ト長調。今年はラヴェルの伝記映画が公開され、ピアノ協奏曲の2楽章がエンディングテーマとして使用されている。

ソリストのエレーヌ・グリモーは、フランスを代表する女流ピアニスト。変人系美人ピアニストとしても知られている。幼い頃からピアノの才能を発揮するが、同時に自傷行為を繰り返す問題児でもあった。美貌には定評があり、フランス本国ではテレビCMに出演したこともある。オオカミの研究者としても知られ、オオカミと暮らすという、やはりちょっと変わった人である。先月来日する予定であったが、新型コロナウイルスに感染したため予定を変更。心配されたが、X(旧Twitter)には、「東アジアツアーには参加する」とポストしており、予定通り来日を果たした。


グリモーのピアノであるが、メカニックが冴え、第1楽章では爽快感溢れる音楽を作る。エスプリ・クルトワやジャジーな音楽作りも利いている。
第2楽章は遅めのテンポでスタート。途中で更に速度を落とし、ロマンティックな演奏を展開する。単に甘いだけでなく、夢の中でのみ見た幸せのような儚さもそこはかとなく漂う。
第3楽章では、一転して快速テンポを採用。生まれたてのような活きのいい音楽をピアノから放っていた。


アンコール演奏は2曲。シルヴェストロフの「バガテル」は、シャンソンのような明確なメロディーが特徴であり、歌い方も甘い。ブラームスの間奏曲第3番では深みと瑞々しさを同居させていた。


休憩を挟んで、コー・チェンジンの「シンガポールの光」。オーケストラの音の輝きを優先させた曲だが、音楽としてもなかなか面白い。揚琴(Yangqin)という民族楽器を使用しているが、楽器自体は他の楽器の陰に隠れて見えず。演奏しているのはパトリック・Ngoというアジア系の男性奏者である。良いアクセントになっている。


ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」。日本では「運命」のタイトルで知られるが(西洋では余り用いられない。ごくたまに用いられるケースもある)、北京語では運命のことを命運と記すので、「運命」交響曲ではなく、「命運」交響曲となる。

冒頭の運命動機はしっかりと刻み、フェルマータも長めで、その後、ほとんど間を空けずに続ける。流線型のフォルムを持つ格好いい演奏である。アンサンブルの精度は万全とはいえないようで、個々の技術は高いのだが、例えば第4楽章に突入するところなどは縦のラインが曖昧になっていたりもした。
ただ全般的には優れた部類に入ると思う。グラーフには凄みはないが、その代わりに安心感がある。
ラスト付近のピッコロの音型により、ベーレンライター版の譜面を使っていることが分かった。


アンコール演奏は、ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」。丁寧で繊細で典雅。シンガポール響の技術も高く、理想的な演奏となる。グラーフも満足げな表情を浮かべていた。

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2024年10月30日 (水)

コンサートの記(865) シャルル・デュトワ指揮 九州交響楽団第425回定期演奏会

2024年10月23日 福岡・天神のアクロス福岡シンフォニーホールにて

博多へ。

午後7時から、アクロス福岡シンフォニーホールで、九州交響楽団の第425回定期演奏会を聴く。指揮は九州交響楽団(九響)初登場のシャルル・デュトワ。
デュトワは、6月に来日して、新日本フィルハーモニー交響楽団を指揮。その後、大阪フィルハーモニー交響楽団と札幌交響楽団を指揮する予定だったが、体調不良によりキャンセルしてヨーロッパに帰っていた。だが、年内に再び来日して、九州交響楽団、そして名誉音楽監督を務めるNHK交響楽団を指揮することになった。
デュトワが九響を指揮することになった経緯は明らかではないが(おそらく依頼したら承諾してくれたという単純な理由ではないかと思われるのだが)、九州の人々にとっては思いも掛けない僥倖であったと思われる。今丁度、東京では97歳になったヘルベルト・ブロムシュテットが、桂冠名誉指揮者を務めるNHK交響楽団を指揮していて話題になっているが、88歳になったばかりのデュトワの指揮する九響のコンサートもそれに負けないほどの話題となっている。

今更デュトワの紹介をするのも野暮だが、知らない方のために記しておくと、1936年、スイス・フランス語圏のローザンヌに生まれた指揮者で、生地と、スイス・フランス語圏(スイス・ロマンド)の中心都市であるジュネーヴの音楽院でヴィオラ、ヴァイオリン、指揮などを学ぶ。ジュネーヴ時代にフランスものとロシアものを得意としていた指揮者のエルネスト・アンセルメの薫陶を受けている。ボストンのタングルウッド音楽祭ではシャルル・ミュンシュに師事。この時、1歳年上の小澤征爾と共に学んでおり、後年のセイジ・オザワ松本フェスティバルへの客演に繋がる。ヴィオラ奏者としてデビューした後に指揮者に転向。まずヘルベルト・フォン・カラヤンにバレエ指揮者としてのセンスを認められ、ウィーン国立歌劇場のバレエ専属指揮者にならないかと誘われているが、オールマイティに活躍したいという意向があったので、これは断っている。オーケストラコンサート、オペラ、バレエなど多くの公演を指揮。ただ有名になってからはバレエ音楽の全曲盤を出したりはしているものの、ピットでバレエを指揮したという情報は聞かない。

最初のポストとして祖国のベルン交響楽団の首席指揮者に就任。スウェーデンのエーテボリ交響楽団の首席指揮者も務めた。この間、主に協奏曲の伴奏の録音を多くこなして知名度を高める。その時期は「伴奏指揮者」などと陰口を叩かれたりしたが、1977年にモントリオール交響楽団の音楽監督に就任し、以後、短期間でオーケストラの性能を持ち上げて、「フランスのオーケストラよりフランス的」と称されるアンサンブルに仕上げた。デュトワとモントリオール交響楽団は、英DECCAのフランスものとロシアのもの演奏を一手に引き受け、その分野での第一人者との名声を獲得するに至った。デュトワとモントリオール響の蜜月は、2002年までの四半世紀に渡って続く。デュトワ自身、「有名曲よりもまず自分達の得意なものを」という戦略を持っており、「アンセルメの録音が古くなったので新たなコンビを探していた」DECCAと思惑が一致した。ただデュトワはモントリオール響の性能を上げるため、「腕が良くない」とみたプレーヤーにはプレッシャーを掛けて自ら辞めるよう仕向けるという方針を採っており、最後は、こうしたやり方に反発した楽団員と喧嘩してモントリオールを去っている。デュトワ辞任後のモントリオール響はストライキに入るなど揉めに揉めた。

1970年に読売交響楽団に客演したのが、日本のオーケストラを指揮した最初だが、解釈と棒の明晰さですぐに高い評価を獲得。その後、日本のオーケストラとの共演を重ね、1996年にNHK交響楽団の常任指揮者に就任する。それまでN響は長きに渡ってシェフのポストを空位としており(ウィーン・フィルを真似たものと思われる)、久々の主の座に就いた。NHK交響楽団との演奏では、NHKホールのステージを前に張り出させるなど、音響面での工夫を行っていて、これは現在でも踏襲されている。その後、同楽団初の音楽監督に就任。辞任後は名誉音楽監督の称号を贈られた。
この時期は北米のモントリオール交響楽団、アジアのNHK交響楽団、ヨーロッパのフランス国立管弦楽団という三大陸のオーケストラのシェフを兼ね、多忙を極めている。優先順位としては、モントリオールとNHKが上で、フランス国立管弦楽団の元コンサートマスターは、「パリではいつも時差ボケ状態」であったことに不満を述べているが、フランス国立管弦楽団とも「プーランク管弦楽曲、協奏曲全集」という優れた仕事を残している。3つのオーケストラのシェフを辞めてからは、アメリカのフィラデルフィア管弦楽団の首席指揮者、ロンドンのロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者・芸術監督を務めた。またヴェルビエ祝祭管弦楽団の音楽監督に就任し、同楽団のメンバーが参加する宮崎国際音楽祭の音楽監督も兼務している。
主にヨーロッパでセクハラ疑惑が起こってからは、N響との共演も見送られていたが、久しぶりに同楽団を指揮することも決まっている。
N響との共演が途絶えてからは、日本のオーケストラによる争奪戦が始まり、まず大阪フィルハーモニー交響楽団が手を挙げて、毎年の客演を取り付ける。それに新日本フォルハーモニー交響楽団が追随し、札幌交響楽団や九州交響楽団も手を挙げるようになった。

そんな中での今回の九響客演である。


曲目は、ドビュッシーの「小組曲」(ビュッセル編曲)、グラズノフのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:辻彩奈)、チャイコフスキーの交響曲第5番。デュトワ得意のフランスものとロシアものである。


アクロス福岡シンフォニーホールに来るのは初めて。正式には、アクロス福岡という複合文化施設の中に福岡シンフォニーホールがあるという構造なのだが、一般的にはまとめてアクロス福岡シンフォニーホールと呼んでいるようである。
1995年の竣工ということで、京都コンサートホールと同い年である。構造的にもシューボックス型ベースで(日本人は視覚を重視するため、どちらも客席に傾斜があるが、福岡シンフォニーホールの方が傾斜は緩やかである)、天井が高めで反響板がないという共通点がある。福岡シンフォニーホールにはパイプオルガンはなく、シャンデリアがいくつも下がっていて、木目もシックであり、見た目が洋風である。京都コンサートホールは和の要素を取り入れる術に長けているとも言える。音響であるが、音は通りやすいが、残響は短め。残響2秒とのことだったが実際はそんなにはない。音は京都コンサートホールの方が広がりがあり、福岡シンフォニーホールはタイトである。特に優劣をつけるほどの違いはないので、後は好みの問題となるだろう。

九州交響楽団の実演奏を聴くのは2度目。前回は、西宮北口の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールで、沼尻竜典の指揮した演奏会を聴いている。本拠地で九響を聴くのは初めてである。

今日のコンサートマスターは扇谷泰朋(おうぎたに・やすとも)。ドイツ式の現代配置での演奏である。


ドビュッシー(ビュッセル編曲)の「小組曲」。九響が洗練された瑞々しい音を出す。九響の音をそれほど多く聴いている訳ではないが、透明で洒落た感覚と、他の楽団員が出す音に対する鋭敏な反応は、デュトワが指揮するオーケストラに共通した特徴である。浮遊感や推進力などもあり、これぞ「エスプリ・クルトワ」の音楽となっている。フランス語圏のケベック州とはいえ、カナダのオーケストラがフランス本国やヨーロッパのフランス語圏の名門楽団を凌ぐだけの名声を手に入れることがいかに困難かは想像に難くなく、それを実現したデュトワの力に改めて感服させられる。


グラズノフのヴァイオリン協奏曲。
ヴァイオリン独奏の辻彩奈は、最も将来が嘱望される若手ヴァイオリニストの一人。可愛らしい容姿や、Web上でファンと気さくにやり取りする飾らない人柄も人気の一因となっている。1997年、岐阜県生まれ。以前、インターネット上で質問に答えるという企画で、「岐阜県の良いところはどこですか?」との質問に「良いところかどうかは分かりませんが、夏は暑いです」と答えていたが、それは多分、良いところじゃない。ただこれだけでも彼女の人柄が分かる。2016年、18歳の時に、モントリオール国際音楽コンクールで第1位獲得。5つの特別賞も合わせて受賞して、一躍、時の人となった。今でも「モントリオールの子」と呼ばれることがあるのはこのためである。ということでデュトワとはモントリオール繋がりである。小学生の頃から全国大会で1位を獲り、12歳で初のリサイタルを行うなど神童系であった。
東京音楽大学附属高校及び東京音楽大学に特別奨学生として入学して卒業。卒業式では総代を務めている。

純白のドレスで登場した辻彩奈。グラズノフのヴァイオリン協奏曲は、知名度こそ高くないが、後半のノリや、高度な技巧で聴かせる隠れた名曲的存在である。
辻彩奈は、今年の4月に京都市交響楽団に客演してプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番を弾いているのだが、仕事が入って聴きに行けず、実演に接するのは久しぶりである。
高音のキレが抜群の辻であるが、まずはロシアの音楽ということで、荒涼とした大地を表すような太めの音から入る。意図的に洗練を抑えた感じである。そこから音楽の純度を上げていき、左手ピッチカートなど高度な技を繰り出しつつ、第3楽章の軽快で祝祭的な音楽へと突き進んでいく。耳を裂くほどの鋭い高音は名刀の切れ味。顔は可愛いが精悍な女剣士のように音と切り結んでいく。技巧面が優れているだけでなく、曲調の描き方も鮮やかで、優れた構築力も感じさせる。デュトワ指揮の九響もロシア的な仄暗くてヒンヤリとした響きを出し、最後は華やかさが爆発する。
演奏終了後、喝采を浴びた辻。アンコール演奏として、親しみやすい旋律を持つが、やはり左手ピッチカートなど高度な技巧が要求される曲を演奏する。スコットウィラーの「アイ・ルーションラグ~ギル・シャハムのために」という曲であった。

なお、辻が出しているCD購入者には、終演後、サイン会参加の特典があり、折角なので私もブラームスのヴァイオリン・ソナタ全集を購入してサインを入れて貰った。


チャイコフスキーの交響曲第5番。デュトワは、チャイコフスキーの交響曲第5番を2度録音している。最初はモントリオール交響楽団とのDECCAへのスタジオ録音であり、2度目はNHK交響楽団とのライブ収録盤で、「チャイコフスキー後期三大交響曲」としてリリースされている(モントリオール交響楽団とも、交響曲第4番と第6番「悲愴」はレコーディングしている)が、両者の解釈は大きく異なる。モントリオール交響楽団とレコーディングを行った時期は、ソ連当局による統制でチャイコフスキーの情報を西側で得ることは困難であり、美しいメロディーと豊かなスケールを歌い上げる演奏が主流だった。
しかし、N響との後期三大交響曲のライブ収録を行った時には、チャイコフスキーの悲劇的な最期が明らかになっており、当然ながら曲に込められたメッセージを暴くような演奏が主流となっていた。交響曲第6番「悲愴」では、第3楽章を終えて拍手が起こるも、それを無視してアタッカで第4楽章に突入するなど、表現を優先させている。

今回も当然ながら、この曲の深刻な面を掘り下げるような演奏が展開される。

ゆったりとしたテンポの憂いを込めたクラリネットソロによる「運命の主題」でスタート。クラリネットのソロが終わると更にテンポは落ちる。蠢くような木管と、冴え冴えとして潤いはあるが滲んだような色彩の弦が呻吟する。チャイコフスキーらしい美しさは保たれているが、金管の咆哮が立ちはだかる。デュトワはバランス感覚に優れているため、深刻な表現になっても暗すぎることはないが、それでも聴いていて苦しくなる演奏である。
デュトワの指揮は指揮棒を持った右手と同等かそれ以上に左手の表情が雄弁である。

第2楽章の冒頭も、灰色のような色彩であり、広がりはあるが、行方が定まらないような印象を受ける。
この楽章のハイライトであるホルンのソロ、首席のルーク・ベイカーが豊かで美観に溢れた演奏を行う。遠い日の回想の趣であり、今は手に入らない往年の輝きを愛おしむかのようである。その後も愛しい旋律が続くが、激情が押し寄せ(長調なのに痛切なのがチャイコフスキー作品の特徴である)流されていく。やがて運命の主題が立ちはだかる。

バレエ音楽にも繋がるようなワルツである第3楽章。小粋な旋律であり、演奏であるが、どことなく涙をためながら無理に伊達を気取っているようなところがある。基本的にチャイコフスキーは哀しみを隠さない人なので、自然に憂いの表情が可憐さの裏から現れる。諦めにも似た「運命の主題」。それを強引に振り払うようにして第4楽章へ。デュトワは、チャイコフスキーの後期三大交響曲では、第3楽章と第4楽章をいずれもアタッカで繋ぐという解釈を採用している。第3楽章と第4楽章で一繋がりと見なしているのだろう。
堂々と始まる第4楽章であるが、やはり気分は晴れない。21世紀に入ってから、第4楽章を明るく演奏する解釈は極端に減り、憂いを常に潜ませた演奏が主流となった。無理矢理気分を持ち上げようとしているところが逆に切なかったりする。往時は堂々と演奏した部分も懐旧の念がどうしても加わる。勝利はもはや過去のもので、今は思い返すだけである。それでも低弦の不気味な蠢きなどが表す過酷な運命と格闘し、取り敢えずの休止という形で擬似ラストを迎える。
ここから先は、堂々とした凱歌であり、主旋律は確かに運命の主題を長調にした凱歌なのだが、その他で鳴っている音は、どこか不吉であり、特に弦の荒れ狂い方は尋常ではなく、やはりまともな精神状態とは思えない。デュトワは糸車を撒くように左右の手を前で回転させる巧みな指揮棒捌き。九響は輝かしい音で応えるが、虚ろさを表現することも忘れない。
最後の一暴れが終わり、ティンパニが鳴り響く中、別れを告げるような「タタタタン」のベートーヴェンの運命主題が決然と奏でられる。ここを大袈裟にする人もいるが、デュトワとしては意識はもう向こうにあるという解釈なのか、あるいは最後の一撃なのできっぱりとということなのか、とにかく外連とは対極にある終え方であった。


デュトワの十八番の一つであるチャイコフスキーの演奏ということで、多くの聴衆が拍手と「ブラボー!」でデュトワと九響を讃える。
デュトワは各パートごとに奏者達を立たせる。ホルンやクラリネットといった活躍する楽器は特に一人ずつ立たせていた。
九響の団員が去った後も拍手は続き、デュトワはコンサートマスターの扇谷を伴ってステージ下手側に現れて、聴衆に応えていた。


京都市交響楽団の楽団員も演奏会終了後のお見送りを行うようになったが、九州交響楽団の楽団員のお見送りはもっと聴衆との距離が近く、常連客と親しげに話している楽団員も多い。

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2024年10月29日 (火)

これまでに観た映画より(348) ドキュメンタリー映画「拳と祈り-袴田巌の生涯-」

2024年10月28日 京都シネマにて

ドキュメンタリー映画「拳(けん)と祈り-袴田巌の生涯-」を観る。その名の通り、袴田事件の容疑者として死刑宣告が行われ、以後、47年7ヶ月を死刑囚として過ごした袴田巌さんの釈放後の姿と、袴田事件の概要を描いた作品。監督・撮影・編集は笠井千晶。

袴田事件は、1966年6月30日未明に、静岡県清水市(現・静岡市清水区)で起こった一家惨殺事件。味噌製造会社の専務一家のうち4人が刺殺され、全焼した民家から見つかった事件で、味噌製造会社に住み込みで働いていた当時30歳の袴田巌さんが容疑者として静岡県警清水警察署に逮捕されている。袴田巌さんは元プロボクサーで(タイトルの「拳と祈り」の拳はボクシングの意味である)、バーの経営者となったが成功せず、味噌製造会社の従業員となっていた。殺害された専務は柔道を得意とする巨漢であったが、「ボクサーなら殺害も可能」という偏見もあり、拷問を伴う激しい取り調べによる自白が証拠とされた。また、当初は袴田さんが着ていたパジャマに微量の血痕がついていたとされていたが、事件発生の1年2ヶ月後に血まみれの衣服5点が味噌樽の中から見つかる。袴田さんと同じB型の血液が付着しており、これが袴田さんのものとされ、証拠とされたのだが、実際に着て貰ったところ、ズボンが小さすぎて履けないなど、衣服が袴田さんのものでない可能性が高まった。
血液型がB型の者などいくらでもいる。
自白以外に証拠がないまま静岡地方裁判所での一審で死刑の判決が下り、袴田さんは無罪を主張し続けたが、控訴、上告共に棄却され、死刑が確定する。

当初から冤罪説は根強く、何度も再審請求がなされ、2014年に再審の決定と、袴田さんの死刑及び拘置の執行停止が行われ、袴田さんは釈放された。
釈放後、袴田さんは姉の秀子さんと共に静岡県浜松市で静かな生活を送るようになる。45年以上に渡って拘置所におり、一般人と接する機会がほぼなかった袴田さん。親しい人を作る機会は奪われ、コミュニケーション能力も十分に培うことは叶わなかった。友人らしき人はいない。
笠井監督は秀子さんと交流があり、この辺りから、袴田姉弟を中心とする人々の映像が撮られるようになる。袴田さんはひたすら歩くことを日々の課題とする生活を送っている。映画「フォレスト・ガンブ/一期一会」に、主人公のフォレスト・ガンブ(トム・ハンクス)がひたすら走り続ける生活を送る日々が描かれているが、それに近いものを感じる。
袴田さんは、「世界平和」などへの祈りを繰り返し語っていたりもする。

映画では、静岡県警による計48時間にも及び袴田さんへの取り調べ音声からの抜粋なども用いられている。

袴田さんは現在の浜松市生まれ。中学卒業後、昼間は工場で働いて夜はボクシングに励むという日々を送り、国体にも出場。その後、プロボクサーを目指し、川崎市内のボクシングジムに入ってトレーニングを行う。当時の袴田さんについて、ボクシング評論家の郡司信夫やボクシング雑誌の編集者らは、「とてもタフな選手」と評している。年間19試合出場は現在でも年間最多試合出場の記録となっている。プロボクサーとしてはまずまずの成績を収めるが、体調に問題が発生したため引退。結婚してバーを経営。子どもも出来るが、運営の才覚はなかったようでバーは1年で廃業。清水市内の味噌製造会社の従業員となり、ここで事件が起きている。

死刑が確定してからも証拠が余りに乏しく、冤罪の余地があったためか死刑は執行されず、この間、支援者による再審請求の輪が広がっていく。
2014年に証拠とされた衣服5点のDNA鑑定が行われ、これらが袴田さんのものである可能性が否定される。死刑と拘置の執行停止はこの鑑定結果が大きい。

しかし釈放されたとはいえ、無罪を勝ち取った訳ではなく、袴田さんもすでに高齢。再審を急ぐ必要があった。
実は静岡地方裁判所で行われた第一審でも、裁判官のうち2人は死刑の判決をしたが、1人は無罪との判断をしている。だが無罪の判断をした熊本典道裁判官は判決を覆すよう言われた上、死刑執行の決定書などを書かされている。熊本裁判官は、このことをずっと苦にしており、裁判官から弁護士に転身し、袴田さんの無罪を訴える運動に参加している。また袴田さんが獄中でカトリックに入信すると、自身もカトリックの洗礼を受けた。年老いた熊本氏の様子や、死が迫った熊本氏が入院する福岡市内の病院を袴田さんと秀子さんが訪ねる場面をカメラは捉えている。

カナダのトロントに住む、ルービン・カーターへの取材が行われる。かつてルービン・“ハリケーン”カーターの名でプロボクサーとして活躍したルービン・カーター。袴田事件の起こった1966年に殺人の容疑で逮捕され、終身刑の判決を受けたが、89年に証拠不十分で釈放されている。以後は冤罪救済活動団体を組織して活動。その半生がデンゼル・ワシントン主演による「ザ・ハリケーン」というタイトルの映画になったり、ボブ・ディランに「ハリケーン」という曲で歌われてもいるカーター。袴田さんの支援者がモデルケースとした人物でもある。同じ冤罪容疑の元プロボクサーという共通点のある袴田さんへのメッセージを語るカーターであるが、そのカーターも2014年に結果を知ることなく他界する。

その2014年に袴田事件の再審が決まったが、2018年に東京高裁は再審請求を棄却。ただし死刑と拘置の執行停止は保持される。弁護側は特別抗告を行った。
再審が始まるも、検察側は、執拗に「死刑」の求刑を求める。
そして今年の9月26日(ついこの間である)、袴田さんの無罪判決が下る。10月9日に検察側が上訴権の放棄を決定し、無罪が確定した。

お姉さんの秀子さんが明るい人で、それが救いにもなっている。孤独な僧侶のようにも見える袴田さん。事件がなかったらどんな人生を歩んでいたのだろうか。

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2024年10月27日 (日)

観劇感想精選(473) 京都芸術劇場プロデュース2024 松尾スズキ×つかこうへい 朗読劇「蒲田行進曲」

2024年10月20日 京都芸術劇場春秋座にて観劇

午後2時から、京都芸術劇場春秋座で、京都芸術劇場プロデュース2024 松尾スズキ×つかこうへい 朗読劇「蒲田行進曲」を観る。京都芸術大学舞台芸術学科の教授となった松尾スズキが若い俳優達と取り組むプロジェクトの一つである。
松尾スズキとつかこうへいは同じ九州人にして福岡県人ではあるもののイメージ的には遠いが、実際には松尾スズキは九州産業大学芸術学部在学中に、つかこうへいの「熱海殺人事件」を観て衝撃を受け、芝居を始めたというありがちなコースをたどっていることを無料パンフレットで明かしている。ただ、つかこうへいとは生涯、面識がなかったようだ。

作:つかこうへい。いくつか版があるが昭和57年4月25日初版発行の『戯曲 蒲田行進曲』を使用。演出:松尾スズキ。出演は、上川周作、笠松はる、少路勇介(しょうじ・ゆうすけ)、東野良平(ひがしの・りょうへい)、末松萌香、松浦輝海(まつうら・てるみ)、山川豹真(ひょうま。ギター)。


映画でもお馴染みの「蒲田行進曲」。蒲田行進曲と銘打ちながら、舞台は大田区蒲田ではなく京都。東映京都撮影所が主舞台となる。実は映画版の「蒲田行進曲」は松竹映画で、松竹映画でありながら東映京都撮影所で収録を行っているという変わった作品である。

末松萌香と松浦輝海がト書きを全て朗読するという形での上演。二人は、セリフの短い役(坂本龍馬や近藤勇など)のセリフも担当する。


上川周平による前説。「どうも、こんにちは。上川周平です。京都芸術大学映画俳優コース出身者として黒木華の次に売れています(格好をつける)。嘘です。土居(志央梨)さんの方が売れています。土居さんとは同級生です。今日は京都の山奥の劇場へようこそ。まだ外国人観光客に発見されていない日本人だけの場所。朗読劇なのに5500円。これは僕らかなり頑張らないといけません。演出の松尾(スズキ)さんは、役者がセリフを噛むとエアガンで撃ちます。まさに演劇界の真○よ○子」と冗談を交えて語る。

上川周平は、今年前期のNHK連続テレビ小説「虎に翼」で、主人公の猪爪寅子(伊藤沙莉)の実兄にして、寅子の女学校時代からの親友である花江(森田望智)の夫にして二児の父、日米戦争で戦死するという猪爪直道役を演じ、口癖の「俺には分かる」も話題になっている(「俺には分かる」と言いながら当たったことは一度もなかった)。


東映京都撮影所では、新選組を主人公にした映画が撮られている。まず坂本龍馬(松浦輝海)の大立ち回り。龍馬は土方歳三の恋人にも手を出そうとして、駆けつけた土方に止められる。土方役の銀四郎(銀ちゃん。少路勇介)の脇に控えているのが、銀ちゃんの大部屋時代の後輩である村岡安治(ヤス。上川周作)。銀ちゃんは大部屋からスターになり、土方歳三役という大役を演じているが、ヤスは大部屋俳優のままである。実はヤスも「当たり屋」という低予算映画に主演したことがあるのだが、大部屋の脇役俳優が主役になっても勝手が分からず、セリフが出てこなかったりと散々苦労した思い出がある。その後も、ヤスは銀ちゃんが取ってくるセリフもないような役をやったりと、弟分を続けていた。
銀ちゃんには、小夏という彼女(笠松はる)がいる。2年前まではそれなりの役を貰っていた女優だったのだが、2年のブランクがあって今は良い役にありつけない。小夏は30歳。今でこそ、30歳は女優盛りであるが、往年は「女優は二十代が華」の時代。30歳になるとヒロインは難しく、出来る役は限られてしまう。女優とは少し異なるが、「女子アナ30歳定年説」というものがつい最近まであった。今は30代でも40代でも既婚者でも子持ちでも人気の女子アナはいるが、ほんの少し前まではそうではなかったのである。30歳を機に、女優や女子アナを辞める人がいた。そう考えると時代はかなり変わってきている。

芸能界で、女優が30歳になることを初めて肯定的に捉えたのはおそらく浅野ゆう子で、彼女は「トランタン」というフランス語で30歳を意味する言葉を使ってイメージ改善に励んでいる。その後、藤原紀香が「早く30歳になりたかった」宣言をして30歳の誕生日をファンを集めて盛大に祝ったり、蒼井優が「生誕30年祭」と銘打っていくつかのイベントを行ったりと、女優陣もかなり努力している印象を受ける。

ただこれは、女優の限界30歳の時代の話。小夏は銀ちゃんの子を妊娠しているが、銀ちゃんは小夏をヤスと結婚させるという、酷い提案を行う。結局、小夏とヤスは籍を入れる。昭和の祇園女御である。映画版だとヤス(平田満が演じた)が小夏(松坂慶子)の大ファンだったという告白があるのだが、舞台版ではそれはないようだ。
ちなみに銀ちゃんは白川(おそらく北白川のこと。京都芸術劇場と京都芸術大学が北端にある場所で、京都屈指の高級住宅街)に住んでいるようで、すぐそばでの話ということになっている。小夏は銀ちゃんの5階建てのマンションを訪れ、合鍵を使って中に入り、銀ちゃんの部屋で泣く。


新選組の映画では、池田屋での階段落ちが名物になっているが、危険なので誰もやりたがらない。銀ちゃんはやる気でいるが止められる。警察がうるさいというのだが、銀ちゃんは、「東映は何のためにヤクザを飼ってるんだい」とタブーを言う(東映の任侠ものは本職に監修を頼んでいた。つまり撮影所に本職が何人もいたのである。誰か明言はしないがヤクザの娘が大女優であったりする)。
15年前の「新選組血風録」で階段落ちを行った若山という俳優は、その後、下半身不随になったという。
小夏のお産の費用を捻出するため、ヤスが階段落ちを申し出る(ちなみに階段落ちする志士のモデルは、龍馬の友人である土佐の本山七郎こと北添佶摩という説があり、彼が池田屋の階段を降りて様子を見に行ったというのがその根拠だが、それ自体誰の証言なのかはっきりしない上、階段落ち自体がフィクションの可能性も高いのでなんとも言えない)。
階段落ちの談義の場面では、ニーノ・ロータの「ロミオとジュリエット」のテーマ音楽が流れるが、何故なのかは不明。また京都が舞台なのに、マイ・ペースの「東京」が何度も流れるのも意図はよく分からない。

ヤスは、小夏を連れて故郷の熊本県人吉市に行き、親に小夏を合わせる。ちなみに小夏は茨城県水戸市出身の関東人である。歓迎される二人だったが、小夏の子の親がヤスでないことは見抜かれていた。

ヤスと小夏の結婚式に銀ちゃんが乱入(ダスティン・ホフマン主演の映画「卒業」のパロディーで、「サウンド・オブ・サイレン」が流れる)するというハプニングがあったりするが、ヤスの男を見せるための階段落ちへの決意は変わらず、その日を迎えるのだった。


つかこうへいの演劇の特徴は長台詞が勢いよく語られるところにあり、アクションを入れるのも確かに効果的なのだが、台詞だけでも聞かせられるだけの力があるため、松尾スズキも朗読劇というスタイルを採ったのだろう(役者が動き回るシーンは少しだけだが入れている)。見応えというより聞き応えになるが、確かにあったように思う。

「蒲田行進曲」に納得のいかなかった松竹の井上芳太郎は、「キネマの天地」という映画を制作している。中井貴一と有森也実の出世作であり、渥美清演じる喜八の最期がとても印象的な映画となっている。また、映画「キネマの天地」に脚本家の一人として参加した井上ひさしは戯曲「キネマの天地」を発表。私も観たことがあるが、趣が大きく異なって心理サスペンスとなっている。


今回使用された「蒲田行進曲」のテキストは、風間杜夫の銀ちゃん、平田満のヤスという映画版と同じキャストでの上演を念頭に改訂されたもので、二人の出会いが「早稲田大学の演劇科」であったりと、事実に沿った設定がなされているのが特徴でもある。

親分肌の銀ちゃんと、舎弟キャラのヤスの友情ともまた違った関係が興味深く、そこに落ち目の女優との恋愛話を絡めてくるのが巧みである。銀ちゃんに何も言えないヤスであるが、ラストに階段落ちを見せることで男気を示す。

ちなみに、映画版で私が一番好きなやり取りは、キャデラックの車内で銀ちゃんが、
「おい、俺にも運転させろ!」と言い、
「銀ちゃん、免許持ってないじゃない」との返しに(今と違って、危ないので俳優には運転免許を取らせないという方針の事務所が多かった)、
「ばっきゃろう!! キャデラックは免許いらねえんだよ!!」と啖呵を切るシーンで(啖呵を切ろうが免許がないと運転出来ないのだが)あるが、舞台なのでキャデラックのシーンがなく、当然ながらこのやり取りも入っていない。


実は、東京の小劇団による「蒲田行進曲」の上演を観たことがある。1994年のことで、場所は銀座小劇場という地下の劇場。東京灼熱エンジンというアマチュア劇団の上演であった。「週間テレビ番組」という雑誌の懸賞に母が応募して当たったのである。
東京灼熱エンジンは、階段落ちのシーンで照明を明滅させて、ヤスをスローモーションで見せるという工夫をしていたが、今回は小夏役の笠松はるが、箱馬を積み重ねたような木の箱をスティックで叩くという、音響的な演出がなされていた。ただ正直、音響だけでは弱いように思われる。


若い俳優達も熱演。演技力が特段高いということはないが、つかの演劇に要求されるのは巧さよりもパワー。力強さの感じられるしなやかな演技が展開される。ラストで、俳優陣が「蒲田行進曲」を歌う演出もあるが、今回は音楽が流れただけで歌うことはなかった。

カーテンコールには松尾スズキも姿を見せた。

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2024年10月26日 (土)

東京バレエ団創立60周年記念シリーズ10「ザ・カブキ」全2幕@高槻城公園芸術文化劇場 南館 トリシマホール

2024年10月18日 高槻城公園芸術文化劇場 南館 トリシマホールにて

午後6時30分から、高槻城公園芸術文化劇場 南館 トリシマホールで、東京バレエ団の創立60周年記念シリーズ10「ザ・カブキ」全2幕を観る。振付:モーリス・ベジャール、作曲:黛敏郎。
歌劇「金閣寺」、歌劇「古事記(KOJIKI)」など、舞台作品でも優れた音楽を残している黛敏郎(1929-1997)。バレエ作品としてはコンサートでもよく取り上げられる「BUGAKU(舞楽)」が有名だが、「ザ・カブキ」も上演時間2時間を超える大作として高く評価されている。1986年にモーリス・ベジャールを東京バレエ団に振付家として招くために委嘱されたバレエ作品で、歌舞伎の演目で最も有名な「仮名手本忠臣蔵」をバレエとして再現した作品である。ベジャールは歌劇「金閣寺」を聴いて感銘を受けていたことから黛敏郎に作曲を依頼。黛は、電子音楽や邦楽を入れるなど、自由なスタイルで作曲を行っている。なお、様々な音楽が取り入れられていて生演奏は困難であることから、初演時から音楽は録音されたものが流され、レコーディングでの指揮は作曲者の黛敏郎が担当した。
今回も音楽は録音されたものが流されたが、「特別録音によるもの」とのみ記載。ただ、初演時と同じものである可能性が高い。新しい劇場なのでスピーカーの音響は良い。


ファーストシーンは現代の東京。若者達が電子音に合わせて踊っていると、黒子が現れて、刀を一振り渡す。受け取った男は歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」の世界へと入っていく。

なお、この作品は、お軽と勘平が二組現れるのが特徴。一組は「仮名手本忠臣蔵」のおかると勘平で、もう一組は現代のおかると勘平である。


会場となっている高槻城公園芸術文化劇場 南館 トリシマホールは、2023年3月にオープンしたまだ新しい施設。元々は、近くに高槻市民会館という1964年竣工の文化施設が高槻現代劇場と名を変えて建っていたのだが、ここでお笑いの営業を行った笑い飯・哲夫に「えらく古い現代劇場」と言われるなど老朽化が目立っていた。そこで閉鎖して新たに南館を建設。1992年竣工の北館と合わせて高槻城公園芸術文化劇場となった。その名の通り、高槻城跡公園に隣接した場所にあり、かつては高槻城の城内に当たる土地にあるため周囲がそれらしく整備されおり、堀が掘られ、石垣が築かれてその上に狭間のある塀が立つなど、城郭風の趣を醸し出している。トリシマは、高槻市に本社を置く酉島製作所のネーミングライツである。

ホール内の形状についてであるが、一時は、コンサートホール風にサイドの席を平行にして向かい合うようなデザインが流行ったことがあったが、最近は視覚面を考慮してか、往年の公会堂のように、客席から見て「八」の形のようになる内部構造を持つホールがまた増えており、トリシマホールもその一つである。天上も余り高くなく、比較的こぢんまりとした空間だが、大都市のホールではないので、クラシック音楽にも対応出来るよう、風呂敷を広げすぎない設計なのは賢明である。小ホールやリハーサル室など多くの施設が同じ建物内に詰め込まれているため、ホワイエがやや狭めなのが難点で、クロークもあるのかどうか分からなかった。


話を作品内容に戻すと、「仮名手本忠臣蔵」の世界に彷徨い込んだ男は、大星由良助(大石内蔵助の「仮名手本忠臣蔵」での名前)として中心人物になる。松の廊下(時代が室町時代初期に置き換わっているので、江戸城ではなく室町幕府の鎌倉府の松の廊下である)で、浅野内匠頭長矩をモデルにした塩冶判官が、高家の吉良上野介義央をモデルとした高師直に斬りかかり、切腹を命じられる。鎌倉府内には丸に二引きの足利の紋がかかっていたが、切腹の際には、浅野の家紋である「違い鷹の羽」(日本で最も多い家紋でもある)の紋が描かれた衝立が現れる。
「いろは四十七文字」を書いた幕が下りてきて、47人の浪士達が討ち入ることが暗示される。

出演は、柄本弾(つかもと・だん。由良助)、中嶋智哉(なかしま・ともや。足利直義)、樋口祐輝(塩冶判官)、上野水香(ゲスト・プリンシパル。顔世御前)、山下湧吾(力弥)、鳥海創(塩冶判官)、岡崎隼也(おかざき・じゅんや。伴内)、池本祥真(勘平)、沖香菜子(おかる)、後藤健太朗(現代の勘平)、中沢恵理子(なかざわ・えりこ。現代のおかる)、岡﨑司(定九郎)、本岡直也(薬師寺)、星野司佐(ほしの・つかさ。石堂)、三雲友里加(遊女)、山田眞央(男性。与市兵衛)、伝田陽美(でんだ・あきみ。おかや)、政本絵美(お才)、山下湧吾(ヴァリエーション1)、生方隆之介(うぶかた・りゅうのすけ。ヴァリエーション2)。
四十七士ということで終盤では人海戦術も投入される。

「仮名手本忠臣蔵」は大長編なので、ハイライトのみの上演となる。昔、兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、一晩の上演で「仮名手本忠臣蔵」を全て見せるという実験的公演が渡辺徹の主演、加納幸和の演出で行われたことがあるが、それに近い。
松の廊下事件と塩冶判官の切腹を受けての城明け渡しと、浪士達の血判状の場面。山崎街道での定九郎による襲撃と定九郎のあっけない死(バレエなので、「…五十両」のセリフはなし。ただ元々ここは端役による繋ぎのシーンだったのだが、中村仲蔵が一人で名場面に変え、それがバレエ作品にも採用されているというのは興味深い)。おかると勘平の別れ。祇園・一力での女遊びと見せかけた欺き(大石内蔵助が遊んだのは実際には祇園ではなく、伏見の撞木町遊郭=現存せずである)。顔世御前と由良助の場。討ち入りの場と全員切腹である。

日本のバレエダンサー、特に男性ダンサーは白人に比べると体格面で圧倒的に不利であり、迫力が違うのだが、日本が舞台の作品で日本人ダンサーしか出ないということでさほど気にはならない。フィギュアスケートで、日本人の男性選手が金メダルを取るようになったことからも分かる通り、食生活の変化で日本人の体格も良くなっており、近い将来ではないかも知れないが、世界的な日本人男性バレエダンサーが今以上に活躍する日が来るかも知れない。女性ダンサーも体格面では劣るが、可憐さなど、それ以外の部分で勝負出来るので、男性と比較しても未来は明るいだろう。
いずれのダンサーも動きにキレがあり、十分な出来である。

演出面であるが、高師直の生首を素のままぶら下げてずっと歩いているというのが、西洋人的な発想である。日本では生首はすぐに布などで包むのが一般的である。
日本的な美意識を日章旗や太陽の影で表すのも直接的で、日本人の振付家ならやらないかも知れない。ただお国のために特攻までやってしまったり、「一億玉砕」を掲げる精神が浮き彫りにはなっている。
ラストに向かって人数が増えて盛り上がっていくところはあたかも視覚的な「ボレロ」のようであるし、一力での甲高い打楽器の音と低弦の不穏な響きなど、重層的な音響が用いられている。またショスタコーヴィチの交響曲第5番の冒頭がパロディー的に用いられるなど、全体的にロシアの作曲家を意識した音楽作りとなっている。黛敏郎は思想的には右翼だったが、左翼の芥川也寸志と親しくしており(坂本龍一とも親しく、高く評価していたため、思想と音楽性は別と考えていたようだ。指揮者に憧れを持っていた坂本龍一は、黛に「坂本君の指揮いいね」と生まれて初めて指揮を褒められて感激している)、ソ連の音楽の理解者であった芥川から受けた影響も大きいのかも知れない。

後年は、「題名のない音楽会」の司会業や政治活動などにのめり込んで、作曲を余りしなくなってしまった黛敏郎。岩城宏之や武満徹から「黛さん、作曲して下さいよ」と度々言われていたという。そのため、作曲家としてのイメージが遠ざかってしまったきらいがあるが、実力者であったことは間違いなく、作品の上演が増えて欲しい作曲家である。

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2024年10月25日 (金)

明治大学博物館「虎に翼」展に行ってきました

今年の4月から9月にかけて放送されたNHK連続テレビ小説「虎に翼」(NHK東京放送局=AK制作)の展覧会が、主人公の猪爪寅子(佐田寅子。伊藤沙莉)の母校、明律大学のモデルである明治大学博物館の特別展示室で行われています。アカデミーコモンの地下1階です。

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明治大学のゆるキャラである、めいじろうも法服姿でお出迎え。

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伊藤沙莉さんのアップ写真、目立ってます。

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猪爪はる(石田ゆり子)と桂場等一郎(松山ケンイチ)がエントランスで出迎えます。

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この左横のモニターに、伊藤沙莉さんが「虎に翼」展のためだけに撮ったメッセージが映っているのですが撮影不可。

また伊藤沙莉座長が、「虎に翼」チームのために発注したTシャツとトートバッグもあるのですが、こちらも撮影禁止です。


寅子と優未(毎田暖乃)が親子二代に渡って着た黄色いワンピース。

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寅子は花岡悟(岩田剛典)にアピールしたくて、はるや花江(森田望智)の手を借りて手作りしたのですが、思いが花岡に届くことはありませんでした。ただ花岡だけはワンピースを褒めてくれました。

高等試験司法科試験合格証書

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寅子は日本人初の女性弁護士の一人となりました(女性はまだ裁判官になることは出来ない)。しかし、先駆者の苦悩が待ち受けています。

寅子の父親、猪爪直言(岡部たかし)が愛娘の記事を集めていたスクラップブック。寅子が高等試験司法科(現在の司法試験に相当)に合格した時には、戦前ですので右から左に「でかした」と記しました。

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はるが寅子に買い与えた六法全書。寅子にとっての初の翼となりました。はるさんが定義した「地獄」は、「頭の良い女が頭の良い女のまま生きること」。「男と競争して女が女として生きること」。「道なき道を行くこと」。米津玄師の主題歌「さよーならまたいつか!」の歌詞に、「人が宣う地獄の先に私は春を見る」とあるため、地獄とは誰かが宣った、つまり定義している訳ですが、最初に定義を行っているのは、はるさんです。

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司法修習を終えて、晴れて弁護士となった寅子でしたが、若い独身の女性弁護士ということで依頼人からの信頼が得られず、全く仕事がありません。信用を得るために結婚を考える寅子。

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打算で猪爪家の元書生であった佐田優三(仲野太賀)と結婚した寅子でしたが、多摩川の河原で一緒に焼き鳥を食べながら話しているうちに瞬く間に恋に落ちます。しかし優三も出征。子を宿した寅子は、「自分がなんとかしないと女性法曹の道が絶たれる」と焦ります。穂高先生(小林薫)に相談しますが、穂高先生は自分の考えで物事をどんどん推し進めていくタイプでこれは失敗。穂高先生が「犠牲」と失言をしたため裏切られた気持ちになります。よね(土居志央梨)に相談しなかったことで彼女からの信頼も失い、結局、降参。失職します。

失意の日々の中で、たまたま買った優三との思い出の品、焼き鳥を包んでいた新聞紙に日本国憲法の全文を発見した寅子。それはあたかも優三からのプレゼント。声を出して泣く寅子。新生、寅子の産声です。

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甥の直治(今井悠貴)のサックス。サックスは管楽器の中では歴史が浅いということもあって音が出しやすく、指使いもリコーダーと一緒で吹きやすい楽器ではあります。ジャズでは花形で、服部良一は「サックスが吹ける」というだけで大阪では引っ張りだこでした。直治が音楽好きになったきっかけは、寅子にコンサートに連れて行ってもらったことですが、何のコンサートなのかは描かれていません。「愛のコンサート」は、猪爪家ではラジオで聴いていましたので、「愛のコンサート」でないのは確かです。服部良一は、父親に「音楽乞食なんて辞めて魚屋を継げ」と言われたそうですが、音楽家の身分が相当低い時代でもありました。

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寅子と優三のパネル。初々しい学生時代の姿。この頃は可愛らしかった伊藤沙莉さんですが、どんどん美人になっていって、「何が起きてるの?」と不思議に思いました。


伊藤沙莉さんのサイン。着物の柄もあって読み取りにくいです。

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こちらは仲野太賀さんのサイン。読み取りやすいです。

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俺たちの轟グッズ

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轟太一役の戸塚純貴さんは、三谷幸喜脚本・監督の映画「スオミの話をしよう」にも重要な役で出ていました。

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山田よねの衣装。出番は多いのに、最後まで謎の多い役でした。ただ男でも女でもなく山田よねとして生きてくれたのは嬉しく思います。

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法服。中田正子さんのものです。


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こちらは現代の法服(男性用)。黒一色なのでピントが合わせにくいです。


花岡悟(岩田剛典)。岩田さんは名古屋の人で、今回は名古屋でのロケも多かったため、故郷に錦を飾れたんじゃないでしょうか。

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明治大学専門部女子部設立の趣旨。明治大学は進取の気質に富む大学で、共学の私立大学として初めて女子教育に力を入れたほか、私立大学初の商学部の設置、日本初の経営学部の創設などを行っています。
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番組台本 作・吉田恵里香

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「虎に翼」収録の前に、法律を学ぶ役の6人の女優が明治大学で特別講義を4コマ受けたという話は伊藤沙莉が何度もしているが(法律を学ばない花江役の森田望智もなぜかついてきたらしい。森田望智は大卒だが、明治大学ではなかったはずで、他の大学の雰囲気を味わいたかったのかも知れない)、こぼれ話が紹介されている。

伊藤沙莉は、ネットラジオなどを聴くと、大変頭の回転が速い人であることが分かるのだが、小難しい話は余り得意ではないようで、最初の授業は最前列で聴いていたが、2コマ目、3コマ目と授業が進むごとにどんどん後ろの席に下がっていったそうで、先生達も苦笑していたという。

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コンサートの記(864) デイヴィッド・レイランド指揮 京都市交響楽団第694回定期演奏会 フライデー・ナイト・スペシャル

2024年10月11日 京都コンサートホールにて

午後7時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第694回定期演奏会 フライデー・ナイト・スペシャルを聴く。指揮は、デイヴィッド・レイランド。京響には2度目の登場である。

休憩時間なし、上演時間約1時間のフライデー・ナイト・スペシャル。今回は、アンドリュー・フォン・オーエンのピアノソロ演奏の後に京響が登場。京響は1曲勝負である。


曲目は、アンドリュー・フォン・オーエンのピアノソロで、ラフマニノフの前奏曲作品23から、第4番ニ長調、第2番変ロ長調、第6番変ホ長調、第5番ト短調。デイヴィッド・レイランド指揮京都市交響楽団の演奏で、ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」(ラヴェル編曲)。


アンドリュー・フォン・オーエンは、ドイツとオランダにルーツを持つアメリカのピアニスト。5歳でピアノを始め、10歳でオーケストラと共演という神童系である。名門コロンビア大学に学び、ジュリアード音楽院でピアノを修めた。アルフレッド・ブレンデルやレオン・フライシャーからも薫陶を受けている。1999年にギルモア・ヤング・アーティスト賞を受賞。レニ・フェ・ブランド財団ナショナル・ピアノ・コンペティションで第1位を獲得。アメリカとフランスの二重国籍で、ロサンゼルスとパリを拠点としている。

午後7時頃からのデイヴィッド・レイランドによるプレトーク(通訳:小松みゆき)でも、オーエンが、ロサンゼルスとパリを拠点とするピアニストであることが紹介されている。
プレトークでは他に作品の解説。共にロシアの作品で、ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」はラヴェルの編曲なのでフランスの要素も入ってくるということを語る。組曲「展覧会の絵」は、ムソルグスキーが、若くして亡くなった友人のヴィクトル・ハルトマン(ガルトマン)の遺作の展覧会を見て回るという趣向の作品だが、ハルトマンの絵は今では見られなくなってしまったものが多いと語る(いくつかは分かっていて、ずっと前にNHKで特集が組まれたことがあった。その際、「ビィドロ」は牛が引く荷車ではなく、「虐げられた人々」という意味でつけられたことが判明していたりする)。最後の曲は「キエフの大門」(今回は、「キエフ(キーウ)の大門」という併記表現になっている)で、これは今演奏することに意味があるとレイランドは語る。キエフ(キーウ)は、現在、ロシアと交戦中のウクライナの首都。更に、レイランドは知らないかも知れないが、京都市の姉妹都市である。ロシアはそもそもキエフ公国から始まっており、ロシアにとっても特別な場所だ。「キエフ(キーウ)の大門」の絵は現物が残っている。その名の通り、キエフに建てられる予定だった大門のデザインのコンペティションに応募した時の作品なのだが、不採用となっている。

アンドリュー・フォン・オーエンのピアノは、音がクリアで、構築もしっかりしている。全曲ラフマニノフを並べていることからメカニックに自信があることが分かるが、難曲のラフマニノフを軽々と弾いていく感じだ。

第4番のロマンティシズム、第2番のスケールの豊かさ、第6番のリリシズム、第5番のリズム感といかにもラフマニノフらしい甘い旋律などを的確に表現していく。ロシアものにかなり合っているし、おそらくフランスものを弾いても出来は良いだろう。

アンコール演奏は、ラフマニノフの前奏曲作品32-12 嬰ト短調であった。これも好演。


デイヴィッド・レイランド指揮京都市交響楽団によるムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」(ラヴェル編曲)。ピアノをはけさせるなど舞台転換があるため、まず管楽器や打楽器の奏者が登場し、最後に弦楽器の奏者が現れる。通常は一斉に登場して客席からの拍手を受けるのだが、今日は拍手をするタイミングはなかった。

デイヴィッド・レイランドは、ベルギー出身。ブリュッセル音楽院、パリのエコール・ノルマル音楽院、ザルツブルク・モーツァルティウム大学で学び、ピエール・ブーレーズ、デイヴィッド・ジンマン、ベルナルト・ハイティンク、ヨルマ・パヌラ、マリス・ヤンソンスに師事。イギリスの古楽器オーケストラであるエイジ・オブ・エンライトメント管弦楽団の副指揮者として、サー・マーク・エルダー、ウラディーミル・ユロフスキ、サー・ロジャー・ノリントン、サー・サイモン・ラトルと活動している。ウラディーミル・ユロフスキだけはイギリス人ではなくロシア出身のドイツ国籍の指揮者だが、長年に渡ってロンドン・フィルの指揮者を務めており、名誉イギリス人的存在である。
ルクセンブルク室内管弦楽団の音楽監督を経て、現在はフランス国立メス管弦楽団(旧フランス国立ロレーヌ管弦楽団)と韓国国立交響楽団の音楽監督を務めるほか、スイスのローザンヌ・シンフォニエッタ首席客演指揮者としても活動している。

今日のコンサートマスターは、京響特別客演コンサートマスターの会田莉凡(りぼん)。フォアシュピーラーに泉原隆志。ドイツ式の現代配置での演奏。ヴィオラの客演首席に東条慧(とうじょう・けい。女性)が入る。サクソフォンの客演は崔勝貴(さい・しょうき)。
ハープの客演は朝川朋之。朝川は以前にも京響に客演していたが、日本では男性のハーピストは比較的珍しい。ヨーロッパではそもそも女性が楽団員になれないオーケストラも多かったので、男性ハーピストは普通である。今は指揮者として活躍している元NHK交響楽団の茂木大輔氏が、エッセイで、「ハープは女性には運搬が大変なので、男性にやらせたらどうか」という内容を書いており、その後なぜかハープ演奏がヤクザのしのぎの話になって、「ハープの演奏をする」が「しばいてくる」になったりしていた。
トランペットは首席のハラルド・ナエス、副首席の稲垣路子が揃い、曲はナエスの輝かしいトランペットソロで始まる。
京響は音に艶と輝きがあり、音のグラデーションが絶妙な変化を見せる。まさに虹色のオーケストラである。京響も本当に魅力的なオーケストラになった。

レイランドの指揮は簡潔にして明瞭。指揮の動きに合わせれば演奏出来る安心感があり、オーケストラの捌き方も抜群。どちらかというと音の美しさで聴かせるタイプで、ムソルグスキーというよりラヴェル寄りであるが、十二分に満足出来る水準に達していた。

演奏終了後、京響の楽団員はレイランドに敬意を表して立たず、レイランドはコンサートマスターの会田莉凡の手を取って立たせて、全楽団員にも立つよう命じていた。

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2024年10月22日 (火)

観劇感想精選(472) シス・カンパニー公演 日本文学シアター Vol.7 [織田作之助] 「夫婦パラダイス~街の灯はそこに~」

2024年9月26日 大阪の森ノ宮ピロティホールにて観劇

午後2時から、大阪の森ノ宮ピロティホールで、シス・カンパニー公演 日本文学シアターVol.7[織田作之助] 「夫婦(めおと)パラダイス ~街の灯はそこに~」を観る。作:北村想、演出:寺十吾(じつなし・さとる)。出演:尾上松也、瀧内公美、高田聖子(たかだ・しょうこ)、福地桃子、鈴木浩介、段田安則。なかなか魅力的な俳優が揃っているのだが、大阪公演は平日のマチネーのみでもったいない。ちなみにナレーターは劇中では明かされなかったが、上演終了後に「高橋克実でした」と正体が明かされた。

一応、織田作之助の『夫婦善哉』を題材にしているのだが、内容は全くといっていいほど重なっていない。有名な折檻のシーンなどもない。川島雄三の映画「洲崎パラダイス 赤信号」の要素も入れているようである。

名古屋を代表する演劇人である北村想。滋賀県大津市の出身であるが、滋賀県立石山高校卒業後は進学しなかったものの、友人がいた名古屋の中京大学の演劇サークルなどに加わり、演劇活動を始めている。鬱病持ちであるため、活動に波のある人でもある。

名古屋の演劇界は、北村想と天野天街が二枚看板だったのだが、天野天街は今年死去。名古屋の大物演劇人は北村想だけとなった。
そんな北村さんであるが、ホワイエにいて、自身の戯曲を買ってくれた人にその場でサインを入れている。戯曲は他の場所で買うよりも安めの価格設定だったので、私も買って北村さんにサインして貰った。買うと同時にサインしてくれるシステムである。呼び込みのおじさんは、「1500円で戯曲を買うと北村先生のサインが貰えます」と呼びかけていたのだが、何度も同じ言葉を繰り返していたためか、途中、「1500円でサインが貰えます」と間違えて言ってしまい、自身でも周囲の人々も笑っていた。


実のところ、天野天街の演劇は触れる機会が比較的多かったが、北村想の演劇は思ったよりも接していない。「寿歌(ほぎうた)」、「十一人の少年」などいくつかに限られ、いずれも北村さん本人は関与していない上演である。北村さんの本は読んでいるし、私は参加はしなかったが、北村さんは伊丹AIホールで、「想流私塾」という戯曲講座を行っており、また出身が滋賀県ということで関西にゆかりのある人だけに自分でも意外である。北村想が原作を手掛けた映画「K-20 怪人二十面相・伝」(出演:金城武、松たか子ほか)などは観ている。

時代物であるが、現代が鏡に映った像のように反映され、鋭い指摘がなされている。


今回の舞台は大阪の東部にある河内地方である。大阪市は北摂地方に当たるため、直接的な舞台ではないが、同じ大阪府内ということでご当地ものと言って良いだろう(大阪市の人は言葉の荒い河内の人と一緒にされるのを嫌がるようだが)。

お蝶(蝶子。瀧内公美)が、欄干にもたれて、鞄の中から色々と取りだしている場面で芝居は始まる。滋賀県野洲(やす)市の出身である是野洲柳吉(これやす・りゅうきち。尾上松也)が下手の客席入り口から登場。客席通路を通って舞台に上がる。
お蝶は元コンパニオンガール。年を取ったので、今はその仕事は出来ない。一時期は三味線芸者をしていたこともある。柳吉は商人の息子であるが放蕩が過ぎたため勘当され、今では浄瑠璃パンク・ロックという特殊なジャンルの芸人をしているが、ほとんど相手にされていない。
金がなくなった二人は、蝶子の腹違いの姉である信子(高田聖子)が営む居酒屋「河童」に転がり込んだ。川を挟んで向かいには公営カジノ「パラダイス」の看板が浮かんでいる。
「河童」のなじみ客に馬淵牛太郎(段田安則)という社長がいる。牛太郎は「パラダイス」でも遊んでいるようだ。
信子には藤吉(鈴木浩介)という亭主がいたのだが、藤吉はある日、「煙草を買いに行ってくる」と言ったきり帰ってこなかった。

なお、福地桃子演じる静子は、出前持ちの女性として登場する。彼女は夢と現実の間で翻弄されることになる。

信子は神棚に胡瓜を供えていた。やがて、居酒屋「河童」に河童が訪れる。藤吉だった。
藤吉は、エクセルが出来るのを見込まれて経理の仕事を始めていたのだった。

江戸川乱歩の「屋根裏の散歩者」、田端義夫の「十九の春」(尾上松也が客席に、「田端義夫を知ってます? 知っている人は結構なお年の人」と振っていた)など、文学や音楽の要素がちりばめられており、照明の転換の仕方などは天野天街の作品に似ていて、名古屋のローカル色が感じられる。歌舞伎の影響を受けて、だんまりの場面があるなど、多ジャンルを横断する形で描かれているのも特徴。フィクションや物語の力も肯定されている。

物質の瞬間移動も用いられている。役者が手にしたものをすっと引っ込めると同時に、別の役者が、同じ種類のものを袖などから引き出して、物体が瞬間移動したように見える技である。これは実は私もやったことがある。私の役目は投げられた振りをした鼓を、投げた俳優の背後で受け取り、体の影に隠すというもので、その間に、向こう側では隠し持っていた鼓を出して、あたかも受け取ったかのように見せかけていた。

また、アドリブが多く、特に尾上松也は段田安則によく突っ込んでいた。

「リバーシブルオーケストラ」、「Amazon」のCM、NHK大河ドラマ「光る君へ」の源明子役で注目を集めている瀧内公美。独特の色気のある女優さんだが、今日はそのスタイルの良さが特に目立っていた。

ベテランの段田安則、実力派の鈴木浩介、関西出身レジェンドの高田聖子らが、楽しみながらの演技を披露し、東京や大阪のそれとは異なる独自のエンターテインメントとして上質の仕上がりとなっていた。

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2024年10月21日 (月)

コンサートの記(863) 安達真理(ヴィオラ)&江崎萌子(ピアノ) 「月の引用」@カフェ・モンタージュ

2024年10月4日 京都市中京区 柳馬場通夷川東入ルのカフェ・モンタージュにて

午後8時から、柳馬場(やなぎのばんば)通夷川(えびすがわ)東入ルにあるカフェ・モンタージュで、ヴィオラの安達真理とピアノの江崎萌子によるコンサート「月の引用」を聴く。

曲目は、ブラームスのヴィオラ・ソナタ第1番とショスタコーヴィチのヴィオラ・ソナタ。ブラームスのヴィオラ・ソナタ第1番は、ブラームス最後の室内楽曲。ショスタコーヴィチのヴィオラ・ソナタは、ショスタコーヴィチの最後の作品で、死の5日前に完成している。


人気ヴィオリストの安達真理。関西で実演に接する機会も多い。国内ではソリストや室内楽での活動が多かったが、2021年に日本フィルハーモニー交響楽団の客演首席ヴィオラ奏者に就任している。
桐朋学園大学、ウィーン国立音楽大学室内楽科、ローザンヌ高等音楽院ソリスト修士課程を修了。若手奏者との共演の他、坂本龍一との共演経験もあり、6月に行われた日本フィルの坂本龍一追悼演奏会でも客演首席ヴィオラ奏者として乗り番であった。指揮者のパーヴォ・ヤルヴィとはエストニア・フェスティバル管弦楽団のメンバーとして、ヨーロッパ各地で共演を重ねている。コロナの時期にはインスタライブなども行っていて、私も見たことがあるのだが、かなり性格が良さそうで、彼女のことを嫌いという人は余りいないのではないだろか。笑顔がとてもチャーミングな人である。
ロングヘアがトレードマークであるが、今日はポニーテールで登場した。

ピアノの江崎萌子は、東京出身。桐朋女子高校音楽科を首席で卒業後、パリのスコラ・カントルム(エリック・サティが年を取ってから入学し、優秀な成績で卒業したことでも知られる音楽院である)とパリ国立高等音楽院修士課程に学び、ライプツィッヒ・メンデルスゾーン音楽大学演奏家課程で国家演奏家資格を取得している(日本と違って資格がないとプロの演奏家として活動出来ない)。ヴェローナ国際コンクールで2位獲得、東京ピアノコンクールでも2位に入っている。


ブラームスのヴィオラ・ソナタ第1番。カフェ・モンタージュは空間が小さいので音がダイレクトに届く。ブラームスらしい仄暗い憂いの中に渋さと甘さの感じられる曲だが、憧れを求める第2楽章、そして第3楽章などは清澄な趣で、穏やかな魂の流れのようなものが感じられる。
間近で聴いているので迫力が感じられ、二人のしなやかな音楽性も伝わってくる。

演奏終了後に安達真理のトーク。マイクがないので、地声で話す。空間が小さいので十分に聞こえる。ショスタコーヴィチのヴィオラ・ソナタが彼の最後の作品であり、もう右手が使えず左で記譜したこと、死の直前まで奥さんにチェーホフの小説「グーセフ」を読み聞かせて貰っていたことなどを話す。
今回のタイトルは、「月の引用」であるが、ショスタコーヴィチはヴィオラ・ソナタの第3楽章でベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番「月光」第1楽章の旋律を引用しており、そこからタイトルがつけられたことを明かす。第1楽章には「ノベル(小説)」、第2楽章には「スケルツォ」、第3楽章には「偉大な作曲家の思い出に」という副題が付いていたようだ。

休憩後に演奏開始。ヴィオラはピッチカートで始まる。深遠さと諧謔の精神を合わせ持ついつものショスタコーヴィチであるが、背後に何か得体の知れないものが感じられる。
第2楽章は、流麗な舞曲風の曲調。再びピッチカートの歩みが始まり、悲歌のようなものが歌い上げられて、再びピッチカートが姿を現す。

第3楽章には、「月光」ソナタからの引用と共に、自身の交響曲全15曲からの引用がさりげなくちりばめられてるのだが、それが発見されたのは、作曲者が亡くなってから大分経ってからであった。それほど巧妙に隠されていたということになる。ベートーヴェンをカモフラージュにして意識をそちらに向かわせるよう仕向けたのであろう。
「月光」からの引用はまずピアノに現れ、すぐにヴィオラが歌い交わす。
次第にピアノが叩きつけるような音に変わり、その上をヴィオラの月光の旋律が滑る。
ベートーヴェンの「月光」は、「神の歩み」「十字架」「ゴルゴダの丘」などを描写しているという説があるが、ショスタコーヴィチがそうしたことを知っていたのかどうかは不明である。

二人ともショスタコーヴィチの鋭さの中に優しさを含ませたかのような演奏。


アンコール演奏は1曲。聴いたことのない曲だったが、安達真理は、「なんの曲かは私のXをご覧下さい」と告げていた。確認すると、平野一郎の「あまねうた」という曲だったようだ。

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2024年10月20日 (日)

コンサートの記(862) ザ・フェニックスホール アンサンブル・ア・ラ・カルト67「ジャパニーズ・ミニマル・ミュージック~オール・久石譲・プログラム~」

2024年10月12日 大阪・曾根崎のあいおいニッセイ同和損保 ザ・フェニックスホールにて

午後3時から、大阪・曾根崎の、あいおいニッセイ同和損保 ザ・フェニックスホールで、アンサンブル・ア・ラ・カルト67「ジャパニーズ・ミニマル・ミュージック~オール・久石譲・プログラム~」という公演を聴く。
演奏は、いつもの面々。

じゃ、分からないか。
中川賢一(ピアノ/音楽監督)、石上真由子(いしがみ・まゆこ。ヴァイオリン)、森岡聡(ヴァイオリン)、安達真理(ヴィオラ)、鈴木皓矢(こうや。チェロ)、長谷川順子(コントラバス)、大石将紀(まさのり。サクソフォン各種)、井上ハルカ(サクソフォン各種)、畑中明香(あすか。パーカッション各種)、宮本妥子(やすこ。パーカッション各種)。
しかし、どう見ても「いつもの面々」である。

タイトル通り、オール・久石譲・プログラム。
第1部が、「Shaking Anxiety and Dreamy Global-揺れ動く不安と夢の球体-」2台のマリンバのための、
アルバム「フェルメール&エッシャー」より、「Muse-um」(for piano)、「Circus」(for piano trio)、「Virtical lateral thinking」(for piano torio)、「Sense of the light」(for piano quintet)、「Encounter」(for piano quintet)。

第2部が、アルバム「ヴィオリストを撃て」より。ヴィオラ・ジョークですね(違う)。
「794BDH」、「KIDS RETURN」、「MKWAJU」、「LEMOLE」、「TIRA-RIN」、「DA・MA・SHI・絵」、「Summer」


まず「Shaking Anxiety and Dreamy Global-揺れ動く不安と夢の球体-」2台のマリンバのための。
畑中明香が上手側の、宮本妥子が下手側のマリンバを演奏する。不思議な浮遊感のある音楽である。

久石譲に関しては説明不要とも思えるが、クインシー・ジョーンズから芸名を取った音楽家で、本名は藤澤守。1950年生まれ。幼い頃から音楽に親しみ、作曲を島岡譲(ゆずる)に師事。国立(くにたち)音楽大学作曲科でも島岡に学び、現代音楽に衝撃を受け、新しい音楽を志すようになる。当時は前衛的な音楽を作っていたが、聴きに来るのは身内ばかり。この頃、ミニマル・ミュージックを知り、傾倒する。その後、ポピュラーミュージックへと転向し、スタジオジブリの映画音楽を手掛けたことで一気に知名度が上がる。ただこの「ジブリ映画の久石譲」はあくまで仮の姿である。北野武監督作品の映画音楽の作曲家としても知られるようになった。指揮者で元NHK交響楽団オーボエ奏者、エッセイストとしても知られる茂木大輔の義兄弟でもある(奥さん同士が姉妹)。
最近は指揮活動に力を入れており、大阪の日本センチュリー交響楽団の首席客演指揮者に就任。更に来年には音楽監督に昇格する予定である。久石の指揮については余りよく知らず、独学なのかと思っていたが、仕事の合間を縫って秋山和慶に師事していたようである。「齋藤メソッド」の正統的な継承者である秋山さんなら間違いないだろう。
ミニマル・ミュージックの作曲家、久石譲が彼の本当の姿である。

アルバム「フェルメール&エッシャー」より。「Muse-um」。中川賢一のピアノ独奏。偶然かどうかは分からないが、琉球音階のような進行をする。

中川賢一、石上真由子、鈴木皓矢による「Circus」と「Vertical lateral thinking」。ミニマル・ミュージックというと、マイケル・ナイマンといい、スティーヴ・ライヒといい、フィリップ・グラスといい、乾いた響きのする作曲家が多いが(ナイマンは「ピアノ・レッスン」を機にロマンティックな作風へと方向転換)、日本の作曲家によるミニマル・ミュージックはウエットなものが多く、久石の音楽も同傾向である。

中川賢一、石上真由子、森岡聡、安達真理、鈴木皓矢による「Sense of light」と「Encounter」。この間、京都のカフェ・モンタージュで聴いたばかりの安達真理。今日もポニーテールでの演奏である。
腕が立つ人ばかりであるため、迫力のある演奏が展開される。私の席からは安達真理さんのチャーミングな笑顔がよく見えてとっても(以下の文章は検閲により削除されました)


ちなみに今日は客席に明らかに音楽関係者と思われる人が多い。現代音楽に強い演奏家ばかりが集っているが、案外、空席も目立つ。久石譲とはいえ、やはり現代音楽アレルギーのある人は多いのだろうか。


第2部。PAを使った10人編成での演奏である(全員参加)。
中川賢一が客席に背を向けて中央に座り、弾き振りのスタイルで演奏(実際には振る場面はほとんどない)。総譜を使ってピアノを弾き、時折、指示を出す。
石上真由子がコンサートミストレス。弦楽器は下手側にピアノを囲むように並び、その背後(下手側)にサキソフォンの二人が来る。舞台上手側にはパーカッションの二人が陣取る。
中川は譜めくり人を使っての演奏。
石上真由子、森岡聡、大石将紀はタブレット譜を使っての演奏。安達真理とパーカッションの二人は紙の楽譜。その他の人は座席の関係で何を使っているのかは確認出来ず。

北野武監督作品の映画音楽の中でも人気の高い「KIDS RETURN」と「Summer」(「菊次郎の夏」より。CM楽曲としても使用された)はやはり親しみやすい。切れ味の鋭い演奏である。

「KIDS RETURN」の、「俺たちもう終わっちゃったのかな?」「馬鹿野郎! まだ始まっちゃいねえよ!」は映画の幕切れのセリフとしてかなり有名なものである。
ただ北野武は、「良い曲なのに、少年犯罪の時に使われてばかりで困る」とも語っている。
オリジナルは声が入っているのだが、その部分は演奏されなかった。
「KIDS RETURN」は、当初は別のストーリーだったのだが、安藤政信のボクシングの上達が金子賢より早かったため、内容が変わっている。自転車での二人乗りのシーンは、淀川長治が、「詩だ」と絶賛した。

その他の曲であるが、変拍子、突然の転調、ポリリズム、音型の変化、出だしの意図的なずらしなど、現代音楽の要素がたっぷり詰まったものである。いずれもとても楽しい音楽だ。楽器の音の受け渡しなど、視覚的にも面白い。
乗れる音楽なのだが、日本のコンサートは体を動かして聴くのは厳禁なんですね。ということで、指先だけでリズムを取ったりしていた。


アンコール演奏は、「KIDS RETURN」をリターン。やはりこの曲は良い。

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2024年10月19日 (土)

スペシャルコント「志村けん in 探偵佐平60歳」

スペシャルコント「志村けん in 探偵佐平60歳」を視聴。志村けんが作った約60分のコントドラマ。原作:樋口有介『木野塚探偵事務所だ』。脚本:内村宏幸、平松雅俊、戸田幸宏、志村康徳(しむらけんの本名)。演出:吉田照幸。NHKエンタープライズの制作。2018年の正月に放送されたものだが、翌々年、新型コロナにより志村けんは他界。ドラマ形式による作品としては最後の出演作となった。

出演:志村けん、伊藤沙莉、高橋恵子、岸本加世子、平泉成、津田寛治、堀内敬子、堀部圭亮、野間口徹、大悟(千鳥)、井出卓也、広岡由里子、中上サツキ、大津尋美ほか。志村けん主演のためかNHKとはいえ、コントドラマにしては実力派の俳優が揃っている。

警視庁を定年退職した木野塚佐平は、ハードボイルドな私立探偵となることを決意する。とはいっても、警視庁に定年まで勤めたとはいえ会計係、それもパソコンも満足に使えない窓際。ということで無理があるのだが、それでも新宿・歌舞伎町に事務所を借り、強引にスタート。まずは美人秘書を募集するのだが、希望するバスト86㎝以上(後に82㎝以上に訂正)のグラマラスな若い美女で、60を過ぎたおっさんの助手になろうという物好きはいない。そんな折、事務所内を飾る植物を運んできた梅谷桃世(伊藤沙莉)という大学生の女の子が現れる。アルバイトをしていた会社の社長が失踪して倒産したという桃世。出会ったばかりなのに佐平とタメ口で話すなど、口や態度はやや悪いものの、頭脳明晰で推理力と洞察力に長けるなど探偵としての資質は十二分。後に武闘面でも力を発揮と大変優秀な右腕となる。というより、事件はほぼ彼女任せとなる。高難度の演技もこなす伊藤沙莉だが、今回のような自然体で等身大の女の子を演じてもリアリティがあり、作品に溶け込んでいる。どこまでが桃世でどこからが伊藤沙莉なのか分からなくなるほどである。ボケとツッコミを交互にやったり、頭をはたかれたり、はたき返したりとコント的な演技も多いのだが、日本では数少ない天性のコメディエンヌとしての資質がここで生きている。今思うとだが、コメディの資質が志村けんから伊藤沙莉にバトンタッチされた瞬間に立ち会ったような趣すら感じる。なお、伊藤沙莉の上の世代の天性のコメディエンヌの一人に、「トリック」の山田奈緒子を演じた仲間由紀恵がいるが、桃世も奈緒子同様に、「貧乳ネタ」で散々にいじられ、自虐発言まで行っている。
おそらく志村けんと伊藤沙莉二人だけのシーンはアドリブ満載だと思われる。

うだつの上がらなかった警視庁の会計係が名探偵になれるはずもないのだが、佐平は唯一の特技であるコイン投げで、銭形平次のように相手を倒していく。ただジェネレーションギャップで桃世は銭形平次も「知らねえ」

金魚誘拐事件を佐平に依頼する元女優の高峰和子を演じるのは高橋恵子。高峰和子のデビュー作は「女子高生ブルース」であるが、高橋恵子(関根恵子)のデビュー作が実際に「女子高生ブルース」である。

最初の依頼人、高村麗香を演じる堀内敬子は、私より4歳上ということで、収録時、放映時共に結構な年齢なのだが、変わらぬ美しさと色気で世の男性陣を魅了する。なお、この後(2022年)、堀内敬子と伊藤沙莉は「ももさんと7人のパパゲーノ」において親子役で共演することになる。

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2024年10月18日 (金)

西田敏行 「もしもピアノが弾けたなら」

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2024年10月16日 (水)

コンサートの記(861) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第581回定期演奏会 ベートーヴェン 「ミサ・ソレムニス」

2024年9月24日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第581回定期演奏会を聴く。今日の指揮は大フィル音楽監督の尾高忠明。
今日は事前にチケットを取らず、当日券で入った。

曲目は、ベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」1曲勝負である。
第九とほぼ同時期に作曲された「ミサ・ソレムニス」。以前は、荘厳ミサ曲という曲名で知られていたが、「荘厳」という訳語が本来の意味とは異なる(「盛儀の」「正式の」といった意味の方が近い)ということで、最近では、「ミサ・ソレムニス」と原語の呼び方に近い表記が採用されるようになっている。
ベートーヴェンが4年がかりで作り上げた大作である。無料パンフレットによると演奏時間は約83分。宗教音楽ということで、神聖さや敬虔さも描かれているのだが、同時にドラマティックであり、第九が人間世界を描いているのに対し(第2楽章は宇宙的で、第3楽章は楽園的であるが)、「ミサ・ソレムニス」は神に近いものを描いていると言われる。ただ、有名な「心より出で--再び心に届かんことを!」という警句が書かれており、この「神」というのは「音楽」または「音楽の神ミューズ」ではないかと受け取れる部分もある。

「ミサ・ソレムニス」は、傑作の呼び声も高いのだが、上演が難しいということで、プログラムに載ることはほとんどない。私も生演奏を聴くのは初めてである。


午後6時30分頃から、大フィル定期演奏会の名物となっている大阪フィルハーモニー交響楽団事務局長(裏方トップ)の福山修氏によるプレトークサロンがホワイエである。
大フィルは、ベートーヴェン生誕250年に当たる2020年に「ミサ・ソレムニス」を尾高忠明の指揮で上演する予定だったのだが、コロナ禍により上演中止に。練習などは進んでいて、「1年も経てば収まるだろう」との読みから、翌2021年にも「ミサ・ソレムニス」の上演がアナウンスされたのだが、コロナ禍が長引いたため、やはり上演不可。最初の計画から4年が経って、ようやく上演が可能になった。今日は129名での大規模演奏になるという。大阪フィルハーモニー合唱団は、アマチュアの合唱団であり、「なぜプロのオーケストラの演奏会でアマチュアを歌わせるのか?」という疑問を投げかけられることがあるそうだが、尾高さんも「上手さだけじゃない」と語っているそうで、結成51年目になる伝統が持つ味わいが重要なのだと思われる。
合唱指揮者による指揮から全体の指揮者の指揮に変わるタイミングについても質問があり、今回はリハーサルは合唱指揮者の福島章恭(あきやす)が行った後の本番4日前から尾高によるオーケストラ、合唱、独唱者の全体練習が始まったそうである。ちなみに、大阪フィルハーモニー合唱団のトレーナーは、昨日、京都コンサートホールで歌ってた大谷圭介が務めている。

今回の定期演奏会は変則的で、大フィルは同一演目2回公演が基本であるが、振替休日の昨日がマチネー、今日がソワレとなる。大フィルの定期演奏会は、初日が金曜日のソワレ、2日目が土曜日のマチネーとなることも多いが、1日目がマチネーで2日目がソワレという逆の日程は珍しい。

「ミサ・ソレムニス」の初演は、1824年だそうで、当初はその予定ではなかったが、期せずして初演200周年の記念演奏になったという。

福山さんの説明が終わった後で、来場者からの質問のコーナーが設けられており、大フィルの6月定期と7月定期で予定されていた指揮者が相次いでキャンセルしたが、代役というのは早くから見つけているものなのかといった質問(6月のデュトワの客演は、デュトワが先に指揮した新日本フィルハーモニー交響楽団との演奏で、「体調がおかしいようだ」との情報がWeb上で流れていたため、早めに代役捜しが行われたと思われる)があった。
実は私もザ・シンフォニーホールが定期演奏会場だった時代に質問したことがあるのだが(トーン・クラスターについて)、何故か福山さんと二人で私も解説する羽目になったため、以後は控えている。

質問コーナーが終わった後でも、福山さんには質問出来るので聞いてみた。なお、福山さんとは何度も話し合っている間柄である。
質問は、大フィルのヴィオラ奏者に一樂もゆるという名前の奏者がいたので、「この一樂さんというのは、一樂恒(いちらく・ひさし)さんのご兄弟ですか?」というもの。一樂恒は、現在は京都市交響楽団のチェロ奏者だが、入団以前は、フリーで、京都市交響楽団や大阪フィルハーモニー交響楽団によく客演奏者として参加していた。京都のお寺で演奏会を行うというイベント、「テラの音(ね)」コンサートにも出演したことがあり、左京区北白川山田町の真宗大谷派圓光寺(ここは一般のお寺だが、すぐ近くの左京区一乗寺に臨済宗の圓光寺があり、こちらは徳川家康開基の観光寺で、間違えて真宗大谷派の圓光寺に来てしまう人がいるそうである)で行われた「テラの音」では、チェロを弾く前に(他の仕事があったため遅れて参加)京都市内の高低差について話し、この辺りは東寺のてっぺんと同じ高さらしいと語っていた。
福山さんによると、実は一樂もゆるというのは、一樂恒の奥さんで、結婚して苗字が変わったとのことだった(仕事上の旧姓表記にはしなかったようである)。「ライバル楽団の奏者と結婚」と仰っていた(何度も語ってはいるが、福山さんには正体を明かしていないので、私が京都在住だということも多分、ご存じないはずである)。ここでちょっと核心を突いてみる。「お父さんは、大谷大学の一樂(真)教授(真宗学の教授で僧侶でもある)」と口にする。福山さんがビクッとして顔を一瞬引いたので、実際そうであることが分かる。「いやー、よくご存じで」とのことだった。京都でも一樂という苗字は珍しく、しかも仏教系の苗字。年齢的にも親子ほどの差で、名前も一文字。「恒」というのは「恒河沙(ごうがしゃ)」の「恒」。ということで親子の可能性が高かったのだが、知り合いの真宗大谷派の住職に聞いても、「一樂教授のことは知っているけど(真宗界隈では一樂真は有名人である)、音楽のことは知らない」とのことで確証が持てなかったのだが、福山さんなら多分ご存じだろうということで、聞いてみたのである。


今日のコンサートマスターは崔文洙。フォアシュピーラーに須山暢大。ドイツ式の現代配置での演奏であるが、舞台後方に独唱者と合唱が並ぶので、ティンパニは指揮者の正面ではなく、やや下手よりに据えられる。指揮者の正面の一段高いところに独唱者(ソプラノ:並河寿美、メゾ・ソプラノ:清水華澄、テノール:吉田浩之、バスバリトン:加藤宏隆)が横一列に並び、その背後に横長の階段状の台を並べて大阪フィルハーモニー合唱団が控える。


大フィルとのベートーヴェン交響曲チクルスでも好演を聴かせた尾高。「ミサ・ソレムニス」でも確かな造形美と、磨かれた音、決して大仰にはならないドラマ性といった美点溢れる演奏を聴かせてくれる。

基本的にモダンスタイルの演奏だが、第1曲「キリエ(主よ)」や第5曲「アニュス・デイ(神の子羊)」では、弦楽器がノンビブラートかそれに近い奏法を見せる場面もあり、部分的にピリオドなども取り入れているようである。
大阪フィルハーモニー合唱団も力強い合唱。フェスティバルホールは良く響くが声楽が割れやすい会場でもあるのだが、今日は音が飽和する直前で止めた適度な音量で歌われる。この辺は流石、尾高さんである。

第4曲「サンクトゥス(聖なるかな)」には、コンサートマスターによる長大なソロがあり(ヴァイオリン協奏曲ではない曲で、これほど長いヴァイオリンソロを持つ作品は他にないのではないかといわれている)、崔文洙が甘い音色による見事なソロを奏でた。

もう少し野性味があっても良いとも思うのだが、尾高さんの音楽性にそれを求めるのは無理かも知れない。イギリス音楽やシベリウスを得意とする人である。

ともあれ、取り上げられる機会の少ない「ミサ・ソレムニス」を美しい音色と歌声で彩らせた素敵な演奏だった。「素敵」という言葉が最もよく似合う。

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2024年10月15日 (火)

「あさイチ Kira KIra キッチン」 麻生久美子 2024.10.8

2024年10月8日

NHK総合「あさイチ」。今日は「Kira Kira キッチン」と称して、調理を行いながら番組が進行するという趣向。ゲストは女優の麻生久美子。
麻生さんは、現在、NHK連続テレビ小説「おむすび」(橋本環奈主演)に主人公のお母さん役として出演中である。と書いていながら私は見ていない。「ブギウギ」は、笠置シヅ子をモデルとした音楽の話で、同い年の草彅剛が音楽家役で出ているので見たし、「虎に翼」は、日本初の女性法曹で、母校である明治大学出身の三淵嘉子がモデルであり、私も寅年(五黄の寅ではなく八白の寅)、主役を演じるのが同郷の伊藤沙莉ということで見る要素があったのだが、「おむすび」は麻生久美子が出てはいるがヒロインではないし、それだけではちょっと弱い。橋本環奈は嫌いではないが特に好きではない。そもそも彼女が出演した作品を数えるほどしか見ていないということで食指が動かなかったのである。同い年の北村有起哉など、良い俳優も出ているのであるが、舞台が福岡と神戸なので、余り惹かれないということもある(NHK大阪放送局=BK制作)。

神戸が舞台の一つということで、阪神・淡路大震災も絡んでくるはずである。

主人公は栄養士を目指すのだが、福岡には九州限定で栄養士の名門として知られる中村学園大学があり(全国区の知名度はない)、九州で栄養士を目指す子は大体、そこを目指すのだが、主人公は関西に出てきてしまうようである。「虎に翼」で主人公の伊藤沙莉演じる猪爪(佐田)寅子(ともこ)の母親、はるさん役を演じていた石田ゆり子は女子栄養大学の二部だったか、短期大学部だったかの出身で、栄養士のお母さん役には最適だったのだが、先の朝ドラに出てしまったので、今回は出られない。

麻生久美子は、1978年6月17日生まれ。千葉県山武(さんぶ)郡山武町(さんぶまち)の出身。現在は合併により山武(さんむ)市となっている。山武郡山武町は千葉県の中でも一番の田舎といわれているところで、映画「SF ショートフィルム」で麻生久美子の実家付近でのロケが行われているのだが、感心してしまうくらい何もないところである。ちなみに麻生久美子の実のお母さんとお婆さんが出演されている。
両親の中が悪く、離婚。父親は金遣いが荒くて粗暴でちょっと困った人だったようで、夫婦喧嘩の時に包丁を持ちだして、幼い麻生久美子が楯になって母親をかばったという話がある。弟と二人、母子家庭で育つこととなる。母親はスーパーで働いていたのだが、「ハンバーグやミートボールを貰ってきてくれるんですけど、どっちも一緒じゃないですか」という環境で育った。ザリガニを釣って、食べたこともあるのだが、後で「食べちゃいけない。細菌なんかがいるから」と言われたらしい。ただザリガニはエビの味がするのでごちそうだったそうである。

私も幼い頃に千葉県内にある母方の実家(田舎にある)でザリガニ釣りをして遊んだが、勿論、食べず、釣ったザリガニは祖父が海釣りのエサにしていた。余談だが、東京にはザリガニ料理が食べられる店があるらしい。

貧乏という理由でいじめられることもあったそうで、彼女は額の見えにくいところに傷があるのだが、幼い頃に石を投げつけられて出来たものである。また走る車の前に突き飛ばされそうになり、この時は母親が他の子どもたちの家に怒鳴り込んだそうだ。このお母さん、結構、スパルタで、麻生久美子がちょっと悪いことをしたら木に縛りつけて泣いてもわめいてもなかなか許さないということもあったらしい。そんな彼女であるが、幼い頃は、「自分は世界で一番可愛い」と思い込んでいるような、「今振り返ると嫌な子」だったようで、西田ひかるのファンであり、西田ひかるの顔のほくろがある場所をいじっていたら、ほくろが出来たという話もある。
お菓子系と呼ばれたライトなエロ目の雑誌にモデルとして出るようになり、コンビニかどこかに買いに行って、「お菓子系なのに、これ私」と周りに自慢して回ったという彼女らしいエピソードもある。
授業態度は真面目で、成績も良かったようだが、学区的には県立佐倉高校一校だけが飛び抜けた進学校で、その他は、誰でも入れるレベルの高校ということで、成績が良くても佐倉高校に行けるだけの学力はなかっためか、県立佐倉南高校に進学することになり、残念そうな発言をしていた記憶がある。「高校時代にはいじめられるし」と発言しているが、どちらかというとハブられていたというより、自分から壁を作っていて、余り周りとは仲良くしなかったようである。容姿的には幼い頃から別格扱いではあったらしい。
十代の頃は哀川翔に片思いしていて相手にされなかったようだが、哀川翔に「カンゾー先生」への出演を勧められ、ブレークすることになった。

割と開けっぴろげで、明るく、豪快に笑う性格。映画に出まくっているが、映画自体はそれほど好きではなく、余り映画は観ない。そのことで事務所に怒られたこともある。ただ映画が好きではないのに映画女優としてフィルムに収まることに疑問を感じた時代もあったようだ。

麻生久美子さんの映画の舞台挨拶には、二度ほど行ったことがあるのだが、最初はテアトル新宿で行われた、「贅沢な骨」の舞台挨拶付き上映。この頃はまだフィルムを使っていたので、フィルムトラブルがあって、上映が始まってすぐにフィルムが丸まって動かなくなってしまうため、3度やり直すという事件があった。
麻生さんによると、「贅沢な骨」は、上映出来るのかどうかまだ分からないまま撮り始めた映画であるとのことだった。
舞台挨拶が終わり、上手通路から退場する時に、お客さんの一人が手を差し伸べたらしいのだが、麻生さんは、「わー! 握手握手!」とはしゃいで自分から握手に行き、その後ろの席の人とそのまた後ろの人ーー多分、二人は手を差し出していなかったと思われるのだがーーとも握手をして、「アーッハッハッハッハッ!」と豪快な笑い声を残して去って行ったのをよく覚えている。「あー、この人、やっぱり千葉の女だわ」と思ったものだ(千葉の女性は豪快に笑う人が多い)。
好きな女優さんなので、色々知識があるんですね。ずっと書いていられるけれど、そんなことしても仕方がないので、今日の内容へ。


で、ここからが本編。番組が始まった時から、すでに麻生さんは調理中である。麻生さんは包丁でタマネギを刻んでいる。カメラが寄ってきて、「おはようございます」挨拶を行う麻生さん。今日の番組内容を紹介して。「嫌だもう、朝からすみません。恥ずかしい」と言う。その後も料理を行いながら喋っていく。指導は秋元さくらシェフ(フレンチ)。ひき肉のピカタを作っていく。

鈴木菜穂子アナウンサーに「お料理大好き」と言われた麻生さんは、「いやーもう、そんなに」と謙遜する。

後は基本的に調理が進んでいく。女優さんの家庭的な部分を見る機会は余りないので、貴重ともいえる。


麻生久美子のお気に入りの紹介。
ドイツの一口バウムのチョコレートがけとシンガポールのピリ辛ポークジャーキー。いずれも国内に店舗があるそうである(ポークジャーキーは東京のみ)。
多分、食べに行くことはないな。
手料理の紹介もある。ハンバーグ、春巻き、ブリの照り焼き。普通のお母さんの料理である。子どもたちが喜ぶので、春巻きを作ることが一番多いそうだ。


続いて山野辺仁(やまのべ・ひとし)シェフの指導で、秋のみそぼろ丼の調理。
基本的に麻生さんが料理しているだけの展開である。正直、大女優を使ってやることなのかどうか分からない。麻生さんは基本的にかなり良い人なので何でもやってくれるけれど。
今日は朝のNHKなので比較的落ち着いているけれど、実際はキャピキャピした明るい人である。

朝ドラ「おむすび」では、今のところギャルが重要なポジションを占めているようなのだが、麻生久美子も「ギャルやってみたかった」と述べた。実際にギャルであったこともないが(それほど彼女をよく知っているわけではないが、性格的に多分無理である)、麻生久美子がギャルを演じたこともおそらく一度もないと思われる。数多くの映画やドラマに出ている麻生久美子だが、実際の年齢より上の女性を演じることも比較的多く、落ち着いた役が多い。悪女役もやっていて、私は映画「ハサミ男」の知夏役が結構好きである。あの作品は、原作者も監督も残念なことになってしまったけれど。

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2024年10月14日 (月)

レナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 マーラー 交響曲第5番

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NHKBS「クラシック俱楽部」 大阪府堺市公開収録 石橋栄実ソプラノリサイタル(再放送)

2024年9月12日

録画しておいた、NHKBS「クラシック俱楽部」大阪府堺市公開収録 石橋栄実ソプラノリサイタルを視聴。2023年12月15日に堺市立美原文化会館での収録されたもの。ピアノは關口康祐(せきぐち・こうすけ)。

ソプラノ歌手の石橋栄実(えみ)は、1973年、東大阪市生まれ。私より1つ上で、有名人でいうと、イチロー、松嶋菜々子、篠原涼子、大泉洋、稲垣吾郎、夏川りみなどと同い年となる。大阪音楽大学声楽科を卒業、同大学専攻科を修了。現在は大阪音楽大学の教授と、大阪音楽大学付属音楽院の院長を兼任している。ソプラノの中でも透明度の高い声の持ち主で、リリック・ソプラノに分類されると思われる。東京や、この間、「エンター・ザ・ミュージック」で取り上げられていたように広島など日本各地で公演を行っているが、現在も活動の拠点は大阪に置いている。インタビュー映像も含まれているが、「一度も大阪を離れようと思ったことはなかった」そう。ちなみにインタビューには標準語で答えているが、言い回しが明らかに関東人のそれとは異なる。石橋はオペラデビューが1998年に堺市民会館で行われたフンパーディンクの「ヘンゼルとグレーテル」だったそうで、「堺は特別な街」と語る。


曲目は、ジョルダーノ作曲の「カロ・ミオ・ベン」、マスカーニ作曲の「愛してる、愛してない」、モーツァルト作曲の歌劇「フィガロの結婚」から「とうとううれしい時が来た」と「恋人よ、早くここへ」、ドヴォルザーク作曲の歌劇「ルサルカ」から「月に寄せる歌」、プッチーニ作曲の歌劇「ラ・ボエーム」から「私が町を歩くと」、
連続テレビ小説「ブギウギ」メドレー(「東京ブギウギ」、「買い物ブギー」、「恋はやさし野辺の花よ」)、
歌曲集「カレンダー」から「十月」「三月」(薩摩忠作詞、湯山昭作曲)、「のろくても」(星野富弘作詞、なかにしあかね作曲)、「今日もひとつ」(星野富弘作詞、なかにしあかね作曲)、「いのちの歌」(miyabi=竹内まりや作詞、村松崇継作曲。NHK連続テレビ小説「だんだん」より)


声の美しさとコントロールが絶妙である(実は歌手の方には多いのだが、話しているときの地声が特別美しいというわけではない)。
映像映えのするタイプではないのだが、実物はかなり可愛(検閲により以下の文章は削除されました)

「愛してる、愛してない」は、マスカーニの作品よりも、坂本龍一が中谷美紀をfeaturingした同名タイトルの曲の方が有名であると思われるが、花占いをしながら歌う歌曲で、石橋もそうした仕草をしながら歌う。

モーツァルトのスザンナのアリアは彼女の個性に合っている。


途中で、堺市の紹介があり、大仙古墳は仁徳天皇陵と従来の名称で呼ばれている。
なんか冗談が寒いのがNHKである。

連続テレビ小説「ブギウギ」メドレー。最も有名な「東京ブギウギ」(作詞:鈴木勝=鈴木大拙の息子、作曲:服部良一)がまず歌われる。実は「東京ブギウギ」はリズムに乗るのがかなり難しい曲なのだが、クラシック音楽調に編曲されているので、オリジナル版よりは歌いやすいと思われる。
關口のピアノで、「ラッパと娘」と「センチメンタル・ダイナ」が演奏される。服部良一も大阪の人で、少年音楽隊に入って音楽を始め、朝比奈隆の師としても知られるウクライナ人のエマヌエル・メッテルに和声学、管弦楽法、対位法、指揮法などを師事しているが、音の飛び方が独特で、「え? こっからそこに行くの?」という進行が結構ある。「ラッパと娘」などは「それルール違反でしょ」という箇所が多い。

「買い物ブギー」。この曲は笠置シヅ子をモデルとした朝ドラに主演した東京出身の趣里、兵庫県姫路市出身の松浦亜弥、神奈川県茅ヶ崎市出身の桑田佳祐なども歌っているが、大阪弁の曲であるため、大阪の人が歌った方が味わいが出る。作詞は作曲の服部良一自身が村雨まさを名義で行っている。
石橋は客席通路での歌唱。カメラを意識しながら演技を入れての歌唱を行って、ステージに上がる。ただ、この曲はクラシックの歌手が歌うと美しすぎてしまう。笠置シヅ子は実は歌唱力自体はそんなに高い方ではない。彼女の長所は黒人の女性ジャズシンガーに通じるようなソウルフルな歌声にある。日本人には余りいないタイプである。


最後は日本語の歌曲。親しみやすい楽曲が多く、安定した歌声を楽しむことが出来る。顔の表情も豊かで、やはりかわ(検閲により以下の文章は削除されました)

メッセージ性豊かな歌詞の曲が選ばれているという印象も受ける。

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2024年10月13日 (日)

CIRCUS(サーカス) 「風のメルヘン」(テレハーモニーVersion)

コロナ時の収録。メンバーチェンジ前になりますが、サーカスは一度だけ、ライブを聴いたことがあります。1992年、千葉市の幕張メッセ幕張イベントホールでの合同コンサート。本人達は、「今日は音楽とサーカスが来るという話になってる」と半自虐発言をなさっていました。

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2024年10月12日 (土)

コンサートの記(860) 2024年度全国共同制作オペラ プッチーニ 歌劇「ラ・ボエーム」京都公演 井上道義ラストオペラ

2024年10月6日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後2時から、ロームシアター京都メインホールで、2024年度全国共同制作オペラ、プッチーニの歌劇「ラ・ボエーム」を観る。井上道義が指揮する最後のオペラとなる。
演奏は、京都市交響楽団。コンサートマスターは特別名誉友情コンサートマスターの豊島泰嗣。ダンサーを使った演出で、演出・振付・美術・衣装を担当するのは森山開次。日本語字幕は井上道義が手掛けている(舞台上方に字幕が表示される。左側が日本語訳、右側が英語訳である)。
出演は、ルザン・マンタシャン(ミミ)、工藤和真(ロドルフォ)、イローナ・レヴォルスカヤ(ムゼッタ)、池内響(マルチェッロ)、スタニスラフ・ヴォロビョフ(コッリーネ)、高橋洋介(ショナール)、晴雅彦(はれ・まさひこ。ベノア)、仲田尋一(なかた・ひろひと。アルチンドロ)、谷口耕平(パルピニョール)、鹿野浩史(物売り)。合唱は、ザ・オペラ・クワイア、きょうと+ひょうごプロデュースオペラ合唱団、京都市少年合唱団の3団体。軍楽隊はバンダ・ペル・ラ・ボエーム。

オーケストラピットは、広く浅めに設けられている。指揮者の井上道義は、下手のステージへと繋がる通路(客席からは見えない)に設けられたドアから登場する。

ダンサーが4人(梶田留以、水島晃太郎、南帆乃佳、小川莉伯)登場して様々なことを行うが、それほど出しゃばらず、オペラの本筋を邪魔しないよう工夫されていた。ちなみにミミの蝋燭の火を吹き消すのは実はロドルフォという演出が行われる場合もあるのだが、今回はダンサーが吹き消していた。運命の担い手でもあるようだ。

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オペラとポピュラー音楽向きに音響設計されているロームシアター京都メインホール。今日もかなり良い音がする。声が通りやすく、ビリつかない。オペラ劇場で聴くオーケストラは、表面的でサラッとした音になりやすいが、ロームシアター京都メインホールで聴くオーケストラは輪郭がキリッとしており、密度の感じられる音がする。京響の好演もあると思われるが、ロームシアター京都メインホールの音響はオペラ劇場としては日本最高峰と言っても良いと思われる。勿論、日本の全てのオペラ劇場に行った訳ではないが、東京文化会館、新国立劇場オペラパレス、神奈川県民ホール、びわ湖ホール大ホール、フェスティバルホール、ザ・カレッジ・オペラハウス、兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール、フェニーチェ堺大ホールなど、日本屈指と言われるオペラ向けの名ホールでオペラを鑑賞した上での印象なので、おそらく間違いないだろう。

 

今回の演出は、パリで活躍した画家ということで、マルチェッロ役を演じている池内響に藤田嗣治(ふじた・つぐはる。レオナール・フジタ)の格好をさせているのが特徴である。

 

井上道義は、今年の12月30日付で指揮者を引退することが決まっているが、引退間際の指揮者とは思えないほど勢いと活気に溢れた音楽を京響から引き出す。余力を残しての引退なので、音楽が生き生きしているのは当然ともいえるが、やはりこうした指揮者が引退してしまうのは惜しいように感じられる。

 

歌唱も充実。ミミ役のルザン・マンタシャンはアルメニア、ムゼッタ役のイローナ・レヴォルスカヤとスタニスラフ・ヴォロビョフはロシアと、いずれも旧ソビエト圏の出身だが、この地域の芸術レベルの高さが窺える。ロシアは戦争中であるが、芸術大国であることには間違いがないようだ。

 

ドアなどは使わない演出で、人海戦術なども繰り出して、舞台上はかなり華やかになる。

 

 

パリが舞台であるが、19世紀前半のパリは平民階級の女性が暮らすには地獄のような街であった。就ける職業は服飾関係(グレーの服を着ていたので、グリゼットと呼ばれた)のみ。ミミもお針子である。ただ、売春をしている。当時のグリゼットの稼ぎではパリで一人暮らしをするのは難しく、売春をするなど男に頼らなければならなかった。もう一人の女性であるムゼッタは金持ちに囲われている。

 

この時代、平民階級が台頭し、貴族の独占物であった文化方面を志す若者が増えた。この「ラ・ボエーム」は、芸術を志す貧乏な若者達(ラ・ボエーム=ボヘミアン)と若い女性の物語である。男達は貧しいながらもワイワイやっていてコミカルな場面も多いが、女性二人は共に孤独な印象で、その対比も鮮やかである。彼らは、大学などが集中するカルチェラタンと呼ばれる場所に住んでいる。学生達がラテン語を話したことからこの名がある。ちなみに神田神保町の古書店街を控えた明治大学の周辺は「日本のカルチェラタン」と呼ばれており(中央大学が去り、文化学院がなくなったが、専修大学は法学部などを4年間神田で学べるようにしたほか、日本大学も明治大学の向かいに進出している。有名語学学校のアテネ・フランセもある)、京都も河原町通広小路はかつて「京都のカルチェラタン」と呼ばれていた。京都府立医科大学と立命館大学があったためだが、立命館大学は1980年代に広小路を去り、そうした呼び名も死語となった。立命館大学広小路キャンパスの跡地は京都府立医科大学の図書館になっているが、立命館大学広小路キャンパスがかなり手狭であったことが分かる。

 

ヒロインのミミであるが、「私の名前はミミ」というアリアで、「名前はミミだが、本名はルチア(「光」という意味)。ミミという呼び方は気に入っていない」と歌う。ミミやルルといった同じ音を繰り返す名前は、娼婦系の名前といわれており、気に入っていないのも当然である。だが、ロドルフォは、ミミのことを一度もルチアとは呼んであげないし、結婚も考えてくれない。結構、嫌な奴である。
ちなみにロドルフォには金持ちのおじさんがいるようなのだが、生活の頼りにはしていないようである。だが、ミミが肺結核を患っても病院にも連れて行かない。病院に行くお金がないからだろうが、おじさんに頼る気もないようだ。結局、自分第一で、本気でルチアのことを思っていないのではないかと思われる節もある。


「冷たい手を」、「私の名前はミミ」、「私が街を歩けば」(ムゼッタのワルツ)など名アリアを持ち、ライトモチーフを用いた作品だが、音楽は全般的に優れており、オペラ史上屈指の人気作であるのも頷ける。


なお、今回もカーテンコールは写真撮影OK。今後もこの習慣は広まっていきそうである。

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2024年10月11日 (金)

観劇感想精選(471) 日米合作ブロードウェイミュージカル「RENT」 JAPAN TOUR 2024大阪公演

2024年9月14日 JR大阪駅西口のSkyシアターMBSにて観劇

午後5時30分から、大阪・梅田のSkyシアターMBSで、日米合作ブロードウェイミュージカル「RENT」JAPAN TOUR 2024 大阪公演を観る。英語上演、日本語字幕付きである。
SkyシアターMBSは、大阪駅前郵便局の跡地に建てられたJPタワー大阪の6階に今年出来たばかりの新しい劇場で、今、オープニングシリーズを続けて上演しているが、今回の「RENT」は貸し館公演の扱いのようで、オープニングシリーズには含まれていない。

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プッチーニの歌劇「ラ・ボエーム」をベースに、舞台を19世紀前半のパリから1990年代後半(20世紀末)のニューヨーク・イーストビレッジに変え、エイズや同性愛、少数民族など、プッチーニ作品には登場しない要素を絡めて作り上げたロックミュージカルである。ストーリーなどは「ラ・ボエーム」を踏襲している部分もかなり多いが、音楽は大きく異なる。ただ、ラスト近くで、プッチーニが書いた「私が街を歩けば」(ムゼッタのワルツ)の旋律がエレキギターで奏でられる部分がある。ちなみに「私が街を歩けば」に相当するナンバーもあるが、曲調は大きく異なる。

脚本・作詞・作曲:ジョナサン・ラーソン。演出:トレイ・エレット、初演版演出:マイケル・グライフ、振付:ミリ・パーク、初演版振付:マリース・ヤーヴィ、音楽監督:キャサリン・A・ウォーカー。

出演は、山本耕史、アレックス・ボニエロ、クリスタル ケイ、チャベリー・ポンセ、ジョーダン・ドブソン、アーロン・アーネル・ハリントン、リアン・アントニオ、アーロン・ジェームズ・マッケンジーほか。
観客とのコール&レスポンスのシーンを設けるなど、エンターテインメント性の高い演出となっている。

タイトルの「RENT」は家賃のことだが、家賃もろくに払えないような貧乏芸術家を描いた作品となっている。

主人公の一人で、ストーリーテラーも兼ねているマークを演じているのは山本耕史。彼は日本語版「レント」の初演時(1998年)と再演時(1999年)にマークを演じているのだが、久しぶりのマークを英語で演じて歌うこととなった。かなり訓練したと思われるが、他の本場のキャストに比べると日本語訛りの英語であることがよく分かる。ただ今は英語も通じれば問題ない時代となっており、日本語訛りでも特に問題ではないと思われる(通じるのかどうかは分からないが)。
マークはユダヤ系の映像作家で、「ラ・ボエーム」のマルチェッロに相当。アレックス・ボニエロ演じるロジャーが詩人のロドルフォに相当すると思われるのだが、ロジャーはシンガーソングライターである。このロジャーはHIV陽性である。ミミはそのままミミである(演じるのはチャベリー・ポンセ)。ミミはHIV陽性であるが、自身はそのことを知らず、ロジャーが話しているのを立ち聞きして知ってしまうという、「ラ・ボエーム」と同じ展開がある。
ムゼッタは、モーリーンとなり、彼女を囲うアルチンドロは、性別を変えてジョアンとなっている。彼女たちは恋人同士となる(モーリーンがバイセクシャル、ジョアンがレズビアンという設定)。また「ラ・ボエーム」に登場する音楽家、ショナールが、エンジェル・ドゥモット・シュナールドとなり、重要な役割を果たすドラッグクイーンとなっている。

前半は賑やかな展開だが、後半に入ると悲劇性が増す。映像作家であるマークがずっと撮っている映像が、終盤で印象的に使われる。
「ラ・ボエーム」は悲劇であるが、「RENT」は前向きな終わり方をするという大きな違いがある。ロック中心なのでやはり湿っぽいラストは似合わないと考えたのであろう。個人的には、「ラ・ボエーム」の方が好きだが、「RENT」も良い作品であると思う。ただ、マイノリティー全体の問題を中心に据えたため、「ラ・ボエーム」でプッチーニが描いた「虐げられた身分に置かれた女性」像(「ラ・ボエーム」の舞台となっている19世紀前半のパリは、女性が働く場所は被服産業つまりお針子や裁縫女工、帽子女工など(グリゼット)しかなく、彼女達の給料では物価高のパリでは生活が出来ないので、売春などをして男に頼るしかなかったという、平民階級の独身の女性にとっては地獄のような街であった)が見えなくなっているのは、残念なところである。

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2024年10月10日 (木)

これまでに観た映画より(347) 三谷幸喜:脚本と監督「スオミの話をしよう」

2024年10月7日 TOHOシネマズ二条にて

TOHOシネマズ二条で、三谷幸喜の脚本と監督映画「スオミの話をしよう」を観る。出演:長澤まさみ、西島秀俊、松坂桃李、瀬戸康史、遠藤憲一、小林隆、坂東彌十郎、戸塚純貴、阿南健治、梶原善、宮澤エマほか。

スオミという名の女性(長澤まさみ)を巡る話である。スオミは、フィンランド人がフィンランドやフィンランド人を指す言葉だが、スオミは父親が外交官で、フィンランドのヘルシンキにある日本大使館勤務時代に生まれたのでこの名がつけられた。

スオミが行方不明になる。夫で高名な詩人である寒川しずお(坂東彌十郎)の家から、昨日の朝、姿を消したのだ。寒川は、警察に勤める草野圭吾(西島秀俊)と小磯杜夫(瀬戸康史)に引っ越し業者の格好をさせて自宅に招き入れる。誘拐事件で犯人が監視していた場合、警察が入ったと感づかれることを恐れたためだ。草野と小磯は刑事ではあるが、小磯が逆探知の機械(古くて使えない)を「捜査一課から借りてきた」と言っているため、捜査一課の刑事ではなさそうである。草野はスオミの4番目の夫であり、寒川とスオミの披露宴にも出席したので寒川と面識がある。二人を出迎えたのは、乙骨直虎。演じる戸塚純貴は、「虎に翼」の「俺たちの轟」で知名度を急速に上げた俳優である。乙骨は、寒川の秘書に見えるのだが、実際は出版社の人間で、寒川に本を出して貰うために仕事場に詰めているらしい。
ちなみに寒川の作品は稚拙で、とても大詩人には見えないのだが、そこも含めてコメディである。

草野の上司で係長の宇賀神守(小林隆)もやって来る。宇賀神はスオミの3番目の夫である。宇賀神はスオミのことを中国人だと思っていた。なにしろスオミは中国語しか喋らなかったのだ(長澤まさみは、仕事のために中国語を半年ほどで速習したことがあり、今でも「她
汉语说得不错」である)。スオミは薊(あざみ)という謎の女性(宮澤エマ)と一緒にいるのだが、薊も中国語は流暢に操れる。スオミの父親は外交官なので、北京などに赴任した経験もあり、その時にスオミは北京語を覚えている。

スオミの最初の夫である魚山大吉(ととやま・だいきち。遠藤憲一)は、寒川家の使用人をしている。元々は中学校の体育教師で、生徒であったスオミと会った。禁断の恋からの発展である。寒川家ではスオミは料理上手ということになっているが、実際は料理は大の苦手で、魚山がスオミの代わりに料理を含む家事全般を担っていたのだ。

スオミの2番目の夫である十勝左衛門(松坂桃李)は怪しいビジネスに手を出していて、警察のご厄介にもなったことがあるようだが、基本、スレスレの仕事をしており、YouTuberとしても人気らしい。

物語は、黒澤明監督の映画「天国と地獄」のオマージュとして展開される。逆探知の場面もある。だが、そもそも機械が逆探知に対応していないことが分かる。身代金要求の電話は、3億円を持ってセスナに乗り、目印のところで落とせと指示していた。なんでセスナ? だが、十勝が自家用セスナを調布基地に所有していることが分かり、犯人の言う通り、セスナに乗って、身代金を投下することになる。

5人の夫が出揃ったところで、スオミに対する各々の印象が大きく異なることが判明する。草野が知るスオミは大人しく、深窓の令嬢のような丁寧な言葉遣いで囁くように喋る。だが、寒川の知るスオミは快活な女性である。また宇賀神は、器用に北京語を操るスオミを中国人だと思い込んでいた。宇賀神は北京語を話しているスオミしか知らない。十勝はスオミのことを「とても頭が良く、相手に合わせることが出来る」と評する。
魚山は、教師時代にスオミの母親・時枝(長澤まさみ二役)とスオミとで三者面談を行ったことがあるのだが、ざっくばらんに話すスオミの母親に対し、スオミはほとんど自分からは何も言わない大人しい女の子だった。この二役は合成画面で写されるのだが、勿論、かなり無理がある。無理があるのを承知で撮った絵である。

やがて、この中に内通者がいることを小磯は推理するのだが……。

主舞台は一部を除いて寒川家の応接間に限られ、長回しが多用される。演劇的な映画である。
サスペンスに見せかけているが、実際は違う。三谷幸喜はサスペンスをやる気はない。描くのは俳優という存在である。

スオミは、様々なキャラクターを演じ分けることが出来る。快活な女性から大人しい淑女系、中国人に至るまで。皆の前で演じ分けてみせるシーンもある。この時、長澤まさみは一々髪型を変えるのだが、これは「物真似ではなく女優」であることを示唆する記号であると思われる。
頭も良く、外国語も喋れるスオミであるが、実は性格の核となるものはなく、自分というものを把握出来ていない。そのため何人もの男を夫にして演じ、別れると薊のアドバイスを受けるという生活を繰り返している。自分というものがないのだ。これは「俳優の哀しみ」のようなものを象徴しており、長澤まさみもそうした要求によく応えている。

スオミの夢は、薊とフィンランドに行き、ヘルシンキで暮らすというささやかなものだが、様々なことが出来る人間にしては寂しい夢である。だが、スオミは料理は出来ず、車の運転は下手。一度、生活のためにタクシードライバーになったことがあり、草野と再会したのだが、運転は途轍もなく下手で、目的地の住所も頭に入っていない。おそらく早晩、クビになったであろう。一人では何も出来ない悲しい女なのである。

ラストはミュージカル仕立てで、長澤まさみが歌い、男優達が踊る。華やかな場面だが、スオミが悲しい女だと分かっているため、却って切なくなる。
長澤まさみは歌が上手くなっており、成長が感じられた。

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2024年10月 8日 (火)

テレビ朝日ドラマプレミアム「黄金の刻(とき) 服部金太郎物語」

2024年3月30日

テレビ朝日ドラマプレミアム「黄金の刻(とき) 服部金太郎物語」を見る。セイコーグループ(旧・服部セイコー)の創業者である服部金太郎を描いたドラマ。楡周平の同名小説が原作である。出演:西島秀俊、松嶋菜々子、山本耕史、濱田岳、水上恒司、吉川愛、正名僕蔵、高嶋政伸、高島礼子、船越英一郎(特別出演)ほか。ナレーション:八木亜希子。

服部金太郎の若き日を、朝ドラ「ブギウギ」の村山愛助役で話題になった水上恒司が演じているほか、壮年期以降の金太郎役で連続ドラマ「さよならマエストロ」を終えたばかりの西島秀俊が主演。昨年は大河ドラマ「どうする家康」で家康の母・於大の方として出演していた松嶋菜々子、NHKドラマ「ベトナムのひびき」に主演したばかりの濱田岳などお馴染みの顔ぶれが揃っている。

銀座のシンボルである和光(現在はセイコーハウス銀座に改称)に本社を置くことでも知られるセイコー。後楽園球場のスポンサーとなり、電光掲示板最上部の時計の下に「SEIKO」の文字を出していたことでもお馴染みである。

創業者の服部金太郎は、幕末生まれと意外に古い人物で、寺子屋で学び、丁稚奉公を経験している。年季が明けた後は時計店に見習いで入り、その後独立して時計修理の服部時計店を立ち上げると、西洋式の取引で頭角を現し、時計の製造へと手を伸ばす。時計技術長に迎えられた吉川鶴彦を山本耕史が演じているが、今だとASDかそのグレーゾーンの診断を受けそうな人物として描かれている。コミュニケーションが取れず、相手の目を見ることが苦手で、過集中で仕事にのめり込み、英語を習ったことがないのに内容を理解し、細工の腕や創造力の高さは一種のサヴァンを連想させる。戦前の職人仕事だから良かったが、高度コミュニケーション化された現代社会で通用するのかどうか微妙な人物である。

ベテラン俳優の領域に達した西島秀俊が貫禄はあるがどこか抜けている社長を好演。濱田岳が敵役で憎たらしさを出している。松嶋菜々子はいつもながらの松嶋菜々子で、良くも悪くも安定感があった。

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2024年10月 6日 (日)

コンサートの記(859) 京都新聞トマト俱楽部 京都フィルハーモニー室内合奏団特別公演 リクエストコンサート「日本の歌特集」

2024年9月23日 京都コンサートホールにて

午後3時から、京都コンサートホールで、京都新聞トマト俱楽部 京都フィルハーモニー室内合奏団特別公演 リクエストコンサート「日本の歌特集」を聴く。
事前に日本の歌50曲を選び、投票によって上位に来た曲をプログラムに入れるという企画である。

曲目は、第1部が童謡や歌曲中心で、「この道」(作曲:山田耕筰。オーケストラのみ)、「夏の思い出」(作詞:江間章子、作曲:中田喜直。ソプラノ独唱あり)、「浜辺の歌」(作曲:成田為三。オーケストラのみ)、夏のメドレー(「我は海の子」~林柳波作詞、井上武士作曲の「海」~島崎藤村作詞、大中寅二作曲の「椰子の実」。バリトン独唱あり)、バロック風日本の四季より「秋」の第1楽章(編曲:早川正昭。オーケストラのみ)、「荒城の月」(作詞:土井晩翠、作曲:瀧廉太郎。バリトン独唱あり)、「月の沙漠」(作曲:佐々木すぐる。オーケストラのみ)、「ちいさい秋見つけた」(作詞:サトウハチロー、作曲:中田喜直。ソプラノ独唱あり)、「夕焼け小焼け」(作曲:草川信。オーケストラのみ)、「四季の歌」(作詞・作曲:荒木とよひさ。ソプラノ、バリトン独唱と、聴衆の合唱)。

第2部が、ポピュラー楽曲中心で、「学生街の喫茶店」(作曲:すぎやまこういち。オーケストラのみ)、「いい日旅立ち」(作詞・作曲:谷村新司。ソプラノ独唱あり)、「上を向いて歩こう」(作詞:永六輔、作曲:中村八大。バリトン独唱あり)、「シクラメンのかほり」(作詞・作曲:小椋佳。オーケストラのみ)、「あの素晴らしい愛をもう一度」(作詞:北山修、作曲:加藤和彦。オーケストラのみ)、「川の流れのように」(作詞:秋元康、作曲:見岳章。ソプラノ独唱あり)、「地上の星」(作詞・作曲:中島みゆき。バリトン独唱あり)、「世界に一つだけの花」(作詞・作曲:槇原敬之。ソプラノ、バリトン独唱あり)、「見上げてごらん夜の星を」(作詞:永六輔、作曲:いずみたく。ソプラノ、バリトン独唱と、聴衆の合唱)、「明日があるさ」(作詞:青島幸男、作曲:中村八大。ソプラノ、バリトン独唱と、聴衆の合唱)。


指揮は広上淳一の弟子でもある井村誠貴(いむら・まさき)。トークを得意とするため、京フィルから重宝されている指揮者である。本来はオペラをメインに活動している指揮者で、ミュージカルやポピュラーシンガーとの共演も多い。大阪音楽大学コントラバス科の出身で(大阪音大には指揮科はない)、指揮はどこで習ったのか記載されていないが、広上の他に、湯浅勇治や松尾葉子といった藝大系の指揮者に師事している。

ソプラノ独唱は、内藤里美。大阪音楽大学および同大学オペラ研究室修了。ウィーン国立音楽大学の音楽セミナーとプラハ国際ヴォーカルマスタークラスでディプロマを獲得している。オペラ歌手であり、神戸での「ファルスタッフ」への出演が決まっているほか、兵庫県立西宮高校音楽科非常勤講師など、教育面でも活躍している。

バリトン独唱は、大谷圭介。京都教育大学数学科から京都市立芸術大学大学院修士課程および博士課程修了という変わった経歴を持つ。やはりオペラを中心に活動しており、「ドン・ジョヴァンニ」、「フィガロの結婚」、「リゴレット」のタイトルロールで好評を博している。関西二期会理事。

二人とも、今日はマイクを使っての歌唱だったが、オペラ歌手の場合、マイクを使って歌う方が逆に難しいそうである。


久しぶりとなる京都フィルハーモニー室内合奏団の演奏会。この室内オーケストラは、資金面に難があるためか、メンバーの入れ替わりが激しい。ただ、演奏技術は一定の水準が保たれており、特に弦楽パートは瑞々しい音を聴かせてくれる。

第1曲目の「この道」は、途中で2曲目の「夏の思い出」の旋律が紛れ込むという凝ったアレンジである。振り終えた井村は、マイクを手に振り返り、「2曲目の『夏の思い出』が入るというアレンジでした。夏の思い出、なんかありますか? 暑かったですねえ。今日、やっと涼しくなりました」と語りかける。

夏のメロディーを歌う大谷圭介に、井村は、「相変わらず格好いいですね」と話していた。

バロック風日本の四季より「秋」は、童謡「虫の声」をヴィヴァルディ風にアレンジした曲で、事前に井村が、「虫の声がします」と明かしていたが、ヴァイオリンが弓の先の方で弦をこするという奏法で虫の声を表していた。

「荒城の月」。瀧廉太郎のオリジナル版と、山田耕筰がアレンジした版があるが、山田耕筰版を採用していた。

「月の沙漠」について井村は、絵がモチーフになっていると語ったが、千葉県の御宿町がモデルとなったという説があり、御宿海岸には記念像が建っている。

「夕焼け小焼け」は、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」の第2楽章、「家路」をモデルにした編曲での演奏。冒頭は「新世界」そのもので、「家路」のテーマが入るところから「夕焼け小焼け」のメロディーになる。井村は、「そのままでしたね」と語る。

「四季の歌」は、聴衆も歌唱で参加する。有名な曲であるが、1970年代に有名になったとのこと。本来は5番まで歌詞があったのだが、5番の歌詞がメロディーに合わないということで、5番は「ラララ」のハミングとなったという。


第2部。「学生街の喫茶店」。ガロのヒット曲である。作曲は後にドラクエシリーズの音楽で有名になる、すぎやまこういちである。

「いい日旅立ち」。山口百恵の芸能生活最晩年(といっても二十歳そこそこだが)の楽曲。ちなみに私が初めて歌った曲は、子門真人の「およげたいやきくん」らしいのだが(3歳頃。覚えていない)、初めて聴いた記憶があるのが、「いい日旅立ち」である。父が山口百恵のファンでよくレコードがかかっていた。「いい日旅立ち」は、当時の国鉄のキャンペーンソングだが、CM制作費を出した日立と日本旅行がタイトル名に入っている。
井村は、「JR西日本の新幹線の曲」と語っていたが、厳密に言うと、JR西日本の新幹線の曲は、鬼束ちひろがカバーした「いい日旅立ち・西へ」(歌詞とアレンジが異なる)である。

「上を向いて歩こう」。永六輔、中村八大、坂本九の「六八九」トリオの代表曲であり、アメリカでビルボードチャート1位を獲得した唯一の日本の楽曲である。アメリカでは有名な日本語の単語ということで、適当に「SUKIYAKI」がタイトルとなったが、今でもスキヤキソングとして世界的に知られている。ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」のオーケストラの出だしに似ていることでも知られるが、むしろ坂本九のソウルに繋がるような歌い方がアメリカでヒットした理由だと思われる。
井村は、坂本九について、「1985年に飛行機事故で亡くなった」と語る(JAL123便墜落事故)。43歳の若さだった。坂本九は「全日空の方が安全」ということで、全日空しか使わなかったのだが、この日はたまたま全日空機のチケットが取れず、それでも大阪での友人の選挙演説に間に合わないといけないというので、仕方なく日本航空を使ったのだが、悲運な結末が待ち受けていた。
今はなくなった木屋町のバー「龍馬」に白人のグループが訪れ、「日本の代表的な曲を歌って欲しい」と言われたのでこの曲を歌ったのだが、大いに盛り上がった。

「あの素晴らしい愛をもう一度」。井村は、「京都の人である北山修の作曲」と紹介したが、厳密に言うと、北山修は作詞で、作曲は加藤和彦である。加藤和彦も京都の生まれで、すぐ関東に移っているが、大学は京都市伏見区にある龍谷大学経済学部に通い、在学中にデビューしているため、京都のミュージシャンのイメージが強い。ただ加藤本人はそうは思っていなかったようである。
井村は、「教科書に載っていて、合唱曲にもなっている」と説明。実際、私が高校時代に使っていた音楽の教科書にも載っていた。
ゆったりとしたテンポによるしっとりとしたアレンジでの演奏である。

「川の流れのように」。美空ひばりの代表曲である。井村は、「秋元康も今ほど有名ではなかった」と語ったが、実際には十分に有名であった。
美空ひばり最後のシングル曲であり、葬儀でも出席者が歌って追悼した曲である。見岳章の楽曲の特徴であるが、この曲も急激に音程が上がる部分がある。ちなみに美空ひばりは、52歳とかなり若くして亡くなっているのだが、最晩年の映像を今見ると70歳ぐらいに見える。この曲は秋元康がニューヨークのイーストリバーを眺めて詞の着想を得ている。

「地上の星」。NHKの「プロジェクトX」のテーマ曲として知られている。井村によると、この曲をリクエストした人の中に、46歳で一念発起して看護師を目指した女性がいるそうで、学校の先生に中島みゆきの曲を教えて貰い、色々聴いているうちにこの曲も好きになったそうである。

「世界に一つだけの花」。SMAPの代表曲である。井村は、「将来、教科書に載るかも知れませんね」と語る。

「見上げてごらん夜の星を」。聴衆も歌う。井村は「元々はミュージカルの曲」と紹介する。そのミュージカルを元にした映画が坂本九主演で撮られており、今も観ることが出来る。定時制高校を舞台とした青春群像である。この曲も教科書に載っているはずである。

「明日があるさ」。井村は、「6番までありますよ。大丈夫ですか?」と客席に問いかける。青島幸男の詞は「今ではストーカーソング」と言われることもあるが、喫茶店でのデートには漕ぎ着けているので、一方的なストーカーではないと思われる。


歌詞カードには「故郷」の歌詞が載っているため、アンコールで歌われることが分かる。「故郷」は有名なので、歌詞を見なくても歌うことが出来た。


演奏終了後、ホワイエで井村誠貴、内藤里美、大谷圭介によるお見送りがあった。

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2024年10月 5日 (土)

コンサートの記(858) ROHM CLASSIC SPECIAL「コバケン・ワールド in KYOTO」Vol.4

2024年9月28日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後2時から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、ROHM CLASSIC SPECIAL「コバケン・ワールド in KYOTO」Vol.4を聴く。

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炎のコバケンこと小林研一郎が日本フィルハーモニー交響楽団を指揮して行う「コバケン・ワールド」の京都公演4回目。日本フィルハーモニー交響楽団はロームシアター京都で定期的に演奏会を行っており、この「コバケン・ワールド」で今年3回目の演奏会となる。

1940年生まれの小林研一郎。84歳となった今年は、東京ドームで行われた読売巨人軍対広島カープの公式戦前の国歌演奏の指揮と、始球式を行っている。
東京藝術大学作曲科および指揮科卒業。藝大の作曲科時代は、「前衛でなければ音楽ではない」という教育に嫌気が差し、卒業はしたが指揮科に再入学している。今は藝大の入試は、国語と英語と実技のはずだが、当時は地歴も課されたようで、「日本史を勉強し直した」と語っている。
年齢制限に引っかかり、指揮者コンクールに参加出来ないことが多かったが、第1回ブダペスト国際指揮者コンクールは年齢制限が緩かったため受けることが可能で、見事1位を獲得。以後、ハンガリー国内での仕事も増え、ハンガリー国立交響楽団(現・ハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団)の常任指揮者を長きに渡って務めた。私が初めて聴いた小林指揮のコンサートも、東京国際フォーラムホールCでのハンガリー国立交響楽団の来日演奏会であった(メインは幻想交響曲。東京国際フォーラムホールCは音響が悪いので、演奏終了後、小林が、「ホールの関係だと思いますが、皆さんの拍手が小さいのです」と語っていた)。ネーデルランド・フィルハーモニー管弦楽団の常任客演指揮者、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の首席客演指揮者も務め、チェコ・フィル時代には「プラハの春」コンサートのオープニング演奏会、スメタナの連作交響詩「わが祖国」の指揮も行っている(リハーサル初日にチェコ・フィルの面々と喧嘩になったことが、「エンター・ザ・ミュージック」で明かされた)。
国内では日本フィルハーモニー交響楽団を指揮する機会が多く、常任指揮者などを経て、現在は桂冠名誉指揮者の称号を得ている。その他に、群馬交響楽団と名古屋フィルハーモニー交響楽団の桂冠指揮者、読売日本交響楽団の名誉指揮者、九州交響楽団の名誉客演指揮者の称号を保持。ロームミュージックファンデーションの評議員でもある。
京都市交響楽団の常任指揮者を2年務めており、出雲路の練習場と京都コンサートホールは小林の要望により、計画が進められている。


曲目は、スッペの喜歌劇「軽騎兵」序曲、エルガーの「愛の挨拶」(ヴァイオリン独奏:髙木凜々子)、サラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」と「カルメン幻想曲」(ヴァイオリン独奏はいずれも髙木凜々子)、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」

今日のコンサートマスターは日フィル・ソロ・コンサートマスターの扇谷泰朋(おうぎたに・やすとも)。ソロ・チェロに菊地知也の名がクレジットされている。
ドイツ式の現代配置での演奏。


スッペの喜歌劇「軽騎兵」序曲。20世紀には通俗名曲の一曲としてよく知られていたのだが、最近は録音でも実演でも接する機会が少ない。
小林研一郎は譜面台を置かず、暗譜での指揮。
最初のトランペットソロと続くホルン・ソロは奏者を立たせて演奏させた。
今日はロームシアター京都メインホールのレフトサイド、ハイチェア席で聴いたのだが、音の通りが良く、輪郭もクッキリと聞こえる。座っていて疲れるが、音は良い席であった。
金管は精度が今ひとつであったが、マスとしての響きは充実しており、軽快な演奏に仕上がっていた。小林は指揮をやめてオーケストラに任せるところがあった。

エルガーの「愛の挨拶」(弦楽伴奏版)、サラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」と「カルメン幻想曲」では、髙木凜々子(たかぎ・りりこ)がヴァイオリンソロを務める。

髙木凜々子は、東京藝術大学在学中にブダペストのバルトーク国際コンクールで第2位および聴衆賞を獲得。藝大卒業後に、シュロモ・ミンツ国際コンクール第3位、東京音楽コンクール第2位および聴衆賞、日本音楽コンクール第3位及びE・ナカミチ賞を受賞している。自身のYouTubeチャンネルに数多くの演奏動画をアップしているほか、パシフィックフィルハーモニア東京のアーティスティックパートナーソロとしても活躍している。
連続ドラマ「リバーサルオーケストラ」では、主演の門脇麦のヴァイオリンソロを当てたことで話題になっているが、このことは経歴には書かれていない。

この3曲では、小林研一郎はステージ正面上方から見て\のように斜めになった指揮台の上で指揮した。

髙木凜々子の演奏を聴くのは初めてだと思われる。
緋色のドレスで登場した髙木。かなりの腕利きだと思われるが、技術をひけらかすタイプではなく、的確に音の芯を狙っていくような演奏を行う演奏家である。

エルガーの「愛の挨拶」では、磨き抜かれた音が美しく、歌い方も優しい。

ヴァイオリンの独奏を伴う曲としては最も有名な部類に入る、サラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」。ロマの音楽を意識した曲ということもあり、髙木も荒めの音で入るなど、曲調の描き分けが的確である。左手ピッチカートにコル・レーニョ奏法が加わるなど、難度のかなり高い曲だが、メカニックも申し分ない。

「カルメン幻想曲」も勢いの良い美演。なお、「ハバネラ」演奏後に拍手が起こったため、髙木も小林も動きを完全に止めて拍手が収まるのを待った。
「ツィゴイネルワイゼン」でも「カルメン幻想曲」でも終盤に急激なアッチェレランドを採用。スリリングな演奏となった。


演奏終了後、髙木と小林がステージ上で話し合い、アンコール演奏を行うことに決める。髙木は、「J・S・バッハ、無伴奏ヴァイオリン・パルティータより“サラバンド”を演奏します」と言って演奏開始。典雅な演奏であった。なお、高木はYouTubeにこの曲の演奏をアップしており、聴くことが出来る


ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」。演奏前に、小林はマイクを手に、「皆さんと交流したいと思いまして」と語り始める。「来年も再来年も京都で演奏を行いたい」と抱負を語った後で、「曲の解説を行います」ということで、実際に日フィルに演奏して貰いながら、聴き所を語る。まず冒頭の運命主題(運命動機)。小林は「ヤパパパーン」と歌ってから、日フィルを指揮して運命主題を演奏。「これが世界で最も有名な運命主題であります」と語る。第2楽章の冒頭を「祈り」と解釈して演奏した後で、第3楽章の冒頭から運命動機の登場までを演奏。
最後は、第4楽章冒頭を2度演奏する。まず、「皆様の耳を聾するような(ママ)」全体での合奏。続いて、管楽器のみによる冒頭の演奏を行った。


小林研一郎の指揮なのでモダンスタイルによる演奏を予想していたのだが、実際は弦楽のノンビブラートなどピリオドの部分も少し入れている。
また、これまで聴いたことのない奏法や異なる響きがある。小林はこの曲も譜面台を置かず暗譜で指揮したが、おそらくブライトコプフ新版の楽譜を用いての演奏だと思われる。
ブライトコプフ新版は貸与のみのはずなので、一般人がスコアリーディングすることは難しい。
まず第1楽章でコントラバスがコル・レーニョのような奏法を行った上で弓を胴体に当てる音を出す。更にホルンが浮かび上がる。オーボエのソロもベルアップで吹く(演奏開始前に、日フィルのスタッフがオーボエ奏者の女性と話し合い、オーボエ奏者の女性が周りの奏者とも話す様が見られたが、このベルアップのことだったのだろうか)。
第4楽章でピッコロが浮かび上がる場所もベーレンライター版とは異なるため、やはりブライトコプフ新版の可能性が高いと見た。

演奏は、スマートさの方が勝っている。炎の指揮者と呼ばれるが、いたずらに熱い演奏を行う訳ではない。音も84歳の指揮者が引き出したものとは思えないほど若々しく、音が息づいている。冒頭は小さく2度振ってから始まるのだが、弦楽のフライングがあったのが残念である。
日フィルも以前はあっさりとした演奏が特徴だったのだが、今日は密度の高い音を聴かせてくれた。第4楽章に入るところで小林は客席を振り返るかのように左手を大きく掲げて外連を見せていた。


なお、本編終了後のみスマホでのステージ撮影が可となっている。

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小林はマイクを手に、「皆様のブラボー、拍手、声などが励みになります。反応がないと音楽は成り立ちません」と語り、「またお越し下さい」と述べた後で、「日フィルの方々が最も得意とされている曲があります。『ダニー・ボーイ』」とアンコール演奏曲目をアナウンスして演奏に入る。小林のアンコール演奏の定番でもある「ダニー・ボーイ(ロンドンデリーの歌)」。しっとりとした愛に溢れた演奏を行った。

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2024年10月 3日 (木)

観劇感想精選(470) 「十三代目 市川團十郎白猿襲名披露巡業」京都公演@ロームシアター京都メインホール

2024年9月21日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後1時から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、「十三代目 市川團十郎白猿襲名披露巡業」の京都公演を観る。

市川團十郎白猿を襲名し、京都での披露公演は、昨年12月に京都四條南座での顔見世で行われたのだが(所用により行けず)、47都道府県を巡る襲名披露巡業の一つとして、再び京都で、会場を変えて公演が行われることとなった。

演目は、「祝成田櫓賑(いわうなりたしばいのにぎわい)」、「十三代目市川團十郎白猿襲名披露口上」、「河内山(こうちやま)」


「祝成田櫓賑」には團十郎は出演しない。市川團十郎の襲名を祝うための歌舞伎舞踊の演目であり、それ以外の時には上演されないのだと思われる。今井豊成の補綴、藤間勘十郎の振付。
出演は、市川右團次、市川九團次、大谷廣松、市川新十郎、市川升三郎、片岡市蔵ほか。

踊りの家に生まれた右團次だけに、舞踊には迫力とメリハリがあり、魅せる。流れを生みつつ、名捕手のキャッチングのようにビシッと止める様が格好いい。九團次と廣松のコンビも息の合った舞踊を見せる。廣松は立っているだけで艶(あで)な感じが出ているのが良い。


「十三代目市川團十郎白猿襲名披露口上」。團十郎白猿と、中村梅玉が出演する。
まず、中村梅玉が、株式会社松竹からのご提案、諸先輩からのお引き立て、後援してくれるのお客様からのご声援により、このたび市川海老蔵改め第十三代目市川團十郎白猿を襲名する運びになったことを告知する。梅玉は、團十郎白猿のことを、「先代と同じく大きな役者」と讃え、伝統を守りつつ新しいことに挑む、言うのは容易いが行うのは難しいことを成し遂げる力を持った俳優だと賛美し、歌舞伎界に革新をもたらす可能性を示唆する。
また、「河内山」では、團十郎の相手役をずっとやっているが、成長していくのが間近で感じられると褒め称えた。

市川團十郎白猿の襲名披露口上。株式会社松竹からのご提案等、梅玉と同じ言葉を繰り返して、襲名に至る過程と感謝を述べ、代々続いてきた大名跡を受け継ぐ覚悟を口にする。

そこから京都の思い出を語る。子どもの頃、顔見世のある12月には父親(第十二代目市川團十郎)と共に京都に来て、旅館で過ごしていた。父親の帰りが夜遅くなることもあり、その間ずっと旅館で「大変なんだろうな」と思って待っていたと回想する。それでも朝になると父親が、南座まで連れて行ってくれたこともあったそうである。父親が演じる「助六」を初めて観たのも京都においてだった。

ちなみに、「私はロームシアターは初めてでして。これがロームシアターでの顔見世。大好きな京都で二度襲名披露の顔見世が出来て嬉しい」と述べる。

京都での初演目は「連獅子」であったそうだが、「来月、大阪松竹座の襲名披露で、私が親獅子で『連獅子』をやります。京都から(新)大阪までは、新幹線で16分。観に来て頂ければ」と宣伝していた。京都から大阪まで新幹線で行く人はまずいないと思われるが。新大阪駅から地下鉄御堂筋線に乗って、心斎橋まで行くわけだが、新大阪駅は大阪市の北の外れの方にあるので、案外、時間が掛かるはずで、京阪や阪急を使った方が便利だと思われる。ちなみに團十郎は「連獅子」で共演する息子のことを新之助ではなく、勸玄と本名で呼んでいた。

梅玉がそれを受け、「歌舞伎の発展のために尽くす所存。隅から隅までずずずいーっと、宜しくお願い申し上げます」と二人で頭を下げ、頭を上げてから團十郎が「これからもご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い申し上げます」と言って再び二人で頭を下げた。


「河内山」。正式には「天衣紛上野初花 河内山」で、河竹黙阿弥の作である。出演は、市川團十郎白猿(市川海老蔵改め)、市川右團次、大谷廣松、中村莟玉(かんぎょく)、市川新蔵、中村梅蔵、市川新十郎、市川升三郎、中村梅秋、市川右田六、市川九團次、片岡市蔵、中村梅玉ほか。

江戸が舞台である。下谷の質屋、上州屋の娘である浪路(中村莟玉)が、18万石の大守、松江出雲守(中村梅玉)の江戸屋敷に奉公に出たのだが、美人であったため、松江出雲守に見初められる。しかし浪路には、許婚がいたため、松江出雲守の誘いを断った。松江出雲守は、激怒し、浪路を一室に閉じ込めてしまう。浪路の父親である上州屋の主がこれを知り、親類である和泉屋清兵衛に助けを求める。清兵衛は、江戸城の御数寄屋茶坊主である河内山宗俊(市川團十郎白猿)に相談。河内山は、坊主であることを利用し、上野の東門主(上野にある東叡山寛永寺の主)の使いの高僧、北谷道海として松江出雲守の江戸屋敷に乗り込む。

まず、河内山邸の庭先で、河内山の家来である桜井新之丞(市川九團次)らが、慣れない若侍の格好をして、松江出雲守の江戸屋敷でのことを語っているが、ここで客席の方に向き直って、これまでのあらすじとこれからの大まかな出来事を語る口上役となる。河内山は、礼金200万両を要求している。果たして善人なのか金の亡者なのか、それは見る人にお任せするというスタイルであることを語る。ちなみに「山吹の茶」という言葉が出てくるが、これは金子(きんす)のことだと説明する。
ここでいったん幕が閉じられ、幕が再び開くと、舞台は松江出雲守の江戸屋敷内広間に変わっている。松江出雲守は浪路を手討ちにしようとするが、近習頭の宮崎数馬(大谷廣松)に止められる。諫言する数馬に出雲守は更に怒りを爆発させるが、北村大膳(片岡市蔵)が、数馬と浪路の密通を疑う発言をしたために自体は更にエスカレート。だがここは家老の高木小左衛門(市川右團次)が出雲守を何とかなだめた。
上野の東門主の使いの高僧が来訪したとの知らせがあり、一同はいったん、落ち着く。出雲守は、奥に引っ込み、病気を称する。

高僧、北谷道海は、出雲守がいないのを見とがめ、松江出雲守の家の大事のことだと告げて、出雲守を呼び出す。出雲守は、病気のところを無理して出てきたという風を装う。
道海は、浪路を家に帰すよう出雲守に告げる。渋る出雲守であったが、絶大な権力を持つ東叡山寛永寺の僧である道海は、老中らとの繋がりをちらつかせ、出雲守もこれを受け入れざるを得なくなった。
道海への接待が行われるが、道海は、「酒は五戒に触る」として代わりに山吹の茶を所望する。運ばれてきた金子に道海が手を伸ばそうとした時に、時計が鳴り、道海は思わず手を引っ込める。

場所は変わって、松江出雲守の屋敷の玄関先。道海が帰ろうとするが、大膳が道海を呼び止める。大膳は以前、江戸城での茶会で河内山を見たことがあり、道海の正体が河内山であることを見抜いていた。河内山の左頬には大きなほくろがあるのだが、それが証拠だという。河内山も仕方なく正体を明かす。
大膳は河内山を斬首にしようとするが、河内山は幕府の直参であり、安易に手出しが出来ないことを大膳に教える。また、自分に手を出そうとすれば、この松江出雲守の行状を明かすと脅す。家老の小左衛門が大膳をとがめ、河内山は悠然と帰路に就く。大柄の大膳を「大男、総身に知恵が回りかね」という有名な川柳で揶揄し、「バーカーめ!」となじりながら去るのであった。


歌舞伎の場合、日頃から自宅などでも稽古を繰り返して、役をものにしてから本番に臨むのが常であるが、團十郎の演技はフリージャズ風。動きや感情にある程度余裕を持たせ、予め作り上げて再現するというよりも、その場その場、そして相手によって即興的に合わせた演技を行っているように感じられる。実際にどうなのかは分からないが、少なくともそういう風には見える。セリフが強弱、緩急共に自在というのもそうした印象を強めることになる。海老蔵時代にはこんな演技はしていなかったはずだが、歌舞伎界最高の名跡である市川團十郎を手にしたことで、独自のスタイルを生み出すことに決めたのかも知れない。少なくとも私は、今日の團十郎のような演技をする歌舞伎俳優を見るのは初めてである。

スキャンダルが多く、人間的には好ましくない人物なのかも知れない團十郎白猿。しかし歌舞伎俳優としての才能には、やはり傑出したものがありそうだ。今後、團十郎白猿は歌舞伎界を変えていくだろう。

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2024年10月 2日 (水)

我最喜欢的女演员

我最喜欢的女演员、是麻生久美子小姐(我能唱麻生久美子小姐的歌「请给我杜鹃花(Shakunagenohana)」在卡拉OK) 和伊藤沙莉小姐(其实我母亲的旧姓也是伊藤)。她们两个人都是千叶人的。我很喜欢千叶的女人

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