コンサートの記(866) アジア オーケストラ ウィーク 2024 ハンス・グラーフ指揮シンガポール交響楽団@京都コンサートホール エレーヌ・グリモー(ピアノ)
2024年10月19日 京都コンサートホールにて
アジア オーケストラ ウィークが関西に戻ってきた。
午後4時から、京都コンサートホールで、アジア オーケストラ ウィーク 2024 京都公演を聴く。
アジアのオーケストラを日本に招く企画、「アジア オーケストラ ウィーク」は、当初は東京の東京オペラシティコンサーホール“タケミツ メモリアル”と大阪のザ・シンフォニーホールの2カ所で行われていたが、東日本大震災復興への希望を込めて、東京と東北地方での開催に変更。関西で聴くことは叶わなくなっていた。だが、今年は一転して京都のみでの開催となっている。
シンガポール交響楽団は、1979年創設と歴史は浅めだが、アジアのオーケストラの中ではメジャーな方。ラン・シュイ(水蓝)が指揮したCDが数点リリースされている。
治安が良く、街が綺麗なことで知られるシンガポール(そもそもゴミを捨てると罰金刑が課せられる)。日本人には住みやすく、「東京24区」などと呼ばれることもあるが、シンガポール自体は極めて厳しい学歴主義&競争社会であり、シンガポールに生まれ育った人達にとって必ずしも過ごしやすい国という訳でもない。競争が厳しいため、優秀な人が多いのも確かだが。
シンガポールもヨーロッパ同様、若い頃に将来の進路を決める。芸術家になりたい人はそのコースを選ぶ。学力地獄はないが、音楽性の競い合いもまた大変である。
無料パンフレットには、これまでのアジア オーケストラ ウィークの歴史が載っている。私がアジア オーケストラ ウィークで聴いたことのあるオーケストラは以下の通り、会場は全て大阪・福島のザ・シンフォニーホールである。
上海交響楽団(2004年)、ソウル・フィルハーモニック管弦楽団(2004年。実はソウルには日本語に訳すとソウル・フィルハーモニック管弦楽団になるオーケストラが二つあるという紛らわしいことになっており、どちらのソウル・フィルなのかは不明)、ベトナム国立交響楽団(2004年。本名徹次指揮)、大阪フィルハーモニー交響楽団(2004年。岩城宏之指揮。これが岩城の実演に接した最後となった)、オーストラリアのタスマニア交響楽団(2005年。オーストラリアはアジアではないが、アジア・オセアニア枠で参加)、広州交響楽団(2005年。余隆指揮。このオーケストラがアジア オーケストラ ウィークで聴いた海外のオケの中では一番上手かった)、ハルビン・黒龍江交響楽団(このオケがアジア オーケストラ ウィークで聴いた団体の中では飛び抜けて下手だった。シベリウスのヴァイオリン協奏曲を取り上げたが、伴奏の体をなしておらず、ソリストが不満だったのか何曲もアンコール演奏を行った。女性楽団員が「長いわね」と腕時計を見るって、何で腕時計してるんだ?)。一応、このオーケストラは朝比奈隆が指揮したハルビン交響楽団の後継団体ということになっているが、歴史的断絶があり、実際は別のオーケストラである。この後、アジア オーケストラ ウィークは大阪では行われなくなった。2021年にはコロナ禍のため、海外の団体が日本に入国出来ず、4団体全てが日本のオーケストラということもあった。日本もアジアなので嘘偽りではない。
2022年には琉球交響楽団が参加しているが、大阪ではアジア オーケストラ ウィークとは別の特別演奏会としてコンサートが行われている。
そして今年、アジア オーケストラ ウィークが京都に来た。
指揮は、2022年にシンガポール交響楽団の音楽監督に就任したハンス・グラーフ。2020年にシンガポール響の首席指揮者となり、そこから昇格している。オーストリア出身のベテラン指揮者であるが、30年ほど前に謎の死亡説が流れた人物でもある。当時、グラーフは、ザルツブルク・モーツァルティウム管弦楽団の音楽監督で、ピアノ大好きお爺さんことエリック・ハイドシェックとモーツァルトのピアノ協奏曲を立て続けに録音していたのだが、「レコード芸術」誌上に突然「ハンス・グラーフは死去した」という情報が載る。すぐに誤報と分かるのだが、なぜ死亡説が流れたのかは不明である。ハイドシェックは、当時の大物音楽評論家、宇野功芳(こうほう)の後押しにより日本で人気を得るに至ったのだが、宇野さんは敵が多い人だっただけに、妨害工作などがあったのかも知れない。ともあれ、ハンス・グラーフは今も健在である。
これまで、ヒューストン交響楽団、カナダのカルガリー・フィルハーモニー管弦楽団、フランスのボルドー・アキテーヌ管弦楽団、バスク国立管弦楽団、ザルツブルク・モーツァルティウム管弦楽団の音楽監督として活躍してきた。
曲目は、メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」序曲、ラヴェルのピアノ協奏曲ト長調(ピアノ独奏:エレーヌ・グリモー)、シンガポールの作曲家であるコー・チェンジンの「シンガポールの光」、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」
開演の大分前から、多くの楽団員がステージ上に登場。さらっている人もいるが特に何もしていない人もいる。そうやって人が増えていって、最後にゲストコンサートマスターのマルクス・グンダーマン(でいいのだろか。アルファベット表記なので発音は分からず)が登場して拍手となる。なお、テューバ奏者としてNatsume Tomoki(夏目智樹)が所属しており、夏目の「アジア オーケストラ ウィークに参加出来て光栄です」という録音によるメッセージがスピーカーから流れた。
ヴァイオリン両翼の古典配置がベースだが、ティンパニは指揮者の正面ではなくやや上手寄り。指揮者の正面にはファゴットが来る。またホルンは中央上手側後列に陣取るが、他の金管楽器は、上手側のステージ奥に斜めに並ぶという、ロシア式の配置が採用されている。なぜロシア式の配置を採用しているのかは不明。
多国籍国家のシンガポール。メンバーは中華系が多いが、白人も参加しており、日本人も夏目の他に、第2ヴァイオリンにKURU Sayuriという奏者がいるのが確認出来る。
グラーフは、メンデルスゾーンとベートーヴェンは譜面台を置かず、暗譜で振る。指揮姿には外連はなく、いかにも職人肌というタイプの指揮者である。その分、安定感はある。
メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」序曲は、各楽器、特に弦楽器がやや細めながら美しい音を奏でるか、ホールの響きに慣れていないためか、内声部が未整理で、モヤモヤして聞こえる。それでも推進力には富み、活気のある演奏には仕上がった。
ラヴェルのピアノ協奏曲ト長調。今年はラヴェルの伝記映画が公開され、ピアノ協奏曲の2楽章がエンディングテーマとして使用されている。
ソリストのエレーヌ・グリモーは、フランスを代表する女流ピアニスト。変人系美人ピアニストとしても知られている。幼い頃からピアノの才能を発揮するが、同時に自傷行為を繰り返す問題児でもあった。美貌には定評があり、フランス本国ではテレビCMに出演したこともある。オオカミの研究者としても知られ、オオカミと暮らすという、やはりちょっと変わった人である。先月来日する予定であったが、新型コロナウイルスに感染したため予定を変更。心配されたが、X(旧Twitter)には、「東アジアツアーには参加する」とポストしており、予定通り来日を果たした。
グリモーのピアノであるが、メカニックが冴え、第1楽章では爽快感溢れる音楽を作る。エスプリ・クルトワやジャジーな音楽作りも利いている。
第2楽章は遅めのテンポでスタート。途中で更に速度を落とし、ロマンティックな演奏を展開する。単に甘いだけでなく、夢の中でのみ見た幸せのような儚さもそこはかとなく漂う。
第3楽章では、一転して快速テンポを採用。生まれたてのような活きのいい音楽をピアノから放っていた。
アンコール演奏は2曲。シルヴェストロフの「バガテル」は、シャンソンのような明確なメロディーが特徴であり、歌い方も甘い。ブラームスの間奏曲第3番では深みと瑞々しさを同居させていた。
休憩を挟んで、コー・チェンジンの「シンガポールの光」。オーケストラの音の輝きを優先させた曲だが、音楽としてもなかなか面白い。揚琴(Yangqin)という民族楽器を使用しているが、楽器自体は他の楽器の陰に隠れて見えず。演奏しているのはパトリック・Ngoというアジア系の男性奏者である。良いアクセントになっている。
ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」。日本では「運命」のタイトルで知られるが(西洋では余り用いられない。ごくたまに用いられるケースもある)、北京語では運命のことを命運と記すので、「運命」交響曲ではなく、「命運」交響曲となる。
冒頭の運命動機はしっかりと刻み、フェルマータも長めで、その後、ほとんど間を空けずに続ける。流線型のフォルムを持つ格好いい演奏である。アンサンブルの精度は万全とはいえないようで、個々の技術は高いのだが、例えば第4楽章に突入するところなどは縦のラインが曖昧になっていたりもした。
ただ全般的には優れた部類に入ると思う。グラーフには凄みはないが、その代わりに安心感がある。
ラスト付近のピッコロの音型により、ベーレンライター版の譜面を使っていることが分かった。
アンコール演奏は、ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」。丁寧で繊細で典雅。シンガポール響の技術も高く、理想的な演奏となる。グラーフも満足げな表情を浮かべていた。
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