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2024年10月29日 (火)

これまでに観た映画より(348) ドキュメンタリー映画「拳と祈り-袴田巌の生涯-」

2024年10月28日 京都シネマにて

ドキュメンタリー映画「拳(けん)と祈り-袴田巌の生涯-」を観る。その名の通り、袴田事件の容疑者として死刑宣告が行われ、以後、47年7ヶ月を死刑囚として過ごした袴田巌さんの釈放後の姿と、袴田事件の概要を描いた作品。監督・撮影・編集は笠井千晶。

袴田事件は、1966年6月30日未明に、静岡県清水市(現・静岡市清水区)で起こった一家惨殺事件。味噌製造会社の専務一家のうち4人が刺殺され、全焼した民家から見つかった事件で、味噌製造会社に住み込みで働いていた当時30歳の袴田巌さんが容疑者として静岡県警清水警察署に逮捕されている。袴田巌さんは元プロボクサーで(タイトルの「拳と祈り」の拳はボクシングの意味である)、バーの経営者となったが成功せず、味噌製造会社の従業員となっていた。殺害された専務は柔道を得意とする巨漢であったが、「ボクサーなら殺害も可能」という偏見もあり、拷問を伴う激しい取り調べによる自白が証拠とされた。また、当初は袴田さんが着ていたパジャマに微量の血痕がついていたとされていたが、事件発生の1年2ヶ月後に血まみれの衣服5点が味噌樽の中から見つかる。袴田さんと同じB型の血液が付着しており、これが袴田さんのものとされ、証拠とされたのだが、実際に着て貰ったところ、ズボンが小さすぎて履けないなど、衣服が袴田さんのものでない可能性が高まった。
血液型がB型の者などいくらでもいる。
自白以外に証拠がないまま静岡地方裁判所での一審で死刑の判決が下り、袴田さんは無罪を主張し続けたが、控訴、上告共に棄却され、死刑が確定する。

当初から冤罪説は根強く、何度も再審請求がなされ、2014年に再審の決定と、袴田さんの死刑及び拘置の執行停止が行われ、袴田さんは釈放された。
釈放後、袴田さんは姉の秀子さんと共に静岡県浜松市で静かな生活を送るようになる。45年以上に渡って拘置所におり、一般人と接する機会がほぼなかった袴田さん。親しい人を作る機会は奪われ、コミュニケーション能力も十分に培うことは叶わなかった。友人らしき人はいない。
笠井監督は秀子さんと交流があり、この辺りから、袴田姉弟を中心とする人々の映像が撮られるようになる。袴田さんはひたすら歩くことを日々の課題とする生活を送っている。映画「フォレスト・ガンブ/一期一会」に、主人公のフォレスト・ガンブ(トム・ハンクス)がひたすら走り続ける生活を送る日々が描かれているが、それに近いものを感じる。
袴田さんは、「世界平和」などへの祈りを繰り返し語っていたりもする。

映画では、静岡県警による計48時間にも及び袴田さんへの取り調べ音声からの抜粋なども用いられている。

袴田さんは現在の浜松市生まれ。中学卒業後、昼間は工場で働いて夜はボクシングに励むという日々を送り、国体にも出場。その後、プロボクサーを目指し、川崎市内のボクシングジムに入ってトレーニングを行う。当時の袴田さんについて、ボクシング評論家の郡司信夫やボクシング雑誌の編集者らは、「とてもタフな選手」と評している。年間19試合出場は現在でも年間最多試合出場の記録となっている。プロボクサーとしてはまずまずの成績を収めるが、体調に問題が発生したため引退。結婚してバーを経営。子どもも出来るが、運営の才覚はなかったようでバーは1年で廃業。清水市内の味噌製造会社の従業員となり、ここで事件が起きている。

死刑が確定してからも証拠が余りに乏しく、冤罪の余地があったためか死刑は執行されず、この間、支援者による再審請求の輪が広がっていく。
2014年に証拠とされた衣服5点のDNA鑑定が行われ、これらが袴田さんのものである可能性が否定される。死刑と拘置の執行停止はこの鑑定結果が大きい。

しかし釈放されたとはいえ、無罪を勝ち取った訳ではなく、袴田さんもすでに高齢。再審を急ぐ必要があった。
実は静岡地方裁判所で行われた第一審でも、裁判官のうち2人は死刑の判決をしたが、1人は無罪との判断をしている。だが無罪の判断をした熊本典道裁判官は判決を覆すよう言われた上、死刑執行の決定書などを書かされている。熊本裁判官は、このことをずっと苦にしており、裁判官から弁護士に転身し、袴田さんの無罪を訴える運動に参加している。また袴田さんが獄中でカトリックに入信すると、自身もカトリックの洗礼を受けた。年老いた熊本氏の様子や、死が迫った熊本氏が入院する福岡市内の病院を袴田さんと秀子さんが訪ねる場面をカメラは捉えている。

カナダのトロントに住む、ルービン・カーターへの取材が行われる。かつてルービン・“ハリケーン”カーターの名でプロボクサーとして活躍したルービン・カーター。袴田事件の起こった1966年に殺人の容疑で逮捕され、終身刑の判決を受けたが、89年に証拠不十分で釈放されている。以後は冤罪救済活動団体を組織して活動。その半生がデンゼル・ワシントン主演による「ザ・ハリケーン」というタイトルの映画になったり、ボブ・ディランに「ハリケーン」という曲で歌われてもいるカーター。袴田さんの支援者がモデルケースとした人物でもある。同じ冤罪容疑の元プロボクサーという共通点のある袴田さんへのメッセージを語るカーターであるが、そのカーターも2014年に結果を知ることなく他界する。

その2014年に袴田事件の再審が決まったが、2018年に東京高裁は再審請求を棄却。ただし死刑と拘置の執行停止は保持される。弁護側は特別抗告を行った。
再審が始まるも、検察側は、執拗に「死刑」の求刑を求める。
そして今年の9月26日(ついこの間である)、袴田さんの無罪判決が下る。10月9日に検察側が上訴権の放棄を決定し、無罪が確定した。

お姉さんの秀子さんが明るい人で、それが救いにもなっている。孤独な僧侶のようにも見える袴田さん。事件がなかったらどんな人生を歩んでいたのだろうか。

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