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2024年10月26日 (土)

東京バレエ団創立60周年記念シリーズ10「ザ・カブキ」全2幕@高槻城公園芸術文化劇場 南館 トリシマホール

2024年10月18日 高槻城公園芸術文化劇場 南館 トリシマホールにて

午後6時30分から、高槻城公園芸術文化劇場 南館 トリシマホールで、東京バレエ団の創立60周年記念シリーズ10「ザ・カブキ」全2幕を観る。振付:モーリス・ベジャール、作曲:黛敏郎。
歌劇「金閣寺」、歌劇「古事記(KOJIKI)」など、舞台作品でも優れた音楽を残している黛敏郎(1929-1997)。バレエ作品としてはコンサートでもよく取り上げられる「BUGAKU(舞楽)」が有名だが、「ザ・カブキ」も上演時間2時間を超える大作として高く評価されている。1986年にモーリス・ベジャールを東京バレエ団に振付家として招くために委嘱されたバレエ作品で、歌舞伎の演目で最も有名な「仮名手本忠臣蔵」をバレエとして再現した作品である。ベジャールは歌劇「金閣寺」を聴いて感銘を受けていたことから黛敏郎に作曲を依頼。黛は、電子音楽や邦楽を入れるなど、自由なスタイルで作曲を行っている。なお、様々な音楽が取り入れられていて生演奏は困難であることから、初演時から音楽は録音されたものが流され、レコーディングでの指揮は作曲者の黛敏郎が担当した。
今回も音楽は録音されたものが流されたが、「特別録音によるもの」とのみ記載。ただ、初演時と同じものである可能性が高い。新しい劇場なのでスピーカーの音響は良い。


ファーストシーンは現代の東京。若者達が電子音に合わせて踊っていると、黒子が現れて、刀を一振り渡す。受け取った男は歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」の世界へと入っていく。

なお、この作品は、おかると勘平が二組現れるのが特徴。一組は「仮名手本忠臣蔵」のおかると勘平で、もう一組は現代のおかると勘平である。


会場となっている高槻城公園芸術文化劇場 南館 トリシマホールは、2023年3月にオープンしたまだ新しい施設。元々は、近くに高槻市民会館という1964年竣工の文化施設が高槻現代劇場と名を変えて建っていたのだが、ここでお笑いの営業を行った笑い飯・哲夫に「えらく古い現代劇場」と言われるなど老朽化が目立っていた。そこで閉鎖して新たに南館を建設。1992年竣工の北館と合わせて高槻城公園芸術文化劇場となった。その名の通り、高槻城跡公園に隣接した場所にあり、かつては高槻城の城内に当たる土地にあるため周囲がそれらしく整備されおり、堀が掘られ、石垣が築かれてその上に狭間のある塀が立つなど、城郭風の趣を醸し出している。トリシマは、高槻市に本社を置く酉島製作所のネーミングライツである。

ホール内の形状についてであるが、一時は、コンサートホール風にサイドの席を平行にして向かい合うようなデザインが流行ったことがあったが、最近は視覚面を考慮してか、往年の公会堂のように、客席から見て「八」の形のようになる内部構造を持つホールがまた増えており、トリシマホールもその一つである。天上も余り高くなく、比較的こぢんまりとした空間だが、大都市のホールではないので、クラシック音楽にも対応出来るよう、風呂敷を広げすぎない設計なのは賢明である。小ホールやリハーサル室など多くの施設が同じ建物内に詰め込まれているため、ホワイエがやや狭めなのが難点で、クロークもあるのかどうか分からなかった。


話を作品内容に戻すと、「仮名手本忠臣蔵」の世界に彷徨い込んだ男は、大星由良助(大石内蔵助の「仮名手本忠臣蔵」での名前)として中心人物になる。松の廊下(時代が室町時代初期に置き換わっているので、江戸城ではなく室町幕府の鎌倉府の松の廊下である)で、浅野内匠頭長矩をモデルにした塩冶判官が、高家の吉良上野介義央をモデルとした高師直に斬りかかり、切腹を命じられる。鎌倉府内には丸に二引きの足利の紋がかかっていたが、切腹の際には、浅野の家紋である「違い鷹の羽」(日本で最も多い家紋でもある)の紋が描かれた衝立が現れる。
「いろは四十七文字」を書いた幕が下りてきて、47人の浪士達が討ち入ることが暗示される。

出演は、柄本弾(つかもと・だん。由良助)、中嶋智哉(なかしま・ともや。足利直義)、樋口祐輝(塩冶判官)、上野水香(ゲスト・プリンシパル。顔世御前)、山下湧吾(力弥)、鳥海創(塩冶判官)、岡崎隼也(おかざき・じゅんや。伴内)、池本祥真(勘平)、沖香菜子(おかる)、後藤健太朗(現代の勘平)、中沢恵理子(なかざわ・えりこ。現代のおかる)、岡﨑司(定九郎)、本岡直也(薬師寺)、星野司佐(ほしの・つかさ。石堂)、三雲友里加(遊女)、山田眞央(男性。与市兵衛)、伝田陽美(でんだ・あきみ。おかや)、政本絵美(お才)、山下湧吾(ヴァリエーション1)、生方隆之介(うぶかた・りゅうのすけ。ヴァリエーション2)。
四十七士ということで終盤では人海戦術も投入される。

「仮名手本忠臣蔵」は大長編なので、ハイライトのみの上演となる。昔、兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、一晩の上演で「仮名手本忠臣蔵」を全て見せるという実験的公演が渡辺徹の主演、加納幸和の演出で行われたことがあるが、それに近い。
松の廊下事件と塩冶判官の切腹を受けての城明け渡しと、浪士達の血判状の場面。山崎街道での定九郎による襲撃と定九郎のあっけない死(バレエなので、「…五十両」のセリフはなし。ただ元々ここは端役による繋ぎのシーンだったのだが、中村仲蔵が一人で名場面に変え、それがバレエ作品にも採用されているというのは興味深い)。おかると勘平の別れ。祇園・一力での女遊びと見せかけた欺き(大石内蔵助が遊んだのは実際には祇園ではなく、伏見の撞木町遊郭=現存せずである)。顔世御前と由良助の場。討ち入りの場と全員切腹である。

日本のバレエダンサー、特に男性ダンサーは白人に比べると体格面で圧倒的に不利であり、迫力が違うのだが、日本が舞台の作品で日本人ダンサーしか出ないということでさほど気にはならない。フィギュアスケートで、日本人の男性選手が金メダルを取るようになったことからも分かる通り、食生活の変化で日本人の体格も良くなっており、近い将来ではないかも知れないが、世界的な日本人男性バレエダンサーが今以上に活躍する日が来るかも知れない。女性ダンサーも体格面では劣るが、可憐さなど、それ以外の部分で勝負出来るので、男性と比較しても未来は明るいだろう。
いずれのダンサーも動きにキレがあり、十分な出来である。

演出面であるが、高師直の生首を素のままぶら下げてずっと歩いているというのが、西洋人的な発想である。日本では生首はすぐに布などで包むのが一般的である。
日本的な美意識を日章旗や太陽の影で表すのも直接的で、日本人の振付家ならやらないかも知れない。ただお国のために特攻までやってしまったり、「一億玉砕」を掲げる精神が浮き彫りにはなっている。
ラストに向かって人数が増えて盛り上がっていくところはあたかも視覚的な「ボレロ」のようであるし、一力での甲高い打楽器の音と低弦の不穏な響きなど、重層的な音響が用いられている。またショスタコーヴィチの交響曲第5番の冒頭がパロディー的に用いられるなど、全体的にロシアの作曲家を意識した音楽作りとなっている。黛敏郎は思想的には右翼だったが、左翼の芥川也寸志と親しくしており(坂本龍一とも親しく、高く評価していたため、思想と音楽性は別と考えていたようだ。指揮者に憧れを持っていた坂本龍一は、黛に「坂本君の指揮いいね」と生まれて初めて指揮を褒められて感激している)、ソ連の音楽の理解者であった芥川から受けた影響も大きいのかも知れない。

後年は、「題名のない音楽会」の司会業や政治活動などにのめり込んで、作曲を余りしなくなってしまった黛敏郎。岩城宏之や武満徹から「黛さん、作曲して下さいよ」と度々言われていたという。そのため、作曲家としてのイメージが遠ざかってしまったきらいがあるが、実力者であったことは間違いなく、作品の上演が増えて欲しい作曲家である。

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