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2024年11月 5日 (火)

観劇感想精選(475) 広田ゆうみ+二口大学 別役実 「クランボンは笑った」京都公演@UrBANGUILD KYOTO

2014年10月15日 木屋町のUrBANGUILD KYOTOにて観劇

午後7時30分から、木屋町にあるUrBANGUILDで、広田ゆうみ+二口大学の「クランボンは笑った」を観る。別役実が1996年に書いて同年に初演された作品。別役実の100作目の戯曲に当たる(処女作をカウントせず、他の作品が100作目という説もあるようだが)。1996年ということで、携帯電話が普及しており、この作品にも登場する。
広田ゆうみと二口大学は、別役実の二人芝居を継続して上演しており、長野県上田市や愛媛県松山市、三重県津市などでの上演を行っているが、本拠地の京都での上演は劇場ではなくライブハウス兼イベントスペースであるUrBANGUILDを使って行われることも多い。小さな空間なので臨場感はある。演出は広田ゆうみが担当。

「クランボンは笑った」という言葉は教科書にも載っているので知っている人は多いと思われるが、宮沢賢治の「やまなし」という短い文芸作品の中に現れる謎に満ちた言葉(宮沢賢治の表記では「クラムボン」)である。

別役実のこの戯曲にも「クランボンは笑った」「クランボンは死にました」というセリフは出てくるが、宮沢賢治の「やまなし」の内容と直接的な関係はない。

ライブハウス兼イベントスペースでの上演なので、開演前は二口さんがずっといて、客席や知り合いに話すなど、リラックスしたムードである。上演時間は約65分。


上手から、広田ゆうみ扮する、死の間際の女が登場。月夜であるが、日傘(パラソル)を差している。病院で死を待つばかりなのだが、病棟を抜け出してハイキングを行うつもりなのだ。医師からは三月の命と宣告されたが、三月が過ぎても死の予兆はない。夜の病院の庭なので、誰もいないはずなのだが、下手から男(二口大学)が現れる。黒い衣装に白い手袋(この白い手袋は「覆うもの」の意味を持っているようである)。男は女のために椅子と机を用意し、テーブルクロスを掛けるが、テーブルクロスには染みがある。だがあってもいいものらしい。その後、男の正体が葬儀屋であり、病院の庭の一角にある道具小屋に住んでいることが分かる。なぜ葬儀屋が病院の一角に住んでいて庭にいるのかだが、末期の病人ばかりの病院なので、他の業者よりも遺体を早く引き取ろうという魂胆なのかもしれない。とにかく葬儀屋は椅子に腰掛け、女と話を始める。途中でケータイに電話がかかってきて、「クランボンは笑った…?」などと話して切るが(戯曲にはクエスチョンマークがついているので、男が「クランボン」がなんなのか分かっていないことが分かる)ちなみに「上から」かかってきた電話であるが、会社の上司というわけではないようだ。「クランボン」が暗号なのか何なのか意味が分からないのは宮沢賢治の作品と一緒である。男が女に近づいたのは、死が間近との情報を得ているので、亡くなった後の遺体の処理の契約を取り付けて金儲けしようとしているのかも知れない。実際、契約書の話なども出てくる。饗応のポーズをするのもそのためか。ただ詳しいことは明かされない。

女はバスケットの中にホットミルクティーの入ったポットを入れているのだが、カップを二つ持ってきている。まるで誰かとお茶するかのようである。また女はキュウリのサンドウィッチを持参している。これも二人分なので誰かと食べるためだろう。女は「あなた」と呼びかけるのだが、誰に対してなのかは本人も分かっていない。葬儀屋に呼びかける時もあるのだが、そうではない時もある。

汽笛が鳴る。最終列車だ。しかし女はそれよりも後に出発する列車があることを知っている。その列車はハルビンなどの旧満州(この言葉は劇中に出てこないため、知識のない人にはなぜこの都市の名前が出てくるのか分からないはずである)へ向かう。なお、別役実は旧満州出身である。
同じ病室にいた白系ロシア人の老婦人、マリアン・トーノブナの話が出てくる。夫のミハイルと共にハルビンに住み、大連に向かったという、白系ロシア人絡みの土地の名が出てくることから、白系ロシア人らしいことが分かるのだが、この白系ロシア人の老婦人が、死の前に、葬儀屋をロシア正教の神父と勘違いして懺悔を行い、告白を行っているのである。女はその情報を男から聞かされる。女はマリアン・トーノブナから葬儀屋がどこに現れるのかも聞いている。そして、何故、カップを二つ用意したのか、一緒にキュウリと辛子のサンドウィッチを食べるよう仕向けたのかが分かるようになる……。

結局、女と白系ロシア人の女性であるマリアン・トーノブナの秘密は封じられ(流れのようなものがあるそうである)、「クランボン」の正体はよく分からないことになっている(女は「クランボンは死にました」と「上から」の電話に答えているため、彼女は「クランボン」が何か分かっているようである)。ただヒントはいくつかありそうである。その秘密は日本人が知ってはいけないもののようで、女にはその理由が分かっているが、女もまた秘密を秘密のままにすることを図る。

一応、トーノブナ夫人が告白したのは、終戦間近に大連で夫のミハイル・トーノブナ(ロシア人は、同じ苗字でも苗字が男女では変換されて別のものになるので、ミハイル・トーノブナというのは厳密に言うと誤り。おそらくミハイル・トーノブンである)を青酸カリで毒殺したというものである。ただ、毒殺したといっても、ミハイルが自殺を願ったものでその補助とされる。ミハイルは体の状態が思わしくなく、日本には行けないので、死を望んだのだ。そしてマリアン・トーノブナだけが日本へと亡命した。これだけを封じるとしたのなら話は単純なのだが、もう死者であるマリアン・トーノブナ個人の秘密を封じる意味も、また女がそれに加担する必要もない。

背景には、1945年8月8日から始まったソビエトの満州侵攻があるだろう。満州の中でも北の方であるハルビンに住んでいた夫妻は、満州に留まるのは危険とみて南へ。港町の大連に向かい、そこから日本を目指したが、ミハイルの方は日本に行ける状態ではない。大連に留まったとしても赤軍に殺害される可能性が高いので死を選んだのだろうか。自分で青酸カリを飲めないほど弱っていたという訳でもなさそうであるが、何らかの形でトーノブナ夫人が自殺を幇助し、それを墓場まで持って行くつもりだった。うわごとで漏らすのが嫌なので、モルヒネも用いなかった(この辺りは、「麻酔を使うとうわごとを申すといいますので、麻酔なしでの手術」を願う女性を描いた泉鏡花の「外科室」を連想させる)。だがうっかり葬儀屋を神父と勘違いして告白してしまった。死が近いということもあっただろう。しかし、主人公の女とトーノブナ夫人は特に親しいという訳ではなさそうで、何故、女が葬儀屋の口を封じようとするのかは謎である。何か別の理由があるのだろうか。「クランボンは死にました」の意味も複数考えられる。単純な「葬儀屋がクランボン説」はおそらく違う。ちなみにミハイルが自殺、マリアンナから見ると殺害した事件が起こったのは「50年前」とされている。「クランボンは笑った」の初演が1996年なので、50年前は別役が満州から引き上げてきた1946年ということになる。

別役実が生まれたのは満州国の首都・新京(長春)である。そして生後10年近くをその地で過ごしている。そこで何らかの経験をしている可能性も高い。満州国にはソ連から逃げてきた白系ロシア人も多く、例えば、朝比奈隆が指揮していた時代のハルビン交響楽団は楽団員の大半をロシア人が占めるオーケストラであった。音楽の能力がプロ級のロシア人だけでフル編成のオーケストラを結成出来るのだから、一般の白系ロシア人はかなり多くいたことが予想される。白系ロシア人は日本にも逃げてきており、日本プロ野球初の300勝投手となったヴィクトル・スタルヒンが白系ロシア人であったことはよく知られている。白系ロシア人は、ソビエト共産党(赤)の迫害を逃れた人々であり、元々は上流階級の人も多く、朝比奈隆や服部良一の師であるエマヌエル・メッテルもウクライナ系ではあったが白系ロシア人に数えられている。

文化面においては、日本にかなり貢献をした白系ロシア人。単なるミハイル殺害の話だけとしなかった場合、彼らが日本人に語れない秘密とはなんなのか。実は日本軍に参加した白系ロシア人の多くが、ソビエトの満州侵攻と共に、ソビエト赤軍側に寝返っている。「日本人は殺せ」という雰囲気となり、朝比奈隆が日本に帰るのにかなりの苦労をしたことはよく知られているが、別役実が日本に帰ったのも終戦の翌年の1946年。素直には帰れていない。別役はこのことについて何も語ってはいない。ソ連軍が第一の攻撃目標とした首都・新京にいたので、何かはあった可能性は高いと思われるのだが。


終演後に、広田ゆうみさんと少し話す。白系ロシア人のこと、関東人の標準語とそれ以外の地域の人の標準語などについて(少し大袈裟に関東人の話す伸縮する標準語を話した)。

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