おとの三井寺 vol.3 「二十四節気の幻想劇」
2024年11月2日 滋賀県大津市の三井寺勧学院客殿(国宝)にて
大津へ。三井寺こと園城寺の国宝・勧学院客殿で、「おとの三井寺 vol.3 『二十四節気の幻想劇』」を観る。作曲家の藤倉大が、三井寺の委嘱を受けて作曲した「Four Seasons(四季)」~クラリネット、三味線と和歌詠唱のための~を軸に、藤倉作品と藤倉が選曲に関わったと思われる作品の演奏に、串田和美によるテキスト、朗読、演出を加えた幻想劇として構成したものである。
午後2時開演で、開場は午後1時30分から。少し早めに三井寺に着いたので、三井寺の唐院灌頂堂、三重塔、金堂などを訪ねた。
三井寺には、延暦寺僧兵時代の武蔵坊弁慶が奪って延暦寺へと引き摺って歩いたという伝説のある弁慶引き摺り鐘などがある。
三井寺勧学院客殿で行われる「おとの三井寺 vol.3 『二十四節気の幻想劇』」。勧学院客殿は造営に豊臣秀頼と毛利輝元が関わっており、桃山時代を代表する客殿として国宝に指定されている。
床の間(で良いのだろうか)の前に台が用意されて、下手側から順に三味線・謡の本條秀慈郎、クラリネットと選曲・構成の吉田誠、テキスト・朗読・演出の串田和美の順に席に座る。
串田の「じゃ、やろうか」の声でスタート。
藤倉大の作曲と、おそらく選曲も手掛けた曲目は、藤倉大の「Autumn」(園城寺委嘱作品)、バルトークの44の二重奏曲から第36番「バグパイプ」、虫の音による即興、ドビュッシーの「月の光」~スティングの「バーボン・ストリートの月」、ジョン・ケージの「ある風景の中で」、ドナトーニのClair(光)から第2曲、ドビュッシーの「雪の上の足跡」、クルタークの「The Pezzi」からアダージョ、藤倉大の「Winter」(園城寺委嘱作品/世界初演)、端唄「淡雪」(編曲:本條秀太郎)、端唄「梅は咲いたか」、藤倉大の「Spring」(園城寺委嘱作品)、端唄「吹けよ川風」、藤倉大のタートル・トーテム~クラリネット独奏のための、端唄「夜の雨」、藤倉大の「Neo」~三味線独奏のための、坂本龍一の「honji Ⅰ」、藤倉大の「Summer」(園城寺委嘱作品/世界初演)、Aphex Twinの「Jynweythek」、ドビュッシーの「月の光」、藤倉大の「Autumn」(園城寺委嘱作品)のリピート。
楽曲構成は「おとの三井寺」の芸術監督である吉田誠が行い、串田和美の手によるテキストは「詩」とされている。
串田和美が読み上げるのは未来からの回想。かつて日本には四季と呼ばれる四つの季節があり(未来にはなくなっているらしい)、それを更に細分化した二十四節気というものも存在したと告げる。「幻想劇」と銘打っているため、テキストもリアリズムからは遠いものであり、ノスタルジアを感じさせつつ、季節が登場人物になったり、冬の寒さが原因で殺人事件が起こったり(カミュの『異邦人』へのオマージュであろうか)と、異世界のような場所での物語が展開される。だが、四季とは最初からあったのか、人間が決めたものではないのかとの問いかけがあり、人間は賢かったのか愚かだったのかの答えとして、「賢いは愚か、愚かは賢い」というシェイクスピアの「マクベス」の魔女達の言葉の変奏が語られたりした。夏休みの宿題の締め切りが、人類が抱えている課題への締め切りになったりもする。その上で、目の前の現実と、頭の中にある出来事、どちらが重要なのかを問いかけたりもした。フィクションやイマジネーション、物語の優位性や有効性の静かな訴えでもある。
今回メインの楽曲となっている藤倉大の「Four Seasons」~クラリネット、三味線と和歌詠唱のための~は、園城寺の委嘱作品であるが、「Autumn」と「Spring」は昨年初演され、「Winter」と「Summer」は、今日が世界初演で、全曲演奏も今日が初演となる。
季節ごとに鍵となる和歌が存在しており、「Autumn」は、大田垣蓮月(尼)の「はらはらと おつる木の葉に 混じり来て 栗のみひとり 土に声あり」、「Spring」も大田垣蓮月の「うかれきし 春のひかりの ながら山 花に霞める 鐘の音かな」、「Winter」は大僧正行尊(三井寺長吏)の、「(詞書:月のあかく侍りける夜、そでのぬれたりけるを)春くれば 袖の氷も 溶けにけり もりくる月の やどるばかりに」、「Summer」が源三位頼政の「(詞書:水上夏月)浮草を 雲とやいとふ 夏の池の 底なる魚も 月をながめば」。平氏に仕えながら、以仁王に平家打倒の令旨を出させた源頼政であったが、作戦は平家方に露見。以仁王は三井寺に逃げ込み、頼政もそれを追って三井寺に入っている。両者は宇治平等院の戦いで敗れているが、当時、平等院は三井寺の末寺であったという。
和歌のように無駄を省いた楽曲であり、音という素材そのもので勝負しているような印象も受ける。
吉田のクラリネットも本條の三味線も上手いだけでなく、勧学院客殿の雰囲気に合った音を生み出していたように思う。
最後に、三井寺第164代長吏・福家俊彦のお話がある。福家長吏は、この作品が四季を題材にしたものであることから、道元禅師の「春は花、夏ほととぎす秋は月冬雪せえて冷し(すずし)かりけり」を引用し、串田の詩の内容を受けて、最近は理性や理屈が力を持っているが、理性はある意味、危険。理性ばかりが大切ではないことを教えてくれるのが芸術、といったようなことを述べていた。
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