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2024年12月30日 (月)

コンサートの記(875) 井上道義 ザ・ファイナルカウントダウン Vol.5「最終回 道義のベートーヴェン!究極の『田園』『運命』×大阪フィル ありがとう道義!そして永遠に!」

2024年11月30日 大阪・福島のザ・シンフォニーホール

午後2時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、井上道義 ザ・ファイナルカウントダウン Vol.5「最終回 道義のベートーヴェン!究極の『田園』『運命』×大阪フィル ありがとう道義!そして永遠に!」を聴く。今年の12月30日をもって指揮者を引退する井上道義が、大阪フィルハーモニー交響楽団と行った5回に渡るファイナルカウントダウンコンサートの5回目、つまり今日は井上と大フィルとのラストコンサートとなる。

1946年、東京生まれの井上道義。父親は井上正義ということになっているが、正義は育ての父で実父はアメリカ人である(ガーディナーさんという人らしい)。井上道義は40歳を過ぎてからそのことを知ったそうだ。
成城学園高等部を経て、桐朋学園大学指揮科に入学。グイド・カンテッリ指揮者コンクールで優勝して頭角を現す。若い頃は指揮者の他にバレエダンサーとしても活躍した。
ニュージーランド国立交響楽団首席客演指揮者に就任したのを皮切りに、新日本フィルハーモニー交響楽団音楽監督、京都市交響楽団音楽監督兼常任指揮者、大阪フィルハーモニー交響楽団首席指揮者、オーケストラ・アンサンブル金沢音楽監督を歴任。
大阪フィルハーモニー交響楽団の首席指揮者時代(最初は第3代音楽監督への就任を打診されたようだが、荷が重いとして首席指揮者に変えて貰ったようである)は1期3年のみに終わったが、第500回定期演奏会で、朝比奈隆へのリスペクトを露わにした「英雄」交響曲を演奏したり、レナード・バーンスタインの「ミサ曲」を上演するなど、多くの話題を提供した。


今日の演目は、ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」と交響曲第5番「運命」という王道プログラム。おそらく日本で最もベートーヴェンの楽曲を演奏しているであろう大阪フィルとの最後に相応しい演目である。


「田園」と「運命」とではアプローチが異なり、「田園」は初演当時に近い第1ヴァイオリン8人の小さめの編成での演奏。「運命」はフルサイズで挑むことになる。


今日のコンサートマスターは崔文洙。フォアシュピーラーに須山暢大。

配置であるが独特である。ぱっと見はドイツ式の現代配置であるが、実は第1ヴァイオリンの隣にいるのはヴィオラであり、ヴィオラと第2ヴァイオリンの場所が入れ替わって、ヴァイオリンの対向配置となっている。具体的に書くと、舞台下手前方から時計回りに、第1ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、第2ヴァイオリンとなる。音の低い楽器を奥に置いた格好だ。コントラバスは普通に上手奥に置かれる。同じ編成を誰かがやっていた記憶があるが、誰だったのかは思い出せない。
またティンパニは指揮者の正面奥に置かれているが、「田園」では正面のティンパニではなく、上手奥に置かれたバロックティンパニが使用された。


交響曲第6番「田園」。指揮台を用いず、ノンタクトでの指揮である。
通常の演奏とは異なる楽器が鳴る場面があったり、第5楽章でチェロが浮かび上がるなど、聴いたことのない場面があるが、おそらくブライトコプフ新版の楽譜を使用したのだと思われる。初挑戦の可能性もある。最後までチャレンジを行うのが井上流だ。

弦楽器のビブラートは多めであるが、旋律の歌い方に角張ったところがあるなど、完全にピリオド・アプローチでの演奏である。モダンスタイルのように自然に流さないので、却って鄙びた趣が出て良い感じである。ピリオドではあるが、学問的・学究的な感じではなく、面白く聴かせることに心を砕いているのも井上らしい。
第3楽章や第5楽章では終盤にグッとテンポを落としたのが印象的であったが、「田園」交響曲の性格を考えた場合、効果的だったのかどうか少し疑問は残る。
なお、「田園」交響曲には、ティンパニ、トランペット、トロンボーンなど、第4楽章まで出番のない楽器があるのだが、彼らは第3楽章の演奏途中に上手側入り口からぞろぞろと登場。舞台上手後方に斜めに着座して第4楽章から演奏に加わる。結果としてロシア式の配置ともなった。井上らしい視覚的演奏効果である。
ノンタクトということもあって、それこそバレリーナのような身のこなしで指揮を行う井上。自分を出し切ろうという覚悟も感じられる。

演奏終了後、井上は、「休憩の後、アンコールとして第5をやります」と冗談を言っていた。


ベートーヴェンの交響曲第5番。この曲では指揮台を用い、タクトを手にしての指揮で、視覚的にも「田園」と対比させている。演奏スタイルも完全にモダンだ。ヴァイオリンの対向配置は、「田園」ではさほど意味は感じられなかったが、この曲では音の受け渡しが分かりやすくなって効果的である。
4つの音を比較的滑らかに奏でさせる流線型の格好いいスタート。フェルマータの後の間は短めで、流れ重視のドラマティックな演奏であるが、音のドラマよりも全体としての響きと4つの音からなる構築感を優先させているようにも感じられる。たびたび左手を大きく掲げるのが特徴だが、これは外連のようで直接音楽的に変化があるわけではない。
第1楽章でのホルンの浮かび上がり、ティンパニのロールの違いや第4楽章でのピッコロの音型などからやはりブライトコプフ新版の譜面を用いた可能性が高いと思われる。
若い頃、盟友の尾高忠明と共に「桐朋の悪ガキ・イノチュウ(「チュウ」は尾高忠明の愛称で、「忠」を音読みしたもの)」と呼ばれた井上道義。尾高さんは大分ジェントルになったが、井上さんは、「俺は絶対に丸くなんかならない」という姿勢を貫き通し、やりたいことを全てやるという、最後まで暴れん坊のいたずら小僧であった。
最後の音を、井上は両手で指揮棒を持って剣道のように振り下ろす。今後も井上指揮のコンサートはあるが、関西ではこれが最後。私にとっても最後の井上体験である。ラストの指揮姿は永遠に忘れないだろう。

井上は元バレエダンサーということでクルクル回りながら退場。客席を沸かせる。
再登場した井上に、下手側から花束を手にした大フィルのスタッフが歩み寄るが、今度は上手側から大フィル事務局長の福山修さんが花束を持って登場。男からではあったが両手に花となった。
井上は、「もうアンコールはありません」と言った後で指揮台に上がり、「長い間ありがとうございました」と頭を下げた。


楽団員が退場した後も、鳴り止まない拍手に応えて井上は二度登場。最後は女性楽団員2人がコンサートマスターの崔文洙と共に現れ、女性団員がかしずいて井上に花束を捧げる真似をして(やはり男性から両手に花よりも女性から両手に花の方がいいだろう)、それを崔文洙が賑やかすということをやっていた。

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