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2024年12月 5日 (木)

これまでに観た映画より(356) 永瀬正敏&土居志央梨「二人ノ世界」

2024年12月2日 京都シネマにて

京都シネマで日本映画「二人ノ世界」を観る。永瀬正敏&土居志央梨W主演作。土居志央梨がNHK連続テレビ小説「虎に翼」の山田よね役でブレークしたのを受けての再上映である。2020年公開の映画で、2017年の制作とあるので、撮影もそれよりちょっと前かと思ったのだが、土居志央梨がX(旧Twitter)で、「21歳の時に撮影」と書いており、土居志央梨は現在31歳なので約10年前に撮られているということになる。何らかの理由で公開までに時間が掛かったようだ。プロデューサーは複数名いるが、メインは林海象。林海象と永瀬正敏は、「濱マイク」三部作を作り上げている盟友であり、土居志央梨は林海象の京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)映画学科の教え子である。黒木華や土居志央梨は映画俳優コースの出身で、黒木華もプロフィールに「林海象に師事」と書いてあったりするのだが、林さんは演技自体の指導は出来ないはずなので、演出を付けて貰ったという意味なのだと思われる。原作・脚本:松下隆一(第10回日本シナリオ大賞佳作)、監督:藤本啓太。製作協力に、北白川派(林海象を発起人として京都造形芸術大学映画学科を中心に興った映画製作グループ)と京都芸術大学、京都芸術大学映画学科が名を連ねている。

出演は、永瀬正敏と土居志央梨の他に、牧口元美、近藤和見、重森三果、勝谷誠彦、宮川はるの等。余り有名な俳優は出ていない。

面白いのは、若き日の土居志央梨の声が松たか子そっくりだということ。多分、音声だけだとどちらがどちらなのか分からないほどよく似ている。顔の輪郭が同じような感じで頬もふっくらしているという共通点があるため、声も自然と似たものになるのであろう。

京都市が舞台である。元日本画家の高木俊作(永瀬正敏)は、36歳の時にバイク事故で脊髄を損傷し、首から下が不自由になる。画家時代は東京で暮らしていたが、今は京都の西陣にある実家で寝たきりの生活を送っている。母親が介護していたが4年前に他界。今は父親の呉平が介護を担っているが、高齢であるため、ヘルパーを雇おうとしている。しかし俊作はヘルパーが気に入らず、毎回、セクハラの言葉を浴びせて追い返していた。困った呉平はラジオに投稿。採用され、ラジオのパーソナリティーと窮状について話をする。そのラジオを聴いて、ヘルパーとして無理矢理押しかけてきた若い女性がいた。目の見えない平原華恵(土居志央梨)である(27歳という設定)。「虎に翼」にも花江という名の女性が出てきたが(森田望智が演じた)、こちらにも字は違うが「はなえ」が出てくるのが面白い。
華恵は、目が見えないということで、求人に応募しては不採用という状態が続いていることが冒頭で示されている。
俊作も、華恵に関しては卑猥な言葉を吐かず、取りあえず受け入れることになる。目が見えないので、本当にヘルパーが務まるのか、みな疑問視するが、何とかなっている。ちなみに華恵はヘルパーの資格は持っていない。京都のどこかは分からないが、屋外にゴミゴミした風景が広がる場所に住み、煙草をたしなむ。幼い頃に右目を失明し、5年前に左目の光も失ったようだ(視覚障害者のための団体、京都ライトハウスが撮影に協力している)。
これまで俊作は、女性ヘルパーに会ってすぐにセクハラに及んでいるため、顔が気に入らなかったのだろうか。面食いなのかも知れない。
俊作には、小学校の頃からの付き合いで、写真館を営む後藤という友人がいる。後藤にAVを貸して貰って見るのが習慣になっているようで、華恵の前でもAV鑑賞を行おうとする。後藤はたしなめるが、華恵が、「私は別に構いませんよ」と言ったため、介護を受けながらAVを見る(スクリーンからはあえぎ声だけ聞こえる)という妙な場面があったりする。
呉平の健康状態が良くなく、緊急入院することに(勝谷誠彦が医師役で出ている)。華恵は俊作を安心させるため、「検査入院」と告げたが、もう長くないのは明らかだった。
呉平の葬儀の日。いかにも意地悪そうな親戚のおばさん達(かなりステレオタイプの京都人といった感じである)は、目が見えず、無資格の華恵が俊作のヘルパーを続けていることに疑問を呈する……。


障害者を扱った思い作品だが、障害者が直面するシリアスな問題には本格的には触れず(そういった問題はドキュメンタリー映画で扱うのが適当だろう。ただ印象に残る場面はいくつもある)、障害者二人の心の接近が主に描かれている。俊作が事故に遭う以前に描いた鶴のつがいの絵を華恵が撫でて指先で読み取るシーンが印象的である。最初は寝てばかりだった俊作だが、華恵と屋外に出るようになる。
ロケ地の協力先として宝ヶ池公園などの名が上がっているが、宝ヶ池は映らず、公園内のその他の部分で撮影が行われている。また京都大学の北にある百万遍知恩寺での大念珠繰りの行事を二人がテレビで見る場面があり、その後、二人が屋台のある場所に出掛けるのだが、ここはどうも知恩寺ではないように思われる。百万遍知恩寺には余り屋台が出ることはない。どこなのかは少し気になる(吉田神社などは屋台がよく出ているが、吉田神社が協力したというクレジットはない)。
二人とも障害者であることを卑下する言葉を吐くことがあるが、華恵は、「私も俊作さんも普通の人間なのに。私は目が見えないだけ、俊作さんは体が動かないだけ」と障害者が置かれた理不尽な立場を嘆いたりもする。華恵は目の焦点が合っていないので、外に出る時はサングラスをして誤魔化しているのだが、バスに乗ったときに、席を譲って貰って座るも、女の子から、「このお姉ちゃん目が見えないの?」と言われ、明るく「何にも見えないよ」と返したが、女の子は何も応えないなど、一番傷つくやり方をされてもいる。
俊作も、「俺たち、色々と諦めなくちゃいけないのかな」と弱音を吐くが、その直後に路上で痙攣を起こし、病院に運ばれる。駆けつけた親戚から華恵は、俊作にもう会わないようにと告げられる。


ラストシーンではベッドインする二人。このまま障害者二人でやっていけるのかどうかそれは分からないが、障害者としてではなく男女として巡り会えた喜びが、今この時だけだったとしても描かれているのが救いである。


障害者ではあるが、ギラギラした生命力を感じさせる永瀬正敏の演技と、しっとりとした土居志央梨の演技の対比の妙がある。重く地味な作品ではあるのだが、独特の空気感が映画を味わい深いものにしている。
まだ京都造形芸術大学の学生だった土居志央梨の、山田よねとは正反対の瑞々しい演技も見物。しかしここから売れるまでに10年かかるのだから女優というのも大変な職業である。

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