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2024年12月 7日 (土)

「サミュエル・ベケット映画祭」2024オープニングイベント@京都芸術劇場春秋座 ゲスト:やなぎみわ&岡室美奈子(早稲田大学文学学術院教授、早稲田大学演劇博物館前館長)

2024年11月23日 京都芸術劇場春秋座にて

午後2時から、京都芸術劇場春秋座で、「サミュエル・ベケット映画祭」2024のオープニンイベントに参加する。司会は小崎哲哉(おざき・てつや。京都芸術大学大学院芸術研究科教授)。出演は、美術作家・舞台演出家のやなぎみわと、早稲田大学文学学術院教授で早稲田大学演劇博物館前館長の岡室美奈子。

まず、小崎が、サミュエル・ベケットという人物の概要を説明する。サミュエル・ベケット(1906-1989)は、アイルランドのダブリン県に生まれた劇作家、小説家、詩人である。母語は英語であるが、フランス語を習得し、パリに移住。英語とフランス語の両方で著述を行っている。アイルランドを代表する作家のジェイムズ・ジョイスとは友人である。
「ゴドーを待ちながら」が特に有名で、おそらく20世紀に書かれた戯曲としては最も上演回数が多いのではないかと思われる。また、鴻上尚史の「朝日のような夕陽をつれて」や別役実の「やってきたゴドー」など、「ゴドー」にインスパイアされた作品も多い。
「ゴドーを待ちながら」は、ウラディミールとエストラゴンという二人の浮浪者が、一本の木の下でひたすらゴドーを待つという話である。途中、ポッツォと従者のラッキーが通りかかるのだが、それだけである。
なんのかんのと暇つぶしをし、首つり自殺をしようとするが失敗し、とにかく「ゴドーを待つんだ」ということで待ち続ける。やがて少年が現れ、「ゴドーさんは来ません」と告げる。これが二度繰り返される。

私は「ゴドーを待ちながら」の上演を観たのは3度。緒形拳と串田和美らがシアターコクーンステージ内に設置した小劇場のTHE PUPAで行った上演。近畿大学文芸学部芸能専攻の卒業公演、そしてアイルランドの演劇劇団マウス・オン・ファイアによる英語上演である。

いずれもとにかく何も起こらない上演である。近畿大学の学生による上演ではいかにも「暇つぶし」といったように羽根を足で蹴り続けて遊ぶという場面が追加されていた。またラッキーを演じたのは女子学生で、卑猥な言葉をつぶやき続けるという演出であった。

人生そのものを描いたような作品だが、新訳で読むともっと切羽詰まったような印象を受ける。浮浪者の二人だが、何もせず人生に失敗した訳ではなく、ありとあらゆる手を尽くして駄目だったことが分かるようになっている。そして人生の残りの日は少ない。かなり焦燥感に駆られる感じになっていたが、人生において失敗経験の少ない人は、こうした切迫感は感じることが出来ないだろう。

その他の有名な作品としては、「クラップの最後の録音(最後のテープ)」が挙げられる。これは今はなきアトリエ劇研で上演されたものを観ている。男が毎年誕生日にテープに録音を行い、何年も経ってからそれを聞き返して、出来の悪さに気が滅入っていくという話である。実際は、「クラップの最後の録音」が書かれた数年前に家庭用の録音テープが発売されたばかりで、何年にも渡って録音が残っているというのはフィクションだそうである。ベケットは新しいもの好きで、新しいものをすぐ自作に取り入れたがる傾向があったようだ。

「ハッピーデイズ」も紹介される。女性が腰まで埋まりながら喋り、第二幕では首まで埋まりながらセリフを発するという妙なシチュエーションの劇であるが、語られる内容自体は明るい。


やなぎみわを迎え、自身がベケットの影響を受けて作り上げた演劇作品「ゼロ・アワー ~東京ローズ最後のテープ~」の映像が上映される。太平洋戦争時に、日本の放送局が米兵に向けて調略のために行ったラジオ放送「ゼロ・アワー」と、出演していた東京ローズと呼ばれた女性アナウンサーの物語である。東京ローズは複数人おり、演劇作品「ゼロ・アワー」では、5人いたということになっている。実は6人目がいたのだが、これは東京ローズの仕掛け人である男が自身の肉声をテープに吹き込み、加工して女性の声のように聞こえるようにして流していたという設定になっている。
ベケットのチェスを題材にした作品「エンドゲーム(勝負の終わり)」を意識し、東京ローズの女性達がマスゲームのようなものを繰り広げるシーンがある。
ちなみにB29に東京ローズのイメージ画が描かれた機体が存在しており、東京ローズがB29の隠語になっている場合もある。

第2部では、岡室美奈子を迎えて、ベケット作品に関するフリートークが行われる。サミュエル・ベケット映画祭は、2019年に京都造形芸術大学でベケット没後30年を記念した小規模なものが行われており、岡室はそれに出演予定だったのだが、体調を崩してしまいキャンセル。今回はリベンジという感じできたのだが、風邪を引いてしまい、咳などは治まったのだが、「念のため」ということでマスクをしての参加になった。
なお、「サミュエル・ベケット映画祭」2024は、京都芸術劇場春秋座で3回行われた後で、東京の早稲田大学小野記念講堂に場所を移して1回行われる予定である。

まず、緒形拳と串田和美による「ゴドーを待ちながら」(私が東京で観たものと同一内容だと思われる)を網走刑務所で上演したところ、ラッキーが怒濤のように喋り出すシーンで、囚人達が大喝采を送ったという話になる。抑圧されていた者が、突如解放されたように見えるのが心に響いたのではないかと岡室は感じたそうだ。

岡室によると、ベケット作品は、俳優の声を通して聞くと案外エロティックだという。ベケット自身女好きで、女にもよくモテ、正式な奥さんの他に愛人ともずっと関係を保つという暮らしを送っていたそうである。そうしたベケットの女好きの部分が彼の演劇作品や映画作品には現れているそうである。ちなみにベケットは小説家でもあるが、小説はこの限りではないようだ。
ちなみにベケットは最晩年まで女にモテたがったそうで、ダイエットのために野菜しか食べない生活を送っていたという。ベジタリアンと誤解されているが、実際はダイエットのための菜食だったようだ。

岡室は、ベケットに影響を受けた日本の芸術家として、映画監督の濱口竜介の名を挙げる。代表作の「ドライブ・マイ・カー」には、西島秀俊が演じる主人公の舞台俳優で演出家の家福(かふく。カフカみたいな名前である)が、「ゴドーを待ちながら」と「ワーニャ伯父さん」を交互に演じ続けているシーンがある。また家福は奥さん(霧島れいかが演じた)に相手役のセリフをカセットテープに吹き込んで貰い、車中でセリフの練習をするという習慣を持っている。岡室は、あそこはやはりカセットテープでないといけないという。テープの持つ質感が大事なのだそうだ。ディスクになるとブラックボックス化してしまい、どこにどの音声が入っているのか分からなくなるが、カセットテープなら大体どの部分にどの音声が入っているのかが分かる。それが重要だという。

「ゴドーを待ちながら」は男ならではの悲哀を描いた作品である。実際には蜷川幸雄や鴻上尚史が女性版「ゴドーを待ちながら」を有名女優を使って行っており、評判も良かったようなのだが、悲哀はそれほど出なかったのではないかと予想される。

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