これまでに観た映画より(371) 門脇麦&水原希子「あのこは貴族」
2022年12月20日
録画してまだ観ていなかった日本映画「あのこは貴族」を観る。原作:山内マリコ。監督・脚本:岨手由貴子(そで・ゆきこ)。出演:門脇麦、水原希子、高良健吾、石橋静河、山下リオ、高橋ひとみ、銀粉蝶ほか。
東京屈指の高級住宅街である渋谷区松濤(しょうとう)の開業医の家に生まれた榛原華子(はいばら・はなこ。演じるのは門脇麦)と、富山の庶民の家に生まれ育った時岡美紀(水原希子)の対照的な人生、そして二人を繋ぐことになるエリート中のエリート、青木幸一郎(高良健吾)の姿を描いた意欲作。
経済的には何不自由ない家に生まれた華子だが、役割といえば家を次世代に繋ぐだけ。初等科から大学まで一緒だった友人達が次々結婚していく中、何人かの男性とお見合いをしたり紹介されて会ったりしたが、良い相手に出会えず、最終的に巡り会ったのが、幼稚舎からの慶應ボーイで、東大の大学院を出て顧問弁護士の仕事をしている青木幸一郎であった。その幸一郎は、大学から慶應に外部生として入ってきた美紀に、授業終了後にノートを借りたことがあった。いい加減なことに幸一郎はノートを美紀に返さなかった訳だが、美紀の父親が失職し、学費が払えないということで仕方なく働き始めたクラブで美紀と幸一郎は再会し(美紀は結局、慶大は中退していた)、親しい仲となっていた。
経済的には恵まれていない美紀だが、友人の里英(山下リオ)と自転車で二人乗りするなど、自由を謳歌していた。そんな華子と美紀がある日、出会う。
現代の日本においては、貴族制度も華族制度も廃止されているわけだが、家柄を考えればまだ貴族に相当する上流階級は存在しており、大きな力を持っている。だが、そうした家柄に生まれれば幸せかといえばそういうわけでもない。
美紀が華子に語る、「とりあえずは十分なこと」を大切にすることで、階級などの差を超えて今を生きることの尊さが伝わってくる映画である。
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