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2025年2月の21件の記事

2025年2月27日 (木)

コンサートの記(891) 準・メルクル指揮 京都市交響楽団第697回定期演奏会

2025年2月15日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第697回定期演奏会を聴く。指揮は、日独ハーフの準・メルクル。

NHK交響楽団との共演で名を挙げた準・メルクル。1959年生まれ。ファーストネームの漢字は自分で選んだものである。N響とはレコーディングなども行っていたが、最近はご無沙汰気味。昨年、久しぶりの共演を果たした。近年は日本の地方オーケストラとの共演の機会も多く、京響、大フィル、広響、九響、仙台フィルなどを指揮している。また非常設の水戸室内管弦楽団の常連でもあり、水戸室内管弦楽団の総監督であった小澤征爾の弟子でもある。
現在は、台湾国家交響楽団音楽監督、インディアナポリス交響楽団音楽監督、オレゴン交響楽団首席客演指揮者と、アジアとアメリカを中心に活動。今後は、ハーグ・レジデエンティ管弦楽団の首席指揮者に就任する予定で、ヨーロッパにも再び拠点を持つことになる。これまでリヨン国立管弦楽団音楽監督、ライプツィッヒのMDR(中部ドイツ放送)交響楽団(旧ライプツィッヒ放送交響楽団)首席指揮者、バスク国立管弦楽団首席指揮者、マレーシア・フィルハーモニー管弦楽団音楽監督(広上淳一の前任)などを務め、リヨン国立管弦楽団時代にはNAXOSレーベルに「ドビュッシー管弦楽曲全集」を録音。ラヴェルも「ダフニスとクロエ」全曲を録れている。2012年にはフランス芸術文化勲章シュヴァリエ賞を受賞。国立(くにたち)音楽大学の客員教授も務め、また台湾ユース交響楽団を設立するなど教育にも力を入れている。

 

曲目は、ラフマニノフのパガニーニの主題による狂詩曲(ピアノ独奏:アレクサンドラ・ドヴガン)とラヴェルのバレエ音楽「ダフニスとクロエ」全曲(合唱:京響コーラス)。
「ダフニスとクロエ」は、組曲版は聴くことが多いが(特に第2組曲)全曲を聴くのは久しぶりである。
今日はポディウムを合唱席として使うので、いつもより客席数が少なめではあるが、チケット完売である。

 

午後2時頃から、準・メルクルによるプレトークがある。英語によるスピーチで通訳は小松みゆき。日独ハーフだが、日本語の能力については未知数。少なくとも日本語で流暢に喋っている姿は見たことはない。同じ日独ハーフでもアリス=紗良・オットなどは日本語で普通に話しているが。ともかく今日は英語で話す。
ラフマニノフのパガニーニの主題による狂詩曲だが、パガニーニの24のカプリースより第24番の旋律(メルクルがピアノで弾いてみせる)を自由に変奏するが、変奏曲ではなく狂詩曲なので、必ずしも忠実な変奏ではなく他の要素も沢山入れており、有名な第18変奏はパガニーニから離れて、「世界で最も美しい旋律の一つ」としていると語る。私が高校生ぐらいの頃、というと1990年代初頭であるが、KENWOODのCMで「ピーナッツ」のシュローダーがこの第18変奏を弾くというものがあった。おそらく、それがこの曲を聴いた最初の機会であったと思う。
「ダフニスとクロエ」についてであるが、19世紀末のフランスでバレエが盛んになったが、音楽的にはどちらかというと昔ならではのバレエ音楽が作曲されていた。そこにディアギレフがロシア・バレエ団(バレエ・リュス)と率いて現れ、ドビュッシーやサティ、ストラヴィンスキーなどに新しいバレエ音楽の作曲を依頼する。ラヴェルの「ダフニスとクロエ」もディアギレフの依頼によって書かれたバレエ曲である。演奏時間50分強とラヴェルが残した作品の中で最も長く(バレエ音楽としては長い方ではないが)、特別な作品である。バレエ音楽としては珍しく合唱付きで、また歌詞がなく、「声を音として扱っているのが特徴」とメルクルは述べた。またモチーフライトに関しては「愛の主題」をピアノで奏でてみせた。
また笛を吹く牧神のパンに関しては、元々は竹(日本語で「タケ」と発音)で出来ていたフルートが自然の象徴として表しているとした。

往々にしてありがちなことだが、バレエの場合、音楽が立派すぎると踊りが負けてしまうため、敬遠される傾向にある。「ダフニスとクロエ」も初演は成功したが、ディアギレフが音楽がバレエ向きでないと考えたこともあって、この曲を取り上げるバレエ団は続かず、長らく上演されなかった。
現在もラヴェルの音楽自体は高く評価されているが、基本的にはコンサート曲目としてで、バレエの音楽として上演されることは極めて少ない。

 

今日のコンサートマスターは泉原隆志。フォアシュピーラーに尾﨑平。ドイツ式の現代配置での演奏。フルート首席の上野博昭はラヴェル作品のみの登場である。今日のヴィオラの客演首席は佐々木亮、チェロの客演首席には元オーケストラ・アンサンブル金沢のルドヴィート・カンタが入る。チェレスタにはお馴染みの佐竹裕介、ジュ・ドゥ・タンブルは山口珠奈(やまぐち・じゅな)。

 

ラフマニノフのパガニーニの主題による狂詩曲。ピアノ独奏のアレクサンドラ・ドヴガンは、2007年生まれという、非常に若いピアニストである。モスクワ音楽院附属中央音楽学校で幼時から学び、2015年以降、世界各地のピアノコンクールに入賞。2018年には、10歳で第2回若いピアニストのための「グランド・ピアノ国際コンクール」で優勝している。ヒンヤリとしたタッチが特徴。その上で華麗なテクニックを武器とするピアニストである。
メルクルは敢えてスケールを抑え、京響の輝かしい音色と瞬発力の高さを生かした演奏を繰り広げる。ロシアのピアニストをソリストに迎えたラフマニノフであるが、アメリカ的な洗練の方を強く感じる。ドヴガンもジャズのソロのように奏でる部分があった。

ドヴガンのアンコール演奏は、ショパンのワルツ第7番であったが、かなり自在な演奏を行う。溜めたかと思うと流し、テンポや表情を度々変えるなどかなり即興的な演奏である。クラシックの演奏のみならず、演技でも即興性を重視する人が増えているが(第十三代目市川團十郎白猿、草彅剛、伊藤沙莉など。草彅剛と伊藤沙莉はインタビューでほぼ同じことを言っていたりする。二人は共演経験はあるが、別に示し合わせた訳ではないだろう)、今後は表現芸術のスタイルが変わっていくのかも知れない。
今まさにこの瞬間に生まれた音楽を味わうような心地がした。

 

ラヴェルの音楽「ダフニスとクロエ」全曲。舞台上に譜面台はなく、準・メルクルは暗譜しての指揮である。
パガニーニの主題による狂詩曲の時とは対照的に、メルクルはスケールを拡げる。京都コンサートホールは音が左右に散りやすいので、最初のうちは風呂敷を広げすぎた気もしたが次第に調整。京響の美音を生かした演奏が展開される。純音楽的な解釈で、あくまで音として聞かせることに徹しているような気がした。その意味ではコンサート的な演奏である。
京響の技術は高く、音は輝かしい。メルクルの巧みなオーケストラ捌きに乗って、密度の濃い演奏を展開する。リズム感も冴え、打楽器の強打も効果を上げる。

ラストに更に狂騒的な感じが加わると良かったのだが(ラヴェルはラストでおかしなことを要求することが多い)、「純音楽的」ということを考えれば、避けたのは賢明だったかも知れない。オーケストラに乱れがない方が良い。
ポディウムに陣取った京響コーラスも優れた歌唱を示した。

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2025年2月24日 (月)

コンサートの記(890) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第585回定期演奏会

2025年2月14日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第585回定期演奏会を聴く。今日の指揮は大阪フィルハーモニー交響楽団音楽監督の尾高忠明。
尾高はヘルニアの悪化により、1月4日の大フィルのニューイヤーコンサートの指揮をキャンセル。丁度、1月の大フィル定期演奏会が行われた日に手術を受けたようだが、間に合った。体調が戻らないところがあるのではないかと懸念されたがそんなことはなく、元気に指揮していた。

今回は、チケットを取るのが遅れたので、少し料金が高めの席、それも最前列である。上手端の席だったので、ヴィオラ奏者の背中とコントラバス奏者とトロンボーン奏者の全身、そしてティンパニ奏者は顔だけが見える。指揮者の尾高は頭が見えるだけ。コンサートマスターの崔文洙の姿は比較的良く見える。

 

曲目は、松村禎三の管弦楽のための前奏曲と、ブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」
尾高と大フィルは、尾高の音楽監督就任以降、積極的にブルックナー作品を取り上げてきたが、今回の「ロマンティック」の演奏で、習作扱いされる第00番を除く全てのブルックナーの交響曲を取り上げることになった。レコーディングも行われるはずだが、今日は少なくともステージ上に本格的なマイクセッティングはなし。天井から吊り下げられたマイクだけでレコーディング出来るのかも知れないが、詳しいことは分からず。

 

今回の定期演奏会では、先月26日に逝去された秋山和慶氏のために、エルガーの「エニグマ変奏曲」より“ニムロッド”が献奏される。曲目から、秋山の華麗な生涯への賛歌と見て取れるだろう。
エルガーを得意とする尾高の指揮だけに、輝かしくもノーブルな献奏となった。

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松村禎三の管弦楽のための前奏曲。演奏時間約17分の作品である。ピッコロを6本必要とする特殊な編成。ということで、フルート奏者が客演として多数呼ばれているが、その中に若林かをりの名もある。
「竹林」の中を進むような音楽である。オーボエのソロに、複数のピッコロのソロが絡んでいくのであるが、あたかも竹林の間を抜ける風のようである。やがて編成が厚みを増していくが、茂みなど景色が増える林の奥へ奥へと進んでいくような心地がする。

 

ブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」。版はノヴァーク版1878/80年 第2稿を使用。
交響曲第4番「ロマンティック」は、ブルックナーの交響曲の中では異色の存在である。他の交響曲が叙景詩的であるのに対し、「ロマンティック」だけは叙事詩的。そのため、ブルックナー指揮者の中でも「ロマンティック」だけは不出来という指揮者もいる。
「ロマンティック」というのは別に男と女がうんたらかんたらではなく、中世のロマン語時代の騎士道精神といった意味で、第3楽章などは狩りに出る騎士達の描写とも言われる。
ブルックナー指揮者でもある尾高であるが、きちんと「ロマンティック」らしいアプローチ。大フィルも躍動感のある演奏を聴かせる。
最前列なので、「ブルックナー開始」であるトレモロがリアルに響きすぎるなど、席にはやや問題があったが、演奏自体は楽しめる。
この曲は、ホルンが肝となるが、大フィルのホルン陣は優れた演奏を聴かせる。以前はホルンは大フィルのアキレス腱であったが、メンバーも替わり、今では精度が高くなっている。
きちんと形作られたフォルム。その中で朗々と響く楽器達。ブルックナーの長所を指揮者とオーケストラが高める理想的な展開である。
第2楽章の寂寥感の表出力も高く、心象風景などが適切に描き出されていた。
「ロマンティック」は朝比奈隆もどちらかといえば不得手としていた曲で、録音もこれはというものは残っていない。一応、サントリーホールでのライブ録音盤(大宮ソニックシティなどでの録音を加えた別バージョンもある)がベストだと思われるが、「ロマンティック」に関しては、朝比奈よりも尾高の方が適性が高いと言える。
尾高と大フィルのブルックナーはライブ録音によるものが毎年リリースされていて、来月には初期交響曲集がリリースされるが、今回の「ロマンティック」の録音により「ブルックナー交響曲全集」としても完成したものと思われる。

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2025年2月23日 (日)

「あさイチ プレミアムトーク」 瀧内公美 2025.2.14

NHK+で、「あさイチプレミアムトーク」を見る。ゲストは女優の瀧内公美。

次期連続テレビ小説「あんぱん」など、出演作が目白押しの瀧内公美であるが、女優デビューが遅かったということもあり、多くの人が知るレベルで売れるようになったのは近年になってからである。大河ドラマ「光る君へ」で共演した黒木華と同い年で親友だそうだが、黒木華は京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)在学中にデビューしており、最初から良い役を貰っていたこと、また黒木華は見た目が昔からほとんど変わらないのに対して、瀧内公美は比較的落ち着いた容姿であることなどから黒木華の方が若いように見える。

富山県高岡市に生まれた瀧内公美。一人っ子ということもあり、お転婆な少女ではあったようだが、育てられ方は箱入り。富山県内から出さない方針で、大学進学も「専門職を目指すなら東京に行ってもいい」という感じだったようである。小学校教諭を目指して「恥を知れ」の校訓で有名な(?)大妻女子大学に進学。富山県でも富山大学教育学部などに進めば小学校教諭にはなれるが、誤魔化した(?)そうである。富山大学は国立で難しいだろうからねえ。富山県の私立大学はパッとしないし(出身地の高岡にある高岡法科大学は近く廃校になることが決まっている。ということで富山県内の私立大学は富山国際大学1校のみとなった)。そのまま小学校の先生になるつもりであったが、大学4年の時に都内で撮影現場に出くわし、勢いでエキストラに応募。その場で事務所に入ることも決定し、あれよあれよという間に女優になってしまったようである。今でも出演したい作品のある映画監督の下に直接通うなど、かなり積極的な性格であることが窺える。

映画に関してはオタクを通り越してマニア級であり、映画祭の受賞作品を調べて全て観たり、休日には事前にスケジュールを決めて最高5本観たりという生活を送っているらしい。どの映画館に何時に行って、移動に何分要して、食事はどこで入れるかなど徹底的にシミュレートしてから行くようだ。

これは瀧内公美ではなく伊原六花の話になるが、伊原六花は「観劇マニア」を自認しており、色々なところに観に出掛けていて「沢山勉強した」気になっていたが、他の俳優さんはもっと観ているということを知り、ジャンルを小劇場や大衆演劇にまで拡げたそうである。芝居と映画の違いはあるが、おそらく瀧内公美も「もっと観ている人」の一人になるのだろう。瀧内公美に関しては観た映画の演技を参考にすることはよくあるようだ。

今度、久しぶりに長い休みが取れるそうで、旅行に行きたいというので良い行き先を募集したところ、「世界60カ国を回りましたが」といったような猛者が次々に現れて「良かった場所」を紹介していた。

男を誘惑するような色っぽい役も多い瀧内公美であるが、「色気を出すにはどうしたらいいでしょうか?」の質問に「私、色気ないからなあ」。確かに今日の番組で見た限りは、どちらかというと地は男っぽい性格に見える。ただ、富山時代を知っている古い友人の投稿によると、根はずっと可愛い人らしい。
ちなみに色気を出すには「抑えること」が必要になるようだ。確かに思いっきり婀娜っぽくやると色気があるというより下品になる。

瀧内公美に関する記事をX(旧Twitter)にポストしたら、彼女がヒロインを演じる映画「レイブンズ」にフォローされてしまった。これ、「絶対、観に来い」ってことじゃないか。行くけど。

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2025年2月22日 (土)

コンサートの記(889) 柴田真郁指揮大阪交響楽団第277回定期演奏会「オペラ・演奏会形式シリーズ Vol.3 “運命の力”」 ヴェルディ 歌劇「運命の力」全曲

2025年2月9日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後3時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、大阪交響楽団の第277回定期演奏会「オペラ・演奏会形式シリーズ Vol.3 “運命の力”」を聴く。ヴェルディの歌劇「運命の力」の演奏会形式での全曲上演。
序曲や第4幕のアリア「神よ平和を与えたまえ」で知られる「運命の力」であるが、全曲が上演されることは滅多にない。

指揮は、大阪交響楽団ミュージックパートナーの柴田真郁(まいく)。大阪府内のオペラ上演ではお馴染みの存在になりつつある指揮者である。1978年生まれ。東京の国立(くにたち)音楽大学の声楽科を卒業。合唱指揮者やアシスタント指揮者として藤原歌劇団や東京室内歌劇場でオペラ指揮者としての研鑽を積み、2003年に渡欧。ウィーン国立音楽大学のマスターコースでディプロマを獲得した後は、ヨーロッパ各地でオペラとコンサートの両方で活動を行い、帰国後は主にオペラ指揮者として活躍している。2010年五島記念文化財団オペラ新人賞受賞。

出演は、並河寿美(なみかわ・ひさみ。ソプラノ。ドンナ・レオノーラ役)、笛田博昭(ふえだ・ひろあき。テノール。ドン・アルヴァーロ役)、青山貴(バリトン。ドン・カルロ・ディ・ヴァルガス役)、山下裕賀(やました・ひろか。メゾソプラノ。プレツィオジッラ役)、松森治(バス。カラトラーヴァ侯爵役)、片桐直樹(バス・バリトン。グァルディアーノ神父役)、晴雅彦(はれ・まさひこ。バリトン。フラ・メリトーネ役)、水野智絵(みずの・ちえ。ソプラノ。クーラ役)、湯浅貴斗(ゆあさ・たくと。バス・バリトン。村長役)、水口健次(テノール。トラブーコ役)、西尾岳史(バリトン。スペインの軍医役)。関西で活躍することも多い顔ぶれが集まる。
合唱は、大阪響コーラス(合唱指揮:中村貴志)。

午後2時45分頃から、指揮者の柴田真郁によるプレトークが行われる予定だったのだが、柴田が「演奏に集中したい」ということで、大阪響コーラスの合唱指揮者である中村貴志がプレトークを行うことになった。中村は、ヴェルディがイタリアの小さな村に生まれてミラノで活躍したこと、最盛期には毎年のように新作を世に送り出していたことなどを語る。農場経営などについても語った。農場の広さは、「関西なので甲子園球場で例えますが、136個分」と明かした。そして「運命の力」の成立過程について語り、ヴェルディが農園に引っ込んだ後に書かれたものであること、オペラ制作のペースが落ちてきた時期の作品であることを紹介し、「運命の力」の後は、「ドン・カルロ」、「アイーダ」、「シモン・ボッカネグラ」、「オテロ」、「ファルスタッフ」などが作曲されているのみだと語った。
そして、ヴェルディのオペラの中でも充実した作品の一つであるが、「運命の力」全曲が関西で演奏されるのは約40年ぶりであり、更に原語(イタリア語)上演となると関西初演になる可能性があることを示唆し(約40年前の上演は日本語訳詞によるものだったことが窺える)、歴史的な公演に立ち会うことになるだろうと述べる。

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柴田真郁は、高めの指揮台を使用して指揮する。ザ・シンフォニーホールには大植英次が特注で作られた高めの指揮台があるが、それが使われた可能性がある。歌手が真横にいる状態で指揮棒を振るうため、普通の高さの指揮台だと歌手の目に指揮棒の先端が入る危険性を考えたのだろうか。詳しい事情は分からないが。
歌手は全員が常にステージ上にいるわけではなく、出番がある時だけ登場する。レオノーラ役の並河寿美は、第1幕では紫系のドレスを着ていたが、第2幕からは修道院に入るということで黒の地味な衣装に変わって下手花道での歌唱、第4幕では黒のドレスで登場した。

今日のコンサートマスターは、大阪交響楽団ソロコンサートマスターの林七奈(はやし・なな)。フォアシュピーラーは、アシスタントコンサートマスターの里屋幸。ドイツ式の現代配置での演奏。第1ヴァイオリン12サイズであるが、12人中10人が女性。第2ヴァイオリンに至っては10人全員が女性奏者である。日本のオーケストラはN響以外は女性団員の方が多いところが多いが、大響は特に多いようである。ステージ最後列に大阪響コーラスが3列ほどで並び、視覚面からティンパニはステージ中央よりやや下手寄りに置かれる。打楽器は下手端。ハープ2台は上手奥に陣取る。第2幕で弾かれるパイプオルガンは原田仁子が受け持つ。

日本語字幕は、パイプオルガンの左右両サイドの壁に白い文字で投影される。ポディウムの席に座った人は字幕が見えないはずだが、どうしていたのかは分からない。

ヴェルディは、「オテロ(オセロ)」や「アイーダ」などで国籍や人種の違う登場人物を描いているが、「運命の力」に登場するドン・アルヴァーロもインカ帝国王家の血を引くムラート(白人とラテンアメリカ系の両方の血を引く者)という設定である。「ムラート」という言葉は実際に訳詞に出てくる。
18世紀半ばのスペイン、セビリア。カストラーヴァ侯爵の娘であるドン・レオノーラは、ドン・アルヴァーロと恋に落ちるが、アルヴァーロがインカ帝国の血を引くムラートであるため、カストラーヴァ侯爵は結婚を許さず、二人は駆け落ちを選ぼうとする。侍女のクーラに父を裏切る罪の意識を告白するレオノーラ。
だが、レオノーラとアルヴァーロが二人でいるところをカストラーヴァ侯爵に見つかる。アルヴァーロは敵意がないことを示すために拳銃を投げ捨てるが、あろうことが暴発してカストラーヴァ侯爵は命を落とすことに。
セビリアから逃げた二人だったが、やがてはぐれてしまう。一方、レオノーラの兄であるドン・カルロは、父の復讐のため、アルヴァーロを追っていた。
レオノーラはアルヴァーロが南米の祖国(ペルーだろうか)に逃げて、もう会えないと思い込んでおり、修道院に入ることに決める。
第3幕では、舞台はイタリアに移る。外国人部隊の宿営地でスペイン部隊に入ったアルヴァーロがレオノーラへの思いを歌う。彼はレオノーラが亡くなったと思い込んでいた。アルヴァーロは変名を使っている。アルヴァーロは同郷の将校を助けるが、実はその将校の正体は変名を使うカルロであった。親しくなる二人だったが、ふとしたことからカルロがアルヴァーロの正体に気づき、決闘を行うことになるのだった。アルヴァーロは決闘には乗り気ではなかったが、カルロにインカの血を侮辱され、剣を抜くことになる。
第4幕では、それから5年後のことが描かれている。アルヴァーロは日本でいう出家をしてラファエッロという名の神父となっていた。カルロはラファエッロとなったアルヴァーロを見つけ出し、再び決闘を挑む。決闘はアルヴァーロが勝つのだが、カルロは意外な復讐方法を選ぶのだった。

「戦争万歳!」など、戦争を賛美する歌詞を持つ曲がいくつもあるため、今の時代には相応しくないところもあるが、時代背景が異なるということは考慮に入れないといけないだろう。当時はヨーロッパ中が戦場となっていた。アルヴァーロとカルロが参加したのは各国が入り乱れて戦うことになったオーストリア継承戦争である。戦争と身内の不和が重ねられ、レオノーラのアリアである「神よ平和を与えたまえ」が効いてくることになる。

 

ヴェルディのドラマティックな音楽を大阪交響楽団はよく消化した音楽を聴かせる。1980年創設と歴史がまだ浅いということもあって、淡泊な演奏を聴かせることもあるオーケストラだが、音の威力や輝きなど、十分な領域に達している。関西の老舗楽団に比べると弱いところもあるかも知れないが、「運命の力」の再現としては「優れている」と称してもいいだろう。

ほとんど上演されないオペラということで、歌手達はみな譜面を見ながらの歌唱。各々のキャラクターが良く捉えられており、フラ・メリトーネ役の晴雅彦などはコミカルな演技で笑わせる。
単独で歌われることもある「神よ平和を与えたまえ」のみは並河寿美が譜面なしで歌い(これまで何度も歌った経験があるはずである)、感動的な歌唱となっていた。

演出家はいないが、歌手達がおのおの仕草を付けた歌唱を行っており、共演経験も多い人達ということでまとまりもある。柴田真郁もイタリアオペラらしいカンタービレと重層性ある構築感を意識した音楽作りを行い、演奏会形式としては理想的な舞台を描き出していた。セットやリアリスティックな演技こそないが、音像と想像によって楽しむことの出来る優れたイマジネーションオペラであった。ザ・シンフォニーホールの響きも大いにプラスに働いたと思う。

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2025年2月18日 (火)

観劇感想精選(484) リリックプロデュース公演 Musical「プラハの橋」

2025年2月10日 京都劇場にて

午後6時30分から、京都劇場で、リリックプロデュース公演 Musical「プラハの橋」を観る。歌手の竹島宏が「プラハの橋」(舞台はプラハ)、「一枚の切符」(舞台不明)、「サンタマリアの鐘」(舞台はフィレンツェ)という3枚のシングルで、2003年度の日本レコード大賞企画賞を受賞した「ヨーロッパ三部作」を元に書かれたオリジナルミュージカル公演である。作曲・編曲:宮川彬良、脚本・演出はオペラ演出家として知られる田尾下哲。作詞は安田佑子。竹島宏、庄野真代、宍戸開による三人芝居である。演奏:宮川知子(ピアノ)、森由利子(ヴァイオリン)、鈴木崇朗(バンドネオン)。なお、「ヨーロッパ三部作」の作曲は、全て幸耕平で、宮川彬良ではない。

パリ、プラハ、フィレンツェの3つの都市が舞台となっているが、いずれも京都市の姉妹都市である。全て姉妹都市なので京都でも公演を行うことになったのかどうかは不明。
客席には高齢の女性が目立つ。
チケットを手に入れたのは比較的最近で、宮川彬良のSNSで京都劇場で公演を行うとの告知があり、久しく京都劇場では観劇していないので、行くことに決めたのだが、それでもそれほど悪くはない席。アフタートークでリピーターについて聞く場面があったのだが、かなりの数の人がすでに観たことがあり、明日の公演も観に来るそうで、自分でチケットを買って観に来た人はそれほど多くないようである。京都の人は数えるほどで、北は北海道から南は鹿児島まで、日本中から京都におそらく観光も兼ねて観に来ているようである。対馬から来たという人もいたが、京都まで来るのはかなり大変だったはずである。

青い薔薇がテーマの一つになっている。現在は品種改良によって青い薔薇は存在するが、劇中の時代には青い薔薇はまだ存在しない(青い薔薇は2004年に誕生)。

アンディ(本名はアンドレア。竹島宏)はフリーのジャーナリスト兼写真家。ヨーロッパ中を駆け巡っているが、パリの出版社と契約を結んでおり、今はパリに滞在中。編集長のマルク(宍戸開)と久しぶりに出会ったアンディは、マルクに妻のローズ(庄野真代)を紹介される。アンディもローズもイタリアのフィレンツェ出身であることが分かり、しかも花や花言葉に詳しい(ローズはフィレンツェの花屋の娘である)ことから意気投合する。ちなみにアンディはフィレンツェのアルノ川沿いの出身で、ベッキオ橋(ポンテ・ベッキオ)を良く渡ったという話が出てくるが、プッチーニの歌劇「ジャンニ・スキッキ」の名アリア“ねえ、私のお父さん”を意識しているのは確かである。
ローズのことが気になったアンディは、毎朝、ローズとマルクの家の前に花を一輪置いていくという、普通の男がやったら気味悪がられそうなことを行う。一方、ローズも夫のマルクが浮気をしていることを見抜いて、アンディに近づいていくのだった。チェイルリー公園で待ち合わせた二人は、駆け落ちを誓う。

1989年から1991年まで、共産圏が一斉に崩壊し、湾岸戦争が始まり、ユーゴスラビアが解体される激動の時代が舞台となっている。アンディは、湾岸戦争でクウェートを取材し、神経剤が不正使用されていること暴いてピューリッツァー賞の公益部門を受賞するのだが、続いて取材に出掛けたボスニア・ヘルツェゴビナで銃撃されて右手を負傷し、両目を神経ガスでやられる。

竹島宏であるが、主役に抜擢されているので歌は上手いはずなのだが、今日はなぜか冒頭から音程が揺らぎがち。他の俳優も間が悪かったり、噛んだりで、舞台に馴染んでいない印象を受ける。「乗り打ちなのかな?」と思ったが、公演終了後に、東京公演が終わってから1ヶ月ほど空きがあり、その間に全員別の仕事をしていて、ついこの間再び合わせたと明かされたので、ブランクにより舞台感覚が戻らなかったのだということが分かった。

台詞はほとんどが説明台詞。更に独り言による心情吐露も多いという開いた作りで、分かりやすくはあるのだが不自然であり、リアリティに欠けた会話で進んでいく。ただ客席の年齢層が高いことが予想され、抽象的にすると内容を分かって貰えないリスクが高まるため、敢えて過度に分かりやすくしたのかも知れない。演劇を楽しむにはある程度の抽象思考能力がいるが、普段から芝居に接していないとこれは養われない。風景やカット割りなどが説明的になる映像とは違うため、演劇を演劇として受け取る力が試される。
ただこれだけ説明的なのに、アンディとローズがなぜプラハに向かったのかは説明されない。一応、事前に「プラハの春」やビロード革命の話は出てくるのだが、関係があるのかどうか示されない。この辺は謎である。

竹島宏は、実は演技自体が初めてだそうだが、そんな印象は全く受けず、センスが良いことが分かる。王子風の振る舞いをして、庄野真代が笑いそうになる場面があるが、あれは演技ではなく本当に笑いそうになったのだと思われる。
宍戸開がテーブルクロス引きに挑戦して失敗。それでも拍手が起こったので、竹島宏が「なんで拍手が起こるんでしょ?」とアドリブを言う場面があった。アフタートークによると、これまでテーブルクロス引きに成功したことは、1回半しかないそうで(「半」がなんなのかは分からないが)、四角いテーブルならテーブルクロス引きは成功しやすいのだが、丸いテーブルを使っているので難しいという話をしていた。リハーサルでは四角いテーブルを使っていたので成功したが、本番は何故か丸いテーブルを使うことになったらしい。

最初のうちは今ひとつ乗れなかった三人の演技であるが、次第に高揚感が出てきて上がり調子になる。これもライブの醍醐味である。

宮川彬良の音楽であるが、三拍子のナンバーが多いのが特徴。全体の約半分が三拍子の曲で、残りが四拍子の曲である、出演者が三人で、音楽家も三人だが何か関係があるのかも知れない。

ありがちな作品ではあったが、音楽は充実しており、ラブロマンスとして楽しめるものであった。

 

竹島宏は、1978年、福井市生まれの演歌・ムード歌謡の歌手。明治大学経営学部卒ということで、私と同じ時代に同じ場所にいた可能性がある。

「『飛んでイスタンブール』の」という枕詞を付けても間違いのない庄野真代。ヒットしたのはこの1作だけだが、1作でも売れれば芸能人としてやっていける。だが、それだけでは物足りなかったようで、大学、更に大学院に進み、現在では大学教員としても活動している。
ちなみにこの公演が終わってすぐに「ANAで旅する庄野真代と飛んでイスタンブール4日間」というイベントがあり、羽田からイスタンブールに旅立つそうである。

三人の中で一人だけ歌手ではない宍戸開。終演後は、「私の歌を聴いてくれてありがとうございました」とお礼を言っていた。
ちなみにアフタートークでは、暗闇の中で背広に着替える必要があったのだが、表裏逆に来てしまい、出番が終わって控え室の明るいところで鏡を見て初めて表裏逆に着ていたことに気付いたようである。ただ、出演者を含めて気付いた人はほとんどいなかったので大丈夫だったようだ。

竹島宏は、「演技未経験者がいきなりミュージカルで主役を張る」というので公演が始まる前は、「みんなから怒られるんじゃないか」とドキドキしていたそうだが、東京公演が思いのほか好評で胸をなで下ろしたという。

庄野真代は、「こんな若い恋人と、こんな若い旦那と共演できてこれ以上の幸せはない」と嬉しそうであった。「これからももうない」と断言していたが、お客さんから「またやって」と言われ、宍戸開が「秋ぐらいでいいですかね」とフォローしていた。

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これまでに観た映画より(378) 赤楚衛二&上白石萌歌&中島裕翔「366日」

2025年2月5日 新京極のMOVIX京都にて

MOVIX京都で、日本映画「366日」を観る。HYの同名ヒット曲にインスパイアされた作品。松竹とソニーの制作。ソニーが開発し、一時は流行したMD(Mini Disc)がキーとなっている。監督:新城毅彦(しんじょう・たけひこ)、脚本:福田果歩。出演:赤楚衛二、上白石萌歌、中島裕翔(なかじま・ゆうと)、玉城(たましろ)ティナ、稲垣来泉(くるみ)、齋藤潤、溝端淳平、石田ひかり、きゃんひとみ、国仲涼子、杉本哲太ほか。
主題歌は、HYの「恋をして」。「366日」もクライマックスの一つで全編流れる。

若い人はMD(Mini Disc)について知らないかも知れないが、カセットテープに代わるメディアとして登場したデジタル録音媒体で、四角く平たいケースの中に小さなディスクが収まっており、録音と再生が比較的簡単に出来た。CDほど音は良くないが、カセットテープより小さくて持ち運びに便利ということで流行るかに思われたが、ほぼ時を同じくしてパソコンでCDの音源をCD-Rに焼けるようになり、以後、急速に廃れてしまった。今は配信の時代であり、音楽を聴くだけならサブスクリプションで十分で、CDすらも売れない傾向にある。カセットテープやLPが見直されたことはあったが、MDが復活することはもうないであろう。

「366日」であるが、実は私はこの曲を知ったのは、HYのオリジナルではなく、上白石萌歌のお姉さんである上白石萌音のカバーによってであった。

2月29日生まれ、つまり1年が366日ある閏年の例年より1日多い日に生まれた玉城美海(たましろ・みう。演じるのは上白石萌歌)がヒロインである。なお、誕生日に1つ年を重ねるとした場合、2月29日生まれの人は4年に1度しか年を取れないため、法律上は誕生日の前日に1つ年を取ることになっている。4月1日生まれの人は3月31日に年を取るので上の学年に入れられる。

沖縄。HYが沖縄出身のバンドなのでこの土地が舞台に選ばれている。2024年2月29日の最初のシーンで、美海が病に冒され、病室を出て緩和ケアに移り、余命幾ばくもないことが示されてから、時間が戻り、2003年。美海がまだ高校1年生の時代に舞台は移る。MDで音楽を聴くのが趣味だった美海は、同じくMDを愛用していた2つ上の先輩である真喜屋湊(赤楚衛二)と落としたMDを拾おうとして手が触れる。それが美海が湊にときめきを抱いた始まりだった。文武両道の湊。女子人気も高いが、美海は湊と交換日記ならぬ交換MDを行うことで距離を縮めていく。美海の幼馴染みの嘉陽田琉晴(かようだ・りゅうせい。中島裕翔)も明らかに美海に気があるのだが、美海は気付いていない。
湊は東京の大学に進学して音楽を作る夢を語り、美海は英語の通訳になりたいと打ち明けた。

2005年、美海は、湊が通っている明應大学(どことどこの大学がモデルかすぐに分かる。ちなみに、連続ドラマ「やまとなでしこ」には明慶大学なる大学が登場しており、この二つの大学は架空の大学のモデルになりやすいようである。なお、23区内ではなく都下にキャンパスがありそうな雰囲気である)に入学。本格的な交際が始まった。

2009年、湊は都内のレコード会社に勤務中。湊と美海は同棲を初めており、美海は就活中だが、リーマンショックの翌年ということで、就職は極めて厳しく、都内の通訳関係の仕事は全てアウト。沖縄の通訳関係は会社はまだエントリー可だったが、美海は湊から離れたくないという思いがあり、通訳を諦めて他の仕事を探そうとしていた。
ある日、美海は湊の子を身籠もっていることに気付く。しかし、打ち明ける間もなく湊から突然の別れを切り出された美海。夢を諦めるなどしっかりしていないからだと自分を責める美海だったが、湊が別れを告げた理由は他にあった。
美海は沖縄に帰る。沖縄では通訳の仕事に就くことに成功。そして琉晴が、子どもの父親は自分だと嘘をつき(ずっと離れていたのに子どもが出来るはずはないので、すぐにバレたと思うが)、二人は結婚に至る。結婚式はやや遅れて3年後、2012年の2月29日に挙げることになるのだった。この結婚式でのカチャーシーを付けての踊りの場面で、「366日」が流れる。

いかにも若者向けの映画である。美男美女によるキラキラ系。レコード会社に勤務し、通訳になる。花形の職業である。往年のトレンディドラマの設定のようだ。
三角関係、病気もの。若い女の子が感動しそうな要素が全て含まれている。実際、涙を流す若い女の子が多く、作品としては成功だと思える。
若い俳優陣が多いが、演技もしっかりしている。感情や感覚重視で、頭を使った演技をしている俳優がいないのが物足りなくもあるが。

ただやはり私のような年を取った人間が見ると粗が見えてしまう。どう見ても自分を好いている女の子が目の前にいるのに別の女の子の話をしてしまう無神経さ(そして自分を好いているということにずっと気がつかない)。外国の伝説の話をして断りにくくしてから告白するという狡さ(徹底できず誤魔化してしまうが)。相手のことを思っているつもりで実は後先のことは何も考えていないという浅はかさなど、若さ故の過ちが見えてしまう。大人なのでそうした見方を楽しむのもありなのだが。

沖縄ということでウチナーグチが用いられているが、みな達者に使いこなしているように聞こえる。薩摩美人といった感じで「鹿児島県出身」と言われるとすぐ納得できる上白石萌音に対し、妹の上白石萌歌は洋風美人で、ぱっと見で薩摩っぽくはないが、こうして沖縄を舞台にした作品で見てみると確かに南国風の顔立ちであることが分かる(鹿児島県も沖縄県も縄文系が多いとされ、弥生系の多い大和の人間に比べると顔立ちが西洋人に近いとされる)。上白石萌歌は沖縄が舞台になった連続テレビ小説「ちむどんどん」に出演しており、沖縄には慣れていると思われる。

縄文系は美人が多いということで、沖縄からは仲間由紀恵や新垣結衣、比嘉愛未など、美人とされる女優が多く出ているが、一番沖縄っぽい女優というと、この映画にも美海の母親の明香里役で出ている国仲涼子のような気がする。大河ドラマ「光る君へ」では、せっかく出演したのに第1話の途中で殺害されるという、元朝ドラヒロインにしては酷い扱いであったが、この映画では当然ながら良い役で出ている。

若い人向けとしてはまあまあ良い作品だと思うが(年配の方には合わないかも知れない)、こうした美男美女キラキラ系や、病気不幸系、三角関係ありという昔ながらの映画は今後減っていくのではないかと思われる。
ルッキズムが浸透し、自由恋愛が基本ということで、ある程度の容貌を持たないと、パートナーを見つけることが難しい時代になりつつあるが、逆に芸能人に関しては高いルックスは必ずしも必要でなくなりつつある。堅実な人が増えたためか、あるいはSNSが普及したためなのか、向こう側の世界に夢を求めず、美男美女しか出ないリアリティのない世界よりも、親しみが持てて高い演技力のある俳優――男優、女優共に――が出ている作品の方が人気が出やすくなって来ている。男優の方は昔から性格俳優が主役を張ることも珍しくなかったが、女優の方も圧倒的な美貌よりも等身大の外見の方が感情移入がしやすく好まれるようになりつつある。「主役は美人女優」も今は常識ではない。
美男美女キラキラ系映画も需要はあるのでなくなることはないだろうが、今は日本映画界も丁度端境期で、今後潮流が変わる可能性は多いにある。

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2025年2月17日 (月)

コンサートの記(888) 金子鈴太郎(チェロ) ブリテン 無伴奏チェロ組曲全曲演奏会@カフェ・モンタージュ

2025年1月29日 京都御苑の南のカフェ・モンタージュにて

午後8時から、京都御苑の南にあるカフェ・モンタージュで、金子鈴太郎(りんたろう)によるベンジャミン・ブリテンの無伴奏チェロ組曲全曲演奏会に接する。ブリテンの無伴奏チェロ組曲は1番から3番まである。
「作曲家のいない国」といわれたイギリスが久しぶりに生んだ天才作曲家であるベンジャミン・ブリテン。今でも有名作曲家であるが、今後さらに評価が高まりそうな予感がある。イギリスも指揮者大国になってきており、当然、お国ものの演奏も増えるので将来有望である。

ブリテンの無伴奏チェロ組曲の全曲盤は、ラフェエル・ウォルフィッシュのものがNAXOSから出ていて、千葉にいる頃はよく聴いたのだが、京都にはそのCDは持ってこなかったので、聴くのは久しぶりになる。昔はウォルフィッシュ盤以外は手に入りにくかったが、現在は、YouTubeなどにもいくつかの音源がアップされており、聴きやすくなっている。

昨年(2024年)末に、石上真由子率いるEnsemble Amoibeにも参加していた金子鈴太郎。桐朋学園大学ソリスト・ディプロマコース(座学などの授業はなしで、ソリストを目指して音楽に集中する課程)を経て、ハンガリー国立リスト音楽院に学んでいる。コンクールでも優勝歴多数。2000年代には大阪シンフォニカー交響楽団(現在の大阪交響楽団)の首席チェロ奏者、その後に特別首席チェロ奏者を務めている。
トウキョウ・モーツァルト・プレーヤーズ首席チェロ奏者とあるが、この楽団は現在はトウキョウ・ミタカ・フィルハーモニア(ホームページに楽団員の紹介なし)と名前を変えているはずなので、現在も在籍しているのかどうかは不明。森悠子率いる長岡京室内アンサンブルのメンバーでもあり、2022年からは北九州市の響ホール室内合奏団の特別契約首席チェリストも務めている(ここのホームページには名前と紹介が載っている)。

金子は一昨年に、レーガーの無伴奏チェロ作品をカフェ・モンタージュで演奏し、「これ以上しんどいことはないだろう」と考えていたが、それ以上となるブリテンの無伴奏チェロ組曲に挑むことになったと語って聴衆を笑わせていた。

無伴奏チェロ作品は、どうしてもJ・S・バッハのものを意識することになるが、ブリテンは第1番ではイギリス音楽的な、第2番ではショスタコーヴィチなどを思わせる先鋭的な音楽を書き、第3番でようやくバッハを意識した作風を見せることになる。

以前はよく聴いた曲だが、久しぶりなので内容を覚えておらず、「こんな音楽だったっけ?」と思う箇所がいくつもある。二十代の頃で今に比べると音楽の知識にも乏しく、分析などはせずに感覚で聴いていたからでもあろう。ただ面白く聴くことは出来た。

アンコール演奏であるが、「皆さん、もうお腹いっぱいですよね。短いものを」ということで、J・S・バッハの無伴奏チェロ組曲第1番よりサラバンドが奏でられた。

 

ブリテンはカミングアウトした同性愛者でもあり、偏見を持たれることもあったが、現在ではそうした意識も薄らぎつつあるため、ブリテンの作品が受け入れられやすくなってきているようにも思う。

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2025年2月16日 (日)

これまでに観た映画より(377) 松たか子&松村北斗「ファーストキス 1ST KISS」

2025年2月13日 TOHOシネマズ二条にて

TOHOシネマズ二条で、日本映画「ファーストキス 1ST KISS」を観る。松たか子主演作だが、実質的には松たか子&松村北斗の松&松コンビW主演作である。出演は他に、吉岡里帆、リリー・フランキー、森七菜、YOU、鈴木慶一、神野美鈴(かんの・みすず)ほか。脚本:坂元裕二、監督:塚原あゆ子。

坂元裕二脚本で、松たか子と吉岡里帆が出演というと、吉岡の出世作ともなった連続ドラマ「カルテット」を思い出すが、今回は絡みは少ない。基本的に主役二人のみが主軸となった作品である。特に松たか子演じる硯カンナが物語の全ての鍵を握っていると行っても過言ではない。

2024年7月10日。東京都三鷹市内の駅で、硯駈(すずり・かける。松村北斗)がプラットホームから落ちたベビーカーを救おうとして、救出には成功したものの命を落とした。その日、駈は早めに仕事を終え、妻のカンナ(松たか子)との離婚届を役所に提出するつもりであった。

硯カンナは、演劇の舞台スタッフをしている。仕込みやバラシだけではなく、本番中に俳優が小道具のピストルを忘れたとなると、キャットウォークを伝って届けに行くという何でも屋だ。以前はデザインの仕事をしていたようだが、舞台美術などには携わっていないようである。

硯とカンナ(旧姓は高畑=「たかばたけ」)が出会ったのは、2009年の8月1日である。具体的な場所は詳しくは分からないが、山梨県内のホテルであることは確かだ。それ以来、愛を育み、結婚し、しばらくは上手くやっていたのだが、次第にすれ違いが増え、最近は、朝食も各々準備をして別の部屋で食べるという有り様(駈は和食、カンナはトースト)。遂に離婚を決意したのだった。
しかし、駈が亡くなってもカンナは左手薬指の指輪を外していない。

駈は自らの命と引き換えにベビーカーの子を守った英雄だとしてテレビドラマ化の話なども舞い込むが、カンナは「赤の他人を助けるのと身内を助けるのとどちらが大切なんでしょう? 赤の他人を助けるのが英雄なんですか?」と相手にしない。

ある日、深夜に仕事の依頼があり、首都高を走っていたカンナは三宅坂付近で事故を起こし、2009年8月1日にタイムスリップする。
その日、高畑カンナは、自らがデザインを手掛けた鐘の披露のために山梨県内のホテルを訪れていた。学会で同じホテルにいた駈とはそこで出会うこととなる。
駈は古生物が専門で、大学で助手をしており、天馬教授(リリー・フランキー)のお供としてやって来ていたのだ。天馬には里津という妙齢の娘(吉岡里帆)がいる。
この後、駈はカンナと結婚するために実入りの少ない大学助手を辞して、ハードなことで知られるが給料は高い不動産会社に入社することになる。カンナも売れないデザイナーから舞台スタッフに転身した。

車で三宅坂に行くとタイムスリップするようで、「ハリー・ポッター」シリーズや、浅田次郎の小説『地下鉄(メトロ)に乗って』(堤真一主演で映画化済み)を連想させるような作品。藤子・F・不二雄の「未来の想い出」も思い起こされるなど、ありがちな設定ではある。

カンナは、駈が死なないように、何とか未来を変えようと何度も何度も奔走。時には自分を魅力的に見せるために不似合いな場所でわざと露出の多いドレスを着たり、逆に自分を嫌いになるように仕向けたりと、あらゆる手段を用いる。その過程が笑えたりもする。

自分と結婚しなければ駈は死なないと悟ったカンナは、里津と駈を結婚させようとする。大学教授の娘である里津と結婚すれば駈も研究をやめる必要もなくなるし、若くして死ななくても済む。もはや自己犠牲だが、小さな女の子からも見抜かれるほど、駈はカンナに惹かれている(「おばさん、違うよ、その人が好きなのおばさんだよ。教授の小娘なんて相手にしてないよ」)。
最終手段に出るが、結局のところ別の惨事が起こることが分かり……。

しかし、目の前にいる人が15年間付き合うことになる女性だと知った駈は、カンナが想像していない選択を行うのだった。


ファンタジーとしてはまあまあ合格点のレベルで、十分に楽しめると思う。かなり都合の良い話のようにも思えるが、エンターテインメントなので多くを求めても仕方がない。
ラストも他の多くのファンタジーと同じようなものだが、「人間のなせることなどたかが知れている」という点においては納得がいく。ただ二度目の結婚生活が一度目よりも上手くいったのは、駈が45歳のカンナに会って学んだからだろう。駈がカンナに残したラブレターも感謝の気持ちに溢れていて良い。どんな形であったにせよ、二人は幸せな日々を過ごしたのだ。

ストーリーよりも驚かされたのは、松たか子の変身ぶり。二十代の頃のカンナを演じるための若作りを行うのだが、本当に若く見える。「ロングバケーション」の奥沢涼子(密かにピアニストの深沢亮子が名前の由来ではないかとにらんでいるのだが)が蘇ったかのようだ。ロングヘアにし、眉を細くして、声も少し高め(上の歯の裏に息を当てるようにして発音すると声は高くなる)にし、仕草も変えているのだが、それだけで15歳も若返って見えるのは不思議である。おそらく順撮りではなく、45歳のカンナのシーンを全部撮ってから、眉毛を細く整えて、若い頃のカンナの場面を撮影したのだと思われるのだが、それにしても見事な化けっぷりである。
2024年のカンナと2009年の駈が夜道を歩くシーンがあり、「15年後には、なんでも『ヤバイ』で表現するようになっている」とカンナは駈に語るのだが、松たか子の変身ぶりが一番「ヤバイ」と思う。

演技であるが、出演者は皆達者。安心して楽しめる。松村北斗は旧ジャニーズ出身者であり、今もSixTONESのメンバーとして後継事務所に所属しているのだが、良い意味で素朴さがあり、ジャニーズらしさがない。
吉岡里帆もいい年だし、映画でもテレビドラマでも舞台でもいいから、そろそろ誰もが知るような代表作と言える作品が欲しくなるが。演技は安定感があるし、彼女ならではの個性にも欠けてはいない。出演作は目白押しのようなので期待したい。

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2025年2月15日 (土)

コンサートの記(887) 下野竜也指揮 第20回 京都市ジュニアオーケストラコンサート

2025年1月25日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、第20回 京都市ジュニアオーケストラコンサートを聴く。今回の指揮者は下野竜也。

ジュニアオーケストラとしては日本屈指の実力を誇る京都市ジュニアオーケストラ。2005年に創設され、2008年から2021年までは広上淳一がスーパーヴァイザーを務めたが、現在はそれに相当する肩書きを持つ人物は存在しない。10歳から22歳までの京都市在住また通学の青少年の中からオーディションで選ばれたメンバーによって結成されているが、全員が必ずしも音楽家志望という訳ではないようである。今年は小学生のメンバーは6年生が一人いるだけ。一番上なのは大学院1回生であると思われるが、「大卒」という肩書きのメンバーも何人かいて、同年代である可能性が高い。専攻科在籍者も院在籍者と同年代であろう。また「高卒」となっている団員もいるが、大学浪人中なのか、正社員として働いているのかフリーターなどをしているのか、あるいはすでに音楽の仕事に就いているのかは不明である。またOBやOGが何人か参加。彼らは少し年上のはずである。パート指導は京都市交響楽団のメンバーが行っている。

 

曲目は、前半が、バッハ=エルガーの「幻想曲とフーガ」ハ短調 BWV537、アルチュニアンのトランペット協奏曲(トランペット独奏:ハラルド・ナエス)。後半がフランクの交響曲ニ短調。アルチュニアンのトランペット協奏曲もフランクの交響曲も主題が回帰するという同じ特性を持っているため、プログラムに選ばれたのだと思われる。

今回のコンサートマスターは、前半が森川光、後半が嶋元葵。共に男女共用の名前の二人だが、森川光は男性、嶋元葵は女性である。嶋元葵は前半に、森川光は後半にそれぞれ第2ヴァイオリン首席奏者を務める。

 

ここ数年は毎年のようにNHK大河ドラマのテーマ曲の指揮を手掛けている下野竜也。今年の「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」のテーマ音楽も指揮している(昨年の大河である「光る君へ」のテーマ音楽は広上淳一が指揮)。現在は、NHK交響楽団正指揮者、札幌交響楽団首席客演指揮者、広島ウインドオーケストラ音楽監督の地位にあり、音楽総監督を務めていた広島交響楽団からは桂冠指揮者の称号を得ている。京都市交響楽団でも師の一人である広上淳一の時代に常任客演指揮者を経て常任首席客演指揮者として活躍していた。京都市立芸術大学音楽学部の教授を経て、現在は東京藝術大学音楽学部と東京音楽大学で後進の指導に当たっている。

 

午後1時10分頃からロビーコンサートがあり、ジョルジュ・オーリックやヘンデル、モーツァルトなどの曲が演奏された。

 

バッハ=エルガーの「幻想曲とフーガ」ハ短調 BWV。J・S・バッハの曲をエルガーが20世紀風に編曲したものである。
京都市ジュニアオーケストラは、音の厚みこそないが、輝きや透明感に溢れ、アンサンブルの精度も高い。バッハの格調高さとエルガーのノーブルさが合わさったこの曲を巧みに聴かせた。

 

アルチュニアンのトランペット協奏曲。
アレクサンドル・アルチュニアン(1920-2012)は、アルメニアの作曲家。自国の民族音楽を取り入れた親しみやすい作風で知られているという。
トランペット独奏のハラルド・ナエスは、ノルウェー出身。ノルウェー国立音楽院を卒業し、母国や北欧のオーケストラ、軍楽隊などで活躍した後に兵庫芸術文化センター管弦楽団に入団。京都市交響楽団のオーディションに合格して、現在は同楽団の首席トランペット奏者を務めている。日本に長く滞在しているため、日本語も達者で、自己紹介の時は「ナエス・ハラルド」と日本風に姓・名の順で名乗っている。
アルメニア出身のアルチュニアンであるが、作風はアルメニアを代表する作曲家であるハチャトゥリアンよりもショスタコーヴィチに似ている。諧謔性と才気に満ちた音楽である。ハラルド・ナエスは、輝かしい音によるソロを披露した。
下野指揮する京都市ジュニアオーケストラの伴奏もしっかりしたものである。

 

後半。フランクの交響曲ニ短調。ベルギーを代表する作曲家であるセザール・フランク。ベルギー・フランス語圏の中心都市であるリエージュに生まれ、パリに出てオルガニストとして活躍。オルガンの特性をオーケストラで生かしたのが交響曲ニ短調である。初演時にはこの曲の特徴である循環形式などが不評で、失敗とされたが、フランクはよそからの評判を余り気にしない人で、「自分が思うような音が鳴っていた」と満足げであったという話が伝わっている。その後、この曲の評判は高まり、フランスを代表する交響曲との評価を勝ち得るまでになっている。
下野の指揮する京都市ジュニアオーケストラは、この曲に必要とされる音の潤沢さと色彩感を見事に表す。音の厚みもプロオーケストラほどではないが生み出す。下野の音楽設計もしっかりしたもので、フォルムをきっちりと築き上げる。フランス音楽の肝であるエスプリ・クルトワも十分に感じられた。

 

演奏終了後、拍手を受けてから何度か引っ込んだ後で、下野はマイクを片手に登場。「本日はご来場ありがとうございます」とスピーチを行う。「ジュニアオーケストラのものとは思えない曲目が並びましたが、敢えて挑ませました」「京都市ジュニアオーケストラからは、多くの人材が、それこそ数えられないくらい輩出しているのですが」とこのオーケストラの意義を讃えた上で、合奏指導を行った二人を紹介することにする。
下野「指導は人に任せて私はいいとこ取り。極悪指揮者なので」

一人目は、井出奏(いで・かな)。彼女も漢字だけ見ると男性なのか女性なのか分からない名前である。東京都出身で、現在は東京藝術大学指揮科に在学中であり、下野の指導も受けている。なお、藝大に入る前には桐朋学園大学でヴァイオリンを専攻しており、藝大には学士入学となるようである。
井出奏の指揮によるアンコール演奏、ビゼーの「アルルの女」より“ファランドール”。メンバーを増やしての演奏である。
やや遅めのテンポによる堂々とした音楽作りなのだが、京都コンサートホールは天井が高く、残響が留まりやすい上に音が広がる傾向があり、スケールが野放図になって音が飽和し、全体像のぼやけた演奏になってしまっていた。やはりホールの音響特性を事前に把握しておくことは重要なようである。東京の人なので、十分に下調べを行うことが出来なかったのだろう。

二人目は、東尾多聞。京都市立芸術大学指揮専攻の学生である。奈良県出身。下野も京都市立芸大を退任するまでの2年間だけ直接指導したことがあるという。
演奏するのはヨハン・シュトラウスⅠ世の「ラデツキー行進曲」。
東尾はおそらく京都コンサートホールでの演奏経験が何度かあり、厄介な音響だということを知っていたため、音を抑えめにして輪郭を形作っていた。
演奏途中に下野と井出がステージ上に現れ、聴衆の手拍子の誘導などを行っていた。

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2025年2月13日 (木)

美術回廊(88) 京都市京セラ美術館 「村上隆 もののけ 京都」

2024年5月31日 左京区岡崎の京都市京セラ美術館 東山キューブにて

左京区岡崎の京都市京セラ美術館・東山キューブで、「村上隆 もののけ 京都」を観る。

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ポップアーティストの村上隆(個人的には隆の前に「宗」の字を入れたくなる名前)の京都を題材にした新作展である。結構、無茶を言われたようで、未完成のままの開催となった。
2浪して東京芸術大学美術学部日本画科に入学した村上隆。東京芸術大学は同じ大学でも美術学部と音楽学部は別世界で、美術学部は現役生はまれ。多浪入学者の巣窟となっており、2浪3浪は当たり前、5浪、6浪が普通にいる世界で、2浪なら優秀な方。一方の音楽学部はほぼ現役生で占められている。同大学大学院博士前期課程(修士課程)を次席で修了。首席を取れなかったために正統派の日本画家を諦めて方向転換し、博士後期課程に進んで修了。論文が通って博士号を得た。現在はアーティスト集団「カイカイ・キキ」を主宰している。

「洛中洛外図屏風」や四神(玄武、青龍、朱雀、白虎)をポップにしたもの、永観堂禅林寺のみかえり阿弥陀のパロディ、花々が野球などあらゆることをしているシーン、「十三代目市川團十郎白猿襲名十八番」、ポップな五山送り火、舞妓さんなど、京都にちなんだポップアートが並んでいる。思ったよりも展示は少なかったが、全て写真撮影OKで、多くの人がカメラを向けていた。

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2024年7月31日 左京区岡崎の京都市京セラ美術館 東山キューブにて

左京区岡崎の京都市京セラ美術館・東山キューブで、「村上隆 もののけ 京都」に新作が展示されたというので観に行ってみる。「村上隆 もののけ 京都」は「全部新作で」との依頼を受けて、京都に関するポップアートを制作したのだが、やはりスケジュール的に無理があったようで、完成しないまま展覧会が開始されている。そのため、途中で新作が加わることになったのである。全作品、撮影可であり、多くの人がカメラやカメラ付きのスマホで撮影を行っている。外国人も多い。

前回も展示のメインだった、「洛中洛外図屏風」。荒木村重の子である岩佐又兵衛筆の「洛中洛外図屏風」をポップアートにしたものだが、登場人物達は桃山時代から江戸初期の格好をしている。
二条城の天守からは、何人かが顔をのぞかせているのが分かる。また、方広寺には、大坂の陣の引き金となった鐘楼が描かれており、何者かが撞こうとしているのが確認出来る。

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今日で終わる祇園祭の「祇園祭礼図」も展示されている。長刀鉾などの鉾や山が見え、橋弁慶山では義経と弁慶の五条大橋での一騎打ちの像が飾られている。
そんな山鉾巡航を木の上から眺めている若い女性がいるが、彼女は何者なのだろう。

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行列の中には、毛利氏から一と三つ星をひっくり返した家紋を授かった渡辺氏の家紋を旗に記した武将も登場しているが、どこの渡辺さんなのかはよく分からない。

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新作としては「梟猿図」が展示されているほか、京都を舞台とした小説『古都』を書いた川端康成象(ギョロリとした目が誇張され、切り取られた腕を手にしている)、金閣寺(鏡湖池に映った逆さ金閣との二重の影となっている)などが展示されていた。

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2025年2月12日 (水)

これまでに観た映画より(376) 「美晴に傘を」

2025年2月6日 京都シネマにて

京都シネマで、日本映画「美晴に傘を」を観る。演劇畑出身で、短編映画の制作で評価されてきた渋谷悠(しぶや・ゆう。男性)監督の初長編映画作品である。
出演:升毅、田中美里、日髙麻鈴(ひだか・まりん)、和田聰宏(わだ・そうこう)、宮本凜音(みやもと・りおん)、上原剛史(うえはら・たけし)、井上薰、阿南健治ほか。

劇中で具体的な地名が明かされることはないが、北海道の余市郡が舞台。プロデューサーの大川祥吾が余市町の出身である。

漁師の吉田善次(升毅)の息子である光雄(和田聰宏)が癌で亡くなる。光雄は詩人を志して上京。以後、故郷に戻ることはなかった。雑誌に詩は投稿していたようだが、詩だけで食べることは出来ず、新聞の校正の仕事などをしていたようである。妻と娘が二人。
善次は妻に先立たれて一人暮らし。漁師仲間がいるが、付き合いは余り良い方ではない。東京で行われた光雄の葬儀にも出なかった善次であるが、そんな善次の下を、光雄の妻の透子(田中美里)、光雄の長女の美晴(日髙麻鈴)と次女の凛(宮本凜音)が訪ねてくる。こちらで光雄の四十九日を行うのだ。強引に押しかけた三人は善次の家で寝泊まりし、四十九日が終わっても帰ろうとしない。

小さな漁師町の余市には、透子のような美人はいない。ということで男どもが色めきだつ。光雄の遺言により、透子は白地の涼やかなワンピースに赤い口紅を塗って墓前に立ち、顰蹙を買うも、光雄の遺言だからと気にしない。

長女の美晴は、聴覚過敏を持つ自閉症である。自閉症は名称だけは有名だが、実態はよく知られていない症状である。基本的に知能は低く、視線が合わない、会話が上手く出来ないなどコミュニケーションの障害がある(かつてカナータイプと呼ばれたもの)。知能が正常、もしくは高い自閉症を以前はアスペルガー症候群や高機能自閉症といったが、差別的に用いられたこともあって(一見、普通の人なのだがコミュニケーションや想像力に問題があるため却って差別されやすい)、今はASDや自閉症スペクトラムという呼び方になったが、却って分かりにくくなったように思う。
美晴は二十歳だが、知能が低いタイプなので年齢よりはかなり幼く、不思議な手の動きなどを行う(これも自閉症の典型的な症状の一つ)。また擬音(オノマトペ)を好む。美晴は光雄が残してくれた絵本「美晴に傘を」を透子に朗読して貰うのが好きだ。次女の凛は、少々生意気な性格だが、姉を守る必要もあってかしっかりしている。
実は、善次は、文章が苦手である。当然ながら義務教育は受けているはずなのだが、生来苦手なのか漢字などが上手く書けず、文章にも自信がない。そこで書道家の正野(井上薰)が開いている書き方教室のようなものに通い始めたのだが、最近はサボり気味。実は、売れないとはいえ、詩を書いている息子に送るのに恥ずかしくない手紙を書くべく、習おうとしていたのだった。しかし、息子が病気に倒れたのを知り、更に亡くなったとあっては、書き方を習う必要はなくなってしまったのだった。

実は善次は光雄のことをずっと気に掛けており、光雄の詩が載った雑誌を購入して、息子の詩を全て暗唱していた。童謡のような詩を書く人だったことが分かる。

善次の仲間は個性豊か。二郎(阿南健治)は、俳句(川柳。無季俳句)を生き甲斐としているが、詠むのはエロ俳句ばかり。雑誌に投稿もしているようだがかすりもしない。妻に先立たれたようだが、娘のさくらは美容室を開いている。そんなある日、二郎の俳句が有名な専門誌に採用される。さくらは得意になってその雑誌を何冊も買い、知り合いに配るのだが実は……。

居酒屋が人々の行きつけの場所になっており、ほとんどの客は地元出身者なのだが、桐生(上原剛史)だけは東京からワイン造りのために余市へ越してきている。郊外に広大なワイン畑を所有していた。

美晴の夢の中では、光雄は傘売りのおじさんとなって登場。傘を様々なものに見立てて手渡すが、ある日、骨だけの傘を美晴に手渡す。

透子は当然ながら美晴のことを心配している。就職も恋愛も無理。自分が美晴を守らなかったら誰が美晴を守ってくれるのか。しかしそれが過保護になっていたことにある日気付く。凛の指摘もあった。透子は美晴のオノマトペの世界の豊穣さにも目を見張らされるようになる。

傘は守りの象徴だが、守られてばかりでは自由がなくなる。骨だけの傘は自由への第一歩の象徴でもあったのだと思われる。

ラストは善次と透子によるモノローグと、美晴の象徴的なシーン。モノローグのシーンにはリアリティはなく、少し恥ずかしい感じもするのだが、これぐらい語らないと伝わらないということでもある。メッセージを伝えることはリアリティよりも重要である。伝わらないくらいならリアリティを無視するのも手だと思われる。

夫に先立たれた妻と聴覚過敏を持つ自閉症の娘。息子を若くして亡くした父親というシリアスな設定なのだが、大声で笑える場面も用意されており、「良作」という印象を受ける。俳優陣も優秀。自閉症は圧倒的に男子に多く、女子は少ないのだが、日髙麻鈴は、実際の自閉症の女子に接して、役作りに励んだものと思われる。良い演技だ。

田舎に突如として美女が現れ、男達の心にさざ波を起こすという展開に、竹中直人監督の映画「119」を思い出した。「119」の鈴木京香は当時25歳で大学院生の役であったが、田中美里は今年48歳で透子も同世代と思われ、若くはない。それでもやはり男は美人に弱い。

ノスタルジックな余市の風景、美しいブドウ畑など映像面でも魅力的であり、多くの人に推せる作品となっている。

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観劇感想精選(483) 渡邊守章記念「春秋座 能と狂言」令和七年 狂言「宗論」&能「二人静」立出之一声

2025年2月8日 京都芸術劇場春秋座にて

午後2時から、京都芸術劇場春秋座で、渡邊守章記念「春秋座 能と狂言」を観る。毎年恒例となっている能と狂言の上演会である。今回の狂言の演目は「宗論」、能は「二人静」立出之一声である。

片山九郎右衛門(観世流シテ方)と天野文雄(大阪大学名誉教授)によるプレトークでは、能「二人静」立出之一声の演出についての話が展開される。『義経記』を元に静御前の霊を描いた「二人静」。静御前は日本史上最も有名な女性の一人であるが、その正体についてはよく分かっておらず、不自然な存在でもあるため、架空の人物ではないかと思われる節もある。正史である『吾妻鏡』には記されているが、公家の日記や手紙など、一次史料とされるものにその名が現れることはない。『義経記』は物語で、史料にはならない。
「二人静」は、元々はツレの菜摘の女と、後シテの静の霊が同じ舞を行うという趣向だったのだが、宝生九郎が「舞の名手を二人揃えるのは大変」ということで宝生流では「二人静」を廃曲とし、観世元章も同じような考えも持つに至った。ただ廃する訳にはいかないので、立出之一声という新しい演出法を行うことにしたという。立出之一声を採用しているのは観世流のみのようである。
二人とも狂言に関する解説は行わなかった。

 

狂言「宗論」。宗派の違う僧侶同士が論争を行うことを宗論という。仏教が伝来した奈良時代から行われており、最澄と徳一の三一権実論争などが有名だが、史上、たびたび行われており、時には天下人を利用したり利用されたりもしている(安土宗論など)。現在の仏教界は共存共栄路線を取っているので、伝統仏教同士で争うことは少ないが、昔は宗派による争いも絶えず、時に武力に訴えることもあった。
出演は、野村万作(浄土僧。シテ)、野村萬斎(法華僧。シテ)、野村裕基(宿屋。アド)。三世代揃い踏みである。
京・日蓮宗大本山本国寺(現在は本圀寺の表記で山科区にあるが、以前は洛中にあった。山科に移る前は西本願寺の北にあり、塔頭は今もその周辺に残るため、再移転の案もある。江戸時代には水戸藩との結びつきが強く、水戸光圀より圀の名を譲られて本圀寺の表記となっている)の僧で、日蓮宗の総本山、身延山久遠寺(甲斐国、現在の山梨県にある。日蓮は鎌倉幕府から鎌倉か京都に寺院を建立しても良いとの許可を得たが、これを断って、僻地の身延山に本山を据えた)に詣でた法華僧(野村萬斎)は、都への帰り道で、同道してくれる都の僧侶を探すことにする。丁度良い感じの僧(野村万作)が見つかったが、よく話を行くと、東山の黒谷(浄土宗大本山の金戒光明寺の通称)の僧で、信濃の善光寺から京に帰る途中だという。
共に有名寺院の僧侶であったことから、宿敵に近い関係であることがすぐに分かる。
浄土宗と日蓮宗は考え方が真逆である。往生を目的とするのは同じなのだが、「南無阿弥陀仏」の六字名号を唱えれば極楽往生出来るとするのが浄土宗、「妙法蓮華経」を最高の経典として日々の務めに励むのが日蓮宗である。日蓮宗の宗祖である日蓮は、『立正安国論』において、「今の世の中が悪いのは(浄土宗の宗祖である)法然坊源空のせいだ」と名指しで批判しており、浄土宗への布施をやめるよう説いていたりする。

互いに自宗派の優位を説く法華僧と浄土僧。法華僧は、嫌になって「在所に用がある」「何日も、数ヶ月も掛かるかも知れない」といって、同道をやめようとするが(「法華骨なし」という揶揄の言葉がある)、浄土僧は「何年でも待ちまする」とかなりしつこい(「浄土情なし」という揶揄が存在する)。
何とかまいて、宿屋へと逃げ込む法華僧だったが、浄土僧も宿屋を探り当て、同室となる……。

法華僧が論争にそれほど積極的ではないのに、扇子で床を打つ様が激しく、浄土僧も扇子で床を叩くが言葉の読点を置くようにだったりと、対比が見られる。性格と態度が異なるのも面白いところである。浄土僧は法然から授かった数珠を持っており、法華僧は日蓮から下された数珠を手にしているということで、かなりの高僧であることも分かる。本圀寺と金戒光明寺という大本山の僧侶なのだから、その辺の坊主とは違うのであろう。
最後は、浄土僧が「南無阿弥陀仏(狂言では「なーもーだー」が用いされる)」、法華僧が「妙法蓮華経」を唱えるが、いつの間にか逆転してしまうという笑いを生むのだが、それ以前から逆転の現象は起こっているため、最後だけとってつけたように逆転を起こしている訳ではないことが分かる。

 

能「二人静」立出之一声。出演は、観世銕之丞(前シテ、里女。後シテ、静御前)、観世淳夫(菜摘女。ツレ)、宝生常三(勝手宮神主。ワキ)。鳴り物は、亀井広忠(大鼓)、大倉源次郎(小鼓)、竹市学(笛)。

大和国吉野。神主が菜摘女に、菜摘川に若菜を採りに行くよう命じる。菜摘女は菜摘川の近くで、不思議な女に声を掛けられる。罪業が重いので、社家の人々に弔ってくれるよう伝えて欲しいというのだ、菜摘女は憑依体質のようで、女が取り憑き、判官殿(源九郎判官義経)の身内と名乗り出る。
春秋座は歌舞伎対応の劇場なので、花道があり、途中にセリがある。静御前の霊は、このセリを使って現れる。
しばらくは共に大物浦や吉野山の話(義経関連のみではなく、後に天武天皇となる大海人皇子の宮滝落ちの話なども出てくる。ちなみに天武天皇も天智天皇の「弟」である)などをしていた菜摘女と静御前の霊であるが、互いに舞い始める。最初は余り合っていないが、次第に二人で一人のようになってくる。
ただ、頼朝の前での舞を再現するときは、菜摘女のみが舞い、静御前は動かない。おそらく頼朝の前で舞を強要された屈辱から、同じ舞を行うことを拒否しているのだと思われる。その他の理由は見当たらない。そして「しづやしづ賤の苧環繰り返し昔を今になすよしもがな」から再び静は菜摘女と一体になり、存在を示す。

近年のドラマは、ストーリーよりも「伏線回収」が重視されているような印象を受けるが(物語は謎解きではないので必ずしも良い傾向だとは思えない)、今日観た狂言と能の演目は、伏線のしっかりした作品である。ただし、ある程度の知識がないと伏線が伏線だと分からないようにはなっている。

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2025年2月11日 (火)

コンサートの記(886) 日本シベリウス協会創立40周年記念 シベリウス オペラ「塔の乙女」(日本初演。コンサート形式)ほか 新田ユリ指揮

2024年11月29日 東京都江東区の豊洲シビックセンターホールにて

東京へ。豊洲シビックセンターホールで、シベリウス唯一のオペラ「塔の乙女」の日本初演を聴くためである・
劇附随音楽などはいくつも書いているシベリウスであるが、オペラを手掛けているというイメージを持つ人はかなり少ないと思われる。「塔の乙女」はシベリウスがまだ若い頃に書かれたもので、初演後長い間封印されていた。1981年にようやく再演が行われたという。
実は、シベリウス同様にほとんどオペラのイメージのない指揮者のパーヴォ・ヤルヴィ(実際には、「フィデリオ」やミュージカルになるが「ウエスト・サイド・ストーリー」などを指揮している)が「塔の乙女」を録音しており、これが最も手に入りやすい「塔の乙女」のCDとなっている。

 

豊洲シビックセンターは、江東区役所の特別出張所や文化センター、図書館などからなる複合施設で、2015年にオープン。ホールは5階にある。音楽イベントの開催なども多いようだが、音楽専用ではなく多目的ホールである。それほど大きくない空間なので、おそらく音響設計などもされていないだろう。ステージの背景はガラス張りになっていて、豊洲の街のビルディングが見えるが、遮蔽することも出来るようになっている。本番中は閉じて屋外の景色は見えにくくなっていた。

 

今回の演奏会は、日本シベリウス協会の創立40周年を記念して行われるものである。
オペラ「塔の乙女」は、上演時間40分弱であり、それだけでは有料公演としては短いので、前半に他のシベリウス作品も演奏される。

曲目は、第1部が、コンサート序曲、鈴木啓之のバリトンで「フリッガに」と「タイスへの賛歌」(いずれも小沼竜之編曲)、駒ヶ嶺ゆかりのメゾソプラノで「海辺のバルコニーで」(山田美穂編曲)と「アリオーソ」。第2部がオペラ「塔の乙女」(コンサート形式)である。スウェーデン語の歌唱であるが日本語字幕表示はなく、聴衆は無料パンフレットに掲載された歌詞対訳を見ながら聴くことになる(客席は暗くはならない)。

日本初演作品ということでチケットは完売御礼である。

 

指揮は、北欧音楽のスペシャリストで、日本シベリウス協会第3代会長の新田ユリ。彼女は日本・フィンランド新音楽協会の代表も務めている。

管弦楽団は創立40周年記念オーケストラという臨時編成のもの(コンサートミストレス・佐藤まどか)。第1ヴァイオリン4、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロがいずれも3、コントラバス2という小さい編成の楽団だが、「塔の乙女」初演時のオーケストラ編成はこれよりも1人少ないものだったそうである。

 

午後6時30分頃より、新田ユリによるプレトークがある。
シベリウスとオペラについてだが、シベリウスはベルリンやウィーンに留学していた時代にワーグナーにかぶれたことがあるそうで、「自分もあのようなオペラを書いてみたい」と思い立ち、「船の建造」という歌劇作品に取り組むことになったのだが、結局、筆が止まってしまい、未完。その素材を生かして「レンミンカイネン」組曲 が作曲された。「レンミンカイネン」組曲の中で最も有名な交響詩「トゥオネラの白鳥」は、元々は歌劇「船の建造」の序曲として書かれたものだという。
その後、ヘルシンキ・フィルハーモニー・ソサエティーからチャリティーコンサートの依頼を行けたシベリウスは、オペラ「塔の乙女」を完成させる。初演は、1896年11月7日。この時点ではシベリウスは「クレルヴォ」以外の交響曲を1曲も書いていない。指揮はシベリウス本人が行った。演奏会形式であったという。しかし、このオペラはシベリウスが半ば取り下げる形で封印してしまい、その後、1世紀近く知られざる曲となっていた。オペラにしては短いということと、シンプルなストーリー展開が作品の完成度を下げているということもあったのだろう。なお、台本はラファエル・ヘルツベリという人が書いており、先にも書いたとおりスウェーデン語作品である。これ以降、シベリウスは交響曲の作曲に本格的に取り組むようになり、オペラを書くことはなかった。
シベリウスはスウェーデン系フィンランド人で、母語はスウェーデン語である。当時のフィンランドはロシアの支配下にあったが、ロシア以前にはスウェーデンの領地であったことからスウェーデン系が上流階層を占めていた。ただ時代的には国民がフィンランド人としてのアイデンティティーを高めていた時期であり、シベリウスもフィンランド語の学校で学んでいる(ただ彼は夢想家で勉強は余り好きではなく、フィンランド語をスウェーデン語並みに操ることは終生出来なかった)。シベリウスの歌曲は多いが、大半はスウェーデン語の詩に旋律を付けたものであり、フィンランド語、英語、ドイツ語の歌曲などが少しずつある。

今日の1曲目として演奏されるコンサート序曲は、フィンランドの指揮者兼作曲家のトゥオマス・ハンニカイネンが、2018年に「塔の乙女」のスコアを研究しているうちに、矢印など意味ありげな記号を辿り、それが一つの楽曲になることを発見したもので、2021年に現代初演がなされている。1900年4月7日に、コンサート序曲が初演され、それが「塔の乙女」由来のものであることが分かっているのだが、総譜などは見つかっておらず、幻の楽曲となっていた。
一応、制約があり、2025年いっぱいまでは、トゥオマス・ハンニカイネンにのみ指揮する権利があるのだが、今回、日本シベリウス協会が「塔の乙女」の日本初演に合わせて演奏したいと申し出たところ特別に許可が下りたそうで、世界で2番目に演奏することが決まったという。

世界レベルで見るとシベリウス人気が高い国に分類される日本だが、それでも北欧音楽はドイツやフランスの音楽に比べるとマイナーである。ただ日本シベリウス協会の会員にはシベリウスや北欧の作品に熱心に取り組んでいる人が何人もいるため、オペラ作品なども上演可能になったそうである。

 

1曲目のコンサート序曲。日本初演である。創立40周年記念オーケストラは、チェロが客席寄りに来るアメリカ式の現代配置をベースにしている。楽団員のプロフィールが無料パンフレットに載っているが、日本シベリウス協会の会員も含まれている。現役のプロオーケストラの奏者や元プロのオーケストラ団員だった人もいれば、フリーの人もいる。有名奏者としては舘野泉の息子であるヤンネ舘野(山形交響楽団第2ヴァイオリン首席、ヘルシンキのラ・テンペスタ室内管弦楽団コンサートマスター兼音楽監督)が第2ヴァイオリン首席として入っている。
コンサートミストレスの佐藤まどかは、東京藝術大学大学院博士後期課程を修了。シベリウスの研究で博士号を取得している。シベリウス国際ヴァイオリンコンクールでは3位に入っている。上野学園短期大学准教授(上野学園大学は廃校になったが短大は存続している)。日本シベリウス協会理事。
シベリウスがまだ自身の作風を確立する前の作品であり、グリーグに代表される他の北欧の作曲家などに似た雰囲気を湛えている。この頃のシベリウスはチャイコフスキーにも影響を受けているはずだが、この曲に関してはチャイコフスキー的要素はほとんど感じられない。後年のシベリウス作品に比べるとメロディー勝負という印象を受ける。

 

バリトンの鈴木啓之による「フリッガに」と「タイスへの賛歌」。神秘的な作風である。
鈴木啓之は、真宗大谷派の名古屋音楽大学声楽科および同大学大学院を修了。フィンランド・ヨーチェノ成人大学でディプロマを取得している。第8回大阪国際音楽コンクール声楽部門第3位(1位、2位該当なしで最高位)を得た。

 

駒ヶ嶺ゆかりによる「海辺のバルコニーで」と「アリオーソ」。神秘性や悲劇性を感じさせる歌詞で、メロディーも哀切である。
駒ヶ嶺ゆかりも、真宗大谷派の札幌大谷短期大学(音楽専攻がある)を卒業。同学研究科を修了。1998年から2001年までフィンランドに留学し、舘野泉らに師事した。東京でシベリウスの歌曲全曲演奏会を達成している。北海道二期会会員。

 

オペラ「塔の乙女」。合唱は東京混声合唱団が務める。
配役は、乙女に前川朋子(ソプラノ)、恋人に北嶋信也(テノール)、代官に鈴木啓之(バリトン)、城の奥方に駒ヶ嶺ゆかり(メゾソプラノ)。

前川朋子は、国立(くにたち)音楽大学声楽科卒業後、ドイツとイタリアに留学。フィンランドの歌曲に積極的に取り組んでいる。東京二期会、日本・フィンランド新音楽協会、日本シベリウス協会会員。

北嶋信也は、東海大学教養学部芸術学科音楽学課程卒業、同大学大学院芸術学研究科音響芸術専攻修了。二期会オペラ研修所マスタークラス修了時に優秀賞及び奨励賞を受賞。東海大学非常勤講師、二期会会員。
東海大学出身のクラシック音楽家は比較的珍しい。東海大学には北欧学科があり(元々は文学部北欧学科だったが、現在は文化社会学部北欧学科に改組されている)、言語以外の北欧を学べる日本唯一の大学となっている。ただ、そのことと今回の演奏会に出演していることに関係があるのかは分からない。

 

「塔の乙女」のあらすじ。
乙女が岸辺で花を摘んでいると、代官が現れ、娘をさらって塔に閉じ込めてしまう。乙女は嘆き、歌う。乙女が姿を消したことで彷徨っている恋人は乙女の歌声を耳にし、乙女が塔に閉じ込められていることを知る。代官と恋人の一騎打ちになろうとしたところで城の奥方が現れ(代官は偉そうに見えるが、身分としては城の奥方の方が上である)、乙女を解放した上で代官を捕縛するよう家臣に命じる。かくて乙女と恋人はハッピーエンド、という余りにも単純なストーリーである。一種のメルヘンであるが、代官がなぜそれほど乙女に惚れ込むのか、恋人と乙女はそれまでどういう関係だったのかなど、細部についてはよく分からないことになっている。
本格的なオペラというよりも余興のような作品として台本が書かれ、作曲が行われたということもあるだろう。
このテキストだと確かに受けないだろうなとは思う。見方を変えて、これは若き芸術の内面を描いたものであり、芸術家の中に眠っている才能を葛藤を経ながら自らの手で発掘していく話として見ると多少は面白く感じられるかも知れない。演奏会形式でしか上演されたことはないようだが、いわゆるオペラとして上演する時には演出を工夫してそういう見方が出来ても良いようにするのも一つの手だろう。
出来れば字幕付きでの上演が良かったのだが、それでも楽しむことは出来た。
シベリウスの音楽は抒情美があり、ピッチカートが心の高鳴りを表すなど、心理描写にも秀でている。ストーリーに弱さがあるため、今後も単独での上演は難しいかも知れないが、他の短編もしくは中編オペラと組み合わせての上演なら行える可能性はある。

今日は前から2番目の席ということもあり、歌手達の声量ある歌声を存分に楽しむことが出来た。

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2025年2月 9日 (日)

これまでに観た映画より(375) 筒井康隆原作 長塚京三主演 吉田大八監督作品「敵」

2025年2月1日 烏丸御池のアップリンク京都にて

アップリンク京都で、日本映画「敵」を観る。筒井康隆の幻想小説の映画化。長塚京三主演、吉田大八監督作品。出演は、長塚京三のほかに、瀧内公美、河合優実、黒沢あすか、松尾諭(まつお・さとる)、松尾貴史、中島歩(なかじま・あゆむ。男性)、カトウシンスケ、高畑遊、二瓶鮫一(にへい・こういち)、高橋洋(たかはし・よう)、戸田昌宏、唯野未歩子(ただの・みあこ)ほか。脚本:吉田大八。音楽:千葉広樹。プロデューサーに江守徹(芸名はモリエールに由来)が名を連ねている。

令和5年の東京都中野区が舞台であるが、瀧内公美、河合優実、黒沢あすかといった昭和の面影を宿す女優を多く起用したモノクローム映画であり、主人公の家屋も古いことから、往時の雰囲気やノスタルジーが漂っている。

77歳になる元大学教授の渡辺儀助(長塚京三)は、今は親から、あるいは先祖から受け継いだと思われる古めかしい家で、静かな生活を送っている。両親を亡くし、妻も早くに他界。子どもも設けておらず、一人きりである。冒頭の丁寧な朝のルーティンは役所広司主演の「PERFECT DAYS」を連想させるところがある。専門はフランス文学、中でも特にモリエールやラシーヌらの戯曲に詳しい。今は、雑誌にフランス文学関連のエッセイを書くほかは特に仕事らしい仕事はしていない。実は大学は定年や円満退職ではなく、クビになっていたことが後になって分かる。

大学教授時代の教え子だった鷹司靖子(瀧内公美。「鷹司」という苗字は摂関家以外は名乗れないはずだが、彼女がそうした上流の出なのかどうかは不明。また「離婚しようかと思って」というセリフが出てくるが、鷹司が生家の苗字なのか夫の姓なのかも不明である)はよく遊びに訪れる仲である。優秀な学生であったようなのだが、渡辺が下心を抱いていたことを見抜いていたようでもある。しょっちゅうフランス演劇の観劇に誘い、終わってから食事とお酒が定番のコースだったようだが、余程鈍い女性でない限り気付くであろう。ただ手は出さなかったようである。渡辺の家で夕食を取っている時に靖子が渡辺を誘惑するシーンがあるのだが、これも現実なのかどうか曖昧。その後の靖子の態度を見ると、現実であった可能性は低いようにも見える。
友人でデザイナーの湯島(松尾貴史)とよく訪れていた「夜間飛行」というサン=テグジュペリの小説由来のバーで、バーのオーナーの姪だという菅井歩美(河合優実)と出会う渡辺。歩美は立教大学の仏文科(立教大学の仏文科=フランス文学専修は、なかにし礼や周防正行など有名卒業生が多いことで知られる)に通う学生ということで、フランス文学の話題で盛り上がる(ボリス・ヴィアンやデュラス、プルーストの名が出る)。ある時、歩美が学費未納で大学から督促されていることを知った渡辺。歩美によると父親が失職したので学費が払えそうになくなったということなので、渡辺は学費の肩代わりを申し出て、金を振り込んだのだが、以降、歩美とは連絡が取れなくなる。「夜間飛行」も閉店。持ち逃げされたのかも知れないと悟った渡辺であるが、入院した湯島に「世間知らずの大学教授らしい失敗」と自嘲気味に語る。

湯島を見舞った帰り。渡辺は、「渡辺信子」と書かれた札の入った病室を発見。部屋に入るとシーツをかぶせられた遺体のようなものが見える。渡辺がシーツを剥ぎ取ると……。

どこまでが現実でどこまでが幻想もしくは夢なのか曖昧な手法が取られている。フランス発祥のシュールレアリズムや象徴主義、「無意思的記憶」といった技法へのオマージュと見ることも出来る。

タイトルの「敵」であるが、渡辺は高齢ながらマックのパソコンを自在に扱うが、あからさまな詐欺メールなども届く。相手にしない渡辺だったが、「敵について」というメールが届き、気になる。「敵が北から迫ってきている」「青森に上陸して国道4号線を南下。盛岡に着いた」「難民らしい」「汚い格好をしている」との情報もパソコンに勝手に流れてくる。このメールやパソコンの画面上に流れるメッセージも現実世界のものなのかは定かではない。渡辺は何度か「敵」の姿を発見するのだが、それらはいずれも幻覚であることに気付く。
一方で、自宅付近で銃声がして、知り合い2名が亡くなるが、これも現実なのかどうか分からない。令和5年夏から令和6年春に掛けての話だが。渡辺以外は「敵」が来た素振りなどは見せないので、これも渡辺の思い込みなのかも知れない。

亡くなったはずの妻、信子(黒沢あすか)が姿を現す。儀助と共に風呂に入り、一度も連れて行ってくれなかったパリに一緒に行きたいなどとねだる。渡辺の家を訪れた靖子や編集者の犬丸(カトウシンスケ)も信子の姿を見ているため、儀助の幻覚というより幽霊に近いのかも知れないが、この場面まるごとが儀助の夢である可能性も否定できない。

渡辺は自殺することに決め、遺言状を書く。ここに記された日付や住所によって、渡辺が東京都中野区在住で、今は令和5年であることが分かるのであるが、結局、渡辺は自殺を試みるも失敗した。生きることや自分の生活から遠ざかってしまった現実世界に倦んでいるような渡辺。生きていること自体が彼にとって「敵」なのかも知れないが、一方で残り少ない日々こそが彼の真の「敵」である可能性もある。逆に「死」そのものが「敵」であるということも考えられる。渡辺は次第に病気に蝕まれていくのだが、それもまた「敵」、老いこそが「敵」といった捉え方も出来る。

 

大河ドラマ「光る君へ」にも出演して好演を見せた瀧内公美。AmazonのCMにも抜擢されて話題になっているが、本格的な芸能界デビューが大学卒業後だったということもあり、比較的遅咲きの女優さんである。
育ちが良さそうでありながら匂うような色気を持ち、渡辺を誘惑する場面もある魅力的かつ蠱惑的な存在として靖子を描き出している。

映画やドラマに次々と出演している河合優実。今回も小悪魔的な役どころであるが、出演場面はそれほど長くない。

早稲田大学第一文学部中退後に渡仏し、ソルボンヌ大学(パリ大学の一部の通称。以前のパリ大学は、イギリスのオックスフォード大学やケンブリッジ大学同様にカレッジの集合体であった)に学ぶという俳優としては異色の経歴を持つ長塚京三。フランス語のシーンも無難にこなし、何よりも知的な風貌が元大学教授という役にピッタリである。

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2025年2月 7日 (金)

コンサートの記(885) びわ湖ホール オペラへの招待 クルト・ヴァイル作曲「三文オペラ」2025

2025年1月26日 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール中ホールにて

午後2時から、びわ湖ホール中ホールで、びわ湖ホール オペラへの招待 クルト・ヴァイル作曲「三文オペラ」を観る。ジョン・ゲイの戯曲「ベガーズ・オペラ(乞食オペラ)」をベルトルト・ブレヒトがリライトした作品で、ブレヒトの代表作となっている。ブレヒトは東ベルリンを拠点に活動した人だが、「三文オペラ」の舞台は原作通り、ロンドンのソーホーとなっている。

セリフの多い「三文オペラ」が純粋なオペラに含まれるのかどうかは疑問だが(ジャンル的には音楽劇に一番近いような気がする)、「マック・ザ・ナイフ」などのスタンダードナンバーがあり、クラシックの音楽家達が上演するということで、オペラと見ても良いのだろう。
ちなみに有名俳優が多数出演するミュージカル版は、白井晃演出のもの(兵庫県立芸術文化センター阪急中ホール)と宮本亞門演出のもの(今はなき大阪厚生年金会館芸術ホール)の2つを観ている。

実は私が初めて買ったオペラのCDが「三文オペラ」である。高校生の時だった。ジョン・マウチュリ(当時の表記は、ジョン・モーセリ)の指揮、RIASベルリン・シンフォニエッタの演奏、ウテ・レンパーほかの歌唱。当時かなり話題になっており、CD1枚きりで、オペラのCDとしては安いので購入したのだが、高校生が理解出来る内容ではなかった。

 

栗山晶良が生前に手掛けたオペラ演出を復元するプロジェクトの中の1本。演出:栗山晶良、再演演出:奥野浩子となっている。

振付は、小井戸秀宅。

 

園田隆一郎指揮ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団の演奏。今日は前から2列目での鑑賞だったので、オーケストラの音が生々しく聞こえる。オルガン(シンセサイザーを使用)やバンドネオンなど様々な楽器を使用した独特の響き。

出演はWキャストで、今日は、市川敏雅(メッキー・メッサー)、西田昂平(にしだ・こうへい。ピーチャム)、山内由香(やまうち・ゆか。ピーチャム夫人)、高田瑞希(たかだ・みずき。ポリー)、有ヶ谷友輝(ありがや・ともき。ブラウン)、小林由佳(ルーシー)、岩石智華子(ジェニー)、林隆史(はやし・たかし。大道歌手/キンボール牧師)、有本康人(フィルチ)、島影聖人(しまかげ・きよひと)、五島真澄(男性)、谷口耕平、奥本凱哉(おくもと・ときや)、古屋彰久、藤村江李子、白根亜紀、栗原未知、溝越美詩(みぞこし・みう)、上木愛李(うえき・あいり)。びわ湖ホール声楽アンサンブルのメンバーが基本である。
オーケストラピットの下手端に橋状になった部分があり、ここを渡って客席通路に出入り出来るようになっている。有効に利用された。

ロンドンの乞食ビジネスを束ねているピーチャム(今回は左利き。演じる西田昂平が左利きなのだと思われる)。いわゆる悪徳業者であるが、悪党の親玉であるメッキー・メッサーが自身の娘であるポリーと結婚しようとしていることを知る。メッキー・メッサーは、スコットランドヤード(ロンドン警視庁)の警視総監ブラウンと懇意であり、そのために逮捕されないのだが、ピーチャムは娘を取り戻すためにブラウンにメッサーとの関係を知っていることを明かして脅す。
追われる身となったメッセーは、部下達に別れを告げ、ロンドンから出ることにするが、娼館に立ち寄った際に逮捕されてしまう。牢獄の横でメッサーに面会に来たポリーとブラウンの娘ルーシーは口論に。その後、上手く逃げおおせたメッサーであるが、再び逮捕されて投獄。遂には絞首刑になることが決まるのだが……。

クルト・ヴァイル(ワイル)は、いかにも20世紀初頭を思わせるようなジャンルごちゃ混ぜ風の音楽を書く人だが、「マック・ザ・ナイフ(殺しのナイフ)」はジャズのスタンダードナンバーにもなっていて有名である。今回の上演でもエピローグ部分も含めて計4度歌われる。エピローグ的な歌唱では、びわ湖ホールを宣伝する歌詞も特別に含まれていた。
また「海賊ジェニーの歌」も比較的有名である。

ブレヒトというと、「異化効果」といって、観客が登場人物に共感や没入をするのではなく、突き放して見るよう仕向ける作劇法を取っていることで知られるが、今回は特別に「異化効果」を狙ったものはない。ただ、オペラ歌手による日本語上演であるため、セリフが強く、一音一音はっきり発音するため、感情を込めにくい話し方となっており、そこがプロの俳優とは異なっていて、「異化効果」に繋がっていると見ることも出来る。
白井晃がミュージカル版「三文オペラ」を演出した際には、ポリー役に篠原ともえを起用。篠原ともえは今はいい女風だが、当時はまだ不思議ちゃんのイメージがあった頃、ということでヒロインっぽさゼロでそこが異化効果となっていた。今日、ポリーを演じたのは歌劇「竹取物語」で主役のかぐや姫を1公演だけ歌った高田瑞希。彼女はセリフも歌も身のこなしも自然で、いかにもオペラのヒロインといった感じであった。6年前に初めて見た時は、京都市立芸術大学声楽科に通うまだ二十歳の学生で、幼い感じも残っていたが、立派に成長している。

園田隆一郎指揮するザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団も、ヴァイルのキッチュな音楽を消化して表現しており、面白い演奏となっていた。

「セツアン(四川)の善人」などでもそうだが、ブレヒトは、ギリシャ悲劇の「機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)」を再現しており、それまでのストーリーをぶち破るように強引にハッピーエンドに持って行く。これも一種の異化効果である。

 

「三文オペラ」は、オペラ対訳プロジェクトの一作に選ばれており、クルト・ヴァイルの奥さんであったロッテ・レーニャなどの歌唱による音源を日本語字幕付きで観ることが出来る。

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2025年2月 6日 (木)

Huluオリジナル連続ドラマ「あなたに聴かせたい歌があるんだ」

Huluオリジナル連続ドラマ「あなたに聴かせたい歌があるんだ」のエピソード1とエピソード2を見る。

「ボクたちはみんな大人になれなかった」の小説家、燃え殻が原作者として脚本に参加した作品。全話各20分ほどのドラマである。
監督は萩原健太郎。出演:成田凌、伊藤沙莉、田中麗奈、藤原季節、上杉柊平、前田敦子ほか。

田舎の高校の教室。英語の臨時教師である望月かおり(田中麗奈)がかつて下着グラビアに出ていたことが発覚する。かおりは、「私は今年27歳になったの。みなさんもこれからも10年経ったら必ず27歳になります。その時、みなさんが後悔することが一つでも少ないように本気で願っています」と言って、キリンジの「エイリアンズ」をラジカセで流した。かおりはそのまま退職するが、その後、再登場する。

この高校のクラスにいた人物の10年後が描かれる。
エピソード1“27歳のあなたは大人でしたか?立派でしたか?”の主人公は、荻野智史(おぎの・ともふみ。成田凌)。荻野はエピソード2にも続けて登場する。俳優を目指して上京した荻野だが、25歳の時に夢を諦め、一般企業に就職。中途入社ということもあり、余り待遇のよくない会社のようである。ストレスからか花粉症を発するようになっている。

エピソード2“夢は見る方ですか?叶える方ですか?”の主人公は、前田ゆか(伊藤沙莉)。望月かおりの英語の授業で号令を行っていたのが伊藤沙莉の声だったので、学級委員長だったのかも知れない。伊藤沙莉は千葉県立若松高校(私が出た中学からも進学する子の多い高校である)1年の時に学級委員長を経験したことがあるようだ。ゆかは、高校卒業後にアイドルを夢見て上京するのだが、伊藤沙莉は女優としては愛嬌もあって可愛いものの、アイドル顔では全くない。自信満々で生まれた町を後にするゆか。最初から通用しないのが分かってしまって切ないが、書類選考に通らず、たまにオーディションに参加出来ても、「笑って」と言われてこわばった笑顔しか浮かべられず(「TRICK」で仲間由紀恵が演じた山田奈緒子を連想させられる)ほとんど相手にもされずに落ちる。一緒にオーディションを受けたのは自分よりもずっと年下の可愛い子ばかりであった。バイト先で、サラリーマンを辞めた荻野と再会。荻野はカラオケ中に「やっぱり役者を目指す」と宣言して退社。アルバイトをしながら再び役者を目指していた。二人は同棲を始める。荻野はゆかとの結婚を考え、また役者の夢を諦めようとするが、夢を追う人が好きであるゆかはそれが気に入らず(キャラクター的に燃え殻原作の「ボクたちはみんな大人になれなかった」で伊藤が演じた加藤かおりと繋がるところがあるようだ)別れを決意。母親(ふせえり)に泣きながら電話し、アイドルの夢を諦めて実家に帰ることを告げる。
失意のゆかを演じる伊藤沙莉の演技がまた巧みで、単に落ち込んでいるだけでなく、目の焦点が合わないなど、自失の様を表現してみせる。
そんなゆかも最後にはとびっきりの笑顔を見せ、その対比が見る者の頬を緩ませる。

 

Huluオリジナル連続ドラマ「あなたに聴かせたい歌があるんだ」エピソード3“真夜中に書いたラブレターを投稿してみませんか?”を見る。臨時の英語教師、望月かおりの教室にいた一人、片桐晃(藤原季節)は、高校卒業後、小説家を志しているが、一行も書けないでいる。小説を書きたいのではなく、小説家になりたかったのだと気付く片桐。普段、何をしているのかは不明。出掛けてはいるようである。ちなみに片桐にとっては望月かおりは初恋の女性だった。

ある日、片桐は図書館で、ヘッドホンで音楽を聴き、サンドウィッチを頬張りながら読書をしている可愛らしい女性を見掛ける(名前は中尾あや。次の次の次の朝ドラのヒロインの一人に決まった見上愛が演じている)。一目惚れした片桐は、「いつか芥川賞取るんで付き合って下さい」といきなり告白。都合が良いことにOKされる。片桐の部屋で同棲することになり、ロフトにある布団でイチャイチャする二人。しかし、片桐は結局は一行も小説を書くことが出来ず、ある日、彼女は消えた。
行きつけのゲイバーのママ(黒田大輔)から、今は売れっ子作家になった並木翔平(ジャルジャルの後藤淳平が演じている)の売れなかった頃の話を聞かされる片桐。片桐はあやへのラブレターとして小説を書き上げた。

正直、照れくさい話である。余り良くないと思う。図書館でサンドウィッチを食べながら読書をしているというのはマナーとしてどうかと思うし、片桐がワープロソフトで四百字詰め原稿用紙を開いて執筆しているのも感心しない。確かにワープロソフトに四百字詰め原稿用紙のデザインは入っているが、審査員が読みにくいので、普通は避けるところである。大して働いているようには見えないのにロフトのある広めに部屋に住めているのも謎。おそらく東京なので家賃も高そうだが、親が金持ちなのだろうか。結局、ツッコミどころだけで終わってしまったような気もする。
大河ドラマ「光る君へ」で、藤原道長(柄本佑)の娘で一条天皇(塩野瑛久)に嫁ぎ、紫式部(吉高由里子。劇中での名は、まひろ、藤式部)を女房とする中宮彰子を演じて注目を浴びた見上愛。「光る君へ」では平安朝のメイクをしていたので、今回のドラマの容貌は大分異なるが、いずれにせよ美人というよりは愛らしいファニーフェイスタイプである。出番がそれほど長くないということもあって、演技というほどの演技を必要とするシーンはこのドラマにはなく、自然に演じている。

 

Huluオリジナル連続ドラマ「あなたに聴かせたい歌があるんだ」のエピソード4“叶わなかった夢だけがロマンチックだと思いませんか?”とエピソード5“知らない男と一緒に夜空を見上げたことはありますか?”を見る。
望月かおりのクラスにいた中澤優斗(上杉柊平)は、かおりがラジカセでキリンジの「エイリアンズ」を聴かせた日の放課後、今から10年間、自分たちがかおりの年齢になるまでバンドを組んで武道館を目指してみないかと、同級生の進藤康太(中島広稀)、松浦蓮二(楽駆)に告げる。
そして10年。3人が組んだバンド、Radical in the 1Kは、武道館どころか小さなライブハウスで20人を集めるのが精一杯であり、解散ライブを行う。
楽屋で、「27にして就活の話」などと自嘲的に語る3人だったが、アンコールが掛かっているとの報告があり……。
ちょっと時系列におかしなところがある上に、ストーリー的にもそれほど特別なところはないのだが、音楽に夢を見た者達の喜びと悲哀が伝わってくる。

 

エピソード5は、望月かおりの物語である。そのまま教師を退職したかおりは、派遣の受付嬢として、会社を転々としていた。教師を辞めてすぐに東京に出たのかどうかは分からないが、少なくとも「ずっと東京タワーを見ている」と言えるほどには長く東京にいる。派遣の仕事は長くても5年でクビになる。本当は5年勤務すると正社員として雇わなければならないのだが、守られておらず、5年は解雇するまでの期限となっている。今の職場で働き始めてから後1ヶ月で5年。その間、同じビルに勤める年下の課長といい仲になるが、より若い女性に取られてしまう。受付嬢では何のスキルも身につかない。「前世で何か悪いことをしたのだろうか」と思うかおり。「だとしたら今後も罰を受け続けることになる」
かおりは勤務しているビルの屋上に上がり、飛び降り自殺を決意する、のだが先客として屋上に来ていた男に呼び止められる。
星の話などをする二人。「エイリアンズ」に掛けた訳でもないだろうが、向こう(の星)からもこちらを見ているのだろうかという話になる。
男は、そこそこ売れてる小説家だといい、そこそこ売れていることの辛さを口にする。
翌朝、男の遺体がかおりの勤めるビルの前で発見される。かおりはその後、引き上げたが、後に残った男は投身自殺を選んだのだった。
男はそこそこ売れているどころか、有名作家の並木翔平だった。

 

Huluオリジナル連続ドラマ「あなたに聴かせたい歌があるんだ」エピソード6“あなたにとってかけがえのない人は誰ですか?”、エピソード7“「おいしい」と「うまい」と「安心する」ならどれですか?”、エピソード8(最終回)“大切な人に聴かせたい歌はありますか?”を見る。

エピソード6の主人公は、島田まさみ(前田敦子)。望月かおりを率先して退職に追い込んだ人物である。毒親を持ち、ストレスが溜まっていた。
高校卒業後は、スーパーでアルバイトをしていたが、店長と恋仲になり、一緒に東京に出る。店長はまもなく子どもが生まれる身だったので、居づらくなって東京に出たのだった。 しかし、元店長が働いてくれたのは数ヶ月だけで、収入は全てまさみに頼るようになる。
結局はダメンズウォーカーなまさみ。しかし、彼女は人気絶頂のアイドル歌手、八木今日子(前田敦子の二役だが写真のみでの登場)に容姿や歌声がそっくりなことに気付き、物真似タレントを目指す。人気歌手の物真似だけにライバルも多かったが、自然に脱落。まさみは七木今日子として八木今日子の物真似で人気を徐々に上げるのだが、それだけでは生活出来ず、週1回、物真似バーで行われるショーに出演する以外はバイトを二つ掛け持ちしている。
八木今日子は初のドームツアーを行う初日にひき逃げ事故に遭い、命を落とす。七木今日子ことまさみに物真似バーのオーナーから出演するよう電話があるのだが、「私は偽物だよ!」と断り……。
以前は演技を酷評されることも多かった前田敦子だが、長く続けていると成長もする。今回はぶりぶりのアイドルのシーンもあるだけに彼女に合っているように思う。歌唱のシーンはやはり元アイドルグループのセンターだけに見せ方を知っているように感じられた。

エピソード7では、再び中澤優斗が主人公となる。3年が経っている。バイト解散後、父親が経営していたラーメン店を継いだ中澤。しかし向かいに小綺麗なラーメン屋が出来ると客を奪われる。向かいのラーメン屋は長蛇の列なのに、中澤のラーメン店は客が一人いるかいないか。
そんなある日、一人の少女(アヤカ・ウィルソン)が店を訪れる。少女はチャーシュー麺を注文。完食後にスマホで写真を撮るのだが。
後日、中澤のラーメン店に客が押し寄せる。少女の正体はKEIKOという名のインフルエンサーだったのだ。

エピソード8は、これまでの出演者が揃うフィナーレ。片桐晃の結婚式があり、高校の同級生達が出席する。片桐は27歳で小説家の夢を諦め、小さな出版社の契約社員となっていた。そして結婚したのだった。
まさみは八木今日子の物真似でブレークし、テレビにも出演するが、忘れられるのも早かった。中澤のラーメン店も一時は繁盛するが、一時は一時であった。ゆかはアイドルの夢を完全に捨て、お見合いして結婚。妊娠している。久しぶりに元彼の荻野と顔を合わせたゆかは、「平凡だけと退屈じゃない」と友人の受け売りの言葉を口にする。その荻野は、単館系映画主役の最終選考に残っていた。今日合否の連絡が来るため、気が気でない。

同じ結婚式場で、望月かおりの結婚式があることを知る一同。かおりが最後の授業で掛けた「エイリアンズ」を全員で合唱し……。

思うようにはいかない人生。まだ若く希望は捨て切れてはいないが。あるいは全員、望月かおりにきちんと謝罪すべきだったのかも知れないとも思う。直接手を下していないとはいえ、傍観者ではあったのだから。人の一生を変えてしまうのは重い罪だ。
10年を経て、彼らの後悔はなかったのかというと嘘にはなるのだろうが、まだここで終わりではない。おそらく思うようにはいかないだろうが、人生は続いていく。

なお、漫画版(コミカライズ)の作画は、仏教漫画『阿・吽』が話題になったおかざき真里が手掛けているようである。

 

「あなたに聴かせたい歌があるんだ」は、2月14日の夜、日テレプラスにおいてテレビ初放送される予定である。



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2025年2月 5日 (水)

これまでに観た映画より(374) 「港に灯がともる」

2025年1月27日 京都シネマにて

京都シネマで、日本映画「港に灯がともる」を観る。NHK大阪放送局(JOBK)の安達もじり監督(鷲田清一の娘。BK制作の連続テレビ小説「カムカムエヴリバティ」チーフ演出)作品。
作品によって体重や体型を変えて挑むことで、「日本の女デ・ニーロ」と呼ばれることもある富田望生(みう)の映画初主演作である。富田望生はBK制作の連続テレビ小説「ブギウギ」に、ヒロインである福来スズ子(趣里)の付き人、小林小夜役で出演。この時はふっくらした体型と顔であったが、撮影が終わってから体重を落とし、「ブギウギ」が終盤に差し掛かった頃に「あさイチ」に出演。見た目がまるっきり変わっていたため誰だか分からない視聴者が続出し、話題となっている。今回の映画ではスッキリとしたスタイルで出演。出演は、富田望生のほかに、伊藤万理華、青木柚(ゆず)、山之内すず、中川わさ美(わさび)、MC NAM、田中健太郎、土村芳(つちむら・かほ)、渡辺真起子、山中崇、麻生祐未、甲本雅裕ほか。脚本:安達もじり&川島天見。音楽担当は引っ越し魔の作曲家としても知られる世武裕子(せぶ・ひろこ)。

 

富田望生は、2000年、福島県いわき市の生まれ。2011年の東日本大震災で被災し、家族で東京に移住。「テレビに出れば、福島の友達が自分を見てくれるかも」との思いから女優を志し、オーディションに合格。ただその時は太めの体型の女の子の役だったので、母親の協力を得てたっぷり食べて体重を増やし、撮影に臨んだ。その後も体重や体型を変えながら女優を続けている。痩せやすい体質だそうで、体重を増やす方難しいそうである。多くの人が羨ましがりそうだが。
初舞台は長塚圭史演出の「ハングマン」で、この時は太めの体型の役。太めの体型をいじられて不登校になっている女の子の役だったはずである。私はロームシアター京都サウスホールでこの作品を観ている。
「港に灯がともる」では、主題歌「ちょっと話を聞いて」の作詞も行っている。

 

海の見える診察室。神戸市垂水区。金子灯(かねこ・あかり。通名で、本名は金灯。演じるのは富田望生)は、精神科医である富川和泉(渡辺真起子)に、「自分には何もない、なりたいものもない」と泣きながら告げている。
灯は、神戸在住の在日韓国人であり、韓国籍であるが、自分のことを韓国人だと思ったことはない。また生まれたのは、阪神・淡路大震災の起きた翌月(1995年2月)であり、当然ながら震災の記憶はない。そのため、在日韓国人や神戸出身であることを背負わされるのに倦んでいる。時は、2015年。灯は、ノエビアスタジアム神戸(御崎公園球技場)で行われた成人式に出席する。式では震災に負けない心を歌詞にした歌が流れた。
その2年前に神戸中央工業高校(架空の高校である)を卒業した灯は、技能を生かすため、造船工場に就職。社員寮で一人暮らしを始める。しかし、この頃に両親が長年の不仲を経て別居。また姉の美悠(伊藤万理華)が、日本に帰化したいと言い始める。日本人と結婚すると国際結婚になるため、韓国側と書類等、様々な手続きを行わなければならない。両親は在日韓国人同士の結婚だが、自分はそれは嫌である。父親の一雄(甲本雅裕)は出て行ったので、母親の栄美子(麻生祐未)と美悠と灯、そして弟の滉一(青木柚)の三人で帰化を申し出ることにする。この頃から灯は感情の起伏が激しくなり、精神科に通うことになる。最初に訪れた精神科は薬の増減を調節するだけであり、病状は良くならず、灯は工場を辞めることになる。その後、垂水区にある精神科のクリニックを紹介された灯。冒頭にも登場するその病院は、話を聞いてくれる女医さんが院長で、灯には合い、更にクリニックが行っているデイケアにも通うようになる。そこに通う患者の中に在日韓国人の男性がいた。偏見やらなんやらでうんざりしているらしい。

病状も快方に向かったので、再就職活動を始める灯。しかし、ブランクがある上に履歴書に「療養のため」と正直に書いたこともあって不採用の嵐。だが、療養のことを理由に落とす会社は採用されても理解が得られないということで、何も変えずに就職活動を続ける。そして、南京町の近くにある小さな建設事務所に就職が決まる。所長の青山(山中崇)と同じ工業高校の出身だったこともプラスとなったようだ。しかし、小さな事務所。大手事務所のような華やかな仕事は回ってこない。長田区にある丸五市場のリフォームを手掛けることになった灯達。外国人居住者の多い場所であり、灯の家族も震災に遭うまではこの近くに住んでいて、その後も今の家に移るまでは長田区内の仮設住宅に住んでいた。仕事は思うように進まないが、ようやく軌道に乗り始めた頃にコロナが襲い、計画は中断せざるを得なくなる……。

阪神・淡路大震災を意識した映画であり、発生から30年に当たる1月17日に封切られている。ただ震災を直接描くことはなく、むしろ災害や国籍などを背負わされることの息苦しさが描かれている。
無論、灯に記憶がないからといって、震災の影響を全く受けていないということはなく、父親の一雄が帰化を拒む理由となったのも震災であり、灯が両親と祖母と姉とで元々住んでいた長田区ではなく別の場所で住むようになった(現住所は一瞬だけ映るが確認出来なかった)のも震災がきっかけであり、今の人間関係も震災を経て生まれたものである。
ただ結論としては、灯が記したように「私は私として生まれてしまった。」ということで、過去に縛られずに今ここにいる自分を生きていくことに決めるのだった。この思いは、富田望生の手による主題歌の歌詞のラストにも登場する。

富田望生は、繊細な動きによる演技が特徴。間の取り方も上手い。美人タイプではないが、親しみの持てる容姿であり、今後も長く活躍していけそうである。

安達もじり監督がNHKの人ということもあって、ワンカットの長回しによるシーンが随所に登場する。見る者に「リアルタイム」を感じさせる手法である。演者によって好き嫌いが分かれそうだが、感情を途切れさせずに演じることが出来るため、没入型の演技を好む人には向いていそうである。また、ずっと演じていられるため、映像よりも舞台で演じることが好きな人は喜ぶであろう。

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2025年2月 4日 (火)

これまでに観た映画より(373) リドリー・スコット監督作品「ブラック・レイン」デジタル・リマスター版

2025年1月30日 烏丸御池のアップリンク京都にて

アップリンク京都で、リドリー・スコット監督作品「ブラック・レイン」デジタル・リマスター版を観る。松田優作の遺作としても知られる映画である。出演:マイケル・ダグラス、アンディ・ガルシア、高倉健、松田優作、ケイト・キャプショー、神山繁、若山富三郎、安岡力也、内田裕也、ガッツ石松、島木譲二、小野みゆき、國村隼ほか。音楽:ハンス・ジマー。撮影監督:ヤン・デ・ボン。
タイトルは、B29による爆撃の後に降り注いだ黒い雨に由来している。
1週間限定の上映。

ニューヨークで物語は始まるが、大阪や神戸など、関西圏でのロケ場面の方が長い作品である。
ニューヨークで日本のヤクザの抗争があり、佐藤(松田優作)を逮捕したニューヨーク市警のニック(マイケル・ダグラス)とチャーリー(アンディ・ガルシア)。二人は佐藤を彼の地元の大阪まで護送することになるが、伊丹空港で佐藤の手下に騙されて、佐藤に逃げられてしまう。大阪府警の松本警部補(高倉健)と共に佐藤を追うニックとチャーリーだったが、チャーリーは佐藤とその手下の罠にはまり、日本刀で斬られて命を落とす。復讐を誓うニック。アメリカへの強制送還を命じられるが、飛行機から抜け出し、松本を頼る。松本はニックに協力していたため停職処分を受けていたが、最終的にはニックとすることになる。
佐藤は偽札作りを行っていた元兄貴分の菅井(若山富三郎)と接触。その情報を得たニックは菅井が他の組の者達を落ち合う場所を知り、出向く。

関西でロケが行われているのが魅力であるが、銃撃シーンは許可が下りなかったため、アメリカの田舎で撮影されている。その辺は残念である。

すでに癌に蝕まれていた松田優作。血尿が出たりしていたそうだが、安岡力也以外には病状を教えず、撮影を貫いた。バイクアクションなども華麗にこなしている。

 

坂本龍一の『SELDOM ILLEGAL 時には、違法』を読むと、プロデューサーから彼に、「『ブラック・レイン』に出る背格好の丁度良い日本人俳優を探してるんだ、まあ君でもいいんだけど」という話があったことが分かる。坂本は依頼を断ったようだ。その代わり楽曲を提供しており、いかにも坂本龍一的な音楽が流れる場面がある。

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2025年2月 3日 (月)

これまでに観た映画より(372) 映画「ミステリと言う勿れ」(通称「広島編」)

2025年1月4日

午後9時から、関西テレビで、映画「ミステリと言う勿れ」を観る予定だったのだが、うっかり開始時間を過ぎてしまい、仕方がないので、ひかりTVレンタルで追いかける。有料にはなるが、CMが入らないので、結果としてはテレビ放送より早く終わった。

関東では2日から連続ドラマ「ミステリと言う勿れ」の再放送があり、最終日に映画「ミステリと言う勿れ」の放送となったのだが、関西では連続ドラマが再放送されるのはこれからであり、先に映画が放送される。

広島が舞台となっており(ただし主舞台はR東広島駅に近い外れという設定。JR東広島駅は広島大学の最寄り駅だが、JR広島駅からは新幹線で一駅分離れた見るからに田舎の駅であり、広島市の中心部から移転した広島大学入学希望者減少の一因とされている)、平和記念公園や広島県立美術館、広電、安芸の宮島などが登場し、俗に広島編と呼ばれている。
原作:田村由美、脚本:相沢友子、監督:松山博昭。出演:菅田将暉、松下洸平、町田啓太、原菜乃華、萩原利久、鈴木保奈美、滝藤賢一、野間口徹、松坂慶子、伊藤沙莉、尾上松也、筒井道隆、永山瑛太、角野卓造、段田安則、柴咲コウ、松嶋菜々子ほか。声の出演:松本若菜。

広島を観光で訪れた久能整(くのう・ととのう。菅田将暉)は、狩集汐路(かりあつまり・しおじ。原菜乃華)という高校生の女の子から声を掛けられる。汐路は久能の知人である犬堂我路(がろ。永山瑛太)から久能を紹介されていた。汐路によると、狩集家の遺産相続があるのだが、自分は巻き込まれて殺されるかも知れないというのだ。汐路の父親である弥(わたる。滝藤賢一)は8年前に自身の居眠り運転で事故死しているが、汐路は殺害されたのではないかと疑っていた。

狩集家では遺産を単独で相続する決まりがあり(多分、裁判やったら負ける)、狩集家の中で遺産相続の権利がある4人が集まり、出されたお題の謎解きが出来た者が遺産を独り占めすることになる。久能整は「『犬神家の一族』」と呟くが、勿論、意識して真似ている。
狩集家に従う真壁家は代々税理士を、車坂家は代々弁護士を継ぐことになっているが、車坂家の当主で弁護士の義家(段田安則)の息子である朝晴(あさはる。松下洸平)は司法試験に合格出来ないでいる。
そんな中、汐路の頭上近くに植木鉢が落ちてきたり、階段に塗られた油で汐路が転げ落ちるという事件が起こる。ただ久能は犯人をすぐに見抜き……。


脚本の相沢友子は、原作を変更する脚本家として知られ、「ミステリと言う勿れ」でも大幅な変更を行って批判を浴びている。その後、「セクシー田中さん」を原作者の意志に反して大幅に改変し、原作者が自殺するという事件に発展。以降は声が掛かっていない状態となっている。「鹿男あをによし」では、藤原君を男性から女性に変え、綾瀬はるかが演じたことで好評を得ているため、改変が必ずしも悪いということではないのだろうが、原作者を蔑ろにするのはやはりあってはならないことだと思う。

全体的にテレビドラマの延長的作風で、映画として単体で評価するべきものではないだろうが、よくまとまった作品になっているとは思う。悪くはない映画である。久能整は大学生という設定だが、博識で含蓄のある言葉を口にする。「弱さ」に関する見解などはとても良い。

松嶋菜々子が少しだけ登場するが、落ち着いた演技で魅力的に映る。私は松嶋菜々子の演技は一部を除いて買っていないのだが、今回は一部の中に入る演技で、エネルギーに満ちた若い俳優陣の中にあって自然に湧き上がるような感情の演技を見せていた。ただ職業はパワーストーンアクセサリーデザイナーで滅茶苦茶怪しい(久能はパワーストーンの愛好者である)。

エピローグ的に風呂光聖子(伊藤沙莉)、池本優人(尾上松也)、青砥成昭(筒井道隆)の大隣警察署の三人が登場する。

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2025年2月 2日 (日)

コンサートの記(884) レナード・スラットキン指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第584回定期演奏会 オール・ジョン・ウィリアムズ・プログラム

2025年1月23日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第584回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は、大フィルへは6年ぶりの登場となるレナード・スラットキン。オール・ジョン・ウィリアムズ・プログラムである。

MLBが大好きで、WASPではなくユダヤ系でありながら「最もアメリカ的な指揮者」といわれるレナード・スラットキン。1944年生まれ。父親は指揮者でヴァイオリニストのフェリックス・スラットキン。ハリウッド・ボウル・オーケストラの指揮者であった。母親はチェロ奏者。

日本にも縁のある人で、NHK交響楽団が常任指揮者の制度を復活させる際に、最終候補三人のうちの一人となっている。ただ、結果的にはシャルル・デュトワが常任指揮者に選ばれた(最終候補の残る一人は、ガリー・ベルティーニで、彼は東京都交響楽団の音楽監督になっている)。スラットキンが選ばれていたら、N響も今とはかなり違うオーケストラになっていたはずである。

セントルイス交響楽団の音楽監督時代に、同交響楽団を全米オーケストラランキングの2位に持ち上げて注目を浴びる。ただ、この全米オーケストラランキングは毎年発表されるが、かなりいい加減。セントルイス交響楽団は実はニューヨーク・フィルハーモニックに次いで全米で2番目に長い歴史を誇るオーケストラではあるが、注目されたのはその時だけであり、裏に何かあったのかも知れない。ちなみにその時の1位はシカゴ交響楽団であった。セントルイス響時代はセントルイス・カージナルスのファンであったが、ワシントンD.C.のナショナル交響楽団の音楽監督に転身する際には、「カージナルスからボルチモア・オリオールズのファンに転じることが出来るのか?」などと報じられていた(当時、ワシントン・ナショナルズはまだ存在しない。MLBのチームが本拠地を置く最も近い街がD.C.の外港でもあるボルチモアであった)。ただワシントンD.C.や、ロンドンのBBC交響楽団の首席指揮者の時代は必ずしも成功とはいえず、デトロイト交響楽団のシェフに招かれてようやく勢いを取り戻している。デトロイトではデトロイト・タイガーズのファンだったのかどうかは分からないが、関西にもTIGERSがあるということで、大阪のザ・シンフォニーホールで行われたデトロイト交響楽団の来日演奏会では「六甲おろし」をアンコールで演奏している。2011年からはフランスのリヨン国立管弦楽団の音楽監督も務めた。現在は、デトロイト交響楽団の桂冠音楽監督、リヨン国立管弦楽団の名誉音楽監督、セントルイス交響楽団の桂冠指揮者の称号を得ている。また、スペイン領ではあるが、地理的にはアフリカのカナリア諸島にあるグラン・カナリア・フィルハーモニー管弦楽団の首席客演指揮者も務めている。グラン・カナリア・フィルはCDも出していて、思いのほかハイレベルのオーケストラである。
録音は、TELARC、EMI、NAXOSなどに行っている。
X(旧Twitter)では、奇妙なLP・CDジャケットを取り上げる習慣がある。また不二家のネクターが好きで、今回もKAJIMOTOのXのポストにネクターと戯れている写真がアップされていた。
先日は秋山和慶の代役として東京都交響楽団の指揮台に立ち、大好評を博している。

ホワイエで行われる、大阪フィルハーモニー交響楽団事務局長の福山修氏によるプレトークサロンでの話によると、6年前にスラットキンが大フィルに客演した際、終演後の食事会で再度の客演の約束をし、ジョン・ウィリアムズのヴァイオリン協奏曲が良いとスラットキンが言って、丁度、「スター・ウォーズ」シリーズの最終章が公開される時期になるというので、オール・ジョン・ウィリアムズ・プログラムで、ヴァイオリン協奏曲と「スター・ウォーズ」組曲をやろうという話になったのだが、コロナで流れてしまい、「スター・ウォーズ」シリーズの公開も終わったというので、プログラムを変え、余り聴かれないジョン・ウィリアムズ作品を取り上げることにしたという。

今日のコンサートマスターは須山暢大。フォアシュピーラーはおそらくアシスタント・コンサートマスターの尾張拓登である。ドイツ式の現代配置での演奏。スラットキンは総譜を繰りながら指揮する。

 

曲目は、前半がコンサートのための作品で、弦楽のためのエッセイとテューバ協奏曲(テューバ独奏:川浪浩一)。後半が映画音楽で、「カウボーイ」序曲、ジョーズのテーマ(映画「JAWS」より)、本泥棒(映画「やさしい本泥棒」より)、スーパーマン・マーチ(映画「スーパーマン」より)、SAYURIのテーマ(映画「SAYURI」より)、ヘドウィグのテーマ(映画「ハリー・ポッターと賢者の石」より)、レイダース・マーチ(「インディ・ジョーンズ」シリーズより)。

日本のオーケストラ、特にドイツものをレパートリーの中心に据えるNHK交響楽団や大阪フィルハーモニー交響楽団は、アメリカものを比較的不得手としているが、今日の大フィルは弦に透明感と抜けの良さ、更に適度な輝きがあり、管も力強く、アメリカの音楽を上手く再現していたように思う。

 

今日はスラットキンのトーク付きのコンサートである。通訳は音楽プロデューサー、映画字幕翻訳家の武満真樹(武満徹の娘)が行う。

スラットキンは、「こんばんは」のみ日本語で言って、英語でのトーク。武満真樹が通訳を行う。

「ジョン・ウィリアムズの音楽は生まれた時から聴いていました。なぜなら私の両親がハリウッドの映画スタジオの音楽家だったからです。私は子どもの頃、映画スタジオでよく遊んでいて、ジョン・ウィリアムズの音楽を聴いていました」

 

スラットキンは、弦楽のためのエッセイのみノンタクトで指揮。弦楽のためのエッセイは、1965年に書かれたもので、バーバーやコープランドといったアメリカの他の作曲家からの影響が濃厚である。

テューバ協奏曲。テューバ独奏の川浪浩一は、大阪フィルハーモニー交響楽団のテューバ奏者。福岡県生まれ。大阪の相愛大学音楽学部に入学し、2006年に首席で卒業。在学中は相愛オーケストラなどでの活動を行った。2007年に大フィルに入団。第30回日本管打楽器コンクールで第2位になっている。
通常、協奏曲のソリストは指揮者の下手側で演奏するのが普通だが、楽器の特性上か、今回は指揮者の上手側に座って吹く。
テューバの独奏というと、余りイメージがわかないが、思っていた以上に伸びやかなものである。一方の弦楽器などはいかにもジョン・ウィリアムズしているのが面白い。
比較的短めの協奏曲であるが、テューバ協奏曲自体が珍しいものであるだけに、楽しんで聴くことが出来た。

 

「カウボーイ」序曲。いかにも西部劇の音楽と言った趣である。スラットキンは、「この映画を観たことがある人は少ないと思います。ただ音楽を聴けばどんな映画か分かる、絵が浮かんできます。ジョン・ウィリアムズはそうした曲が書ける作曲家です」

ジョーズのテーマであるが、スラットキンは「鮫の映画です。2つの音だけの最も有名な音楽です。最初にこの2つの音を奏でたのは私の母親です。彼女は首席チェロ奏者でした。ですので私の母親はジョーズです」(?)
誰もが知っている音楽。少ない音で不気味さや迫力を出す技術が巧みである。大フィルもこの曲にフィットした渋みと輝きを合わせ持った音色を出す。

本泥棒。反共産主義、反ユダヤ主義が吹き荒れる時代を舞台にした映画の音楽である。後に「シンドラーのリスト」も書いているジョン・ウィリアムズ。叙情的な部分が重なる。
「シンドラーのリスト」の音楽の作曲について、ジョン・ウィリアムズは難色を示したそうだ。脚本を読んだのだが、「この映画の音楽には僕より相応しい人がいるんじゃないか?」と思い、スピルバーグにそう言ったのだが、スピルバーグは、「そうだね」と認めるも「でも、相応しい作曲家はみんな死んじゃってるんだ。残ってる中では君が最適だよ」ということで作曲することになったそうである。

スラットキン「ジョン・ウィリアムズは、人間だけでなく、動物や景色などの音楽も書きました。そして勿論、スーパーマンも」
大フィルの輝かしい金管がプラスに働く。大フィルは全体的に音が重めなところがあるのだが、この曲でもそれも迫力に繋がった。

SAYURIのテーマ。「SAYURI」は、京都の芸者である(そもそも京都には芸者はいないが)SAYURIをヒロインとした映画。スピルバーグ作品である。SAYURIを演じたのは何故か中国のトップ女優であったチャン・ツィイー(章子怡)。日本人キャストも出ているが(渡辺謙や役所広司など豪華)セリフは英語という妙な映画でもある。日本の風習として変なものがあったり、京都の少なくとも格上とされる花街では絶対に起きないことが起こるなど、実際の花街界隈では不評だったようだ。映画では、ヨーヨー・マのチェロ独奏のある曲であったが、今回はコンサート用にアレンジした譜面での演奏である。プレトークサロンで事務局長の福山修さんが、「君が代」をモチーフにしたという話をされていたが、それよりも日本の民謡などを参考にしているようにも聞こえる。ただ、美しくはあるが、日本人が作曲した映画音楽に比べるとやはりかなり西洋的ではある。

ヘドウィグのテーマ。スラットキンは、「オーケストラ曲を書くときは時間は自由です。しかし映画音楽は違います。場面に合わせて秒単位で音楽を書く必要があります」と言った後で、「上の方に梟がいないかご注意下さい」と語る。
ジョン・ウィリアムズの楽曲の中でもコンサートで演奏される機会の多い音楽。主役ともいうべきチェレスタは白石准が奏でる。白石は他の曲でもピアノを演奏していた。
ミステリアスな雰囲気を上手く出した演奏である。
ちなみに、福山さんによると、ヘドウィグのテーマの弦楽パートはかなり難しいそうで、アメリカのメジャーオーケストラの弦楽パートのオーディションでは、ヘドウィグのテーマの演奏が課せられることが多いという。

レイダース・マーチ。大阪城西の丸庭園での星空コンサートがあった頃に大植英次がインディ・ジョーンズの格好をして指揮していた光景が思い起こされる。力強く、躍動感のある演奏。リズム感にも秀でている。今日は全般的にアンサンブルは好調であった。

 

スラットキンは、「ありがとう」と日本語で言い、「もう1曲聴きたくありませんか?」と聞く。「でもどの曲がいいでしょう? 選ぶのは難しいです。『E.T.』にしましょうか? それとも『ホームアローン』が良いですか? 『ティーラーリラリー、未知との遭遇』もあります。ではこの曲にしましょう。皆さんが予想している曲とは違うかも知れません。私がこの曲を上手く指揮出来るかわかりませんが」
アンコール演奏は、「スター・ウォーズ」より「インペリアル・マーチ」(ダース・ベイダーのテーマ)である。スラットキンは指揮台に上がらずに演奏を開始させる。その後もほとんど指揮せずに指揮台の周りを反時計回りに移動。そして譜面台に忍ばせていた小型のライトセーバーを取り出し、指揮台に上がってやや大袈裟に指揮した。その後、ライトセーバーは最前列にいた子どもにプレゼント。エンターテイナーである。演奏も力強く、厳めしさも十全に表現されていた。

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2025年2月 1日 (土)

コンサートの記(883) CHINTAIクラシック・スペシャル ウクライナ国立バレエ(旧キエフ・バレエ)「ジゼル」全2幕@ロームシアター京都メインホール

2025年1月11日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後3時から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、CHINTAIクラシック・スペシャル ウクライナ国立バレエ(旧キエフ・バレエ)「ジゼル」全2幕を観る。

昨年の暮れに来日しているミコラ・ジャジューラ指揮のウクライナ国立歌劇場管弦楽団。昨年の暮れには大阪・中之島のフェスティバ-ルホールでジルベスターコンサートを行い、翌日となる今年の元日にはやはりフェスティバルホールでニューイヤーコンサートを行うなど日本国内で精力的に演奏活動を行っており、ウクライナ国立歌劇場のバレエ部門であるウクライナ国立バレエとして京都で公演を行うことになった。出演は全員、ウクライナ国立バレエのメンバーであり、引っ越し公演となる。
ウクライナの首都キーウ(キエフ)が京都市の姉妹都市ということで、キエフ・バレエとして、またコンサートオーケストラとしての名称であるキエフ国立フィルハーモニー交響楽団(現・ウクライナ国立フィルハーモニー交響楽団)として何度も京都公演を行っているウクライナ国立バレエだが、「ウクライナ国立バレエ」という名称で京都公演を行うのは今回で二度目となる。

演目となるアダンの「ジゼル」は、比較的人気のバレエ作品で、日本の伝承「七人みさき」に少し似た筋書きを持つ。作曲者のアドルフ・アダンはフランスの作曲家であり、このバレエ作品もパリのオペラ座で初演されたが、その後はロシアで上演される機会が増えている。

出演は、カテリーナ・ミクルーハ(ジゼル)、ニキータ・スハルコフ(アルブレヒト)、アナスタシア・シェフチェンコ(ミルタ=ウィリの女王)、ヴォロディミール・クツーゾフ(ハンス=森番)、アレクサンドラ・パンチェンコ&ダニール・パスチューク(ペザント・パ・ド・ドゥ)、オレクサンドル・ガベルコ(アルブレヒトの従者)、エリーナ・ビドゥナ(バチルド=アルブレヒトの婚約者)、ルスラン・アヴラメンコ(クールランド公爵=バチルドの父)、クセーニャ・イワネンコ(ベルタ=ジゼルの母)、カテリーナ・デフチャローヴァ&ディアナ・イヴァンチェンコ(ドゥ・ウィリ)ほか。
振付:J・コラーリ、J・ペロー、M・プティパ。改訂振付:V・ヤレメンコ。

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中世のドイツが舞台。体が弱いが踊りが好きな村娘のジゼルは、ロイスという若者と恋仲だが、このロイスの正体は公爵アルブレヒトであり、身分違いの恋である。森番のハンスは、ロイスの正体に疑いを持っている。
村祭りの日に、収穫祭の女王に選ばれたジゼルだが、クールランド公爵とその娘のバチルドが村を訪れ、身分とバチルドが公爵アルブレヒトの婚約者であり、ハンスからロイスの正体がアルブレヒトであると明かされたジゼルはショックの余り息絶えてしまう。何も死ぬことはないんじゃないかと思うのだが、第2幕では、ウィリと呼ばれる婚前に亡くなった処女の精霊達の女王であるミルタがジゼルを仲間に加え(この辺が「七人みさき」っぽいが、ウィリの数は7人どころではない)、墓参りに訪れたハンスの命を奪う。そしてアルブレヒトがジゼルの墓の前に取り残されるというのが本筋なのだが、今回の演出ではアルブレヒトも命を失い、あの世でジゼルとアルブレヒトが一緒になるという結末に変えられていた。

 

美男美女が多いことでも知られるウクライナ。男性バレリーナは高身長で手足が長く、迫力と気品がある。女性バレリーナもスタイルが良く、絵になる。大人数での踊りも手足の動きがビシッと合っており、爽快である。村娘達が黄色いスカートで踊る場面があったが、ウクライナのひまわり畑(イタリアの名画「ひまわり」はウクライナのひまわり畑が舞台になっている)やウクライナの国旗をイメージしたものであると思われる。

「ウクライナの指揮者と言えば」的存在のミコラ・ジャジューラ指揮のウクライナ国立歌劇場管弦楽団は、最初のうちは音が弱く、金管の音色が安っぽいように聞こえたが、次第に乗ってきて、磨き上げられた音による華麗で繊細な音絵巻を描き上げた。オーケストラピットからの音の通りが良いロームシアター京都メインホールの音響もプラスに働いていたように思う。

カーテンコールのみ撮影可であったが、舞台から遠いのと、スマホの性能の限界で、余り良い写真を撮ることは出来なかった。

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出演者に花束贈呈が行われたが、指揮者のジャジューラは花束をオーケストラピットに投げ込むというパフォーマンスを見せていた(「いらない」ではなくオーケストラを讃える行為である)。

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