コンサートの記(897) 沖澤のどか指揮京都市交響楽団第698回定期演奏会 フライデー・ナイト・スペシャル
2025年3月14日 京都コンサートホールにて
午後7時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第698回定期演奏会 フライデー・ナイト・スペシャルを聴く。今日の指揮者は、京都市交響楽団第14代常任指揮者の沖澤のどか。
曲目は、陳銀淑(チン・ウンスク)の「スピト・コン・フォルツァ」とリヒャルト・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」
陳銀淑は、1961年、ソウル特別市生まれの女流作曲家。ハンブルクでジェルジ・リゲティに学び、以後もドイツを本拠地として活動している。国籍を変えたのかどうかは不明である。1980年代には電子音楽の作曲を行い、1990年代以降は各地のオーケストラのコンポーサー・イン・レジデンスを務め、主に管弦楽曲を発表しているようである。
午後7時頃から、沖澤のどかのプレトークがある。
ステージに登場した沖澤はまず、「最初にご報告があります。11月にお休みを頂きましたが、無事、出産しました」と二児の母親となったことを告げた。
今回の定期演奏会は、3日間の事前のものも含めて、出雲路の練習場ではなく全て京都コンサートホールでリハーサルを行ったことを明かし、4月からの新シーズンは、リハーサルの公開などを行う計画のあることなども知らせていた(「クラオタ市長」こと松井孝治京都市長の発案)。
陳銀淑についてだが、ベルリンで一度会ったことがあるそうで、頭の回転が速く、知識が豊富でユーモアに富んだ人だったそうである。
「スピト・コン・フォルツァ」は、ベートーヴェンのメロディーをいくつも利用した作品で、「ネタバレになるんですけど、『コリオラン』序曲で始まって」と紹介していた。
リヒャルト・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」については、常任指揮者になったら必ず取り上げなければならない曲とした上で、「非常に難しい」。特にコンサートマスターのソロは「ソロを聴くために『英雄の生涯』を聴くという人もいるほど」有名だが難しいとし、(今日のコンサートマスターの)会田さんにもお聞きしたんですけれど、「協奏曲のソロより難しい。協奏曲はある程度自由があるが、『英雄の生涯』のソロはオーケストラの中でやらねばならない」と難度の高さを示していた。
その他にも語りたいことがあったのだが、「失念しました」ということで、京都コンサートホールにタクシーで向かう途中に衣装を忘れたことに気付いたため、いったん取りに戻ったり、次の日は財布を持ってくるのを忘れてスタッフさんにごちそうになったりと、ドジ話の開陳になってしまっていた。
沖澤はベルリン在住だが、ドイツに住んでいると、ドイツ音楽とドイツ語の親和性に気付くそうである。先月は松本で「カルメン」を指揮していた沖澤だが、「フランス語は音が抜ける。フランスのお菓子もサクサクと息の通る。ドイツのお菓子は『なんでこんなに砂糖入れるんだろう?』。日本のお菓子は丁度良いサイズで……、ええと何の話をしてたんでしたっけ? あ、言葉と音楽は結びついているということで」と話していた。
今日のコンサートマスターは、京響特別客演コンサートマスターの会田莉凡(りぼん)。フォアシュピーラーに泉原隆志。ヴィオラの客演首席奏者として柳瀬省太が入る。ドイツ式の現代配置での演奏。陳銀淑の「スピト・コン・フォルツァ」で使われる、ピアノ、鉄琴、木琴などはステージ下手端に並ぶ。
管楽器の首席奏者は、リヒャルト・シュトラウスのみの出演である。
見た目も声も明るめで、明るい音楽をやりそうな雰囲気のある沖澤だが、実際は渋い音色を駆使することが多い。陳銀淑の「スピト・コン・フォルツァ」(演奏時間約5分の短い曲)でも音は渋めである。
「コリオラン」で始まる曲だが、すぐに打楽器が入り、別の曲へと移行する。ピアノが「皇帝」のメロディーを奏でたり(ピアノ:沼光絵理佳)、弦楽器が「田園」交響曲の嵐の部分の音型を奏でたり、金管楽器が調は違うが運命動機を吹いたりとベートーヴェンへのオマージュが続く。この曲は2020年のベートーヴェン生誕250年を記念して作曲されたものである。
リヒャルト・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」。
この曲でもかなり渋い音を沖澤は京響から引き出す。ドイツ本流、それも一昔前、オイゲン・ヨッフムや沖澤がレッスンを受けたことのあるクルト・マズアなどのドイツ人指揮者が第一線で活躍していた時代のシュターツカペレ・ドレスデンやライプツィッヒ・ゲヴァントハスス管弦楽団、バンベルク交響楽団などが出していたような深くコクのある音色である。現在は世界的に活躍している独墺系指揮者の数が少なくなったということもあり、余り聴かれなくなった音だ。
系統でいうとクリスティアン・ティーレマン、とは大袈裟かも知れないが、音楽性に関しては同傾向にあると思われる。
沖澤は藝大大学院修士課程修了後に渡独し、ハンス・アイスラー音楽大学ベルリンの大学院修士課程も修了。ベルリン・フィルのカラヤン・アカデミーで学び、ベルリン・フィル芸術監督のキリル・ペトレンコのアシスタントを務めていたが、そうした中でドイツの音を基調とするようになったのかも知れない。京響の常任指揮者の前任で、透明度の高い音を特徴とした広上淳一とは正反対の音楽性といえる。
渋いだけでなく堅固な演奏。指揮姿はオーソドックスで分かりやすく、音の運び方も巧みである。正真正銘のドイツ的な演奏なので、実のところ好き嫌いが分かれそうな気もするのだが、現時点では沖澤の音楽作りは好評を得ている。好き嫌いはともかくとして、日本のオーケストラからこれほどドイツ的な音を引き出す指揮者も珍しい。オーソドックスなイメージを持たれているが、実際はかなりの個性派指揮者である。常任になって自分のカラーを鮮明に打ち出すようになったということで、これまで客演での演奏を聴いて語られて来た沖澤評は実は全て間違いの可能性もある。
物語的な展開を見せるこの曲だが、沖澤は語り口よりも響きと構築感を重視。音の生み出すものよりも音そのもので語る演奏となった。
会田莉凡のソロも巧みであり、終盤のノスタルジアの表出にも長けている。これまで聴いてきた「英雄の生涯」とはひと味違った、「堅牢」な演奏が展開された。
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