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2025年4月27日 (日)

令和七年 第百五十一回 「都をどり」 都風情四季彩

2025年4月5日 祇園甲部歌舞練場にて

午後4時30分から、祇園甲部歌舞練場で、令和七年 第百五十一回「都をどり」を観る。親子連れで観に来ている人も多いのだが、私の隣に座った子どもは花粉症なのか鼻炎気味で、子どもなので遠慮することなくしょっちゅう大きな音を立てて鼻をすするため、集中力を持続するのは難しい。前の席に座った外国人女性は膝の上に子どもを抱えて観ていたが、たまに子どもが騒ぐ。また上演中に子どもがトイレに行きたがったのか、通路を歩く親子もいる。文化なので、年齢性別関係なく楽しめれば良いのだが、実際問題としては都をどりを子どもに見せるのは難しいかも知れない。大人でも歌詞を聴き取るのは難しいが(有料パンフレットには全て載っている)子どもが面白いと感じるかどうか。

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それは今後の課題として、今回は「都風情四季彩(みやこふぜいしきのいろどり)」という題名で、都の四季の名所を舞台にした舞踊が展開される。
「置歌」に続いて「梅宮大社梅花盛(うめのみやたいしゃばいかのさかり)」、「宝鏡寺雛遊(ほうきょうじひいなあそび)」、「蛤草紙永遠繁栄(はまぐりそうしとわのさかえ)」、「牛若弁慶五条橋出会(うしわかべんけいごしょうはしのであい)」、「清水寺成就院紅葉舞(きよみずでらじょうじゅいんもみじのまい)」、「妙満寺雪見座敷(みょうまんじゆきみのざしき)」、「平安神宮桜雲(へいあんじんぐうさくらのくも)」 の全八景が演じられる。有名な寺社が並ぶが、比較的演目に取り上げられにくい場所が並んでいるという印象である。清水寺はど定番だが、塔頭の成就院は庭が見事だが、季節限定公開されるだけで、内部は多くの人に知られている訳ではない。妙満寺は安珍・清姫の道成寺の鐘で有名だが、岩倉の外れにあるため、観光客が余り行かない場所である。

「都をどりは」「ヨーイヤサァ」のやり取りで有名な「置歌」(長唄)。左右両方の端に設けられた花道から(両端に長い花道のある劇場は余り例がない)浅葱色の着物を纏った芸舞妓が現れ、中央の舞台に進んで、若々しい舞が行われる。
「梅宮大社梅花盛」(長唄)。では、余り取り上げられることのない梅宮大社が舞台となる。梅宮大社は、県犬養(橘)美千代が、橘氏の氏神として創建したものである。県犬養美千代は橘氏の祖であり、橘の氏は息子の橘諸兄に受け継がれる。源平藤橘の一つとなっている橘氏だが、早くに没落したということもあって、他の名族に比べると影が薄い。橘氏を名乗った有名人物には楠木正成、また幕末の長州藩の秀才である吉田稔麿(池田屋事件の際に加賀藩邸の前で切腹。「生きていたら間違いなく総理大臣になっていた」といわれる傑物である)など数えるほどである。現在、再放送中のNHK連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」には、雉真、桃山剣ノ介 、黍之丞、桃太郎など、最初の舞台となった岡山ゆかりの人名が出てくるが、犬も実は橘氏の祖が県犬養氏であるため、隠れた形ではあるがすでに出てきているということになる。

「宝鏡寺雛遊」(長唄)。宝鏡寺は寺ノ内という京の北側に豊臣秀吉が寺院を並べた地区にある。尼門跡寺院で、人形を多く所蔵することから「人形の寺」と呼ばれている。
桃の節句の折に、雛人形を飾り、尼僧と幼い娘らが戯れる様が描かれる。歌詞には「うれしいひなまつり」からそのまま抜き出した部分がある。

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「蛤草紙永遠繁栄」(浄瑠璃)。親孝行の漁師、漁太が網に掛かった蛤を放したところ、美しい娘となって「連れ帰って欲しい」と頼み、機織りをするという、「鶴の恩返し」によく似た異種交流譚である。蛤は巨大なセットが作られ、パカッと開いて、中から蛤の娘が現れる。演劇的要素の濃い舞であった。

「牛若弁慶五条橋出会」(長唄)。現在、京都の五条大橋には、牛若丸と弁慶の像があるが、往時はこの橋は五条大橋ではなかった。現在の五条通は、牛若丸と弁慶の時代には、六条坊門通であり、現在の松原通が往時の五条大路である。松の木が多かったことから五条松原通とも呼ばれていたが、豊臣秀吉が五条通を南に移したため、松原通の名が残った。往時の五条大橋の跡には松原大橋が架かっている。ただ、往時の五条大橋は、鴨川の巨大な中州を繋ぐ形で、二本架けられていた。中州には法城寺という、安倍晴明が建立した陰陽道の総本山のような寺院があったが、これも秀吉によって弾圧を受け、陰陽師は被差別民に落とされ、法城寺は破却され、中州も取り除かれた。
そんな歴史を持つ五条大橋であるが、実は『義経記』には、牛若丸と弁慶が出会ったのは五条大橋ではなく、五条天神の前とある。昔の五条天神の前には短いが橋が架かっており(現在も橋のようなものはある)、そこで二人が出会ったことになっている。というわけで、五条大橋で出会ったこと自体が明治になってからの創作のようである。
ただ、今回は、五条大橋(松原大橋)で、二人が戦うという設定を採用している。
武蔵坊弁慶も芸妓が演じるが、やはり弁慶は女性が演じるのには向いていない。「勧進帳」など、歌舞伎の荒事の代表格の演目に登場する弁慶。当然ながらダイナミックな動きが見せ場となるのだが、女性ではどうしても迫力が出ない。
一方、牛若は小柄な少年ということで、女性が演じた方がむしろ合っているのではないかと思えるほど軽やかな動きが絵になっている。牛若を女性が、弁慶を男性が演じる演目というのもあっていい。「都をどり」では無理だが。ちなみにテレビドラマではすでに川栄李奈の義経、小澤征悦の弁慶で制作された「義経のスマホ」(NHK総合)で、女義経、男弁慶は達成されている。

「清水寺成就院紅葉舞」(長唄)。清水寺の塔頭である成就院。秀吉ゆかりの寺院である。普段は非公開だが、春と秋に特別公開が行われる。庭園に関しては京都で一二を争うほどに美しい。幕末の勤王の僧で、西郷隆盛と共に錦江湾に身を投げることになる月照も成就院の僧侶であった。

「妙満寺雪見座敷」(長唄)。以前は寺町にあった日蓮宗・妙満寺であるが、昭和43年(1968)に岩倉に移っている。道成寺の鐘があることで知られる。ここも秀吉と縁があり、秀吉の根来攻めの際に家臣の仙石権兵衛秀久が鐘を掘り出して、妙満寺に収めたという。
成就院から移築したとされる雪の庭という庭園が有名で、雪景色の中、安珍・清姫の鐘が鳴り、洛北の寂しさが身に染みるような舞が展開される。
余談だが、以前、妙満寺の門前を通りかかった際、金子みすゞの「大漁」が掲示されていたのだが、冒頭が「朝焼け小焼けだ大漁だ」のはずが、「夕焼け小焼けだ大漁だ」になっていて、残念に思った記憶がある。「夕焼け小焼け」じゃ日が暮れる。

「平安神宮桜雲」(長唄)。平安神宮の神苑が背景に描かれている。神苑は桜の名所なので(谷崎潤一郎の『細雪』にも花見の場として描かれている)背景も、その手前も桜が並ぶ。平安神宮は1895年に伊東忠太設計で建てられた内国勧業博覧会のパビリオンを神社としたもので、今年が鎮座130年に当たる。神苑は時代劇のロケ地としてもよく使用される。
舞台と両方の花道を使った総踊り。目に鮮やかな壮観であった。

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実際の平安神宮神苑の桜

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