京都芸術劇場春秋座「立川志の輔独演会」2025
2025年4月11日 京都芸術劇場春秋座にて
午後4時から、京都芸術劇場春秋座で、「立川志の輔独演会」を観る。
17年連続で春秋座での独演会を行っている立川志の輔。いつの間にかどこよりも多く独演会を行っている会場となったようだ。
午後4時開演というのは中途半端だが、京都芸術劇場春秋座は、京都市の北東隅にあるので、終バスが早い。ということで、志の輔によると終バスに間に合うよう開演時刻を早めに設定したそうである。今回の演目が長いということも関係しているようだ(演目は事前には発表されない)。
西に10分ほど歩くと、叡山電車の茶山・京都芸術大学前駅があり、そちらは比較的遅くまで走っているが、叡山・京阪・阪急などの沿線以外はバスの方が行きやすいということもあるだろう。
まずは、立川志の輔の五番弟子だという立川志の彦が、「紀州」をやる。なお、志の彦は現在は二つ目だが、今年の9月に真打ちに昇進することが決まっているという。
徳川将軍は15人いるが、可哀相な人もいる。初代家康も若い頃は粗食に粗食を重ね、江戸幕府を開いてから美味しいものでも食べようかと鯛の天ぷらを食べたら当たって亡くなってしまった(天ぷら死因説は今では否定されつつある)。7代将軍の家継も、3歳で将軍となり、7歳で亡くなってしまう。7歳なので子おらず、御三家から後継者を選ぶことになる。御三家は、尾州家(尾張徳川家)、紀州家(紀伊徳川家)、水戸中納言家。尾州家と紀州家は、代々大納言に叙せられるが、水戸は中納言(漢風官職名で黄門)止まりである。大納言以上になると、殿中で抜刀しても即切腹とはならないという特典があったと志の彦は語る。
最も格が高いのは尾州家である。石高も最も高く、居城は天下の名古屋城。尾州家の当主も、自分が将軍になる気で、市ヶ谷の屋敷を出た。四谷本塩町を通る。鍛冶職人の街である。「テンテン、カンカン、トーン」という鍛冶の音が、「天下取る」に聞こえる。
さて、江戸城に着き、老中から将軍就任を打診された尾州公。いったん遠慮し、「徳が足らぬゆえ任にあたわず」と言うも老中はそれを鵜呑みにして紀州公のところへ、紀州公も遠慮するが立て続けに、「他に将軍職を継ぐ者がないのであればそれがしが継ぐほかない」と宣言し、次期将軍は紀州公に決まった。
帰り道、四谷本塩町を通ると、やはり鍛冶の音が「天下取る」と聞こえるが、次いで水で冷やす音が鳴る「キシュー」
志の輔の最初の演目は、「三方一両損」。大岡裁きを題材にした作品である。
枕として、「大阪は毎年秋に行くことにしている。京都は秋か春。毎年、観光シーズンに行くのがいいのだが、京都は年中観光シーズン。ちょっと休みなさい」
「外国人が多いが、ここ(春秋座)は一番日本人率が高い」
春秋座での独演会であるが、第1回の時は、話す声がハウリングしていたそうで、「ここは1回切りで終わりかな」と思ったそうだが、客を入れて公演を行っているうちに音が締まってきたそうで、今では良い音響。落語の独演会を行うのにこれほど向いた劇場はないと言えるほどになったという。
志の輔の春秋座での独演会は3日目を聴くことが多いのだが、その時は、「今日のために昨日(2日目)一昨日(初日)とリハーサルを行ってきました」とボケるのが常だったが、初日の今日は、「近頃では初日がピーク」と言っていた。
「アメリカの『今行くべき100の場所』の中で二つだけ日本の街が選ばれた。一つは、大阪。大阪万博は今しか行けない」。大阪・関西万博は評判が悪いが、1970年の大阪万博も前評判は低かったものの蓋を開ければ大入りで、志の輔は今回もなんだかんだでみんな行くのではないかと予想していた。ちなみに「今行くべき場所」のもう一つは志の輔の故郷である富山だそうであるが、地元住民も「石川と間違えたんじゃないの?」と不審がっているそうである。石川には金沢の兼六園に金沢城、香林坊・片町、福井は恐竜を売りにしているが、富山には何もないそうである(志の輔を始め、西村まさ彦、柴田理恵、室井滋など、なぜか舞台人が多く出るという特徴がある)。富山県が出しているパンフレットで最初に紹介されているのが蜃気楼。魚津の蜃気楼が有名だが、富山県で見たことのある人はほぼいない。志の輔も18年間住んだが一度も見たことがない。蜃気楼が出るとサイレンが鳴るそうだが、人々が海辺に着く頃には消えているということで見られないものが1位。次いで紹介されているのが雷鳥。雷鳥は夏は羽根の色を変えて岩に擬態し、見つからないようにする。そして冬は雪に擬態し、目しか見えない。ということで見られないものが1位2位となっている。
3位は志の輔が「富山の人口の半分はホタルイカ」と言うホタルイカ。これも船が出れば見られる可能性があるが、船が出られる可能性が低く、やはり見られない名物のようである。石川さゆりが「ホタルイカを見たい」と志の輔に言い、志の輔もホテルの手配などをするのだが、出港の日に決まってコンサートの予定が入ってしまうそうで、結局、10年以上行けていないそうである。
というわけで、なぜ富山が選ばれたのかは謎のようである。
「三方一両損」。おそらく近江商人の「三方よし」に掛けた演目だと思われる。
財布を拾い、持ち主に届けたところ、「いらない」と言われる。だがそういう訳にもいかないので、もみ合いになりそうになる。そこで南町奉行所、大岡越前守忠相の捌きを仰ぐことになる(志の輔は「大岡越前」のテーマを口ずさむ)。大岡越前は、簡単な捌きは他の奉行に振り、妙な案件だけを取り上げていた。大岡越前は、自分も含めて三人が一両ずつ損をする「三方一両損」の捌きを下す。
なんだか釈然とせず、志の輔も「大岡越前は三方一両損なんてやらないよ」と言っていたが、こういう古典落語もあるということである。
第2部。松永鉄九郎による長唄三味線。松永鉄九郎は、「立川志の輔を追いかけていたら、舞台に上がるようになった男」と自己紹介をする。四季にちなんだ長唄(「元禄花見踊」など)を弾いた。
志の輔の語りによる「百年目」。大作であるため、志の輔も枕なしでいきなり本編に入る。番頭が丁稚や手代を厳しく指導している。本を読んでいる者には、「読むのは良いが、店先で読むと暇な店かと思われる。読むんだったら夜に読みな」
「番頭はとにかく嫌われる」と志の輔。「百年目」は、番頭が遊びに出掛けたことから起こるドタバタ劇である。
番頭が遊んでいるところに旦那が居合わせてしまう訳だが、番頭の方は何とか誤魔化そうとする。
一方で、旦那は番頭への揺るぎない信頼を語ってゆくという人情もの。
旦那と番頭のやり取りであるが、落語家のものというよりも舞台俳優のそれに近い。志の輔は明治大学在学中は落語研究会に入って、エースである紫紺亭志い朝を名乗っていたが、卒業後は舞台俳優を目指して劇団に入っていた。その後、巡り合わせで会社員になった後で落語家になっているが、舞台俳優だった時代に培った演技力が今に生きているように思えてならない。
志の輔は、桜の花が「百年目」をやり遂げるように背中を押してくれるというようなことを言うが、「私はこんな長い落語を聴きたいとは思いません」と締めていた。
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