2025年5月11日 左京区岡崎のロームシアター京都ノースホールにて
午後2時から、ロームシアター京都ノースホールで、アンサンブル九条山(くじょうやま) コンサートvol.16「The Phoenix Rises New Music from Los Angels」を聴く。
2010年に京都のヴィラ九条山のレジデントであったヴァレリオ・サニカンドロにより設立された現代音楽アンサンブル。メンバーは全員女性で、全員が女性の現代音楽アンサンブルはかなり珍しいと思われる。
今回は、ロサンゼルスで生まれ育った指揮者のジェフ・フォン・デル・シュミットと、上海出身で1986年に渡米し、以後、ロサンゼルスで学び、作曲活動を行っている女流作曲家のジョーン・ファンというLA在住の二人のゲストを招いての演奏会である。
出演は、石上真由子(いしがみ・まゆこ。ヴァイオリン)、上田希(クラリネット)、太田真紀(ソプラノ)、後藤彩子(客演。ヴィオラ)、畑中明香(はたなか・あすか。パーカッション)、松蔭(まつかげ)ひかり(客演。チェロ。レギュラーメンバーである福富祥子が出演出来なくなったための代役)、森本ゆり(ピアノ)、若林かをり(フルート)。石上真由子は本拠地を京都から東京に移しているが、それ以外は関西を拠点とするアーティスト達である。
曲目は、ルー・ハリソンの「森の歌」、ジョン・ケージの「7つの俳句」、ウィリアム・クラフトの「月に憑かれたピエロ」からのセッティング(アジア/日本初演)、ヴ・ニャット・タンの「雲」(遺作/世界初演)、ジョーン・ファンの「インプレッション・オブ・グスー」(アジア/日本初演)、ウィリアム・クラフト&ジョージ・ファンの「万華鏡とモザイク」(アジア/日本初演)
現代音楽こそ若い人に聴いて欲しいのだが、やはりこの演奏会も平均年齢は高め、50歳の私が最年少候補である。クラシック音楽の聴衆の新陳代謝は余り進んでいないように思える。もう20年近く前になるが、京都造形芸術大学の学園祭で、ジョン・ケージの小規模なオペラが上演されたときは、学生が多く観に来ていて好評だったのだが、あるいは音楽よりも美術専攻者などの方が現代音楽には馴染みやすいのに、そちらへの宣伝が不十分なのかもしれない。
チラシやポスターだけでは分からなかったのだが、今回は「アジア」が重要なテーマのようで、出演者は全員、旗袍(チーパオ)やアオザイなどを参考にしたようなアジア風ドレスを着こなしていた(パーカッションの畑中明香だけは、他の人と同じような格好では動きにくいので、少し緩やかな衣装であった)。
まず、森本ゆりによる挨拶がある。今回のコンサートの指揮と監修を務めるジェフ・フォン・デル・シュミットが、ロサンゼルスの生まれ育ちであること、また今回の演奏会を企画するに当たり、「現在は現代音楽の分岐点にある」というシュミットの考えから、当初は「始まりの終わり」というタイトルに決まりかけていたことを語る。しかし、今年の1月、ロサンゼルスで大火が起こり、作曲家のジョーン・ファンは体は無事であったが自宅は全焼、シュミットの家にも2つ先の通りまで火が押し寄せてきたそうで、ロサンゼルスの街を復興を願い、「不死鳥」を入れた今回のタイトルに変更したそうである。
指揮と監修を務めるジェフ・フォン・デル・シュミットは、1955年、ロサンゼルス生まれ。苗字からしてドイツ系だと思われ、フォンが入るので貴族の血筋かも知れない(ちなみにドイツ語圏では戦後、貴族階級に属することを意味する「フォン」の称号は名乗ることを禁じられたため、ヘルベルト・フォン・カラヤンなどは特別に芸名としてフォンを名乗ることを許されている)。ウィーン大学、南カリフォルニア大学で学び、カリフォルニアで現代音楽アンサンブルであるサウスウエスト・チェンバー・ミュージックを主宰。2012年からはロサンゼルスで行われる現代音楽のフェスティバルを開催している。
グラミー賞に8回ノミネートされ、2度受賞。2015年からは、ベトナムのハノイ・ニュー・ミュージック・アンサンブルの指揮者兼芸術顧問を務めている。
ルー・ハリソンの「森の歌」。フルート、ヴァイオリン、パーカッション、ピアノのための作品である。
ルー・ハリソンは、オレゴン州ポートランド生まれのアメリカの作曲家だが、ジャワのガムラン音楽に強い関心を示すなど、非西洋の音楽に惹かれていた。この曲もガムランを思わせるパーカッションを始め、フルートというより笛ような音で奏でられる旋律(おそらくペンタトニック使用)など、極めて東洋的な音楽が展開される。何の情報ももたらされなければ、アジア人作曲家の作品と誰もが思い込んだに違いない。
中学生の頃、坂本龍一、デヴィッド・バーン・コン・スー(蘇聡。スー・ツォン)が音楽を手掛けた「ラストエンペラー」の映画音楽を愛聴し、ついでに二胡などの演奏のCDも楽しんでいた私にとってはアジア風の音楽は音楽における故郷の一つである。
ジョン・ケージの「7つの俳句」。今回演奏される曲の中では比較的知名度が高い作品である。森本ゆりのピアノ独奏。
「俳句」と名付けただけ合って、極めて簡潔な作品群である。音を少し置くだけで終わってしまう。ただサティなども音楽で石取りゲームのようなことをしているため、その延長線上にあると考えても把握はしやすくなる。弦を直接指で弾く特殊奏法も用いられる。
ウィリアム・クラフトの「月に憑かれたピエロ」からのセッティング。ソプラノ、フルート、クラリネット、ヴァイオリン、チェロ、ピアノ、パーカッションのための作品。シュミットの指揮である。
シェーンベルクも作曲した「月に憑かれたピエロ」の詩に基づく作品であるが、シェーンベルクが採用しなかった詩の部分にインスピレーションを受けて作曲されている。
ウィリアム・クラフト(1923-2022)は、シカゴ生まれの作曲家。コロンビア大学で学士と修士を修め、まず打楽器奏者として出発。ダラス交響楽団を経て、ロサンゼルス・フィルハーモニックの打楽器奏者・首席ティンパニ奏者として活躍。その後、副指揮者を経てレジデンスコンポーザーを務めた。同い年でロサンゼルスでも活躍した指揮者・作曲家のロバート・クラフトとは特に血縁関係にはないようである。
パーカッションの活躍が目立つ一方で、ヴァイオリンの出番がなかなか訪れないという特殊な構成。音と音の合間から染み出てくる音のようなものが印象的である。器楽に対し、太田真紀のソプラノが良いアクセントになっている。
ヴ・ニャット・タン(男性)の「雲」。タンの遺作であり、世界初演である。
ヴ・ニャット・タンは、1970年、ベトナムの首都ハノイ生まれの作曲家。ベトナム戦争下の生まれである。ハノイ国立音楽院でピアノと作曲を学んだ後、ドイツ学術交流会の奨学金を得てケルン音楽大学で現代音楽を学ぶ。その後、カリフォルニア大学サンディエゴ校で作曲を学んだ。一方で祖国の音楽の研究や、祖国の楽器である葦笛奏者としても活躍。1995年から2000年まではハノイ国立音楽院で教育活動に従事した。2020年、癌のため50歳の若さで死去。
「雲」は、ヴァイオリンとピアノのための作品である。どちらかというとピアノ主体の曲で、雅やかな音色と、ピアノの弦を直接弾く特殊奏法によるグリッサンドが印象的である。
ジョーン・ファンの「インプレッション・オブ・グスー」
ジョーン・ファンは、1957年、上海生まれの女流作曲家。文化大革命で下放させられた経験を持つ。労働は過酷であったが、農民から地方の民謡を教えられたりもしたそうだ。文革終了後、上海音楽院に入学。ということで、中国映画における第五世代に当たるようだ。上海音楽院で学士と修士を得て、1986年に渡米。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で学ぶ。後に夫となるウィリアム・クラフトとはここで出会った。祖国中国と西洋の音楽の融合を研究し、1991年に博士課程を修了。
グスー(姑蘇)というのは、蘇州の旧名だそうである。パーカッション以外は総出で、シュミットの指揮での演奏。
連続した小協奏曲という趣向を持つ。
最初のうちは現代音楽的な複雑な音だが、やがてチェロに中国的な旋律が現れる。その後も、混沌と中華的旋律の登場が繰り返されるが、「水の蘇州」ということで、水の流れを描くような部分も多い。ヴァイオリンとヴィオラが、スメタナの「モルダウ」の冒頭のような掛け合いを聴かせる部分もあった。
演奏終了後、客席にいたジョーン・ファンがシュミットに呼ばれて登場し、拍手を受けた。実年齢よりも若々しい印象を受ける女性である。
ウィリアム・クラフト&ジョーン・ファンの「万華鏡とモザイク」。作曲中に病に倒れたクラフトが、死の3時間前に 妻であるジョーン・ファンに「補作して完成させてくれ」るよう頼んだという作品である。
無料パンフレットに「満ち引きする一種の脈略のない夢のような心象風景の場面」とあることから、この曲も「インプレッション・オブ・グスー」同様、流れのようなものが全体を貫いている。異なるのは、「インプレッション・オブ・グスー」では用いられなかったパーカッションの大活躍で、特に力強いドラムの音が全体をリードする。今回の演奏会では、他では見られないほどパーカッションが活躍する場面が多く、演奏終了後、シュミットはパーカッションの畑中明香の手を取って高々と掲げ、労をねぎらった。

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