コンサートの記(905) ハインツ・ホリガー指揮 京都市交響楽団第700回定期演奏会
2025年5月17日 京都コンサートホールにて
午後2時30分から、京都市交響楽団の第700回定期演奏会を聴く。節目の演奏会のタクトを任されたのは、世界的なオーボエ奏者でもあるハインツ・ホリガー。ホリガーはオーボエではなくピアノ独奏も行う。
無料パンフレットには、第1回定期演奏会(カール・チェリウス指揮)、第100回定期演奏会(外山雄三指揮)、第200回定期演奏会(若杉弘指揮)、第300回定期演奏会(小林研一郎指揮)、第400回定期演奏会(大友直人指揮)、第500回定期演奏会(大友直人指揮)、第600回定期演奏会(広上淳一指揮)の当時の無料パンフレットの表紙と担当指揮者の縮小写真が載っている。
プレトークはハインツ・ホリガーではなく、クラシック音楽好きで自ら「クラオタ(クラシックオタク)市長」を名乗る松井孝治京都市長らが、京都市交響楽団の京都コンサートホールでのリハーサル公開の話(これまでも出雲路の練習場でのリハーサルの公開はあったが、京都コンサートホールでのリハーサルを増やしている。ただいずれも平日の午前中に行われることが多く、行きにくい)や京都コンサートホールの改修工事のプランの話などを行っていた。
曲目は、ホリガーの「エリス-3つ夜の小品」のピアノ独奏版(ピアノ独奏:ハインツ・ホリガー)と管弦楽版、ホリガーの2つのリスト作品のトランスクリプション「灰色の雲」「不運」、武満徹の「夢窓」(初演40周年/京都信用金庫創立60周年記念委嘱作品)、シューマンの交響曲第1番「春」
ホリガー作品の後に1回、武満の「夢窓」の後にもう1回休憩が入るという特殊な日程。武満作品が特殊な編成で大幅な配置換えがあり、時間が掛かるため、その時間を休憩に当てる。
今日のコンサートマスターは、ソロコンサートマスターの会田莉凡(りぼん)。フォアシュピーラーに泉原隆志。ドイツ式の現代配置による演奏だが、武満の「夢窓」だけは、武満自身が考案した独自の配置での演奏を行う。
管楽器奏者の首席指揮者の多くは2曲目のホリガーの2つのリスト作品のトランスクリプションからの参加となる。
ホリガーの「エリス-3つの夜の小品」(ピアノ独奏版)。オーケストラメンバーが登場し、着席してからホリガーが現れてピアノに向かう。ピアノを中央に置くと配置転換に時間が掛かるため、ホリガーは下手端に置かれたピアノを弾く。ホリガーのオーボエは聴いたことがあるが、ピアノは初めて。ただ大抵の一流器楽奏者はピアノも達者であり、ホリガーも例外ではない。
曲調は、典型的な前衛音楽風である。「前衛のピアノ音楽」と聞いて思い浮かべられるもの(そもそも「前衛のピアノ音楽」を聴いたことがない人は思い浮かべられないが)に近い。
同じ曲のオーケストラ版が続けて演奏されるが、ピアノ版を一発で覚えた訳ではないということもあって、印象は大きく異なる。アメリカの現代音楽、就中エドガー・ヴァレーズの作風を彷彿とさせる。ヴァレーズは元々はフランス人で、ドビュッシーの影響を受けており、武満との関連も思い浮かぶが、ヴァレーズの名を思い浮かべたのは私なので、ホリガーにはその気はないと思われる。
この曲にはティンパニはないので、ティンパニを受け持つことが多い打楽器首席奏者の中山航介は木琴を演奏した。
高校生の頃、私はヴァレーズが好きで、作風を模した小さな曲などを作っていた。昔々の思い出。
ホリガーの2つのリスト作品のトランスクリプション「灰色の雲」「不運」。
フランツ・リストのピアノ曲2作品をホリガーがオーケストラ用に編曲(トランスクリプション)した作品である。1987年に自らの指揮で初演している。2曲は連続して途切れなく演奏される。
ちなみに私は2曲とも原曲を聴いたことはない(おそらくYouTubeを使えば誰かが演奏している映像を見ることが出来るはずである)。
冒頭のメロディーが、レナード・バーンスタインの「ウエスト・サイド・ストーリー」の名ナンバーの一つ“Cool”に似ていて親しみが持てる。
そこから混沌とした曲調になり、コンサートマスターが半音ずつ上がっていくようなソロを奏で、低音がうなり、そこからまた曲調が変わって瞑想的な雰囲気となる。
2曲ともリストの晩年の作品が原曲である。元祖アイドルスターと言われるほどの超人気音楽家として人生を謳歌していたリストも晩年は病気がちになり、救いを宗教に求めている。
配置転換後、武満徹の「夢窓」。1983年に、京都信用金庫が、創立60年を記念して3人の作曲家に1曲ずつ作曲を依頼した交響的三部作「京都」の中の1曲である。今では三部作として演奏されることはほぼなく、個別に演奏される。3曲の中の1曲であるトリスタン・ミュライユの「シヤージュ」は、2021年7月の京都市交響楽団第658回定期演奏会において、コロナによる外国人入国規制で来日出来なくなったパスカル・ロフェの代役として指揮台に上がった大植英次の指揮によって演奏されている。
指揮台の前に「小さなアンサンブル」(武満自身の表現)がある。フルート、第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、クラリネット。各楽器の首席奏者が担当する)。その背後にギター(ギター:藤元高輝)。それを挟むように2台のハープ(ハープ:松村衣里&松村多嘉代)。ヴァイオリンは両翼の対向配置だが、通常とは逆で、下手側が第2ヴァイオリン、上手側が第1ヴァイオリンである。コンサートマスターの会田莉凡が「小さなアンサンブル」に入ったので、この曲は泉原隆志がコンサートマスターを務める。泉原隆志のフォアシュピーラーに尾﨑平。
ヴィオラ、チェロ、コントラバスは、上手側と下手側の2群に分かれる。背後に管楽器、打楽器が並ぶが打楽器の種類が多いのも特徴。
1985年9月9日に京都会館第1ホール(ロームシアター京都メインホールのある場所にあったが、取り壊されて、一からロームシアター京都メインホールを作っているため現存せず。第2ホールもあり、こちらは内部改修によってロームシアターサウスホールとなっているため、内装は異なるが見方によっては現存と考えることも出来る)において小澤征爾指揮京都市交響楽団によって、交響三部作「京都」として初演。今日はホワイエに当時のポスターが飾られていた。
「夢窓」は、国士無双と間違えられることで有名な(?)夢窓国師こと夢窓疎石と彼が作庭した庭園にインスピレーション受けて書かれたものである。英語のタイトルは「Dream/Window」。笑ってしまった方がいらっしゃると思いますが、笑っては駄目ですよ。
印象派の絵画のように浮遊感を持った響き。その上を、管楽器がジョルジュ・スーラの点描のように景色を色づけていく。この浮遊感はドビュッシーを思わせるものである。ドビュッシーは印象派というくくりでラヴェルと一緒にされることがあるが、ラヴェルの作品にはこうした浮遊感のあるものはほとんどなく、その後のフランスの作曲家にも同じような作風の人は少ない。フランス六人組、メシアン、ブーレーズ。基本的に旋律がクリアな人である。ということで、おそらくであるが、ドビュッシーは武満と繋がると思われる。
演奏終了後に、ホリガーは総譜を掲げた。
休憩後、ロベルト・シューマンの交響曲第1番「春」。「夢窓」ではなく「夢想(トロイメライ)」という有名曲をシューマンは書いているが、関係はないと思われる。「春」の季節なので「春」なのだろう。
シューマンはオーケストレーションの下手な作曲家とされることが多い。響きが悪いのである。その原因についてピアニストの内田光子は「シューマンは鍵盤でものを考える人」という発言をしたことがあるが、作曲家の黛敏郎は「あの音はあのオーケストレーションでないと出ません」と擁護している。
20世紀前半までは、指揮者が、「響かないんだったら響かせてやろう」とスコアに手を加えることが普通だったのだが、今は作曲家崇拝の指揮者が多いので、基本、そういうことはしない。
ピリオドアプローチによる演奏。原典版での演奏である。弦楽奏者は全員の手元を見られた訳ではないが、見た限りでは9割以上が完全ノンビブラートという徹底したものである。会田莉凡、泉原隆志、尾﨑平の手元を中心に見たが、3人とも少なくとも大きなビブラートは1度も掛けなかった。ボウイングもH.I.P.のそれである。
冒頭は速めのテンポであったが、その後は中庸から速めに変わり、第1楽章中盤などではグッとテンポを落としてゆったりと歌い上げる。
ピリオドアプローチというと速めのテンポの演奏が多いが、昔は残響のない場所で演奏していたため、速めに演奏しないと間が出来てしまうのである。ただ今は響きの良いホールで演奏されることの方が多いので、速度は特に問題にならないと思われる。
ホリガーがどう動くかを予想しながら聴いていたのだが、大体予想通り(無駄のない動き)だったため、指揮は上手い部類に入ると思われる。要所で指揮棒を持っていない左手を使うのが格好良い。
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