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2025年7月の10件の記事

2025年7月29日 (火)

これまでに観た映画より(390) 「BLUE GIANT」

2025年2月24日

Amazon Prime Videoで、アニメ音楽映画「BLUE GIANT」を観る。原作:石塚真一、NUMBER8。脚本:NUMBER8。音楽:上原ひろみ。声の出演:山田裕貴、岡山天音、間宮祥太朗、東地宏樹(とうち・ひろき)、木下紗華(きのした・さやか)、木内秀信、加藤将之、高橋伸也(たかはし・しんや)、乃村健次ほか。監督:立川譲。
ジャズを題材にした青春ストーリーである。女の子が主人公の音楽アニメには、京都市左京区がロケ地となった「けいおん!」シリーズや、京都府宇治市を舞台とした「響け!ユーフォニアム」(いずれも京都アニメの作品)などがあるが、こちらは女性はほとんど登場せず、音楽男子達の友情と青春を描いた作品となっている。

仙台出身の宮本大(声:山田裕貴)が主人公である。中学高校とバスケットボール部だったが、3年ほど前から広瀬川の河原でテナーサックスの練習を始め、半年ほど、由井というサックス奏者(乃村健次)に師事した。
高校を卒業し、「世界一のジャズプレーヤー」になることを夢見て上京した大。先に東京の大学(早稲田大学がモデルとなっている)に進学していた高校の同級生の玉田俊二(岡山天音)の下宿に転がり込む。隅田河畔で練習に打ち込み、ジャズバー「TAKE TWO」を訪れた大は、ママのアキコ(木下紗華)から生演奏を行っているジャズバーを紹介される。そこで大は片手で華麗なピアノ捌きを見せる沢辺雪祈(さわべ・ゆきのり。間宮祥太朗)のプレーに釘付けになる。すぐに共演を申し込む大。ずっと年上に見えた雪祈だったが、実は大と同じ18歳で、立教大学をモデルにした立丘大学の学生だった。
「TAKE TWO」に雪祈を誘った大。しかし、サックス経験がわずか3年、しかもほとんど独学ということで呆れられる。雪祈はピアノ教室を経営している家に生まれており、4歳の時から14年間、ピアノを弾き続けてきた。だが、大のサックスの演奏を聴き、3年の間に尋常でない練習量をこなしてきたことに気付いた雪祈は、心を打たれるのだった。
「TAKE TWO」の空き時間に練習させて貰えることになった大と雪祈だったが、ピアノとサックスだけでは足りない。ドラムがいる。
その頃、大学のサッカーサークルに所属していた玉田は、遊び半分のプレーを行う先輩達に嫌気が差していた。高校で全国ベスト8に入ったこともある玉田だったが、早稲田大学がモデルとなると、サッカー部(早稲田のサッカー部は、ア式蹴球武を名乗る)に入るのは難しいのだろう。失望してサークルを辞めた玉田は、隅田川のほとりでサックスの練習をする大を見に行き、空き缶でリズムを取る役目を務めたことでジャズに興味を持つ。他に当てのない大は、玉田をドラマーとして加えることにするのだが、雪祈はど素人を連れてきたことに呆れる。取りあえずセッションを行うが、玉田は全くついて行けない。
それでもドラムに魅せられた玉田は、ドラム教室に通うなど、二人のセッションに加わろうとする。

サークルや部活動ではなく、本気でプロを目指す若者達の青春ものである。描かれているのは1年ほどだが、音楽的にも人間的にも成長著しい。それまでジャズに興味のなかった者や、密かに彼らを見守ってきた常連客、遠い昔の知り合いなどを巻き込み、文学でいう教養小説的な佳編に仕上がっている。主人公3人はプロの声優ではなく若手俳優が当てていいるが、違和感もなく素直に上手いと感じられる。韓国と中国のスタッフが多数参加しており、東アジア総力戦という構え。音楽は、ピアノが上原ひろみ、サックスが馬場智章、ドラムが石若駿が演奏を務め、音楽に合わせて作画を行うという工程が取られている。動きはリアルで、モーションキャプチャーが使用されているようである。実写では絶対無理なアングルや描写なども多く、アニメならではの優れた構図が多く見られる。

精神年齢が高すぎて18歳には思えない人も出てきたりするが、それも物語を進む上での推進力となっており、音楽映画として、また人間ドラマとしても優れた仕上がりになっている。
第47回日本アカデミー賞では優秀アニメーション賞と最優秀音楽賞を受賞した。

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2025年7月27日 (日)

コンサートの記(909) 沖澤のどか指揮京都市交響楽団第701回定期演奏会

2015年6月19日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第701回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は、常任指揮者の沖澤のどか。

 

今日のコンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平。今日のヴィオラの客演首席は大阪フィルハーモニー交響楽団の一樂もゆる。京都市交響楽団チェロ奏者の一樂恒(いちらく・ひさし)の奥さんで、今日は夫婦共演になる。

 

曲目は、G.レンツのヴァイオリン協奏曲「...to beam in distant heavens...」(日本初演。ヴァイオリン独奏:アラベラ・美歩・シュタインバッハー)、タイユフェールの小組曲、ラヴェルの組曲「マ・メール・ロワ」、デュカスの交響詩「魔法使いの弟子」

前半に現代音楽、後半にフランスものが並ぶ。沖澤のどかは現代音楽を積極的に演奏しており、またフランスものは得意としている。

 

G.レンツのヴァイオリン協奏曲「...to beam in distant heavens,,,」。溶暗してスタート。まずハンマーによる一撃で開始。照明が光度を増して行く。バッハの「シャコンヌ」を模したような旋律がソロで奏でられるが、奏者は舞台上におらず、袖で弾いているようである。3階席の後方にはバンダが設置されており、それとのやり取りもある。
ソロヴァイオリンの音色がスピーカーから聞こえるようになると、アラベラ・美歩・シュタインバッハーがステージ上に現れ、タブロイド譜を見ながら演奏を始まる。
神秘的な作風であり、サンダーマシーン、カウベルなど特殊な打楽器が打ち鳴らされるが(それでいながらティンパニは編成に加えられていない)。ヴァイオリンの超絶技巧と、オーケストラの迫力が聴きどころとなる。沖澤は時折指揮棒を持った右手一本による指揮を見せ、なかなか格好良い。
ジョルジュ・レンツは、1965年、ルクセンブルク生まれの作曲家。1990年にオーストラリアのシドニーに移住し、当地で活躍している。このヴァイオリン協奏曲は、2023年4月28日、アラベラ・美歩・シュタインバッハーの独奏によりシドニーで初演されている。
現代楽曲風であるが、難解になりすぎず、スケールの大きな作品である。アラベラ・美歩・シュタインバッハーの独奏も初演者だけに自信に溢れたものであった。
演奏の終了は再びの溶暗によって告げられる。

アラベラ・美歩・シュタインバッハーのアンコール演奏は、クライスラーのレチタティーヴォとスケルツォカプリース。
憂いと愉悦に満ちた楽曲を的確に演奏してみせる。

 

後半。タイユフェールの小組曲。フランス六人組の紅一点として、女性作曲家の中では知名度は高めのタイユフェール。ただ、作品が演奏される機会は多くない。
パリの街を自転車で駆け抜けていくような、あるいはメリーゴーランドに乗って中空を走る気分のようなご機嫌な曲である。エスプリ・クルトワ全開。
沖澤の指揮する京響は前半とは打って変わって、乳白色の軽みを帯びたような洒落た音に変わる。どうやってこのような響きを生み出しているのかは不明だが、ヴァイオリンなどはハーモニーの作り方を変えているようである。

 

ラヴェルの組曲「マ・メール・ロワ」も繊細にして浮遊感のある音で高雅な絵巻を作り上げていく。泉原隆志のヴァイオリンソロも美しい。
なお、終曲である第5曲の前にトラブルがあったようで、沖澤と泉原が何か話している。泉原が「行きましょう」という態度を示して終曲の演奏に突入したが、どうやら記録用ビデオのエラー音が鳴っていたようである。私の席からは聞こえなかった。

 

デュカスの交響詩「魔法使いの弟子」。デュカスは自分に厳しい人で寡作。破棄してしまった作品も多いとされる。ある日、友人がデュカスを訪ねた時、「破棄しようと思っている曲がある」と見せたところ、友人から、「こんな素晴らしい曲を捨てたりしたら駄目だよ」と言われ、初演することにする。それは「ラ・ペリ」という代表作となる作品であった。
「魔法使いのお弟子」は、ディズニーアニメ映画「ファンタジア」でミッキーマウスが魔法使いの弟子を演じていることで有名だが(そのためにアニメ映像の著作権はまだ切れていない)、そうでなくても描写力はかなり高く交響詩として優れた作品である。
沖澤は京響からイメージ喚起力豊かな音を引き出し、爽快な演奏となった。

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2025年7月24日 (木)

観劇感想精選(495) 広田ゆうみ一人芝居 別役実 「もうひとりの飼主」@アバンギルド京都

2025年7月10日 京都・木屋町のアバンギルドで観劇

午後7時30分から、木屋町のUrBANGUILDで、広田ゆうみ一人芝居「もうひとりの飼主」を観る。出演・演出:広田ゆうみ、演出協力:二口大学。
UrBANGUILDの入るビルは、入居する店舗が変わったようで、他の階から歌声が漏れてくる。

2002年に、私は京大のそばにあったスタジオヴァリエという小劇場で、広田さんの演じる「もうひとりの飼主」を観ている。ということで23年ぶりの観劇となった。「もうひとりの飼主」の戯曲に関しても読んだことはあるが、だいぶ昔のことなので内容などは覚えていない。

安マンションの1室が舞台。上手の奥に空間があることが察せられる。
作品の書かれた時代を考慮して黒電話が用いられている。23年前には辛うじて黒電話も「若者にとって見覚えのないもの」ではなかった。

23年前は、最前列で、客席の中央よりやや下手寄りの席を選んだはずだが、今日は前から2列目の中央より上手寄りの席に陣取る。

23年前は広田さんは紺の衣装であったが、今回も同様である。

この芝居は出オチのところがある。広田ゆうみ演じる女性が現れるのだが、エプロンに血痕が付いている。ということで、上手の奥にあるのは風呂場で、遺体が切断されているようである。ただ、お嬢様育ちの美人妻の犯罪として知られる新宿・渋谷エリートバラバラ殺人事件で、妻が夫を殺して一人でバラバラにしたが、ほぼ、頭部、上半身、下半身に分けられただけで、実際には女性一人がバラバラにする作業を行っても細かく刻み分けることは困難そうである。
一方で、同じ2002年に桐野夏生の長編小説を映画化した「OUT」が公開されている。私はMOVIX京都で観たが、それが初MOVIX京都だったはずである。深夜のコンビニ弁当製造に従事しているパートの主婦4人が、遺体解体業に手を染めることになる話で、今回の芝居を観て気に入った人(余り気に入られても困るが)は映画を観るか、原作を読んでみるのもいいかも知れない。

女性の正体であるが、「外出しない」とのセリフがあることから、引きこもりと思われる。神田須田町の精神科の話が出てくるが、おそらくここにかかっているのだろう。女性はローラという名の猫を飼っているが、実際には飼っているのは同じマンションの3階に住むクヌギという男であり、猫の名もメアリーだ。つまりこの女性が「もうひとりの飼主」としてローラを勝手に飼っているのである。引きこもりのローラというと、演劇好きの人はすぐピンとくると思うが、言葉以上の深い意味はないようである。あるとしたならかなり意味深いが。ちなみに別役は「消えなさいローラ」という作品も書いている。

女性の病状であるが、判然とはしない。ただ多重人格や解離性健忘症などの傾向は見られる。

「ひとのみち教会」という団体が出てくる。「ひとのみち教会」という団体は実在しないが、よく似た「ひとのみち教団」は実在する。現在の「パーフェクト リバティー教団」、「PL教団」である。おそらく「ひとのみち教会」は「ひとのみち教団」に由来すると思われるが、特に教義の話などは出てこない。
PL学園高校野球部の甲子園での活躍や、花火大会、PLタワー(超宗派万国戦争犠牲者慰霊大平和祈念塔)などで知られたPL教団だが、PL学園高校は野球部の廃部のみならず、今やP全校生徒が3学年合わせて46人しかいないということで、「永遠の学園」の廃校、ひいては教団の解散に繋がりそうである。
ちなみにPL学園高校に入るにはPL教の信者である必用があるのだが、お金を払うだけであり、払わなくなったら棄教ということになるので、プロ野球で活躍したPL学園出身の選手の多くは卒業後は棄教扱いになっていると思われる。
モデルになった教団が衰退している時代にこうした芝居を観ると、感慨深いものがある。「人生は芸術である」を教義としたPL教団だが、この人以外には余り響かなかったのだろう。

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2025年7月23日 (水)

観劇感想精選(494) 有吉佐和子作 大竹しのぶ主演「華岡青洲の妻」

2025年7月13日 京都四條南座にて観劇

午後4時30分から、京都四條南座で、「華岡青洲の妻」を観る。和歌山県出身の小説家、有吉佐和子の代表作の一つを有吉佐和子本人の手で潤色・戯曲化した作品。小説家や脚本家が戯曲を書いたり、自作を戯曲化しても上手くいかないことが多いのだが、有吉佐和子は劇作家からスタートした人だけに、不自然でない仕上がりに達している。雨の日に手が空いたので昔話に花が咲くいうのが第1幕と第2幕の趣向だが、同じ趣向のため8年間雨が降り続いているという設定になったりしているが、この辺はご愛敬であろう。初演の演出も有吉佐和子自身が手掛けている。

演出:齋藤雅文。出演:大竹しのぶ、田中哲司、田畑智子、武田玲奈、陳内将(じんない・しょう)、長谷川稀世(はせがわ・きよ)、曾我廼家文童(そがのや・ぶんどう)、小野洋子(文学座。体調不良で降板した波乃久里子の代役)ほか。主要キャストではないが、京都劇場で上演された「リンス・リピート-そして、再び繰り返す-」にも出演していた名越志保も出ている。世界で初めて全身麻酔による乳がんの手術を受けて成功へと導かれた老女・お勘役である。

今日は、上演時間約3時間の演目を、午前の部、午後の部、夜の部の3回公演。その3回目である。俳優の体力が試される。加えてこの蒸し暑い気候。影響が皆無とは言えないようで、セリフを噛んでしまう人も多い。
客の入りも良いとはいえない。大竹しのぶと田中哲司のコンビ、ご当地女優の田畑智子、若手注目株の武田玲奈と、波乃久里子は出られなくなったが十分に魅力的なキャストであるのだが、気候が出歩くのに向いていない。「祇園祭もいいから、家で涼しく過ごしたい」というのが多くの京都人の本音であろう。

「華岡青洲の妻」はかなり有名な作品だけに、大まかなストーリーを知っている人は多いだろう。

世界で初めて全身麻酔による手術に成功した華岡青洲。代々紀州で蘭方医を営む家に生まれ、生地の近くで学んだあと、京に遊学。長く滞在し、当時の日本の最先端のものを含む多くの医術を学んだ。生地(現在の和歌山県紀の川市)に帰って父の跡を継いで医師になる。麻酔による手術を行う方法を工夫し、実母と妻が実験台となり、妻は失明してしまうという話である。その後、青洲は紀伊徳川家藩主、徳川治宝(はるとみ)に謁見して士分となり(元々は農民階級の出身。そして当時、医師は身分の外にいた)帯刀を許される。やがて、世界で初めて全身麻酔を使った乳がんの手術に成功。医師として紀伊国で身分を上げるとともに、自宅を改造した医院兼医学塾の春林軒を興して多くの門人を育てている。

 

溶暗したまま舞台が始まる。仕事をしている女性たちに一人ひとりスポットライトが当たる。糸車を回す於継(小野洋子)、機を織る加惠(かえ。大竹しのぶ)、そして於勝(田畑智子)、紬糸を行う小陸(おりく。武田玲奈)。於継と於勝と小陸が元からの華岡家の人間で、加恵は3か月前に嫁入りしたばかり。加恵は大庄屋の娘で、生家の格は加恵の方が上である。そして青洲はまだ京都に留学中で夫婦にはなったものの、顔を合わせていない。於勝と小陸は加恵より年下で、加恵のことを「姉さあ」と呼ぶ。
於継は根は良い人だと思うのだが、時折、無意識に加恵に厳しく当たってしまうことがあり、嫁姑の関係は、於継の次女である小陸に影響を与えることとなる。

そんな中、いよいよ青洲こと雲平(田中哲司)が帰ってくる。

第1幕と第2幕は続けて上演され、ずっと雨が降り続いている。第1幕では青洲が京都に遊学に行っているため、女達が機仕事をして稼がねばならないが、第2幕では自宅内で診療が行われているため、余計な音は出せず、機仕事はもう行われていない。

 

大竹しのぶは近年、セリフを歌うように発する傾向があり、今回も音楽的な発声を行うことがある。日本の時代劇なので余り合わないのだが、第3幕で姑との言い合いになる時は効果的となる。
初めての場面での加恵は25歳ということで、大竹しのぶも声を若くし、身振りのスピードを速くしている。声は細くなってセリフが聞き取れない場面もあったが、身振りは非常に愛らしい。

於継を演じる小野洋子。誰かを思い出してしまう名前だが、堅実な演技を見せる。新劇の文学座所属だが、演出の齋藤雅文が新派も手掛けていることから、新派風の言い回しに挑戦しているように聞こえる場面もあった。

ご当地女優・田畑智子。見るたびに演技が上手くなっているような感じで、今日も舞台上で生き生きとしている。若死にする役なので2幕で出番が終わってしまうのが惜しい。

若手の注目株、武田玲奈。武田梨奈と名前が似ているが別人である。「NGなし」と言われるほど様々な役に挑んでいる人だが、今回はセリフが紀州弁ということで発声の方に意識を取られている気がした。ただ舞台映えのする人で着物も似合い、これからも見てみたい女優である。

田中哲司の紀州の若旦那といった雰囲気も上手く表れていたように思う。なお、青洲が気付け薬(白湯だと思われる)を加恵に口移しで飲ませる場面があり、客席から息を飲む音が聞こえた。

加恵は麻酔の失敗で失明してしまうのだが、大竹しのぶの目の見えない人に見える演技も巧み。本当に見えていないように見えるだけでなく、見えない目で見ているような趣がある。

ラストのセリフを大竹しのぶは声音を変えて発する。古い表現になるが天女の声のようであった。

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2025年7月19日 (土)

観劇感想精選(493) 彩の国シェイクスピア・シリーズ2nd Vo2 「マクベス」 藤原竜也・土屋太鳳主演

2025年6月28日 梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて観劇

午後5時30分から、梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで、彩の国シェイクスピア・シリーズ2nd Vol.2 「マクベス」を観る。彩の国さいたま芸術劇場大ホールで、蜷川幸雄の演出により、シェイクスピア作品の上演を続けた彩の国シェイクスピア・シリーズ。蜷川幸雄亡き後は吉田鋼太郎が演出を受け継ぎ、全作品を上演、完走した。そして2週目が吉田鋼太郎の演出でスタート。その2作目が四大悲劇の一つ「マクベス」である。

翻訳:小田島雄志、演出・上演台本・出演:吉田鋼太郎、音楽:東儀秀樹。
出演:藤原竜也、土屋太鳳、河内大和、廣瀬友祐、井上祐貴、たかお鷹ほか。

魔女の予言、マクベスノック、バンクォーの幽霊、手洗いを止められないマクベス夫人、バーナムの森が動くなど、数々の名場面で知られるマクベス。終盤の展開が速いため、締め切りが間近で筆を急いだのではないかという説があるが、上演されたものを観て「展開が速い」と思ったことはない。台本を読んだ時と上演したものを観た時の印象が異なるのかも知れないが、戦の展開がもっとゆったりだったり緩んだ可能性も高い。

音楽が東儀秀樹の担当ということで篳篥や笙を使ったものが流れる。蜷川幸雄と異なり、日本的な演出をしているわけではないので、合っているのか合っていないのかは微妙だが、音楽自体はいいように思う。

蜷川幸雄の「ハムレット」でタイトルロールを演じたのを観ている藤原竜也。今回はマクベスに挑戦だが、ハムレットを演じるのと同じスタンスでマクベスを演じているため、ハムレットがマクベスを演じているように見える。ハムレットは「悩める青年」だが、マクベスは魔女の予言らしくものに引きずられるスコットランドを代表する猛将であり、ナイーブな青年にするとこの人物の特性が違ってきてしまうように思う。

マクベスは果たして魔女達の予言に引きずられたのか。情勢は全てマクベスを唆すように移行していく。ダンカン王がマクベス邸に泊まりに来ることになり、暗殺する機会が訪れた。だが暗殺を行わないという選択もあるはずだ。スコットランドの寵臣として重用されており、遭えて王位を狙う必然性はどれほど高かったのか。予言に従うだけならそれだけの話だが、苦悩が生まれるところに「マクベス」という作品の面白さがある。

吉田鋼太郎は、魔女の一人として登場。野村萬斎が以前、「日本で『マクベス』をやると魔女達が化け物になってしまう」という話をしていて、野村萬斎は特殊な動きをする暗黒舞踏の人達を魔女役に起用したが、おじさん達が女装をして魔女をやると確かに化け物になってしまう。ユーモラスになる工夫はしていたが。
客席通路を頻繁に使う演出だったが、シアター・ドラマシティは客席通路が全て階段、しかも段差が場所によって異なるということで、冒頭でそれが突っ込まれていた。また客いじりがあり、舞台の上まで上がって貰っていた。

実力がありながら、何故かなかなか人気が上がらない土屋太鳳。森山未來主演の舞台「プルートゥ PLUTO」で一人二役を演じ、見事な演技を披露。彼女は日本女子体育大学舞踏学専攻でダンスを学んでおり、ダンスが行われるのは舞台、ということで演劇においてもステージでこそ本領が発揮されるのかも知れない。
私はマクベス夫人に関しては違う解釈をしているのだが、今回、土屋が演じるマクベス夫人はオーソドックスな悪女。土屋は声を変え、毒々しさすら湛えながらマクベスの背中を押す烈女を演じていく。彼女は153㎝と身長が低いので、本来は迫力はあまり出ないはずだが、そこは体の動きで補う。手を洗い続ける場面の強迫神経症の演技も大仰にならずリアルティを出すことに成功していたように感じられる。
The悪女という解釈としては、土屋太鳳は最良の演技を行っていたように思う。
今は「隠れ演技派」のようになっている土屋太鳳だが、もっともっと評価されても良い女優だと思う。

藤原竜也を始め、出演者たちの殺陣のレベルは高く、迫力ある舞台となっていた。

「マクベス」の最大の疑問は、魔女達は導いたのか、予言は絶対だったのかということである。宙に浮かぶ短剣も先導の形となっている。なのだとすれば人間は運命に抗えないということになるが。
マクベスが冷静な判断をしていればどうなっていたのかと考えると想像が膨らむ。魔女達もそのまま引き下がったりするまい。マクベスが魔女達に打ち克つことは可能なのか、あるいはこれよりももっと悲惨な筋書きが用意されていたのか。「マクベス」はシェイクスピア作品の中で最も興味深いものの一つである。

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2025年7月15日 (火)

コンサートの記(908) 〈RMF&山田和樹グローバルプロジェクト〉 山田和樹指揮バーミンガム市交響楽団日本公演2025京都公演

2025年7月5日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後3時から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、〈RMF&山田和樹グローバルプロジェクト〉山田和樹指揮バーミンガム市交響楽団2025年日本公演京都公演を聴く。

先日、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団に客演して話題になった山田和樹。現在、モンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督兼芸術監督、バーミンガム市交響楽団の音楽監督(2024年5月から、それ以前は首席指揮者アーティスティックアドヴァイザーを務めていた)の座にあり、2026年からベルリン・ドイツ交響楽団首席指揮者兼芸術監督に着任する予定である。3つのオーケストラのシェフの兼任は困難であるため、モンテカルロ・フィルからの離任を表明している。
バーミンガム市交響楽団と山田の関係は長く、2016年のバーミンガム市交響楽団来日演奏会の指揮も山田が務めている。

サイモン・ラトルの時代に名声を高めたバーミンガム市交響楽団(City of Birmingham Symphony Orchestra。CBSO)。イギリスは首都ロンドンと地方の格差が広く、第二の都市であるバーミンガムのオーケストラも性能は低かったが、ラトルは大幅に機能を上げている。それでもロンドンの名門オーケストラ(ロンドン交響楽団、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、フィルハーモニア管弦楽団、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団、BBC交響学団)とは差があったが、ラトルの後任のフィンランド人指揮者サカラ・オラモの時代にはラトルに続き「シベリウス交響曲全集」を作成。2代続いてシベリウスの交響曲をリリースしたため、北欧ものの評価を高める。オラモはグリーグなどでも名盤を残した。
その後、数人がバーミンガム市交響楽団のシェフを務め、中にはミルガ・グラジニーテ・ティーラという若い女性指揮者が起用されたりもした(首席指揮者であった山田は、名前が長いので「ミルガ」と呼んでいたようである)。
響きの良いホールがないことで知られるイギリスであるが、バーミンガムはラトルがアメリカ人の技術者を招いて響きの優れたホールを建立。イギリス中から羨望の眼差しを向けられている。

私がCBSOをホールで聴くのは4回目。最初は初台の東京オペラシティコンサートホール“タケミツ メモリアル”での演奏会で指揮はサー・サイモン・ラトル。タケミツホールで音楽を聴くのは初めてだった。ラトルの指揮であったが、前半に現代曲が並んだため、客席はガラガラであった。
2度目は、サカリ・オラモ指揮の演奏会。2002年9月22日で、この時が初京都コンサートホールであった。オール・シベリウス・プログラム。覇気にあふれる演奏で、ヴァイオリン協奏曲の独奏を務めた諏訪内晶子のソロも神品と呼ぶに相応しい出来であった。

3回目は山田和樹指揮。大阪での公演。山田とピアニストの河村尚子の共演が特に印象的だった。

 

曲目は、ショスタコーヴィチの祝典序曲、エルガーのチェロ協奏曲(チェロ独奏:シェク・カネー=メイソン)、ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」(ヘンリー・ウッド編曲)

 

山田和樹のプレトーク。「このツアーも残り2か所となりました」ということで、「8回の演奏会で、明日、横浜で最後を迎えます」
先日、ベルリン・フィルの指揮台に立ったことについては、「直前にバーミンガム市交響楽団が同じプログラムの演奏会を開いてくれました。『よし、カズキを送り出そう』」という粋のようである。
また今回は、京都両洋高校吹奏楽部がショスタコーヴィチの祝典序曲でバンダを務めることが明かされる。東京では音楽科のある千葉県立幕張総合高校がバンダを担ったようだ

「ちなみにこれまでもバーミンガム市交響楽団生で聴いたことあるよ、という方」と山田。結構手が挙がる。来日の機会の多いオーケストラである。山田は、「2年に1度、来日公演で聴けるオーケストラが3つある。まずはベルリン・フィル、続いてウィーン・フィル。最後にバーミンガム市交響楽団」

エルガーのチェロ協奏曲。ソリストを務めるシェク・カネー=メイソンについて山田は、「素晴らしいチェリストなので是非お聴きいただきたい」と述べた。

組曲「展覧会の絵」は、よく聴かれるモーリス・ラヴェル編曲版ではなく、ヘンリー・ウッド編曲版で演奏する。山田は、ヘンリー・ウッドについてプロムスを始めた人と紹介し、山田はヘンリー・ウッドの方が先に編曲しているということで、「ラヴェルがどれほどパクったかに注目」とも語っていた。

また今回は、RMF(Rohm Music Foundation)と山田和樹の共同企画ということで、若い演奏家が選ばれ、バーミンガムでの研修を経て今回の演奏にも参加する。今回は、FUKUDA Asakoというヴァイオリニストが、第2ヴァイオリンの第4プルトで演奏していた。

 

チェロが客席側に来るアメリカ式の現代配置での演奏。ティンパニは指揮者の正面ではなく上手端に置かれた。

 

祝典序曲。昔からよく言うと渋い、悪く言うと地味な音色が特徴であったバーミンガム市交響楽団。ただこの曲は謎の多い曲調の時は渋めだったが、後半に入るとブラスが輝かしい音を奏でる。
京都両洋高校のバンダは、中央通路と、上手バルコニー席に陣取って通りの良い音を聴かせた。

 

エルガーのチェロ協奏曲。ソリストのシェク・カネー=メイソンは、黒人の血が入った奏者である。ピアニストである妹とデュオコンサートを行うこともあるそうだ。
気高さの感じられる曲調がやがて祈りへと通じていくかのようである。

シェクのアンコール演奏は、ナタリー・クロウダのチェロ組曲第4楽章。ファンキーなノリもある楽しい曲である。

 

休憩後、ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」(ヘンリー・ウッド編曲)。豪壮な編曲である。ラヴェルの編曲よりも楽器が多く用いられ、爆発的な場面もある。編曲の腕も確かなのだが、大風呂敷を広げたようなところがあり、ラヴェルがこの編曲を聴いていたとしたら、もっと自然体の編曲を行おうと考えただろう。そういう意味ではラヴェルは音をタイトにして、この曲の「追悼曲的意味」に心を砕いているような印象を受ける。
プロムナードは最初の1回しか出て来ない。
ヘンリー・ウッド編曲版ではバンダも使用。下手側2階席にトランペットを、上手側3階席にテューバなどを配して、立体的な音響を築き上げていた。
なお、オルガン(電子オルガン)が編成に加わっており、都築由理江が演奏を行った。

CBSOの音は主にラトル指揮の音源で聴くことが多いが、往時に比べると音の輝かしさが格段に増しているのが分かる。

 

アンコール演奏は、ウォルトンの戴冠式行進曲「宝玉と王の杖」。イギリスの作曲家の中でも構築力に定評のあるウォルトン。格好良い曲と演奏である。

 

楽団員が退場しても拍手は続き、山田和樹再登場。山田はいったん引っ込んだ楽団員をステージ上に呼び戻し、みんなで記念写真を撮影していた。

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2025年7月12日 (土)

コンサートの記(907) 東京バレエ団×九州交響楽団 チャイコフスキー バレエ「眠れる森の美女」@びわ湖ホール

2025年6月14日 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール大ホールにて

午後2時から、びわ湖ホール大ホールで、東京バレエ団の「眠れる森の美女」を観る。演奏を、福岡市からはるばる遠征してきた九州交響楽団が務めるということでも話題の公演。
びわ湖ホールで管弦楽を伴う舞台公演を行う際には、京都市交響楽団がよくピットに入るが、京響は明日、ロームシアター京都メインホールで本番がある。同じくびわ湖ホールのピットの入ることが多い日本センチュリー交響楽団も今日はロームシアター京都メインホールで本番。大阪フィルハーモニー交響楽団は今日も定期演奏会開催。大阪交響楽団も17日に公演予定ということで、関西のオーケストラの日程が詰まっているということもあるが、九州交響楽団も関西にマーケットとしての可能性を見出していると思われることから、思惑が一致したのだと思われる。

 

チャイコフスキーの三大バレエの一つに数えられる「眠れる森の美女」。ただ三大バレエの中では上演される機会は最も少ない。録音も一番少ないはずである。有名曲が少ないということもあるが、「眠れる森の美女」なので、ヒロインのオーロラ姫が長時間眠っている必要があり、見せ場が限られるということもある。第3幕はそれを補うように結婚を祝う舞踏会が延々と続き、「眠れる森の美女」をまとめたシャルル・ペローの他の童話の主人公、長靴をはいた猫や赤ずきんちゃんと狼なども登場して賑やかであるが、ストーリー自体は第2幕で終わっているということでもある。

今日はプロローグ付の上演で、上演時間は2度の休憩を含め約3時間である。

指揮は井田勝大(いだ・かつひろ)。東京学芸大学音楽科を経て同大学院修了。まずオペラの指揮者として研鑽を積み、その後、バレエの指揮者として国内外の多くの団体で指揮台を任されている。バレエデビューが熊川哲也のKバレエカンパニーの「白鳥の湖」であったことから、現在では、K-COMPANY TOKYO及びシアターオーケストラトウキョウの音楽監督を務めている。バレエとコンサートを約半々で振っているようだ。今日はノンタクトでの指揮。

原振付:マリウス・プティパ、新演出・振付:斎藤友佳理。舞台美術:エレーナ・キンクルスカヤ。衣装デザイン:ユーリア・ベルリャーエワ。

出演:安村圭太(国王フロレスタン14世)、奈良春夏(王妃)、沖香奈子(オーロラ姫)、宮川新大(デジレ王子)、鳥海創(カタラビュット、式典長)、柄本弾(悪の精カラボス)、榊優美枝(リラの精)ほか。

プロローグではオーロラ姫の誕生と、それを祝福する人々と精霊の洗礼式の踊りが繰り広げられる。だが、式に招かれなかった悪の精カラボスが王宮に押しかけ、姫が糸紬に刺されて16歳で死ぬだろうと予言する。
時は一気に飛び、今日で16歳になるオーロラ姫が現れて、第1幕開始。王宮では誕生日を祝うパーティーが行われている。4人の王子が、オーロラ姫に求婚。だが宴席に怪しげな客が紛れ込んでいる。悪の精カラボスとその弟子(もしくは分身)である。弟子もしくは分身から花束を受け取ったオーロラ姫は、その中に仕込まれていた糸紬に指を刺されて倒れてしまう。リラの精が、死から一段弱めた眠りへとオーロラ姫を誘い、王宮の人々もみな眠りに落ちる。

第2幕の前半は、それから100年後のデジレ王子の物語。何しろヒロイン達が全員眠ってしまっているので一人で何とかするしかない。森で狩りに興じるデジレ王子だが、やがてリラの精に導かれ、王宮へ。全員が眠っているので何事かと戸惑う王子だったが、オーロラ姫の美しさに惹かれて口づけする。こうして眠りから覚めたオーロラ姫と宮廷の人々。オーロラ姫は恩義に報いてデジレ王子と結婚することに決める。
そして第3幕の結婚式の場となる。

 

舞台美術をロシア人が手掛けているだけあって、王宮風の雰囲気など見ごたえのあるセットとなっている。

九州交響楽団は、甘い音による立体的な音響が見事。ブラスにも威力がある。九州地方にフルサイズのプロのオーケストラは九州交響楽団しかないため、オペラやバレエの公演となると九州交響楽団が起用される機会が多くなることが予想され、ピットにも慣れているのだろう。バレエ指揮経験豊富な井田の音楽づくりも神経が細部まで行き渡ったものであった。

東京バレエ団の踊りも可憐さと堅実さがあり、洒落た味わいにも富んだものであった。
チャイコフスキーの音楽も長靴をはいた猫が登場した時には猫の鳴き声を真似た旋律になるなど、ユーモアのセンスがある。また第2幕で交響曲第5番の第2楽章に似た旋律が現れるなど(両作品は同時期に書かれている)、単なる転用なのか両作品に繋がりがあるのか微妙なところである。

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2025年7月 4日 (金)

コンサートの記(906) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第587回定期演奏会 エルガー 「ゲロンティアスの夢」

2025年4月12日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後3時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第587回定期演奏会を聴く。今日の指揮は、大フィル音楽監督の尾高忠明。

桜も散り始め、フェスティバルホール周辺の多くの桜が葉桜となっている。

今日の曲目は、エルガーの「ゲロンティアスの夢」1曲のみ。上演に約90分を要する大作である。エルガーの出世作で、イギリスではよく演奏されるが、日本で上演される機会は少ない。大フィルも、音楽監督がU.K.でポストを持った経験があり、エルガーを得意とする尾高でなかったら取り上げることはなかったであろう。
プレトークサロンで、大フィル事務局長の福山修さんが、ジョナサン・ノット指揮の東京交響楽団が7年前に取り上げているが、それ以外の上演は把握していないと仰っていた。おそらくだが、それ以外に上演されたことはないのだろう。

今日のコンサートマスターは崔文洙。フォアシュピーラーに須山暢大。今日も第2ヴァイオリンは全員女性である。ドイツ式の現代配置での演奏だが、ティンパニは視覚上の理由(背後に合唱が陣取る)からやや下手寄りに位置し、指揮者の正面にはトランペットが回った。
合唱は大阪フィルハーモニー合唱団。
独唱は、マリー=ヘンリエッテ・ラインホルト(メゾ・ソプラノ。守護天使)、マクシミリアン・シュミット(テノール。ゲロンティアス)、大山大輔(バリトン。司祭、苦悶の天使)。

「ゲロンティアスの夢」は、オラトリオであるが、エルガーが作曲時点でオラトリオとしていなかったという理由からだと思われるが、今回は曲目は「ゲロンティアスの夢」とのみ表記されている。

 

ゲロンティアスという男性が天国に召される様を描いたもので、イギリスの神学者・詩人であるジョン・ヘンリー・ニューマンの宗教詩を基のテキストとしているが、ニューマンは英国国教会からカトリックに改宗した人物であり、エルガーもカトリックの信者だった。イギリス人の大半は英国国教会(プロテスト)の信者であるため、エルガーはカトリック的な要素を詩から除くことで、反発を弱めようとしている。

二部構成であり、男声歌手二人は始めから登場して歌唱を行う。メゾ・ソプラノのマリー=ヘンリエッテ・ラインホルトは、二部が始まる時に上手側から登場した。

字幕付きでの上演。
エルガーらしいノーブルさと音の輝き、力強さなどを共存させた楽曲である。大阪フィルハーモニー合唱団も優れた歌唱を聴かせる。
オラトリオなので、独唱者の歌唱もいくぶんドラマティックになるが、みな節度を持った歌唱。

死者が天国に向かうまでを描いており、ある意味、英国版の「おくりびと」(人ではなく天使だが)のような楽曲である。

CDを含めて聴いたことのない楽曲であったが、エルガーを振るときの尾高と、大フィルの堅実な演奏力への信頼が共に高まる演奏会であった。

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2025年7月 2日 (水)

NHK「松本清張シリーズ 天城越え」(大谷直子主演版)

2025年6月27日

ひかりTVで、NHK「松本清張シリーズ 天城越え」を見る。1978年、「天城越え」最初の映像化である。出演:大谷直子、佐藤慶、鶴見慎吾、宇野重吉、三代目中村翫右衛門、荒井注、松本清張ほか。演出:和田勉。和田勉演出の代表作である。音楽:林光。

大塚ハナ役の大谷直子は、他の「天城越え」のハナに比べると幾分地味だが、最も万人受けする美貌の持ち主であるように思う。ただその分なのか、生田絵梨花、田中美佐子、田中裕子に熱心なファンがいるのに比べて、大谷直子に熱心なファンがいるようには感じられない。私がテレビドラマを見始めた頃には、大谷直子は盛りを過ぎた脇役の多い地味な女優であり、主演作もこの「天城越え」が最後のようである。
土工役に佐藤慶を配し、他の「天城越え」ではほとんど何も語らない土工役の過去などが明かされている。
説明ゼリフなどが多用されているのもやや気になる。また伏線がきちんと張られていないため、殺害動機が分かりにくくなっているし、直接的な言葉を使う必要も出てくる。
照明が美しく、今に至るまで「照明のNHK」と呼ばれているのが納得の出来である。
暴力シーンなども他の「天城越え」に比べると控え目である。
ただ、ハナが自供するのは本当の犯人に気づいたからではなく、眠らせてくれないので眠かったからで、ハナが真犯人に気づくのは無罪で釈放されてからだ。この辺は上手い描き方ではない。
ハナが少年(鶴見慎吾)の実家である下田の鍛冶屋を訪ねてくるのはオリジナル。ただ余り意味が感じられなかった(どういう意図で入れられたのかは分かる)。

47年前の作品ということで、出演者の多くが今では消息が分からなくなっているようであるが、今と違い、出演者に美男美女が少なく平凡な容姿の人が多い。今では、「テレビはイケメンと美女が出るもの」となっており、実生活では会ったこのないハイレベルの容姿の人ばかりが出ていることもあるが、この「天城越え」が制作された頃は、容姿よりも演技力が重視されていたことが察せられる。当時もニューフェイス出身など容姿端麗な人はいたが、劇団出身など、容姿で勝負するところでない場所から勝ち上がってきた人が多かったと予想される。
ただ現在は、オーディション、アイドル出身、モデル出身などの俳優が増えた。当然、眉目秀麗である。演技力は二の次になることも多いがそれがいいことなのか悪いことなのかは分からない。

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これまでに観た映画より(389) 松竹・霧プロダクション映画「天城越え」(田中裕子版)

2025年6月26日

ひかりTV見放題で、松竹・霧プロダクション映画「天城越え」を観る。4度映像化されている当作の2度目の映像化で、唯一の映画化である。1983年公開。ということで美術や映像などには古さも感じられる。一方で、天城山の自然は最も美しく撮られているように思う。原作:松本清張、監督:三村晴彦。出演:渡瀬恒彦、田中裕子、樹木希林、北林谷栄、伊藤洋一、坂上二郎、柄本明、石橋蓮司、吉行和子、伊藤克信、車だん吉、阿藤海(阿藤快)、加藤剛(特別出演)、平幹二朗ほか。

この映画は、前半に捜査や取り調べの場面が来て、大塚ハナ(田中裕子)と少年(役名は小野寺建造となっている。伊藤洋一)の二人連れの場面は後半に出てくる。そのため、全編を通しての主人公は元刑事の田島(渡瀬恒彦)になるが、存在感を最も放っているのはやはり田中裕子である。
冒頭付近ですでに犯人が分かるような描写があり、少年のハナに対する悔いが全編を通して流れる。この作品は、生田絵梨花主演の2025年版や、田中美佐子主演の 1998年版のように、主人公が老いたハナを訪れるという、原作にない場面の追加はなく、ハナは無罪になったがほどなく死ぬという原作通りの末路を辿っている。

俳優が本業でなく、タレントや芸人を本職としている人が多く出演しているのも特徴だが、今の芸人やタレントとは違い、セリフ術などには拙さが強く感じられる。時は移って、ここ20年ほどは本職の俳優以外は演技の上手い芸人かタレントしか映画に起用されないようになっているように思う。

この作品の最重要人物である大塚ハナを演じる田中裕子は、雌雄眼ということもあって、美貌では生田絵梨花や田中美佐子に及ばないが、女としての魅力、強さ弱さ儚さ艶やかさなどでは大きく上回り、田中裕子の天才的な表現力を味わうことが出来る。彼女も略奪愛などがなければ、もっと活躍の場が広がっていたのかも知れないが。

封切られた1983年を舞台にするため、冒頭付近には、当時流行っていたタケノコ族が踊っている姿が映っており、ラストは天城隧道へと入って行く暴走族の姿を映して、時の移り変わりや無常を感じる演出が施されているが、ラストシーンの暴走族はいらなかったかも知れない。また、1983年を舞台にするために、事件の発生を大正15年(1926)から昭和15年(1940)に変えているが、日米開戦間近であることは特に物語展開に関係しない。一応、時代が分かるよう出兵の場面はある。

14歳の少年の動機を成人男性が理解出来ないという松本清張の一種のトリックは巧みである。

音楽は「砂の器」の菅野光亮(かんの・みつあき)。甘いメロディーが奏でられているが、この映画が公開された1983年に44歳の若さで他界しており、これが最後から二番目の映画音楽となった。

田中裕子は、第7回日本アカデミー賞優秀主演女優賞、第38回毎日映画コンクール主演女優賞、第26回ブルーリボン賞主演女優賞、第7回モントリオール世界映画祭主演女優賞、第29回アジア太平洋映画祭主演女優賞など、本作で多くの賞を獲得した。

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