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2025年8月の11件の記事

2025年8月31日 (日)

これまでに観た映画より(396) 「KANO~1931 海の向こうの甲子園~」

2025年8月21日

U-NEXTで、台湾映画「KANO~1931 海の向こうの甲子園~」を観る。戦前の全国中等学校野球優勝大会(今の全国高等学校野球選手権大会)を描いた、多民族スポーツ青春映画。KANO(かのう)とは、台湾の嘉義農林学校の略称である嘉農のことで、それまで1勝も出来なかった弱小野球部が、甲子園で準優勝するまでを描く、史実に沿った展開である。
出演:永瀬正敏、坂井真紀、大沢たかお、曹佑寧、魏祈安、小市慢太郎ほか。音楽:佐藤直紀。監督:馬志翔

日本が植民地政策を採り、版図を拡大していた頃には、植民地化された土地も日本と同等に扱い、台湾の他にも、朝鮮半島や遼東半島の中学校も甲子園に出場している。また旧制中学校と同様に商業学校が人気だったようで、嘉義農林こと嘉農と対戦する学校の多くが商業学校である。

主演の永瀬正敏演じる近藤兵太郎は、野球指導者として長く活躍した人物である。松山商業の出身で母校の松山商業の監督となるが後に辞任。劇中では指導が厳しすぎたことが示唆されている。その後、1929年に台湾に渡り、嘉農の簿記教諭となって野球部監督に就任する。
劇中では、嘉農の選手達は練習というよりもボール遊びをしており、これでは勝てないのも当たり前。近藤は厳しく、しかし厳しすぎないよう指導しつつ、野球哲学も選手達に叩き込む。近藤の親心のようなものは随所に窺える。

1895年の下関講和条約により、日本に割譲された台湾。清国側は台湾を重要視しておらず、台湾程度で良かったと思ったようである。この時、遼東半島も割譲されているが、大国の圧力、つまり三国干渉によって、後に返上せざるを得なくなる。その後、日露戦争により遼東半島の先端のみ租借権が認められ、結果、この映画にも大連商業が出場している。
台湾を得たとは言え、台湾に住む人々が、「日本人の方々、いらっしゃいませ」と歓迎する訳もなく。台湾を武力で討伐する必要があった。鎮定後、日本政府はインフラを日本本土と同等に整備することに着手。「教育は諸刃の剣」という慎重論もあったが、日本と同等の教育を施し(勿論、日本語必修)、そのため、台湾人も人によって水準は異なるが、日本語を扱えるようになる。この映画では台湾語(福建語)が多く用いられるが、野球部の生徒はたどたどしいながらも日本語を話す。台湾語を話している民衆も、日本語の意味は分かっていることが示唆されている場面もある。
台湾人を加えたチームを差別的に見る人も当然ながらいて、日本人、漢人(大陸、主に対岸の福建省から渡ってきた漢民族)、蕃人(台湾先住民)の混合と呼んでいる。特に日本人以外を見下す意図はなかっただろうが。また、「民族が違うのにコミュニケーション取れるの? 日本語話せるの?」と聞く記者(小市慢太郎が演じている)もいる。今ほど情報が発達していなかったので、台湾の教育事情なども知らなかったのだろう。
ちなみに、後に読売巨人軍に入り、二刀流でも活躍する呉波(呉昌征の名でも知られる)少年が嘉農の野球部に手伝いに来ている。その後、成長した呉波は嘉農の主力として甲子園にも出場することになる。

野球部の主役となるのは、エースピッチャーの呉明捷(日本風の通称はアキラ。演じるのは曹佑寧)。大きく体を捻り、背中を見せてから、左手を落とすと同時に右腕を真っ向から振り下ろすという背負い投げのような投げ方だが、ストレートは速く、バッター達を手こずらせる。野茂英雄のトルネード投法以前にも打者に背中を見せて投げるピッチャーはいて、若林忠志の「ロカビリー投法」などがその代表格である。甲子園での快投に呉には「麒麟児」のあだ名が付く。
ちなみに呉明捷は早稲田大学に進んで野手として活躍し、当時の東京六大学記録となる通算7本の本塁打を放っている。この記録を塗り替えたのが長嶋茂雄である。

近藤の指導により、嘉農野球部はみるみる成長。甲子園の台湾予選大会で初勝利を挙げると、次々に相手を撃破。台湾代表として甲子園に出場することになる。

甲子園のセットだがまずまず立派な作りである。現代の野球と違うのは、監督がユニフォーム姿ではなく背広やジャケット姿であること。サッカーやラグビーの監督のようである。みなそうなので義務だったのであろう。
一塁から二塁、二塁から三塁の間に白線が入れられている。まだヘルメットはなくバッターが帽子を被っている。この時代の投手のストレートは今ほど速くなかったと思われるが、頭に当たったらかなり危ない。捕手もヘルメットではなく帽子で、フォロースルーの大きな打者のバットが後頭部に当たったら危険である。フェンスも当然ながらラバーフェンスではなくコンクリートである。こう考えると、野球がかなり危険なスポーツであることが分かる。
その他の違いとしては、選手に背番号はなく、ピッチャーがマウンドの土を手に擦りつけてから投げてもスピットボールとして退場になることはない。現代のルールでは、「ピッチャーはロージンバッグと球以外には触れてはならない(斎藤佑樹投手のハンカチは厳密には反則)」となっているが、この時代にはまだロージンバッグはないようだ。
また観客席であるが、男女別学の時代であるため、女子が応援席にいることはなく、女性の観客自体もかなり少ない。バックスクリーンがないのは撮影上の理由である可能性が高い。翌1932年の甲子園球場の映像を見たことがあるが、バックスクリーンは存在している。
フェンス直撃の打球を打った選手が、当たったところにサインをする場面があるが、当時の甲子園球場は今より広く、フェンス直撃の打撃を打つ者はまれ(アジア人最初とのアナウンスがある)。1934年の日米野球で、ベーブ・ルースに「Too Large」と言われてから見直しが始まった。

一方、嘉義の人々はラジオの甲子園中継に夢中。なお、「嘉義農林大阪出征」の垂れ幕があり、本土と距離があったためか、甲子園球場が大阪府内にあると思い込まれていたことが分かる。

決勝まで勝ち進んだ嘉農であるが、エースの呉は中指の爪が割けて出血しており、痛みでストライクが入らない。相手は常勝時代の中京商業(現在の中京大中京高校)。エースの吉田正男は、23勝3敗の甲子園最多勝利記録を持つ。もっとも旧制中学は現在の中学校と高校を兼ねた5年制であることを考慮する必要がある。戦後の3年制高校における甲子園最多勝は桑田真澄の20勝3敗で、桑田の記録も今後破られることはないと思われる。
こんな大エース相手に、劣勢のまま、9回2死満塁から、エースの呉は特大の飛球を放ち……。

札幌商業(現在の北海学園札幌高校)のエース、錠者博美(じょうしゃ・ひろみ。演じるのは青木健)は対戦して敗れるも嘉農の野球に感銘を受け、出征の途中に嘉農のグランドを訪れる。これがラストシーンである。ちっぽけで整備が行き届いているとは言えないグラウンド。ただここから甲子園準優勝チーム、錠者が讃えた「天下の嘉農」「戦場の英雄」が出たと思うと夢がある。

嘉義農林学校は、現在、中学(国民中学)でも高校(高級中等学校)でもなく国立嘉義大学となっている。

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2025年8月29日 (金)

これまでに観た映画より(395) 「アゲイン 28年目の甲子園」

2025年8月23日

U-NEXTで、東映映画「アゲイン 28年目の甲子園」を観る。原作:重松清『アゲイン』。監督・脚本:大森寿美男。出演:中井貴一、波瑠、柳葉敏郎、西岡徳間、太賀(仲野太賀)、門脇麦、堀内敬子、村木仁、阿南健治、安田顕、久保田紗友、西尾まり、工藤阿須加、和久井映見ほか。角盈男、高橋慶彦といった有名プロ野球OBがカメオ出演している。

坂町晴彦(中井貴一)は、46歳。スポーツ新聞社の総務部で働いている。川越学院高校時代は、サードを守りキャプテンを務めていたが、埼玉県大会決勝の前日に松川典夫(太賀)が、不祥事を起こし、決勝戦は出場辞退となっていた。
野球が好きでスポーツに携わりたいということでスポーツ記者となった坂町だが、離婚後、一人娘の沙奈美(門脇麦)は母親を選び、坂町は今は一人暮らしで、記者から総務への異動を願い出ている。妻と娘への負い目があった。妻は再婚したが、その後に亡くなった。沙奈美の義父(役名なし。安田顕)によると沙奈美は家を出て一人で暮らしているそうである。
そんな坂町の家に、神戸大学の学生である戸沢美枝(波瑠)が訪ねてくる。マスターズ甲子園に出てみないかと誘い、父親が何年にも渡って書いた年賀状を坂町に渡す。美枝の父親は松川典夫であった。漁師だった典夫は、昨年(2011年)の震災(東日本大震災)で亡くなったという。
当初は美枝を相手にしなかった坂町だが、当時のエースピッチャーだった高橋直之(柳葉敏郎)がリストラに遭い、家族には背広姿で朝に出掛けて勤めを続けているように見せかけ、ハローワークに通っていたり、キャッチャーだった山下徹(村木仁)が信用金庫に務める傍ら少年野球チーム(ユニフォームが1998年に優勝した時の横浜ベイスターズのものにそっくりである)の指導をしていたりと、それぞれの人生を知り、やがて川越学院高校野球部OBはマスターズ甲子園参加を決める。

マスターズ甲子園は7回制。基本的なルールは一緒だが、4回以降は35歳以上しか出場出来ず、投手は30歳以上である必要があり、2イニングスまでしか投げることが出来ない(現在はルールが少し変わっているようである)。
47都道府県の代表が集まるわけではないが(参加校がいない県もある)、各県、もしくは各地区ごとに予選が行われ、予選大会で優勝したチームが阪神甲子園球場でトーナメンを行い、優勝を目指す。阪神タイガースの公式戦が終わった秋に行われるが、2011年は震災の影響で年末に開催されている。
実際はどうなのか分からないが、吹奏楽やチアリーダーによる応援もあり、華やかである。吹奏楽は古田敦也の母校として知られる兵庫県立川西明峰高校と龍谷中学校の吹奏楽部が受け持っている。

マスター甲子園を軸に、二組の父娘、夫婦愛などが描かれる。ハートウォーミングな作品である。
作品の舞台となった2012年から13年が経ち、映画が公開された2015年から10年が経ったということで、46歳だった川越学院OBの選手よりも今は私の方が年上になってしまった。そう考えると感慨深い。

野球は大好きだが、野球チームに入ったことはない。私の能力ではレギュラーになるのは無理だと分かっていたからだ。野球を嫌いになりたくなかった。
それでも打ったり投げたりは好きで、バッティングセンターにも機会があれば通う。ただ、今年の春に東京の神宮バッティングドームでピッチングを行ったが、抜けるか叩きつけるかで、ストライクを取るどころかゾーンにすら入らなかった。神宮バッティングドームには、前身の神宮バッティングセンター(北野武監督の「HANA-BI」でその姿を見ることが出来る)の頃から週2、3回のペースで通い、ストライクも取れたし、スピードも100キロ近く出た。だがもうピッチングは限界かも知れない。

酷暑により、続行は危険なのではないかと言われている全国高等学校野球選手権大会。「ドームでやれ」と簡単にいうが、札幌ドーム以外のドーム球場はプロ野球団の本拠地であり(札幌ドームは高校生が野球を行うには余りに過酷な環境である)、高校野球が開催されたとして、代替本拠地はどうなるのかという問題がある(阪神タイガースには「死のロード」があったが、今は京セラドーム大阪を代替本拠地とすることで過酷さはほぼなくなった)。そして使用料が掛かる。甲子園球場は全国高等学校野球選手権大会の前身である全国中等学校野球選手権大会のために建設された野球場(その他のスポーツ開催も前提とした甲子園大運動場の名でオープンしたが、その後、野球用に改められている。ただアメフトの甲子園ボウルやラグビーの試合などは行われる)であり、第1使用権も保持。ここで高校野球を行う歴史的根拠がある。「秋にしろ」というが、秋には長期休暇がないので授業を何日もサボって野球三昧という訳にはいかない。それに選抜を決める秋季大会と明治神宮大会、国体がある。「冬にしろ」と本気で言う人もいる。「サッカーやラグビーは冬にやっている」というが、サッカーやラグビーと違って野球は投手以外は動きの少ないスポーツである。体が冷えたところで横っ飛びでもしたら大怪我になりかねない。ということで高野連も冬季の試合を禁じている。それに冬には3年生はすでに引退している。
選手達は攻撃の間、クーラーの効いたベンチで休めるからいいが、吹奏楽やチアリーダーが大変という話があるが、4、5、6回は休みにするとか、1回おきに休みにするとかまだ対処法はありそうである。

「甲子園」という、世界で一つの文化的価値を考えさせられる映画でもあった。

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2025年8月24日 (日)

BS-TBS「JNNストーリーズ ラスト・ワルツ 踊る指揮者(マエストロ)井上道義」

2025年5月3日

録画してまだ見ていなかった、BS-TBS「JNNストーリーズ ラスト・ワルツ 踊る指揮者(マエストロ)井上道義」を見る。昨年12月30日で引退した指揮者の井上道義に密着したドキュメンタリー。先に北陸放送で放送され、その後、BS-TBSで全国放送されている。ナレーションは、妻が井上道義の親戚だという役所広司。役所広司は、井上の最後のコンサートの舞台裏に登場する。

1946年生まれの井上道義。育ての親は井上正義だが、実際の父親は、米軍のガーディナー中尉である。井上道義がそのことを知ったのは40歳になった頃だったようである。

井上は10年以上掛けて、両親のことを描いたミュージカル・オペラを作曲。上演する。
この曲を上演すれば自分のやることは終わるなと思ったそうである。


ショスタコーヴィチの楽曲に惚れ込んだ井上道義。複数のオーケストラを指揮して作成した「ショスタコーヴィチ交響曲全集」の帯には、「僕はもうショスタコーヴィチだ」と、レナード・バーンスタインがマーラーに対して語った言葉を真似たと思われるメッセージが載せられている。


生涯現役を貫く指揮者も多いが、井上は、「よぼよぼになって後ろ指さされる前に辞めたい」ということで、現役引退を決意する。

オーケストラ・アンサンブル金沢、新日本フィルハーモニー交響楽団、群馬交響楽団、札幌交響楽団、大阪フィルハーモニー交響楽団、京都市交響楽団、名古屋フィルハーモニー交響楽団と豊田市ジュニアオーケストラとの合同演奏、千葉県少年少女オーケストラ、山形交響楽団、読売日本交響楽団などとの共演場面が流れ、そのうち、群馬交響楽団、大阪フィルハーモニー交響楽団、京都市交響楽団、読売日本交響楽団とはショスタコーヴィチを演奏している。


尿路結石の再発で体調不良となる井上。私もよく通う兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールでの本番はキャンセル。第54回サントリー音楽賞でも出席はしたが、スピーチは代読、祝賀会も欠席している。復帰は、2023年の10月、高崎芸術劇場での群馬交響楽団とのコンサート。ここでもショスタコーヴィチが演奏されている。

札幌交響楽団とのkitaraでの演奏会では、オーケストラを円形に配置してラヴェルの「ボレロ」を演奏。最後の演奏会となった、読売日本交響楽団を指揮しての第54回サントリー音楽賞受賞記念コンサート(2024年12月30日)の最後の曲では、ショスタコーヴィチの「祝典序曲」をラストの演目に選び、終曲を自身のシンバルの一撃で締めるなど、最後まで独自の色を出す井上。アンコールなしと見せかけ、オーケストラ団員を引き上げさせてから再登場させ、武満徹の3つの映画音楽より「ワルツ」をアンコールで演奏する。途中、贈られた花束から花弁を取り出し、パッと撒き散らす、その後、花束と共にワルツを踊って、花束を客席に放り投げるというパフォーマンスを見せた。

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2025年8月22日 (金)

これまでに観た映画より(394) 「二十四時間の情事(ヒロシマ・モナムール)」

2015年8月11日

Amazon Prime Videoセルで、「二十四時間の情事(ヒロシマ・モナムール)」を観る。左岸派、アラン・レネ監督第1回長編作品。脚本:マルグリット・デュラス。出演:エマニュエル・リバ、岡田英次ほか。セリフはフランス語が主で、たまに日本語が入り、ラスト近くでは英語が用いられる。
制作は1959年で、舞台となっているのも1959年の広島だ。1945年8月6日の様子は、「ひろしま」など複数の映画から引用されている。

マルグリット・デュラスによるシナリオブックが出ているが、実際の映画とは趣が異なる。男の方は共産主義者で、言葉遣いにそれが出ているという記述があるのだが、映画の字幕を読んでいても、そうした感じは余り受けない。ただ職業が建築家で政治家、フランス革命に影響を受けたというところがかろうじてそれらしい。

新広島ホテルの一室で、男と女が体を重ねている。男の方は日本人の建築家、女の方はフランス人の女優である。女は広島を舞台とした反戦ものの映画を撮っていて、看護師の役を演じている。
男の声で「君は広島を知らない」、女の声で「いいえ、私は広島を知ってるわ」といったやり取りが続くが、これはアラン・レネの代表作「去年、マリエンバートで」を想起させる。病院での人形のような女性達も同様である。

男は広島に住んでいるが被爆はせず、ただし家族を失っていた。女は生まれ故郷のヌヴェールという県庁のある人口4万人ほどの小さな街で二十歳まで過ごしていたが、ドイツ兵と恋に落ちる。しかし、フランス解放軍に見つかり、ドイツ兵はロワール川の河畔で射殺、女はドイツ兵と関係を持ったとして丸刈りの刑にされ、晒し者になる。その後、女は実家の地下室に幽閉される。丸刈りの刑については、「愛と哀しみのボレロ」でも見ることが出来る。戦中のフランスでは、ドイツ兵と寝た女は娼婦として丸刈りにされて晒されたのである。

ずっと広島にいて欲しいという男と、明日の朝、広島を発つという女。男は女の撮影場所に現れ、その後もカフェに入るなど行動を共にする。そして二人で男の自宅を訪れる。
夜(1959年の広島には、低いがタワー建築があったようである)、女は新広島ホテルに戻るが、再びカフェへと出掛け、男と再会する。翌朝、女は広島駅から電車で広島を離れようとするが、直前に改札口を出て、新広島ホテルに向かう。男もタクシーで女を追いかける。
それぞれが互いの場所であることを認識する二人。人間は忘れるが、都市は忘却し得ない。複数の人間による記憶の重層性を突いているようでもある。

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2025年8月20日 (水)

これまでに観た映画より(393) 井上ひさし原案・山田洋次監督・坂本龍一音楽・吉永小百合&二宮和也主演「母と暮せば」

2025年8月9日

ひかりTV見放題で、日本映画「母と暮せば」を観る。山田洋次監督作品。当初は、劇作家・小説家の井上ひさしが、「戦後命の三部作」の第2作として書き上げる予定だったが死去したため、井上が付けたタイトル「母と暮せば」そのままに山田洋次がシナリオとして描き上げている。なお、この作品は後に舞台化され、びわ湖ホール中ホールでの上演を観ている。

出演:吉永小百合、二宮和也、黒木華、加藤健一、浅野忠信、広岡由里子、本田望結、小林稔侍、辻萬長、橋爪功ほか。
音楽:坂本龍一。

冒頭はモノクローム。米軍の爆撃機が、雲の多い小倉を避け、長崎に標的を変えるところから始まる。長崎も雲は多めだったが、午前11時2分、雲間が広がり、原爆は投下された。
その頃、福原浩二(二宮和也)は、官立長崎医科大学(後の国立長崎大学医学部)で、川上教授(橋爪功)の講義を受けていた。だが、光が射して一瞬で闇になり……。

3年後、1948年8月9日。浩二の母親である伸子(吉永小百合)は、坂の上にある自宅で祈りを捧げていた。伸子はクリスチャンの助産婦である。自宅は原爆の影響も余り受けず、被害も少なかったようである。背後の階段に人影が。見ると3年前に亡くなった浩二が座っていて。

母と息子の対話でまず話題になるのは、浩二が生前に思いを寄せていた町子(黒木華)のこと。生前の浩二は、町子を二階の自室に招き、メニューインの弾くメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲などを共に聞いていた、浩二は音楽鑑賞の他にも映画などを好み、指揮者になりたいという憧れもあった。兄(出てこない)から「お前は理系に行け」と言われたので、現実的な進路として医学部を選んだのだが、原爆によって全ては幻となった。

その町子は師範学校に進み、小学校の教師になっていた。今でも伸子の家にしょっちゅう寄っているが、伸子は「新しい人を見つけた方が」と勧めるのであった。


現実的に考えれば吉永小百合は二宮和也の母にしては高齢であり、余り親子らしくはない。ただ吉永小百合ありきでの作品なので、彼女の実年齢に合わせた話となると、範囲が狭くなってしまうだろう。

吉永小百合はまず心情を作ってからセリフを発するタイプで、慎重な演技を行っている。
二宮和也は説明のための長ゼリフも多いが、長ゼリフの方が短いセリフよりも話しやすいようにも見えた。

坂本龍一のオリジナル・サウンド・トラック盤は映画が公開する前に買っており、押しつけがましさの一切ないピアノ曲などを楽しんでいたが、合唱がラストで使われており、効果的である。

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2025年8月15日 (金)

コンサートの記(912) 広島交響楽団 2025 「『平和の夕べ』コンサート 被爆80周年 Music for peace ダニール・トリフォノフとともに」大阪公演 クリスティアン・アルミンク指揮 石橋栄実(ソプラノ)

2025年8月7日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、広島交響楽団 2025「『平和の夕べ』コンサート 被爆80周年 Music for Peace ダニール・トリフォノフとともに」を聴く。
毎年、原子爆弾が投下された8月に行われる広島交響楽団「平和の夕べ」コンサート。一昨日、広島での公演があったが、今年は被爆80周年というここで特別に、今日は大阪、明日は東京でも同一プログラムによる演奏会を行うことになった。

指揮は広響音楽監督のクリスティアン・アルミンク。曲目は、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番(ピアノ独奏:ダニール・トリフォノフ)とマーラーの交響曲第4番(ソプラノ独唱:石橋栄実)。マーラーの交響曲第4番はマーラーの交響曲の中では一番短いが、それでも1時間近く掛かり、大曲が並ぶ。このプラグラムを三回連続で演奏するのだから、広響のメンバーも体力が試される。

日本のオーケストラではスタンダードなドイツ式の現代配置での演奏。コンサートミストレスは北田千尋。

 

1階のホワイエには、Akiko's Piano(明子さんのピアノ)が置かれ、ショパンの「別れのワルツ」やドビュッシーの「月の光」などポピュラーな演目が弾かれていた。また、休憩時間には調律師による説明があった。
Akiko's Pianoは広島では、元安川沿いのレストハウス(被爆建築)内に常設展示されているのだが、保温保湿を含めた保存のためガラスケースに収められている。今日は遮蔽物なしで見ることが出来た。

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新日本フォルハーモニー交響楽団の音楽監督時代に知名度を上げたクリスティアン・アルミンク。ウィーン生まれ。小澤征爾の弟子の一人として知られる。ベルギー王立リエージュ・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督時代には日本ツアーを行い、京都コンサートホールでも指揮を行っている。昨年、下野竜也音楽総監督の後任として広島交響楽団の音楽監督に就任。すでに広響とのライブ音源がリリースされている。

 

ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。ソリストのダニール・トリフォノフは、2010年のショパン・コンクールで第3位入賞、2011年のルービンシュタイン国際ピアノコンクールとチャイコフスキー国際コンクールのピアノ部門で優勝し、注目を浴びた。
非常に明晰な音を出すピアニストであり、一音一音がクッキリ聞こえる。
どちらかというとウエットなピアニストなのだが、ウエットでありながらクリアという相反する要素を高いレベルで止揚することが可能なようだ。
さて、京都市交響楽団のジュヴィちゃん(広島交響楽団から移籍)が音楽界の七不思議の一つに挙げていたが、「広島市には音楽専用ホールがない」のである。平和公園の周辺に6つほどホールがあるのだが、全て多目的である。旧広島市民球場跡地の整備計画では、旧広島市民球場の北の空き地に音楽専用ホールを建てる計画もあったのだが、広島東洋カープを見ても分かるとおり、広島はスポーツ文化が強く、サンフレッチェ広島の新スタジアムが建つことが決まり、すでに完成して運用されている。音楽専用ホールが建つ計画はない。
広島市のライバル的存在である岡山市にはクラシック音楽専用の岡山シンフォニーホールがあり、オペラなども上演出来る岡山芸術創造劇場“ハレノワ”が新設されていて、芸術のハード面においては広島をリードしている。

そんな中で、日本初のクラシック音楽専用ホールであるザ・シンフォニーホールで演奏する広響。
冒頭の響きはかなり渋めだったが、そこから明度を上げていく。弦も管も力強く、アルミンクの棒の下、一体となった演奏が奏でられた。

 

トリフォノフのアンコール演奏は2曲。いずれもチャイコフスキーの「子供のアルバム 24のやさしい小品」からの曲で、第24曲の「教会で」と第21曲の「甘い夢」が取り上げられる、曲調は好対照であったが、いずれも粒立ちの良いピアノであった。

 

後半、マーラーの交響曲第4番。ソプラノ独唱は石橋栄実(えみ)。大阪府東大阪市に生まれ、大阪音楽大学と同音大専攻科に学び、堺市内にあるホールでオペラデビュー。そして現在は大阪音楽大学の教授と、一貫して大阪を拠点にし続けている人である。勿論、東京など他の都市や海外でも歌うが、本拠地は大阪のままである。インタビューを聞いたことがあるが、「大阪に生まれてずっと大阪で育ってきたので、大阪で生きるのは自然なこと」といったような内容であった。
鈴の音が鳴り、ヴァイオリンが少し溜めを作ってから入る。アルミンクは小澤征爾の弟子なので、レナード・バーンスタインの孫弟子ということになるのだが、レナード・バーンスタインの直弟子である広上淳一が、アムステルダムでこの曲に取り組んでいた時に、鈴の音が止んでからすんなり弦を歌わせたところ、バーンスタインから駄目出しを受けた。バーンスタインは、「鈴の音はマーラーが子どもの頃に好きだった馬車の音。そこから思い出の世界に入るので、すんなり移行してはならない」という意味の言葉を語ったと思うが、小澤もバーンスタインに学び、アルミンクが小澤に学びということでこうした解釈が受け継がれているのかも知れない。
広島交響楽団はスケールが大きく、中身の濃い演奏を展開。トランペットなどは特に気持ちよさそうに吹いていたが、普段は音の伸びない会場で吹いていて今日は日本屈指の音響を誇るザ・シンフォニーホールでの演奏ということで、自分で吹いている音も違って聞こえるのかも知れない。

第4楽章に入る直前に石橋栄実が、舞台下手側から登場。中央に向かって歩いて行く。
そして第4楽章。石橋の歌声は、やや小ぶりだが、透明感があって聴く者の耳や心を洗い清めるかのよう。アルミンク指揮の広響も天国的な美しさと「目覚めよ」というかのような喧噪を的確に表していた。

 

予め決められたプログラムが長いので、今日はオーケストラのアンコール演奏はなしかと思われたが、石橋栄実の独唱付きでリヒャルト・シュトラウスの「明日!」が伸びやかに歌われた。

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2025年8月14日 (木)

これまでに観た映画より(392) 「ひろしま」

2025年8月6日

Amazon Prime Video シネフィルWOWOWで、日本映画「ひろしま」を観る。1953年の作品。原爆に襲われた1945年8月6日からの数日間の広島の街と、それから7年後(1952年)の広島市が描かれる。関川秀雄監督作品。音楽:伊福部昭。古い映画なので、映像、音声共に経年劣化しており、ライトの明滅で目がチカチカしたり、高音が再生されず聞こえないので何を言っているのか分からない場面もある。

1952年のパートの主役は高校の英語教師である北川(岡田英次)。この時代の広島の高校は男女共学になっているが、教室の教壇に向かって右側に女子が、向かって左側に男子が共に集団で座っており、現在の一般的な共学のように男女バラバラというわけではないことが分かる。北川は広島原爆に関するラジオを生徒達に聞かせているのだが、生徒の大庭みち子(町田いさ子)が、鼻血を流すなどして倒れてしまい、保健室に運ばれる。みち子もまた被爆者であった。北川はどうも広島以外の場所から赴任したらしいことが分かるのだが、高校の生徒は3人に1人が被爆体験を持っているようだ。
その後、みち子は被爆が原因と思われる白血病で亡くなる。

そして時代は遡って広島の原爆(ピカ)投下直後の広島の地獄絵図が描かれる。逃げ延びようとする人々の中で、月丘夢路、山田五十鈴などが熱演を繰り広げている。
広島市民延べ8万8千500人がエキストラとして参加しており、かなり力の入った作品である。セリフがある人も役者ではなくエキストラが多いと思われる。セリフは標準語で書かれているが、広島弁で喋るシーンにはアドリブがある可能性が高そうだ。
原爆投下直後の場面は文章では表現しきれないものであり、実際に映画を観ていただくしかない。

伊福部昭の音楽は、民族音楽的なもの、宗教音楽的なものなどバラエティに富んでいる。この映画は音楽が流れている時間がかなり長い。

素人を大量導入ということで、原爆直後の場面では、「戦艦ポチョムキン」を意識したような絵作りが続くのも興味深いところである。

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2025年8月 6日 (水)

これまでに観た映画より(391) アニメーション映画「この世界の片隅に」

2025年7月28日

ひかりTVレンタルで、アニメーション映画「この世界の片隅に」を観る。戦前、戦中、戦後直後の広島県呉市と広島市を舞台にした戦争映画である。昨日、TBSの連続ドラマを見終えたばかりだが、作品の長さが異なるということで、印象もまた異なる。原作:こうの史代。複数の賞やトップ1を獲得した漫画である。監督:片渕須直(かたぶち・すなお)。
声の出演:のん、細谷佳正(ほそや・よしまさ)、小野大輔、尾身美詞(おみ・みのり)、稲葉菜月、潘(はん)めぐみ、牛山茂、新谷真弓、岩井七瀬、小山剛志(こやま・つよし)、津田真澄(女性)、大森夏向ほか。音楽:コトリンゴ。
上映時間130分にまとめられているため、北條家の近所付き合いの描写はほとんどない。

のんが声優として主役に挑んだことが話題となった作品でもあるが、個人的には80点前後。素朴さや「おぼこい」感じが出ている一方で、場面に合っていないのではないかと感じられるところもある。ただ彼女の声が持つヒーリング効果は心地よい。

淡々とした日常描写に、逆に戦時下のリアリティがあり、それが呉軍港爆撃や広島原爆の悲惨さと対比される。

より重点的に描かれるのは、すずが描く絵で、描写は上手い。もし戦争がなかったら、女子美術学校(女子美術大学の前身。戦前は東京美術学校のような官立の美術学校には男子しか入ることが出来ず、それを憂いて創設されたのが私立の女子美術学校であった)などに行って絵の道を深める手段もあったのかも知れない。
また時折、西洋の名画へのオマージュと思われる場面が現れる。また、ばけもんや座敷童など、この世界のものではないものが登場するが、いずれもすずの想像の産物である可能性が高く、彼女の性質と、「この世界の片隅」に掛かっているようでもある。
右手をなくしてしまったことで、絵はもう描けなくなってしまったすずだが、これまで通りの北條家での生活を望むのであった。

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2025年8月 3日 (日)

コンサートの記(911) 山形交響楽団特別演奏会「山響さくらんぼコンサート」2025大阪@ザ・シンフォニーホール オッコ・カム指揮 オール・シベリウス・プログラム

2025年6月20日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、山形交響楽団特別演奏会「山響さくらんぼコンサート」2025を聴く。

田舎の楽団というイメージからブランドオーケストラへと変貌した山形交響楽団。毎年、東京と大阪で行う「さくらんぼコンサート」も大好評である。

今回は、フィンランドの名匠、オッコ・カムを指揮台に迎え、オール・シベリウス・プログラムによる演奏を行う。

次から次へと指揮者を生み出すフィンランド。先日もNHK交響楽団の大阪公演の指揮者に、フィンランドの女流若手、エヴァ・オリカイネンが決まったばかりだが、まさに世界に冠たる指揮者大国である。彼らが皆、シベリウスを指揮するので、シベリウス作品の演奏回数も上がり続けるということになる。

オッコ・カムは、フィンランド人指揮者が本格的に世界に台頭し始める時代の指揮者である。フィンランド出身の名指揮者はそれまでもいたが、フィンランド国内での活動が多く、諸外国に名が知れ渡ったフィンランド人指揮者はまだいなかった。
カムは、実は指揮を指揮者に師事したことはない。1946年、ヘルシンキ生まれ。シベリウス・アカデミーではヴァイオリンを専攻し、ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団の第2ヴァイオリン奏者、フィンランド国立歌劇場管弦楽団コンサートマスターなどを務める。この間、指揮を独学で身に着け、1969年の第1回カラヤン国際指揮者コンクールで優勝。だがこれが落とし穴であった。演奏はベルリン・フィルハーモニー管弦楽団が手掛けたが、ベートーヴェンの交響曲第4番を指揮したカムの棒が拙いので、いつも演奏しているカラヤン指揮の流儀で勝手に演奏してしまったというのが真相らしい。
表彰式では、「指揮の素人に近い若者が、マエストロ・カラヤンその人が指揮したようなベートーヴェンを奏でた」と称賛されたが、ベルリン・フィルのメンバーは当然、冷ややかだったという。優勝者には、ベルリン・フィルを指揮してのコンサートの他に、ベルリン・フィルを指揮してシベリウスの交響曲第1番から第3番までの3曲を録音する特典が与えられていた。だが、ベルリン・フィルは交響曲第2番の録音には応じたものの、第1番と第3場に関しては拒否。カムとレコーディング会社のドイツ・グラモフォンは、仕方なくヘルシンキ放送交響楽団(現・フィンランド放送交響楽団)との共演を音盤に収めた。そしてカムとベルリン・フィルのコンサートは失敗に終わる。
その後カムは低迷期に入るが、これに関しては、「若いうちに成功することは、その後のキャリアに却って妨げとなる場合がある」と述べている。
祖国の最高峰のオーケストラであるヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督になってから、来日してシベリウスの交響曲全曲を渡邉暁雄と振り分けて話題になる。この音源は21世紀に入ってから、東京FMとTDKの協力により音盤としてリリースされた。
日本のオーケストラにも数多く客演しており、京都市交響楽団と共演したことも何度かあるが、特に日本フィルハーモニー交響楽団への客演が多く、CDもリリースしている。私が初めてシベリウスの交響曲第2番を生で聴いたのもカムの指揮する日本フィルハーモニー交響楽団で、東京芸術劇場大ホール(現・コンサートホール)においてであった。カムの解釈も見事だったが、日フィルもシベリウスを演奏する時はスーパーオーケストラに変わり、初めて「シベリウスが分かった」と感じたのもこの時である。
北欧中心の活躍が続くが、2011年、オスモ・ヴァンスカによって鍛えられ、世界最高峰のシベリウスオーケストラとなっていたラハティ交響楽団の音楽監督に就任。東京オペラシティコンサートホール“タケミツ メモリアル”でシベリウス交響曲チクルスを行い、私も全曲を聴いている。輝かしい音を放つラハティと成熟したカムの指揮が見事にマッチしていた。
ラハティ退官後は客演指揮者として活動。特に山形交響楽団とは好評を得ている。

 

曲目は、「鶴のいる光景」、ヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:神尾真由子)、交響曲第2番。カムの希望により「鶴のいる光景」とヴァイオリン協奏曲は続けて演奏される。

 

コンサートマスターは、髙橋和貴。チェロが客席側に来るアメリカ式の現代配置をベースにした演奏。ティンパニは指揮者の正面ではなく、後段の楽器の中でも最も上手側におかれる。

 

演奏開始前に、山形交響楽団の西濱秀樹専務理事によるプレトークがある。西濱専務登場と同時にパラパラとした拍手。西濱専務は、「あれは誰なんだろう? という拍手をありがとうございます」。そして、山形交響楽団の創立名誉指揮者である村川千秋がシベリウスの曲を何度も取り上げているということを紹介した。
その後、山形市に本社のある豆のでん六のゆるキャラ、でんちゃんが登場。付き添いの女性が、「関西ではでん六の知名度は低いかも知れませんが」と言いつつ商品を紹介した。今は山形限定のさくらんぼ味が好評だという。ちなみにホワイエでは山形物産展が開かれており、でん六豆さくらんぼ味も売られていた。以前、買って食べたことがあるが美味しいお菓子である。

続いて、山形県のオレンジ色の法被を着た神尾真由子とオッコ・カムが登場。神尾真由子はでんちゃんの真似をして手をばたつかせて登場。オッコ・カムも仕方なく真似ていた。大阪出身の神尾真由子は、12歳の時にラロの作品を弾いて、ザ・シンフォニーホールデビューしたのだが、参考にしたCDにラロのカップリングとしてシベリウスのヴァイオリン協奏曲が入っており、「ラロよりこっちの方が良い」と思って、練習し、レパートリーに加えたそうだ。
オッコ・カムへのインタビュー。神尾真由子が通訳を務める。「交響曲第2番のいいところは?」との質問に、「なんで今から演奏するのに説明しなきゃいけないんだ?」と答えるが、「帝政ロシアの傘下にあった時代にフィンランドへの愛国心を歌い上げた珍しい作品」と解説した。
「山形交響楽団の長所は?」に「全てのパートが優れている」と答えたが、西濱専務によると「打ち合わせと全然違う」そうで、神尾真由子がもう一度聞き直して、「成熟したワインのような」味わいがあると述べていた。

 

「鶴のいる光景」
クラリネット二本が鶴の声を模すが、今回はクラリネット奏者二人を立たせての演奏であった。山形交響楽団の響きも北欧音楽に似つかわしく、技術も高い。雰囲気も豊かである。

 

ヴァイオリン協奏曲。黒のドレスで登場した神尾は、繊細で艶のある音を聴かせる。やや暗めのトーンを出すこともある神尾だが、今日のヴァイオリンは輝かしく、細部まで神経が行き届いている。
山形交響楽団の伴奏も神秘的かつ力強く、理想的な伴奏を築き上げていた。

神尾真由子のアンコール演奏は、お得意のパガニーニの「24のカプリース」から第5番。今日も超絶技巧を披露した。

 

交響曲第2番。
冒頭から雰囲気豊かであり、木管の音色も冴えている。金管も力強いが、威力任せではなく、堅固な音の像を作り上げる。
演奏としても解釈としても最もスタンダード。理想的なシベリウス演奏の一つである。
第4楽章の解釈は、先に話したように凱歌。暗い部分はあくまで経過句という解釈のようである。

山形交響楽団も日本フィルハーモニー交響楽団同様、「シベリウスは当団の柱」というプライドが伝わってくる。

 

なお、来場者全員に、東根さくらんぼ数個と、さくらんぼコンサート大阪の協賛企業である森下仁丹の甜茶飴が無料で配布された。

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2025年8月 2日 (土)

コンサートの記(910) マティアス・バーメルト指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第589回定期演奏会

2025年6月13日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第589回定期演奏会を聴く。元々はロシアの名匠、ウラディーミル・フェドセーエフが指揮台に立つ予定だったが、フェドセーエフは1年ほど前から指揮活動を行っておらず、今回の大フィルと広響への客演はキャンセルとなった。フェドセーエフは、92歳と高齢だが、フェスティバルホールのホワイエで、大フィル事務局長の福山修氏が行っているプレトークサロンでは、「病気ではない」とのことだった。ただ高齢のため、エネルギーに波があり、今は指揮するのは難しいとドクターストップか掛かっているとのことである。

フェドセーエフは、以前も大フィルの定期をキャンセルしたことがあり、その時は、井上道義が代役を務めている。
今回代役を務めるのは、昨年の3月まで札幌交響楽団首席客演指揮者を務めていたことでもお馴染みのマティアス・バーメルト。京響への客演経験もあり、録音も多く、私が初めて買ったアントニオ・サリエリのCDはバーメルトが指揮したものであった。このことから分かる通り、レパートリーはとても広い。スイス生まれ、作曲をピエール・ブーレーズとカールハインツ・シュトックハウゼンに師事。オーボエ奏者として活動したのち、アメリカに渡ってクリーヴランド管弦楽団の音楽監督だったジョージ・セルに指揮を習い、レオポルト・ストコフスキーにも師事。セルの後任であるロリン・マゼールが音楽監督を務めていた時代のクリーヴランド管弦楽団で常任指揮者として活動している。祖国のバーゼル放送交響楽団や、ロンドン・モーツァルト・プレイヤーズの音楽監督も務めた。広上淳一が音楽監督を務めるマレーシア・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者だったこともある。


曲目は、グラズノフのバレエ音楽「四季」とチャイコフスキーの交響曲第1番「冬の日の幻想」。フェドセーエフが決めたものから変更なしである。

グラズノフの「四季」は、比較的取り上げられやすい曲ではあるが、プレトークサロンで、福山さんの、「『四季』を生で聴かれたことがあるという方」との問いの挙手したのは、私を含めて2、3人であった。私は2018年にアレクサンドル・ラザレフの指揮による京都市交響楽団の定期演奏会で聴いている。ラザレフが実に楽しそうに指揮していた。

なお、大フィルの音楽監督である尾高忠明は、BBCウェールズ交響楽団を手兵としていた時代に「グラズノフ交響曲全集」を作成している。これは名盤であるが、残念ながら尾高さんの指揮でグラズノフの交響曲を演奏しても客は入らないだろう。現状ではグラズノフの知名度は日本では低いので、ロシア人指揮者が何かの折に取り上げたりしない限り、生で聴きたいという人はなかなか現れないと思われる。
ちなみにグラズノフはラフマニノフの天敵なので、グラズノフとラフマニノフのプログラムによる演奏会を行うと、演奏会場に足を運ぶ人がいるかも知れない。
ただ、ラフマニノフは日本で屈指の人気作曲家であるため、敵役となったグラズノフの人気が上がる可能性は低い。

今日のコンサートマスターは崔文洙。フォアシュピーラーに須山暢大。ドイツ式の現代配置での演奏である。第2ヴァイオリンが全員女性ということも多い大阪フィルだが、今日は客演に男性奏者1人入った。正楽団員は全員女性である。ヴィオラ、チェロ、コントラバスの客演奏者も1人を除いて女性である。関西のオーケストラは、東京のオーケストラと比べて女性の比率が高いように思う。


グラズノフのバレエ音楽「四季」。冬に始まり秋に終わるという独自の構成。
ロシア人の指揮者だと、お国の誇りの音楽だけあって、威勢よく演奏したりするが、バーメルトはスイス人で、師事した作曲家や指揮者を見れば分かる通り、客観的で分析的な解釈を行う。煌びやかな音を優先させた美演であるが、チャイコフスキーや師であるリムスキー=コルサコフ、そしてワーグナーからの影響が的確に示される。
バーメルトの指揮棒は振り幅が小さく、無駄な動きをなるべく避けているようだ。


チャイコフスキーの交響曲第1番「冬の日の幻想」。チャイコフスキーの交響曲は前期の3曲と後期の3曲とでは作風が大きく異なるが、チャイコフスキーは自身の初めての交響曲が気に入って、何度も改定しているそうである。
後期3大交響曲に比べると面白さでは劣るが、第2楽章における懐旧の念(25歳の時に作曲を初めて28歳の時に完成させた曲なので、懐旧といってもそれほど昔ではないと思われるが)や第3楽章の嘆きの表情など、巧みな描写があり、バーメルトと大フィルもそれをしっかりとした音に変えていく。
第4楽章は大いに盛り上がる。これまで指揮棒のビート幅は小さめだったが、ここでは右手を大きく動かし、ステップのようなものも踏む。
カーテンコールで、バーメルトは各パートを立たせ、いったん引っ込んで再び登場してオーケストラ団員に「立て! 立て! 立て!」という仕草をするが、大フィルの団員達は拍手で称え、バーメルト一人が喝采を浴びた。バーメルトは両手を右頬に付け、「おやすみなさい」のポーズをしてコンサートはお開きとなった。

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2025年8月 1日 (金)

久石譲 「Summer」(Official Short Film)

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