追悼・栗塚旭 これまでに観た映画より(401) 「燃えよ剣(土方歳三 燃えよ剣)」
2025年9月21日
先日亡くなった栗塚旭追悼ということで、主演映画「燃えよ剣」を観る(公開時のタイトルは「土方歳三 燃えよ剣」)。1966年、松竹の制作。栗塚の代表作である。今では土方歳三役というと、大河ドラマ「新選組!」と箱館での土方を描いたそのスピンオフ、朝ドラ「あさが来た」などで、計7回も土方を演じている山本耕史がまず頭に浮かぶと思うが、その前は土方歳三役といえば栗塚旭であった。テレビドラマでも土方を何度も演じたのだが、それらは映画とは異なり、配信などで見ることは出来ない。
原作は司馬遼太郎の小説『燃えよ剣』。それまで新選組不動の一番人気は近藤勇であったが、この小説によって土方がトップに躍り出たという伝説の作品である。ただ新選組に関しては史料が少ないためフィクションの部分が多く、私は余り好きではないし、『竜馬がゆく』や『峠』などに比べても完成度では落ちると思われる。なお、「燃えよ剣」は、数年前に岡田准一の土方で新たな映画が撮られているが、そちらは観ていない。
司馬遼太郎の『燃えよ剣』は、比較的厚めの文庫本2冊からなるため、そのまま1時間半の映画に収めることは不可能で、小説と映画は別物である。
監督:市川泰一。脚本:加藤泰ほか。主演:栗塚旭。出演:和崎俊哉、石倉英彦、小林哲子、高宮敬二、戸上城太郎、天津敏、北村英三、内田良平ほか。ナレーション:芥川隆行。
元田中にアトリエを構えていた京都の新劇の劇団、劇団くるみ座(21世紀に入ってから座員不足のため解散)が全面的に協力している。ちなみに私は、元くるみ座の女優さんと知り合いである。おばあちゃんだけど。
土方歳三が江戸の試衛館道場から、日野の実家に帰る途中が物語の開始である。土方は男前なので橋を渡るときに百姓娘に冷やかされる。橋を渡り終えた直後、道楽者の若い武士と女郎の若い女が駆け落ちを図るも村人達に見つかって窮地に追い込まれている場面に出くわす。土方は、「穀潰しは好きじゃない(武士と言えば聞こえはいいが、太平の世では生産性皆無で禄を食む遊民のようなものであり、土方は本来の意味とそちらと二重の意味で言っていると思われる)」と言いつつ、武士が殺されると女を守るために百姓相手に大立ち回りを繰り広げる。その際、土方は肩に担いでいた真剣で農民に斬りつけて、長老格の男性からとがめられている。土方は真剣の他に農民から奪い取った長くて丸い武器を持っている。新選組の剣法である天然理心流は竹刀よりも真剣と同じ重さの木刀で稽古することが多かったので、木刀だと思われるのだが、棍棒のようにも見える。あるいは藁を束ねて何かで外に巻いたものか。叩き付けたときにたわむなど柔らかいので吉本新喜劇の乳首ドリル棒も思い浮かぶ。本当の木刀で斬りつけたら役者が大怪我をするのでこの辺は見逃すべきであろう。
土方が里帰りしたのは、その日が日野の神社の年に一度の大祭だったからだ。この祭りは夜祭りで、神社の草叢で多くの百姓階級の男女が野合に及ぶ。
その夜、土方が神社の本殿の横を歩いていると(この場面は経年のためか見づらい映像になっている)、般若の面を被った女と出くわす。普通だったらそんな頭のおかしそうな女は無視して通り過ぎそうなものだが、土方は余程女好きなのか、女を抱きしめる。女の面が外れ美しい輝く。二人はそのまま……。
土方が日野に帰る途中に大立ち回りをした直後、八王子百人同心が日野の道場を破りに来たという情報を得て、土方はその足で佐藤彦五郎の家に向かっていた。ここが日野における天然理心流の道場となっている。天然理心流はメジャーな流派ではなく、江戸ではなかなか門人が集まらない。そこで多摩地方まで出稽古を行って門人を増やしていた。八王子の同心達はそれが気に食わなかったのだと推測される。道場破りに来たのは二人。道場主の比留間(ひるま)と六車(ろくしゃ)という若い男である。天然理心流四代目宗家の近藤勇が日野まで出稽古に来ているという噂を聞きつけて来たらしい。近藤は「天然理心流は実践的な剣法で、竹刀で戦うと弱い」という意味のことを説明し、他の者も百姓相手の田舎剣法なので「八王子の同心の島を荒らすことはない」といった意味のことを述べるが、六車は竹刀での戦いを挑む。
土方が名乗りを上げる。小手で六車が勝ったように見えたが、近藤は、「真剣だったら小手を決める前に、顔中と尻を斬られてる」と語る。「だが、尻に一本てのは(剣道ではねえなあ)」ということで六車の勝ちとなる。納得のいかない土方は近藤と土手の上を歩きながら「真剣なら絶対に自分が勝っている」と力説する。近藤も分かっているのだろうが、真剣で立ち合いという訳にもいかない。
翌朝、土方の姉が女の道具を土方の部屋で見つけ、それが神官の娘である佐枝のものであることに気付く。女の正体を知った土方はその夜に神官の家に忍び込み、道具を返して佐枝と抱き合う。
塀を乗り越えて帰る際、土方は見張っていた六車に声を掛けられる。「夜這い剣法」などとからかわれた土方は、六車と真剣で対戦。惨殺する。それが土方初の本格的な人斬りであった。
六車と戦った場所で真剣で素振りをしていた土方を見つけた佐枝は、「歳三さん」と呼ぶ。二晩だけのほぼ無言の相手だったため、「どうして俺の名前を知ってるんだ」と土方はいぶかるが、佐枝はそれには答えず、「やはり斬ったのはあなたなんですね」と素振りをしていただけなのに見抜く。
八王子同心が小石川柳町の試衛館(試衛館という名前は史料には出てこず、試衛とあるだけなのだが、「試衛」だけでは道場らしくないので、「他の道場には『館』が付く」ということで取りあえず試衛館と呼ばれている。また試衛館の跡地が特定されたのは最近で、最寄り駅の名前から市ヶ谷と呼ばれることが多い)に押し寄せ、七里研之助(しちり・けんのすけ。「燃えよ剣」の重要人物だが、司馬が創作した架空の存在である。演じるのは内田良平)が六車に代わって土方と対戦。竹刀での対戦だったが、土方が強いことが分かる。だがそれは正統的な太刀筋ではなく、すねを斬るなど卑怯な剣法である(天然理心流は頸動脈を切って絶命させるというとどめの刺し方まで教える残忍さを持つ)。七里は、「すね斬り剣法」と呼び、六車が数人がかりで殺されたという同僚の推理は誤りで、土方一人が斬りまくったのだと見抜いた。
その夜、七里が馬を駆って試衛館の門前に来て決闘を申し出る。刻限は明日の夕刻、分倍河原に架かる橋の上にて。その夜、分倍河原(今は東京都府中市の地名として知られている。古畑任三郎の自宅があることで有名)の河原を歩く土方と沖田。原作ではここで尾籠な話があって笑えるのだが、勿論、映画でそんなものを撮るわけにはいかない。
試衛館方は約束通り二人だが、七里の方は大人数。だが土方も沖田もそれを読んでおり、阿修羅の如く戦う。土方の映画なので土方を演じる栗塚の殺陣が中心で沖田は余り目立たないが。
七里は土方への復讐を誓う。
その後、舞台は京都へと移る。清河八郎(本名:斎藤正明)の案による浪士組に試衛館の面々は応募。中仙道を西に向かう。天然理心流宗家である近藤も浪士組では平隊士。一方、昼間から瓢箪徳利を仰いで酒を飲んでいる芹沢鴨ら水戸の一派は扱いが上である。沖田総司はそれが不満だが、この映画では芹沢鴨は水戸の天狗党に参加し、名を挙げているため仕方ないという結論になる。芹沢鴨の正体については今も詳しくは分かっていない。中世には芹沢城の城主を務めたという名家の出身とされるが、現在の芹沢家の人々も鴨との関係については把握し切れていないようである。近藤は芹沢について、「元の名は下村嗣司といい、水府(水戸)脱藩」と記している。芹沢家から下村家に養子に出された者はいるそうで、それが鴨かどうかは分からないが下村嗣司という人物が実在し、天狗党に参加したことが分かっている。が、斬首されたことが確実視されている。斬首された人物が生きている訳もないので、近藤の記述とは異なり、芹沢鴨と下村嗣司は別人と考えるほかない。という訳で謎だらけの人物である。芹沢には平間重助というお付きの老人がおり、殿様とまでは行かないまでも良家の出らしいことは分かる。
芹沢が残した有名な和歌がある。「雪霜に色よく花の魁けて散りてものちに匂ふ梅が香」というものだが、かなり出来が良い。新選組に詳しい人に、「梅が香」というのは藤田東湖を詠んだものだろうと教わったが、平安時代に雪や霜が梅に例えられたことは、『古今和歌集』や『新古今和歌集』などを読んだことのある人でないと知らないはずで、詠めない歌でもある。かなりの教養人であったことは間違いない。
また松平容保公や清河八郎と知り合いだったという話もあり、どこまでが本当なのか分からないが、不可思議な人物である。
この映画は、土方歳三が主役なので、芹沢の扱いは低いが、新徳寺での清河八郎の「江戸に戻って攘夷の先駆けとなろう」という提唱に近藤や土方が反発し、京に残ることに決めた際、芹沢も残そうと話したのは、この映画では他ならに土方であり、「芹沢なら会津守護職(京都守護職の松平容保)と引きがある(縁がある)」と、司馬の原作にはなかったはずの「容保公と芹沢は知り合いだった説」を打ち出している。史実でも瞬く間に松平肥後守御預となっているが、これは容保公がよく知る人物が浪士の中にいないと無理かも知れない。ただその後、それとは矛盾した「土方の奔走により新選組結成」というナレーションが入る。芹沢はどうしたのかと思うが、土方の映画なので土方の手柄にしないとまずいのだろう。
ちなみにこの映画の芹沢はかなり弱く、あっという間に刺殺されている。罪状は「士道に背いた」からであるが、「一、士道に背くまじきこと」で始まる「局中法度」は史実通り芹沢粛正後に定められたことになっているので矛盾している。「局中法度」については、永倉新八が、「そのようなものがあったのは覚えているが、内容は覚えていない」と証言しており、実在したかどうかは不明。だが、永倉が覚えていないということは、あったとしても幹部ではなく平隊士向けだったのだろう。
その他の水戸派の人々も弱い人物として描かれ、新見錦は、切腹も自分一人では出来ない臆病者ということになっている(新見錦が「新選組局長」を名乗る場面があるが、史実ではその少し前に「なんらかの理由」で局長から副長に降格となっている。なのでこのセリフは厳密には誤り。ただ史実を述べていくと切りがない)。
芹沢と清河が知り合いだったという話は今の茨城県の水郷地帯に残っており、清河が天狗党時代の芹沢を訪ねてきて「芹沢先生」と呼んだというものだが、これが何を意味するのか分からない。清河八郎というと今でこそ「うさんくさい奴」「策士」というイメージしかないが、生前は江戸で学問と武道の両方の道場を開き、一廉の人物として幕府からも信用されていた。
この映画では、芹沢が清河を切り損ねるシーンがあるが、史実では新徳寺で激怒した浪士の一部が清河を斬ろうと探るも、それを逃したのが芹沢である可能性も高いように思われる。芹沢は尊皇攘夷の総本山である水戸藩の出身なので、清河とは思想が一致しているのだ。芹沢も「清河を斬る」と出掛けたようだが、余り動いた形跡は見られない。
土方は、佐枝の家に招かれる。掛け軸の上には、あの般若の面。(攘夷派と親しい)九条家に仕えているので、協力せざるを得ないと語る佐枝。
壬生浪士組は京で討幕派を退治し、知名度を上げるが、水戸派が豪商の大和屋を揺するなど(焼き討ちではなく大砲を一発という設定)したため、会津本陣(黒谷こと金戒光明寺)で会津藩家老(神保修理であろうか。名前は出てこない)から、「芹沢『先生』の行状が問題」と言われる。寺院の方丈を巡りながら、土方は「芹沢を斬れということさ」というが、この時点では近藤は芹沢粛正に反対のようである。近藤のセリフから、容保公と芹沢はやはり面識があり(それゆえに会津藩家老から「先生」と呼ばれる)、それを土方が利用したということが分かる(これが土方奔走の正体かも)。芹沢は身分は郷氏とされるが武士であり、共に農民出身の近藤と土方とは異なり、信頼もあるのだろう。
土方は、「俺こそが武士だ」と誇りを見せる。
四条小橋の西で討幕派の古高俊太郎が捕らえられ、壬生前川邸屯所で拷問が行われて、「京を火の海にし、帝を長州へとお連れする」という謀議の内容を白状する。次の謀議が行われるのは木屋町三条上ルの丹虎(跡地の入り口に「武市瑞山(半平太)寓居の地」の碑が残る。以前は、私の父方の祖母の親戚が営む金茶寮という料亭になっていたのだが、10年ほど前に廃業してしまった。祖母は京都人である)。
一方、佐枝から土方に文が届く。会いたいという内容だ。沖田は「罠かも知れません」と忠告するが、土方は「なら罠にかかるまでよ」と出掛ける。
文は佐枝のものではなく、七里らの罠であった。沖田が手配したようで、新選組の隊士達が駆けつけ、大立ち回りは回避される。
だが、新選組監察・山崎蒸(すすむ)は佐枝のことを始めから怪しいとにらんでおり、謀議のことも知っている可能性が高いとして、壬生で拷問に掛ける。佐枝は「三条小橋の西、池田屋」と白状する。池田屋は密議の場所の候補に入っておらず、隊士達は店の名前も知らなかった。
池田屋事件の日。土方は敢えて丹虎に向かう(本物の土方も池田屋よりも先に丹虎に行っていることが史料や証言で分かっているが、誰もおらず空振りだった)。七里が待ち受けていると読んでのことだった。なお、史実とは異なり、副長(のち総長)の山南敬助も討ち入りに加わったことになっている。謀議の首謀者として、「肥後の宮部、長州の吉田、土佐の北添、野呂山」が挙げられているが、この中に一人、難読姓の人がいる。すぐ分かると思うが野呂山である。「野呂山」と書いて「ところやま」と読む難読姓だ。この頃は研究が進んでいなかったので、そのまま「のろやま」と呼ばれている。
この時、土方は定紋である左三つ巴ではく、丸に左四つ巴の紋が入った羽織を着ているが、祇園祭の最中なので、神紋と同じ左三つ巴を避けたのだと思われる。家紋はいくつ持っていても構わない。
丹虎での七里派との対決の後、七里は「俺は池田屋に向かう」と宣言し、主戦場は池田屋に移る。史実だと、討幕派が新選組の討ち入りを聞いて、すぐに行灯を消したため、旅籠の中は真っ暗だったが、当時のカメラの技術ではそれでは映画にならないので灯がついた状態での戦いとなる。一際凜々しい志士は宮部鼎蔵、二階から滑り落ちたのは、とある理由により吉田稔麿だと推測される。新選組の剣豪として知られるのは、沖田、斎藤、近藤、永倉、人によっては芹沢や藤堂、大石らで、土方は入っていないことが多い。実際、土方には「稽古に余り熱心ではなかった」という話もあり、その分、知謀を武器としていた。その点で山南と重なるため、後の山南切腹に繋がる可能性はありそうだ。やはり同じタイプの伊東甲子太郎(伊東摂津)も粛正されている。
不安を感じ、佐枝の家に向かう土方。佐枝は自刃して果てていた。
池田屋事件で全国に名を轟かせた新選組。その後に幕臣に取り立てられ、土方は初めて武士の身分となる(近藤は義父である天然理心流三代目宗家の近藤周助の養子になった時点で士分になっている。近藤周助も名主とはいえ農民から武士になった人である)。
池田屋事件の歴史的意義であるが、「維新を数年遅らせた」という定説がある一方で、歴史学者の中村武生(一応、知り合いである)は、「長州軍が京に進発することは池田屋事件の起こる前から決まっており、早まっても遅れてもいない」として影響はなかったと結論づけている。また桂小五郎は事件が起こった際に池田屋にいた可能性が高いとしている。
東寺の五重塔をバックに、明日を見据える土方の横顔で映画は終わる。
モノクロ映画で、モノクロは光と影の芸術だけにライティングなどを含めて優れた出来を示している。経年劣化と思われる場面だけが残念。
またこの時代は、今ほどマイクが高性能というわけではなかったこともあってか、発音の明瞭さ重視のセリフ回し。一音一音をはっきりと発音する。ナチュラルなセリフではないが、舞台が幕末なので、今の人と同じような喋り方をしている人が多かったとも思われず、この辺は違和感はない。一方で、セリフを補うための表情の演技が目立つ。
今回の栗塚による土方はハードボイルドな感じで、くさいセリフも多いが、意味がよく分からない俳句を沢山残している土方なので、そういうことを言うこともあったかも知れない。
最も見事なのは殺陣である。時代劇の盛んな時代、太秦の大部屋で「殺陣でのし上がってやる」と考える若者もいただろう。朝ドラ「カムカムエヴリバティ」の世界である。朝から晩まで撮影所内の道場で殺陣。
今は時代劇も殺陣の名手が減り、安全面優先であるため、「斬れるのに斬らない敵方」が散見されることが「時代劇あるある」に入っていたりするが、この映画では斬っては避けの繰り返しで、今よりもずっと迫力がある。殺陣の人材不足が続くと、将来は殺陣の場面は、主役級以外はAIが担うことになるかも知れない。
池田屋事件というと階段落ちだが、それはなく、二階から落ちる者2名、滑り落ちて切腹した者が1名である。切腹したのはおそらく吉田稔麿であると思われるが、字幕もなにも出ないので不明。実際には吉田は池田屋を抜け出し、長州藩邸の門の前まで援護を頼みに行くが、桂小五郎が「無関係なので応じないように」と厳命したため開けて貰えず、帰る途中の加賀藩邸前で切腹したと伝わっている。「生きていれば首相になれた」という逸材であり、橘を氏とする数少ない有名人の一人である。
土方は池田屋中を歩き回った後で、玄関付近で七里研之助を倒すが、実際、池田屋事件の時には土方は積極的には戦わず、入り口付近で後から駆けつけた会津藩など味方の軍勢を止め、手柄を新選組で独り占めしようとしていたという話が残っていることから、理には叶っている。
謎の女、佐枝であるが、攘夷派の九条家に仕えることになったので、土方を敵に回したということになっている。だが、それよりも、最初から長州の間者であると考えた方が辻褄は合う。最後も口を割らないために自刃したと。だが、それは、無名道場の食客の一人を監視する意味があるとすればである。後の土方を知っていればそれもあり得るが、未来を見通せる者などいない。
ということで、土方の名前を知っていたのは前から土方に惚れていたから、土方が六車を斬り殺したと判断したのも土方の行いが普段とは異なっていたからであろう。自刃の理由であるが、討幕派の謀議が行われる場所を池田屋だと土方に教えてしまったからで、このままだと討幕派の残党にどんな目に遭うか分からないので自刃を選んだ。般若の面は彼女の内面を表したものではなく、土方との出会いを特別視していたため京の住まいに飾ったと解釈出来る。
ちなみに佐枝が「謀議の場は池田屋」だと明かしたことは土方が七里に告げてしまっている。七里は佐枝が嘘をついたので土方が丹虎に来たと思い込んでいるので驚く。結末は変わらなかっただろうが、土方はちょっと抜けたところがあるように思う。
男臭い俳優が多いのも特徴。今は男だか女だか分からないような俳優も多く、男臭い俳優は絶滅危惧種である。だが、時代劇には男臭い俳優の方が似合う。
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