コンサートの記(928) 太田弦指揮 日本センチュリー交響楽団第293回定期演奏会
2025年10月24日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて
午後7時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、日本センチュリー交響楽団の第293回定期演奏会を聴く。指揮は、松本宗利音(しゅうりひと)と共に日本の若手指揮者界をリードする太田弦(げん)。1994年生まれの太田弦。今年で31歳になるがかなりの童顔で下手したら高校生に間違えられそうである。札幌生まれ。幼少の頃からピアノとチェロを学び、東京藝術大学音楽学部指揮科を首席で卒業。尾高忠明と高関健に師事した。今の藝大指揮科の主任は山下一史であるが、全員、桐朋学園大学出身である。ということで、藝大の指揮科は長い間、桐朋学園大学の植民地となっている。国公立の藝大、それに対抗する私立の桐朋であるが、格としてはやはり藝大の方が上。上のはずの学校の看板部門が植民地化されている例は珍しく、芸術関係ならではのような気がする。他の一般の学問では有名私立大の特定の分野が有名国立大の教授で占められ、植民地となっているケースが多い。
それはさておき、太田弦は東京藝術大学大学院に進み、指揮専攻修士課程を修了。指揮以外にも作曲を二橋潤一に師事している。
2015年、第17回東京国際音楽コンクール・指揮部門で2位入賞。
2019年から2022年まで大阪交響楽団正指揮者、2023年には仙台フィルハーモニー管弦楽団の指揮者に就任。2024年4月より、福岡市を本拠地とする九州交響楽団の首席指揮者に就任。初めて手兵を得ている。昨年、シャルル・デュトワ指揮九州交響楽団の定期演奏会を聴きに、九響の本拠地であるアクロス福岡シンフォニーホール(正式にはアクロス福岡という総合文化施設の中にある福岡シンフォニーホールであるが、続けて表記されることが多い)に初めて出向いたが、ホワイエに太田弦の全身パネルが飾られていた。等身大ではないと思うが。
今日の曲目は、ベートーヴェンの交響曲第2番、武満徹の「波の盆」、武満徹の「系図 -若い人のための音楽詩-」(語り:寺田光、アコーディオン:かとう かなこ。岩城宏之編曲による小管弦楽版)
武満作品が2つ並ぶという意欲的なプログラム。ドイツ人指揮者がベートーヴェンを指揮するように、フランス人指揮者がドビュッシーを指揮するように、フィンランド人指揮者がシベリウスを指揮するように、デンマーク人指揮者がニールセンを指揮するように、ノルウェー人指揮者がグリーグを指揮するように、イギリス人指揮者がエルガーを指揮するように、日本人指揮者は武満徹を指揮する。
だが、武満作品、それもかなり分かり易いものであっても現代音楽は避けられるようで、集客面ではかなり残念であった。特に2階席は空席が目立つ。
今日は茨木市在住の人のための招待公演でもあったのだが、その人達なのかどうかは分からないものの、コンサート初心者が多いようで、ベートーヴェンでは楽章が終わるたびに拍手が起こっていた。この場合、どうするのかというと人による。藤岡幸夫は、「エンター・ザ・ミュージック」で、「新しいお客さんが来てくれたんだ」と喜ぶと明かしている。一方で、聴衆の中にはマナー違反と取る人もいるようだ。
モーツァルトやベートーヴェンの時代には、交響曲が丸々演奏されず、1つの楽章が終わったら歌曲が入るなど、もっと雑多な構成であったようだ。聴衆は貴族が多かったが、音楽そっちのけで話す人も珍しくなかったらしい。正しい姿勢で、楽章間拍手なしでという風になったのはワーグナーの影響が大きいと言われている。ワーグナーが礼儀正しかったからではなく、逆に「俺様の音楽を黙って聴け」という尊大な人だったからと言われている。
ベートーヴェンの交響曲第2番。今日のコンサートマスターはセンチュリー響客員コンサートマスターの篠原悠那(しのはら・ゆな)。ドイツ指揮の現代配置での演奏である。
日本センチュリー交響楽団は、中編成のオーケストラなので在阪の他の3つのプロコンサートオーケストラに比べるとサイズが小さい。弦楽奏者が全くと言って良いほどビブラートを掛けないピリオド・アプローチによる演奏であったが、ザ・シンフォニーホールの音響をもってしても中編成でのピリオドだと音が弱い。ただ広上淳一とオーケストラ・アンサンブル金沢はザ・シンフォニーホールで「田園」交響曲をきちんと鳴らしていたから、演奏者側の問題も皆無ではないだろう。だが、次第に耳が慣れてくるので音の小ささは余り気にならなくなる。
太田弦は、大きめの総譜を見ながらノンタクトでの指揮。暗譜で振る曲は今日はなかったが、暗譜否定派かも知れない。両手を使って巧みにオーケストラを操る。
流れが良く、フォルムもカチッと決めているのに、今ひとつ手応えを感じないのは指揮者の若さ故だろうか。日本だから31歳でもベートーヴェンを振らせてくれるが、ヨーロッパではそうはいかないかも知れない。「40、50は洟垂れ小僧」の世界である。
いくつか聴いたことのないメロディーなどが聞こえてきたが、あるいはブライトコプフ新版を使っていたのかも知れない。大阪フィルの演奏だったら福山さんに気軽に尋ねることが出来るのだが、センチュリー響にはそうした人はいない。
武満徹の「波の盆」。民放のテレビドラマのための音楽として書かれ、後に演奏会用に編み直されている。チェレスタとシンセサイザーが入るのが特徴。チェレスタ:橋本礼奈、シンセサイザー:新井正美(女性)
センチュリー響の特徴である、編成が小さいが故に効く音のエッジが印象的。メロディーを美しく歌い上げる。武満は響きの作曲家であるが、今日取り上げる「波の盆」と「系図」はいずれも美しいメロディーを特徴とする。
武満徹の「系図 -若い人のための音楽詩-」。武満晩年の作品であり、映画用に書くはずだった音楽を語り付きの管弦楽曲にまとめたもので、チャーミングなメロディーと武満ならではの響き、谷川俊太郎のテキストが相まって、武満の次なる方向性を示すはずだったのかも知れないが、幼い頃から病弱だった武満は長生き出来ず、初演の翌年の1996年に他界した。
初演は、レナード・スラットキン指揮ニューヨーク・フィルハーモニックによって、1995年4月に行われたが、谷川俊太郎の詩集『はだか』から取られた「おかあさん」のテキストが、「ネグレクトで、相応しくない」と指摘され、危うく初演が流れるところだった。
日本でも同年に、岩城宏之指揮NHK交響楽団により、映像作品と実演で初演された。語りを務めたのは、先頃若くして亡くなった遠野なぎこ(当時:遠野凪子)である。
子役として本名でデビューした遠野なぎこであるが、毒親育ちであり、親は子役をやらせることで儲けようとしていた。遠野凪子の芸名で活躍するようになってからもDVやネグレクトなどがあったようである。彼女がテキストをどんな気持ちで読んでいたのかは分からないが、プロに徹して朗読していたような気がする。
遠野なぎこは、シャルル・デュトワ指揮NHK交響楽団の定期演奏でも、テキストを暗記して語り手を務め、小澤征爾指揮サイトウ・キネン・オーケストラとの録音でも語りを行ったが、小澤盤での語りはナチュラルさが失われ、感情過多で良くない。なぜ悪くなったのかは分からないが、小澤の意向だろうか。
「系図 -若い人のための音楽詩-」を生で聴くのは3回目。日本語の朗読で聴くのは2回目である。どういうことかというと、初めて聴いたのは、東京オペラシティコンサートホール“タケミツ メモリアル”で聴いたケント・ナガノ指揮リヨン国立歌劇場管弦楽団の来日演奏会で、フランス人の少女によるフランス語の朗読だったのである。武満は語り手について、「15歳前後の少女が望ましい」としているが、この時の少女は15歳ほどだったと記憶している。フランス語は分からないので、音楽だけ聴いていた。
2度目は、横浜みなとみらいホールで行われた、沼尻竜典指揮日本フィルハーモニー交響楽団の横浜定期演奏会。語り手は当時18歳の蓮佛美沙子。座ってテキストを読みながらの朗読であった。今の蓮佛美沙子は名女優だが、18歳の頃は今ほどではなく、演奏が終わった後も少し照れくさそうにしていた。ただ女優といっても、コンサートホールで大勢の聴衆を前に朗読という機会はなかなか巡ってこないのだから貴重な体験だったはずである。なお、この演奏会の記録をWikipediaに書き込んだのは私である。
今回、朗読を務める寺田光は、2005年11月19日生まれ。現在、19歳、まもなく二十歳である。大阪府出身。テキストを読みながらの語りである。
ミュージカル女優としてデビュー後、映像にも進出。朗読劇にも参加したことがあるようだ。
アコーディオンのかとう かなこは指揮台右横のスピーカーのすぐ後ろに座って演奏する。ボタン式であるクロマチックアコーディオンを弾く機会が多い人だが、今回は多くの人が目にしたことのある鍵盤式のアコーディオンで演奏を行う。
寺田光のテキスト解釈は、私とはズレているところが何カ所かあったが、詩なので解釈が異なるのは当たり前であり、そういうものとして受け入れるしかない。谷川俊太郎の『はだか』は私もお気に入りの詩集で、自分で持っているほか、人にプレゼントしたこともある。
かとう かなこは腕利きとして知られるだけに、今回もノスタルジックなメロディーを温かな音で奏でていた。
今回は、岩城宏之の編曲による小管弦楽版での演奏である。日本センチュリー交響楽団は、フル編成ではないのでこの版が選ばれたのだろう。初演の指揮者である岩城宏之がなぜ編曲を行ったかというと、彼らは日本初のプロ室内管弦楽団であるオーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)の初代音楽監督をしており、OEKの編成ではそのままでは演奏出来ないので、編成を小さくしてもタケミツトーンが生きる編曲をする必要があったのだ。小管弦楽版での初演は、2002年11月20日に、岩城指揮のOEKによって行われた。
岩城は語り手として吉行和子を選んだことがあり、若杉弘も自分の奥さんを語り手にしたことがあるが、これは良くないと思う。「しらないあいだにわたしはおばあちゃんになっているのかしら きょうのこともわすれて」という部分があるため、高齢の人が読むとある症状を連想してしまう。テキストを俯瞰で読めると考えたのだと思われるが、ラストを考えるとやはりこれは若い人が語り手を務めるべき作品である。
太田弦指揮する日本センチュリー交響楽団、かとう かなこらによる演奏は、胸が苦しくなるほど美しく、背筋が寒くなるほどに麗しい。抜群の色彩感は武満ならではで、生前、武満と親しかった岩城も、単に編成を切り詰めるだけでなく、響きのポイントを押さえた編曲を行っているように思う。
音楽に国境はないが、日本人でなかったらここまでの美しさはやはり感じ取れなかっただろう。
とはいえ、世界にアピールできる武満作品の一つ、それが「系図 -若い人のための音楽詩-」である。この音楽を知る人は、きっと誰よりも「とおくへ」行ける。
拍手が鳴り止まなかったため、太田は総譜を閉じて、「これで終わりです」というパフォーマンスを見せた。




















































































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