これまでに観た映画より(403) 「Voice from GAZA ガザからの声 Episode:Now」
2025年10月3日 烏丸御池のアップリンク京都にて
烏丸御池、新風館地下のアップリンク京都で、「Voice from GAZA ガザからの声 Episode:Now」を観る。アップリンク代表の浅井隆によるアフタートーク付きでの上映。
「Voice of GAZA ガザからの声」は、アップリンクとガザ地区の映像会社との共同制作として今年に入ってから始まったドキュメンタリーによる政策作品で、映像を通してイスラエルのネタニヤフ政権を国際的に孤立させることで終戦に持ち込もうという狙いがあるようだ。今日のアフタートークは、アップリンク京都と東京都武蔵野市のアップリンク吉祥寺をネットで繋いで行われた。
イスラエルが、ガザ地区への本格攻撃を開始してから2年近くが経つが、それ以前からイスラエルとガザの関係はくすぶり続けてきた。だが、イスラム教原理派のハマスがガザ地区を制圧してからは、イスラエルも一気に態度を硬化させ、ガザのパレスチナ人掃討を狙い始める。
「ガザ地区の北部を攻撃するので住民は南部に移動するように」との突然の要求。そんなことに急に対応出来るはずがないのを承知で、一応は人道的措置をとったように見せかけるという本来の意味での姑息なやり方であった。
「ガザからの声」は、まず、今年の春に「Episode1」が撮られ、イスラエル軍の攻撃により手や足を失いながらそれでもスポーツ選手になりたいと夢見る少年が主人公。「Episode2」はガザ地区で音楽を教える男性の複雑な心境を描いたものだったという。再上映される予定のようだ。
戦争ものというと、軍人の英雄視と悲劇、住民の日常と惨劇などがよく描かれるが、戦時中ではあっても我々のように日常的に好きなものに打ち込んだり、夢や希望を描く人がいる。世界が小さくなり、ガザ地区と日本とで共同でのドキュメンタリー映画が制作出来るようになったから分かることも多く、我々は多くのものを見逃してきたのかも知れないと、今日のドキュメンタリー映画を観て思った。
本来は、「家族」をテーマにした「Episode3」として公開する予定だったが、10月の頭から再びイスラエル軍が軍事行為を活発化させており、ガザ地区の北部に「北部の残る者は容赦なく殺害する」と書かれた紙を空から大量にばらまき、またカッシ国防相が「ガザ市に残る者は全員ハマスのテロリストと見なす」という事実上の皆殺し宣言を行った。民間人は南部のハーンユーニス市に集まるよう指示されており、狭いところに追い込んで一気に殲滅という手は見えているのだが、今すぐ殺されないようにするためには向かう以外の選択肢はなく、何らかの助けの手が差し伸べられるのを待つしかない。
なお、パレスチナ住民には「パレスチナは今のままアラブ人のための土地にするよ」、ユダヤ人には「パレスチナの古代イスラエル王国とユダ王国があった場所に、ユダヤ人のための国を建国するよ」と二枚舌外交を行った真の悪玉であるイギリスは、パレスチナ自治州を国家と承認。フランスも追従した。
一方でユダヤが強い力を持つアメリカ(元々はWASP一強だったが、経済面でそれらを十八番とするユダヤ人が台頭。ナチスドイツがユダヤ人の迫害を始めてからは、ナチス勢力下にいた多くの有能なユダヤ人ビジネスマンや経営者がアメリカに亡命。世界一の経済大国の座を揺るぎないものにしている)はイスラエル支持。バラク・オバマ元大統領もXで「イスラエル人大量虐殺を行ったハマスが悪い」とかなり強い口調で批難のポストを行っている。
アメリカに守って貰っている立場の日本はこういう時には弱く、アメリカに従うしかないということで属国 であることを自ら現している。
多くの車が海沿いの道を北から南へと走っている。北爆(と書くとベトナム戦争のようなので北部攻撃と書くべきか)が予告されたため、南部の都市へと一家総出で脱出の最中なのだ。だが、道は狭く、北へ向かう車もいるため遅々として進まない。
そんな中、とある一家は車道の傍ら、海沿いの場所にテントを張ってそこで暮らすことに決める。日本と違い、ガザ地区の家は子だくさんであることが多い。隣にもテントがあったが、そこの住人も子ども達もすぐに彼らを受け入れている。アラブ人同士ならこんなにもスムーズなのだ。
子ども数人に対するインタビュー映像もあるが、みな、北部に住んでいて家を失い、ひどい人になると何度も何度も住む場所を焼かれたそうだが、それでも次の場所で元気に生きようと目をキラキラさせている。先進国の人達よりもこうした面では逞しい人が多いような気がする。
水であるが、海から調達する。「塩分を蒸発させなければいけないのでは?」、「濾過しないと飲めないのでは?」と思うが、普通に飲んで調理に使っている。地中海なので、太平洋や日本海、瀬戸内海などの日本の海とは塩分濃度が異なるのかも知れない。この辺はよく分からない。
土を掘っている、もう若くはない男性がいるが、そこに埋まっているビニール袋などをエネルギー資源に用いているそうだ。
目を輝かせて遊ぶ子どもたちや、父と幼い娘の姿を見ていると、ただ単に「ガザ地区攻撃反対!」や「SAVE GAZA」を表明するよりも、誰のため何のために支援をどうやって行うかが至上命題であることが明白になる。そしてそれらは、「自分のための正義」ではない。2025年10月3日を生きている意味がクッキリと形をなし、時代と共に在ることが実感される。
こういうことをトークの時間に言えると良かったのだが、目立つのが嫌なので言えなかった。
今日は編集が十分でなく、字幕も一部しか出なかったということもあって、料金は1500円均一であったが、完成したものを10月下旬に公開する予定であること、「Episode1」と「Episode2」も再上映が決まっていること、売り上げは全てこれからの「ガザからの声」の制作費(ガザ地区の制作責任者はムハンマド監督)に回すことなどが発表された。
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