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2025年10月 4日 (土)

コンサートの記(921) ヤン・ヴィレム・デ・フリーント指揮京都市交響楽団第703回定期演奏会

2025年8月29日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第703回定期演奏会を聴く。指揮は京響首席客演指揮者のヤン・ヴィレム・デ・フリーント。なお、今日付で、デ・フリーントの首席客演指揮者の肩書きが2028年3月31日まで延長となることが発表された。世界的な知名度こそ低いが、紛うことなき名指揮者であるだけに朗報である。現代音楽をプログラムに入れることの多い沖澤のどかと古典に強いデ・フリーントがいれば京響の更なる躍進は約束されたも同然であろう。

 

曲目は、ドヴォルザークの「ロマンス」(ヴァイオリン独奏:HIMARI)、ヴィエニャフスキの「ファウスト幻想曲」(ヴァイオリン独奏:HIMARI)、モーツァルトの「レクイエム」(ジュスマイヤー版)

プレトークでは、デ・フリーントは、ヴィエニャフスキがパガニーニを意識して作曲したということに振れたが、モーツァルトの「レクイエム」については、弟子ジュスマイヤーの補筆が上手すぎて、「モーツァルトが書いたとしか思えない」とデ・フリーントは語る。デ・フリーントはどうも複数の作曲家による補筆ではないかと考えているようだが、ウィーンではなくザルツブルクに曲想があって、補筆者はそれを取り入れたのではないかとの類推を行っていた。ただそれだと時間的には厳しい。そしてジュスマイヤーがモーツァルトの弟子というのは近年では否定されつつある。フランツ・クサヴァー・ジュスマイヤーは一介の売れない作曲家であり、モーツァルトの妻であるコンスタンツェの不倫相手であった。モーツァルトの次男は実はモーツァルトの子ではなく、ジュスマイヤーとコンスタンツェの子で、モーツァルトはそれを察して、次男にフランツ・クサヴァーと命名している。
コンスタンツェは、「レクイエム」を完成させないと報酬を全額手に入れることが出来なくなるため、複数の知り合いの実力派作曲家を当たったが断られ、すぐそばにいたジュスマイヤーに補筆完成を頼んだのである。しかし、自身がジュスマイヤーの愛人というのは世間的に困る。またモーツァルトが最後の曲を妻の愛人に補筆完成させたとあっては世間体が悪い。そこでコンスタンツェは嘘をつき、ジュスマイヤーをモーツァルトの弟子としたのである。夫の弟子なら、コンスタンツェのすぐそばにいてもおかしくない。
その後、ジュスマイヤーは売れっ子になっていく。

 

天才ヴァイオリン少女として注目されているHIMARI。現在、14歳だが、すでにベルリン・フィルなど世界的名門オーケストラとの共演経験がある。11歳でフィラデルフィアのカーティス音楽院に史上最年少での入学。アメリカ国内やヨーロッパの名門オーケストラとの共演を重ねている。天才少女の登場ということで、チケットは完売である。

今日のコンサートマスターは、泉原隆志。フォアシュピーラーに、尾﨑平。ヴァイオリン両翼の古典配置をベースとしているが、中山航介君が叩くティンパニは上手端の一段高いところに置かれている。中山君の背後にもう一つ小型のティンパニがあり、モーツァルトで使われるバロックティンパニであることが分かる。
管の首席だが、フルート首席の上野博昭はヴィエニャフスキから、クラリネット首席の小谷口直子はモーツァルトのみの参加である。トランペット首席のハラルド・ナエスは降り番であった。客演首席ヴィオラ奏者に大野若菜、客演首席チェロ奏者に水野優也、客演首席トロンボーン奏者に清澄貴之が入る。

デ・フリーントは、背が高いということもあり、指揮台を置かずステージ上に直接立っての指揮である。ノンタクトであり、拍と音型の両方を表す時もある。

 

ドヴォルザークの「ロマンス」。HIMARIは、白いドレスで登場。透明感のある京響の伴奏を受けて、温かみのある音を奏でる。温かみがあるのにシルキーという非常に珍しいヴァイオリンを奏でる人だ。

ヴィエニャフスキのファウスト幻想曲では、一転して切れ味鋭い表現を聴かせる。音のパレットが非常に豊かという印象を受けた。京響もデ・フリーントの指揮の下、非常にアグレッシブな伴奏を聴かせた。

 

アンコール演奏は、イザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第6番。ヴァイオリンで出来ることを極限まで突きつめたかのような曲だが、鮮やかに弾きこなしてみせる。

スタンディングオベーションを送る男性が何人もおり(女性はおそらくいない)。最前列の一人は、ステージ上のHIMARIに花束を渡していた。

さて今後であるが、一度、コンサートから距離を置いて練習とレッスンに励むのが良いと思われる。ユーディ・メニューインという神童ヴァイオリニストがいて、若い頃から世界中のオーケストラや名指揮者と共演し、リサイタルを開いたが、練習やレッスンに当てる時間がほとんどなくなったため、後年も有名ヴァイオリニストではあったが、超一流ヴァイオリニストには届かず、晩年は指揮者としての活動の方が増えていた。
諏訪内晶子はそうした先例を知っていたため、チャイコフスキー国際コンクール・ヴァイオリン部門で優勝した後もジュリアード音楽院での研鑽に没頭している。井上道義が、チャイコフスキー国際コンクール優勝直後に共演を申し出たことがあるそうだが、「私、勉強します」と首を縦に振らなかったという。

 

モーツァルトの「レクイエム」(ジュスマイヤー版)。合唱は京響コーラス。独唱は、石橋栄実(えみ。ソプラノ)、中島郁子(メゾ・ソプラノ)、山本康寛(テノール)、平野和(やすし。バス・バリトン)。
オーケストラ団員が黒の衣装なのは普通だが、京響コーラスも全員黒い衣装。指揮者のデ・フリーントも黒の上下で、男性歌手はタキシードだが、女性歌手二人も黒のドレスで喪服のようである。ということでステージ上が黒づくめになる。しかも独唱者は、舞台の中央におらず、男性歌手はステージ上手端、女性歌手は下手端に座っていて、独唱の時だけステージ中央に向かい、歌が終わったら去るということで、あたかもモーツァルトの葬儀に参列したような気分になる。
徹底したピリオド・アプローチであり、テンポもかなり速め、合唱が立体的で非常にうねりが強い。
最初の独唱者はソプラノの石橋栄実だが、喪服に似たドレスで下手端からゆっくり歩いて来て中央付近で歌うので、弔辞を行っているように見える。今月は広島交響楽団とマーラーの交響曲第4番のソリストとして全国を回った石橋栄実だが、その時とは大きく異なる、空気を切り裂くような鋭い歌声である。独唱者が歩んでは去るという光景が繰り返され、シアトリカルな演奏となった。
初めて接するピリオド・アプローチによるモーツァルトの「レクイエム」であり、デモーニッシュさが更に増した恐るべき音楽を聴くことになった。

演奏終了後、デ・フリーントは、下手の高くなった段の上を走って京響コーラスに近づき、健闘を称えると同時に若さをアピールしていた。

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