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2025年10月 5日 (日)

コンサートの記(922) 広上淳一指揮オーケストラ・アンサンブル金沢 2025年9月定期公演 大阪公演

2025年9月23日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後2時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、OEKことオーケストラ・アンサンブル金沢の2025年9月定期公演 大阪公演を聴く。指揮はアーティスティック・リーダーの広上淳一。アーティスティック・リーダーはどんなポストなのか分かりにくい横文字だが、広上によると「音楽監督」だという。広上は京響のシェフ時代も音楽監督並みの仕事をしながら、肩書きは常任指揮者+αであった。京響は井上道義を音楽監督に据えて活動したことがあるが、広上は井上と同じ肩書きを望まなかったのだろう。金沢でも同様だと思われる。井上と広上は仲が良く、金沢で井上が指揮の講習会を行うときは広上も付いていくことが多かった。

広上は、京都市交響楽団第12代・第13代常任指揮者を辞任後、「これからは客演指揮者としてやりたいときにやりたいような指揮をする」 つもりだったのだが、夢枕にオーケストラ・アンサンブル金沢創設者の岩城宏之が立ち、「おい、お前、金沢をどうにかしないといかんだろう」と言われたため、OEKのポストを受けたと語っている。本当かどうかは分からない。だが、かつて井上が君臨し、師の一人である岩城宏之が創設したオーケストラということで、シェフの座を受けるのは自然のような気がする。

金沢に専念するかに思われた広上だが、マレーシア・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に招聘され、今後は東南アジアや南アジアでの指揮活動も増えるかも知れない。ベトナム国立交響楽団の音楽監督である本名徹次、ミャンマー国立交響楽団の音楽監督である山本祐ノ介(山本直純の次男)など先陣もいる。再編集版がNHKで放送された「ベトナムのひびき」の主人公、佐倉一男(濱田岳が演じた)のモデルである福村芳一も入れても良いかも知れない。

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曲目であるが、広上の得意なオール・ベートーヴェン・プログラム。ピアノ協奏曲第5番「皇帝」(ピアノ独奏:トム・ボロー)と交響曲第6番「田園」

広上のベートーヴェンには定評があるため、ザ・シンフォニーホールは満員に近い盛況である。

オーケストラの配置であるが、パッと見はドイツ式の現代配置に見えるのだが、実際は第1ヴァイオリンの隣のパートの楽器はヴァイオリンより一回り大きく、3人しかいない。つまりヴィオラである。ドイツ式の現代配置ではヴィオラが陣取る場所に第2ヴァイオリンが回る。つまり変則ヴァイオリン対向配置である。昨年の、井上道義の大阪でのラストコンサートで、井上が大阪フィルハーモニー交響楽団をこの配置で並べたが、同じ並びが今日も採用されている。コントラバスはチェロの奥に陣取る。
演奏会終了後に、OEKのスタッフに伺ったが、井上は金沢ではこの配置を採用しており(京響や大フィルの少なくとも定期演奏会では採用していない)、ミンコフスキの時代を経てOEKのシェフとなった広上も井上が行った配置を踏襲しているようである。他でこうした配置を見たことはほとんどない。
OEKは室内管弦楽団なので、低音の奏者が少ない。今日はヴィオラが3(所属楽団員は4人)、チェロが4(フルメンバー)、コントラバスが3(フルメンバー)である。人数が少ないのでベースを築くヴィオラとチェロを中央に置き、低い音を前に出そうとしたとも考えられるが、真意は不明である。単なる思いつきによる配置かも知れないし。

コンサートミストレスは、アビゲイル・ヤング。ピリオド奏法に通じており、ピリオドを採用したときの大阪フィルハーモニー交響楽団の演奏会で客演コンサートマスターを務めたこともある。

そのヤングがコンサートミストレスなので、ピリオドを前面に押し出すかと思ったが、ビブラートを多く掛ける部分と全く掛けない部分が混在し、ヴァイオリンのボウイングなどはピリオドであったが、スタイルよりも音楽性重視の演奏であった。

 

ピアノ協奏曲第5番「皇帝」。独奏者のトム・ボローは、2000年、イスラエルの中心都市であるテルアビブに生まれたピアニスト。イスラエルは首都と中心都市が異なるが、国連はエルサレムを首都とは認めず、最大都市で政治・経済の中心あるテルアビブを首都としている。日本はエルサレムが首都であることを認めている。
5歳でピアノを始め、テルアビブ大学ブッフマン=メータ音楽院で学び、その後、マレイ・ペライアにレッスンを受け、クリストフ・エッシェンバッハや、リチャード・グード、サー・アンドラーシュ・シフといったの多くの著名ピアニストのマスタークラスで腕を磨いている。イスラエル国内の数々のピアノコンクールで優勝に輝いているが、海外のコンクール歴がないのか成績が良くなかったのか、今のところ名声はイスラエル国内に留まっている。イスラエルがとんでもない情勢になっているので、海外のコンクールなどは受けられないのかも知れない。

ボローのピアノであるが一音一音の明晰さが最大の特徴。音楽性も爽やかで、「皇帝」協奏曲というより「皇太子(プリンス)」協奏曲といった趣である。
ペダリングにも注目していたが、左足を後ろに引いたまま演奏していることが多く、ソフトペダルは稀にしか踏まなかった。力強い場面ではダンパーペダルを何度も踏み換えるが、音を濁らせないための技法だと思える。

広上指揮のOEKもボローに合わせた清々しい伴奏を聞かせる。今日はティンパニはモダンタイプを使用し、強打させる場面も余りなかった。

ボローのアンコール演奏は、クライスラーの「愛の哀しみ」ピアノ独奏版。編曲者は分からなかったが、後で掲示を確認したところ、ラフマニノフであった。確かにラフマニノフが好みそうな曲調ではある。

 

後半、交響曲第6番「田園」。一拍目が休符の曲であるため、広上は指揮棒の先をくるりと一回転させてから本編に入った。日本フィルハーモニー交響楽団を指揮したライブ録音盤でも好演を示していた広上の「田園」。今日も木々の葉ずれの音が聞こえてきそうな情報量の多い演奏である。広上は第2ヴァイオリンを強調したようで、何度も右を向いて指示を行っていた。
第2楽章も瑞々しく、第3楽章も草原がどこまでも広がっていくような、突き抜けた明るさが感じられる。
第4楽章は室内管弦楽団ということもあって、京響を振るときなどとは違い、迫力よりも描写に力点が置かれているように思われた。
そして大いなる自然に祝福され、感謝を送り返すような最終楽章。

ベートーヴェンは、この曲が自然の描写だということは否定し、「田園に着いたときの気分を音楽にした」と語っている。描写でなく心象ということなのだろうが、発想的にはその後にフランスで生まれる「印象派」と呼ばれる画家達に近い。ベートーヴェンの画才については不明だが、自信があったら絵の一枚も残っているはずで、文字の汚さなどを見ても絵画方面は不向きだったと推測される。だが、もし優れた画才があったら、絵画の印象派を生んだのは、クロード・モネやマネやゴッホではなくベートーヴェンだったかも知れない。そんなはずはないのだが、広上の指揮で聴くとそんな夢想をしてしまうのだ。これからも広上は私にとって特別な指揮者であり続けるだろう。

 

アンコールでは、まずビゼーの「アルルの女」組曲よりアダージェットの繊細な演奏を経て、阪神タイガース、セ・リーグ優勝記念ということで、「六甲おろし」が華やかに演奏された。広上は振り向いて手拍子を促し、多くの人が乗ったが、東京ヤクルトスワローズファンとしては叩けないということで音楽だけを楽しんだ。この歌は、作曲の古関裕而本人は良い出来だと思っていなかったようだが、個人的はとても良い歌だと思う。ちなみにリリース時も、タイガースは兵庫県西宮市の甲子園球場を本拠地としていたが、チーム名は大阪タイガースであり、「六甲おろし」の「オオ オオ オオオオ」の部分は大阪の「大」の字に掛けられている。タイガース保護地域である兵庫県よりも、大阪市内もしくは大阪府内で聴いた方がいい曲なのかも知れない。

今回のツアーは北陸中心でそれ以外での公演が行われるのは大阪と岐阜だけである。また能登のある石川県のプロオーケストラということで、ホワイエでは「能登応援Tシャツ」が売られていた。

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