これまでに観た映画より(405) 草刈正雄主演「沖田総司」
2025年10月7日
Amazon Prime Videoで、東宝映画「沖田総司」を観る。私が生まれた1974年の作品ということで、もう制作後半世紀が経つ。ちなみにタイトルであるが、Wikipediaには「おきたそうじ」と書かれているが、劇中のセリフなどから考えて、「おきたそうし」がこの映画の読み方である。
沖田総司の本来の読みは「おきたそうじ」で、本人の署名にも「沖田総二」と、「じ」としか読めないものもあったりするため、「そうじ」で間違いないのだが、俳優で沖田を当たり役としていた島田順司(しまだ・じゅんし)が、先輩の俳優から、「お前、順司で『じゅんし』って読むんだから、総司も『そうし』で出ちゃえよ」と言われ、「おきた・そうし」の読みで出演。大ヒットしたため、以後は「おきた・そうし」読みが定着していく。
私が初めて沖田総司を知ったのは、田原俊彦が沖田総司を演じた2時間ドラマ(これも今は配信で見ることが出来る)であったが、やはり読みは「おきた・そうし」であった。2004年の大河ドラマ「新選組!」あたりから「おきた・そうじ」読みが戻ってくる。
出演:草刈正雄、高橋幸治、米倉斉加年(よねくら・まさかね)、西田敏行、辻萬長(つじ・かずなが。愛称:つじ・ばんちょう)、小松方正、真野響子(まや・きょうこ)、池波志乃、神山繁(こうやま・しげる)ほか。
沖田総司の没年には、24歳説、25歳説、27歳説などがあるが、いずれにしてもかなり早くに亡くなっている。奥州白河藩士の血筋に生まれた武士であり、天然理心流の試衛館の食客となって剣に邁進。永倉新八曰く「本気を出したら近藤もやられる」
新選組に関する証言を数多く残している永倉新八は、「沖田の剣は猛者の剣、斎藤(一)の剣は無敵の剣」と評しているが、肝心の永倉本人は、「一番強いのは自分だった」としている。この映画では西田敏行が永倉新八を演じているが、見せ場はほとんどない。
三多摩で、剣を生かす場を探している沖田総司(草刈正雄)。ちなみになぜか立ち小便をする場面があるが、司馬遼太郎の『燃えよ剣』の影響かも知れない。多摩地区で武芸のシマ争いが起こっており、沖田は土方歳三(高橋幸治)と共に天然理心流派として他派と闘う。
今や押しも押されもせぬ名優の地位を築いている草刈正雄だが、この時はセリフに感情が乗っていないなど、お世辞にも上手いとは言えない。最初から出来る天才タイプではなく、努力を積み上げて名優となったのだろう。
この映画はどんどん場面が進んでいき、浪士組に応募したかと思いきや、瞬く間に新選組となり、芹沢をあっさりとやっつけて、メインである池田屋事件に至る。テンポは良いが、人物を掘り下げていないので、人間としての成長ドラマは描かれていない。
さて、池田屋では沖田の喀血がある。新選組のどのドラマでも沖田喀血は描かれるのだが、実際には沖田が喀血したという記録はない。新選組三部作を書いた子母沢寛の脚色だと思われる。永倉新八は、小樽の楽隠居・杉村義江となってからの回想で、「沖田が持病で倒れた」と書いているが、持病が何なのかははっきりしていない。別の書では「呼吸器系」と言われているが喘息か? 戦って倒れたのなら心臓系の可能性もある。が、少なくとも喀血を伴う労咳(結核)ではないようだ。労咳は吐血から1~2年で死に至り、広まらないよう隔離が必要だが、沖田が隔離されるのは大坂城に入ってからである。
基本的に沖田の見せ場は、池田屋事件で終わってしまうため、この作品では、おちさ(真野響子)との恋が描かれたりするのだが、残酷な結末が待ち受けている。
この映画では沖田が鳥羽・伏見の戦いの伏見の戦いに参戦したことになっている。実際には、この直前に労咳にかかったようで大坂城に運ばれて療養生活に入っていて参加はしていない。大坂城に向かう直前まで京の街の警護に当たっていたという記録はあるため、労咳にかかったのはこの頃だと推測されている。
新選組は伏見奉行所に籠もり、先陣を受け持って、薩摩軍が陣を張る御香宮に斬り込むのだが、薩摩の鉄砲隊と大砲に歯が立たず、土方も「刀の時代は終わったな」と悟る。ちなみに良いロケ場所がなかったようで、商人の街・伏見とは思えない荒野で戦いが行われている。
江戸に帰った沖田は、もう猫も斬れないことを嘆く(これも子母沢寛の小説からのエピソードだと思われる)。
劇中、近藤勇が写真を撮るシーンがあるが、この場面は司馬遼太郎の小説『燃えよ剣』にも出てくるよく知られた話をそのまま使っている可能性がある。当時はバカ殿のように白化粧をして30秒ほど静止していなければならなかった。座っている場面はまだ良いが、立っている姿を撮る場合はふらつくので何かにもたれていた。坂本龍馬が台にもたれているのはそのためである。
こうして今に残る写真を収めた近藤勇だが、沖田が猫も斬れないと嘆くよりも前に流山で投降。旗本・大久保大和を名乗るが、元新選組隊士が維新軍に参加していたため、素性が割れて板橋で斬首となり、首は京の三条河原に晒された(行方不明になるが、幕府方の何者かが首を奪還して埋葬したと思われる)。
土方も箱館の蝦夷共和国で陸軍奉行並まで出世するが、二俣川の戦いで流れ弾に当たって戦死する。
そして沖田は近藤の死も知らぬまま、一人寂しく散るのだった。
最後は、多摩地方を思いっきり駆けていく若き日(享年もかなり若いが)の沖田の姿で終わる。
音楽は敢えて時代劇風のものを避け、カントリーミュージックのようなものが多い。沖田が主人公ということで、これまでの新選組映画とはひと味違ったものを目指したということもあるだろう。
おそらく新選組好きにとっては物足りない内容となっているので(近藤も芹沢も清河も出てくるだけで、どんな人物なのか描かれていない。伊東甲子太郎は顔を見せるだけだが嫌な奴なのが分かる)お薦めは出来ないが、草刈正雄のような昭和の男前の活躍を楽しみたい人には推せるだろう。
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