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2025年11月の15件の記事

2025年11月30日 (日)

観劇感想精選(502) 朗読劇「星の王子さま」 構成・朗読:安田成美

2025年11月12日 三条高倉の京都文化博物館別館ホールにて

午後5時から、京都文化博物館別館ホールで、朗読劇「星の王子さま」に接する。作:アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ、翻訳:内藤濯(ないとう・あろう)。構成・朗読:安田成美、音楽(作曲・演奏):阿部海太郎、美術:木梨銀士(きなし・ぎんじ。安田成美と木梨憲武の次男)。

東京の自由学園明日(みょうにち)館(国指定重要文化財)での公演を経て、昨日今日と京都文化博物館別館ホール(旧・日本銀行京都支店。国指定重要文化財)での京都公演が行われる。

 

「トレンディ女優」という言葉から連想される女優の一人である安田成美。映画、ドラマ、演劇と幅広く活躍しているが、結婚後は育児などを優先して、仕事をセーブしていた時期もある。「同・級・生」、「素顔のままで」、「ヴァンサンカン・結婚」、年末時代劇「源義経」、仲代達矢演じる弁護士と敵対関係になる女性を演じた松本清張ドラマ「霧の旗」、ベトナムロケを行った「ドク」など多くのヒットドラマに出演。映画では、「犬死せしもの」、林海象監督作品「ZIPANG」、オムニバス映画「バカヤロー!私怒ってます」第2話“遠くでフラれるなんて”、緒形拳と共演した「咬みつきたい」、役所広司主演作「すばらしき世界」などに出演している。演劇も出演作は多くはないが、「リチャード三世」は私も観ている。ただこれは劇団新感線による新感線版「リチャード三世」で、出演時間は余り長くはなかった。
こうやって見ると、ドラマに特化した活動を行っていることが分かる。

元々は、「風の谷のナウシカ」のイメージソング(作詞:松本隆、作曲:細野晴臣。映画本編では流れない)のシンガーとして登場した人で、昨年、細野晴臣との共同作業で「風の谷のナウシカ」をリメイクしている。

 

まず木梨銀士による動く美術。アニメーションとは少し違い、動く美術としか形容の仕様がないものである。そして、作曲家でマルチプレーヤーである阿部海太郎によって様々な楽器が演奏され、安田成美がにこやかな表情で下手側から現れて朗読を行う。

安田成美が構成を担当したテキストは、かなり改変されていて、原作とは違い、星の王子さまからの視点で物語は進んでいく。本来の語り手である飛行機の操縦士は途中で登場し、星の王子さまからのメッセージを受け取る役目を担う。

ドラマでは基本的に声音の使い分けは行わなかった安田成美だが、流石はプロの女優。様々な声を駆使して演じ分ける。星の王子さまの声は子どもっぽく、ヘビの物言いは狡猾そうだ。
テキストの改編については、様々な意見があるかも知れない。『星の王子さま』の著作権はすでに切れており、多くの出版社から刊行されていて、青空文庫では無料で読めたりする。なので改編も自由なのであるが、今回の上演は星の王子さまの内省の物語としてなら有効だと思われる。改編が嫌なら後で無料でテキストを読むことも可能なのだから、原作通りに頭から読まれることを希望するよりも安田成美が解釈した「星の王子さま」に耳を傾けるのも良い経験である。美声でもあるし。

 

カーテンコールには、木梨銀士も登場。安田成美が自身の次男であることを明かすと、「似てる!(安田成美にというよりも木梨憲武にだと思われるが)」という声も上がるが、実際はそんなに似ておらず、サッカー選手のような見た目である。木梨憲武も強豪・帝京高校サッカー部で、3年の地区予選までレギュラー、帝京高校は全国大会に出場を決めるが、全国大会では補欠に落ちてしまい、ピッチには立てなかった。なので両親に似ているというよりも木梨憲武のサッカー選手的雰囲気を受け継いでいるのかも知れない。

それよりも印象的だったのは、安田成美の声の可愛らしさである。今日の上演、更にはこれまでに出演したドラマや映画で演じている時の声よりも更に可愛い。つまり我々がこれまで聞いてきたのは演技用の安田成美の声であり、地声はさらに魅力的だったのだ。彼女はバラエティーにはほとんど出ないので(「笑っていいとも!」のテレフォンショッキングのゲストとして出演し、ここに来る直前にスタジオアルタの前で痴漢に遭ったことを告白していたのが記憶に残っているが)、彼女の地声はほとんど関係者にしか知られていなかったということになる。

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2025年11月23日 (日)

これまでに観た映画より(413) 「第三の男」

2025年11月17日

Amazon Prime Videoで、「第三の男」を観る。映画誌などの「歴代映画トップ10」などでたびたび1位に輝く名画である。原作:グレアム・グリーン。制作:デヴィッド・O・セルズニック。監督:キャロル・リード。出演:ジョゼフ・コットン、アリダ・ヴァリ(ヴァリ名義)、オーソン・ウェルズほか。音楽:アントン・カラス。俳優、演出、音楽等全てが高水準で「完璧映画」と称されることもある。

アントン・カラスがオーストリアの民族楽器、ツィターを使って奏でるテーマ音楽(ハリー・ライムのテーマ)は日本ではつとに有名で、ヱビスビールのCM曲となり、更にはJR恵比寿駅の発着音にも採用されている。

第二次大戦終了直後。連合国側(米、英、仏、ソ)による分離統治下にあったウィーンが舞台である。アメリカの三文西部劇小説家のホリー・マーティンス(ジョゼフ・コットン)は、ウィーンに住む親友、ハリー・ライム(オーソン・ウェルズ)から、「良い仕事がある」と誘われ、ウィーンへとやって来る。しかし、その直前にハリーは交通事故で亡くなっていた。ハリーの死はアパートの管理人によってホリーに告げられるのだが、この構図が実に格好いい。そしてハリーの葬儀に出席したホリーは、イギリス軍のキャロウェイ少佐からハリーが横流しの売人だったと告げられる。

ハリーの葬儀に気が強そうだが美しい女性が一人。ハリーの恋人であったアンナ・シュミット(アリダ・ヴァリ)である。彼女はオーストリア人の舞台女優として活躍していたが、実際はチェコスロバキア国籍であり、そのことで強制送還させられるのではないかと不安を感じていた。

そして、事故現場に、「第三の男」がいたことが明らかになる。この「第三の男」の姿を探してホリーは奔走するが、やがて「第三の男」が姿を現す……。

 

中学校3年の時、民放の深夜で、ノーカット日本語字幕付きの映画が放送されることがあった。「第三の男」もそうした深夜放送映画の1本としてビデオ(まだVHS)に録画して観たのが始まりである。ミステリー仕立てである上にユーモアにも溢れ、映画史上最高を争うのに相応しく思っていたが、今日、この配信を観て、これまでノーカットだと思っていた民放深夜の放送版には数カ所カットがあったことが分かった。勿論、話の展開には関係のないところがカットされているのだが、騙されていた気分である。配信の時代となり、多くの作品が観られるようになった今日にあっては、民放深夜の映画放送はもう需要がないかも知れない。

ミステリー作品なので、ネタバレ出来ない部分も多いのだが、下水道での大立ち回り、そして、「映画史上、最も長い歩くだけのシーン」とも言われるラストシーンは必見である。

なお、原作者のグレアム・グリーンは別のラストを用意していた。高校に入り、図書室で『グレアム・グリーン全集』を見つけた私は、「第三の男」を読んでみた。グレアム・グリーンの名は、赤川次郎が目標とする推理作家として知っていた。グリーンは映画版を観て、「納得がいくわけではないが、映画版の方が上と認めざるを得ない」と評価していた。

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2025年11月22日 (土)

これまでに観た映画より(412) 黒沢清監督作品「トウキョウソナタ」

2025年11月15日

Amazon Prime Videoレンタルで、黒沢清監督作品「トウキョウソナタ」を観る。日本、香港、オランダ合作映画。出演:香川照之、小泉今日子、役所広司、井川遥、津田寛治、土屋太鳳、児嶋一哉(アンジャッシュ)、井之脇海、小柳友ほか。

舞台はトウキョウ。どうも我々が住む世界の東京とは少し異なる場所のようである。

タニタ(あのタニタで間違いないようである)の総務課長の佐々木(香川照之)は、会社の「日本人一人の給料で、若い中国人を三人雇える」という人件費削減政策により、総務部が中国の大連に移ることを知る。遠回しであるが他の部署に移るか会社を辞めるかどちらかを選ぶようにいわれた佐々木は退社を選んだ。

このトウキョウには露骨に失業者が溢れているようであり、失業者が隊列を作って歩いていたりする。またハローワークもシュールで、階段をいくつも昇った上の階に3人ほどの対面スペースがある。階段は行列。東京のハローワークというと飯田橋や、職安通りのある新宿のものが有名だが、勿論、こんなおかしな仕組みにはなっていない。トウキョウのハローワークはカフカ的である。妻の恵(小泉今日子)や、息子の貴(小柳友)と健二(井之脇海)には内緒で、タニタに勤め続けているふりをしてハローワークや炊き出しに通う佐々木だったが、ある日、高校の同級生である黒須(津田寛治)と公園で出会う。最初は誤魔化そうとする二人だったが、炊き出しを行う公園に昼間からいるため、共に失業者であることは一目で分かった。ある日、黒須の家に招待された佐々木であるが、黒須の一人娘である美佳(土屋太鳳)は、佐々木の正体が父親同様、失業者であることを見抜く。おそらく黒須は誰かを家に招いたことがなく、急に佐々木が呼ばれたことから、父が失業者であると気付いていた美佳から同じ失業者だと見抜かれたのだろう。その後、黒須と妻は、ガス心中を図り、この世から去る。恵は佐々木が黒須と炊き出しをやっている公園にいるのを目にしており、夫が失業者だと気付いた。

一方、長男の貴の大学生活が上手くいっていないことに気付いていた佐々木と恵であるが、貴が米兵に志願しようとしていることを知る。トウキョウでは法律が変わり、日本人でも米兵として採用されるようになったのだ。

貴を自由放任主義で育てたのが間違いだったと考えている佐々木は、次男の健二は厳しく育てようとする。その健二は、ある日、美人のピアノ教師を見て、ピアノを習いたいと思うが、両親に反対される。それでもゴミ捨て場の中から、キーボード(音は出ない)を見つけ、給食費をレッスン代に回すことで、美人のピアノ教師、金子薫(井川遥)にピアノを教わることになるのだが、金子は健二のピアニストとしての才能が尋常ではないものであることに気付く。曰く「天才クラス」。音楽大学付属の中学校に行った方が良いというアドバイスも貰った。実は幼いときに「プロのピアニストを目指せる」と言われた人は結構いて、松たか子もそうだし(練習のしすぎで血を吐いて断念)、アナウンサーの内田恭子もそうだったような記憶がある。あの世界は天才同士の争いである。
だが、結局、ピアノは辞めさせられてしまう。

佐々木は、結局、スーパーマーケットの清掃業に就くのだが、「人生やり直したい」と思う。同じ頃、恵は自宅で強盗(役所広司)に襲われる。その後、車を走らせた恵と強盗。恵は途中でトイレに寄るが、スーパーマーケット内で清掃夫の格好をした夫と鉢合わせしてしまう。恵もまた「人生やり直したい」と思う。その時は、強盗だった相手とと思ったはずだが、強盗は恵が目を離している隙に、車を走らせて海の中へと消え去ってしまう。やり直すことなんて無理だ。
長男の貴が無事に戻ってこれそうだというニュースを聞いてしばらくして佐々木と恵は、白山音楽大学付属中学校(文京区白山に音楽関係の学校はないため、モデルとなった学校は存在しないと思われる)の入試に立ち合う。健二はドビュッシーの「月の光」を弾く。これが、合格するのか不合格なのか微妙な演奏が用いられている。ミスタッチはなくちゃんと弾けているのだが、サラサラと進みすぎで味は薄い。他の保護者達を注目させ、金子先生も納得の演奏だったが、合格出来るかどうかは実は微妙である。
だが、そんなことはどうでもいい。ここまで弾けるとは思っていなかった佐々木は演奏に涙し、これによって家族の環が閉じた。この家族でやり直す。

黒沢清監督の人間ドラマは分かりにくいということもあって、評価もサスペンスやスリラーに比べると低めなのだが、家族それぞれの状況が描かれ、環が閉じるという手法は比較的分かりやすく、カンヌ国際映画祭「ある視点」部門審査員賞、第10回アジア・アラブ映画大賞、シカゴ国際映画祭審査員大賞、第3回アジア・フィルム・アワード作品賞、脚本賞などを受賞している。


実力派俳優として活躍してきた香川照之だが、複数のバーでのセクハラとパワハラにより失脚。歌舞伎俳優、市川中車としてのみ活動してきたが、ネット配信番組で香川照之として復帰する予定があるようだ。

小泉今日子は、女優として安定した活動を続けてきたが、これまた不倫により一時女優活動を休止したことがあった。現在は復帰している。
若い頃からよく目にする人だったが、この映画の暗がりのシーンでは、顔がヨーロッパの女性のように見える場面がある。

役所広司演じる強盗は、元鍵屋で、錠前の天才。鍵に関する器用さや知識なら負けないが、人間関係が不得手であり、成功出来なかった。中盤以降からの登場だが、哀感漂う演技が見物である。

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2025年11月18日 (火)

観劇感想精選(501) M&Oplaysプロデュース「私を探さないで」

2025年11月8日 梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて観劇

午後6時から、梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで、M&Oplaysプロデュース「私を探さないで」を観る。作・演出・出演:岩松了。出演:勝地涼、河合優実、富山えり子、篠原悠伸、新名基浩、小泉今日子。

対岸に観光地の無人島がある、本町という街が舞台である。対岸の無人島は、昼間は観光地で本町から渡った人がいるが、滞在する場所がないため、夕方に帰りの便が出てからは文字通り無人島となる。だが、最近では、数件、滞在出来る場所が出来ているそうだ。

タイトルの「私を探さないで」の「私」は、具体的には河合優実演じる三沢晶(みさわ・あきら)のことである。この町の高校に通っていた晶は、17歳の時に突然失踪する。その直前に高校の教師である大城ユイ子(小泉今日子)が小説を発表。自身が勤める高校をモチーフにした話で、相手役のモデルは古賀アキオ(勝地涼)であるが、「橘」という名になっていた。だが、三沢晶は、三沢エミリと苗字はそのままであった。大城の小説はモデルがいるフィクションとして発表され、高校生にしては衝撃的な内容であり、話題になったが、三沢晶は小説中でも苗字が一緒であり、すぐに誰がモデルなのが分かってしまう。ということで三沢晶は姿を消さざるを得なかったのだ。大城は小説家に転身した。

古賀がこの町に戻ってきた。高校の同級生と再会し、今は小説家となった大城とも顔を合わせるが、高校の制服を着た晶を見かける。すぐにそれは幻影だと分かるのだが、町に一つしかない映画館で、晶と二人で「(スター・ウォーズ)ジェダイの復讐」(現在の邦題は、「ジェダイの帰還」)を観た記憶が蘇る。古賀の記憶では、大城先生からチケットを譲られて、晶と二人で観に行き、上映後に晶と目を合わせて決まりが悪くなった、なのだが、大城先生からチケットを譲られたという記憶も怪しい、更に晶と二人で観に行ったのかどうかも記憶のねつ造によるところが大きいのではないかと思い始める。
ただ最終的には、チケットを誰から譲られたのかは分からないが、古賀と晶の二人で映画を観に行ったという記憶は正しいのではないかと思われる。古賀と晶は親しかった。古賀はバスケットボール部であったが、部室かどこかで余り公には出来ないことをしていたのも確からしい。一方、大城も古賀には目を掛けていた。
晶はサプライズ好きな性格で、大城先生の誕生日に手焼きのクッキーをプレゼントして驚かせた。晶も大城も同性間での行いには余り抵抗がなく、やはりそうした関係になるのだが、ここで大城が裏切った。三沢晶の苗字そのままに三沢エミリというキャラクターを創造し、バイセクシャルで奔放な少女として描いた。フィクションではあるため、高校生という立場もあって何も言い出すことは出来ない、というよりも何か言ったらモデルであることが確定してしまう。のんびりとした街で起きた残酷な情念の物語である。現在の晶がどうしているのかは不明。大城の前にも姿を現す晶だが、大城は「本物のわけない」と晶がこの町にいるわけがないことを知っている。だが、晶の生死に関しては情報を得ていないだろうから、あくまで「幻覚」と見なしているということだ。あるいは亡くなっているのかも知れないがその情報はない。

話題作への出演が続く河合優実。舞台にも何度か出演している。独特のムードを持った人で、演技も巧みだが、声は鼻に引っかかり気味の高いものであるため、舞台よりもやはり映像に向いているかも知れない。
ステップも独特だが、大きく向きを変える時は、バレエ経験者でしかもかなり巧い人でないと出来ないと思われるターンを見せていた。

キャリアは長いが、私は初めて舞台で見る小泉今日子。彼女は女優や歌手、書評家よりも 何よりもまず「アイドル」であると思われる。その証拠にスペースの作り方が上手い、ソロのアイドルとして数々のステージやテレビ番組をこなしてきた結果、自分だけの見せ場を作る技術が身についたのかも知れない。セリフに関しては計3回言い間違えるなど安定感には欠けたが、演技スタイル自体は確立されているため、「誰だって言い間違いはある」という風に受け取ることが出来る。ポッと出の人が力が足りずに言い間違えた訳ではない。

 

岩松了の芝居は比較的分かりにくいと言われているが、今回は対立の構図が明白だったため、核の部分はつかめたように思う。

カーテンコールでは、多くの人が大阪のグルメについて挙げる。河合優実は、一昨日、昨日と大阪グルメを堪能したが、明日しっかり食べるため、今日は揚子江ラーメン(他の俳優が何人も名を挙げていた)は食べないという話をしてから、緊張していたのか「よろしくお願いします」と場違いな挨拶をしそうになり、慌てて止めていた。

岩松了は、マチネー公演で3つ下がっている短冊状のカーテンの1つがどうしても下りてこず、仕方ないので2本でやったという話をする。この公演もどうかと思ったが、幸い、きちんと3本下りてくれたようである。

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2025年11月17日 (月)

美術回廊(89) 京都国立近代美術館 「若きポーランド[色彩と魂の詩 1830-1918]」

2025年3月26日 左京区岡崎の京都国立近代美術館にて

左京区岡﨑の京都国立近代美術館で、「若きポーランド[色彩と魂の詩 1890-1918]」を観る。
中世には強国だったポーランドだが、近世以降は苦難の歴史を歩むことになる。3度に渡って国土が割譲され、国家がなくなるという経験もした。
この展覧会の舞台となる、1890年から1918年の間は、ポーランドは領土を、ロシア、ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー二重帝国によって三分割され、ポーランドという国家は消えていた。この状態は第一次世界大戦が終わる1918年まで続く。

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そんな時代に絵画でポーランドを表現した芸術家のことを「若きポーランド」と呼ぶ。厳密に言うと、ヤン・マテイコに影響された、古都クラクフ(ポーランドの京都と呼ばれることがある)の若い画家達のことである。ヤン・マテイコがクラクフ美術学校の校長を務めており、この学校から多くの才能が育った。
初期のポーランドの絵画は、ギリシャ美術の影響を受けているように感じられるが、次第に独自の作風を確立し、ある時はフランスのジャポニズムの影響を受け、ある時は20世紀前半において世界最先端だったロシアの美術を取り入れたりしながら「ポーランド的」なるものへの追求が続く。

この展覧会は全ての作品が撮影可であり、絵画の変遷を後から辿ることも出来る。

芸術家の苦悩と祖国の苦悩を重ねた作品、チェコのドヴォルザークの歌劇で知られる「ルサルカ」を題材にした不吉なイメージの連作、

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浮世絵の影響を受けたとされる冬景色、もやに霞む古城など、祖国の歴史が反映された作品も多いが、この時にポーランドのアイデンティティとなったのはショパンの音楽のようで、音楽家を描いた絵や、ショパンの「葬送」ソナタにインスパイアされた作品などが展示されている。ショパンは、フランスとポーランドのハーフではあるが、世界的に知られた唯一のポーランド人であった。ショパン自身は二十歳でウィーンへ、そしてパリへと渡り、ポーランドに帰ることはなかったが、生涯、自身をポーランド人と定義づけていた。

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そんなポーランドにも日本美術の影響が訪れ、着物姿の日本人を描いた作品や、日本人ではないが着物を着た女性などが描かれる。

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最終的にはポーランド絵画は写実的な方向に向かうようで、今回展示された作品はいずれも白を強調した作風となっていた。

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2025年11月14日 (金)

Eテレ「伝説のマエストロ カラヤンの日本公演再び」

2025年11月5日

NHKONEで、「伝説のマエストロ カラヤンの日本公演再び」を視聴。11月1日にEテレで放送されたもの。
20世紀後半最大の指揮者だったヘルベルト・フォン・カラヤン(1908-1989)。最大という形容に反して、身長は155㎝と白人男性としてはかなり小柄であった。ただレナード・バーンスタインも160㎝、広上淳一、下野竜也、大植英次という日本を代表する指揮者も軒並み小柄。女性指揮者も三ツ橋敬子は151㎝と女性としてもかなり小さい部類に入る。ただ考えてみれば、体が小さいと手も小さい。手が小さいと楽器を弾くには不利であり、ソリストよりも指揮者を目指す傾向はあるように思う。

カラヤンは計11回来日。ベルリン・フィルとの来日公演、ウィーン・フィルの来日公演、そして単身NHK交響楽団に客演している。
NHK交響楽団を指揮したのは1954年。日本での知名度は高くなかった。とても有能だったが、傲慢な性格に辟易したという話も伝わっている。
カラヤンがベルリン・フィルのシェフになった時代は、他にライバルとなり得るドイツ系指揮者がおらず(ベームはすでに高齢。ヨッフムは出世よりも楽団を育てることに喜びを見出すタイプ)、ベルリン・フィルのアメリカツアーに指揮者として帯同させて貰えれば、芸術監督の座を受けても良いとベルリン・フィル側に伝えていた。カラヤンの前にベルリン・フィルの首席指揮者となっていたのは、ルーマニア出身のセルジウ・チェリビダッケであったが、チェリビダッケはカラヤン以上に厳しい性格で、ベルリン・フィルの団員を平気で「下手くそ!」となじっていた。指揮者としては極めて有能だったが、ベルリン・フィルの団員はチェリビダッケにはこりごりだった。ということでカラヤン政権が誕生する。ナチ党員であったカラヤンは、戦後、「公的な演奏活動」を全て止められたが、録音活動は「公的な演奏活動」に含まれていなかったため、EMIのプロデューサーであるウォルター・レッグと組み、ロンドンに録音のために結成されたフィルハーモニア管弦楽団を指揮してレコーディングを行い、名声を高めていた。そんなこともあり、録音に関しては誰よりも積極的だった。
映像の制作にも熱心であったが、通常の配置では撮れないアングルから撮りたいというので、演奏する真似だけをさせることも多く、楽団員からは不評であった。

まず、東京・内幸町(愛宕山と表記されることもある)の旧NHKホール(現存せず)で行われたベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との来日演奏会。1957年、ベルリン・フィルとの初来日時の映像である。演奏されるのはワーグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲である。
カラヤンの指揮であるが、不思議な印象を受ける。この頃は「カラヤンは指揮するときに目を閉じる」は徹底されておらず、閉じたり開けたりしながらの指揮だが、動きが必ずしも流麗とはいえず、指揮棒も分かりにくいということはないが、予想外の動きをするため、オーソドックスタイプの指揮者に見えない。1957年のモノクロ映像であるが、ステレオでの収録である。カラヤンはすでにフィルハーモニア管弦楽団とステレオでの録音を行っていたが、映像としてはカラヤンとしても初のステレオ収録かも知れない。演奏としては録音が古いということもあってややまとまりに欠ける感じ。そもそもカラヤンはワーグナーはよく取り上げたが得意ではなかった。

続いてベートーヴェンの交響曲第5番。冒頭付近は映像がなく静止画、面白いのは、ハープが指揮者よりも前に位置するという配置。日本指揮者協会(というものがある。岩城宏之が外国人指揮者に、「日本には指揮者協会というのがあってね」と話したところ、「指揮者は二人いたらもうライバルなのに、お前の国は何やってんだ?」と呆れられたそうである)の演奏会で、山田一雄がハープを受け持ったのだが、「山田先生のような偉い方を奥に置くわけにはいかない」ということで、指揮者より前に出したことがあったそうだが、そんな感じである。
カラヤンは生涯に4度、「ベートーヴェン交響曲全集」を録音している。50年代、60年代、70年代、80年代だからほぼ10年おきだ。更に東京の普門館で行われたベートーヴェン交響曲チクルスを録音した放送音源の全集もリリースされている。個人的には70年代盤が好みである。
今回の映像であるが、貴重なものであることには間違いないが、指揮者がまだ熟していない気がする。この年、カラヤンは49歳。「40、50は洟垂れ小僧」ならまだ洟垂れ小僧である。この時点では、カラヤンがこの後、ベルリン・フィルとウィーン国立歌劇場(ウィーン・フィルの母体でもある)の芸術監督を兼任して帝王と呼ばれるようになるとは思えない。それほど若さが先行した演奏である。

格好いいとされた指揮姿も、今の指揮者達に比べると地味だ。やはり真正面を向いたまま指揮することが多く、左右に体を向けることはほとんどない。他の指揮者もそうなので、これがこの時代の正統的な指揮のスタイルだったのだろう。

カラヤンとウィーン・フィルの演奏。カラヤンはウィーン国立歌劇場芸術監督時代にはウィーンに家を持っているが、その後、田舎に居を構え、ベルリンではホテル暮らしだった。ベルリン・フィルのメンバーにはそのことを不満に思う人もいたようである。
1959年11月6日に、日比谷公会堂で行われたブラームスの交響曲第4番の演奏である。モノラルでの収録。カラヤンのブラームスには定評があったが、ベルリン・フィルを振った交響曲全集などは、私にとっては音で押してくる感じがして苦手である。
ここでは構造重視の演奏。センチメンタリズムなどは表に出さない。その方がカラヤンらしいと言える。
部分的には指揮棒を抑えてオーケストラに任せるところもある。一部は映像が存在しないようで、やはり写真などで乗り切っている。

最後は、1957年10月27日の、旧NHKホールで行われたブラームスの交響曲第1番第4楽章のベルリン・フィルとの映像。熱い演奏だが、カラヤンの若々しさの方が勝っているように思う。指揮姿も巨匠というより若武者といった感じ。旧NHKホールは収用人数600人程度とかなり手狭だったが、音響の良さは今にも伝わっており、この日訪れた聴衆も期待の若手指揮者と世界最高峰のアンサンブルに満足したのではないかと思われる。

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2025年11月13日 (木)

追悼・仲代達矢 これまでに観た映画より(411) 市川崑監督作品「炎上」

2025年11月11日

追悼のため、FODレンタルで大映映画「炎上」を観る。三島由紀夫の『金閣寺』の映画化。しかし京都の仏教界から批判が相次ぎ、かなり妥協して作った作品である。1958年の制作。東京タワーが竣工し、長嶋茂雄が読売ジャイアンツに入団し、広上淳一と大友直人が生まれた年だ。

原作:三島由紀夫。監督:市川崑。脚本:和田夏十(わだ・なっと。市川崑夫人)。音楽:黛敏郎。出演:八代目市川雷蔵、二代目中村鴈治郎、仲代達矢、新珠三千代、北林谷栄、中村玉緒ほか。モノクローム作品である。

金閣寺の名は使えず、驟閣寺(しゅうかくじ)となった。ちなみに大谷大学も駄目なのか小谷大学になっているが、却って品格を落としているような気がする。
撮影は大映京都撮影所内で行われているが、大徳寺境内とおぼしき場所も映っている。驟閣は、大覚寺の大沢池の上に2階建てのセットとして建てられたが、色々制限もあったからかややチャチである。世にも美しい驟閣とは思えないのだが、当時の実際の金閣の方も(正式には鹿苑寺舎利殿)も金はすでに剥げ落ち、木の目が露わになった建物で、しかも足利義満が建てた建物に更に継ぎ足して建てられた部分があり、歴史的価で国宝となったが、もはや美しいとは言えない建物であった。現在の再建された金閣(舎利殿)であるが、足利義満が建てたときの図面や古写真によって、外観は往時のものより整った。だが、金箔は貼ってもすぐに剥げてしまう。修学旅行で訪れた高校の引率の先生が、「あれじゃ金閣じゃなくて黒閣だ」と言ったという有名な話もある。実際、私が子どもの頃の金閣は、金までも黒ずんで真っ黒という姿であった。その後、創建時の技法などが研究され、金箔を二重に貼る工法が考案されて、以後は金ピカの金閣となっている。禅寺があんな金ぴかで良いのかとも思うが、極楽の実相観のためということなのだろう。

空襲に備えて、道路の拡幅のために、家が壊されるシーンがあり、豪快な屋台崩しが行われる。御池通、五条通、東山通(現在の東大路通。信号などに記された交差地点の名称は今も東大路ではなく東山〈例:東山七条〉となっているものが多い)などで道路の拡幅が行われた。こうした京都の街の歴史は案外、知られていない。

なお、金閣寺こと北山(ほくぜん)鹿苑寺は臨済宗の本山ではなく、京都御苑と同志社大学今出川校地の北にある本山相国寺の境外塔頭である。銀閣寺こと東山(とうざん)慈照寺も相国寺の境外塔頭であり、共に拝観料を取るため、相国寺は京都で最も金持ちの寺院と言われている(相国寺は境内に立ち入るのは無料)。ただこの映画では驟閣寺は本山ということになっている。

原作と違い、主人公である溝口(市川雷蔵)の母親が京都まで来て居座るのだが、この母親を演じているのが北林谷栄であり、やはり演技のキレやリアルさは頭一つ抜けている。

文学で言う「意識の流れ」のような手法が溝口の父親や母親との思い出において用いられているのが特徴。

溝口がなぜ驟閣を燃やさなくてはならなかったのか、吃音持ちという生い立ちから、母親の不倫、京都に出て修行に入り、戦争を経験し(京都は、西陣、太秦、東山馬町を除いて大規模な空襲はなかったが、溝口は、東京出身の鶴川という友人が東京に帰って空襲に遭い、亡くなるという経験をしていた)、老師(中村鴈治郎)を始めとする僧侶達の女遊びなど、世間を知るうちに、穢れた世界にあって、驟閣は美しすぎると考え、他者に与える訳にはいかないと思ったのかも知れない。

仲代達矢が演じるのは、頭は良いがチョイ悪の身体障害者、戸刈(原作の柏木に相当)である。吃音の溝口同じく障害者であるが、脚が不自由な戸刈は自身の障害を見せることで、人の気を引く術を心得ていた。ニヒルな役を、仲代は生来の眼力の強さでエネルギッシュに演じている。

市川崑監督作品ということで、袖を襖の間に挟んで強引に引き抜くというシーンは当然ながらある。


黛敏郎の音楽は仏教で用いられる楽器や声明を巧みに音楽として取り入れ、涅槃交響曲へと繋がる。他にパーカッションなどが効果的に用いられている。
黛敏郎は、後年、ベルリン・ドイツ・オペラの委嘱により歌劇「金閣寺」を書いている。三島の『金閣寺』をオペラ化した作品で、二十世紀に日本人の手によって書かれた音楽作品の筆頭ともいえる傑作である。

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2025年11月11日 (火)

武満徹 3つの映画音楽より第3曲「他人の顔」~ワルツ マリン・オルソップ指揮ボーンマス交響楽団

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2025年11月10日 (月)

観劇感想精選(500) 森田剛主演「ヴォイツェック」(ジャック・ソーン版)

2025年10月25日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後5時から、西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、「ヴォイツェック」を観る。チフスのため23歳の若さで早逝した小説家、劇作家のゲオルク・ビューヒナーの未完にして代表作となる戯曲の上演。「ヴォイツェック」であるが、未完の上に原稿に通し番号などが振られていない状態で発見されたため、ビューヒナーがどこをどのようにどの順番で上演するつもりだったか今になっても分かっておらず、演出家が原稿の順番を選ぶため、同じ「ヴォイツェック」でも印象が大きく異なる。
ただ、アルバン・ベルクが作曲した歌劇「ヴォツェック」という、オペラ史上1、2を争うほどの傑作があり、このオペラが基準になるとは思われる。タイトルが「ヴォツェック」なのは、ベルクに送られた台本のタイトルに不備があり、「Woyzeck」であるべきところが「Wozzeck」となっていたためである。ヴォイツェックは実在の殺人犯であるため、ベルクはすぐにタイトルを変更しようとしたが、ゲオルク・ビューヒナーの「ヴォイツェック」と自身の歌劇「ヴォツェック」はもはや別物と考え、タイトルの変更を行わなかった。
ベルクの歌劇「ヴォツェック」の完成度が高いため、演劇の「ヴォイツェック」で満足の行く出来に持って行くことは至難の業である。

歌劇「ヴォツェック」は、東京・初台の新国立劇場オペラパレスで聴いている。今に至るまで唯一のオペラパレス体験である。指揮のギュンター・ノイホルトが優れた音像を生み出していたが、演出が余計なことをしまくったため、全く感動も納得も出来ないという残念な結果に終わっている。

ストレートプレーではなく。音楽劇とした「ヴォイツェク」は、大阪の京橋にあったシアターBRAVA!で、山本耕史のタイトルロールで観ており、そこそこ良い印象であった。
今回はストレートプレーでの上演であるが、ビューヒナーのテキストそのままではなく、ジャック・ソーンが翻案したテキストを使用しており、舞台を1981年の西ベルリンに変更。登場人物は、主にイギリス系とアイルランド系で、IRAが起こした闘争などを避けて、西ベルリンに渡っているという設定である。上演台本と演出は、新国立劇場演劇芸術監督の小川絵梨子が行っている。小川はプロデュース作品に演出家として参加するのは初となるようだ。

 

出演:森田剛、伊原六花、伊勢佳世、浜田信也、中上サツキ(なかがみ・さつき)、須藤瑞己(みずき)、冨家ノリマサ、栗原英雄。
冨家(ふけ)ノリマサの姿を見るのは久しぶりである。バブル期にはテレビによく出ていた気がするのだが。中上サツキは、「なかがみ」と読む苗字。中上姓の人物として、若くして亡くなった中上健次が有名であるが、彼の本姓は「なかうえ」と読む苗字である。ただ、「なかがみ・けんじ」はペンネームとしての読み方ではなく、中上自身、自分の苗字の読み方を終生勘違いしていたというのが本当のところのようである。中上は被差別部落出身を売りにしていたが、実際は被差別部落のそばの結構良い家出身だったりと、妙な話が多い。

中上健次の話は置くとして、「ヴォイツェック」である。タイトルロールを演じるのは森田剛だが、北アイルランドのベルファスト出身の「フランク」に設定が変わっている。妻のマリー(伊原六花)は、アイルランドの出身。この時点で上手く行きそうにない。
その他の登場人物では、医師(名前はマーティンとイギリス風だがドイツ人。栗原英雄)、東ドイツ市民(中上さつき)と東ドイツ市民とアパートの大家(須藤瑞己が二役で演じる)以外の全員がイギリス人という設定である。

イギリスとアイルランドは、大英帝国の時代はイギリスがアイルランドを飲み込む形で同じ国家であったが、アイルランドはケルト系が多く、第二次大戦後は独立。国教はカトリックである。ただ北部の一部はプロテスタントが多く、そのままイギリスに残り、イギリスの日本語による正式名称は、「グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国」となっている。だが、当然ながら、「アイルランド全島がアイルランドだ」考える人も多く、宗教紛争、それも命に関わるものが絶えない。
イギリスも元々はカトリックの国だったが、カトリックでは離婚が出来ないため、国王が離婚したいがためにプロテスタントに改宗し、国教(英国国教会)としている。
ここに宗教の壁の問題がある。

更に舞台となる1981年のドイツは東西に分断されている。ベルリン市は東西に分かれ、西ベルリンから西ドイツに渡るには、空路か東ドイツが運営する鉄道を利用するしかなかった。東ベルリンは東ドイツの首都だが、西ベルリンは西ドイツの首都ではなく、西ドイツの首都はベートーヴェンの生まれ故郷として知られる中規模都市、ボンに置かれた。
東ドイツは事実上、ソビエト連邦の属国である。
ただ、陸の孤島状態とはいえ、西ベルリンは西ドイツの文化の中心。東ベルリンとの繁栄の差は明らかで、東ドイツでは人権も制限されるため、東ベルリンから西ベルリンに移る人が後を絶たず、ある日突然、東ベルリン当局によってベルリンの壁が築かれた。
兵士であるヴォイツェックは、同僚のアンドリュース(浜田信也)と共に、ベルリンの壁を見張っている。元の「ヴォイツェック」では、赤い空の幻影をヴォイツェックが見ておびえる印象的なシーンがあるが、それは今回はない。代わりに東ベルリンの街を見続け、マリーと二人で、アパートの6階から寂れた東ベルリンの街を見るシーンもある。東ベルリンから西ベルリンに入ろうとして失敗した女性(中上サツキ)が、東ドイツの兵士(須藤瑞己)に連れ戻される場面もある。

アンドリューズは、医師の妻であるマギー(伊勢佳世)と不倫しており、更にマリーとも不倫しているようである。マリーは、男と寝てお金を貰っていることを、マギーにさも当たり前でもあるかのように話しており、歌劇「ヴォツェック」の貞操感に悩むマリーとは大きく異なる。19世紀から1981年に舞台が移っているので、感覚がまるで違うのである。19世紀には、姦通罪のある国も多く(日本も含まれる)、不倫は本当に犯罪だったのだが、1981年時点の西ドイツには姦通罪はない。カトリックには、「汝姦淫するなかれ」など、厳格な規律があるが、20世紀には宗教の力も落ちている。ただ、マリーは寄付を募っている。カトリックは、信者から寄付を集めるのだが、マリーはカトリックの教会のために寄付を集めているのである。マリーの主な仕事は子育てと寄付集めになる。カトリックは集まった寄付で立派な教会を建てたりする。一方、プロテスタントは、そもそもそうした金集めの制度を疑問視しているので、基本、寄付は募らない。京都市内にもキリスト教の教会は多いが、綺麗で立派なのがカトリックの教会、なんだかオンボロなのがプロテスタントの教会という見分け方がある。
イギリスからの移民とアイルランドからの移民とでは宗教が異なることが最大の問題であり、イギリス出身のジャック・ソーンも宗教の違いを重要なテーマとしている。

ヴォイツェクとマリーの間には赤子が一人おり、なぜか子育てを「携わる」という堅い言葉で呼んでいるのだが、マリーは赤子の性別についても嘘をつく。「女の子」とヴォイツェックには告げるが実際には男の子である。

「ヴォツェック」と言えば、ヴォツェックに金を与える代わりに人体実験を施し、やたらと偉そうに命令する医師との場面が有名なのだが、オペラとは異なり、医師の登場は余り早くない。ヴォイツェックには立ち小便をする癖があり、医師から「立ち小便を止めろと言っただろう!」と叱責される場面があるのだが、オペラの台本では、「下品だ」という理由で、「咳を止めろと言っただろう!」という無茶苦茶な要求に変わっている。止めるに止められない生理現象に口出しするところが頭のおかしさの強調にもなっているのだが、いくらなんでも「咳を止めろ」という人は余りいない。最晩年のショルティが、演奏開始直前に最前列で咳が止まらなくなった老人を「うるさい」と叱りつけたという話はあるけれども。
今回は「立ち小便」になっている。ヴォイツェックは4歳で孤児になり、12歳の時に母と永遠に別れ(ヴォイツェクの母親とその幻影は、伊勢佳世が二役もしくは三役で演じている)、満足な教育を受けていないため読み書きは出来ず、礼儀作法なども教わっていない。袋小路という感じの悲惨な設定である。医師に「頭がおかしい」と断言される場面もある。そういう医師もおかしく、ドイツ語が出来ないヴォイツェクに延々とドイツ語で話して屈辱を与える。
マナーが悪いから立ち小便をするのを禁じるというのではなく、与えた薬の効き目を知りたいので「無闇に小便をするな!」という意味で言っていることが時間が経つに連れて明らかになる。

マリーは西ベルリンを諦め、アイルランドに帰ることを決意。先にアイルランドに帰るが、その後にヴォイツェックにも来て貰うつもりだった。だがヴォイツェックはトラウマのあるアイルランドに行くつもりはない。IRAについては多くの作品で描かれているが、最近の作品としては、ケネス・ブラナー監督の「ベルファスト」などが詳しい。

最終的には、マリーの不貞に気付くヴォイツェックだったが、マリーは断固否定。しかしマリーを信じられないヴォイツェックは彼女を絞め殺し、銃で自殺する。

歌劇「ヴォツェック」のラストは、ヴォツェックとマリーの息子が、子どもたちの遊びの輪に加わろうとするも、殺人者の子どもなので入れて貰えず退場するという、救いのないものだが、今回はベルリンの壁を表していると思われる落書き(ヴォイツェックの息子が冒頭で書き殴った)のある壁の下に座り込んでいる。2025年からの視点で見れば、1989年にベルリンの壁が崩壊し、東西両ドイツは併合。一時は旧西ドイツが旧東ドイツに経済面で足を引っ張られるものの回復。EUのリーダー格となり、GDPも日本を抜いて世界3位に浮上、というのは日本人としては悲しいが。
時代的には、ヴォイツェックの息子の未来は、ヴォイツェックよりは明るいと思われる。

森田剛は背が低いが、比較的背の高い俳優を何人も起用することで、見下された立場を表している。森田剛がタイトルロールに選ばれた一つの理由と考えられる。森田剛は演技のバリエーションは余り多く持っていない人で、5年前に観た「FORTUNE(フォーチュン)」の時と余り変わっていない気がするが、熱演ではあった。
マリー役の伊原六花。大阪府立登美丘高校の林キャプテンとして「バブリーダンス」のセンターを務めて注目された人だが、舞台で観るのは二度目。前回は安部公房原作の「友達」で、一番最初にセリフを発する役だったが、それほど良い役という訳でもなく、余り印象に残っていない。今回はナチュラルな演技で、熱演タイプの森田剛を上手く受け止めていたように思う。大阪出身なので、表に届いていた花も彼女宛のものだけだった。
この人は明るい性格だが、かなりの負けず嫌いだと思われるため、今後伸びそうである。NHK連続テレビ小説「ブギウギ」でも誰にも負けたくない女性・秋山美月を演じていたが、ある程度、伊原の性格に合わせた部分もあるのだろう。

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2025年11月 9日 (日)

これまでに観た映画より(410) 「爆弾」

2025年10月31日 MOVIX京都 Dolby Cinemaにて

MOVIX京都 Dolby Cinema(南館4階)で、日本映画「爆弾」を観る。Dolby Atmosの音響。

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映画「爆弾」は今日が公開初日。MOVIX京都では、普通の音響による上映を3回、Dolby Cinemaでの上映を2回行う。Dolby Cinemaでの上映は前打たれてはいないが、上映開始時間(20時5分)と特別料金であることから事実上のレイトショーでの上映である。
MOVIX京都でのレイトショーは基本、人が入らないのだが、今日は20名に足りないほどではあったものの、入った方である。

映画「爆弾」は、呉勝浩(ご・かつひろ)のベストセラー小説の映画化。東京都内のどこかに仕掛けられた大小様々な爆弾を巡る、容疑者スズキタゴサクとの心理攻防戦が見物である。エキストラも大量に参加しており、迫力ある映像となっているが、屋外よりも中野野方警察署取調室内でのやり取りの方がスリリングである。
監督:永井聡(あきら)。出演:山田裕貴(ゆうき)、伊藤沙莉、染谷将太、坂東龍汰(りょうた)、寛一郎、渡部篤郎、正名僕蔵、加藤雅也、片岡千之助、中田青渚(なかた・せいな)、夏川結衣、佐藤二朗ほか。

東京都内各所に爆弾が仕掛けられ、順次爆発していくという予告がある。それを行うのは自称、スズキタゴサクという冴えない感じの中年男性(佐藤二朗)である。元々はホームレスだったようだ。酒屋で暴れて逮捕され、野方署で取り調べを受けているスズキタゴサクは、クイズを出すというやり方で爆弾のありかを示すが、自分が仕掛けたのではなく、その場所を「霊感のようなもの」で「感じる」らしい。爆弾に霊も何もないだろうと思うが、この男が鍵を握っているのは事実だ。クイズは、最初のうちは易しい内容で、「件(くだん)」という化け物」や「焼き肉のタン(舌=下)」などから九段下のとある場所に仕掛けられていることが分かる。更に新聞発売所が九段下にあることを知り、その後のスズキタゴサクのクイズの内容から沼袋交番の巡査長の矢吹(坂東龍汰)と巡査の倖田(伊藤沙莉)は配達する新聞の中に爆弾が隠されているのではないかと推理し、中東人の配達員が運転していたバイクを奪って、何とか広い場所に出て、横転させて滑らせる。爆発はない、と思う頃に小規模だが爆発はあった。その後も爆弾は東京中に仕掛けられていることが分かる。
警視庁捜査一課から来た類家(るいけ。山田裕貴)は、野方署でスズキタゴサクと対峙。化け物のような存在のスズキタゴサクと心理戦や知的攻防戦を繰り広げる。類家の前には、やはり捜査一課から来た清宮(渡部篤郎)がスズキタゴサクと向き合って、言動から爆弾のありかを聞き出そうとしていた。しかし、最後までスズキタゴサクの出すクイズを聞かなかったため、犠牲者が出るのを防げなかった。清宮は類家にバトンタッチする。

矢吹と倖田であるが、独自の捜査により、スズキタゴサクが以前暮らしていたシェアハウスを見つける。しかしそこで矢吹は罠にはまり、小規模ながら爆弾を踏み、右足首より先を吹き飛ばされる。倖田も近くにいたが、矢吹が身を挺してかばったため、ほぼ無傷。だが、倖田はスズキタゴサクへの復讐心に駆られ、矢吹を病院に向かわせた後で野方署に向かう。
野方署の伊勢(寛一郎)は、何故かスズキタゴサクに好かれるのだが、仕事に徹している。伊勢は、倖田に恋心を抱いていたのだが、病院内で倖田が笑顔で矢吹の見舞いに訪れるのを見て諦める。

環状線(山手線)の各駅で爆弾が炸裂する。もともとのターゲットは環状線(山手線)の各駅(新橋、品川、五反田、渋谷、新宿、池袋、巣鴨、日暮里)で、九段下、東京ドームシティー、阿佐ヶ谷などは山手線が狙われていると警察に悟られないよう、ダミーの爆破として行われている。
山手線を環状線と呼んでいるのはJRへの配慮かも知れない。ちなみに大阪にも大阪環状線があるが、環状していなかったり(途中で終点を迎えるので別のホームに移動しないといけない)、環状線内も走るが、大阪市内でなく奈良や和歌山に行ってしまう列車もあり、下手に居眠りできない路線となっている。

野方署の刑事、長谷部(加藤雅也)は人とは違った性的指向を持っており、それが流されて雑誌に載り、追い詰められて阿佐ヶ谷駅で鉄道自殺した。夫人であった明日香(現在は旧姓に戻って石川明日香を名乗る。夏川結衣)は鉄道会社から高額の請求をされ、貧しい暮らしへと落ちていった。

取調室がメインで、動きの場面がそれに比べると少ないためか、やや長く感じられるのが難点である。137分の映画なので、通常の映画に比べるとそもそも少し長めではあるが。

なんといってもキーパーソンであるスズキタゴサクを演じた佐藤二朗の存在感が圧倒的。こうしたキャラクターは舞台経験が豊富なら上手く演じられるが、映像での演技しかしてこない人では出せない味だろう。
佐藤二朗は、テレビドラマなどでは「芝居が大袈裟」と言われることもあり、実際、そういうときもあるのだが、この手の映画では、「彼でないと無理だろう」と思わせるほどの完成度を示している。あるいは佐藤二朗の代表作になるのかも知れない。

 

明日(2025年11月1日)から、大阪でまた主演映画「風のマジム」が上演される伊藤沙莉。警察官ということでいつもの可愛らしい笑顔はラストのみである。警官らしいキビキビとした演技。
矢吹が爆弾を踏んだ時、矢吹が背後の倖田を守ろうとしてかばいに行き、共に気絶するシーンがあるのだが、気がついて矢吹の体を放した時に倖田の前髪が乱れている。伊藤沙莉の映像作品はかなりの数見ているのだが、前髪が乱れているのを見るのはおそらく初めて。かなり色っぽく、「アラサーだけど子どもっぽいところを残している可愛い女の子」というイメージが覆る。おそらく、出来る女を演じても篠原涼子などよりも妖艶で大人な魅力が出せるはずで、こういう伊藤沙莉も良い。実際には篠原涼子も伊藤沙莉も実務が出来ないタイプなのだけれど。
なお、実際には伊藤沙莉の方が坂東龍汰より年上であるが、劇中では矢吹の方が倖田よりも年上で階級も上ということになっている。
倖田沙良が病院に矢吹のお見舞いに行ったときの格好は、制服とは真逆の「TRICK」の山田奈緒子のようなフェミニンなもので、ここに彼女の本当の性格が表れていそうである。伊藤沙莉も「サバサバ系に見られがちだが、実は真逆の乙女脳」だそうで、だからなのかどうかは分からないが、フェミニンな格好も似合っている。演出的には意外性を狙ったのかも知れないが、普通に女っぽい可愛い子で、普段からそういう人なのだろうと察しが付くため、意外性は余りない。寛一郎演じる伊勢が倖田に好意を抱いていることが分かる場面やセリフがあって、ラストに向けての一種の伏線にもなっているのだが、伊勢もあるいは倖田のプライベートを知って好きになったのかも知れない。

ちなみに伊藤沙莉と坂東龍汰は、二人でいろいろ考えてアドリブをいくつも入れたそうだが、全てカットされたそうである。

 

三國連太郎の孫で、佐藤浩市の息子である寛一郎。NHK連続テレビ小説「ばけばけ」でも、山根銀二郎という、音楽評論家の山根銀二によく似た名前の役を若々しい演技で見せていた。今回は、出番は多いのだが、メインになる場が余り多くなく、二番手か三番手である。親子であるだけに、セリフ回しは佐藤浩市によく似ている。

 

実質的主役の山田裕貴。中日ドラゴンズや広島東洋カープで活躍した内野手、山田和利の息子である。名古屋で生まれ育ったので中日ドラゴンズのファンであり、この映画でもドラゴンズにまつわる話がいくつか出てくる。なお、中日ドラゴンズはこの映画に協力という名で援助を行っている。
頭の切れる変人といった感じがよく出ているが、まだ若いために重厚感は不足。年を重ねると重厚感も出てくるだろう。運動神経も良いようなので、アクションなどでも活躍出来るかも知れない。

1990年代を代表する美女の一人であった夏川結衣。透明感が抜群で、連続ドラマ「青い鳥」や林海象監督・永瀬正敏主演の「罠」に主役の濱マイクの口のきけない彼女役で出演したときの透明感などは同じ人間とは思えないレベルであった。
21世紀に入ってからは、少し体重が増えたようで丸顔の可愛いおばちゃんとなり、「結婚できない男」での女医役は当たり役となっている。
今はまた少し痩せたようで、薄幸な女性を演じている。宮本輝原作の「私たちが好きだったこと」では、不安神経症の女性を演じた夏川結衣。今も透明感はあるので、こうした役も似合う。ラスト付近の倖田役の伊藤沙莉との二人のシーンも生きる悲哀が感じられて良い。

俳優陣は実力派揃いだが、やはり中心にいるのはスズキタゴサクを演じる佐藤二朗で、不気味だがその辺にいそうという怖ろしさを見る者に伝える。劇中でスズキタゴサクを本気で殺そうとする者や、スズキがヒントを出すときに使う右手の人差し指をへし折る者が出てくるのだが、それほど憎々しい怪物を佐藤二朗はリアリティを持って演じている。
基本的に佐藤二朗を見るべき映画になっていると思われるが、エンターテインメント大作として映画史に刻まれる作品になりそうな気がする。

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2025年11月 8日 (土)

観劇感想精選(499) 「市川團十郎特別公演」昼の部「伊達競阿國戯場 三升先代萩」 令和七年十月十一日

2025年10月11日 京都四條南座にて

正午から、京都四條南座で、「市川團十郎特別公演」昼の部「伊達競阿國戯場(だてくらべおくにかぶき) 三升先代萩(みますせんだいはぎ)」を観る。三升という成田屋の定紋がタイトルに入っていることからも分かるとおり、成田屋でしか上演しない且つ出来ない演目である。石川耕士が補綴を行っている。

今回の「市川團十郎特別公演」は、昼の部が自家のための演目、夜の部は「歌舞伎の世界」というタイトルで、有名な歌舞伎の演目のハイライト上演で、おそらく團十郎による解説もあり、明らかに歌舞伎初心者向けとなっている。歌舞伎好きとこれから歌舞伎の世界に入ろうとする客の両取り作戦である。

「三升先代萩」は、仙台藩のお家騒動(伊達騒動)を題材にした「先代萩」の成田屋専売版である。まず團十郎が口上を述べる。挨拶などの後で、背後に人物関係図が下りてきて、「三升先代萩」の解説を行う。江戸時代の話が元なのだが、幕府にあれこれ文句を付けられぬように、室町時代の話としており、山名宗全、細川勝元など実在の人物も登場する。お家乗っ取りを企む悪漢との戦いであるが、團十郎は早替えで計7人を演じ分ける。ということで、結構有名な人も出演しているのに、團十郎以外は基本端役で、團十郎のワンマンショーとなっている。
この時の足利家分家の当主である頼兼を團十郎はかなりのバカ殿として演じている。早替わりは巧みだが、中村勘九郎の方がスムーズに感じる。

最大の特徴は大詰めにある。細川勝元を演じているときに團十郎は、「寄こしてみなさい」といったように、完全現代口語でセリフを発する。歌舞伎で「寄こしてみなさい」というセリフが存在する可能性は低く、「ふん、寄こせ」などのセリフを現代語に改めたものと考えられる。現代の演劇のようなセリフを入れた意図ははっきりしないが、セリフは聞き取りやすくなった。團十郎の弱点は滑舌の悪さという指摘があるが、歌舞伎の言い回しでなく現代語で語られるようなセリフなら発音も明瞭である。そして細川勝元を機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)に見立てたという可能性も考えられる。
十三代目襲名以降、様々な取り組みを行っている團十郎だが、今回の現代口語もその一つだろう。私は、「ああ、そう来たか」と思っただけだったが、「これはもう歌舞伎ではない」と考える人もいるかも知れない。いずれにせよ大胆な試みである。

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2025年11月 7日 (金)

コンサートの記(930) mama!milk “Musica Moschata(ムジカ・モスカータ)”

2025年10月4日 三条高倉の京都文化博物館別館ホールにて

午後6時から、京都文化博物館別館ホールで、mama!milkの公演“Musica Moschata(ムジカ・モスカータ)”を聴く。

京都を拠点に日本、そして世界各地で演奏を行っているmama!milk。アコーディオンの生駒祐子とコントラバス(ダブルベース)の清水恒輔のデュオだが、今回はマルチプレーヤーである曽我大穂(そが・だいほ)を迎えてのトリオでの演奏である。曽我が演奏するのは、ウクレレ、フルート、ブルースハーモニカ、自作の鉄琴、アコーディオンなど数多い。また、ノイズを入れる役割も受け持つ。

mama!milkは、アルゼンチンタンゴ、コンチネンタルタンゴ、ミニマル・ミュージック、アンビエント系など様々な音楽を取り入れて自分たちのものとしている。舞台音楽を手掛けることも多く、白井晃演出の舞台で音楽を担当したり、今はなきアトリエ劇研で行われたダンス公演に生駒のみが音楽担当として参加したりしている。

音楽は時に官能的、時に詩的、時にドラマティック、時にセンチメンタルと幅が広く、好きな人はかなりのめり込みたくなるタイプの作品群である。

音楽専用ホール以外でも演奏することは多く、特に今日演奏する京都文化博物館別館ホール(旧・日本銀行京都支店。国指定重要文化座)は、内装とmama!milkの音楽性がマッチしているため、たびたび演奏会場として選ばれている。
京都文化博物館別館ホールの他に定期的に演奏している場所として左京区の法然院が挙げられる。谷崎潤一郎など有名人の墓が多いことで、鎌倉の東慶寺と共に知られている法然院で毎年のように演奏を行っている。収容人数は限られているが、そこでライブを行ったり、コロナが流行ってからは、演奏の同時配信などやライブラリー化にも力を入れている。
また金沢21世紀美術館で、初めて演奏を行ったのがmama!milkだったはずである。

今回はネットで受付を行う(基本QRコードを読み取ることになるのでスマホでの購入となる)のだが特に整理券配布などはなく、来た順で入れる。ただし、スマホに記された名前などは名簿で確認される。ということでやはりスマホ必須である。空間自体が狭いので遅めに入ったとしてもそれほど不満はないはずである。
名簿を確認して、名前があったら、丸く包まれ、リボンを掛けられた紙が渡される。招待状を模しているが、これがこの公演のチケットで、何らかの事情で会場を出る必要があるときは、再入場する際に、この招待状スタイルのチケットを提示する必要がある。

開演5分前に客演である曽我大穂が現れ、自家製の鉄琴などをチェック。紙をグランドピアノのチェアに置き(今回はグランドピアノが使われることはない)、下手端にすぐ崩れそうな木製の案山子を組み立てるが崩して大きな音を立ててしまう。
その間に、上手端に生駒祐子が現れ、聴衆に背を向ける形でアコーディオンを弾き始める。途中からメロディーが、ヘンリー・マンシーニの「ひまわり」のものに変わる。

清水恒輔が現れてからは、生駒は舞台の真ん中に近いスツールに場を移し、本編の演奏が行われる。生駒は客席に何度か話しかけたが、声が小さいので私の席からは何を言っているのか聞き取れなかった。

曲目は、1部「Azul 蒼、夜明けの」、「Bosa Moschata 麝香バラ」、「Gala de Caras ガラ・ドゥ・カラス」、2部「Waltz,Waltz とっておきのワルツ」、「Anise アニス」、第3部タイトル「J.S.Bachへの手紙」、「Farther 12 sighs 12の軌道」、「an Ode アン・オード とある歌」、「Veludo 天鵞絨」、「the moon 月影」、第4部「Ephemera エフェメラ」、「Shijima 静寂」、「Kujaku 孔雀」、第5部「ao 蒼」、「Azul 蒼。未明の」、「Sanctuary 3つのサンクチュアリよりⅡ残像」、第6部「Charade シャレード 逃避行のワルツ」、7部はラストの定番曲でもある「your voice ユア・ボイス」が演奏された。
生駒と清水のデュオ曲の時は、曽我はチェアに腰掛けて羽根ペンで何かを書いている。筆を走らせた数枚は最終盤に上に向かって放り投げられ、演奏会終了後に聴衆も読むことが出来るようになっていたが、音符などではなく、日本語による作況の文章が書かれてあった。

本格的な秋の到来と、精神面も含めて大人しか楽しめないミュージック。曲も会場も他の場所の一般的な庶民からは遠く、西洋の楽器を使った音楽なのであるが、これで実は「秋の京都」にジャストフィットな音楽である。

イメージ喚起力に長けた演奏から、「音で聴く映画」との賛辞を得ているmama!milk。ただ映画とすると聴き手が好むジャンルによって受け取り方が異なりやすいので、個人的には何と呼ぼうかと考えていると、「記憶の底で繋がる流れ」という言葉が浮かぶ。mama!milkの音楽を聴いていると様々なシーンが浮かび、ノスタルジックな心境となる。実体験にフィクションの場面、それらが浮かぼうとしては流れ、あるいは何かに手が触れる。いつかどこかで見た風景が、現れては去る。現実か虚構かは分からない。ただその曖昧さを表すのに音楽は適した手段であるように思う。

アンコール演奏は、「your slumber まどろみに」。この曲は生駒が演奏しながらスキャットを行う。インティメートな演奏であった。

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2025年11月 5日 (水)

観劇感想精選(498) 広田ゆうみ+二口大学 別役実 「眠っちゃいけない子守歌」@アバンギルド

2025年10月28日 京都・木屋町のアバンギルドにて観劇

午後7時30分から、木屋町のUrBANGUILDで、広田ゆうみ+二口大学の「眠っちゃいけない子守歌」を観る。別役実が書いた二人芝居の上演。演出は広田ゆうみ。広田ゆうみと二口大学は、演出家で演劇専修のある大阪大学大学院やロシアで演劇を学んだ埼玉県出身の山口浩章(俳優としては今も山口吉右衛門の芸名を使うことがある。戯曲は1本だけ書いており、その上演を私は観ている)を加えた三人で、このしたやみという演劇ユニットを組んでいるが、別役実作品を上演するときだけは、広田ゆうみが演出に回る。「別役だけは譲らない」そうだ。広田ゆうみは若い頃から別役作品の上演をライフワークとしている人で、戯曲や童話などの上演や朗読の許可を別役にたびたび求めていたが、余りにも数が多いので、別役も根負けしたわけではないだろうが、「あなたはもういいから」と返事があったそうで、別役実作品を自由に上演出来る唯一の演劇人となっている。

 

客席には、別役作品の英訳を行っている白人の観客(英語なのでイギリス人かアメリカ人だと思われるが)や、京都の小演劇界で活躍する女優など色々な人が詰めかけている。広田さん、二口さんの個人的な友人(演劇人ではない人)なども多い。

 

「眠っちゃいけない子守歌」。タイトルはダブルミーニングになっている。
福祉施設の会で働く――というより薄給のボランティアに近いのかも知れないが――とにかくその女性が、アパートの家を訪ねる。エレベーターを出て左に曲がり、13番目の部屋をノックするようにとの指令(?)である。
だが、部屋には誰もいない。女性は指令を独り言で確認する(同内容のセリフはその後にも出てきて、そちらで内容は完全に分かるため、演出家によっては冒頭の独り言はカットしてしまうかも知れないが、広田ゆうみは別役信奉者なので別役が書いたセリフは全て語る)。紺のワンピースの衣装にバスケットを下げている。この時にははっきりとは分からなかったが、女がエプロンを羽織ったことでそれがメイド服だということが分かる。メイド喫茶の店員が着ている華美だが実用的ではないものではなく、仕事がしやすいちゃんとしたメイド服だ。きちんとしたメイド服を着た女優が演じる舞台や映画やテレビドラマは余りなく(かとうれいこが着ていた記憶があるがかなり昔のものだ)、韓国の連続ドラマ「火の鳥」で、今年が20回忌に当たるイ・ウンジュ(1981-2005)が演じていた役を思い出す。イ・ウンジュのメイド服も魅力的だが、広田さんのメイド服もきちんとした女性だけが生み出すことの出来る魅力を湛えていた。

部屋の主であるが、年老いた男である。自分の名前も覚えていなかったりするが(あだ名は「よっちゃん」であることを昨日思い出す)、語っている内容はかなり論理的で、いわゆる認知症等にかかっている訳ではないようだ。
紅茶に入れる砂糖の数選択の曖昧さや、逆にクッキーとビスケットの違いを知りたがる細かさに、女は別れた夫と目の前の男との共通点を見出したりする(クッキーとビスケットは基本的に同じもの。アメリカ英語ではクッキー、イギリス英語ではビスケットである)。

男は、「トシコ」という女性の名前を口にするが、それが誰なのか覚えていないようである。メイドをしている女がトシコなのかと男は聞くが、女は当然ながら否定する。
ちなみに何の脈略もなく、「発言すると嫌がらせをする人がいる」と語るが、突然、照明の明度が落ちたりする。嫌がらせをするのは「世界」である。確かに、「世界」から嫌がらせを受けやすい人はいる。俳優だとか、作家だとか、演出家だとか、哲学者だとかね。今この空間にも結構いそうだけれど。

男の部屋にはラジカセがあるが、テープには風の音が録音されている。男はそれを聴くそうだ(武満徹や晩年の坂本龍一など、風を音楽として聴く人は実在する)。更には雪の音を録音したテープもある。これらが男の「眠っちゃいけない子守歌」だと思われる。
男の部屋には、積み木のようなおもちゃのようなものがある。それを出して並べる。家屋、街路樹、しかし何かが足りない。女がそれを発見する。別役作品の代名詞、電信柱である。
雪の音が鳴り、男は人が「トシコ」と呼ぶ声を聞いたと話す。トシコは男の母親で、それまで住んでいた土地を何らかの理由で離れることになり、町を出て行くトシコを呼び止める声を耳にしていた。ちなみに積み木を使う心理療法があり、男が受けていた可能性もあるが、あってもなくても主筋に変更はないので、深掘りしなくても良いだろう。

男は、トシコが、「子守歌を聞いても眠ってはいけない」とタイトルの「眠っちゃいけない子守歌」に繋がる言葉を話したことを覚えている。これは「雪なので寝ると凍死する」という意味だろう。しかし、「嫌がらせを受ける」立場になった男にとっては、「眠っちゃいけない子守歌」は、「世界」に対して「隙を見せてはいけない」「ぼんやりしていてはいけない」「ちゃんと見ていなくてはいけない」と常に集中力を切らすべきではないというメッセージに聞こえる。最終的には男は眠るように死んでしまうのだが。
言葉の重層性が生きた別役作品だった。

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2025年11月 3日 (月)

コンサートの記(929) パスカル・ロフェ指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団京都特別演奏会2025

2025年10月19日 京都コンサートホールにて

京都コンサートホールまで、大阪フィルハーモニー交響楽団の京都特別演奏会を聴きに出掛ける。午後3時開演。

まず事務局長の福山修さんにトーマス・ダウスゴーがピリオドを習ったのはノーマン・デル・マーとフランコ・フェラーラの二人からである可能性が高いことを伝える。

今回の指揮者は、お馴染みのパスカル・ロフェ。音楽に没入するレナード・バーンスタインの対極に位置する、作品をいったん突き放して解析するタイプの指揮者である。2022年からはクロアチア放送交響楽団の音楽監督を務めている。
アンサンブル・アンテルコンタンポランを指揮していた時代にピエール・ブーレーズの指揮に影響を受けたことは明白で、指揮棒は持たず、総譜を読みながら指揮する。ブーレーズは指揮棒否定派で、記者から「オペラの際は、白い指揮棒が光って歌手から見やすいという声がありますが」との問いかけに、「そんなことはありませんよ」と一笑に付し、総譜を短時間で記憶出来る能力がありながら、「暗譜は時間の無駄。その時間があるならレパートリーを増やしますよ」と話している。

フランスも指揮者不足だが、ベルトラン・ド・ビリーに次ぐ才能があるのがパスカル・ロフェであると思われる。ただ現状ではメジャーオーケストラのポストは得ていない。

 

オール・ブラームス・プログラムで、ヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:辻彩奈)と交響曲第4番が演奏される。

人気若手ヴァイオリニストの辻彩奈が出演するということもあってか中々の入りである。コンサートマスターは崔文洙。大フィルの基本であるドイツ式の現代配置での演奏である。なお、天井からデッカツリーが下がり、舞台上にも前半はマイクが何本も立っていたことから、ブラームスのヴァイオリン協奏曲のみ何らかの形で収録が行われることが分かる。京都コンサートホールは録音が難しく、広上と京響ほかのヴェルディ「レクイエム」や井上と京響のブルックナー交響曲第9番など、失敗録音が多いが大丈夫だろうか。辻彩奈は演奏終了後にSNSを更新し、CD用の録音であることを明かしている。

定期演奏会ではないということで、男性楽団員は背広にネクタイと燕尾服よりもラフな格好。女性奏者は普段通りのドレスで、指揮者のパスカル・ロフェはジャケットにノーネクタイでの指揮である。

 

今や若手のみならず、全世代を通して最も高い評価を受けているヴァイオリニストの一人となった辻彩奈。昨年、アクロス福岡シンフォニーホールでの九州交響楽団の定期演奏会でも聴いたが、オーケストラからも室内楽からも共演引く手あまたのようである。
1997年、岐阜県生まれ。YouTube番組での質問コーナーで、「岐阜の良いところはどこですか?」との質問に、「良いところかどうか分からないですけれど、夏は暑いです」と答えていて、「それ良いところじゃない」と突っ込みたくなった。昨年も同じことを書いたが、そんな子である。
2016年にモントリオール国際音楽コンクール・ヴァオリン部門で1位になり、他にも複数の賞を獲得。学費全額免除の特別奨学生として東京音楽大学付属高校と東京音楽大学を卒業。大学冬の時代にあって伸び盛りの東京音楽大学の象徴の一人ともなっている。

 

純白のドレスで登場した辻彩奈。体も小さめで華奢に見えるが、ヴァイオリンはスケール豊かで逞しい。
辻の良さはまず音の美しさ。音が結晶化されており、ちょっとした経過句であっても美音を保つ。力強いというほどではないが、ブラームスが書いた音楽の大きさも示してみせる。

ロフェは、ヴァイオリン協奏曲ではポケットスコアを見ながらの指揮。ロフェは眼鏡を掛けているので、「あんな小さい譜面で見えるのだろうか?」と疑問を覚えたが、普通に見ながら指揮をして、ページを繰っていた。

ドイツものに強い大フィル。音の密度も濃く、優れた伴奏である。

第2楽章の冒頭付近でオーボエソロが吹くメロディーをソリストは変奏された形で弾くのだが、その後のオーボエとヴァイオリンのやり取りも印象的である。
辻彩奈はロフェと再三アイコンタクトを行っての演奏。独奏だからということで自由に弾くのではなく、オーケストラと一体になった演奏を心がけているのだろう。

第3楽章は、辻とロフェ、大フィルの掛け合いでノリの良い演奏になった。
演奏終了後、辻はロフェと、コンサートマスターの崔とハグを行う。

 

辻のアンコール演奏は、スコット・ウィラーノの「アイソレーション・ラグ ~ギル・シャハムのために~」。昨年の福岡でのアンコールと同一曲目である。ジャジーな甘いメロディーも出てくるが、基本的には超絶技巧てんこ盛りの難曲で、左手ピッチカート、両手ピッチカート、左手でピッチカートしながら右手で弾いてすぐに右手ピッチカートなど恐ろしいほど高度な技術が立て続けに出てくる。
それでも見た目は楽しそうに演奏してみせた辻彩奈。これからも伸びていきそうだ。

 

ブラームスの交響曲第4番。人気曲だが、曲調が暗いことでも知られる。ブラームスはブルックナー同様、女性ファンが少ないことで知られるが、暗い作風の作品が多いのもその一因だろう。
脱線するが、村上春樹の『ノルウェイの森』のヒロインである直子が好きなのが、このブラームスの交響曲第4番で、書き手の僕(ワタナベトオル)は、ブラームスの交響曲第4番をメインにしたコンサートに直子を誘うのだが、当日、直子は会場に現れなかった。この曲を聴くたびにそれが思い起こされ、今日は「君の来ぬホールに響くブラームス第4番の音の夕暮れ」という短歌が浮かんだ。

ため息のように始まる第1楽章であるが、ロフェは冷静を保ち、感傷的にさせない。こうすることで主題が戻った時により寂寥感が増して聞こえる。
この楽章に限らず、ロフェが作る音楽には、終結部に明るさが感じられるものである。
虚ろな第2楽章もリアルな陰鬱さを感じるが同じ旋律でも明るさを感じさせるものもあり、大きな流れの中で一体となっていく。
やるせなさ漲るような第4楽章「パッサカリア(シャコンヌ)」も、葛藤を持って進む中に古典音楽への憧憬を忍ばせ、古典とロマン的な音楽の結合を企てているような趣がある。ロフェが突き放した解釈をするからこそ分かることだ。
ラストは「どうだ!」と見得を切るかのよう。単なる感傷に陥らない良いブラームスだ。

 

アンコール演奏は、ブラームスのハンガリー舞曲第1番。昔はブラームスの「ハンガリー舞曲」といえば第5番が定番だったが、ブラームス自身のオーケストレーションではないため、他の曲が演奏される機会の方が増えているように思う。第1番は、正真正銘、ブラームス本人による編曲だ。
ロフェと大フィルのハンガリー舞曲第1番は、ジプシー的なスウィング感こそなかったが、スマートで大フィルの機能美が生きた演奏となっていた。

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2025年11月 1日 (土)

映画「風のマジム」 まじむの髪型などについての一考察

2025年9月23日

伊波まじむ(伊藤沙莉)の髪型の変遷などについて書こうと思ったのだが、それより先に、まじむの家の床の間(のようなところ)に三線が置いてあることについて。誰が弾くのだろうか。ミュージシャンなら女性も弾く。夏川りみも「涙そうそう」の三線の部分を自分で弾きたくて練習し、今では多くの曲で三線を弾く。だが、基本的には三線を弾くのは男性が多い。そして、おばあ(高畑淳子)が通信カラオケで歌っていることから、おばあは三線が弾けない。おかあ(富田靖子)もおばあのために伴奏をすることはないので弾けないのだろう。まじむも三線を弾くシーンはない。ということで、まじむに父親がいない部分が浮き上がってくる。今では三線を弾く人はいないという不在によって。

さて、まじむの髪型だが、最初はボサボサの長髪であり、左右の耳の上でピンで止めているだけで、身なりに気を遣っている気配はない。契約社員で服装自由なのだと思われるが、仕事に余り熱心ではないのだろう。髪型が手抜きなのがそれを物語っている。
それが話が進むにつれて変わってくる。まず「沖縄産ラム酒製造」が一次審査を通過すると、髪を後ろで束ねるようになる。プライベートでは相変わらずボサボサの髪だったのだが、これもシニヨンにするなど、家でもきちんとした髪型をするようになっている。おばあの豆腐作りを見る前も起き抜けのボサボサ頭だが、そのままでなく後ろで束ねてから行く。
前髪も最初はナチュラルな感じで髪の間から額がよく見えているが、次第に長さを整え始め、額の見える部分が減っていく。前髪を念入りに梳かすようにもなったのだろう。
遣り手の先輩社員である糸数(シシド・カフカ)がポニーテールに前髪で額を隠す髪型だが、それを参考にしたのかは分からない。ただ、東京の朱鷺岡(眞島秀和)の事務所を訪ねるときには、糸数にかなり似た髪型をしている。また、おかあのサヨ子も前髪を隠すというよく似た髪型をしていることから、母へのリスペクトもあるのかも知れない。

ちなみに撮影は順撮りではないそうなので、その場に合う髪型にするためにヘアメイクさんが奮闘したことが察せられる。

髪型だけでも内面の成長が察せられるので書いてみた。

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