« 追悼・仲代達矢 これまでに観た映画より(411) 市川崑監督作品「炎上」 | トップページ | 美術回廊(89) 京都国立近代美術館 「若きポーランド[色彩と魂の詩 1830-1918]」 »

2025年11月14日 (金)

Eテレ「伝説のマエストロ カラヤンの日本公演再び」

2025年11月5日

NHKONEで、「伝説のマエストロ カラヤンの日本公演再び」を視聴。11月1日にEテレで放送されたもの。
20世紀後半最大の指揮者だったヘルベルト・フォン・カラヤン(1908-1989)。最大という形容に反して、身長は155㎝と白人男性としてはかなり小柄であった。ただレナード・バーンスタインも160㎝、広上淳一、下野竜也、大植英次という日本を代表する指揮者も軒並み小柄。女性指揮者も三ツ橋敬子は151㎝と女性としてもかなり小さい部類に入る。ただ考えてみれば、体が小さいと手も小さい。手が小さいと楽器を弾くには不利であり、ソリストよりも指揮者を目指す傾向はあるように思う。

カラヤンは計11回来日。ベルリン・フィルとの来日公演、ウィーン・フィルの来日公演、そして単身NHK交響楽団に客演している。
NHK交響楽団を指揮したのは1954年。日本での知名度は高くなかった。とても有能だったが、傲慢な性格に辟易したという話も伝わっている。
カラヤンがベルリン・フィルのシェフになった時代は、他にライバルとなり得るドイツ系指揮者がおらず(ベームはすでに高齢。ヨッフムは出世よりも楽団を育てることに喜びを見出すタイプ)、ベルリン・フィルのアメリカツアーに指揮者として帯同させて貰えれば、芸術監督の座を受けても良いとベルリン・フィル側に伝えていた。カラヤンの前にベルリン・フィルの首席指揮者となっていたのは、ルーマニア出身のセルジウ・チェリビダッケであったが、チェリビダッケはカラヤン以上に厳しい性格で、ベルリン・フィルの団員を平気で「下手くそ!」となじっていた。指揮者としては極めて有能だったが、ベルリン・フィルの団員はチェリビダッケにはこりごりだった。ということでカラヤン政権が誕生する。ナチ党員であったカラヤンは、戦後、「公的な演奏活動」を全て止められたが、録音活動は「公的な演奏活動」に含まれていなかったため、EMIのプロデューサーであるウォルター・レッグと組み、ロンドンに録音のために結成されたフィルハーモニア管弦楽団を指揮してレコーディングを行い、名声を高めていた。そんなこともあり、録音に関しては誰よりも積極的だった。
映像の制作にも熱心であったが、通常の配置では撮れないアングルから撮りたいというので、演奏する真似だけをさせることも多く、楽団員からは不評であった。

まず、東京・内幸町(愛宕山と表記されることもある)の旧NHKホール(現存せず)で行われたベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との来日演奏会。1957年、ベルリン・フィルとの初来日時の映像である。演奏されるのはワーグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲である。
カラヤンの指揮であるが、不思議な印象を受ける。この頃は「カラヤンは指揮するときに目を閉じる」は徹底されておらず、閉じたり開けたりしながらの指揮だが、動きが必ずしも流麗とはいえず、指揮棒も分かりにくいということはないが、予想外の動きをするため、オーソドックスタイプの指揮者に見えない。1957年のモノクロ映像であるが、ステレオでの収録である。カラヤンはすでにフィルハーモニア管弦楽団とステレオでの録音を行っていたが、映像としてはカラヤンとしても初のステレオ収録かも知れない。演奏としては録音が古いということもあってややまとまりに欠ける感じ。そもそもカラヤンはワーグナーはよく取り上げたが得意ではなかった。

続いてベートーヴェンの交響曲第5番。冒頭付近は映像がなく静止画、面白いのは、ハープが指揮者よりも前に位置するという配置。日本指揮者協会(というものがある。岩城宏之が外国人指揮者に、「日本には指揮者協会というのがあってね」と話したところ、「指揮者は二人いたらもうライバルなのに、お前の国は何やってんだ?」と呆れられたそうである)の演奏会で、山田一雄がハープを受け持ったのだが、「山田先生のような偉い方を奥に置くわけにはいかない」ということで、指揮者より前に出したことがあったそうだが、そんな感じである。
カラヤンは生涯に4度、「ベートーヴェン交響曲全集」を録音している。50年代、60年代、70年代、80年代だからほぼ10年おきだ。更に東京の普門館で行われたベートーヴェン交響曲チクルスを録音した放送音源の全集もリリースされている。個人的には70年代盤が好みである。
今回の映像であるが、貴重なものであることには間違いないが、指揮者がまだ熟していない気がする。この年、カラヤンは49歳。「40、50は洟垂れ小僧」ならまだ洟垂れ小僧である。この時点では、カラヤンがこの後、ベルリン・フィルとウィーン国立歌劇場(ウィーン・フィルの母体でもある)の芸術監督を兼任して帝王と呼ばれるようになるとは思えない。それほど若さが先行した演奏である。

格好いいとされた指揮姿も、今の指揮者達に比べると地味だ。やはり真正面を向いたまま指揮することが多く、左右に体を向けることはほとんどない。他の指揮者もそうなので、これがこの時代の正統的な指揮のスタイルだったのだろう。

カラヤンとウィーン・フィルの演奏。カラヤンはウィーン国立歌劇場芸術監督時代にはウィーンに家を持っているが、その後、田舎に居を構え、ベルリンではホテル暮らしだった。ベルリン・フィルのメンバーにはそのことを不満に思う人もいたようである。
1959年11月6日に、日比谷公会堂で行われたブラームスの交響曲第4番の演奏である。モノラルでの収録。カラヤンのブラームスには定評があったが、ベルリン・フィルを振った交響曲全集などは、私にとっては音で押してくる感じがして苦手である。
ここでは構造重視の演奏。センチメンタリズムなどは表に出さない。その方がカラヤンらしいと言える。
部分的には指揮棒を抑えてオーケストラに任せるところもある。一部は映像が存在しないようで、やはり写真などで乗り切っている。

最後は、1957年10月27日の、旧NHKホールで行われたブラームスの交響曲第1番第4楽章のベルリン・フィルとの映像。熱い演奏だが、カラヤンの若々しさの方が勝っているように思う。指揮姿も巨匠というより若武者といった感じ。旧NHKホールは収用人数600人程度とかなり手狭だったが、音響の良さは今にも伝わっており、この日訪れた聴衆も期待の若手指揮者と世界最高峰のアンサンブルに満足したのではないかと思われる。

| |

« 追悼・仲代達矢 これまでに観た映画より(411) 市川崑監督作品「炎上」 | トップページ | 美術回廊(89) 京都国立近代美術館 「若きポーランド[色彩と魂の詩 1830-1918]」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 追悼・仲代達矢 これまでに観た映画より(411) 市川崑監督作品「炎上」 | トップページ | 美術回廊(89) 京都国立近代美術館 「若きポーランド[色彩と魂の詩 1830-1918]」 »