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2025年12月の20件の記事

2025年12月31日 (水)

コンサートの記(937) びわ湖ホール プロデュースオペラ コルンゴルト作曲「死の都」 阪哲朗指揮京都市交響楽団ほか

2025年3月2日 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール大ホールにて

大津へ。午後2時から、びわ湖ホール大ホールで上演されるコルンゴルトの歌劇「死の都」を観るためだが、午前11時から、演出家の岩田達宗によるワークショップがあるというので、それも聴くために早めに家を出る。ワークショップの会場は大ホールで、自由席、先着順である。誰もが知っている有名オペラではないので、多くの人が押し寄せるということはなかったが(オペラ自体マイナーなので有名オペラでも多くの人は来ないかも知れないが)、それでも「知られざる傑作」としてある程度の知名度はある作品なので、まあまあの入りであった。

びわ湖ホールの館長である村田和彦からの挨拶とびわ湖ホールの四面舞台の紹介があり、その後、岩田達宗のトークとなる。今回の「死の都」は、「竹取物語」、「三文オペラ」同様、オペラ演出家の栗山昌良が演出を担当した歌劇作品の再現を目指して上演が行われるもので、岩田達宗は再演演出となっている。ただ岩田さんから直接伺った話や、びわ湖ホールのSNS記事によると、特別な演出はしないで、どちらかというと演技指導を行っているような印象を受ける。栗山昌良に師事した岩田達宗であるが、生前の栗山から「演出家が自分の色を出すんじゃない」と何度も言われていたそうで、それを考えると栗山が施した演出を再現するだけと考えるのが普通であろう。実際、自分のことを「演出補」と語っていた。
まず、歌劇「死の都」から。コルンゴルトが23歳の時に書いたオペラであり、初演からしばらくは大成功を収めていた作品である。原作はローデンバックの『死都ブリュージュ』。ただ、直訳すると『死 ブリュージュ』で、「これでは収まりが悪い」というので、『死都ブリュージュ』としたようである。「死の都」というも良いタイトルだが、ドイツ語のタイトルを直訳すると「死の町」で(歌詞には「死の町」という言葉が登場する)、ちょっと味気ないので、『死都ブリュージュ』から取って、「死の都」というタイトルになったようだ。今間違えて、「四宮(しのみや)」と打ってしまって直したのだが、四宮という駅は京阪京津線に存在する。
原作は、ベルギーの斜陽の街、ブリュージュ。ひきこもりの男性が愛する女性を殺害するというだけのもので少し味気ないので、台本作者のパウル・ショット(正体はコルンゴルトの父親のユリウス・コルンゴルト)とコルンゴルトは、幻想劇のような作品に仕上げている。今もある夢オチ。比較的評判の悪い手法だが、本格的な夢オチを行ったのは「死の都」が初めてだそうである。「全てが夢でした」という意味での夢オチのようなものはそれまでもあったが、ジークムント・フロイトの『夢分析』の影響を受けて、「夢には意味がある」とした上での夢オチを積極的に使ったのが「死の都」となるようだ。

栗山昌良は、1925年生まれ。ということで、生きていれば100歳になる年だったという。ということもあって、世代的にオーソドックスな演出家と評する向きもあり、栗山昌良本人もそう評価されることを喜んだというが、実際の作風はアヴァンギャルドで、表現主義をベースにしたものであった。「演出家は自分の色を出すな」とは言ったが、「死の都」冒頭の主人公の部屋に関する長いト書きは全く守られていない。ただこれも無視したのではなく、内容を抽出した結果だそうである。幕を上げて、第1幕第1場のセットを見せたのだが、指示とは全く別の部屋が目の前にある。
演技も写実を嫌い、二人の人物が向かい合って喋ることすら「写実だから」と嫌ったそうである。
稽古に関しては、「昭和の人は説明をしない」ということで、細かい指示は出さず、「もう一回、もう一回」を何度も繰り返していたそうだ。何が駄目なのかを聞いても答えはないそうである。現役の演出家としては岩松了が同じような演出を行っていると竹中直人が明かしたことがあり、高岡早紀が稽古場の隅で涙を拭っていたという話が思い起こされる。
さて、「死の都」であるが、1920年にハンブルクとケルンで同時初演されているが、その直前に第一次世界大戦があり、約3400万人が戦死。その約3分の2が兵士などではなく民間人であり、廃墟のようになった街が「死の都」に重なって見えたことは大きかったようだ。その後、第二次世界大戦では全世界で約Ⅰ億人が死亡。しかし、その後、ヨーロッパは戦争をしなくなった。しょっちゅう戦争を起こしており、イメージとは違って野蛮な場所であるヨーロッパであるが、80年以上戦争がないというのはヨーロッパ史上稀なことである(東欧などは含まない)。
「死の都」には有名アリアがあるが、それよりも第3幕のマリエッタのアリアを聴いてほしいとも語っていた。

 

エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトは、現在のチェコのブルノ(モラヴィアの中心都市である)生まれのオーストリア=ハンガリー二重帝国出身の作曲家。幼少期から楽才を発揮し、ヴォルフガングというミドルネームから「モーツァルトの再来」と呼ばれ、マーラーなどにも激賞されている。しかし、ナチスが政権を取ると、彼の人生は暗転。ユダヤ系であったためアメリカの亡命したが、アメリカでは彼のクラシック音楽は受けず、生活のために映画音楽の作曲に進出。こちらでは好評を得た。オーストリアに帰る機会もあったが、前衛の時代に彼の作風は「時代遅れ」と見なされるようになっており、受け入れられることはなかった。映画音楽は当時は格下扱いであり、そのことも影響した。アメリカでも終生、クラシックの作曲家としては評価されず、アメリカに多い毒舌評論家から、「KORNGOLDは、ゴールドではなくてコーンだ」などと揶揄された。若き日の栄光を取り戻せないまま60歳で死去。
1990年代半ばに、アンドレ・プレヴィンやフランツ・ヴェルザー=メストといった有名指揮者がコルンゴルト作品をレコーディング。ようやくコルンゴルト再評価なるかと思われた直後にピアソラ・ブームが起こってしまい、コルンゴルトはどこかに飛んでしまった。運のない作曲家であるが、びわ湖ホールで「死の都」が上演されるのと同時に、九州ではコルンゴルト作品を集めたコンサートが行われており、今度こそは広まるかも知れない。

そんな中、「死の都」だけは知名度が高く、映像も数点出ている。
ちなみに、「死の都」の演奏会形式での日本初演は、1996年に井上道義指揮の京都市交響楽団が行っており、演出ありのオペラ形式での日本上演は、2014年に沼尻竜典指揮京都市交響楽団によってびわ湖ホール大ホールで行われており、この時の演出が栗山昌良である。

 

 

午後2時から、びわ湖ホール大ホールで、びわ湖ホール プロデュースオペラ コルンゴルト作曲「死の都」を観る。2014年にびわ湖ホール大ホールでオペラ形式での日本初演が行われた作品である。びわ湖ホールの芸術監督である阪哲朗指揮の京都市交響楽団(コンサートマスター:泉原隆志)の演奏。Wキャストで、今日の出演は、山本康寛(パウル)、木下美穂子(マリー/マリエッタ)、池内響(フランク)、山下牧子(ブリギッタ)、小川栞奈(おがわ・かんな。ユリエッテ)、秋元悠希(ルシエンヌ)、島影聖人(しまかげ・きよひと。ガストンの声/ヴィクトリン)、迎肇聡(むかい・ただとし。フリッツ)、与儀巧(よぎ・たくみ。アルベルト伯爵)。合唱は、びわ湖ホール声楽アンサンブル。児童合唱は、大津児童合唱団。演出:栗山昌良、再演演出:岩田達宗。

舞台下手側がパウルの部屋。上手側が幻の教会(神殿)となっている。
パウルの部屋の奥にマリーの巨大な肖像画が掛けられている(木下美穂子をモデルにしたもの。昨日は昨日のマリー役である森谷真理をモデルにした絵だったようである)。
ブリギッタとフランツの二人の場面なのだが、絵の事柄に関するものなのに二人とも絵に背を向けて歌う。これが栗山流の写実でない歌い方のようだ。
ブリュージュに住むパウルは、妻のマリーを失ったのだが、友人のフランクには「マリーが戻ってくる」と語る。マリーを見かけたというのだが、それはマリーに似たマリエッタという踊り子であった。パウルは彼女が何者なのか分からないまま家に呼ぶ。
マリエッタがパウルの部屋を訪ねる。マリエッタはパウルがマリーという女性を自分の中に見ていることに気づき、部屋を後にする。やがてマリーの亡霊が現れる。

びわ湖ホール館長の村田和彦が、四面舞台の話をしていたが、第2幕では、その機構を生かし、これまでの舞台が奥に引っ込んで、下から新たなセットが現れる。三段になったヘアピンカーブである。ここでマリエッタの一座が余興のようなものを繰り広げる。
さて、いつからパウルが夢、または幻覚の世界に入っていったかであるが、第2幕ではブリギッタが「修道院に入る」と言って出て行くシーンがある。しかし現実にはブリギッタはパウルの屋敷で女中を続けており、この時点で夢であることは確かである。友人のフランクもマリエッタへの思いを語るのだが、これも夢か幻である。更にいうならその前にマリーの姿(幻覚)を見る場面がある、ということで、大半が夢の中での出来事となる。

絵空事が繰り広げられる訳だが、それこそが実はパウルの欲していたことであり、フランツはこのままではいけないとブリュージュを去るようパウルに告げるのだと思われる。「ブリュージュを離れられない」というパウルの真意は「マリーから離れられない」であり、街と一体化した「今の自分を離れられない」である。そこから出るのだ。

 

阪哲朗指揮の京都市交響楽団が輝かしくも重厚で、かつ瞬発力もある演奏を展開。プッチーニ(おそらくペンタトニックは使っていると思われる)やワーグナー、モーツァルトにリヒャルト・シュトラウスと、様々なオペラ作曲家に影響された響きや旋律が登場するが、いずれも「リアル」な音として鳴り響く。この場ではこの音が鳴らなくてはならないという、説得力に満ちた演奏だ。
退廃的でミステリアスで、それでいて魅力的という音楽である。1920年に初演された作品だが、世紀末的な彩りがあるのは、やはりフロイトの影響を受けているということもあるのだろうか。あるいは初の世界大戦が終わり、次の世界大戦前夜の荒廃した思い故だろうか。
阪の指揮する京都市交響楽団は、おそらく日本初演時の沼尻竜典指揮の時よりも妖艶な音を奏でているような気がした。

オペラ形式の初演も観ている「死の都」。記憶には余り残っていないが、コミカルな部分に関しても、初演時と同じなのかは不明である。

ラストでは、パウルはマリーへの未練を見せるが、今回の演出ではそれほど執着はなく去って行く(例えば、チェーホフの「かもめ」の主人公、トレープレフとは好対照である)。ブリギッタが一人残り、前方に置かれた燭台を手にし、また後ろに下がる。そして幕が下りる。このブリギッタの動きは台本にはなく(ブリギッタはフランツと共に退場することになっている)、オリジナルである。

 

演出家の岩田達宗さんとは、2幕と3幕の間に話をした。

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コンサートの記(936) 「映像の世紀コンサート」@ロームシアター京都メインホール 加古隆(ピアノ)&沼尻竜典指揮京都市交響楽団

2025年12月3日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後4時より、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、「映像の世紀コンサート」を聴く。

1995年から1996年にかけて放送され、大好評を博した「映像の世紀」。21世紀に入ってからは続編である「映像の世紀バタフライエフェクト」が放送中である。

 

大阪では、「映像の世紀コンサート」はフェスティバルホールで何度か行われており、私も初回のコンサートは聴きに行っているが、京都で「映像の世紀コンサート」が行われるのは初めてである。
関西での催しというと、最大の人口を誇り、交通も発達した大阪市内で行われがちであるが、街自体が文化と芸術の香りに溢れているような京都で楽しむのもまた乙なものである。
建築と芸術と自然が一体となった岡崎地区で聴くならなおさらでだ。

演奏は、作曲者である加古隆(ピアノ)、沼尻竜典指揮京都市交響楽団。ナレーションは、元NHKアナウンサーの山根基世が務める。

ピアノ協奏曲の布陣。ドイツ式の現代配置での演奏である。スクリーンの邪魔にならないよう、ティンパニの中山航介は上手奥の角で演奏を行っていた。
コンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平。管楽器の首席奏者は、オーボエの髙山郁子、ホルンの垣内悠希、トランペットのハラルド・ナエスなどは出演したが、他は降り番である。

現在の「映像の世紀バタフライエフェクト」のテーマ音楽は、NHK交響楽団正指揮者の下野竜也がN響を指揮。下野は大河ドラマのオープニングのテーマもこのところは毎年のように指揮しており、NHK交響楽団とNHKからの信頼が感じられる。大河ドラマのオープニングテーマの指揮と年末の第九の演奏会だけは、実績のある人にしか振らせない方針のNHKとNHK交響楽団であるが、第九は外国人指揮者なども指揮台に立つが、大河ドラマのオープニングテーマは、ここ数年は下野竜也、尾高忠明という二人のNHK交響楽団正指揮者と、広上淳一を加えた3人で回している状態である。以前はNHK交響楽団音楽監督時代のシャルル・デュトワやウラディーミル・アシュケナージ、首席指揮者時代のパーヴォ・ヤルヴィも指揮していた。現在のNHK交響楽団首席指揮者であるファビオ・ルイージはまだ指揮していないが、来年の大河ドラマである「豊臣兄弟!」のオープニングを指揮するのは実は沼尻竜典である。勿論、初めての挑戦だ。

指揮者として活躍した後で、作曲家としてもデビュー。現在ではピアニストとしても活躍している沼尻竜典。びわ湖ホールの芸術監督を務めた後で(桂冠芸術監督の称号を贈られた)、神奈川フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に転身。自身が起こしたトウキョウ・ミタカ・フィルハーモニアの音楽監督も兼任している。京都市交響楽団とは、毎年1回、マーラーの交響曲をびわ湖ホール大ホールで演奏する試みを続けている。
劇伴の仕事をしたことがあるのかどうかは分からないが、テンポに関してはかなり的確な演奏が出来る指揮者である。総譜より先にタブレット状のものが取り付けられているが、これは譜面ではなくてモニターで、スクリーンに映っている映像がそのまま流れ、映像に合わせて指揮をするためにある。譜面にも映像にも合わせて指揮しなければならないので大忙しである。

リュミエール兄弟が世界で初めて撮影した映像や、線路の脇で電車がこちらへと走ってくる様を捉えた映像が流れて演奏スタート。演奏される楽曲は、「パリは燃えているか」、「時の封印」、「シネマトグラフ」、「はるかなる王宮」、「神のパッサカリア」、「最後の海戦 パート1、2」、「未来世紀」、「大いなるもの東方より」、「マネーは踊る」、「狂気の影」、「黒い霧」、「ザ・サード・ワールド」、「睡蓮のアトリエ」、「愛と憎しみの果てに」、そして今回はアンコールが予め決まっており、「映像の世紀バタフライエフェクト」のために書かれた、「風のリフレイン」と「グラン・ボヤージュ」が演奏される。

 

加古隆の音楽に必要なのは何よりも抒情美であるが、そこは京響。リリシズムに満ちた音楽を奏でていた。

今回の「映像の世紀コンサート」は、戦争の歴史に焦点を当てていたが、それは現在、ウクライナとロシア、イスラエルとガザ地区での戦闘が継続中であるからに他ならない。爆撃されて建物の多くが破壊されたガザ地区(おそらくガザ市)、ウクライナがロシア軍に攻撃される様も終盤、スクリーンに投影された。

「王朝の時代」を特集する映像もあり、後に惨殺されることになるロマノフ王朝のニコライ二世(皇太子時代に来日した際、大津市の旧東海道において、巡査の津田三蔵に斬りつけられるという、「大津事件」でも知られる)やアレクセイ皇太子などが映っている。
オーストリアでもハプスブルク家の支配が終焉を迎えるが、フランツ・ヨーゼフ一世の姿がカメラに捉えられている。ハプスブルク家の没落と共に登場したのが同じオーストリア出身のアドルフ・ヒトラーであり、ヒトラーの経済政策によってドイツは歴史的な大インフラを解消。ドイツにおけるヒトラーの支持率は実に90%を記録したが、このときはヒトラーの正体に気付いている人はまだほとんどいなかった。

ヨーロッパが混乱の最中にあるときに力を付けたのがアメリカである。ニューヨークには摩天楼が建ち、一際高いエンパイアステートビルが建設される。エンパイアステートビルは現在では、高さニューヨーク1ではないが、今でもニューヨークのシンボルの座は揺らいでいない。

ヒトラーはオーストリアを併合。イタリアでもファシスト党のベニート・ムッソリーニが政権を手にする。今では、「ファシスト」という言葉は相手の悪口にしか使わないが、当時は有効な政策運営手段の一つと思われていた。

独伊と手を組んだのが大日本帝国である。ヨーロッパとアジアとでは遠すぎて協力の仕様がないが、とにかく三国同盟は締結される。日本はその時は中立国だったアメリカに挑む。しかし国力の差は明らかで、日本は最終手段として特攻作戦を立案する。ゼロ戦で相手の軍艦に突っ込むという、死亡率100%の犠牲を伴う作戦。アメリカ人から見れば「クレイジー」としか思えないだろうが、日本には他国にない「死の美学」「犠牲の美学」があった。そうしたものを発揮するのはこのときではなかったかも知れないが、多くの日本戦闘機は迎撃されて海に沈み、数少ない成功例がアメリカ軍を慄然とさせた。アメリカ人からみればまともに見えなかったと思われる日本兵だが、戦死者に対する敬意は表したようである。

アメリカはベトナム戦争で敗戦する。南北に分断されたベトナム。アメリカは資本主義の南ベトナム(ベトナム共和国)を支援するが、アメリカ国内でもベトナム反戦の動きが起こり、泥沼化した戦争は、サイゴン(現ホーチミン)陥落で最後を迎える。

戦争の世紀であった20世紀であるが、各都市は復興し、発展していく。空襲を受けた東京の街は、木造建築が多いということもあり、ヨーロッパなどよりも悲惨な焼け野原だが、集った日本人少年達の顔は明るい。戦争が終わったなら後は復興するだけ。実際のところ、東京は人口が多かったということもあり、戦前の街並みをそのまま復興しようとする機運が強く、空襲を機会に道幅を広げてモータリゼーションの到来を予見した大阪や名古屋に比べると上手くはなかったと思う。それでもお洒落な銀座の街並みなど、活気ある東京をカメラは捉えていた。

 

アンコール演奏。加古隆はセンチメンタルな作風が特徴で、「映像の世紀」の音楽も明るくはないのだが、20世紀の「映像の世紀」の音楽に比べると煌びやかで希望を持てる曲調となっている。

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2025年12月30日 (火)

コンサートの記(935) 沖澤のどか指揮 京都市交響楽団特別演奏会 第九コンサート 2025

2025年12月28日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団特別演奏会 第九コンサートを聴く。指揮者は京都市交響楽団第14代常任指揮者の沖澤のどか。沖澤が京響の第九に登場するのは今回が初めてである。

ドイツ式の現代配置をベースにした配置だが、中央(第2ヴァイオリンとチェロの背後)に木管楽器が陣取り、その後ろの階段状の台に合唱団が乗る(合唱は京響コーラス。上手側が男声、下手側が女声である)。金管楽器が下手寄りに斜めに並び、下手奥隅に中山航介が叩くティンパニがある。ティンパニは見た目では分からなかったが、音を聴いてバロックティンパニだと確認出来た。木のバチ、先端に毛糸を巻いたマレット、両方を使用。上手寄り、チェロの奥にはファゴット群が布陣する。
ステージを擂り鉢状にしての演奏である。

コンサートマスターは京響ソロコンサートマスターの会田莉凡(りぼん)。フォアシュピーラーに泉原隆志。客演首席ヴィオラに笠川恵(かさかわ・めぐみ)、客演首席トロンボーンには吉田英恵(はなえ)。
今年は第九1曲勝負である。ソプラノ:嘉目真木子(よしめ・まきこ)、メゾ・ソプラノ:小泉詠子(えいこ)、テノール:小原啓楼(おはら・けいろう)、バリトン:山本悠尋(ゆきひろ)。今年は読みにくい名前の人が揃う。

沖澤のどかの指揮であるが、各楽章の冒頭は中庸でも自然にスピードアップしていくのが特徴。第3楽章では特にこの傾向が顕著であった。
第1楽章であるが、スケールを拡げずスマートなフォルム。転調の時のティンパニも抑え気味だったが、ティンパニも徐々に強打させることが多くなっていく。
第2楽章も適度に揃えたアンサンブル。アンサンブルを徹底して磨くと宇宙の鳴動のように聞こえる音楽だが、沖澤はそこまでせず、人間ドラマの側に立った第九を描き出す.
第2楽章の終わりを、沖澤は、広上淳一や川瀬賢太郎が行ったように柔らかな音で締める。

音色であるが、やはりいつもの京響とは違い、旧東独のオーケストラのような燻し銀の響きを出していた。ベルリン・フィル・カラヤン・アカデミーで学び、ベルリン・フィルの芸術監督であるキリル・ペトレンコのアシスタントを務めた沖澤だが、インターナショナル化したベルリン・フィルの響きよりも、よりドイツ的な響きを理想としているのかも知れない。ドイツの東西分裂は悲劇だったかも知れないが、結果として旧東独の地域にはドイツのローカルな響きが残ることになった。
広上淳一が指揮する京都市交響楽団は、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団のような響きだが、沖澤のどかが紡ぎ出す京響の響きはライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団に近くなる。指揮者が変わるだけで、音色がここまで変わるというのも興味深い。ヘルベルト・ブロムシュテット指揮のCDで何度も聴き、横浜で耳にしたあの音を今ここで聴いているような気分。

京響コーラスは板付き。独唱者とフルートのサード(ピッコロ)、ティンパニ以外の打楽器は、第2楽章終了後にステージに登場する。

第3楽章もロマンティシズムより見通し重視の美演。ドラマよりも音にものを言わせる演奏である。
第4楽章。沖澤は第3楽章が終わるとアタッカで突入する。低弦のエッジが立っているのが特徴である。8分の6拍子のクライマックスの部分は4つ振りと2振りで処理する。
ここでもスケールよりは造形美重視。テンポは速いが勢いで突き進むタイプの第九ではない。神がベートーヴェンを通して書いたような第九の演奏もあるが、今日はあくまでもベートーヴェンという人間による人間讃歌だ。

ヴァイオリン、ヴィオラ、ティンパニにこれまで聴いた第九とは異なる部分があったので、「ブライトコプフ新版かな?」とも思ったが、沖澤が最後に掲げた総譜の表紙は茶色だったため、ベーレンライター版であった可能性が高い(オーケストラのライブラリアンなどが表紙にカバーを掛けてしまう場合があるので実際には分からない)。他の指揮者が採用しないベーレンライター版の部分を採用したのだろうか。付け加えたという部分はヴィオラを除いてはないと思う。なお、ラストのピッコロは一般的なベーレンライター版での演奏と比べて控えめであった。


今日の京響の響きをライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団に例えたが、ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団といえば年末の第九の元祖。擬似ライプツィッヒ気分である。

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2025年12月29日 (月)

コンサートの記(934) 鈴木優人指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2025「発見!メモリアルイヤーの作曲家」第2回「国を越えてリズムがわたる」

2025年9月7日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後2時から左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2025「発見!メモリアルイヤーの作曲家」第2回「国を越えてリズムがわたる」を聴く。指揮は第1回に引き続き鈴木優人。鈴木優人クラスの指揮者が2回連続で引き受けてくれるというのは珍しいことである。

今回はタイトルの通り、リズムが印象的な楽曲が並ぶ。また今回は全てメモリアルイヤーを迎えた作曲家の作品である。

曲目は、芥川也寸志(生誕100年)の交響管弦楽のための音楽、ヨハン・シュトラウスⅡ世(生誕200年)のワルツ「美しく青きドナウ」、ラヴェル(生誕150年)のピアノ協奏曲(ピアノ独奏:ルゥオ・ジャチン)、ショスタコーヴィチ(没後50年)の「舞台管弦楽のための組曲」第1番から5曲、ラヴェルの「ボレロ」

 

日本指揮者界のトップランナーの一人である鈴木優人。日本におけるバッハ演奏の泰斗である鈴木雅明の息子であるが、人気は父親を上回るかも知れない。
専門は古楽で、バッハ・コレギウム・ジャパンの首席指揮者であるが、現代音楽にも詳しく、日本の現代音楽の作曲家の作品のみに絞った演奏会なども行っている。「題名のない音楽会」にはたびたび登場。「エンター・ザ・ミュージック」にもたまに出演する。
経歴を確認すると、新たに九州大学の客員教授に着任したようである。

今日のコンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平。ヴィオラの客演首席は大阪フィルハーモニー交響楽団首席ヴィオラ奏者の一樂もゆるで、京都市交響楽団のチェロ奏者である一樂恒(ひさし)と夫婦共演である。チェロの客演首席は藤原秀章。首席クラリネットの小谷口直子と首席フルートの上野博昭は降り番である。
いつも通りのドイツ式の現代配置での演奏。

 

台本を手に、カラヤンのような髪型で現れた鈴木優人。「前回はウエンツ瑛士さんがとても素敵な司会を務めて下さいましたが、今日は私が指揮と司会の両方をやります」と述べる。爽快で見通しの良い音楽作りもカラヤンに通ずるところがあるがくれぐれも権威主義に陥らないようにして貰いたい。あの一族なら大丈夫と思うが。

 

芥川也寸志の交響管弦楽のための音楽。鈴木は、「芥川也寸志は芥川龍之介の息子です。芥川龍之介知ってるって子?」と聞き、多くの子どもが手を挙げる。芥川龍之介の作品は、ほとんどの国語の教科書に載っているので、読んだことのある人は多いだろう。鈴木は、「あれ? 京響の側は?」と言い、京響のメンバーも慌てて手を挙げる。高校から音楽高校という人もいるだろうが、芥川龍之介の作品は、中学校の教科書によく載っているので、知らないということはないだろう。
芥川也寸志は、思想的には左翼で、ソビエトや中国の現代音楽を研究。ショスタコーヴィチの作品紹介にも尽力した。
「伊福部昭に学ぶことが多かった」と言われているが、たしかにこの交響管弦楽のための音楽も、伊福部作品のような土俗的な迫力とリズムに溢れている。

鈴木は、「芥川さんの音楽って、プロのオーケストラでやられてますかね? 伊福部さんはよくやられていると思うんですが」と語る。確かに、芥川作品はごくたまに見かける程度の演奏頻度でしかない。ただ芥川本人もプロオーケストラよりも新交響楽団のようなアマチュアオーケストラを好んで指揮したため、プロよりもアマチュア方面に知られているのかも知れない。今年も京都のアマチュアオーケストラのいくつかが芥川作品を取り上げている。

 

ヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツ「美しく青きドナウ」。ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートで演奏されることでお馴染みだが、鈴木は一度だけウィーンで年越しをしたことがあり、12月31日の夕方には、ウィーン市庁舎の前で様々な音楽が鳴り、スキーをしたりソリに乗って飛び上がったりしているのだが、翌年の1月1日が近づくと、それまでの音楽が鳴り止み、「美しく青きドナウ」が流れてくるのだという。
鈴木は説明しなかったが、ウィーンのドナウ川は特に美しくも青くもない濁った川だそうで、流れているのも街外れである。ドナウが美しい街というとウィーンよりもブダペストかも知れない。
広上淳一が以前、「美しく青きドナウ」を指揮した時に、「京都なら、『美しく青き桂川』」と鴨川にしなかったのも、ドナウ川が街外れを流れているからである。鴨川は100万都市の街中を流れる川としては珍しい清流を現在は取り戻している。
ウィンナ・ワルツということで、鈴木も溜めやテンポダウンなどを駆使しながらの音楽作り。聴くだけのワルツにはしない。

 

ラヴェルのピアノ協奏曲ト長調。20世紀後半になってから人気が上がり、音盤の数も増え続けている曲である。ジャズの影響を受けており、それを苦手に思う人もいると思われるが、現在の音楽教育は古典にも現代にも幅を拡げており、20世紀の作品を多くレパートリーに多く入れているピアニストもいる。

ラヴェルのピアノ協奏曲の第2楽章について、鈴木は「世界で最も美しい音楽」と讃えるが、ソリストのルゥオ・ジャチン(ルゥオと読める苗字には魯迅でお馴染みの「魯」や「羅」があるが漢字表記がないため分からない)も同感のようだった。
ルゥオ・ジャチンは、1999年生まれの中国の若手ピアニスト。湖南省の出身である。武漢音楽院附属中学校に入学し、卒業後に渡米。オバーリン音楽院(アメリカ初の4年制音楽大学。主体であるオバーリン大学は、この大学から校名を取った桜美林大学と提携しているので、オバーリン音楽院も桜美林大学と提携を結んでいるかも知れない)やニューイングランド音楽院に学ぶ。ニューイングランド音楽院では、ベトナム出身の大家、ダン・タイ・ソンに師事したという。今後は、ヨーロッパに渡り、ケルン音楽舞踊大学のドイツ国家演奏家資格課程で研鑽を積む予定だという。
2022年第8回仙台国際音楽コンクール・ピアノ部門の覇者でもある。

演奏前に、鈴木とルゥオのトーク。通訳が付くのだが、
鈴木「何歳からピアノを始めましたか?」
ルゥオ「(日本語で)4歳」
と簡単な日本語なら話せるようだ。日本が大好きだそうで、色々なところに観光に行っており、京都は今回が3回目だが、前2回は純然たる観光だったそうだ。日本の文化については「ほとんど好きですが、特にアニメ」と応え、「京アニ」と言ったため、鈴木は、「これはガチな人が来ちゃいましたね」と述べていた。中でも好きな作品は、京都府宇治市が主舞台の「響け!ユーフォニアム」だそうである。明日オフだった聖地巡礼出来るじゃん! まあそんなに暇ではないだろうけれど。
今日はロームシアター京都メインホールだったが、京都コンサートホールは、「響け!ユーフォニアム」の冒頭に出てくるので、そちらだったら喜んだだろうな。

ルゥオ・ジャチンのピアノは純度の高さが特徴。ペダリングは特別なことはせず、弱音の時にソフトペダルを踏む。ダンパーペダルは、ずっと踏んでいる時と頻繁に切り替える時がある。
鈴木とルゥオが共に「世界一美しい音楽」と呼んだ第2楽章。初演者はマルグリット・ロンだが、実はマルグリット・ロンが演奏したラヴェルのピアノ協奏曲第2楽章の録音が残っており、YouTubeで聴くことが出来る
ひょっとしたらこの楽章はヨーロッパ人よりも日本人の心に訴えかけるのではないかと思えてくる。センチメンタルな気分から次第に自然のただ中へと溶け込んでいく感覚。元NHK交響楽団首席オーボエ奏者で、現在は指揮者として活躍する茂木大輔はこの楽章に「初恋」というタイトルを付けているが、私の感覚とは少し違う。私が付けるなら「幼き日から今日まで」。人生のあらゆるシーンが蘇るかのようだ。
美音による第2楽章を経て、第3楽章へ。「ゴジラ」と呼ばれる箇所も力強く、(行ったことはないが)パリの街の風景が浮かび上がるような瑞々しい演奏だった。

 

アンコール演奏は、ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」。しっとりとして構築感のある演奏だった。

 

ショスタコーヴィチの「舞台管弦楽のための組曲」第1番から、“行進曲”、“ダンス第2番”、“リリック・ワルツ”、“ワルツ第2番”、“終曲”。全8曲から5曲を選曲。
ギター:佐藤紀雄、クロマチックアコーディオン:大田智美が参加。
この曲は「ジャズ組曲第2番」と呼ばれていたが、戦後行方不明になっていた本来の「ジャズ組曲第2番」のピアノ譜が1999年に発見され、以後、「舞台管弦楽のための組曲」第1番と名を変えている。
冒頭の“行進曲は”、のどかな田舎にある小学校で行われている徒競走の時のような音楽である。その後もほのぼのとした曲が続くが、ワルツ2曲だけは、妖艶でミステリアスで、悲劇の予感がするようで、他の楽曲とは大きく趣が異なる。ハチャトゥリアンも「仮面舞踏会」のワルツで似た旋律を作曲しており(アイスクリームによる毒殺を図る場面の音楽)特に関係はないと思われるが、地に吸い込まれそうなほど官能的な音楽が書けるのはロシア人しかいないのではないか。一人だけ例外がいた。梅林茂である。

佐藤の使っているギターであるが、その辺で売っているギターと一緒で特別なことはなにもないという。
ちなみに、佐藤は、鈴木のデビューリサイタルで共演しているそうである。その時は、鈴木はオルガンを弾いたそうだ。

クロマチックアコーディオンの紹介。学校などで使う鍵盤式のアコーディオンとは違い、ボタンしかない。大田智美によると、右側が92鍵、左側が108鍵だそうである。鍵盤はないが、一応、音の上がり方は一定であるとのこと。

 

ラヴェルの「ボレロ」。スネアドラム奏者がひたすら同じリズムを刻み続けるという過酷な曲。しかも旋律が2つしかないので、管楽器奏者は間違えたらすぐにバレるという怖ろしい曲でもある。
鈴木は、「実は、スネアドラム奏者二人で交互に演奏していたことが分かった」と述べる。京都市交響楽団は、ジャンルイジ・ジェルメッティを指揮台に招いた定期演奏会で、スネアドラム3台による「ボレロ」を演奏したことがある。
ただ今回は、第2のスネアドラム奏者は交代に叩くのではなく、どこかから出てくるそうである。
京響の音の美しさが生かされた演奏。フランス音楽らしい淡さと濃さが交差する色彩で、ラヴェルの魔術が十分に生かされている。音楽を旋律ではなく、クレッシェンドと楽器の変化とスネアの延々と叩かれる響きで変化させる。そして転調。音楽の転換ともいえる創造物である。実はこのモチーフを真似て、ショスタコーヴィチがとんでもない音楽を作るのだが、それはもう少し後の話である。

テンポとしてはトータルで15分台ぐらいの演奏だが、第1ヴァイオリンが第1主題を奏でる1つ前に鈴木はテンポアップ(作曲者の指示では全編通して「同じ速度で」であり、演奏時間は「17分ほど」である))。その後、更にもう1回速度を上げる。

そして1階席中央横断通路にスネアドラム奏者が登場。肩から下げたスネアドラムを歩きながら叩く。二つのスネアが鳴る中、転調があってクライマックス。鈴木優人は客席の方を向いて動きを止めた。

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2025年12月28日 (日)

これまでに観た映画より(419) ドキュメンタリー映画「Ryuichi Sakamoto:Diaries」

2025年12月10日 京都シネマにて

京都シネマで、ドキュメンタリー映画「Ryuichi Sakamoto:Diaries」を観る。NHKスペシャル「Last Days 坂本龍一最期の日々」でも使われた映像を中心に未公開映像などを加えて再編集したもの。監督:大森健生(おおもり・けんしょう)。朗読:田中泯。出演:坂本龍一ほか。

2023年3月28日に71歳で他界した坂本龍一。父は日本大学文学部(現在の文理学部)出身で、敏腕編集者の坂本一亀(かずき。あだ名は「いちかめ」さん)。帽子デザイナーであった母親の敬子も父親同様、日本大学出身という家に生まれており、東京芸術大学に受からなかったら、日本大学藝術学部に行こうかと考えたこともあるようだ。母親が日藝出身ということもあるが、高校時代から学生運動に参加していた坂本は、「学生運動では日大全共闘が一番ぶっ飛んでたからね」と語っており、音楽とは特に関係のない理由もあったようである。
だが、やはり親の影響はあるようで、自伝では、都立新宿高校時代の進路志望について、「まず『東大』と書く。続いて『芸大』と書く。最後に『日大』と書く」と明かしている。前2校と日大とは日藝とはいえブランドにかなり差がある。坂本一亀は厳父で龍一は父と口を利くこともほとんど出来なかったそうだが(死後に息子が出た雑誌などは全て買い、スクラップ収集していたことが分かる)、龍一はかなりのマザコンであることを隠そうとはしていないため、母親の母校に愛着を持っていたようだ。私も法政大学出身の父親の影響で、明治大学か法政大学に行きたいと思っていたので、親の影響は大きい。

坂本龍一が癌により、「余命半年」の宣告を受けたのはコロナ禍の最中である2020年12月11日のこと。坂本はその日の日記に、「死刑宣告だ」「俺の人生終わった」と書き記している。翌日は、生配信コンサートであった。私もリアルタイムでこのピアノコンサートを聴いており、特に変わったところは感じなかったが、このとき、坂本龍一は頭が真っ白で、なんとなく始まりなんとなく終わったという感じで、演奏の記憶がほとんどなかったということを後に語っている。坂本は主治医に「あと10年は音楽をやりたいので」と告げ、闘病生活に入った。

このとき、坂本龍一は長時間にわたるインタビューを何度も受けていた。自伝『音楽は自由にする』に続く第2弾の刊行を予定していたのだ。『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』いうタイトルで、映画音楽を担当した「シェルタリング・スカイ」でラストに登場する原作者のポール・ボウルズの語る言葉に由来している。そのため、「シェルタリング・スカイ」のテーマだけは、全曲、坂本のピアノ演奏姿が収められている。他にも有名曲はたくさん登場するが断片が多く、「シェルタリング・スカイ」だけは自伝のタイトルと密接に結びついているということで別格の扱いだ。ポール・ボウルズによる朗読も流れる。
坂本龍一は、いくつも著書を出しているが、自分で一から書くのではなく、インタビューを受けて、その中からライターに抜粋と再構成を依頼するというのが常である。多くが語り口調で書かれているのはそのためだ。このときには鈴木正文がインタビュアーを務めていた。

2019年。坂本はニューヨークの自宅の庭に古くなったピアノを運び出し、ピアノの音色と共に雨の音にも耳を澄ませた。ここから坂本龍一の自然音への傾倒が始まるのだが、病気が重いときには体力がないので音楽を聴くことが出来ないというのもその理由だった。YouTubeで雨音を何時間も聴き続けたりした。
坂本龍一というと、コンサート会場に武満徹弾劾のビラを撒きに行き、そこに武満徹が来て、「これ撒いたの君?」と聞かれた話が知られている。私はてっきり東京芸大から近く、武満ら日本現代音楽家の作品演奏がよく行われていた東京文化会館でのことだと思い込んでいたのだが、実際に初めてのビラは東京文化会館小ホールで撒かれている。だが実はビラ撒きは何度も行われていて、武満とやり取りを行ったのは長野県軽井沢町での音楽祭でのことだそうである。わざわざ軽井沢まで出向いたということになる。それほど武満が憎かったのか、暇だったのか分からないが、後年、作曲家となった坂本は武満と再会。武満は、「ああ、あの時の君ね」と坂本のことを覚えており、「君は作曲家として良い耳をしている」と称賛。坂本は「あの武満さんに褒められた」と有頂天になったことを明かしている(NHKスペシャル「武満徹の残したものは」)。その後、坂本は武満の作品に真正面から向かい合い、共感してもいくのだが、自然音を愛するという武満と同じ境地にたどり着いたことになる。ちなみに坂本のニューヨークの家の本棚には武満徹の著作集全5巻が並んでいた。

武満徹は、ポール・マッカートニーを理想の作曲家とし、メロディーメーカーを目指して作曲に取り組んだが、意に反して「響きの作曲家」として評価されることになる。独特の色彩美と清浄さを兼ねたメロディーがあり、ここから新たな地平が開けるのではないかと感じさせた「系図 若い人のための音楽詩」を発表したが翌年に死去した。
一方の坂本龍一は稀代のメロディーメーカーであり、ポピュラー楽曲や映画音楽で、一聴したら忘れられないほど印象的なメロディーをいくつも書いた。大ヒットした「energy flow」なども全く苦労することなく短時間で書き上げている。坂本はアンビエントミュージックも書いているが、やはり今後、新たな作風が生まれようかという時になって世を去ることになった。
あるいはそれが作曲家の宿命なのかも知れない。

癌克服のために坂本は様々な試みを行っている。
新潮新書から出た『世界が認めた和食の知恵 マクロビオティック物語』という食事法に感銘を受けた坂本は、新書の帯にメッセージを寄稿しているが、その後、「マクロビオティックさえ行っていれば健康になると思っていたら癌になってしまい、反省している」とも述べている。そのためか、食事療法のようなものは行っていない。日記にも「みかんが食べたい」「ショートケーキが食べたい」など、シンプルな記述があるのみだ。

坂本は「雲」を愛した。ドビュッシーの管弦楽曲「夜想曲」第1曲である。ピアノで冒頭を弾いて、「この浮遊感」と惚れ惚れとした表情を浮かべていたこともある。ドビュッシーの弦楽四重奏曲にも衝撃を受けた坂本は本気で「自分はドビュッシーの生まれ変わりかも知れない」と言って笑われたこともあるそうだ。坂本龍一は入院している病院の窓から見た雲についての記述も行っている。

手術を受けては、東京の白金に設けた仮の新居で作曲をする日々。日記のように綴られる音楽は、やがて「12」という12曲入りのアルバムとなり、これが坂本龍一の音源での遺作となった。無題未完成に終わった作品もいくつかある。

坂本龍一は、文字での日記も残しており、田中泯によって朗読されるが、小さなメモ帳に日付と短い文が書かれたもので、文学的なものではない。それこそメモと言った方が良いかも知れない。田中泯は淡々とした朗読を行う。俳優としてドラマティックに読むことも出来るはずだが、そうすると坂本龍一のものではなく田中泯のものになってしまう。ということで、朗読ではあるが、声よりも教授の書いた文字が観客に突きつけられるようなスタイルとなっている。

坂本龍一の死までの3年半という長い歳月が映像に収められているのは、次男(実子としては長男)が映像作家だから可能になったことである。飾らない態度で映っているのも息子がカメラを向けているからだ。余命宣告を受けてからの作曲家の活動を捉え続けた映像作品はほとんどない。その点でも貴重な作品といえる。

「教授」というあだ名で知られながら、教育活動にはほとんど関わってこなかった坂本龍一。芸大でも少しだけ教えたことがあったことが自伝に書かれているが、東日本大震災発生を受けて、自ら代表・音楽監督として組織した東北ユースオーケストラとの活動についての映像も登場する。東北ユースオーケストラと坂本龍一の活動は、NHKがドキュメンタリー番組として制作しているので、そちらに詳しいが、この映画でも東京・溜池山王のサントリーホールでの定期演奏会に顔を出した様子(このときにはもう演奏出来るだけの体力はない)や、死の前日に東京オペラシティコンサートホール“タケミツ メモリアル”で行われた東北ユースオーケストラの演奏を病床でスマートフォンを観て確認する様が映されている。スマートフォンに向かいながら坂本は指揮を行っていた。タケミツホールとも呼ばれるこのホールでの演奏を見ることになるのも何かの因縁かも知れない。

作曲家の役割は当然ながら曲を作ることだが、東北ユースオーケストラのメンバーもまた坂本の創造物だろう。

NHKの503スタジオで、1日数曲ずつの収録を行い、自ら「これで最後」と語ったピアノコンサートを作り上げた坂本龍一。実際、これが演奏家としての最後の仕事となった。

病床で4人の子どもと語らった坂本龍一。次女(有名な人だが、「Last Days」同様、実名は出ない)に「幸せな人生だった」と坂本は語っている。

それを受けて、エンディングには「Happy End」が流れた。


2023年3月28日午前4時32分。雨の朝、東京に死す。

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観劇感想精選(506) 佐々木蔵之介ひとり芝居「ヨナ -Jonah」

2025年11月23日 大阪城公園内のCOOL JAPAN PARK OSAKA TTホールにて観劇

正午から、大阪城公園内のCOOL JAPAN PARK OSAKA TTホールで、佐々木蔵之介ひとり芝居「ヨナ -Jonah」を観る。原作:マリン・ソレスク、翻訳・修辞:ドリアン助川。演出:シルヴィウ・プルカレーテ。東京芸術劇場×ルーマニア・ラドゥ・スタンカ国立劇場 国際共同制作作品である。

ヨナというと韓国人女性にありがちな名前だが、本作は韓国とは一切関係がなく、「旧約聖書」のヨナ書に描かれた聖人のことである。クジラに飲まれたという話があることから、この作品のモチーフとして用いられている。

プルカレーテを発見したのは野田秀樹で、野田は自身が1992年に潤色した「真夏の夜の夢」の演出をプルカレーテに託しているが、プルカレーテは佐々木蔵之介との仕事も好んでおり、「リチャード三世」(正統派ではなく独自のテキストによる演出)、「守銭奴 ザ・マネー・クレージ」を上演している。

佐々木蔵之介は以前に、ほぼひとり芝居となる「マクベス」を演じている。ほとんどの時間は蔵之介一人が舞台にいて、セリフを話すのも蔵之介だけなのだが、精神病院の閉鎖病棟にいるという設定で、医師役と看護師役の二人が出ていた。

今回もひとり芝居とのことだが、歌手として歌だけをうたう役が一人(佐々木奏音。ささき・かのん)。座っているだけで特に何もしない「黒子」と呼ばれる若手俳優が二人(小林宏樹と吉田朋弘)出演している。

開演前から佐々木蔵之介は、緞帳代わり(演劇対応ホールで劇場ではないので緞帳はないと思われる)のセットの前に座り込んでいる。

海を見つめ、網を打つヨナ。
しかしあるときからクジラに丸呑みにされたことに気付く。クジラの体内で、ヨナは刃物を取り出すのだが……。

飲み込まれているという状況と抜け出すという行為が、メタ的に無限に広がっていく可能性を帯びた芝居である。
途中で英国風の一室が現れるのだが、ヨナはそうしたものに余り興味は示さず、ただ服装は英国風にして去って行く。なぜ英国風の一室が出てきたのかは分からないが、植民地主義の否定を意味していたのだろか。ちなみにヨナは、古代イスラエル国と関わりの深い聖人のようである。そしてイギリスは中東問題において最大の悪役である。

なお、今回の公演は、日本での上演に先立ち、東ヨーロッパでのツアー公演を行っており、ルーマニアのシビウ、ハンガリーのブダペスト、ルーマニアのクルージュ・ナポカ、ルーマニアのブカレスト、モルドバのキシナウ、ブルガリアのソフィア、再度ルーマニアのシビウで上演を行っている。
東ヨーロッパの人々がこの芝居に何を見出したのかは興味深い。勿論、人がクジラの体内から出るという単純な話ではなく、あるいは社会、常識とそれに附随する文脈、戦争、経済的苦境、差別と偏見など多層に解釈は及ぶであろう。

上演時間1時間25分と、一人芝居としては長めの作品であるが、余裕を持って乗り切った佐々木蔵之介の表現力も優れていた。

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2025年12月26日 (金)

コンサートの記(933) 沖澤のどか指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2025「発見!メモリアルイヤーの作曲家」第3回「時代を超えて踊る踊る」

2025年12月21日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後2時から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2025「発見!メモリアルイヤーの作曲家」第3回「時代を超えて踊る踊る」に接する。指揮は京都市交響楽団第14代常任指揮者の沖澤のどか。
沖澤が「オーケストラ・ディスカバリー」を指揮するのは初めてだが、ロームシアター京都(京都会館)で指揮すること自体が初めてであり(一昨日はノースホールでトークイベントには参加したが)今日は沖澤の輝かしきロームシアター京都デビューとなる。
沖澤は来年の3月にもロームシアター京都メインホールで2025年度最後の「オーケストラ・ディスカバリー」を指揮するが、2026年度の「オーケストラ・ディスカバリー」は2回だけと半減し、指揮者も6月に太田弦、2027年2月に川瀬賢太郎という若くしてオーケストラを率いる指揮者に変わる。プログラムも発表になっており、良く知られたクラシックの曲が多いが、映画音楽が増えているのが特徴。特に来年6月の「オーケストラ・ディスカバリー」では、オープニングの映画音楽を投票で決めるということで、私は「ハリー・ポッターと賢者の石」のヘドウィグのテーマに1票入れた。おそらく来年3月の「オーケストラ・ディスカバリー」でも投票は行われると思う。他の候補は、「スター・ウォーズ」、「パイレーツ・オブ・カリビアン」、「ジュラシック・パーク」、「ゴジラ」で、5曲中3曲がジョン・ウィリアムズ作曲作品である。

 

今回は、「踊る」がテーマだが、クリスマスシーズンに相応しい曲が選ばれている。
曲目は前半が、ヨハン・シュトラウスⅡ世(生誕200年)の「シャンペン・ポルカ」、ポルカ「観光列車」、「皇帝円舞曲」。ルロイ・アンダーソン(没後50年)の「ワルツィング・キャット」、「そりすべり」、「クリスマス・フェスティバル」
後半が、チャイコフスキーのバレエ音楽「くるみ割り人形」から“行進曲”、“トレパーク”、“パ・ド・ドゥ”、“あし笛の踊り”、“こんぺい糖の踊り”、“花のワルツ”。“トレパーク”は指揮体験コーナーとなっている。

 

今日のコンサートマスターは泉原隆志。フォアシュピーラーに尾﨑平。第2ヴァイオリンの安井優子は降り番のようで、客演首席として水鳥路が入る。ヴィオラの客演首席は大野若菜。トロンボーンの客演首席に西村菜月。
フルート首席の上野博昭は降り番である。ドイツ式の現代配置での演奏。11月の京響の定期演奏会を指揮したジャン=クリストフ・スピノジは、チェロが客席側に来るアメリカ式の現代配置にして右手で巧みに操っていたが、今日の沖澤も、真横に陣しているヴィオラに指揮棒を突くように向けることで音を大きくしていた。指揮台の横にどの楽器を置くかで、楽器の操りやすさやバランスが変わるようである。

今日は珍しく、首席クラリネット奏者の小谷口直子が一番先にステージに現れる。

 

司会も兼任する沖澤。楽曲の紹介などを行う。私の席の近くから「喋り上手いな」という老年男性の声が聞こえてきた。

 

「シャンペン・ポルカ」。ラストに特徴がある曲である。沖澤は「真面目」な音楽作り。この手の曲はもっとおちゃらけたものでも良いのだが、沖澤は性格的に余りふざけたことは出来ないのであろう。ラストでは、打楽器首席の中山航介が、口を開いてその前で両手を叩き、独特の音を出していた、空気銃でもシャンペンのコルクが開いた時の音を出しているのだが、人力(?)でも似た音を出す工夫がなされている。沖澤は中山の真似をして上手く音が出なかったが、実はヨハン・シュトラウスⅡ世は音について「どうやって出すか」は特に指定していないそうである。

 

ポルカ「観光列車」。沖澤は、この曲では「汽笛」と呼ばれたハーモニカに似た楽器を吹く。レールを進む音はカダフという中東で用いられる特殊な楽器で出していた。

 

「皇帝円舞曲」。沖澤は、「ポルカが続いたので、次はワルツを演奏します。といってもこの曲は最初は2拍子で、後で3拍子になります」と説明する。
ヨハン・シュトラウスⅡ世の楽曲は、メディアから流れてきて、いつの間にか知っていたり、CDを聴いて覚えたものも多いが、「皇帝円舞曲」に関してはいつどうやって知ったのかはっきりと覚えている。工藤静香が出ていたチョコレートのCMで知ったのである。その後に観た映画「ラストエンペラー」でも満州国建国記念の舞踏会でこの曲が用いられていた。沖澤と京響は堂々とした「皇帝円舞曲」を奏でる。一方で、オーストリアの楽団が出す揺れのようなものは出さなかったが、あれはオーストリア人だから自然に出るものなのかも知れない。

 

沖澤と京響のヨハン・シュトラウスⅡ世の演奏だが、ほぼノンビブラートで演奏している弦楽奏者と、ビブラートを一音ごとに掛けて演奏している弦楽奏者が半々だったのが特徴。例えばコンサートマスターの泉原隆志は稀にしかビブラートを行わず、フォアシュピーラーの尾﨑平は盛大にビブラートを掛けていた。
ヨハン・シュトラウスⅡ世の時代は、演奏法が変化していく時代である。大きなホールが建設され、ビブラートを用いないと音が隅まで届かないようになる。ただ20世紀のオーケストラのように弦楽器全員がビブラートを掛けて演奏するにはまだ間があり、ビブラートを使う人と使わない人が混じる過渡期の演奏も行われていたはずである。今日はその過渡期の演奏を味わったことになる。音色は爽やかで、派手派手しくなく、好感を抱いたが、その後に世界のほぼ全弦楽奏者がビブラートを掛ける演奏の時代が訪れたことで、音楽家達は爽やかさよりもスケールの大きさやゴージャスさを選択したということになりそうだ。

 

「アメリカのヨハン・シュトラウス」と呼ばれたルロイ・アンダーソン。見た目が余り良くない人だったのだが、名門ハーバード大学出身。音楽学部に学んだ後、大学院に進んで修士号取得。ニューイングランド音楽院でも学んだ後でハーバード大学に戻り、今度は両親が話者だったスカンジナビア語の研究を行って、最終的には博士号を取得するなど、非情に優秀にして多彩な人であった。アーサー・フィードラー時代のボストン・ポップス・オーケストラ(ボストン交響楽団が、各パートの首席奏者抜きでライトクラシックや映画音楽を演奏する時の名称)のアレンジャーとして仕事を始め、フィードラーに気に入られて自作を発表するようになっている。

「ワルツィング・キャット」について、沖澤は、「弦楽がグリッサンドといって、猫の鳴き声を真似ます。最後には猫じゃなくて犬が出てきます」と言って演奏開始。上品で柔らかな演奏である。この演奏で描かれているのはシャム猫か何かで絶対に雑種ではない。
犬は大勢の奏者が口で鳴き声を真似するが、沖澤によると「犬になりたい人多かったので、猫の倍ぐらいいました。アンダーソンは鳴き声を誰がどう出すかは書いていないんです」

 

「そりすべり」。クリスマスシーズンによく流れる曲であること、最後に馬がいななきすること、「スキーの橇ではなく、馬がひく橇です」と言って演奏開始。スケール、スピードとも理想的な演奏である。最後に馬のいななきを吹いたハラルド・ナエス(京響トランペット首席)も上手かった。

「クリスマス・フェスティバル」。クリスマスにちなんだ曲を並べてメドレーとしたもので、とても楽しい曲と演奏であった。考えてみれば、仏教にはこうした楽しい音楽は少ない。暗い曲も多いが明るい曲もある。ただ折角明るい曲があるのに、同じ歌詞の暗いメロディーを選ぶ傾向があるように思う。極楽往生が定まったのだから、それを祝う曲があってもいいと思うのだが、定めたのは自身ではなく阿弥陀如来(絶対他力)なので、能天気な曲は書けないのだろう。

 

後半。チャイコフスキーのバレエ音楽「くるみ割り人形」から。クリスマスの定番の演目であるバレエ「くるみ割り人形」。実は沖澤のどかはバレエオタクで、これまでベルリン州立バレエで様々なバレエを楽しんできたのだが、「くるみ割り人形」だけは人気が高すぎてチケットを手に入れることが出来なかった。それでも観たいのでドレスデン州立歌劇場バレエ(ドレスデンはザクセン州にあり、ベルリンとは州が異なる)まで遠征したこともあったのだが、ようやくベルリン州立バレエの「くるみ割り人形」のチケットに当選した、と思ったら公演当日の朝に電話が掛かってきて、「水道管が破裂した(だったかな?)ので照明を使ったりするのが危険なので公演中止」「ただリハーサルはご覧になれます」ということで出向いて、ジャージ姿で踊るバレリーナを観察したりしていたそうだ。

リムスキー=コルサコフの交響組曲「シェエラザード」を聴いた時にも感じたことだが、沖澤の振るロシアものは味が濃いめである。低弦が力強く、洗練された響きの奥にざらついたものが聞こえる。ロシアの大地を考えれば、そうした表現も適切なのかも知れない(ただ私はロシアの大地を見たことはない)。

“トレパーク”では、小学校2年の女の子と小学校4年の男の子が指揮に挑戦。
小学校2年の女の子は途中でテンポが遅すぎて止まりそうになったため、沖澤が助け船を出して右手を振ってテンポを示して見せ、最後まで振り切った。
小学校4年生の男の子は、途中でテンポの変更があって、京響の団員も合わせるのが難しそうであったが、こちらも完走した。
沖澤は、学校で習う四拍子や三拍子の振り方については、「あれはあくまで基本形。というよりどうでもいい」。ということで四拍子は二つ振り、三拍子は円を描く方法で教えていた。
パーヴォ・ヤルヴィは、「今のプロオーケストラは優秀なので拍を刻まなくても演奏出来ます」ということで、音型を描く指揮を教えているようである。アニメ「響け!ユーフォニアム」には、吹奏楽部の顧問による指揮の「打点が分からない」と友達が愚痴る場面があるが、あれはアマチュアだからきっちり拍を刻んだ指揮をしないと弾けないということである。

“パ・ド・ドゥ”は、組曲にも含まれていない曲だが、「組曲に取り上げられていない曲にも良い曲がある」と沖澤は語っていた。

「あし笛の踊り」。ソフトバンクのCMで知られる曲だが、沖澤のどかは、テレビもラジオもない生活を、しかもベルリンで送っているので、CMのことは知らなかったと思われる。YouTubeでなら見られるが、わざわざ「ソフトバンク CM」と検索したりはしないだろう。主役であるフルートは首席なしでの演奏なのでやや落ちる感じではあったが、雰囲気は出ていた。
京響は首席と次席に明らかな実力差があるのが難点である。

「こんぺい糖の踊り」。チェレスタをお馴染みの佐竹裕介が演奏する。
沖澤は、チャイコフスキーがパリでまだ新しい楽器だったチェレスタを見つけたこと、「新作のバレエで使いたい」のでロシアまで運んで欲しいと出版社に手紙を送ったこと、「ただしリムスキー=コルサコフやグラズノフには絶対知られないように」と念を押したことなどを述べ、「くるみ割り人形」の初演でチェレスタの音が大好評だったことを語った。
「オーケストラ団員になりたい」という夢を持つピアニスト、佐竹裕介。普通はピアニストというと個性勝負になるが、オーケストラの一楽器となったチェレスタを演奏する。
神秘的な雰囲気が良く出ていた。

最後はお馴染みの“花のワルツ”。この曲はいすゞジェミニのCMで知ったはずである。チャーミングであるが、案外、ガッシリとした聴き応えのある演奏であった。

 

最後に告知。2025年度最後となる「オーケストラ・ディスカバリー」が来年の3月29日に沖澤の指揮で行われること、また2026年度は2回の公演になること(理由はよく分からないが、プロコフィエフの交響曲チクルスがあるからではないかと思われる)、クリスマスシーズンというと、「くるみ割り人形」や(フンパーディンクの歌劇)「ヘンゼルとグレーテル」が上演されたりするが、「日本の年末と言えば第九ですよね」「と言いながらもうチケット完売なんですが」「来年、再来年と機会があるので」と話していた。

 

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2025年12月24日 (水)

忌野清志郎+坂本龍一 「きよしこの夜」

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2025年12月23日 (火)

観劇感想精選(505) 松竹創業百三十周年 京の年中行事 當る午歳「吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎」尾上菊之助改め八代目尾上菊五郎襲名披露 尾上丑之助改め六代目尾上菊之助襲名披露 夜の部

2025年12月8日 京都四條南座にて

午後4時30分から、京都四條南座で、松竹創業百三十周年 京の年中行事 當る午歳「吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎」尾上菊之助改め八代目尾上菊五郎襲名披露 尾上丑之助改め六代目尾上菊之助襲名披露 夜の部を観る。
例年とは異なり、ポスターには演目が書いてあるだけ、番付も菊五郎と菊之助の屋号である音羽屋の由来となった音羽山清水寺の本堂(清水の舞台)をリアルなタッチで描いた田渕俊夫の「京洛心象 冬詩」が表紙絵となっている。

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演目は、「寿曽我対面(ことぶきそがのたいめん)」、「口上」、「弁天娘女男白浪(べんてんむすめめおのしらなみ)」より“浜松屋見世先の場”と“稲瀬川勢揃いの場”、「三人形(みつにんぎょう)」

尾上菊之助に当てて書かれた弁天小僧菊之助が登場する白浪ものが入っているのが特徴である。

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尾上菊五郎であるが、歌舞伎小屋で見た記憶がないので、芸を生で見るのは初めてかも知れない。連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」に登場する条映(東映京都撮影所がモデル)の時代劇スター、桃山剣之介の先代と当代を一人二役(キャラクターも芸も親子でそっくりなので二役に当たるのかは不明だが)で演じていたことが記憶に新しい。

新しい尾上菊之助は、まだ12歳。小学6年生で名跡を受け継ぐこととなった。

不思議なもので、歌舞伎役者は若い頃に苦労した方が伸び、楽しい青春を送った人が悲惨なことになることが多い。四代目市川猿之助などは若い頃に遊び放題、亀治郎から猿之助になってもセクハラし放題(彼はゲイなので相手は男である)で、才能は買われていたが、歌舞伎役者として戻ってくる可能性は極めて低く、市川猿之助という名跡も縁起が悪いのでもう継ぐ人がいない可能性もある。歌舞伎役者だったからかどうかは分からないが、2人殺しているのに執行猶予判決は出ている。
ただ苦労すれば良いというわけでは勿論ない。
市川中車(香川照之)の息子である市川團子も、当初は将来猿之助を継ぐ予定だったようだが(四代目猿之助はゲイなので結婚もしないし子どもも作らないと約束)、猿之助は避けて普通に市川段四郎を継ぐ可能性が高い。團子も明るい青春を送ったようだが(当代の染五郎は青山学院で初等部から高等部まで團子と同学年だったが、勉強が嫌いという理由で中退。團子だけが青山学院大学に進学している)、父親との関係が上手くいっていないという話もある。

かつて、「平成の三之助」と呼ばれた三人(市川新之助、尾上菊之助、尾上辰之助)のうち、菊之助だけが名を変えなかったが、これで平成の三之助も完全に過去のものとなった。市川新之助は海老蔵を経て團十郎を襲名。尾上辰之助はいち早く尾上松緑を名乗ったが、父親を早くに亡くしているため、七代目菊五郎に師事。封建的な歌舞伎の世界にあっては出世は難しいと思われ、大河ドラマ「葵 徳川三代」で徳川家光を演じたのも今後、大役に就くのは難しいからという制作側の配慮があったのかも知れない(尾上松緑本人は以後、映像作品への出演を全て断っている)。

 

「寿曽我対面」。「寿」の字が入っていることから分かるとおり、祝いの時に上演されることが多い演目である。仇討ちものといえばまず曾我兄弟と言われるほど知名度も高い。
工藤祐経(中村梅玉)の館が舞台。工藤氏は、日本の中でも良く知られた苗字で人数も多いが、伊藤氏(伊勢藤原ではなく伊豆藤原の方)、伊東氏(藤から東に変更)と同族である。建築を得意とし、木工頭の称号を得て、伊藤や伊東から工藤に変わる者が多かったようだ。その後、陸奥国(現在の青森県付近)から建築の仕事が多く舞い込んだため、移住する者も多く、現在でも工藤は青森県内最多の苗字となっている。工藤氏や伊豆系伊藤氏や伊東氏は庵木瓜という特徴ある家紋の家が多い。木瓜(もっこう)が建物の中に入っており、建築技術に秀でた一族であることを示している。今回の工藤祐経館も庵木瓜があちこちに貼られている。
祐経が富士の裾野で行われる巻き狩りの総奉行職に任じられたので、多くの大名が祝いのために工藤館を訪れている。この冒頭は、どこかシェイクスピアの「リア王」の冒頭に似ている。小林朝比奈(中村鴈治郎)が、かねてから祐経に会いたいと申し出ている若者が二人いると祐経に上申。祐経は会うことにする。現れたのは実父である河津三郎祐康を工藤に闇討ちされた曽我十郎祐成(片岡孝太郎)と曽我五郎時致(片岡愛之助)の兄弟である。
諸大名が兄弟を「礼儀を知らぬ者」と嘲る中、祐経は二人が河津三郎の息子であると見抜き……。
兄弟ではあるが、性格が少し異なる二人を描いている。松嶋屋の二人による曽我兄弟であるが、昨年は体調不良により顔見世への出演を見合わせた愛之助はまだ調子が戻っていないように見える。
菊之助が、菊若丸という相応しい名で現れ、名刀・友切丸(縁起の悪い名前である)を運んでくる役を演じていた。

 

「口上」。出演は、八代目尾上菊五郎(音羽屋)、六代目尾上菊之助(音羽屋)、片岡仁左衛門(松嶋屋)、中村鴈治郎(成駒家)、片岡愛之助(松嶋屋)、片岡孝太郎(松嶋屋)、中村梅玉(高砂屋)、中村扇雀(成駒家)、片岡進之介(松嶋屋)、松本幸四郎(高麗屋)、中村勘九郎(中村屋)、中村七之助(中村屋)、中村歌六(播磨屋)。

仁左衛門の先導で、それぞれが口上や祝いを述べていく。菊五郎は、初代尾上菊五郎が京都の人であったこと、清水寺の音羽の滝にちなんで音羽屋を名乗ったことなどを述べる。舞台の下手側の斜め端には清水寺の本堂が、上手側の斜め端には音羽の滝が描かれている。
歌舞伎界ということで親戚が多く、また同世代も多いため、学生時代の話なども語られていた。ちなみに菊之助は青山学院出身だが、歌舞伎界には暁星学園出身者も多い。プロテスタントとカトリックの違いはあれど、ミッションスクールが多いのには訳があるのだろうか? ちなみに八打目菊五郎の世代だと青山学院大学の教養課程はまだ厚木キャンパスに置かれていたが、厚木に通っていては歌舞伎の稽古にも出演にも支障があるため、中退もやむなしであろう。市川團子が現在、青山学院大学に通っているが、今は1年から4年まで青山キャンパスに行くことになるので、歌舞伎との両立は可能である。他の大学中退の歌舞伎俳優も学業よりもキャンパスの遠さが理由になった人はいると思われる。
中村鴈治郎は、菊五郎よりも大分年上だが、菊五郎が企画し、蜷川幸雄が演出した「NINAGAWA十二夜」で菊五郎と共演し、ロンドン公演にも連れて行って貰ったことに今でも感謝しているそうである。

 

「弁天娘女男白浪」。河竹黙阿弥の作であり、弁天小僧菊之助は、尾上菊之助に当てて書かれている。「知らざあ言って聞かせやしょう」で始まる歌舞伎史上屈指の有名ゼリフもこの作品のものである。元々のタイトルは「青砥稿紙花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)」というものであるが、“浜松屋見世先”と“稲瀬川勢揃い”の抜粋上演をする際は、「弁天娘女男白浪」というタイトルになる。「白浪五人男」という別名でも有名だ。

鎌倉時代の鎌倉が舞台である(ということになっている)。“浜松屋見世先”の場。鎌倉雪の下(鎌倉の中では北の方)にある呉服屋、浜松屋。振袖姿の武家の娘と思われる女(菊五郎)が、若党の四十八(よそはち。中村勘九郎)を伴って浜松屋に入って来る。女は様々な品物を並べるが、番頭の与九郎(市村橘太郎)は女が緋鹿の子の小布を懐に忍ばせるのを見て万引きだと思い、店の者達で店を出ようとした女を引き戻し、番頭は算盤を女の額に打ち付ける。
しかし、女が手にしていたのは山形屋と書かれた別の小布であった。
騒ぎを聞きつけた若旦那の宗之助(中村鷹之資)は、店の者達と共に謝るが、四十八は女の正体が二階堂信濃守(鎌倉の雪の下の隣の地名が実は二階堂なのである。二階建ての本堂を持っていた永福寺〈ようふくじ〉が由来。地名で遊んでいるのが分かる)の家臣、早瀬主水の娘と明かし、濡れ衣を着せられた上に若い娘の額に傷を付けられたとあってはこのままでは帰れぬ、皆の首を取った上で切腹すると言い放つ。
鳶頭清二(坂東巳之助)がことを収めようとするが、上手く行かず、浜松屋の主である幸兵衛(中村歌六)が、十両で話を付けようとするが、四十八は百両を要求する。
そこへ、二階堂信濃守の家臣である玉島逸当(松本幸四郎)が現れ、二階堂信濃守の家中に早瀬主水という者はいないと断言。女は仕方なく自身が弁天小僧菊之助であることを、同じく四十八は南郷力丸であることを明かす。
「知らざあ言って聴かやしょう」のセリフは、音羽屋が本家である。本姓である「寺島」(女優の寺島しのぶは菊五郎の実姉である)が登場し、「菊之助」の名が語られる。以前、片岡愛之助の弁天小僧菊之助で同じセリフを聞いているが、趣は大きく異なる。菊五郎の方が現代的で節も抑えがちであり、愛之助はいかにも悪党がしゃあしゃあと語っているという感じだった。ちなみに語られる内容であるが、自己紹介である。それもかなりの駄目人間としての。なので情けない内容を格好つけて話している滑稽さが肝となるのだが、菊五郎の場合はそのままで格好いいので、格好いいのに駄目という残念さが加わるが、語りのスタイルとしてはスマートで外連のようなものは感じられない。本家の語りは代々このようなものなのかも知れない。
ちなみに玉島逸当の正体は、白浪五人男の首領、日本駄右衛門である。
番頭がなぜ弁天小僧の顔面に算盤を振り下ろしたのかは不明。振り下ろした時点では相手が男だとも正体が弁天小僧だとも分かっていなかったはずだが、女性の顔に傷を作ってしまったら何を言われるか分からないのは江戸時代だろうと鎌倉時代だろうと現代だろうと変わらないはずだが。傷さえ付けなければ悪党どもに吹っかけられることもなかったはずである。

“稲瀬川勢揃い”の場。白浪五人男が一人ずつ花道から舞台へと向かう。稲瀬川は、鎌倉を流れる短く小さな川だが、ここでは現実の稲瀬川でなく、江戸の隅田川が稲瀬川になぞらえられている。隅田川は今も東京23区内を流れる川としては荒川などの次に川幅が広いが、今の荒川は放水路で、江戸時代までの隅田川は荒川の水量も合わせた、今の倍ほどの川幅を持つ大河であった(荒川の下流の別名が隅田川。長江と揚子江のような関係である)。
登場するのは、弁天小僧菊之助、忠信利平(片岡愛之助)、赤星十三郎(中村七之助)、南郷力丸、日本駄右衛門。「志ら浪」の文字の入った番傘を差している。
捕り方が大勢現れ、大乱闘の内に五人男が見得を切り、幕となる。

女形として人気が出た七之助は。ここでも上品な美貌の盗賊という女形の持ち味を生かしたキャラ付けを行っていた。

 

「三人形」。江戸の新吉原仲之町。奴(坂東巳之助)、傾城(中村壱太郎)、若衆(中村隼人)の3人が、それぞれのスタイルで舞い始める。
常磐津が遊郭の歴史を歌っていく。弓削道鏡が勅命を受けて遊郭を築いたそうである。ちなみに遊郭という言葉の由来も語られるが、嘘である。
なお、弓削道鏡が遊郭を作った話も、道鏡の一物がかなり立派だったという俗説から来ていると思われる。
若手トップランクの女形である中村壱太郎(かずたろう。成駒家。彼は「女方」表記の方を好むようである)の細やかな仕草が更に洗練度を増しているのが感じられた。

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2025年12月22日 (月)

これまでに観た映画より(418) 「赤垣源蔵(戦後改題「忠臣蔵赤垣源蔵 討入り前夜」)」

2025年12月14日

Amazon Prime Videoで、日本映画「赤垣源蔵(戦後改題「忠臣蔵赤垣源蔵 討入り前夜」)」を観る。第二次世界大戦開戦直前である1939年の公開。戦後のタイトルが変わっているが、戦後、GHQにより「チャンバラ映画は好戦意欲を掻き立てる」として没収、検閲を受けている。公開も禁止された。そのまま消えてしまった映画も多いのかも知れないが、「赤垣源蔵」はフィルムが返却され、戦後にも上映が許されているようだ。
主演:阪東妻三郎。出演:市川小文治、原健作、市川百々之助、香川良介、磯川勝彦、志村喬、花柳小菊、大倉千代子、中野かほる、京町ふみ代ほか。監督:池田富保。
出演者は多いが、基本的には阪妻を見るための映画である。
76分と短めの映画だが、吉良邸での殺陣の場面が短いため、あるいはGHQによる大幅なカットがあったのかも知れない。

日活京都作品。ほぼ全編に渡って音楽が流れているメロドラマだが、この時期のフィルムはノイズなどが耳障りなため、それを和らげる意図があったのかも知れない。

次男坊の赤穂浪人、赤垣源蔵(阪東妻三郎)であるが、江戸では兄で婿養子に入った塩山伊左衛門(香川良介)の屋敷に居候し、酒に溺れ、しょっちゅう居眠りしている始末で、討ち入る気があるのかどうか不明である。一応、周囲には「遠国に仕官する」と言っている。
そんな源蔵に隣家の播州龍野・脇坂家家臣である板谷城左衛門(志村喬)の娘、千鶴江(花柳小菊)が惚れるが、源蔵の煮え切らない態度に業を煮やし、他家へと嫁ぐ。

狸長屋に引っ越した源蔵。宿場町(品川宿だろうか。当時の品川は色街でもあったので、そちらの関係で行ったのかも知れない)で休んでいた源蔵は、同じ赤穂浪士の仲間が吉良の家臣に追われている場面に出くわす。浜辺で「ここぞ」とばかりの大立ち回り。撮影は瀬戸内で行われていると思われるが、向かいに見える山のようなものは淡路島だと思われるので須磨付近での撮影だろうか。

伊左衛門の家で兄を待つ源蔵。伊左衛門は家中で囲碁を打っているということでなかなか帰ってこない。源蔵は兄の羽織を借り、羽織に別れを告げ、徳利で飲めない酒を飲む(一人徳利の別れの場)。

大石内蔵助同様、「昼行灯」と呼ばれそうな放蕩者を装う源蔵。女子どもを含む多くの人から見下されながら雌伏を貫き、花を咲かせる。


特に女優に顕著だが、表情の演技がとても細かく、逆に身振りの演技が大きい。おそらくマイクロフォンの性能が心許ないので、そうした演技で補う必要があったのだろう。少なくとも映像作品においては演技と技術は一体である。AIの技術が怖ろしく発達しているが、今後の映像作品制作に大きく影響しそうだ。

吉良邸での源蔵の殺陣は、「流石、サイレント期に一時代を築いた阪妻」と唸らされるものである。

ラストは高輪泉岳寺へ向かう赤穂浪士達を雪の中、裸足で追う千鶴江の姿で終わる。胸に去来するのは後悔だろうか。

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これまでに観た映画より(417) ドキュメンタリー映画「Voices from GAZA ガザからの声 Episode2 ミュージシャン・アハマドのメッセージ」

2025年12月17日 烏丸御池のアップリンク京都にて

烏丸御池のアップリンク京都で、ドキュメンタリー映画「Voices from GAZA ガザからの声 Episode2 ミュージシャン・アハマドのメッセージ」を観る。Episode1の主人公の名もアハマドであり、アラブ系の男性は同じファーストネームの人がかなり多いようである。イスラム教の聖人から取るケースが多いからだと思われる。西欧やアメリカもキリスト教の聖人の名前から取ることが多いので、ファーストネームの種類は多くない。彼らが、苗字も名前も膨大にあるという日本の事情を知ったら驚くだろう。更に日本の場合は、キラキラネームであるかどうかに関わらず新たな名前が生まれて増えていく。おそらく日本は名前に関しては世界一バリエーションに富む国だろう。

監督:ムハンマド・サウワーフ。ガザ地区の映像制作会社、アレフ(アルファ)マルチメディアとアップリンクの共同制作。

今回は、2025年7月12日に、ガザ市の無名戦士公園の避難民キャンプで撮影が行われている。この時はまだ停戦中であるが、ドローンからの空襲があったそうで油断出来ない状況である。前回、ガザ・イスラーム大学の跡地に作られた避難民キャンプで撮影が行われていたが、今回も「イスラーム大学が空襲された」という話が出てくる。ガザ・イスラーム大学のことだと思われる。通常は、大学は爆撃しても、攻撃する側も大して意味がないし、攻撃される側も大学は死守しなければいけない施設でもない。夜は誰もいないし、教室と食堂とその他、体育館やスポーツ施設、講堂など、攻撃しても相手にダメージは与えられない。それでも空襲したのは、ガザ・イスラーム大学がハマス指導者の母校だからだと思われる。腹いせにだろう。

 

今回、収録が行われた無名戦士公園の避難民キャンプはガザ市の西部にある。周辺は瓦礫の山だが、比較的高めのビルなどはあちこち撃たれているものの崩れていなかった。頑丈であるということも考えられるが、おそらく襲撃対象として後回しになったのだろう。ビルは見た目から判断するに企業のオフィスビルで、夜間に襲撃しても中には誰もいない。それよりは、人々が住む低い住宅を攻撃して打撃を与えようとしたのだと思われる。一般市民を標的にすることはあってはならないことだが、少なくとも第二次大戦以降は軍属よりも市民が犠牲になるケースが多い。

今回の主人公は、ミュージシャンのアハマド・アブ=アムシャ。5人の子を持つ父親でもある。これまで空襲に遭うこと12回、住居は3度変わって今は避難民キャンプにいる。家を3つほど持っていると取れるような発言をしているが、金持ちでないことは確かであるため、親族の家か何かだろうか? パレスチナの住宅事情については知識がないのでよく分からない。
元々いた住居が空襲で焼かれ、音楽スタジオに避難しようと思ったが、そこもグチャグチャになっており、避難民キャンプにも入れて貰えなかったが、端の方にテントを張ることが出来たそうだ。
アハマドは、イスラエルがガザ地区を攻撃するまでは、生活が出来る位の金を音楽で稼いでいた。彼はギターの弾き語りをする。だがガザ地区が攻撃されて、演奏活動などが出来なくなった。
それでもアハマドは、音楽をしている時だけは現実を忘れることが出来るため、音楽の効用を説く。避難所でも人々に楽器(ヴァイオリンやギター、民族楽器など)を教え、新しい曲を作詞・作曲する。少年がパレスチナの誇りを歌ったりする。
音楽が持つ力が描かれるが、同時に、怖ろしさも同居しているように思う。
大阪のザ・シンフォニーホールでプロムスのコンサートが行われ、トーマス・ダウスゴー指揮BBCスコティッシュ交響楽団の演奏で、エルガーの「威風堂々」第1番が演奏され、「英国第2の国歌」と言われる中間部に詞が書かれたものを歌ったのだが、イギリス人でも何でもないのに気分が異様に興奮した。爽快だったが危険だとも思った。音楽には我を忘れさせる作用がある。アドルフ・ヒトラーは子どもの頃からのオペラマニアだった。音楽にどんな効果があるのか熟知していただろう。

基本的に、現地で撮影されたものを編集しただけであり、起伏はないので、ドキュメンタリーとしての面白さは求められない作品であるが、ガザの人々の生の声が聴ける稀少性を持つ。

最後にチラシに書かれたアハマドのメッセージ
「戦争の中でも歌い続ける これは一種の抵抗だ。歌い 教え 奏でることでほんの一瞬でも戦争の空気から俺たちを引き離してくれる。世界中の芸術家たちへ僕からのメッセージ 不正義に沈黙することは加担だ」

その後、再びイスラエルによる空爆が再開された。ガザ市にいることはもう出来ない。今、彼らはどうしているのだろう。

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2025年12月20日 (土)

京都市交響楽団・京都コンサートホール・ロームシアター京都「会員限定トークイベント 沖澤のどか×tupera tupera 『芸術との出会いと今、そして京都でのこれから』」

2025年12月19日 ロームシアター京都ノースホールにて

午後7時から、ロームシアター京都ノースホールで、「会員限定トークイベント 沖澤のどか×tupera tupera 『芸術との出会いと今、そして京都でのこれから』」を聴く。

京都市交響楽団の常任指揮者である沖澤のどか、そして京都を拠点に絵本やポスターなどの絵画制作を行っている夫婦二人組、tupera tuperaを招いて行われるトークショー。女性の方が司会を務めたが、残念ながらお名前は頭に残らず。

ロームシアター京都は来年、開場10年を迎えるが、それを祝した2026年1月10日と11日に行われる「プレイ!シアター」のポスターもtupera tuperaが手掛けているという。「なるべく色々な人を描いたということだが、沖澤は「自意識過剰かも知れませんが私もいるような」と発言。実際、沖澤をモデルにした人が描かれている。ただ遠目なので「指揮者」としか分からないかも知れない。髪が長いので、「ひょっとしたら女性かも」と思うかも知れないが、男性指揮者も髪が長い人は多い。なぜ男性指揮者も髪を長くするかだが、松尾葉子が学生時代の山田和樹に、「指揮者は大きく見えなければいけないと」言い、山田をそれを汲んで学生時代はパーマを掛けていたという話があるため、そうしたことと関係しているのかも知れない。

 

沖澤のどかは、次の日曜日にロームシアター京都メインホールで、「京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー」を指揮するが、これがロームシアター京都でのデビューとなるそうである。
青森県生まれ。東京芸術大学および同大大学院修了。コンクール歴などは語られなかったのでここでも記さない。ベルリン在住。二児の母である。

tupera tupera(ツペラ ツペラ)は、京都に拠点を置く美術ユニット。メンバーは、亀山達矢(三重県伊勢市出身。武蔵野美術大学油絵学科版画専攻卒)と中川敦子(京都府出身。多摩美術大学染織デザイン科卒)の二人。10年ほど東京で活動していたが、「今の時代、東京じゃなくても仕事出来るよね」。ということで移住を決意。中川が京都府出身、亀山も伊勢市出身で京都には馴染みがあるということで、京都市に転居。子どもが二人いたが、「秒の速さで京都弁を覚えた」そうである。亀山は、「京都に来てから東京に行く楽しみが増えた」と語る。今も関西在住の友達より、東京にいる友達の方が多いが、離れている分、会える喜びが増すようだ。

亀山は、小学校1年生の時に出した絵が伊勢市で1等を取ったのだが、実は失敗作だったらしい。だが、賞を取ったことで親から絵画教室に通うように言われ、嫌々通っていたそうだが、高校に進み、進路を考えた時に過去を振り返って、「やっぱり美大がいいんじゃないか」という結論に至り、今に至るまで美術の仕事をしているという。

 

沖澤のどかは、田舎で育ったので、虫取りをしたりツララにかじり付いたり、「ワイルドな」子ども時代を送ったそうである。チェロを習っている姉がおり、沖澤も小学校3年生の時からチェロを習い、小学校5年生からジュニアオーケストラに入ったそうである。ただチェロの練習は苦手で、独習は集中力が続かなかった。ジュニアオーケストラに入ってからも、「弾く真似をしてたら隣で上手い子が良い音で弾いてくれる」というので弾いている真似ばかりしていたそうだ。技術は当然ながら上達しなかったが、オーケストラは好きになったそうである。沖澤は子供用のチェロを弾いていたため、「音大目指すならお姉ちゃんと同じ立派なチェロを買ってあげるよ」と言われたが、当時は音大に行くほど音楽が好きになるとは思っていなかったため、良いチェロを手に入れる機会を逃したそうである。
高校ではオーボエに励んだが、オーボエは学校からの貸与。「自分のオーボエが欲しい」と思ったが、オーボエは高価。そこで、「指揮棒だったら手に入る!」というので指揮者になる決意をしたそうだ。「持たない人もいますけどね」と沖澤は続けていた。ヘルベルト・ブロムシュテットや尾高忠明は若い頃は指揮棒を使って指揮していたが、今は専らノンタクトである。小澤征爾も晩年はノンタクトが増えた。ピエール・ブーレーズのように指揮棒の存在を否定する人もおり、ブーレーズの影響を受けたフランスの指揮者にはノンタクトで振る人も多い。

外国で、tupera tuperaが京都在住と知れると、あちらこちらから、「京都なの? 京都の良いところ教えて?」と質問攻めにあうそうだが、みんな京都という街の存在は知っているようである。沖澤も京都でオーケストラのシェフをやっていると自己紹介すると、「京都の良いところ教えてよ」とやはり同じような結果になるようである。

沖澤も京都市交響楽団から常任指揮者の話を貰った時は、「わーい、京都に行ける」と無邪気に喜んだそうだ。「修学旅行以来」。ただ、常任指揮者の仕事は忙しく、まだ嵐山のモンキーパークと京都水族館、大徳寺にしか行けていないそうで、京都マスターにはほど遠い。大徳寺も塔頭巡りなどではなく、そばにある和菓子の店に娘と入っただけのようだ。京都市交響楽団を指揮する時は、一家で京都の民泊を行うそうで、近所での買い物ぐらいは出来ているようである。ちなみにようやく巡ってきたシェフの座なので、「受けない」という選択肢は、はなからなかったそうである。
なお、自炊はするが料理は得意ではないそうである。「料理が得意な指揮者も多いんですけれど」と沖澤は語っていたが、チョン・ミョンフンのように料理本を出している人もいる。
指揮者の常として、次回振る曲が頭の中で鳴っていたり、雑音が気になったりするそうだ。ベルリンは「大きな田舎」のような街で、快適に過ごせているそうだが、学生時代を過ごした東京は雑音だらけで、ずっと鬱々としていたらしい。最初は芸大から遠い、おそらく家賃の安いところで暮らしていたが、雑音に耐えきれず、大学のそばに引っ越したという(東京芸術大学は、東京の中でも駅前以外は閑静な上野にある)。京都は雑音がしないので快適だが、それでも街中は避け、出雲路の練習場の近くに民泊し、自転車で通っているそうだ。
ちなみに京都市交響楽団のコンサートマスターである泉原隆志も自転車通勤なので、京響は大都市にありながら常任指揮者とコンサートマスターが自転車通勤という風変わりなオーケストラということになる。
沖澤は、自宅にテレビもラジオもCDプレーヤーもないそうだ。昔、シャルル・デュトワは「好きなCD」について聞かれ、「私はCDなどというものは聴いたことがありません」と答え、質問者は「冗談なのかふざけているのか」と思ったそうだが、この調子だと実際にCDを聴いたことがない音楽家は結構いそうである。パーヴォ・ヤルヴィのように「朝比奈隆のブルックナーのCDは全部持っている」というCDマニアもいるが、自分の頭の中にある音を優先させる人もいそうである。

沖澤は、京都での音楽の展望について、「私はいかないんですけれど京都市交響楽団の方が」京都府内のあちこちでミニコンサートを行う計画があるということを話す。今年は沖澤は振らなかったが、京都市内各所の文化会館でまた指揮する予定もあるようだ。
展望とは余り関係がないが、沖澤が新しい「常任指揮者発表記者会見」に臨んだとき、ニコニコ生放送による中継が行われたのだが、後でニコ生のコメントをチェックしたところ、「十二単似合いそう」というコメントがあって嬉しかったそうである。司会者の方が、「着物を着て指揮したことのある方っていらっしゃるんでしょうか?」と聞き、沖澤は「ないです。演奏する方はいらっしゃいますけど」と答えていた。わざわざ着物を着てオーケストラを指揮するというのは絵面としても滑稽であり、単騎西洋文明に挑むドン・キホーテのようでもある。「意味がない」の一言でも済ますことが出来る。

海外での話としては、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地であるベルリン・フィルハーモニーはティンパニなどのすぐ後ろが客席となっていて、足で音楽を感じられるだとか、先日、ボストン交響楽団に客演した際には、女性チェロ奏者が演奏中に「So Wonderful Sound!」と叫んでいたという話をしていた。「本人は自分が声を出したと気付いてないと思うんですけど」ということで無意識に言葉が出たのだろうとのことだった。

 

亀山は、絵本だけが売り上げが右肩上がりで、他の書籍は電子書籍に食われていると語る。
絵本はめくる行為が重要な意味を持っており、紙の書籍でないとそれは出来ないため、絵本だけが電子書籍に勝っている要因なのではないかと分析していた。

 

中川は、AIの台頭に危機感を覚えていた。今年に入ってから、YouTubeなどで、「実在なのかAIなのか分からない」レベルの人物が溢れるようになってきている。音声読み上げソフトのレベルがまだ低めで、いかにも「文章をコンピューターで読み上げました」といったセリフ回ししか出来ていないため、音声なら見分けは付くし、シナリオも誰でも思いつくような低レベルのものが多いが、こうした中途半端な出来であっても満足してしまう人はいるだろうし、そうした人は嘘も拡散してしまう。見分けのつく人は拡散しないので、ネット上は嘘が上位になってしまう。そしてこの程度のクオリティでも娯楽として商品化したり消費したり出来るのも問題である。

生身の人間が演じる演劇には影響は余りないだろうが(劇場に来ずにYouTubeばかり見ている人が増えるという間接的な影響はあるかも知れないが)、映画やドラマなどは、主役級や重要な脇役陣は流石に俳優に任せるが、端役などはAIが務める時代が来てもおかしくない。AI俳優は危険なアクションに挑んでも怪我をしない。

ただ生身の俳優に出来てAI俳優に絶対に出来ないことが一つだけある。アドリブだ。AIはコンピューターが規定した予定調和の言葉しか喋れないし動けない。アドリブなど即興性の高い演技を行えるのは人間の俳優だけだ。
このところ、アドリブや即興を重視した演技について語る俳優が増えており、彼らはアドリブが巧みだ。決まり切ったことを決まり切ったように行うのがAIの得意技。NGも出さないだろう。だがそこに本当の面白さはないのではないだろうか。
即興の巧みさが演技のバロメーターになる日が来るような気がする。いや、もう来ているのかも知れない。

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2025年12月17日 (水)

Eテレ「クラシック音楽館」 ヘルベルト・ブロムシュテット指揮NHK交響楽団第2045回定期演奏会

2025年11月16日

NHKONEで、Eテレ「クラシック音楽館」 NHK交響楽団第2045回定期演奏会を視聴。東京・溜池山王のサントリーホールでの演奏。N響のサントリーホールでの定期演奏会は、定期会員だけでほぼ満員になるため、1回券などで入ることは困難である。

指揮は史上最高齢指揮者であるヘルベルト・ブロムシュテット。1927年生まれ。今年で98歳になる。スウェーデン人のセブンスデー・アドベンチスト教会の宣教師の両親の下、アメリカで生まれたブロムシュテット。程なくしてスウェーデンに帰り、北欧最古の大学として知られるウプサラ才学やストックホルム音楽大学に学んだ。スイスのバーゼルでは古楽の研究も行っている。セブンスデー・アドベンチスト教会の教義に基づき、動物性の食材は一切口にしない(セブンスデー・アドベンチスト教会は、日本で三育学院大学などを設置しているが、この学院も学生は在学中肉食厳禁である)。ただ菜食主義者とは思えないほどエネルギッシュな音楽作りが特徴であり、ベートーヴェン、ブルックナー、ブラームス、シベリウス、ニールセンなどには定評がある。現在はアメリカ国籍。

ブロムシュテットが注目を浴びたのは、東ドイツのシュターツカペレ・ドレスデン(ドレスデン国立歌劇場管弦楽団)時代。2、3年でコロコロと指揮者を替える傾向のあった同楽団の首席指揮者を10年に渡って務め、ベートーヴェンやシューベルトの交響曲全集を完成させている。ドレスデン離任後はサンフランシスコ交響楽団の音楽監督となり、グリーグの劇附随音楽「ペール・ギュント」抜粋や、ニールセンやシベリウスの交響曲全集が絶賛された。その後、ハンブルクの北ドイツ放送交響楽団の首席指揮者に就任したものの、ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団から首席指揮者(カペルマイスター)就任の打診があり、北ドイツ放送響は3年契約を2年契約で打ち切っている。ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団では、ブルックナーや2度目となるベートーヴェンの交響曲全集を作成。作曲者生存当時の奏法なども研究した演奏で、トップクラスの評価を受けている。
NHK交響楽団からは1985年に名誉指揮者の称号を得る(NHK交響楽団の名誉指揮者は、N響と特に強い結びつきを持つ外国人指揮者に贈られる終身称号。亡くなると返納される)。実は若い頃のブロムシュテットは他の名誉指揮者に比べると地味とされて、それほど人気はなかったが、ベートーヴェンや北欧ものでの人気は高かった。現在は、N響初の桂冠名誉指揮者を務めている。
私も、N響、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団、バンベルク交響楽団、ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団を指揮した演奏会を、東京、大阪、京都、横浜で聴いている。高齢のため、現在は日本では東京でしか指揮しておらず、オーケストラもNHK交響楽団に限られる。

以前はすっくと立って、指揮棒を激しく振る指揮姿が印象的であったが、世紀が変わる頃にノンタクトでの指揮に移行。現在は高齢のため椅子に座って指揮するようになっている。

オール・北欧プログラムで、グリーグの「ホルベルク組曲(ホルベアの時代から)」、ニールセンのフルート協奏曲(フルート独奏:セバスティアン・ジャコー)、シベリウスの交響曲第5番の3曲が演奏される。

ちなみにブロムシュテットが耳に装着しているのは補聴器ではなく、より音が良く聞こえる装置だそうである。

グリーグの「ホルベルク組曲」(グリーグが書いた擬古典的音楽)は、スプリングの効いた若々しい演奏である。古典的な造形美も見事だ。

ニールセンのフルート協奏曲は、やはりミステリアスな作風で、交響曲を含めてニールセンの作風を理解するにはまだ時間が掛かりそうである。ただ豪快な作風はバイキングを生んだ国民性と無関係ではないだろう。なお、ソリストのジャコーはタブレット譜を見ながらの演奏であり、涼やかな響きでホールを満たした。アンコール演奏は、フルート独奏曲としてお馴染みのドビュッシーの「シランクス」。

ブロムシュテットが得意とするシベリウスの交響曲第5番。若い頃と変わらず、無駄な肉をそぎ落としたソリッドで力強い演奏。人生讃歌、そして世界讃歌となっている。ブロムシュテットのシベリウスは第3、第4、第6、第7などは必ずしも万全ではないのだが、第5に関しては、確信を持った演奏を行っており、盤石である。


楽団員の多くがステージを去った後も拍手は鳴り続き、ブロムシュテットはコンサートマスターの郷古廉(ごうこ・すなお)に付き添われて再登場した。

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2025年12月14日 (日)

コンサートの記(932) ジャン=クリストフ・スピノジ指揮 京都市交響楽団第706回定期演奏会

2025年11月29日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第706回定期演奏会を聴く。指揮は、ジャン=クリストフ・スピノジ。

ジャン=クリストフ・スピノジ。いかにもベートーヴェン好きになりそうな名前であり、フランス・コルシカ島出身ということでナポレオンと同郷である。ベートーヴェンは「ウェリントンの勝利」を書いているけれども。
詳しい経歴などは無料パンフレットには載っていないが、クラシック音楽における「アンファン・テリブル(恐るべき子ども)」と呼ばれていたり、「並外れたリズム感と身体能力を持ち合わせた。音楽家=振付師」と称されてもいるようだ。

2007年に自ら組織したアンサンブル・マテウスと共にシャトレ劇場で珍しいものも含むオペラをいくつも上演。客演指揮者として、ベルリン・ドイツ交響楽団、パリ管弦楽団、hr交響楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団、トゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団、ウィーン交響楽団などと定期的に共演し、2021年にはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の指揮台にも立っている。

開演30分前からプレトークがあるが、スピノジは、フランス語で比較的長めのトークを行っていた。事前に打ち合わせはしていたと思うが、通訳泣かせではある。内容は楽曲の解説が中心。「田園」交響曲については、日本人の独自の自然観についても述べていた(私の認識とは多少異なっていたが)。

 

曲目は、ロッシーニの歌劇「アルジェのイタリア女」、ハイドンの交響曲第82番「熊」、ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」

 

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の町田琴和(まちだ・ことわ。女性)が客演コンサートマスターとして入る。町田姓は圧倒的に鹿児島県出身者が多いのだが、彼女は東京生まれのようである。ちなみに私には京都出身の町田姓の友人が二人いる。
フォアシュピーラーに泉原隆志。ヴィオラの客演首席に石橋直子、チェロの客演首席にルドヴィート・カンタ。管の首席奏者の大半はベートーヴェンのみの出演である。クラリネット首席の小谷口直子は、老眼鏡をかけて出演した。私も近頃は老眼に悩むようになっている。

チェロが客席側に来るアメリカ式の現代配置での演奏。実のところ、ドイツ式の現代配置でもアメリカ式の現代配置でも大した違いはないとこれまでは思ってきたが、「田園」交響曲を聴いてその認識が誤りであることが分かった。

 

指揮台の前に譜面台はなく、スピノジは全て暗譜によるノンタクトでの指揮を行う。拍を刻むことは稀で、基本的には音型を両手で示してみせる。

 

ロッシーニの歌劇「アルジェのイタリア女」。ピリオドによる弦楽の響きの透明さがプラスに働き、管も快活で楽しい演奏になる。

問題はここからである。
ハイドンの交響曲第82番「熊」。最近、熊が日本のあちこちに出没しているが、「タイムリー」などとは言えないタイトルである(後記:令和7年の今年の漢字は「熊」に決まった)。タイトルの由来はよく分かっていないが、第4楽章の音型が熊の鳴き声に聞こえた説などがある。ハイドンによる命名ではない。

ロッシーニにはティンパニのパートがなく、この曲から中山航介がバロックティンパニを担当するが、ティンパニは指揮者の真正面ではなく、後列の中で一番上手寄りに陣する。

交響曲第82番「熊」は、ロヴロ・フォン・マタチッチがNHK交響楽団の定期演奏で取り上げたときの放送用音源がCD化されているので、それで親しんだ人も多いかも知れない。
だが、スピノジの「熊」は一般的な「熊」交響曲とは別物。緩急、強弱の幅が著しく、「これが俺の考える『熊』だ!」と思い切り提示してみせる。常日頃の京響では追いつけない解釈で、そこでスピノジと共演経験のある町田琴和が客演コンサートマスターとして呼ばれたのだろう。

かなり即興的であり、再創造的であるが、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーなどは「音楽は即興的でなければならない」と考えており、同じ演奏は二度としなかったし、朝比奈隆もその時々によって演奏を変えていた。だからスピノジが前例のないことをした訳でもない。

良い演奏かどうかは人によって意見が分かれると思うが、私は、「遊んでるな」と微笑ましく見ていた。

ハイドンは交響曲第90番で、「全曲終わったと見せかけてまだ終わってない」を繰り返すのだが、スピノジは「熊」で同じことをやる。勿論、スピノジが切ったところで曲が終わるわけはないのだが、客席からは、「クレイジー!」という言葉が飛び(演奏中に言葉が飛ぶのはかなり珍しい)、演奏が終わってからはブーイングも響いた。

ハイドンは古典派なので、格調高く演奏すべきという考えは分かる。ただそうした考えがハイドンの人気を下落させ、ピリオド・アプローチが盛んになってから復活したということを考えると、「べき」演奏は作曲家の魅力を下げることに繋がらないと言い切れるだろうか。

 

ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」。

第1楽章はやはり緩急を付けた演奏。同じフレーズでも急に遅くなったり速くなったりアゴーギクを多用する。ゲネラルパウゼも長め。この楽章ではそうする必要を強くは感じなかったが、第2楽章ではほぼインテンポによる細やかな演奏を聴かせる。小川のせせらぎを描いているのでそんなに急に遅くなったり速くなったりする訳はない。
第3楽章は「風景」よりも「心情」を表出。沸き立つ気分が描かれる。そして「嵐」であるが、ここで客席側に配置されたチェロがエッジの立った音を聴かせる。チェロは音が前に飛ぶ楽器なので、ドイツ式の現代配置のようにオーケストラの内側にあった方が有利なような気がするのだが、アメリカ式の現代配置のように指揮者のすぐ横にあった方が操りやすい。ストコフスキーも単に録音用に配置をした訳ではないようである。
第1ヴァイオリンの響きも電光を表していることがいつも以上によく分かる。
そして「嵐」のラストの方は引き延ばされ、嵐が去って行く様が描かれる(実際、第5楽章に入る直前までチェロは雷鳴の響きを奏で続けている)。
第5楽章は非常に明るい演奏であるが、最後の方で、「ここから去りたくない」というメッセージをスピノジは見つけていた。

 

老年になると穏健派になってしまう指揮者も多いが、スピノジにはこれからも暴れまくって欲しいものである。

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2025年12月12日 (金)

観劇感想精選(504) 音楽劇「エノケン」

2025年11月2日 大阪城公園内のCOOL JAPAN OSAKA WWホールにて観劇

午後5時から、大阪城公園内の、COOL JAPAN PARK OSAKA WWホールで、音楽劇「エノケン」を観る。ホリプロの制作。喜劇王エノケンこと榎本健一と彼の家族や仲間達を描いた作品。COOL JAPAN PARK OSAKAは、2019年にオープンした劇場だが、これまで何故か縁がなく、初めての来場である。

まだ軽演劇が盛んな時代の東京が舞台だが、現在の東京の軽演劇はもう何年も虫の息状態。一方、大阪は吉本新喜劇が今も人気であり、日本で最も成功した軽演劇の劇団となって、大阪を軽演劇の中心地とした功績は大きい。一方、松竹新喜劇などライバル劇団は苦戦しており、吉本の一強が続く。

COOL JAPAN PARK OSAKAという劇場自体が、大阪の民放各社と吉本興業によって建てられている。大阪だけの特殊な状況だが、各民放と吉本興業が共同で番組制作を行っており、吉本の権限が非常に強い現状の象徴となっている。3つあるホールの名付け親も明石家さんまだ。
一方、吉本自体は必ずしも堅調とは言えず、大阪で売れた芸人が東京吉本に進出するという状況は相変わらず続いていて、かまいたちや千鳥など、大阪時代に面白さに定評にあった芸人が東京に移って全国区になるというパターンがすでに成立しているものの、ミルクボーイや霜降り明星など個別に面白いコンビはいるが、次の世代の人達が順調に育っているとは言えず、劇場面でもよしもと祇園花月は撤退。吉本は京都における拠点を失っている。
ダウンタウンという看板もこれからは出演は無理そうであり、危機的な状況である。
吉本は京橋花月があった時代に芝居路線を打ち出したが、京橋花月閉鎖と同時に撤退。COOL JAPAN PARK OSAKAはその路線に戻るための布石だったと思われ、現在も吉本系の演劇が行われている。

この音楽劇「エノケン」も又吉直樹が戯曲を手掛けるなど吉本の色が入っている。作:又吉直樹、演出:シライケイタ。音楽:和田俊輔。主演:市村正親。出演:松雪泰子、本田響矢、小松利昌、斉藤淳、三上一朗、豊原功補。

松雪泰子は、エノケンの妻・よしゑと、銀座の女郎・花島喜世子(アイコの源氏名で呼ばれる)の一人二役。途中で、「一人二役って大変なんだから」と登場人物ではなく松雪泰子のセリフを言う場面があるが、台本に書いてあったのか、稽古中にアドリブで言ったのが採用されたかのどちらかであろう。

まず、エノケン(市村正親)が脱疽を患い、義足になった場面から始まる。エノケンは息子の鍈一(本田響矢)に支えられながら退場。
その後、市村正親は、若かった頃のエノケンとして客席下手入り口から登場。通路を歩いて舞台に上がる。名曲「青空(私の青空)」、NHK連続テレビ小説「虎に翼」で、ヒロインの寅子(伊藤沙莉)が披露宴で歌い、「あの曲なに?」「披露宴で唄う歌じゃない」と話題になった(この時点での寅子の鈍さが表れている象徴的な場面でもある)「モン・パパ」、「東京節」「洒落男」などが歌われる。市村も高齢だが、本業がミュージカル俳優。本業が喜劇俳優で歌は余技の榎本健一よりも歌唱力ははるかに高い。それにしても「モン・パパ」が入るようになったのは感慨深い。「虎に翼」で話題になったということもあるが、恐妻家を唄った歌は、これまで男性からも女性からも好まれなかった。「モン・パパ」はタイトルからも分かるとおりシャンソンで、様々な日本語訳があり、今はYouTubeで聴くことが出来るようになっている。何種類もの訳詞と歌唱があるということは、大ヒットしたということだが、その後忘れられ、久しぶりに日の目を見た曲ということでもある。なお、「寅に翼」で歌われたのは、榎本健一&二村定一によるバーションである。

よしゑと喜世子の二役を行った松雪泰子。着物の早替えと声や仕草の変化で演じ分ける訳だが、喜劇役者の妻であるよしゑよりも、女郎とはいえ高級な店でハイクラスな人々の相手をしている喜世子の方が言葉遣いも身のこなしも可憐。身分的にはよしゑの方が上のはずなのだが、こうした逆転現象は、演技=演劇の妙味である。
松雪泰子出演の舞台はそれほど多く観てはいないのだが、彼女は空間に嵌まるタイプであるため、ヒット率はかなり高そうである。

豊原功補は、今回は、劇作家の菊谷榮(きくや・さかえ)を演じている。最初の場面で菊谷の声にエコーが掛かっていたため、彼が今はこの世にいないことが分かる。
その後、時代が遡り、菊谷が元々は舞台美術をしていたが、脚本に回ったことなどが語られる。三谷幸喜の「笑の大学」にも、菊谷をモデルとした人が出てくるが、軽演劇の本は演劇のそれとは異なる要素が求められる。お客さんは笑いに来ているので、哲学的な命題で入ったり、斬新な設定にしても付いてこられない。菊谷もそんなものを書くつもりはなかったが、自分にしか書けない作品を望んでいた。しかし召集令状が来る。戦地で菊谷は自身の最高傑作を書き上げるのだが、程なく戦死する。検閲制度があったため、戯曲にも目を通され、「自分にしか書けない」戯曲などは当局によって危険と判断され、破棄された可能性が高い。
そうではあっても、菊谷は幽霊となってエノケンを励ます。

菊谷よりも有名なのが菊田一夫(小松利昌)。「君の名は」が最も有名だが、小学校中退であり、仕事がないので公衆便所の掃除の仕事に申し込んだところ、「学歴がない」という理由で落とされ、「なにを!」と奮起して学歴の関係ない演劇界で生きている。

古川緑波(斉藤淳)は、早稲田大学中退であり、他の演劇人に比べるとインテリで、最初の売り込みのときから自身のことを「千両役者」と呼んでいたようである。その後、エノケン・緑波は浅草の二大看板となったが、次第にアイデアの枯渇に悩むようになっていく。その後、映画に端役で出たり、地方公演など、プライドをかなぐり捨てての活動を行うが、尊大な態度が周囲の人の癪に障ったようで、57歳にして寂しく世を去っている。

エノケンも脱疽の病気が進み、右足の膝から下を切断。その後、訓練によって軽快な動きを取り戻すが、更に脱疽は進んで太ももの切断まで行う。エノケンは心の面においては弱い人のようで、何度も自殺しようとするが、未遂に終わる。その後の復帰も周囲の人々に支えられてだった。古川緑波の凋落はこの芝居の中では描かれないが、好対照な生き方であるといえる。

実は、私が小学校の頃、道徳の教科書に載っていたのが、脱疽の病を得た後の榎本健一の姿だった。記憶が曖昧だが、今日観た芝居に描かれたエノケンとは違い、毅然とした英雄的な態度だったように思う。教科書の編纂者は、障害を得ても強く生きる偉人として榎本健一を選んだはずである。だが、実際の榎本健一は今日の芝居の方が近いはずである。

小説家や脚本家が戯曲を書くとかなりの確率で失敗する。戯曲は場面が限られるので、その中で何をどう配置するか決める必要があるが、小説も脚本も舞台は無限であり、ずっと自由である。
又吉直樹の戯曲も、場面や時代が飛ぶことが多く、映像的ではあったが、彼自身が舞台人ということもあり、過度にセリフを語らせることはなかった。またメタ的なセリフだが、「セリフは短い方が良い」と俳優に語らせていた。

シライケイタの演出は、中仕切り幕の多用が印象的。緞帳はないので、中仕切り幕で場面転換などを行う。歌舞伎的な手法だが、蜷川幸雄に影響を受けた人なので頷ける。客席の通路を多用した演出であり、市村正親や松雪泰子を間近で見ることが出来た。やはり松雪泰子は顔が小さい。

榎本の障害に相当するものが市村にとっては年齢だと思われる。昔のように唄えなくなるし、踊れなくなる。エノケンは65歳で他界したが、市村は76歳にして現役。市村は今日は年齢から来る衰えを克服したように思う。

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2025年12月11日 (木)

観劇感想精選(503) 舞台版「酔いどれ天使」(再演)

2025年12月6日 大阪上本町の大阪新歌舞伎座にて観劇

午後5時から、大阪上本町の大阪新歌舞伎座で、「酔いどれ天使」を観る。黒澤明監督の同名映画の舞台化である。笠置シズ子の「ジャングル・ブギ」が用いられていることでも知られるが、舞台版では踊り子は出てくるものの、「ジャングル・ブギ」などの歌はうたわれない。2021年に上演された舞台の演出家を変えての再演で、今回の方が有名キャストは少ない。

原作:黒澤明、植草圭之助。脚本:蓬莱竜太、演出:深作健太。黒澤以外は比較的珍しい苗字が並ぶ。植草は千葉県固有の姓で、少年隊の植草克秀は千葉市出身。また千葉市には植草学園大学という大学がある。ただし植草圭之助は東京生まれである。深作は、深作健太の父親である深作欣二が一人で有名にした苗字である。
出演:北山宏光、渡辺大、横山由依、阪口珠美、佐藤仁美、大鶴義丹ほか。京都出身の有名芸能人の一人である横山由依(京都人からすると「木津川市なんて奈良やん」ということになるのかも知れないが)は、岡田結実(おかだ・ゆい)との「ユイ」コンビでWキャストである。今日は昼からの公演は同じ役を岡田結実が演じた。

敗戦後の東京が舞台。闇市で成り上がり、愚連隊の頭的存在となった松永(北山宏光)は、手に銃弾を受け、腕は良いが酒好きで貧乏な医師の真田(渡辺大)に、弾丸の摘出手術を受ける。その時、真田は松永が結核に罹患していることを見抜く。
真田は性格にも癖があり、「名医が認める名医」的存在であるにも関わらず、格好もだらしがないため、患者が来ない。1ヶ月ほど誰も受診に訪れておらず、収入ゼロだが、それでも深刻には感じていない鷹揚な人柄である。開業医であるため、医院は自宅と兼用となっており、婆やと居候の美代子(佐藤仁美)と暮らしている。真田は平野愛子の「港が見える丘」(1947)が好きでしょっちゅう口ずさんでいる。
かつてこの街をシマとしていた岡田(大鶴義丹)が刑務所から出てくる。岡田は戦争中はずっと服役していたため、戦場のリアルを知らない。松永はかつては岡田の弟分だったが、「またアメリカと戦争をして今度は日本が勝つ」などと能天気なことを言う岡田と距離を取るようになる。松永は出征しており、前線に送られていた。他の兵士は必死で戦う気であることが分かったが、岡田は怖くて逃げることばかり考えていた。そのため五体満足で帰ることが出来たのかも知れないが、そのことを負い目に感じていた。
ある日、闇市を歩いていた松永は幼馴染みのぎん(横山由依)に声を掛けられる……。

 

第1幕、第2幕共に上演時間1時間ほどだが、映画を演劇にするのは難しいのか、1時間なのに長く感じられる。カットを切り替えたりは出来ないので、その分、セリフも多めになっているのかも知れない。中央に黒い水たまりが描かれた舞台で、布などを用いた演出もある。セットが変わることもあるが、映画にしては舞台があちこち飛ばない作品なので、舞台化には向いていると思う。
演技面で一番良かったのは佐藤仁美。最近は露出も特別多くはないし、容姿的にも飛び抜けた美人という訳ではないが、それでも長く活躍出来ているのは演技力が高いからだろう。頭一つ抜けている感じがした。

横山由依は全編北陸方言を用いての演技。北陸地方の何県なのかは分からないが、脚本担当の蓬莱竜太が青春時代を石川県で過ごしているので、石川弁である可能性は高い。彼女は真面目な性格で知られ、AKB48第2代総監督も務めているが、いかにも「真面目」な演技。伝わる人には伝わるし、嵌まる役もあると思うが。もう少し余裕があると更に良くなると思う。
演技面では他には突出した人はいないが、それぞれの個性は上手く出ていたように思う。
元乃木坂46の阪口珠美は、ダンサーの奈々江役だが、他のダンサーはダンスを本業としている人達。阪口は女優だからセリフも勿論喋れるが、他のダンサーは……。
最近、ミュージシャンやダンサーにセリフを喋らせる演出をたまに見るが、上手くいかない。セリフを喋るのは想像しているよりも難しい。

有名人が余り出ないので、客席は埋まっていなかったが、北山宏光のファンと思われる女性の中にはラストで泣いている人も大勢いて、作品としては成功だったといえる。

ラストでキャットウォークから紙切れが大量にばらまかれていたが、意図はなんだろう。すぐに思いつくのは二・二六事件、そして太平洋戦争中に米軍が飛行機からばら撒いた日本を揶揄する文章(「日本、よい国カミの国 カミはカミでも燃える紙」といったような文章)。イスラエル軍もガザ地区で、「ガザ市に残る者はスパイと見なして容赦なく撃ち殺す」という文章が書かれた紙を飛行機から撒いているそうである。IT全盛の時代だが、一度に多くの人にメッセージを伝えるには飛行機から文章が書かれた紙を撒くのが一番効果的なのかも知れない。いずれにせよ戦時色がいつ濃くなってもおかしくない不気味さを感じさせる演出である。

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2025年12月 9日 (火)

これまでに観た映画より(416) 黒澤明監督作品「酔いどれ天使」

2025年12月6日

Amazon Prime Videoレンタルで、黒澤明監督作品「酔いどれ天使」を観る。1948年公開。監督:黒澤明、脚本:植草圭之助&黒澤明、音楽:早坂文雄。出演:志村喬、三船敏郎、山本禮三郎、小暮三千代、中北千枝子、千石規子(千石規子も一発変換出来ない時代か)、笠置シズ子、進藤英太郎、清水将夫、殿山泰司、久我美子、飯田蝶子、堺左千夫ほか。
挿入歌「ジャングル・ブギ」(歌唱:笠置シズ子。作詞:黒澤明、作曲:服部良一)

基本的に、男性の役名は苗字のみ、女性の役名は下の名前のみである。笠置シズ子のように「ブギを唄う女」と役割が代名詞的に役名になっている人もいる。

舞台は東京であるが、東京の具体的にどこかは分からない仕掛けになっている。

巨大な水たまりに面した場所で開業医を営んでいる真田(志村喬)。水たまりの向こう岸では男(堺左千夫)がギターの練習を夜遅くまで行っているが、余り上手くはない(実際にはプロのギタリストである伊藤翁介が敢えて拙く弾いた音源を使用している)。松永という男が手を負傷したので、真田は手術を行う。手からは銃弾が摘出される。松永はこの一帯をシマとする暴力団の若頭的立場におり、近くの闇市一帯では顔役である。真田は松永が結核に冒されていることを見抜く。
巨大な水たまりは、いくつかの要素のメタファーだと思われるのだが、具体的に直喩が行われるのは、真田の「お前(松永)の肺の中のようだ」という言葉だけである。ただ、今と違い、衛生には配慮が行き届いておらず、更にはゴミの処理などもいい加減で、水たまりにゴミが捨てられたりしている。範囲を拡げれば、混乱の最中の東京、そして日本のようでもある。

この映画での三船敏郎は、西洋の俳優のような彫りの深い顔立ちで、「これぞスター」といったオーラがある。三船敏郎は三船敏郎で魅せる俳優で、木村拓哉に通じるところがある。木村拓哉も「何をやってもキムタク」などと言われるが、客の大半はキムタクを見に来ているのでそれで良い。そういう役者もいないと困る。

三船敏郎以外の俳優は、容姿面で優れているからキャスティングされたのではなく、演技力で選ばれているため、平凡な顔立ちの人が多い。元華族の令嬢である久我美子(くが・よしこ。本名は同じ漢字で「こが・はるこ」。珍しく源氏系の公家であった久我侯爵家の出身である)も10人いれば10人が「美人」と評するタイプではない。
現在は、「容姿でスカウトして、レッスンを積んで、もしくは積まずにデビュー」が多いと思われるが、練習すれば誰もが名優になれるという訳でもないので、演技力が頭打ちになっている気もする。容姿重視だと若い頃にたくさん出演させて稼ぐ必要があるので、実力が伴わないままになってしまう危険も高いのだが、売り上げ重視の事務所も多い。
それでも、私には「意地悪なお婆ちゃん役」のイメージがある千石規子なども当時としては可憐な方かも知れない。千石規子の演技が最も良かったと思える作品は、「おこげ」という映画。性的な要素も多い作品だが、神経症になった老婆を千石規子が迫真性を持って演じている。
この作品で千石は居酒屋で働くぎんを演じているが、舞台版とは違い、東京の言葉を話し、松永と同郷ではないが地方の小さな町の出身である。具体的な地名は語られないのでそこがどこなのかは分からない。

真田は、平野愛子の「港が見える丘」が好きで、たびたび口ずさむ。「港が見える丘」は前年である1947年のリリースである。戦争未亡人を主人公とした歌だ。

松永の兄貴分である岡田(山本禮三郎)が刑務所から出てくる。水たまりの畔でギターを弾いている男からギターを借り、スペイン調の楽曲を弾く。タイトルは「人殺しの歌」。
真田家に居候している美代子(小暮三千代)は、実はかつて岡田の情婦であった。「人殺しの歌」を聴いて、岡田が刑務所から出てきたことを美代子は悟る。
水たまりの畔で再会する松永と岡田。しかし、以前は兄弟分であったが今は反りが合わなくなっていることを松永は感じる。岡田は出所祝いにキャバレーで、「ジャングル・ブギ」という風変わりな曲と踊りのパフォーマンスを聴く。歌っているのは当然ながら笠置シズ子で、クレジットも歌手引退前なので「笠置シズ子」となっている。ただ歌手引退前に出演した映画で、「笠置シヅ子」という表記になっているものがあり、歌手としては笠置シズ子、女優としては笠置シヅ子と使い分けていた可能性がある。歌手時代が笠置シズ子で歌手引退後が笠置シヅ子ということでもないようだ。「酔いどれ天使」は引退前の出演作で「ジャングル・ブギ」を歌って踊るだけで演技のシーンはないので、いずれにしても「笠置シズ子」である。

松永の結核は進行し、どこかの海岸で棺桶を見つけ、開けてみると松永本人が飛び出してくるという悪夢を見る。松永は逃げるが、もう一人の松永も追ってくる。ここではオーバーラップを使って松永がもう一人の松永に追いつかれる場面が描かれる。芸術的で暗示的で印象的な場面だ。その後、賭場で喀血した松永は真田の家で療養することになる。

組の親分(清水将夫)が岡田が入獄中に松永が守ったシマを、岡田に返すことに決める。美代子を訪ねて真田診療所まで来るなど、往年の力を取り戻しつつある岡田の態度に松永は、岡田殺害を決めるのだった。


ペンキまみれになりながら松永と岡田が闘うシーンは、歌舞伎の「女殺油地獄」のオマージュかも知れない。

1948年の映画ということで、映像も音声も機械が今ほど発達していない上に経年劣化もある。セリフが団子になって聞き取れない場所もあるが、マイクの性能がそれほど良くないということで、明瞭さ重視の発声を行っている人が多い。ということで、現在とは演技のスタイルも異なっている。今だったらもっと大きな声が出せる場面でも、マイクが割れてしまうので抑える必要があったかも知れない。
笠置シズ子登場の場面は特に意味はなく、「人気歌手を出そう」程度の意図だったのかも知れない。「ジャングル・ブギ」も特に映画の内容とは関係のないものだが、当時のまだ混沌とした東京の街をジャングルに見立てた可能性はある。なお、連続テレビ小説「ブギウギ」でも、服部良一をモデルとした羽鳥善一(草彅剛)が、「ジャングル・ブギ」を書くことになった経緯を説明する場面で、「映画監督が分けの分からない歌詞を書いてきた」と言うセリフがある。

松永が不摂生を重ね、結核を進行させてしまうのと対照的に、セーラー服の少女(という役名である)は真田の言いつけをきちんと守り、快癒する。セーラー服の少女を演じた久我美子は、ちょっと前まで華族だった人だけに、やはり気品が違う。

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2025年12月 4日 (木)

これまでに観た映画より(415) 「アクターズ・ショート・フィルム」シーズン2

2025年12月2日

アクターズ・ショート・フィルム シーズン2 エピソード1「いくえにも。」とエピソード2「物語」を観る。俳優が監督としてショートフィルムを制作するという試みの第2弾。WOWOWの制作である。

エピソード1「いくえにも。」は、脚本:山咲藍、出演:村上虹郎、平岩紙、見上愛、奥田洋平、黒沢あすか他。監督:青柳翔。

少年が線路沿い(総武快速線もしくは横須賀線沿いに見える)の電話ボックスに入るシーンから始まるが基本的には家族ものである。
阿部家では、毎週土曜日は一人暮らしをしている長男のシュウヘイ(村上虹郎)を呼んで家族4人で食事をすることにしている。朝食のテーブルについた4人。長女のナツミ(見上愛)は高校の制服を着ているが、土曜日でも学校に通う用事があるのかも知れない。ただ、結局、学校に行くことはない。
ナツミは肉を抜くダイエットを始め、シュウヘイは唐揚げが好きなので妹の分も食べる。
そんなところに、引っ越してきたお隣さんのフジノ(黒沢あすか)がやって来て、犬が……。

食事を始めたときは朝食だったのに、お隣のフジノがいる間に外は暗くなり、夕食となっている。そんなに長くいたのか?
シュウヘイがトイレの中で嘔吐する音が大きすぎるのが問題点。あんなに音が大きく漏れるトイレはもはや欠陥品である。

シュウヘイが自身のアイデンティティーを疑う展開があるが、基本的には食事をしているのがメインの話で、物語らしきものは見当たらない。
二世タレントとしては最も有名な一人である村上虹郎は、外見に似合う演技を見せている。
この時点では無名だったと思われる見上愛だが、大河ドラマ「光る君へ」で、中宮彰子(劇中での読み方は「あきこ」。実は「あきこ」と読む人が数人いた)に抜擢されて注目を浴び、次期朝ドラのWヒロインの一人をオファーで勝ち取っている。自然体の演技を行っているが、これだけでは女優としての資質は分からない。
平岩紙はおそらく主婦役だと思うが(旦那の職業は不明だが、一軒家に住んでいるので、少なくともそれなりの企業で良い地位にいると思われる。シュウヘイはホームセンターの倉庫係と、今ひとつパッとしない職業についた。正社員なのかどうかも不明)は、現実の彼女の年齢よりも若い女性を演じていると思われる。

エピソード2「物語」。出演:琉花、奥平大兼、玉城ティナ、はやしだみき他。脚本・監督:玉城ティナ

若い女性(琉花)が人混みの中でイヤホンを付ける。
彼女は白い部屋の中で寝たきりの男性、ユウヤに自身のことを話し続ける。彼女の職業が女優で、オーディションに落ちまくっていることが分かる。よそで聞いた話によると、男優でも女優でも大抵のオーディションは落ちるらしい。「オーディション荒らし」の異名を取った芳根京子でも落ちたオーディションの方が圧倒的に多いようだ。
とはいえ、オーディションに落ちてばかりでは仕事は出来ない。
彼女は昔、ユウヤがカラオケで歌った尾崎豊の「ダンスホール」を動画で撮影したことがあり、それを視聴して心を癒やしてきた。
見た目は要介護の男性に女性が話しかけているように思われるのだが、女性は部屋を出るとそこは病院のような施設で、女性が何も言わない男性に話しかけることで癒やしを得るセラピー施設のようだ。
新たな女性(玉城ティナ)が来た。ユウヤは、女性に好きなことを言っていいと紙に書いて示す。新たなセラピーが始まる。

7月12日

Amazon Prime Videoで、アクターズ・ショート・フィルム シーズン2エピソード3話「あんた」を観る。脚本・監督・主演:千葉雄大、主演:伊藤沙莉。

バーの雇われ男性ママが仕事を終えた後で小説を書き始める。それは遠い日の自分を題材にしたもののようだ。

仲が良さそうな男女が山にキャンプに来る。男の方(千葉雄大)も女の方(伊藤沙莉)も二人称は「あんた(標準語とは違い、『あ』ではなく『ん』にアクセントが来る)」であり、互いの名前は最後まで分からない。
男と女の親友という感じなのだが、共に未来に不安を感じている。女の方はマンションの22階から飛び降りる気になったことがあるということで希死念慮があり、男の方もまた同様の感情を抱いていた。

二人の関係に変化が起こる。女の方に彼氏が出来て同棲を始めたのだ。男の方は仕事を終えた後、小説を書こうとしているようだが、思うようなものは書けないようである。

女に彼氏が出来たことを男は喜ぶが、単なる親友で男女の関係になることはないと思っていた男が愚痴を言い始め……。

非常に仲が良いが恋人にもパートナーにもなれないし、なる気のない二人の心理劇。二度目のキャンプにおける心理攻防戦が見どころ。基本的に男も女も優しい人であることは分かる。


プライベートでも仲良しという千葉雄大と伊藤沙莉ということで、互いの良さが生かされている。台本はあるはずだが、伊藤沙莉の口癖が入っていたり、口語でしか使わない語順のセリフがあったりするため、かなり即興的に撮られた部分も多そうである。どうやったら自然に見えるかを第一に考えて二人で演技しているということもあり、俳優でない本当の一組の男女のやり取りを見ているかのようだ。
カメラの台数はそれほど多くないが、伊藤沙莉のキュートな丸顔(チャームポイントだと思うのだが、本人はコンプレックスに感じているようで、Instagramなどではビューティー+を使って顔を細くした写真をアップしている)が綺麗に撮られており、千葉雄大が伊藤沙莉のことを人間として大好きであることが察せられる。
線香花火のシーンの伊藤沙莉の子どものような無邪気さも愛らしいが、台本の必用がないシーンなので素でやっていると思われる。

「死んだら殺す」と発言出来る相手と出会う確率はかなり低く、その後はおそらく上手くいかなかったのだろうが、キャンプを楽しんだ日々は思い出として永遠に残るほどの幸せであったのだと思う。

伊藤沙莉は、この作品の演技で、国際短編映画祭 ショートショート フィルムフェスティバル&アジア2022 ジャパン部門のベストアクターアワードを受賞した。

8月22日

アクターズ・ショート・フィルム パート2のエピソード4「ありがとう」を観る。脚本・監督:永山瑛太。主演:役所広司。出演:永山瑛太、橋本マナミ、服部文祥ほか。
地方都市。役所広司はきちんとした格好をしているが勤め人ではないようだ。食事も十分に取らずに店を出る。金銭的にも行き詰まっているようである。
その後、性感マッサージの店に入るが、ここも途中で抜け出す。
コロナ禍で多くの人がマスクをしているが、マスクをせずに大きな咳をしている男が一人。役所広司演じる男は、咳をしている男の車を奪う。黄色のオープンカーで、重厚な役所広司には軽すぎて全く似合っていない。男は、森の森の中に入り、首吊り自殺を試みようとするが、目の前に黄色い服を着た男が一人。それでも男は縊死を試みるが、ネクタイとベルトだけでは弱く、宙づりにすらなれない。たまに幼女や妻らしき姿が目の前に浮かぶ、男は二人を亡くし(もしくは別れ)、生き甲斐を失ったようだ。
役所広司演じる男は、黄色い服を着た男に案内されて山の中の家へ。二人暮らしで猟をして生活しているようだ。
役所広司演じる男は、猟銃を盗み出し、ヘミングウェイのように口内を撃って自殺しようとするが上手くいかず、ならばと腹に銃口を向けてゴッホのように死のうとするがやはり上手くいかない。
男は、都井睦雄になろうとして、商店街まで出て人々に銃口を向けるが、誰からも相手にされず、森へと戻る。娘の思い出の花束を川に流した後で、男は瑛太演じる黄色い服の男から撃たれる。かすり傷のようだ。
上を見れば太陽は輝き、自然は息づいている。「この世には生きるだけの価値がある」と男は思い直したようである。

妻子を失った老年に入ろうとする男の孤独に焦点を当てた作品だが、悲しく見えねばならないはずの妻子の姿がやけに綺麗であるだけに喪失感が薄まっている。何か一つエピソードを入れた方が良くなるはずである。セリフなしだったとしても十分である。
男の持ち金が少ないことは分かるので、失業がきっかけで妻に去られたのかもしれないが、自殺の理由としてはやや弱い。現実社会ではそうしたこともあるのかも知れないが、フィクションなので更なる説得力が要る。説得力がないと観客が置き去りにされてしまう。

最後に、格好悪い役所広司も格好良かった。

11月18日

Amazon Prime Videoで、アクターズ・ショート・フィルム シーズン2パート5「理解される体力」を観る。出演:柳英里紗(やなぎ・えりさ)、三浦貴大ほか。監督:前田敦子。
小さな喫茶店で、パフェを食べながら泣きじゃくる女、キエ(柳恵里紗)と煙草を吸いながらそれを見守るトランスジェンダーの男、ユミ(三浦貴大)。
キエは、旦那に浮気された。家に帰ったら、旦那が新婚旅行の時に買ったカメラで若い女のことを録画していた(多分、「撮影していた」のだと思われる)。これ以上の悲しみはないというので大泣きしていたのである。キエは悲しみが表に見えないタイプで、しかも身の回りで起こった悪いことにのみ記憶がいい。幼稚園児の頃や小学校時代に起きた悪いことを克明に覚えている。最近の研究で、発達障害のある人は悪いことばかり覚えて良いことを忘れてしまう傾向があることが分かっている。同じ失敗を二度としないために悪いことを覚えるのだが、良いことを覚えて悪いことは忘れるという一般人にありがちな傾向とは真逆であり、生きづらさを抱えている。最終的にはユミも同じような傾向があるらしいことが分かる(演技の可能性もあるので断言は出来ない)。
余り広がりのない物語だが、友情についてはよく分かる話になっている。なお、柳英里紗と前田敦子は大親友だそうだ。その関係を置き換えたところがあるのかも知れない。

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2025年12月 3日 (水)

これまでに観た映画より(414) 日本映画「ジャパニーズ スタイル Japanese Style」アベラヒデノブ監督&武田梨奈さん舞台挨拶付き上映

2025年10月18日 大阪・十三の第七藝術劇場にて

大阪へ。
十三(じゅうそう)の第七藝術劇場で、映画「ジャパニーズ スタイル Japanese Style」の舞台挨拶付き上映を観るためであるが、阪急十三駅の外に出るのは、実に20年ぶりぐらいである。阪急十三駅ではしょっちゅう降りているが、基本、神戸線、稀に宝塚線に乗り換えるためで、十三駅を目標として阪急電車に乗ったことは久しくなかった。
チケットはネットでの事前申し込み。発券機に予約番号と電話番号を入れるとチケットが発券される。

第七藝術劇場は、サンポードシティビルの6階にある大阪の老舗ミニシアター。何度か閉鎖に追い込まれているが、映画好きの尽力によって再建されている。尖った企画も多く、大阪の中でも特にファンの多い映画館とされる。

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今日観る「ジャパニーズ スタイル Japanese Style」は、アベラヒデノブが、2017年に撮影した作品。5日ほどで全編を撮影したという。タイトルは英語で「袋とじ」という意味であるが、武田梨奈が演じる女性が袋とじを開けるのを特技としているほかに、外国とは違った「日本の流儀=ジャパニーズスタイル」が存在することも意味している。主演した吉村界人と武田梨奈も企画で参加している。劇場公開は2022年。

大晦日。画家の茂田を名乗る長谷川平太(吉村界人)は、元カノをモデルにした作品の目を描くことが出来ずにいた。共同での展覧会で発表する必要があり、長谷川が作品を出さないと展覧会は中止になって、損失は長谷川が埋めることになる。タイ人の知り合いが運転する自動三輪タクシー(トゥクトゥク)で、元カノと別れた空港に向かった長谷川は、倫(りん)という女性(武田梨奈)と出会い、行動を共にすることになる。倫には8歳の時に父親に捨てられた苦い記憶があるのだが、その父親が自分と同い年の中国人女性と再婚することを知らされていた……。

羽田空港と横浜の街で撮影が行われており、中華街やみなとみらい地区の観覧車など横浜の名所が映っている。

元カノの幻影から逃れられない男と、父親から受けた傷と向き合う女の物語である。二人は気が合いそうにも見えるのだが、ラストシーンの後でアメリカに共に向かったのかどうかは観る者の想像に任されている。倫は空港で誰でも出来るようなアルバイトをしており、失うものは何もないため、一緒に行きそうな予感は感じられる。

怒りを抱えている登場人物が多く、カリカリしたようなひりついた感じを受ける映画で、観ていて良い印象は受けないのだが、撮影現場でもそうしたカサついた空気はあり、喧嘩などもしながら撮っていったそうで、それが映画に影響しているのだろう。現場の空気が反映されているという点では成功作と言える。

 

終映後、アベラヒデノブ監督と、主演女優の武田梨奈による舞台挨拶。「虎に翼」では、金持ち弁護士の遺産を独り占めにしようと謀る愛人役を演じていた武田梨奈。生で見るのは初めてだが、想像以上にスポーティーな印象を受ける。スポーツを欠かさずにしている人が持つ雰囲気で、肩周りの盛り上がりなどもそれを裏付けている。空手家でもあり、「芸能界最強女子」とも言われる人だが、柔らかい感じで、自分から行くタイプではないことが分かる。

 

限られた時間での舞台挨拶であったが、アベラヒデノブ監督は大阪芸術大学映画科の出身で、第七藝術劇場には学生時代から思い入れがあったことを述べた。
武田梨奈は、先に記した通り映画が短期間で撮られたことと、現場の雰囲気について述べていた。また二人によると、「上映出来る場所があるかどうか分からない」状況で撮影が始まり、とにかく撮るというスタイルで進んでいったのだが、アベラヒデノブ監督が行方不明になる事件があったそうである。脚本に不備が見つかったため、漫画喫茶に閉じこもってずっと脚本を書いていたそうだ。

 

 

約20年ぶりの十三の街。大阪市の中でも下町の色が濃い場所である。一般の店のみならず、コンビニも出店を設けて声を張り上げている。コンビニがこうしたことを常時行っているところは日本でも余りないはずだ。
メインストリートを少し外れた所に神津神社という社があったので参拝してみる。高木彬光の神津恭介シリーズが好きな人には聖地になりそうだが、今の日本で神津恭介のファンがどれだけいるのか不明である。明智小五郎や金田一耕助のファンは多いだろうけれど。

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2025年12月 1日 (月)

コンサートの記(931) シャルル・デュトワ指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第593回定期演奏会

2025年11月21日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバあるホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第593回定期演奏会に接する。指揮は、シャルル・デュトワ。
ここ数年は、毎年春から初夏にかけてに大阪フィルに客演していたデュトワ。だが昨年は、来日して東京での演奏会は指揮したものの、すでに体調の悪さは現れていたようで、大フィルのリハーサルにも現れたが、初日の終盤でリタイア。ヨーロッパに戻り、感染症(コロナではないとのこと)と診断されたが、めげずに再来日。予定通り福岡の九州交響楽団への初登壇を果たした。

今回も名誉音楽監督の座にあるNHK交響楽団を指揮してから大阪へとやって来たデュトワ。
N響でも大フィルでもメインとなるのはラヴェルのバレエ音楽「ダフニスとクロエ」全曲である。

デュトワにとって、「ダフニスとクロエ」全曲は特別な楽曲である。モントリオール交響楽団の音楽監督に就任後、ローカルなオーケストラに過ぎなかったモントリオール響の実力を大幅にアップさせ、DECCAにレコーディングした同曲がベストセラーとなり、デュトワとモントリオール交響楽団の名を天下に轟かせている。
以後、フランス音楽を中心に録音を軌道に乗せたデュトワとモントリオール響(OSM)。ラヴェル、ドビュッシー、フォーレ、ベルリオーズ、ビゼー、フランクなどのフランス音楽と、リムスキー=コルサコフ、ムソルグスキー、チャイコフスキー、プロコフィエフなどのロシア音楽を録音。リリースしたCDの約半分が何らかの賞を獲得している。
デュトワは、NHK交響楽団ともDECCAにレコーディングを行っており、OSM相手ではなく個別にオネゲル交響曲全集やルーセル交響曲全集などのフランス音楽の王道からやや外にいる作曲家の作品も録音している。
OSMと決別した後は、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団とリムスキー=コルサコフの交響組曲「シェエラザード」でOSM盤を上回る出来を示している。フランス国立管弦楽団とは「プーランク管弦楽曲全集」を録音。協奏曲なども含む全集で、プーランクは名声に比して録音が少ないため重要な仕事となっている。

なお、大阪フィルハーモニー交響楽団の来年度の定期演奏会のプログラムが発表になったが、そこにデュトワの名はない。デュトワも先月89歳の誕生日を迎えた。「ダフニスとクロエ」で始まった環が「ダフニスとクロエ」でいったん閉じられようとしているのかも知れない。

 

曲目は、モーツァルトのピアノ協奏曲第22番(ピアノ独奏:小菅優)、ラヴェルのバレエ音楽「ダフニスとクロエ」全曲(合唱:大阪フィルハーモニー合唱団)。

今日のコンサートマスターは崔文洙。ドイツ式の現代配置による演奏だが、ティンパニは指揮者の真正面ではなくやや下手寄りに陣取る。

オーケストラは90人編成だそうで、エキストラも多い。出演者一覧には、京都市交響楽団の一樂恒(いちらく・ひさし。チェロ)、京都フィルハーモニー室内合奏団の松田美奈子(ヴィオラ)の名が見える。

 

モーツァルトのピアノ協奏曲第22番。モーツァルトのピアノ協奏曲の20番台前半の中では取り上げられる回数が比較的少ない曲である。他の曲が個性に満ちているだけにやや埋もれ気味になるのかも知れない。
映画「アマデウス」では、売れなくなったモーツァルトがウィーンの街を一人で歩くシーンで第3楽章の冒頭が用いられている(選曲&音楽監督;ネヴィル・マリナー)。

小菅優は、日本の若手の代表格的存在であるピアニストだが、そろそろ中堅に差し掛かろうとしている。大きなコンクールに参加したことがないのが特徴だが、マックス・ポンマーが京都市交響楽団に客演した際、ソリストを務めた小菅優が子どもだった頃に参加したピアノコンクールの決勝で協奏曲の指揮を担当したと語っていた。優勝したそうである。マイナーなコンクールを受けたことはあるのかも知れない。
世界的なコンクールで好成績を収めると注目されるが、必ずしも良い成績を収めた奏者が順調なキャリアを築くとは限らない。

編成を小さめにしてピリオドを援用しての伴奏。フェエスティバルホールは空間が大きいので、最初のうちは伴奏が聞こえにくかったのだが、次第に耳が調節される。デュトワ指揮の伴奏だが、かなり陰が濃い印象である。明るい旋律を歌っていても陰が忍び寄ってくる。
小菅のピアノはモーツァルトらしく透明度が高く愛らしいが、こちらも次第に暗いものが底から溢れてくる。
第1楽章と第3楽章のカデンツァは、20世紀を代表する作曲家であるベンジャミン・ブリテンが書いたものを使用。ブリテンはピアノ協奏曲第22番に出てくる様々なメロディーをコラージュしたものをカデンツァとして纏めていたが、最後は不吉な感じで終わる。

もっとも明るいはずの第3楽章。だが、最初はピアノが弾き、ヴァイオリンが同じ音型を返していたものが、終盤では、ヴァイオリンはピアノが弾いた通りには演奏せず、次第に距離が出来ているように感じられる。ピアノ協奏曲第20番や、第23番の第2楽章で露わにした孤独な表情を、ピアノ協奏曲第22番では、悟られにくいように行っているように感じられる。同じ天才のブリテンは当然気付いたはずだ。

 

アンコール演奏は、ショパンの「エオリアのハープ」。駆け抜ける爽やかな風のような演奏だった。

 

ラヴェルのバレエ音楽「ダフニスとクロエ」全曲。演奏規模、上演時間共にラヴェル最大の作品である。ラヴェルはその後、演奏会用に2つの組曲を編んでおり、特にバレエ音楽の第3部をほぼそのまま転用した第2組曲はコンサートでもたびたび取り上げる。
デュトワの指揮する「ダフニスとクロエ」全曲は、実は以前に1度聴いたことがある。渋谷区神南のNHKホールで行われたNHK交響楽団の定期演奏会で取り上げられたのだ。だが、その演奏会は、演奏内容以上に、上演中に震度3の地震が起こったことをことでよく記憶している。不幸中の幸いで、合唱だけの部分だったため、演奏は止まらず続けられたが(デュトワが地震に気付いたのかどうかは不明)、楽器の演奏だったら止まっていたかも知れない。震度3にしては揺れた方だった。この日の演奏会はNHKBS2(当時)で生放送されており、私も録画した映像を見たが、地震が起こった瞬間、男声合唱団の人々が天井を見上げる姿が映っており、「大丈夫かな?」という表情をしているのが確認出来た。勿論、カメラも揺れていた。

そんな思い出から30年近く経っての「ダフニスとクロエ」。往時のN響より今の大フィルは音の密度が濃い。また原色系の音色も特徴である。バスク地方に生まれたラヴェル。バスク地方はフランスとスペインに跨がるが、ラヴェルの血には、スペイン的な色合いや賑やかさを好むところがあるように思う。この曲も繊細なフランス的なところがありながら、闘牛を好むようなスペインの狂躁もまた顔を覗かせる。デュトワがフランス人だったら、あるいはもっと熱狂的な音楽を志向したかも知れないが、スイス・フランス語圏出身であるため、適度な上品さが加わり、理想的な演奏となりうるのだろう。
大フィルの技術も高く、大阪フィルハーモニー合唱団も力があった。
濃い密度を保ち、迫力に満ちながら、全体的に匂うような上品さを持ったラヴェル。今後、こうしたラヴェルが聴けるのかどうか分からないが、取りあえず今日はデュトワを聴けて良かった。

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