これまでに観た映画より(416) 黒澤明監督作品「酔いどれ天使」
2025年12月6日
Amazon Prime Videoレンタルで、黒澤明監督作品「酔いどれ天使」を観る。1948年公開。監督:黒澤明、脚本:植草圭之助&黒澤明、音楽:早坂文雄。出演:志村喬、三船敏郎、山本禮三郎、小暮三千代、中北千枝子、千石規子(千石規子も一発変換出来ない時代か)、笠置シズ子、進藤英太郎、清水将夫、殿山泰司、久我美子、飯田蝶子、堺左千夫ほか。
挿入歌「ジャングル・ブギ」(歌唱:笠置シズ子。作詞:黒澤明、作曲:服部良一)
基本的に、男性の役名は苗字のみ、女性の役名は下の名前のみである。笠置シズ子のように「ブギを唄う女」と役割が代名詞的に役名になっている人もいる。
舞台は東京であるが、東京の具体的にどこかは分からない仕掛けになっている。
巨大な水たまりに面した場所で開業医を営んでいる真田(志村喬)。水たまりの向こう岸では男(堺左千夫)がギターの練習を夜遅くまで行っているが、余り上手くはない(実際にはプロのギタリストである伊藤翁介が敢えて拙く弾いた音源を使用している)。松永という男が手を負傷したので、真田は手術を行う。手からは銃弾が摘出される。松永はこの一帯をシマとする暴力団の若頭的立場におり、近くの闇市一帯では顔役である。真田は松永が結核に冒されていることを見抜く。
巨大な水たまりは、いくつかの要素のメタファーだと思われるのだが、具体的に直喩が行われるのは、真田の「お前(松永)の肺の中のようだ」という言葉だけである。ただ、今と違い、衛生には配慮が行き届いておらず、更にはゴミの処理などもいい加減で、水たまりにゴミが捨てられたりしている。範囲を拡げれば、混乱の最中の東京、そして日本のようでもある。
この映画での三船敏郎は、西洋の俳優のような彫りの深い顔立ちで、「これぞスター」といったオーラがある。三船敏郎は三船敏郎で魅せる俳優で、木村拓哉に通じるところがある。木村拓哉も「何をやってもキムタク」などと言われるが、客の大半はキムタクを見に来ているのでそれで良い。そういう役者もいないと困る。
三船敏郎以外の俳優は、容姿面で優れているからキャスティングされたのではなく、演技力で選ばれているため、平凡な顔立ちの人が多い。元華族の令嬢である久我美子(くが・よしこ。本名は同じ漢字で「こが・はるこ」。珍しく源氏系の公家であった久我侯爵家の出身である)も10人いれば10人が「美人」と評するタイプではない。
現在は、「容姿でスカウトして、レッスンを積んで、もしくは積まずにデビュー」が多いと思われるが、練習すれば誰もが名優になれるという訳でもないので、演技力が頭打ちになっている気もする。容姿重視だと若い頃にたくさん出演させて稼ぐ必要があるので、実力が伴わないままになってしまう危険も高いのだが、売り上げ重視の事務所も多い。
それでも、私には「意地悪なお婆ちゃん役」のイメージがある千石規子なども当時としては可憐な方かも知れない。千石規子の演技が最も良かったと思える作品は、「おこげ」という映画。性的な要素も多い作品だが、神経症になった老婆を千石規子が迫真性を持って演じている。
この作品で千石は居酒屋で働くぎんを演じているが、舞台版とは違い、東京の言葉を話し、松永と同郷ではないが地方の小さな町の出身である。具体的な地名は語られないのでそこがどこなのかは分からない。
真田は、平野愛子の「港が見える丘」が好きで、たびたび口ずさむ。「港が見える丘」は前年である1947年のリリースである。戦争未亡人を主人公とした歌だ。
松永の兄貴分である岡田(山本禮三郎)が刑務所から出てくる。水たまりの畔でギターを弾いている男からギターを借り、スペイン調の楽曲を弾く。タイトルは「人殺しの歌」。
真田家に居候している美代子(小暮三千代)は、実はかつて岡田の情婦であった。「人殺しの歌」を聴いて、岡田が刑務所から出てきたことを美代子は悟る。
水たまりの畔で再会する松永と岡田。しかし、以前は兄弟分であったが今は反りが合わなくなっていることを松永は感じる。岡田は出所祝いにキャバレーで、「ジャングル・ブギ」という風変わりな曲と踊りのパフォーマンスを聴く。歌っているのは当然ながら笠置シズ子で、クレジットも歌手引退前なので「笠置シズ子」となっている。ただ歌手引退前に出演した映画で、「笠置シヅ子」という表記になっているものがあり、歌手としては笠置シズ子、女優としては笠置シヅ子と使い分けていた可能性がある。歌手時代が笠置シズ子で歌手引退後が笠置シヅ子ということでもないようだ。「酔いどれ天使」は引退前の出演作で「ジャングル・ブギ」を歌って踊るだけで演技のシーンはないので、いずれにしても「笠置シズ子」である。
松永の結核は進行し、どこかの海岸で棺桶を見つけ、開けてみると松永本人が飛び出してくるという悪夢を見る。松永は逃げるが、もう一人の松永も追ってくる。ここではオーバーラップを使って松永がもう一人の松永に追いつかれる場面が描かれる。芸術的で暗示的で印象的な場面だ。その後、賭場で喀血した松永は真田の家で療養することになる。
組の親分(清水将夫)が岡田が入獄中に松永が守ったシマを、岡田に返すことに決める。美代子を訪ねて真田診療所まで来るなど、往年の力を取り戻しつつある岡田の態度に松永は、岡田殺害を決めるのだった。
ペンキまみれになりながら松永と岡田が闘うシーンは、歌舞伎の「女殺油地獄」のオマージュかも知れない。
1948年の映画ということで、映像も音声も機械が今ほど発達していない上に経年劣化もある。セリフが団子になって聞き取れない場所もあるが、マイクの性能がそれほど良くないということで、明瞭さ重視の発声を行っている人が多い。ということで、現在とは演技のスタイルも異なっている。今だったらもっと大きな声が出せる場面でも、マイクが割れてしまうので抑える必要があったかも知れない。
笠置シズ子登場の場面は特に意味はなく、「人気歌手を出そう」程度の意図だったのかも知れない。「ジャングル・ブギ」も特に映画の内容とは関係のないものだが、当時のまだ混沌とした東京の街をジャングルに見立てた可能性はある。なお、連続テレビ小説「ブギウギ」でも、服部良一をモデルとした羽鳥善一(草彅剛)が、「ジャングル・ブギ」を書くことになった経緯を説明する場面で、「映画監督が分けの分からない歌詞を書いてきた」と言うセリフがある。
松永が不摂生を重ね、結核を進行させてしまうのと対照的に、セーラー服の少女(という役名である)は真田の言いつけをきちんと守り、快癒する。セーラー服の少女を演じた久我美子は、ちょっと前まで華族だった人だけに、やはり気品が違う。
| 固定リンク | 0




































































コメント