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2026年1月の20件の記事

2026年1月31日 (土)

観劇感想精選(508) キムラ緑子主演「わがうたブギウギ 笠置シヅ子物語」

2026年1月25日 京都四條南座にて観劇

午後3時30分から、京都四條南座で、キムラ緑子主演舞台「わが歌ブギウギ 笠置シヅ子物語」を観る。1994年初演の音楽劇。
主演:キムラ緑子。出演は、林翔太、曾我廼家寛太郎(そがのや・かんたろう)、賀集利樹、惣田紗莉渚(そうだ・さりな)、一色采子、桜花昇ぼる(おうか・のぼる)、松村雄基ほか。アンサンブルキャストを含めるとかなり多くの人が出演する。
作は小野田勇。補綴/演出は「現代の戯作者」こと齋藤雅文。音楽:服部隆之。
「ブギの女王」として一世を風靡しながら、42歳の若さで歌手を引退し、以後はおばちゃん役を得意とした女優として活躍、70歳で他界した笠置シヅ子の歌手時代の物語である。笠置シヅ子は、歌手時代には笠置シズ子の表記を用いており、女優に転身してから表記が笠置シヅ子に変わったとされるが、歌手時代に女優として出演した映画でもクレジットが「笠置シヅ子」になっているものがあり、歌手「笠置シズ子」、女優「笠置シヅ子」だったのかも知れない。

キムラ緑子は、同志社女子大学出身で、学生時代にお隣の同志社大学の演劇サークル第三劇場でマキノノゾミが演出するつかこうへい作品を観て参加。マキノとは結婚と離婚を繰り返している。
卒業後は、生まれ故郷の淡路島に帰って塾講師を務めるが、マキノに誘われ、マキノが主宰する劇団M.O.P.に参加。つかこうへい作品を上演していたが、マキノが作・演出を手掛けるようになってからは関西を代表する憑依型女優として名声を上げる。劇団M.O.P.が大阪、東京と本拠地を変えるごとに移住。映像作品にも出演するようになるが、全国区になるのは比較的遅く、朝ドラで意地悪な役や怖い役を演じて話題になってからである。舞台では、世間知らずなお嬢さんから性格のねじれた老婆まで幅広く演じ分け、才能を発揮している。

ただ今回はキムラ緑子を前面に出すためか、声など細部を除いては演じる年齢による演じ分けは行っていない。第1幕と第2幕からなる商業演劇であるが、カーテンコールでの声からいって、第2部が素のキムラ緑子の声で、第1部が若い声だったようだ。かなり違う。

NHK連続テレビ小説「ブギウギ」(主演:趣里)で、笠置シヅ子をモデルにした人物がヒロインとなり、笠置シヅ子の自伝や、シヅ子の師である服部良一の自伝などが久しぶりに再発売されているが、その間、研究はほとんど行われていなかったようである。笠置シヅ子も比較的謎の多い人物で、歌手引退と同時に歌を一切歌わなくなった、鼻歌すらも歌わなかったことが、一人娘の亀井ヱイ子氏の証言で分かっている。かなり頑なである。歌手引退の理由も曖昧だが、後年になって笠置シヅ子本人が、「太ってきたから」と理由を明かしている。笠置シヅ子の歌は、歌声だけでなくパフォーマンス(振付はほとんど自分で考えている)も併せて初めて一つの作品となるものだった。太ってしまっては踊れない。そして、笠置シヅ子が生きたのは日本人の平均寿命が今より短く、老けるのも早い時代だった。

 

黒澤明の作詞であり、黒澤映画「酔いどれ天使」でも使用された「ジャングル・ブギー」でスタート。キムラ緑子演じる笠置シヅ子が歌い踊り、それを多くのダンサーが盛り上げる。

話はシヅ子の若い日に戻る。少女時代のシヅ子(本名:亀井靜子。合田くるみが演じている)は、宝塚歌劇団を受けるも不合格。少女歌劇への夢を諦めきれないシヅ子は、今の大阪松竹座内にあった大阪松竹楽劇部(のちに大阪松竹少女歌劇団に改称)を訪れ、強引に入れて欲しいと頼む。二村定一の「アラビヤの唄」なども歌い上げる。生徒募集をしていなかった大阪松竹楽劇部も根負けして入団を認める。実際のシヅ子はもっとしつこかったそうで、毎日毎日「入れてくれ」と頼みに来たそうだ。
三笠シズ子の芸名で座員となるが、三笠宮が創設されたため、「畏れ多い」として笠置シズ子に改名させられている。
今回の劇では、服部良一(松村雄基)が大阪松竹少女歌劇団に在籍しているという設定(実際に二人が会うのは東京において)。 ピアニストとしてシヅ子たちにレッスンを付けるのは小暮五郎(賀集利樹)の役目であるが、小暮は若い頃から酒をたしなんでおり、その後、酒の飲み過ぎでピアノが弾けず、零落した姿でシヅ子の前に現れることになる。

大阪で歌声が評判になったシヅ子(大阪松竹少女歌劇団の後継団体であるOSK日本歌劇団で今も歌い継がれている「桜咲く国」などを歌う)に、東京の帝国劇場を舞台として組織される松竹楽劇団(SGD)に加わらないかという話が舞い込む。音楽監督は服部良一(史実でシヅ子と服部が出会ったのはこの時)。シヅ子は、男役のダンサーであるユリー五十鈴(桜花昇ぼる)と共に上京する。なおOSK日本歌劇団出身の桜花昇ぼるは、大阪の近鉄劇場で行われた「ブギウギ講談」では、歌唱担当として、笠置シヅ子とは名乗らなかったものの、実質、笠置シヅ子役で出演している。ユリー五十鈴は、体力では男性に敵わないことを感じ、男役の存在意義に悩むようになって、やがて芸能界から退き、五十鈴百合として女の人生を歩むことになる。
第1弾シングルとしてリリースされたのが、「ラッパと娘」である。朝ドラ「ブギウギ」でも「ラッパと娘」は「東京ブギウギ」以上に重要な曲となっていたが、この曲のメロディーは明らかに常道を外れており、服部良一の「音楽の殻を破ってやる」という意気込みが伝わってくる。実際に難しい楽曲で、本物の笠置シヅ子は、それまでこの手の激しいジャズは聴いたことがなかったはずなので、歌いこなすのにかなり苦労したことが察せられる。服部のレッスンは厳しいもので、夢中になると時間を忘れ、何時間もぶっ続けで進み、シヅ子は食事をすることも出来ず泣いたこともあるようだ。
笠置シヅ子の歌は、いわゆる「上手さ」ではそれほどでもない。あらゆる作品や書籍でも「歌が飛び抜けて上手い」という記述はない。そもそも音程には余り気をつかっていない。だが、黒人のジャズシンガーを思わせるソウルフルな歌声は、他に挙げる人物が見当たらないほど力強く、特にステージで聴く者を圧倒したことが証言から伝わってくる。

実は、終盤にシヅ子が歌った曲のメドレーが待ち構えている。

やがて戦時色が濃くなり、アメリカの影響を受けた歌を持ち歌としていたシヅ子は警察のターゲットとされて、「囲まれた線から出ずに歌え」と強要され、やがて「東京で歌ってはならない」という命令が下る。シヅ子は五郎をバンマスとした「笠置シズ子とその楽団」を結成し、地方巡業に活路を見出した。そんな中、シヅ子は一人の若い青年と出会う。早稲田大学に通う花森英介(林翔太)。花森興業創業家の一人息子である。花森英介は吉本興業の御曹司である吉本穎右(えいすけ。漢字も読みも難しいので、「エイスケ」とカタカナ表記にすることが多かった)をモデルとしているが、実際の吉本穎右はシヅ子の大ファンで追っかけをしており、出会ったのも偶然ではなかった。年が離れていたので恋人にはならないと思っていたシヅ子だが、英介の熱心さに惚れ、結婚を誓う。

シヅ子と英介が自己紹介をするシーン。シヅ子のパートは長台詞の上、状況説明が次々に変わり、体の動きも伴うため、キムラ緑子が軽々演じているのでそう見えないだけで、かなりの高難度である。

シヅ子の追っかけをしている人がもう一人。生駒芙美子(惣田紗莉渚)である。松竹少女歌劇団に押しかけて、榎本健一などの歌唱で知られる「私の青空」を歌って入団。シヅ子が東京に移ると、やはり追いかけてSGDのレビューガールに。しかし、自身の才能に見切りを付け、シヅ子の付き人となる。

日本はアメリカに敗れ、終戦となる。東京に戻ったシヅ子は有楽町の日本劇場(今は跡地に有楽町マリオンが建つ)で「ハイライト」公演に出演。中国に行っていた服部良一が、東京に戻った時に日劇の「ハイライト」公演の看板を目にし、吉祥寺の自宅に戻る前に日劇の笠置シヅ子の楽屋を訪れる。

服部は、シヅ子が主演する「ジャズ・カルメン」を企画。しかし、シヅ子は英介との愛の結晶である子を宿していた。妊娠しながら歌うのは難しいと、百合に反対されたシヅ子だったが、出演を強行。「ジャズ・カルメン」は大好評を得る。

だが英介は結核に冒されており、死んだ(史実では肺炎とされる)。「ジャズ・カルメン」を観る予定だったが、東京に来ることも出来なかった。数日後、シヅ子は女の子を産む。シヅ子は娘をヱイ子と名付けた。

服部は、「リンゴの唄」に続く復興ソングをシヅ子に歌わせようと考える、ある日、中央線の電車の中で、吊革が揺れているのを見た服部は、リズムと旋律が脳裏に閃く。史実では、服部は次の駅で降りて、すぐそばの喫茶店に駆け込み、紙ナプキンに五線譜と音符を書き込むのだが、舞台上ではそれは出来ない。満員の車内の乗客の揺れをアンサンブルキャストがダンスで表現し、服部が揺れの中で閃いて、手元の紙に五線譜と音符を書き込む。

こうして代表曲、「東京ブギウギ」が完成、裏手から実際に笠置シヅ子が着ていたドレスを模したものに身を包んだキムラ緑子とダンサーが登場し、「東京ブギウギ」が歌われる。実は、「東京ブギウギ」はかなりの難曲である。独特のリズムに乗り続けたまま歌うのはかなり難しい。キムラ緑子も、第2番の冒頭で少し遅れたが、乗り直した。ダンスも笠置のオリジナルと同じもの。全体を使った踊りなので、かなり体に来る。還暦を過ぎているキムラ緑子は、「東京ブギウギ」の終盤でバテているように見えたが、ここから地獄の「ブギウギメドレー」が始まる。要所要所を歌うだけだが、かなり疲れるはずである。「ブギウギメドレー」の曲目は、「買物ブギー」「ホームラン・ブギ」「大阪ブギウギ」「セコハン娘」「アロハ・ブギ」「センチメンタル・ダイナ」「ヘイヘイブギー」「東京ブギウギ」。ブギでないものも含まれる。

かくてシヅ子は、「ブギの女王」の名声を得る。

一方、シヅ子は、ラク町(有楽町のこと)のお葉(一色采子)らパンパンと交流を持つようになる。
お葉がいる喫茶店ドリームに一人の男。そこに笠置シヅ子が現れる。シヅ子は男が五郎だとすぐに気付く。五郎はピアノが弾けなくなり、生活に困っていた。シヅ子は五郎に禁酒を命じる。「禁酒は無理」だと思っていた五郎だが、持ち直し、ピアニストとして再出発出来るようになった。やがて芙美子と結婚する。

 

時が流れた。ブギの全盛期に、シヅ子は淡谷のり子と雑誌上で対談している。淡谷のり子が、「シャンソンは長く歌い継がれているけど、ブギは一過性で終わる」と断言しているのに対してシヅ子は、「ブギは長く歌い継がれていくと思います」と述べていた。だが、ブギの時代は短かった。ブギの全盛期には絶賛していた評論家が、手のひらを返して酷評の記事を書く。
そんな中、NHKでの公開録音に臨んだシヅ子だったが、「東京ブギウギ」の途中で歌唱を打ち切る(史実ではないようである)。もう高音が出ない。「もっと低い音程の歌をうたえば良い」と言ってくれる人もいた。だがシヅ子は歌手人生の終焉を感じる。「思うように歌えなくなったら歌手ではない」。服部は「それでこそプロの歌手の去り方だ」と称賛するのだった(実際は、服部は激怒したようである。服部はシヅ子に歌わせるために多くの歌を書いてきた。シヅ子がいなくなったら、思うような歌が書けなくなってしまう。しかしシヅ子は女優へと転身し、服部の最盛期も同時に終わることになる)。
華やかさの後の寂しさが身に染みる。
戦後を照らした太陽のような女性が、天岩戸へと帰っていく。天鈿女命(アメノウズメノミコト)がどんなに頑張っても意味はない。天鈿女命もまた彼女だったのだから。

 

今回の上演は、東京の三越劇場での上演を経て、京都四條南座での上演となっている。本来なら、笠置シヅ子、服部良一、吉本穎右全てと関わりのある大阪での上演が適当だったのかも知れないが、キムラ緑子が京都ゆかりの女優であることと、毎年のように南座で上演を行っていることから、南座が選ばれたのだと思われる。

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2026年1月30日 (金)

コンサートの記(944) fever presents Candlelightコンサート「坂本龍一へのオマージュ」 チェンバー・ミュージック・アトリエ神戸

2026年1月18日 左京区岡崎の京都観世会館にて

午後3時から、左京区岡崎の京都観世会館で、fever presents Candlelightコンサート「坂本龍一へのオマージュ」を聴く。元々のタイトルは「坂本龍一の音楽の世界」だったようだ。
アメリカのfever社が行っているCandlelightコンサート。京都ではこれまで京都コンサートホール・アンサンブルホールムラタなどで行われていたが、音楽ホール以外の場所へと公演の規模を拡げ、京都観世会館での公演を行っている。京都観世会館は能楽堂で、能や狂言以外で京都観世会館に入るのは初めてである。
現場で動いているスタッフは全員日本人だが、システムはアメリカ式。チケットもプログラムもスマホにダウンロードしたものを使用。キャンドルの販売が終演後に行われていたが、クレジットカードのみ可と完全にアメリカ方式であった。

演奏は弦楽四重奏団であるチェンバーミュージックアトリエ神戸が行う。第1ヴァイオリン:根垣りの(ねがき・りの)、第2ヴァイオリン:萩原合歓(はぎわら・ねむ)、ヴィオラ:山本紗帆、チェロ:吉田円香(まどか)。
根垣はフリーのヴァイオリニストのようだが、萩原は京都フィルハーモニー室内合奏団のコンサートマスターをしていた経験があり、現在は神戸室内管弦楽団のヴァイオリニストである。。山本と吉田は、共に兵庫芸術文化センター管弦楽団のコアメンバーとレジデントプレーヤーある。

 

曲目は、「レヴェナント」、「スネーク・アイズ」、「M.A.Y. in backyard」、「戦場のメリークリスマス(Merry Christmas Mr.Lawrence)」、「Opus」、「King's March」、「Amore」、「水の中のバガテル」、「Aqua」、「Rain」、「美貌の青空」

休憩なし、1時間ちょっとのコンサートである。観世会館で使われているキャンドルは4800本だそうだ。

 

坂本龍一自身は弦楽四重奏用の編曲を行っていないので、第三者が編曲した譜面を使用しての演奏となる。「Amore」は、アルバム「Beauty」に収録されたバージョンではなく、坂本がピアノ用に編曲、それもアルバム「/05」以降に編曲したゆったり目のバージョンを弦楽四重奏用に移している。

チェロの吉田円香がマイクを手に進行役を担う。

 

「M.A.Y. in backyard」は、アルバムやピアノソロで聴くとそれほどでもないのだが、弦楽四重奏で聴くとかなり前衛的な部分があることが確認出来る。
「M.A.Y.」は、メイではなく、裏庭にいた三匹の野良猫、モドキ、アシュラ、ヤナヤツの頭文字である。

「戦場のメリークリスマス」は、冒頭の繊細な音型をヴァイオリンのピッチカートで奏でる。

「Amore」は、先に書いたとおり、アルバム「Beauty」に収められている楽曲だが、それ以前に「undo」というタイトルで、マキシシングルが発売されていた。違いは歌声が入っているかどうか。「undo」を聴いたプロデューサーが、「これは、アモーレ、アモーレと歌っている」と言ったため、合唱を入れることにしたのだが、「アモーレ」という言葉は使わず、ユッス・ンドゥールが書いたシンプルな歌詞を採用している。
その後、ピアノバージョンをビールのCMで坂本がピアノで弾き、これが最初のピアノバージョンだった。
坂本が21世紀に入ってから編曲したピアノバージョンは懐旧の趣があるが、一番最初のバージョンである「undo」からの編曲も聴いてみたかった。

「Rain」に関しては、吉田が、「ゆったりとした雨」と語ったため、「あ。これ映画観たことないぞ」と分かる。「Rain」は、満州国の皇帝となった愛新覚羅溥儀が、第二夫人である文繍に離婚を切り出され、拒むも文繍は自由を求めて雨の中へ、傘も断って去って行くという場面の音楽である。坂本龍一がたびたびコンサートで取り上げた自信作にしてお気に入りの楽曲だった。
この曲には疾走感と痛切さ、更には切迫感も必要になるのだが、今回は解釈が異なるため、弦が悲鳴を上げたりする場面があるにも関わらず、のんびりとした音楽になってしまっていた。
映画音楽を弾くなら、映画を観て、どの場面でどのように使われているかを知らないと的外れな演奏になってしまう。

「美貌の青空」は、教授が生前に「イタリアで演奏するとどういうわけか滅茶苦茶受ける」と話していた楽曲である。私個人もなぜイタリアで受けるのかは分からないが、今後も「美貌の青空」を歌ったり演奏したりする人は出てくると思われるので、イタリアでやってなぜ受けるのか解き明かしてくれると嬉しい。

 

アンコール演奏は、「ラスト・エンペラー」 メインテーマ。弦楽器に非常に合う楽曲である。時間の関係で少し端折った演奏であったが、四人だけであっても音自体に力が宿った作品であるだけに、充実した響きの演奏となった。

なお、アンコール演奏時のみ、撮影・録画が可であった。

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これまでに観た映画より(426) 「Tokyo Melody Ryuichi Sakamoto」4Kレストア版

2026年1月17日 T・ジョイ京都にて

京都駅八条口南西にあるイオンモールKYOTO内の映画館、T・ジョイ京都で、ドキュメンタリー映画「Tokyo Melody Ryuichi Sakamoto 4Kレストア版」を観る。上映時間62分の中編。フランス映画である。監督はエリザベス・レナード。1986年の作品だが、撮影自体は1984年に行われている。YMO散開直後であり、坂本は大島渚監督のオール・メイル・キャスト映画「戦場のメリークリスマス」の音楽が高く評価されて、アメリカではなくイギリスのアカデミー賞作曲賞を受賞。この映画の中にも映画「戦場のメリークリスマス」の場面が挿入されている。

1952年1月17日に東京都中野区に生まれた坂本龍一。東京都世田谷区に育ち、都立新宿高校を経て東京藝術大学音楽学部作曲科に現役合格。その後、同大学大学院音響研究科で、電子音楽やコンピューター音楽などを学んでいる。学生運動を行い、授業には余り出なかったそうだが、民族音楽の小泉文夫には多く学び、また作曲の師である三善晃から得たものも大きいことが作品を聴くと感じられる。
本当は大学院に進む気はなく、「社会には出たくない」ので留年しようと思っていたが、指導教員(誰なのかは不明)から、「留年は駄目だ。お前は卒業するか大学院に行くかどっちかにしろ」と言われ、大学院進学を選んでいる。望んで進んだわけではないが、これが愛称の「教授」に繋がる。大学院在学中に友部正人と出会い、レコーディングに参加。当時としては破格のギャラに驚喜し、バックバンドのミュージシャンとしてスタートすることになる。

最初にドビュッシーの言葉がフランス語で語られる(この作品は全編英語字幕付き)。“I am working on things that will only be understood by the grandchildren of the twentieth century.”。坂本はおもちゃの銃で遊んでいる。
坂本のアルバムの中でもマイルストーン的な1枚である「音楽図鑑」の制作に取材班は密着し、それ以外に坂本へのインタビューや思考を聞きだし、明治神宮や浅草寺の祭りなど、東京的な要素の濃い場所でロケを行っている。
当時の東京には、自動改札は勿論なく、駅員が切符を切っている。原宿では竹の子族が踊っているが、ダンスのレベルは今の若い人に比べるとかなり低い。今の若い子は、小学校の授業でダンスを学んでおり、誇張でなく竹の子族の何十倍も高度な動きとスピードでダンスを行っている。本当に隔世の感である。

坂本龍一が、新宿アルタの液晶ビジョンが見える位置に立つと、YMO時代の「体操」や「Behind the Mask」のPROPAGANDAライブ時の映像がビジョンに映る。

後年、坂本は若い頃の自分について、ヘッドバッドを行うポーズをして、「生意気だった」「(YMO結成の時も)時間があったらやります」「年取って(そういうことがなくなって)良かった」と述べている。

この頃は30代前半(厳密に書くと32歳)だが、父親への反発から文学書よりも思想書を多く読んでいたという坂本は、鋭さを特に隠そうとはしていない。

1から10まで、順番に作曲するのが音楽というのがそれまでの作曲法だったが、坂本はそれに疑義を呈し、部分部分を作曲して保存し、次の部分とつなぎ合わせるというシャッフリングのような発想をしていることが分かる。村上春樹が1985年に発表した『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』にもシャッフリングは登場するので、そういう発想をする人が多い時代だったのだろう。
シンセサイザーで作曲をする坂本だが、この時代のシンセサイザーの性能は今のおもちゃ以下。フロッピーディスクをLPレコードサイズにしたようなメモリーディスクを何枚も使い、音色の変更はメモリーディスクに入っているものの中からセレクトして行う。今なら適当な電気店で買った安いキーボードでも音色のチェンジは簡単に出来る。そう思うと、1984年は思っているよりも遙かに昔ということになるようだ。ちなみにCDの発売は、1985年なので、スクリーンの向こうの世界にはまだCDというものは存在しない。
明治神宮の神苑に似た場所で、坂本は「歩き煙草禁止」「順路→」という立て札の前を煙草を吸いながら逆方向に進んでいく。反骨精神を表しているようだ。今は「歩き煙草禁止」じゃなくて「禁煙」の立て札になっているだろう。
ちなみに明治神宮での祭りで鼓が打たれるが、鼓に近い音もメモリーディスクには入っている。

影響を受けた人物として坂本は、様々な作曲家を挙げた後で、哲学者・思想家の吉本隆明(「たかあき」ではなく有職読みで通称の「りゅうめい」で答えている)を挙げた。
一方で、「クラシックよりビートルズを先に聴いていたらクラシックには行かなかったかも知れない」と述べている。

坂本が作曲した作品以外に流れるのは、坂本が愛したフランスの作曲家の作品。ドビュッシーの「子供の領分」より第1曲“グラドゥス・アド・パルナッスム博士”、サティのグノシエンヌ第1番などだ。

YMO時代の中でもとりわけ有名な作品である「東風」は、PROPAGANDAライブの時のものと、矢野顕子とのピアノ連弾のものが採用されている。

なお、坂本はたまに眼鏡を掛けているが、後に老眼になるまで視力1.5なのが誇りだったと語っているため、伊達眼鏡である。老眼になってから丸眼鏡を掛けるようになり、「お洒落」と評判になったが、フランスの作曲家には丸眼鏡を愛用していた人が何人かいるため、影響を受けたのかも知れない。

坂本は、店舗で掛かるBGMについては、「最初から聴かないで次の階に行ったらまた別の音楽に変わる」として、音楽の聴き方が変わるという予兆を感じている。ただ、音楽の聴き方については現時点では激変はしていないように思う。ソフトから配信が主流になったりはしているが、基本的には好きな音楽を最初から最後まで聴く人の方が多いだろう。

1984年、バブル前夜。日本が上り調子の時代である。GDP(当時GNP)は世界第2位。1位のアメリカを脅かす勢いで、「Japan as No.1」と呼ばれるのが、1985年頃である。坂本も東京を「資本主義の最先端」と呼んでいる。まさかここまでひどい国になってしまうとは誰も予想していなかっただろうが、YMOも世界初のサンプリングを駆使したアルバム「テクノデリック」を発表するなど、世界最先端の音楽を作っていた。世界音楽史上、日本のミュージシャンが世界最先端の地位に躍り出たのはおそらくこの時だけだっただろう。

アルバム「音楽図鑑」の収録曲は、「M.A.Y. IN BACKYARD」と「マ・メール・ロワ」、ラストに演奏される「SELF PORTRAIT」がメインだ。それ以外の楽曲では、「戦場のメリークリスマス(Merry Christmas Mr.Lawrence)」が教授によるピアノソロと、映画の場面をセレクトして流れる。

その後、坂本は「ラストエンペラー」の音楽で、デヴィッド・バーン、コン・スー(蘇聡)と共にアメリカのアカデミー賞作曲賞を受賞。「世界のサカモト」と呼ばれるようになる(なお、この時、エンニオ・モリコーネが落選し、作曲者を大いに落胆させた)。
だがこれはまだ坂本龍一が世界的に知られる前の映像である。

この時の坂本は、整然としたものではなく、そこからこぼれ落ちたもの、はみ出たものなどに興味を持っていたようで、ノイズなどを取り入れた音楽に繋がって行くのかも知れない。アルヴァ・ノト(カールハインツ・ニコライ)との作業はまさにそんな感じだ。

ニューヨークに転居して世界的な活動を始める坂本。ニューヨーク転居については矢野顕子が強く望んだもので、その理由については知っている人は知っているので詳しくは書かない。村上龍はテレビ番組で「亡命していった」と語っていたが、坂本はそれも否定している。

一方で、東京に対する落胆は増していったようで、自伝『音楽は自由にする』では、東京に対して、「限界に来ている」「家賃が高すぎる」「誰が住むか」と露骨に嫌悪している。「東京じゃない、家賃の安い場所から新しいものが生まれる」という予感もあったそうで、最後の方では、「京都あたりに住んでみようかと思っている」と述べている。これは絵空事ではなく、実際に京阪神地域を愛したデヴィッド・ボウイが手に入れていた九条山の土地を買ったか、買おうとした動きがあったようである。だが、癌になったことで京都移住は夢と終わった。

東京に生まれ、東京に育ち、東京で学び、東京で仕事をしてきた坂本龍一。「東京はもう駄目だ」とまで宣告したようなものだったが、最後の癌の治療は主治医が東京にいたため、東京に仮住まいし、東京の病院で手術を受け、東京の病院で亡くなった。そして何よりも、本人は否定するかも知れないが、彼は東京が似合う男だった。

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2026年1月28日 (水)

コンサートの記(943) ミコラ・ジャジューラ指揮ウクライナ国立歌劇場管弦楽団・合唱団 ベートーヴェン「第九&運命」@京都コンサートホール

2026年1月15日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで、ウクライナ国立歌劇場管弦楽団・合唱団 ベートーヴェン「第九&運命」を聴く。

膠着状態が続くロシアとウクライナの戦争。ウクライナの男性バレリーナが軍服を着て前線に立つ姿が新聞に載ったりしたが、かつてG8に入っていたロシアに比べるとウクライナは財政面で弱い。戦闘が長期化すれば尚更、というわけで、前線にいた男性バレリーナも戻ったのかどうかは分からないが、豊かな土壌を持つウクライナの音楽で外貨を稼いだ方が、バレリーナを前線に送るよりも有効ということで、ウクライナ国立歌劇場が日本で引っ越し公演、それもバレエ(ウクライナ国立バレエ。旧キエフ・バレエ)、オペラ(ウクライナ国立歌劇場。旧キエフ・オペラ)、コンサート(ウクライナ国立フィルハーモニー交響楽団。旧キエフ国立フィルハーモニー交響楽団)と全てを行う音楽の吶喊作戦である。

今回の京都でのコンサートは、ウクライナ国立フィルハーモニー交響楽団名義の方が適当なのかも知れないが、第九にウクライナ国立歌劇場合唱団が加わるため、全て含めてウクライナ国立歌劇場管弦楽団・合唱団にしたのであろう。

 

京都市の姉妹都市であるキーウ。ということで、以前にもキエフ国立フィルハーモニー交響楽団時代のウクライナ国立フィルハーモニー交響楽団が京都コンサートホールで演奏会を開いたことがある。その時は、19世紀のヴァイオリン技法を今に伝えるイヴリー・ギトリスが主役であり、ギトリスがカーテンコールにも登場したほどだったが、キエフ国立フィルの質も高かった。なんだかんだでソ連は音楽に力を入れていた。

その時の指揮者は、ミコラ・ジャジューラであったが、今回もジャジューラが指揮する。ジャジューラは、1961年、キーウ生まれ。チャイコフスキー記念キエフ(キーウ)国立高等音楽院でボン・ベートーヴェン管弦楽団の音楽監督としても活躍したローマン・コフマンに師事。1989年から正指揮者としてキエフ国立歌劇場での仕事を始めている。その後、2011年に同団体の音楽監督兼首席指揮者に就任。キエフ国立フィルハーモニー交響楽団の首席指揮者兼芸術監督には1996年に就任している。
東京国際音楽コンクール・指揮部門(現・東京国際指揮者コンクール)とブダペスト国際指揮者コンクールで入賞(無料パンフレットにはいずれも「優勝」とあるが誤り)。タングルウッド音楽祭で小澤征爾に師事し、レナード・バーンスタインとアンドレ・プレヴィンにも学んでいる。
国外では、韓国のソウル市交響楽団の音楽監督を務め、韓国国立オペラとも仕事をしている。
2005年に、フランス共和国文化勲章を受章。
今日は譜面台を用いず、2曲とも暗譜での指揮である。

 

ウクライナ国立歌劇場管弦楽団(ウクライナ国立フィルハーモニー交響楽団)は、1834年創設と歴史は長い。チャイコフスキーを招いて彼のオペラ(「エフゲニー・オネーギン」、「スペードの女王」など)を彼の指揮で自作自演したりもしている。20世紀に活躍したソ連の作曲家の多くが自作を指揮をした経験があり、サンクトペテルブルク・マリインスキー劇場、モスクワのボリショイ劇場に次ぐ実力と評価された。

 

曲目は、タイトル通り、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」と第9番「合唱付き」であるが、どちらかだけでも難曲なのに、2曲連続上演とはかなりのスタミナである。このコンサートだけならまだしも、まだ他の場所でオペラやバレエを上演するのである。タフとしか言い様がないが、これが戦争状態にある国の現実なのかも知れない。

 

チェロが客席側に来るアメリカ式の現代配置での演奏。ティンパニは視覚面もあって、指揮者の正面ではなく、下手端に位置する。

 

ベートーヴェンの交響曲第5番。フェルマータは短めである。1回目より2回目の方が短い。ジャジューラは2回目のフェルマータを左手で切る。
弦のビブラートは、音を伸ばすときだけに使用。ピリオドを意識した演奏である。そのためか、テンポは一貫して速め。特に第4楽章はかなり速く、ピッコロ奏者がもたつきそうになったが何とか持ち直した。そのピッコロの音型からベーレンライター版使用だと思われる。
第2楽章などは様々な音が鳴り響いており、西欧とも日本とも違った大地の響きである。ティンパニはモダンティンパニだったが(バロックティンパニを使いたくとも今回の演奏のためだけに持ってくる訳にもいかないだろう)、硬めの音で強打を見せ、この曲が初演されたときに聴衆が感じたであろう異様さがなんとなく感じ取れる。

 

ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」。ウクライナ国立歌劇場合唱団は上段に男声歌手達が、下段に女声歌手達が並ぶ。女声歌手達は全員、ウクライナの民族衣装を纏っている。男声歌手達は燕尾服姿。
ソプラノ独唱:リリア・グレヴツォヴァ、メゾ・ソプラノ独唱:アンジェリーナ・シヴァチカ、テノール独唱:ドミトロ・クジミン、バス独唱:セルゲイ・コヴニール。ウクライナ人は男性の平均身長が高いため、本当のバス歌手がいる。日本人男性は白人に比べると平均身長が低いため、低い声は出ず、本物のバスはいないと言われる。バスとして活躍している日本人も白人に比べるとバリトンになるらしい。昔、黛敏郎が司会をしていた頃の「題名のない音楽会」で、「テノール馬鹿にバリトンすけべ」という言葉が紹介されているが、ここでも日本人男声歌手の低音の代表がバスではなくてバリトンであることが分かる。

日本と違い、頻繁に第九が演奏される訳ではないので、独唱者も合唱団も全員譜面を見ながらの歌唱である。「独唱者も合唱団も全員暗譜で“歓喜に寄す”を歌う国がある」と知ったら向こうの人は驚くのではないだろうか。

ジャジューラは、この曲でもピリオド援用で、テンポは速めである。冒頭のヴァイオリンはノンビブラートで音を切りながら進む。ただ第3楽章では、弦楽器奏者の多くがビブラートを用いるなど、曲調に合わせて使い分けているようである。
速めのテンポにも関わらず、ずっしりとした手応えのあるベートーヴェン。普段、日本のオーケストラで洗練されたベートーヴェンを聴いているため、余計にパワー重視の演奏に聞こえる。
第2楽章も、ウクライナ紛争が頭にあると、戦場の音楽に聞こえてくる。前線の進軍の音楽だ。
一方で、第3楽章はロマンティックというよりも癒やしの音楽。戦勝の夢を見て目覚めるかのようだ。

第4楽章。この楽章にしか登場しない打楽器3人(シンバル、トライアングル、大太鼓)は板付き。合唱も板付きで。独唱者は第2楽章と第3楽章の間に登場した。
独唱者も合唱団もかなりパワフルで、天井の高い京都コンサートホールに声が留まる。
洗練されている訳ではないが、「歓喜に寄す」を歌うにはこれほどのパワーがやはり必要になるのかも知れない。欧米の古いホールなどはステージが狭いので合唱団も限られ、一方、日本はステージが広めなので大人数の合唱を載せることが可能だが、個々のパワーでは、日本人の歌手はウクライナ人歌手に勝てそうにない。体格が違う。
合唱もオーケストラの音も巨大な音の塊としてホールを満たしていた。

今、ウクライナ国内で第九を歌うことは無理なのかも知れない。だがいずれ来るウクライナで第九が上演する日を先取りして聴いているような気分になった。

カーテンコールでは、テノールのクジミンとバスのコヴニールが掲揚サイズのウクライナの国旗を掲げる。

 

なお、ウクライナ国立バレエ芸術監督で「情熱大陸」にも出た寺田宜弘の母親である高尾美智子(寺田バレエ・アートスクール校長)が逝去したということで、寺田宜弘が演奏開始前に舞台上に登場して、この公演が「寺田バレエ・アートスクール 高尾美智子先生追悼公演」となることを告げる。

ホワイエではウクライナの民芸品が売られ、高尾美智子の展示も行われていた。

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2026年1月25日 (日)

コンサートの記(942) 阪哲朗指揮 紀尾井ホール室内管弦楽団第144回定期演奏会大阪公演

2025年9月16日

午後7時から、住友生命いずみホールで、紀尾井ホール室内管弦楽団第144回定期演奏会大阪公演を聴く。指揮は京都市出身で、今は大津市に住み、びわ湖ホールの芸術監督を務めるという阪哲朗。

紀尾井ホール室内管弦楽団は、以前は紀尾井シンフォニエッタ東京を名乗っていた団体で、紀尾井坂上の日本製鉄紀尾井ホールを本拠地としている。常設の団体ではなく、普段は別のプロオーケストラの楽団員やソリストとして活躍してるメンバーが集まって演奏会を作り上げる。紀尾井シンフォニエッタ東京時代の演奏を紀尾井ホールで聴いたことがあるが、紀尾井町・四ツ谷、上智大学のすぐそばという土地だからか、見るからに「私、良家の娘です」というタイプの若い女性の聴衆が多いのが印象的であった。

会場の住友生命いずみホールに来るのは久しぶり。来る前に大阪城公園内にある豊國(ほうこく)神社に参拝。豊臣秀吉公の像は完成したばかりの頃から見ているが、経年により細かな傷なども目立ち、色も以前より薄めになった。「お互い年を取りましたなあ」と心の中で呟く。
大阪城公園内は外国人観光客が目立つが、国旗をモチーフにしたものを着たり持ったりしている人も多く、「トルコか」、「ベトナムか」と分かる。

日本人の女性二人が、「中国では少し残す」という話をしていたのが耳に入るが、すぐにピンとくる。中国では出された食事を全部食べずに残すのがマナーである。全部食べてしまうと、「量が足りなかった」という意味になる。京都が生んだ女優である中村玉緒さんの著書を読むと、昔は京都でも少し残すのが礼儀という時代があったようである。

 

さて、住友生命いずみホールでの紀尾井ホール室内管弦楽団のコンサートであるが、入りは余り良くない。全て横向きの席である2階のバルコニー席はほぼ埋まっているが、1階席は6割行くか行かないかといったところ。いずみホールでは、いずみシンフォニエッタ大阪というこれも非常設の団体が定期演奏会を行っており、新鮮味がなかったのかも知れない。1階席には数人分丸ごと空いている席があるが、おそらく招待客が来てくれなかったのだと思われる。

 

曲目は、ヴェーバーの歌劇「オベロン」序曲、コルンゴルトの左手のためのピアノ協奏曲(ピアノ独奏:阪田知樹)、メンデルスゾーンの劇附随音楽「夏の夜の夢」(ナレーションなしで、一部を割愛してのほぼ全曲演奏。ソプラノ独唱:三宅理恵&山下裕賀。合唱:大阪すみよし少年少女合唱団)

「夏の夜の夢」だけ聴きたい人もいたようで、後半には1階席の後ろの方の聴衆が少し増えていた。
聴衆が少ない理由としては、「コルンゴルトって誰?」という人が多いのと、「関西なら阪さんはいつでも聴ける」という2つが考えられる。

コンサートマスターは玉井菜摘。玉井さんのお母さんは京都市交響楽団の第2ヴァイオリン奏者であったようだ。
ヴァイオリン両翼の古典配置を採用しているが、演奏スタイルは全てモダンである。

 

いずみホールも京都コンサートホール同様、反響板がないので、1階席は音が降りてこないように感じることがある。今日の2階バルコニー席で聴いた。

 

ヴェーバーの歌劇「オベロン」序曲。比較的、演奏会の第1曲に選ばれやすい曲である。今日プログラムされた3曲には盛り上げ方が似ているという共通点がある。

紀尾井ホール室内管弦楽団は、腕利きが揃っているだけに常設ではないのにアンサンブルも緻密で、音も輝かしい。室内管弦楽団としては、オーケストラ・アンサンブル金沢と日本のトップを争う力を持っているように感じた。ただ、紀尾井ホール室内管弦楽団は非常設故メンバーが入れ替わるので、演奏会ごとに出来が違うということもあり得るかも知れない。前に聴いた演奏も今日の演奏も優れたものだったが。

 

コルンゴルトの左手のためのピアノ協奏曲。戦場で右手を負傷したピアニストのパウル・ヴィトゲンシュタイン(哲学者のルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインの実兄)が、多くの作曲家に依頼して書いて貰った左手のためのピアノ作品の一つである。
コルンゴルトは、幼時から楽才を発揮し、ミドルネームがヴォルフガングということもあって、「モーツァルトの再来」と絶賛された。23歳で書いた歌劇「死の都」は大ヒットしている。ヨハン・シュトラウスⅡ世の喜歌劇「こうもり」をミュージカル化したり、メンデルスゾーンの劇附随音楽「夏の夜の夢」を編曲したりと、舞台劇方面でも活躍。しかしコルンゴルトはユダヤ系であったため、ナチスから逃れるためのアメリカに渡る。
アメリカでは映画音楽の作曲を数多くこなし、現代では「映画音楽の礎を築いたコルンゴルト」と讃えられることもあるが、当時は劇伴はクラシックよりも下と見なされており、また彼のクラシック音楽のロマンティックな作風がウィーンでも「時代遅れ」と受け取られるようになり、晩年は不遇だった。死後はその名が一度、消えかかったが、1990年代半ばにアンドレ・プレヴィンやフランツ・ヴェルザー=メストらが指揮したコルンゴルト作品のCDが立て続けに発売され、「コルンゴルトブームが起こるか」と思った矢先に世界的なピアソラブームが起こってしまい、コルンゴルトの名は吹き飛ばされてしまった。
それでも近年は「死の都」が日本でも上演されるなど、再評価の動きはある。

コルンゴルトの左手のためのピアノ協奏曲は、弦楽器のロマンティシズムに鋭さを隠した音色をバックに、個性的な旋律が展開される。今でも新しく聞こえる部分があるなど、コルンゴルトの確かな才気が感じる。そして盛り上げ方は「オベロン」序曲や「夏の夜の夢」序曲などにも通じるものがある。
ソリストの阪田知樹は技巧派ピアニストとして名声を高めており、大阪フィルハーモニー交響楽団の宇治公演で聴いたチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番のシャープなピアノが記憶に新しいが、今日は音楽の大枠をガッシリと捉えた男性的なピアニズムを示す。高音がトイピアノのように聞こえる場面もあり、ハッとさせられる。
珍しい曲ということで譜面を用意し、自分でめくりながらの演奏であった。
以前は男性ピアニストというと、遊び人やボヘミアンも多かったが、聞くところによると、阪田知樹はアスリートのようにストイックな生活を送っているそうである。

アンコール演奏は、メンデルスゾーンの「無言歌」より“紡ぎ歌”。私はメンデルスゾーンの「無言歌」の全曲盤を持っているのだが、余り耳に残らなかった曲。ただコルンゴルトの後で聴くと、メンデルスゾーンの革新性を聴き取ることが出来る。
メンデルスゾーンが38歳の若さで亡くならなかったら、もっと音楽を推し進めていたかも知れない。

 

メンデルスゾーンの劇附随音楽「夏の夜の夢」。短い曲とナレーションをカットしたバージョンである。メンデルスゾーンの劇附随音楽「夏の夜の夢」は人気が高まる傾向にあり、檀ふみのナレーション、飯森範親指揮日本センチュリー交響楽団の演奏、幸田浩子と林美智子の独唱で聴いたことがある。この演奏はライブ録音され、CDとなってリリースされている。
もう大分経ったので書いてもいいと思うが、泉鏡花の「夜叉ヶ池」がオペラ化され、演出が岩田達宗さんで、主役の百合を歌うのが幸田さんということで、東京・初台の新国立劇場中劇場まで観に出掛けたのだが、檀ふみさんがいらしていた。無闇に話しかけられないようにだと思うが、お付きの男性とずっと話していて、「有名人も大変だな」と思ったものである。
京都市交響楽団も昨年、オーケストラ・ディスカバリーの曲目として、鈴木優人の指揮、ウエンツ瑛士のナレーションほかで、劇附随音楽「夏の夜の夢」を演奏する予定だったのだが、「台風接近」との予報により公演中止となっている。

前半は指揮棒を使っていた阪哲朗であるが、「夏の夜の夢」はノンタクトでの指揮。総譜は譜面台の上に開かれているが、ほぼ暗譜の指揮で、譜面をめくらずに立て続けに指揮した時には、数ページまとめてめくっていた。
演奏は活力に富み、メカニックの高さもあって、大変優れた出来であった。阪のキビキビとした音運びがこの曲に相応しいということもあるが、メンデルスゾーンの実力にも改めて感服することになり、充実した演奏会となった、三宅理恵と山下裕賀(ひろか)の独唱者二人と、大阪すみよし少年少女合唱団も澄んだ声で演奏に彩りを施した。

 

プログラムが長めであるが、更にアンコール演奏がある。ヨハン・シュトラウスⅡ世の喜歌劇「こうもり」序曲。アンコールとしては長めの曲だが、賑やかさと仄かな哀愁が印象的な演奏であった。この曲も終盤は盛り上がる。

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2026年1月19日 (月)

NHKBS「坂本龍一コンサート リマスター版」

2025年12月30日

「坂本龍一コンサート リマスター版」の第1部と第2部を視聴。

私が買った坂本龍一の最初のアルバムは「Beauty」であるが、その1つ前のアルバム(分量から行くとミニアルバムに近い)が「Neo Geo」であり、第1部はそれに含まれている曲が中心のコンサートである。
NHKBSの映像であるが、年号がまだ昭和表記である。62年7月19日(1987年7月19日)、NHKホールでの公演。

「Neo Geo」は続く「Beauty」同様、坂本龍一が沖縄の音楽に接近した時期の音楽である。
東京藝術大学で小泉文夫に師事した坂本は、民族音楽への造詣も深かった。
古謝美佐子(こじゃ・みさこ)、我如古順子(がねこ・よりこ)、玉城一美という今では沖縄歌謡の重鎮となっている3人を集めた「オキナワチャンズ」の歌が強烈である。
坂本は、「日本は単一民族国家と思われているが冗談じゃない」との思いから、沖縄の音楽を積極的に取り上げている。
「童神」の作者としても知られる古謝美佐子は、ネーネーズのメンバーとしても有名だったが、この時期にはまだネーネーズは結成されていない(1990年結成)。

坂本龍一は、オキナワチャンズのメンバーも連れたワールドツアーを行っているが、ベルリン公演の前にオキナワチャンズのメンバーの一人が、体調不良で出られないということで、スタッフの一人がそれを坂本に告げに行く。坂本は一人離れたところで煙草を吸っていた。「ああ、そう」といった風に首を縦に振っただけだったが、そこに至るまでの坂本の佇まいがひどく孤独に見えた。
坂本は天性のメロディーメーカーである。しかし、なぜ人に受けるメロディーを簡単に書くことが出来るのか、自分でも戸惑っていたようなところがある。
「ずっと考えていることなんですが、自分でできてしまうことと、ほんとにやりたいことというのが、どうも一致しない場合が多いんです。できてしまうから作っているのか、本当に作りたいから作っているのか、その境い目が、自分でもよくわからないんですね」(「sitesakamoto」内、1998年10月5日の日記)。
旧フェスティバルホールで行われた、「/05」コンサートでも坂本は、「energy flow」を弾いた後で、「全く悪くない。全く悪くないのですが、それほどですか?」と客席に問いかけている。オリコンチャートでインストゥルメンタル作品として初めて1位を獲得した「energy flow」(正式には「energy flow」を含むミニアルバム「裏BTTB」)。5分ぐらいで書いた曲で、おそらく坂本本人も気楽に作ったと思われる。それが受けるというのがよく分からないようだ。
ドキュメンタリー映画「アルゲリッチ 私こそ、音楽!」でのアルゲリッチも彼女にしか出来ない演奏をするがなぜそうした演奏が出来るのか本人にも分からず、寂しそうな表情を浮かべる場面がある。
坂本龍一の孤独もそれに通ずるように見える。自分がよく分からないという感覚。苦労して作っても評価されなかった曲もあるのだからなおさらだ。


1曲目で奏でられるのは、坂本のピアノソロによる「BEFORE LONG」。シンプルながら聴き映えのする曲である。TOTOかどこかのCM曲にもなった。非常に短い曲だが、後にロングバージョンが作られる。

「Ballet Mechanic」は、まず岡田有希子に「WONDER TRIP LOVER」の名で提供された曲で、その後、自身で「Ballet Mechanic」をカバー。その後、中谷美紀に「クロニック・ラヴ」としても提供されるなど、教授お気に入りのナンバーだった。

「戦場のメリークリスマス」では、中国の箏奏者である姜小青が主旋律を奏でている。坂本龍一の著書である『Seldom Illegal』には、姜小青のことにも触れられており、文化大革命のただ中で幼少期から青春期を過ごしているが、「彼女、ピアノが弾けるのね。文化大革命の最中であってもピアノのレッスンを受けられる層がちゃんとあったんだ」と、文革を一方的なイメージで捉えるべきではないと示唆している。

坂本龍一は上下共に真っ赤なスーツ。日本人で赤いスーツを着こなせる人は余りいないと思われるが、やはり教授は絵になる。


「坂本龍一コンサート リマスター版」の第3部を観る。ピアノ:坂本龍一。大友直人指揮東京交響楽団の演奏。1988年4月9日と10日に渋谷区神南のNHKホールで行われた公演である。二胡:姜建華、琵琶:陶敬穎、箏:姜小青。
「SAKAMOTO PLAYS SAKAMOTO」のタイトルで、公演時には「オーケストラコンサート」とも呼ばれたようだが、ライブ音源をCDとして出すにあたり、「Playing the Orchestra」のタイトルが付けられ、以後、坂本龍一によるオーケストラコンサートは、「Playing the Orchestra」という名称で統一されるようになる。
ということで、後に「Playing the Orchestra」の第1回目となる公演は、映画「ラストエンペラー」の音楽と、「BEFORE LONG」のロングバージョン、「大航海」、そして「戦場のメリークリスマス」の音楽のオーケストラ版の3部構成となっている。

ベルナルト・ベルトリッチ監督の「ラストエンペラー」に満州国のフィクサーである甘粕正彦役としてオファーを受けた坂本龍一。だが映画音楽を書く予定は当初はなかった。坂本龍一も「あるかな」と思いながら撮影も終わり、半年が過ぎた頃にベルトリッチから、「映画音楽を書いてくれ2週間で」と依頼があり、それまで中国音楽に関しては何の勉強もしていなかった坂本龍一は、「中国音楽全集」LP全10巻といったようなものを急いで手に入れて聴き、以降は2週間ほぼ不眠不休で作曲作業に励むことになる。2週間という締め切りに間に合わせ、誇りとしたそうだが、過労により体調を崩して入院。突発性難聴にもなったそうだ。
「ラストエンペラー」の音楽は、デヴィッド・バーン、コン・スー(蘇聡。スー・ツォン)との連名でアカデミー賞音楽賞を受賞。オスカー像を手にする。
オーケストレーションにまでは手が回らず、他人に任せているが、今回のコンサートでは誰のオーケストレーションなのかは判然としない。楽器編成に中国の伝統楽器が入っており、「メインテーマ」などはフォルテシモのまま終わるなど、オリジナルサウンドトラックの時と同じ要素が見受けられる。坂本龍一本人のオーケストレーションによる演奏は、冒頭で弦が揺れるような音運びを見せ、ラストはフォルテシモになってから少し音量を下げて終わる。他の曲も映画の時のオーケストレーションに近い。坂本龍一は、自作のオーケストレーションを狭間美帆や藤倉大などの若手音楽家に任せる場合があり、それほど自身のオーケストレーションには固執していないように思える。

当時、期待の若手指揮者だった大友直人。NHK交響楽団の定期演奏会に登場したり、NHK大河ドラマのオープニングテーマの指揮を任されたりと、NHKからも気に入られていたようである。指揮者にしては男前でファンクラブもあったはずだが、今はどうなのか分からない。ここでも自然体の音楽を作っているが、その後、指揮棒を手にしない機会が増え、フォルムで押すタイプの指揮者になるのだから分からない。ただ確執があったと思われる小澤征爾が亡くなり、大友の音楽性も少しずつ変化しつつある。アジアオーケストラウィークで京都市交響楽団を指揮した時には柔らかさが少し出ていた。
東京交響楽団は、東京の名を冠したまま、神奈川県川崎市のミューザ川崎コンサートホールを本拠地とし、ユベール・スダーンやジョナサン・ノットを音楽監督に迎えて、今まさに最盛期にあるが、この演奏会が行われたバブル期には、「手堅い」オーケストラと見なされていた。

CD「Playing the Orchestra」は、初出のものは手に入らず、再発のものを手に入れて聴いていた。ロングバージョンの「BEFORE LONG」を知ったのもCD「Playing the Orchestra」においてで、その後に楽譜を手に入れて全曲弾けるまで練習した。全て千葉時代のことで、京都に来てからはピアノを弾ける環境にないため、今弾けと言われても無理だと思うが。

「マンチューコー・パーティー」、「マンチューコー・ワルツ」など、印象的ながらオリジナルサウンドトラックに入っていない楽曲も含まれているため、「ラストエンペラー」という映画を愛する人には必携の音源となっている。ただもう誰かがYouTubeなどにアップしているかも知れない。

「戦場のメリークリスマス」のオリジナルサウンドトラックは、シンセサイザーと打ち込みで作られており、オーケストラとピアノ用に坂本龍一が改めて編曲している。

大友と東響の丁寧な演奏により楽曲を楽しむことが出来るが、今、2025年から2026年になろうとしている時代の日本のオーケストラが演奏したら遙かに細やか且つパワフルな演奏が成し遂げられるような気がする。坂本龍一本人は、もうその演奏を聴くことは出来ない訳だが。

アンコールとして、中国から来た3人の民族楽器奏者をメインとする「ラストエンペラー」メインテーマが演奏された。
その中の一人である姜建華は、日本で二胡をポピュラーな楽器にした立役者の一人で、日本で二胡を教えたりもしていた。京都でも何度かコンサートを行っているが、残念ながら巡り合わせが悪く、行けていない。

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2026年1月17日 (土)

観劇感想精選(507) 「シャイニングな女たち」

2026年1月10日 大阪の森ノ宮ピロティホールにて観劇

午後6時から、森ノ宮ピロティホールで、「シャイニングな女たち」を観る。「シャイニング」というと、スティーヴン・キングの同名小説とスタンリー・キューブリック監督によるその映画化作品を連想しがちだが、それらとは全く関係のない話である。

作・演出:蓬莱竜太。出演:吉高由里子、さとうほなみ(ゲスの極み乙女のドラマー、ほな・いこかと同一人物。現在、朝ドラ「ばけばけ」に遊女役で出演中)、桜井日奈子、小野寺ずる(映画「風のマジム」では、伊藤沙莉演じる主人公の右腕的存在&コミックリリーフで出演)、羽瀬川なぎ(朝ドラ「虎に翼」では車椅子生活という難役を演じた)、李そじん(読みは、イ・ソジンだと思う)、名村辰(なむら・しん。「虎に翼」では学生時代には女性を蔑視していた嫌な男を演じていた)、山口紗弥加。一人を除いて全員女優という比較的珍しい布陣。宝塚歌劇は全員女性だが、男役と娘役がある。
山口紗弥加だけ年が上(吉高由里子とは比較的近い)であるが、実際に年齢の離れた役を演じている。

蓬莱竜太が十代半ばを過ごした石川県の県庁所在地、金沢市が舞台である。そのため、出演者は(韓国からの留学生役を除いて)全員、加賀地方の方言を使う。ちなみに加賀の語源は「輝き」とされ、「シャイニングな女たち」に通ずる。
北陸創成大学という、いかにも偏差値の低そうな校名の大学が舞台だが、良いとされる大学だと彼女の卒業後の進路も変わってくるため、敢えてそういったイメージの大学名にしたのだろう。ちなみに、石川大学という大学は存在しない(47都道府県のうち、石川大学と栃木大学だけが存在しない)。石川大学だと良さそうに見えるので避けたのかも知れない。

2年前の大河ドラマ「光る君へ」で主役の紫式部(まひろ/藤式部)を演じた吉高由里子。「ハロハロ日曜日」で始まる、吉高由里子じゃなかったら、「この人、ちょっと頭おかしいんじゃないの」と思ってしまうような告知がXで毎週あった。「1時間を私に下さい」とも書いていたが、大河ドラマの放送枠は45分である。今回も群像劇ではあるが、劇は彼女のモノローグに始まり、彼女を中心に回っていくため、主役と見なして間違いないだろう。女優の多くにモノローグが用意されているが、桜井日奈子がもう一人の軸となっている。

吉高由里子演じる金田海(うみ)は、地域スポーツ振興課の非正規社員(金沢駅を使って通勤しているため、石川県内の他の自治体の可能性もある)。生活に疲れた感じで、経済的な余裕もなさそうである。

ある日、葬儀の後のお別れ会に紛れ込んだ海は、安らぎを覚え、お別れの会に参加して食事をするのが癖になる。それを20回ほど重ねたある日、海は遺影に見覚えがあることに気付く。大学時代に女子フットボール部員として一緒に活動してきた白澤喜美(よしみ。桜井日奈子)であった。周りにいる人も大学時代の女子フットサル部のメンバー達で……

さとうほなみ演じる山形圭子が、海の幼馴染みということで、海の若いときの話は圭子によって語られる。中高と同じ学校の陸上部で、海は勉強は余りしないタイプ。圭子は勉強していることを海にからかわれるが、結局、同じ大学に進み、今も一番親しい友人である。2011年7月17日、FIFA女子ワールドカップ、なでしこJAPANがアメリカ代表を破って世界一になった時、海は女子サッカー部創設を決意する。圭子も巻き込まれる。2011年は3月11日に東日本大震災が起こってから、日本全体が暗く沈んだムードの年だった。今こそ女子サッカーをやろう! ということでビラを撒いたりして勧誘を行うが、反応はいまいち。そもそも女子でサッカーをすることに興味がある人は少なく、経験者はすでに強豪の女子サッカー部を持つ大学に進んでしまっている。
「次の校舎の陰から出てきた人をスカウトする」と海は決めるが、出てきたのは見るからにオタクっぽい白澤喜美で……。
コーチにプロ経験もある川越瑞希(山口紗弥加)を招き、人数不足でサッカーは諦めてフットサル部を立ち上げた海(それまでフットサルの存在も知らなかった)。初戦はシュートを何発も食らって大敗するが、実力を付けていく。
そんな中、子どもの頃は皆から「可愛い」「綺麗」と言われて得意になるも、それが災いしたのか小学校4年生の時に同級生の女子全員から無視され、以後は、「地味に地味に」を心がけてきた遠藤アキラ(羽瀬川なぎ)が週刊誌の「スポーツ美女」コーナーで取り上げられ、自信を付ける。そんなアキラのロッカーから財布が盗まれた。金額は1350円と安いが、金沢市内の実家などではなく、遠くからなのか、下宿してるのか、持ち金に乏しく、とにかく月末までそれで過ごさなければいけないのだった。海の提案で皆で金を出すことにするが、海は犯人に心当たりがあり……。

この後は蓬莱竜太得意の心理戦が始まるが、その後、ネット社会の怖ろしさや、海の非正規社員としての悲哀(喜美も契約社員にしかなれなかった。海は非正規ながら公務員のようだが、非正規ゆえ発案した企画は一つも通らない、給料や待遇も据え置きで正社員への昇格も却下、午前中に地域のスポーツの写真を撮りに出掛けることだけが生き甲斐だったが、コロナで活動出来なくなる。コロナが終わると写真撮影専門の人が入ってきて、海は事務の雑用をこなすだけになる。アキラは、地方局のレポーターとして人気になり、東京に進出するも地方とは違い、同業となるのは全員可愛い子。仕事はなく、でも事務所にレッスン代は払わねばならず、酒席の接待に駆り出されることもある)などが描かれ、最後は輝いていた青春時代に戻って、どこかからか落ちてきたボールでサッカー(金沢駅近くの公園ということで神社のそばのあそこかな? などと想像していた)という何とか花のある終わり方をするかと思われたが、ラストに能登半島地震の発生が圭子によって告げられる。

悪い作品ではないのだが、テーマを詰め込み過ぎてしまうため、結果としてどれを描きたかったのかが不鮮明になってはいる。ただ俳優陣は皆魅力的で、満足のいく出来にはなった。一つ一つ三部作で描いた方が良いような気もした。

左利きの有名人の一人である吉高由里子であるが、サッカーもレフティー。脚のレフティーは手の左利きより多いので、他にも何人か左で蹴る人がいたが、常時左は吉高由里子だけである。

今回は吉高由里子得意のフィールドに持ち込める役だったので、吉高も生き生きと演じる。「岡山の奇跡」と呼ばれて注目された桜井日奈子だが、今のところテレビドラマでも映画でも有名作で主役を張ったことはない。今日は良い演技だったし、ホワイエにも一人だけお花が二つ届いていたが、「彼女でないと出来ない役」が思い浮かばないのが現状である。岡山県は最近元気で、後輩の女優達も出てきているため、嵌まり役が見つかればいいのだが。

他の出演者は「安定」といったところ。

宣伝用ポスターに黒塗りのサッカーボールが写っており、劇中でもサッカーボールが使われるが、本気でやるとボールが客席に蹴り込まれてしまう危険性があるため、要所だけボールを用いて、後はエアでキックやトラップなどを行っていた。

金沢が舞台なのが嬉しい。「あの辺かな、あの辺かな」と街並みを思い浮かべながら観ていた(実際に出てくる具体的な施設は、金沢駅とその周辺のホテル、金沢21世紀美術館、石川県立美術館のみ)。また金沢に行きたい。七尾市の能登演劇堂も再訪したい。

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2026年1月14日 (水)

コンサートの記(941) JOE HISAISHI「MUSIC FUTURE」with JCSO

2025年9月30日 大阪・京橋の住友生命いずみホールにて

午後7時から、大阪・京橋の住友生命いずみホールで、JOE HISAISH「MUSIC FUTURE」 with JCSOを聴く。いずみホールには、2週間前に久しぶりに訪れたが、続くときは続く。
久石譲が、自身の本来の作風であるミニマル・ミュージック系のアーティストの作品を集めたコンサートで、東京では12年連続で行われているが、今年は東京以外では初となる演奏会が行われることになった。東京の次は大阪という訳で、自然な成り行きであるが、来年は大阪では行われず、東京と久石が指揮活動の拠点の一つとしている長野市で「MUSIC FUTURE」が行われる予定である。来年の長野公演では、久石のピアノ・ソナタが初演される予定で、今一生懸命書いているところだそうである。

久石譲は、大阪を本拠地(事務局は豊中市。定期演奏会場は大阪市北区のザ・シンフォニーホール)としている日本センチュリー交響楽団(JCSO。Japan Century Symphony Orchestra))の音楽監督を務めており、大阪が西日本最大の都市というだけでなく、手兵を持っているので演奏会を開催しやすかったのだろう。

曲目は、スティーヴ・ライヒの「Clapping Music」、テリー・ライリーの「G Song for String Quartet」、久石譲の「2 Pieces for Strange Ensemble」、ヴォイチェフ・キラールの「Quintet for Wind Instruments」、久石譲の「MKWAJU fot MFB」。キラール以外は存命中の作曲家である。
久石作品は久石自身が指揮を行い、他は室内楽編成なので日本センチュリー交響楽団のメンバーが指揮者なしで自主的に演奏を行う。

 

スティーヴ・ライヒは、ミニマル・ミュージックの作曲家としてはトップクラスに有名である。ライヒに師事したこともある加藤訓子(かとう・くにこ)が積極的にライヒ作品の演奏を行っており、「Clapping Music」も加藤がロームシアター京都サウスホールで行ったライヒ作品の演奏会で、開演前のウェルカム楽曲としてホワイエで演奏されたのを聴いている。タイトル通り手拍子のみによる音楽である。
久石は全曲の解説も担当。「Clapping Music」は、リズム譜の書かれたホワイトボードを出して貰い、「急に学校みたくなっちゃいましたが」と言いつつ、リズムの解説を行う。二人で演奏する3部からなる作品。第1部は二人とも同じリズムを叩くが、第2部から別のリズムを叩くことになる。第1奏者はそのままだが、第2奏者のリズムが変わる。だが、第2奏者のリズムをよく見ると、末尾の音が戻るときの先頭の音になっており、シンコペーションでずれているのが分かる。第3部もやはりシンコペーションで行われ、最終盤には第1奏者と第2奏者が再び同じリズムを叩く設計になっているという数学的な作品である。
久石は、センチュリー響の奏者二人(男女1人ずつ)にデモストレーションを叩いて貰って解説してから、二人に本番の演奏を行って貰う。
ミニマル・ミュージックは、聴いていてノリノリになる曲が多いのだが、日本のクラシックの演奏会では体を動かしながら聴くのはマナーが悪いということになっているので、乗りたい時は体の一部を他人に見えないように動かすしかない。
ジブリでない久石の音楽を聴きに来ているのだから、どんな曲が演奏されるの分かっている人ばかりで、大いに受けていた。

 

テリー・ライリーは、今年90歳になるアメリカの作曲家だが、コロナ禍の際に日本にいて、出国が出来なくなってしまった訳だが、日本の風土が気に入ってしまい、山梨県に家を買って住み着いてしまっているそうだ。
「G Song for String Quartet」は、元々は映画音楽として電子オルガンとトロンボーンの二重奏曲として書かれたものだが、クロノス・カルテットのために弦楽四重奏用にアレンジ。今回はそれが演奏される。ヴァイオリンは第1がセンチュリー響コンサートミストレスの松浦奈々、第2が池原衣美。ヴィオラは四家絵捺。チェロは北口大輔。

いかにも現代アメリカ的な格好いい曲である。ニューヨークなど東海岸の大都市に似合いそうである。演奏も質が高い。
ライリーは、膨大な量の映画音楽の作曲を行いながら、同時にコンサート用のクラシック作品も次々に発表しており、久石は「見習わないとな」と話していた。

久石の「2 Piece for Strange Ensemble」は、少しだけだが編成が大きくなる。ヴァイオリンやヴィオラは登場せず、チェロとコントラバスが出演する。
グランドピアノ2台が指揮が見えるように横並びになっているが、ピアノの他にもシンセサイザーが弾かれる(西川ひかりが演奏を担当する)。シンセサイザーがどんな音を出していたのかは確認出来なかった。
同じ旋律を全楽器が演奏し、やがて2台のピアノのメロディーだけが浮かぶように構築している。久石譲というとジブリ映画や北野武作品の映画音楽の作曲家として知られているが、元々の出発点はこうしたミニマル・ミュージックである。
久石はノンタクトで拍を刻む他に左手で数字を示す。指揮者が指で数字を表示する曲は即興が絡むことが多く、同じ譜面を使っても同じ演奏が再現されることはない。
他の作曲家の作品に比べると親しみやすさがある。久石は子どもにも受けるメロディーを書ける人だからだろう。

 

キラールの「Quintet for Wind Insturments」。フルート、オーボエ、ホルン、ファゴット、クラリネットのための作品である。キラールは映画音楽の作曲家としても活動していて、「戦場のピアニスト」の劇伴を手掛けている。ポーランドの作曲家であるが、生まれたのはウクライナだそうだ。2013年に81歳で亡くなっている。
「Quintet for Wind instruments」であるが、ファゴットが田舎の楽隊が演奏していそうなメロディーを吹き、それを元にした音楽である。ミニマル・ミュージックに傾倒したキラール。この曲だけは厳密にはミニマル・ミュージックとして作曲されたものではないが、ファゴットによる主題は何度も出てくる。
都会的なライリーの作品とは正反対のローカル性重視の音楽だ。

 

久石譲の「MKWAKU for MFB」。2023年に作曲されたばかりの作品である(元の曲は1981年に作曲され、レコーディングが行われている)。マリンバや鉄琴が音楽を主導する。コンサートミストレスは引き続き松浦奈々。MKWAKU とはスワヒリ語で「タマランドの樹」を指し、東アフリカの民族音楽を聴いていた時にヒントを得たそうである。
コードの進め方が久石的であり、そのまま「KIDS RETURN」のメロディーが流れ出しておかしくないような進行もあったが、勿論、流れなかった。
マリンバというアフリカ生まれで南米を経てアメリカで広まった楽器が真っ先に目立つ旋律を奏でるということもあり、汎地球的な音楽とも言うべき広がりを持った音楽となっていた。

ミニマル・ミュージックは、太古も存在し、20世紀に再び脚光を浴びた。反復の快感は心臓の鼓動に基づいている。太古と現在を繋ぐ音楽である。

 

現代音楽ばかりの演奏会であったが、比較的小規模のいずみホールということもあり、満員の盛況。久石作品にはスタンディングオベーションを行う人もいた。

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コンサートの記(940) 「ウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団 ニューイヤーコンサート」2026@フェスティバルホール

2026年1月11日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後2時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、「ウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団 ニューイヤーコンサート」2026を聴く。

ヨハン・シュトラウスⅡ世が率いたヨハン・シュトラウス管弦楽団の後継を目指して、エデュアルト・シュトラウスの孫で、ヨハン・シュトラウスⅡ世の又甥に当たるエデュアルト・シュトラウスⅡ世を招いて結成されたウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団。常設ではなく、ウィーンのヨハン・シュトラウス・ファミリー好きの音楽達が集結して演奏会などが開かれる。ウィーン・フィルなど、ウィーンの中でも世界的に評価されている団体のメンバーも含まれる。

毎年、元日に開催され、全世界に中継される「ウィーン・フィル ニューイヤーコンサート」。ヨハン・シュトラウス・ファミリーの音楽はそれを聴くだけでも十分との思いがあったり、「ウィンナ・ワルツやポルカは正月よりも夏に聴くと涼しくていい」と思っていたりするため、例年はシュトラウス・ファミリーのニューイヤーコンサートを聴きに行くことは少ない(京都市交響楽団は除く)のだが、ウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団の演奏会ということで、今年は出掛けてみることにした。

ウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団の中で、一際輝いているのが、ウィリー・ボスコフスキーの時代。クレメンス・クラウスが始めたウィーン・フィル ニューイヤーコンサートであるが、クラウスは61歳と、指揮者としてはかなり若くして死去。ヨーゼフ・クリップスが2年間引き継いだ後に、ウィーン・フィルのコンサートマスターであったボスコフスキーが指揮台の上でヴァイオリンを奏でながら指揮するという弾き振りを行い、ヨハン・シュトラウスⅡ世もまた弾き振りを行っていたことから人気となり、四半世紀にわたって君臨している。その後、ボスコフスキーはコンサートマスターよりも指揮者としての活動を増やすようになり、非常設ながら手兵として選んだのがウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団だった。ウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団の名声はボスコフスキーが築いたと言える。ボスコフスキーはウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団と共にドイツEMIに多くのワルツやポルカの録音を行い、日本でも東芝EMI(当時)から数多くリリースされた。
ウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団の歴史の中で特筆すべき二人目の指揮者は、アルフレート・エシュヴェ。エシュヴェは、ウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団とキングレコードにレコーディングを行ったが、顔がヨハン・シュトラウスⅡ世に似ているということで話題になり、来日した際はNHKの音楽番組に出演したりもした。

ウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団の歴代の指揮者は皆、ウィンナ・ワルツやポルカのスペシャリストということで、ほぼ全員が、NAXOS制作による「ヨハン・シュトラウス全集」に参加している。

今回の指揮者は、ヨハネス・ヴィルトナー。NAXOSに比較的早い時期から録音を行っていた指揮者としても知られる。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のヴァイオリン奏者を経て、指揮者に転向。指揮はNHK交響楽団名誉指揮者として知られたオトマール・スウィトナーに師事している。スロヴァキア国立コシツェ・フィルハーモニー管弦楽団、プラハ国立歌劇場、ライプツィッヒ歌劇場、ノイエ・フィルハーモニー・ヴェストファーレンなどの音楽監督を務め、ライトクラシックの演奏団体であるBBCコンサート・オーケストラの首席客演指揮者なども務めている。2014年からは、ウィーンの「ガルス野外オペラ」という催しの総監督の座にある。
日本では新国立劇場オペラで、ヨハン・シュトラウスⅡ世の喜歌劇「こうもり」のタクトを担った。

 

そんなヴィルトナーであるが、極端な太鼓腹。しかも下っ腹が膨らんでいるメタボのみならず上の方まで膨らんでいる。見るからに不健康そうだが、本人は至って元気である。腹の出っ張り具合に、女性客達が口々に「凄い! 凄い!」と呟く。

 

ウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団は、ヨハン・シュトラウスⅡ世が率いた楽団に近い編成で演奏が行われる。室内オーケストラ編成になるが音は大きめで、空間の広いフェスティバルホールでも全くマイナスにはならなかった。

薄いが上質の紙を使った無料パンフレット付き。オーストリア大使館などが後援しているためか、チケット料金なども含めて良心的な部分が多い。

 

曲目は、ヨハン・シュトラウスⅡ世のオペレッタ「こうもり」序曲、ヨーゼフ・シュトラウスのポルカ・フランセーズ「芸術家の挨拶」、ヨーゼフ・シュトラウスのワルツ「水彩画」、ヨーゼフ・シュトラウスのポルカ・シュネル「憂いもなく」、ヨハン・シュトラウスⅡ世のエジプト行進曲、ヨハン・シュトラウスのワルツ「ウィーン気質(かたぎ)」、ヨハン・シュトラウスⅡ世のオペレッタ「ローマの謝肉祭」、ヨーゼフ・シュトラウスのポルカ・シュネル「休暇旅行で」、フランツ・レハールのワルツ「金と銀」、ヨハン・シュトラウスⅡ世のポルカ「雷鳴と電光」、ヨハン・シュトラウスⅡ世&ヨーゼフ・シュトラウスの「ピッチカート・ポルカ」、ヨハン・シュトラウスⅡ世のポルカ・シュネル「ハンガリー万歳!」、ヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツ「美しく青きドナウ」

 

編成は変わっていて、指揮台の前にチェロが3台横に並ぶ。
ヴィルトナーは譜面台を用いず、全曲暗譜での指揮。ただピアノ演奏用の椅子が指揮台の前に置いてあったが、これはヴィルトナーがヴァイオリンの弾き振りをするため、ヴァイオリンの台代わりとして置かれたものである。
当初は、ステージ下手側を占めるヴァイオリン群が第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンだと思っていたが、ずっと同じボウイングをしているため、全員第1ヴァイオリンであったことが分かる。第1ヴァイオリンは9名で他のパートに比べて極端に分厚い。第2ヴァイオリンは対向配置で上手の客席側に5人で陣取っていた。その奥がヴィオラ3人である。コントラバスはヴィオラの後ろに3台で構えている。ティンパニは上手奥、スネアが下手奥だが、この二人は様々な打楽器を兼任する。

室内オーケストラ編成だけに、ゴージャスなサウンドという程ではないが、各楽器の光度や透明度は高く、ウィーンの楽団ならではの楽譜に書かれていない部分での緩急、強弱などが示され、日本のオーケストラが弾くウィンナ・ワルツやポルカとは異なった味わいがある。20世紀はどちらかというとそうしたローカリズムではなくインターナショナルが志向される傾向のあった世紀であり、「普遍的であることは良いこと」とされたが、京都人並みに頑固と言われるウィーンっ子は、伝統を頑なに守ってきた。今後も他の国ではシュトラウス・ファミリーの音楽が変わっても(おそらくもっとスマートになると思われる)、ウィーンのオーケストラが奏でるそれはほとんど変化しないのだろう。もっとも、ウィーン交響楽団やウィーン放送交響楽団が必ずしも巧いウィンナ・ワルツやポルカを奏でるかというとそうでもないのだが。両オーケストラ共に実演に接したことがあり、アンコール演奏でシュトラウス・ファミリーの作品を取り上げていたが、普段はウインナ・ワルツやポルカをほとんど演奏していないため、共に荒めであった。ウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団創設当初はオーストリア放送交響楽団(現・ウィーン放送交響楽団)から参加したメンバーが多かったようだが、今はどうなのだろう。

 

指揮者のヴィルトナーはナビゲーターも務め、「(日本語で)みなさん、ほんま(で言葉に詰まってしまい、ポケットからアンチョコを取り出して)いらっしゃいませ(繋がっていないように思うが、多分、別の箇所を読んだのだろう)」と挨拶し、英語での楽曲紹介も行う。日本語コメントでは、「おおきに」など大阪の言葉をなるべく入れるようにしていた。

楽団員が声を出す曲も多く、ヴィルトナーも、「ウィーン気質」では得意と思われるヴァイオリン弾き振りを行った。ヨハン・シュトラウスⅡ世の楽曲はヴァイオリンが甘美な旋律を奏でる曲が多いが、ヨハン・シュトラウスⅡ世が最も得意とした楽器がヴァイオリンだから、というのはこうして視覚で確認すると一層納得がいく。
数年前にザ・シンフォニーホールで、別のニューイヤーコンサートのアナウンスを女性スタッフが行っていたのだが、「ウィーン気質」を「ウィーンきしつ」と読んでいた。「きしつ」とも読むが、「気質」が「かたぎ」と読まれなくなる日が来るのかも知れない。

レハールのワルツ「金と銀」は日本で特に人気のある曲として知られる。立体感と生命力のある演奏に仕上げてきた。

ポルカ「雷鳴と稲妻」は、スネア(片面シンバル兼任)とティンパニを両端に据えたのが効果的で、視覚的にも楽しめるものになっていた。

ヴィルトナーは、「ピッチカート・ポルカ」のみノンタクトで指揮する。

「美しく青きドナウ」であるが、この曲だけミスが目立つ。大きなミスではないが3つほど。何度も演奏しているだけに却って隙が生まれやすいのかも知れない。

 

アンコール演奏であるが、4曲ある。
まず「一月一日」の管弦楽編曲版。勇壮な感じである。演奏が終わった後で、楽団員全員が「あけましておめでとうございます」と新年の式辞を述べる。

2曲目は、H・C・ルンビェの「シャンパン・ギャロップ」。打楽器奏者が、空気砲使っておひねりか何かを客席に発射する。楽曲自体は余り記憶に残る類いのものではなかった。

3曲目は、エデュアルト・シュトラウスの「テープは切られた」。打楽器奏者がオーストリアの車掌の制帽を被り、「次は大阪、大阪」とアナウンスしてスタートする。打楽器奏者は、汽笛という汽笛の音を出すためだけの楽器も吹く。軽快な走りを見せる曲であった。

最後はお馴染み、ヨハン・シュトラウスⅠ世の「ラデツキー行進曲」。ヴィルトナーは時折客席の方を見て軽く指揮。「下手側のお客さんだけ」「上手側のお客さんだけ」もやりたかったようだが、聴衆は追いつけなかった。

ヴィルトナーとウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団の楽団員は最後はステージの真ん中に向かって一礼。意味は分からなかったがよくやっている習慣なのだろう。あるいはヨハン・シュトラウスⅡ世に向かっての敬意だったのか。

今日は2700人収容のフェスティバルホールがほぼ満員。休憩時間にはザッハトルテが当たるプレゼントコーナーがあったのだが、当選者は10人。ヴィルトナーがおどけながらくじを引く。同じ階の同じ列の人が当選していたが、2700分の10では、やはり当たるのは難しかった。

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2026年1月12日 (月)

これまでに観た映画より(425) ジャン=リュック・ゴダール監督作品「新ドイツ零年」

2025年1月9日 京都シネマにて

京都シネマで、ジャン=リュック・ゴダール監督作品「新ドイツ零年」を観る。ロベルト・ロッセリーニ監督作品「ドイツ零年」を意識した作品だが共通点はほとんどない。
1990年10月3日の東西ドイツ再統一を意識し、東ドイツから西ドイツへと向かった男の話となっている。1991年制作。20時台からの遅い上映である。

主演俳優は、アメリカ出身のエディ・コンスタンティーヌが務めている。FBI捜査官などを当たり役としたコンスタンティーヌがこの作品で演じるのはスパイである。
東ドイツに潜伏していた元ナチス諜報員、レミー・コーション(エディ・コンスタンティーヌ)。30年ほど潜伏生活を送っていたが、金のために旧東ドイツ側での諜報活動を行いつつ西ドイツに向かうことになる。
いきなり、ニーチェの『善悪の彼岸』が朗読されるなど、ドイツ文化があちこちに配されている。若い女性ドラ(クラウディア・ミヒェンゼン)からは、「明日からはシャルロッテ。ゲーテと仕事するの」と、『若きウェルテルの悩み』にちなんだ冗談を言われる。
「今年はモーツァルトイヤーだ」というセリフもある。1991年は、モーツァルト没後200年だった。
字幕とセリフが別々のことを述べるなど、かなりせわしない印象を受ける。「カール・マルクス通り」(東ベルリン)の道標が倒れているのは、共産主義の終焉のメタファーだと思われるが、余り上手くないように思う。仮に1991年当時に観ていたら感想は異なったと思われるが。
今はもう時代が進んでしまって、カール・マルクスがロシア人だと本気で思っていたりする人もいる。「カールだよ。典型的なドイツ人男性の名前だよ」と思うが、外国の文化に興味がない人にはピンとこないのかも知れない。一番有名な「カール」であるカール・ルイスはアメリカ人だし。

音楽はクラシックが断片的に用いられている。ドイツ語圏に限らず様々な国の作曲家の作品が流れる。モーツァルト以外に名前が出てくるのは(フランツ・)リストであるが、リストによるピアノ編曲版と思われるベートーヴェンの第九の第2楽章が流れたりする。

「孤独」をテーマにした変奏曲であることが冒頭で示される。
哲学的な言葉が次々に流れてくるが、どれもみな借用という印象を受ける。コラージュのようだ。ゴダールは、「気狂いピエロ」でもすでにコラージュのようなことをやっていた。ゴダールは本の最初のページと最後のページを読むことで読了とし、多くの本に目を通していた。だがコラージュが重なると、自身の核や言葉が、他者にハイジャックされるような気分になる。
そもそもエディは、長く潜伏生活を送っており、孤独な存在である。時間の流れに取り残された存在である東ドイツの中で更に取り残された存在であるエディが西ドイツに行く意味は。
あるいは圧倒的な喪失が今後待ち受けているのかも知れない。

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2026年1月11日 (日)

これまでに観た映画より(424) ロベルト・ロッセリーニ監督作品「ドイツ零年」

2026年1月7日 京都シネマにて

京都シネマで、ロベルト・ロッセリーニ監督作品「ドイツ零年」を観る。1948年の作品。第二次世界大戦に敗れた1945年をドイツ零年として描いた作品である。上映時間74分の中編。出演:エドムント・メシュケ、エルンスト・ピットシャウ、インゲトラウト・ヒンツェ、フランツ・クリューガーほか。

焼け跡の残るベルリンでロケが行われている。ロベルト・ロッセリーニというと、「無防備都市」などで素人を大量に使った演出で、「戦艦ポチョムキン」(これらも素人を大量に動員)に匹敵する生々しさを生み、「無防備都市」を観たイングリッド・バーグマンは、全てを投げ出してロッセリーニの下へと走る。結婚した二人は、映画および演劇「火刑台のジャンヌ・ダルク」を上演。大ヒットを記録するが、これに味を占めたロッセリーニは、何度も何度も舞台「火刑台のジャンヌ・ダルク」を上演。何度も焼かれては死ぬ乙女を演じなければならなかったバーグマンは、やがてロッセリーニの下を去る。
その後のロッセリーニの情報は少ない。再婚しており、映画も監督したが、日本で上映された作品はほとんどないようだ。

「ドイツ零年」は、連合国軍によって分割統治されているベルリンが舞台である。ドイツ語の他に、英語やフランス語などが統治を行っている兵士の口から話される。イタリア語も用いられているようだが、確認は出来なかった。

この映画でも、大量動員されているのはエキストラではなく素人の可能性が高い。動きが整然としていないため、生々しさがある。端役俳優にも素人が抜擢され、主役のエドムントを演じるエドムント・メシュケも子役ではなく、家族が運営するサーカスで芸を行っていた11歳の少年である。

主人公は、12歳の少年、エドムントである。家族と、更に別の家族とも暮らしているようである。父親は病気で働くことが出来ず、兄のカールハインツは、最後までナチス兵として戦ったが、そのことが災いして強制収容所に入れられるのではないかと怖れ、引きこもり状態になっている。働き手が足りないので、姉のエヴァと共にエドムントも年齢を15歳と偽って、市場に出るが、見た目がどう見ても12歳であるため、「15歳未満は働いてはいけない」という法律によって追い返される。

一家の物語でありながら、ドイツの近年の歴史を辿るような展開が起こる。
エドムントは、戦後もナチを信奉している元教師のエニングと再会する。エニングは、「強い者が勝ち、弱い者は滅ぼされる」「弱肉強食」といったナチスの発想を今も抱いている。エドムントは次第にエニングに感化されていく。

エドムントは、父親を毒殺し、ラストは飛び降りて死ぬ。
ヒトラーのヒンデンブルクの死による政権奪取と、ベルリン陥落により二度負けたドイツそのものである。こうした描写は比較的分かり易いと思われる。

ヒトラーの演説が入ったレコードをエドムントが売りに行く場面があり、ヒトラーの演説も流れる。ヒトラーは簡単なことを何度も何度も繰り返し述べているが、洗脳にはこれが最も有効とされている。今生きる私たちに言えるのは、こういう人物がいたら注意しなさいということだけだ。真理が分かり易い言葉で語られることは余りない。それが分かるように我々は、子どもの時から何年も学校に通っているのである。

問題があるとしたら音楽。ロベルト・ロッセリーニの弟であるレンツォ・ロッセリーニが担当しているのだが、余りにも大袈裟で、この映画に関しては正直、神経に障る。

 

今回は、ジャン=リュック・ゴダール監督の「新ドイツ零年」と合わせての上映である。第二次世界大戦での敗北をドイツ零年としてロッセリーニに対し、ロッセリーニから影響を受けたゴダールは、東西ドイツ統一を新ドイツ零年としている。

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2026年1月 9日 (金)

コンサートの記(939) ROHM CLASSIC SPECIAL「コバケン・ワールド in KYOTO」Vol.5

2025年11月3日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後2時から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、ROHM CLASSIC SPECIAL「コバケン・ワールド in KYOTO」Vol.5を聴く。コバケンこと小林研一郎が、日本フィルハーモニー交響楽団と行う特別演奏会の京都版第5弾。そして日本フィルハーモニー交響楽団が今年京都で行う3つめにして最後の公演である。

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京都市交響楽団の常任指揮者だったこともある小林研一郎。出雲路の練習場や京都コンサートホールなどは小林の発案によるものだ。
一方、日フィルとの付き合いも長く、90年代に他の東京のオーケストラが大物指揮者を招く中で、財政基盤の弱い日フィルは苦境にあった。そんな日フィルを支えるべく小林は音楽監督としての活動を続けた。「火中の栗を拾う」などと言われたものだが、その後に続くアレクサンドル・ラザレフとの黄金時代や、現在のカーチュン・ウォンとの飛躍に向けた活動の礎となっている。現在の日フィルでの肩書きは桂冠名誉指揮者。ハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団と名古屋フィルハーモニー交響楽団と群馬交響楽団の桂冠指揮者、読売日本交響楽団の特別客演指揮者、九州交響楽団名誉客演指揮者の称号も得ている。

最初に小林研一郎の実演に触れたのは、ゲイリー・カーがコントラバスをソロとする協奏曲を弾いた演奏会だったと思う。会場はサントリーホールで、オーケストラは日本フィルハーモニー交響楽団だった。2回目は東京国際フォーラム ホールCで行われたハンガリー国立交響楽団(現・ハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団)の来日演奏会。ベルリオーズの幻想交響曲がメインであったが、演奏終了後、小林が、「ホールのせいだと思われるのですが、皆さんの拍手の音が小さいのです」 と語っていた。東京国際フォーラムはクラシック音楽の演奏には向かないが、「ラ・フォル・ジュルネ」など、今もクラシックの演奏会が開かれているようである。
関西に来てからは、京都市交響楽団や大阪フィルハーモニー交響楽団で聴いているが、何か他のオーケストラで聴いたことはあっただろうか。
そして「コバケン・ワールド in KYOTO」は、5回中4回聴いている。
海外のオーケストラを率いた日本ツアーも何度かやっているはずだが、私は前記、ハンガリー国立交響楽団のものしか聴いていない。
岩城宏之が始めた、年末にベートーヴェンの交響曲9曲を1日で演奏するという試みの2代目指揮者(3代目指揮者は広上淳一)なども務めている。

 

曲目は、グリンカの歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲、チャイコフスキーのロココ風の主題による変奏曲(チェロ独奏:宮田大)、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」(無料パンフレットには「ドヴォルジャーク」と記されている)。

コンサートマスターは木野雅之(日本フィル・ソロ・コンサートマスター)。見た目が昔と違うような。
ドイツ式の現代配置による演奏だが、ティンパニは指揮者の真正面ではなくやや下手寄りで、向かって右隣にトランペットが並ぶ。

 

グリンカの歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲。快速テンポによる曲として有名で、オーケストラの実力を示す作品の一つとなっている。エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー交響楽団による超人的な演奏が有名だが、真似しようとしても出来ないので、大抵の場合は違う路線を選ぶ。
コバケンと日フィルは速度はやや抑え気味にして、色彩感を豊かに盛り込む。
ちなみにこの時は、小林は上から見ると横長になった指揮台の上で指揮していた。グリンカとドヴォルザークは暗譜での指揮である。

 

チャイコフスキーのロココ風の主題による変奏曲。独奏チェロを伴う変奏曲であるが、チャイコフスキーはチェロ協奏曲は残していない。
独奏の宮田大は、京都で演奏する機会も多い。2009年ロストロポーヴィチ国際チェロコンクールにおいて日本人初の1位獲得。
ジュネーヴ音楽院に学び、ドイツのクロンベルク・アカデミーを修了。トーマス・ダウスゴー指揮BBCスコティッシュ交響楽団と共演したエルガーのチェロ協奏曲の音盤も売れ行き好調である。
最近は、ロームミュージックセミナーの講師も務めているが、子ども達から、「大先生、大先生」と呼ばれ、「これは、『大、先生』なのか? 『大先生なのか?』」と戸惑ってもいるそうである。宮田は、「来年、40になる」という話もしていたが、小林は、「私は今年85」と返していた。
磨き抜かれた抜群の美音が武器の宮田大。チャイコフスキーの音楽ということもあり、チャーミングに響く。
小林の指揮する日フィルも宮田の演奏によく合った伴奏を行った。
なお、この曲では小林は上から見ると斜めになった指揮台の上で、スコアを見ながら指揮した。

 

小林が、「アンコール、なんかやって」と言ったので、宮田はカザルスがよく演奏したカタロニア民謡の「鳥の歌」を演奏する。「Peace、Peace」と鳴く鳥の歌。ロシアとウクライナ、イスラエルとパレスチナの戦いが止まない中での痛切な演奏であった。

 

ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」。ドヴォルザークという表記が日本では定着しているが、黛敏郎が「題名のない音楽会」で語ったところによると、「唾が飛ぶからあっち行け! ドヴォルシーック!」だそうで、日本語には上手く置き換えられない音である。そのため今回はドヴォルジャークとなっている。
ドヴォルザークはナショナル音楽院(現存しないようである)の院長の座を任され、ニューヨークへと飛んだが、チェコの田舎や、昔ながらの建物が連なるプラハに比べて、摩天楼の聳え立つこの街は合わなかったようで、たびたびホームシックに陥っている。だが、その地で、ヘンリー・サッカー・バーレーというスポーツ万能そうな名前の生徒から黒人霊歌やブルースなどを知り、これが自分の音楽だと言われたことで、自分の音楽の根幹にあるのはボヘミアのスラヴ音楽だと悟り、もっともボヘミア的な交響曲を書き上げている。以前は、「黒人霊歌の旋律の引用を」などと解説にそれらしく書かれていたが、そんな要素はほぼないようである。余り簡単にものを信じない方が良さそうだ。

推進力のある音楽の演奏を得意とする小林研一郎。しかしそれは、猪突猛進や一瀉千里とは異なるナイーブで繊細な味わいに満ちている。
有名な第2楽章のイングリッシュホルンのソロには歌詞が付けられ、「家路」や「遠き山に日は落ちて」のタイトルで知られるが、歌詞は後から第3者によって付けられたもので、ドヴォルザークの意図とは異なる。歌詞を読むとアメリカ的であることが分かる。
ドヴォルザークが意図したのはもっと素朴なものかも知れない。
ノスタルジックな味わいの第2楽章以外は、威圧的とも思える表情が頻出する。「三大交響曲」の中に入っている名曲で格好いいので聞き落としがちだが、ドボルザークもストレスが溜まっていたのかも知れない。ボヘミア恋し、アメリカ憎しという訳ではないだろうが、現状を打破したい思いが詰まっているように思える。「俺はボヘミアに帰りたいんだー!」といったような。

鉄道マニアであったドヴォルザーク。電車が時間通り駅に着くかどうか心配なので生徒に確認しに行かせたなど、度を過ぎた鉄オタぶりを示すエピソードがあるが、「新世界」交響曲には列車の走行の模倣なのではないかと思われる箇所がいくつかある。そうしたものを探すのも楽しい。

この演奏では、小林は低弦を強調。日フィルも小林の要求によく応えて分厚い低音を形成。日本人指揮者と日本のオーケストラとしては珍しい、ピラミッド型の音型による熱い演奏であった。

なお、小林は、この曲では上から見ると縦長になった指揮台の先端に立ち、いつもよりオーケストラの核に近い場所での指揮であった。

 

アンコール演奏。小林は、「またあれかと思われてしまうかも知れませんが」と言いつつ、定番の「ダニー・ボーイ(ロンドンデリーの歌)」を演奏する。瑞々しくもノスタルジックな演奏である。
小林が演奏前に説明していたが、この曲も戦争絡みの作品である。ちなみに同じメロディーだが、歌詞があるのが「ダニー・ボーイ」、旋律だけなのが「ロンドンデリーの歌」である。出征した息子を待つ母親の悲痛な声である。

 

今日もカーテンコールのみ写真撮影可だったが、スマホのカメラの限界で、良い画は撮れず。ちなみに許可されているのは携帯電話やスマホに付いているカメラでの撮影のみで、本格的なデジカメなどは不可である。

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2026年1月 8日 (木)

これまでに観た映画より(423) 「ドマーニ!愛のことづて」

2025年4月3日 京都シネマにて

京都シネマで、イタリア映画「ドマーニ!愛のことづて」 を観る。2024年の制作であるが、モノクロームを使っているのは(解像度はかなり高い)、ネオリアリズモからの影響や、第二次大戦後間もなくということと、当時のイタリアの女性は彩り豊かな人生を歩むことが困難ということの両方を表しているように思われる。
監督・脚本・主演の三役をこなすのは、パオラ・コルテッレージ。イタリアは基本的にファーストネームがaの音で終わるのが女性、oで終わるのが男性である(例外あり)。
パオラ・コルテッレージは、劇団出身で、イタリアではコメディエンヌとして知られる人物であるという。ただ今回は女性蔑視という、根源的で根深い問題に切り込んでいる。
ちなみにパオラは、左利き。日本だとこの世代では強制的に右利きへの矯正が行われることが多かったが、イタリアではどうだったのか分からない。ちなみに人種に関係なく、10人に1人の割合で左利きは存在するという。日本も今でこそ左利きに寛容であるが、江戸時代までは、右利きが当たり前であり、左利きは身体障害者と見なされて差別の対象となった。そのため右利きへの矯正が当たり前であった。
出演は他に、ヴァレリオ・マスタンドレア、ロマーナ・マッジョーラ・ヴェルガーノ、ヴィニーチョ・マルキオーニ、エマヌエラ・ファネッリほか。

1946年5月、イタリアが第二次世界大戦で敗北してからほどない時代のローマが舞台となっている。
デリア(パオラ・コルテッレージ)は、半地下の家で家族と暮らしているが、戦争帰りの夫のイヴァーノ(ヴァレリオ・マスタンドレア)は暴力的である。また部屋で寝たきりの義父のオットリーノがいるのだが、彼も男尊女卑の思想の持ち主である。実は彼が亡くなった後、人々は口々に彼を「聖人」と称賛しているが、ここから女性は見下されるのが当たり前の存在であったことが分かる。男同士で評価が高ければ、女性に対してどれだけ冷淡でも評価されるのだ。
デリアは、自動車整備工のニーノ(ヴィニーチョ・マルキオーニ)と長年に渡り惹かれ合っているが、妻子がいるため踏みとどまっている。ニーノは後悔を口にした。
デリアの娘であるマルチェッラ(ロマーナ・マッジョーラ・ヴェルガーノ)は、ジュリオという色男と付き合っている。彼を家に呼ぶため、デリアは奔走するが、ジュリオはマルチェッラに、「仕事を辞めて家に入ってほしい」など、いかにも男性的な要求を行う。デリアはジュリオに不審を抱く。

妻や義理の娘を時に女中のように扱う男達。今の観点から見ると化け物のようにも見え、ステロタイプに過ぎるようにも思えるのだが、おそらく似たようなことは往時もあったであろうし、何よりも女性の立場が弱い状態は現在も世界各地で続いている。

突然、歌が始まるなど、インド映画が始まったのかと思うようなところのある演出。音楽が重要な役割を担っており、重苦しい展開の中で、音楽パートだけは希望が持てるようになっている。

ラストシーンは、女性に選挙権が認められての初めての選挙。デリアは投票券をうっかり家の中に落としてきてしまうが、マルチェッラが届けに現れ、事なきを得る。女性参政権に反対のイヴァーノが引き下がるのも印象的である。

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2026年1月 6日 (火)

これまでに観た映画より(422) 岩井俊二脚本・監督 松たか子初主演映画「四月物語」

2026年1月2日

岩井俊二脚本・監督作品「四月物語」を観る。1998年の作品。松たか子が、旭川から上京した女子大学生、楡野卯月(にれの・うづき)を演じており、彼女はこれが映画初主演作になる。松たか子は1977年生まれなので、当時、実際に大学生であったが、1年の内、休みが4日しかないという多忙な生活を送っており、大学にもほとんど通えず、4年目で中退している。一方、私もまだ大学生だった頃である。

私はロードショー時に、渋谷にあったシネアミューズという映画館で観ている。シネアミューズは文字通りアミューズの映画館であるが、上階のオフィスから絶えずコツコツというハイヒールで歩く足音が聞こえてくるという悪環境。ハイヒールで絶えず歩き回る仕事が何なのか分からなかったが、映画館側もクリームを入れてはいたようである。しかし、改善されないままであった。今はもうシネアミューズは存在しない。大小2つのスクリーンがあり、「四月物語」は大きい方のスクリーンで観ている。

先輩に恋した女子高生が、彼を追って東京へと出るというお話である。ファーストシーンで観る者を笑わせる仕掛けがある。

武蔵野大学というのが先輩が行き、卯月も入った大学の名前だが、1998年当時には、武蔵野大学という大学は存在しなかった。だがその後、西東京市にあった浄土真宗本願寺派の武蔵野女子大学が共学化して武蔵野大学となり、更に文学部しかなかった元小規模女子大が、毎年のように学部を増やし、女子も男子も志願者が増えて有明にもキャンパスを築き、「共学化して最も成功した大学」として知られるようになっている。卯月は東京の大学には疎いようで、「武蔵野って有名なの?」と友人に聞くが、友人も「結構、有名」と返しており、現在の武蔵野大学の状況と重なっていたりする。大学案内にさりげなく芝浦工業大学や上智大学などの実在の難関私大のページを入れているのも、あたかも武蔵野大学が実在するかのように見せる仕掛けとなっている。
実際のキャンパスの撮影は、入学式が東京都武蔵野市吉祥寺の成蹊大学(実際の入学式に紛れて撮影)、それ以外は栃木県小山市の白鷗大学で行われているようだ。全体的に、「東京都下での学生生活」といった雰囲気であり、23区内の大学生活とは大きく異なる。住所であるが、卯月が自転車を漕いで歩道橋を渡るときに「国立市」の文字が見える。国立市には国立の一橋大学があるも、有名な私立大学はほとんどないが、北の国分寺市に東京経済大学が、南の立川市に国立(くにたち)音楽大学があり、共にのんびりとした校風であるため、そうした大学をイメージするといいだろう。23区内の難関大学だとみんな図書館に籠もって資格の勉強をしていたりするので、この映画に出てくる大学とは雰囲気が大分異なる。

楡野卯月であるが、高校時代は学業成績は今ひとつで、どうしても先輩のいる武蔵野大学に行きたくて必死で勉強したタイプである。ただ地の部分は隠せないでちょっと抜けた感じである。また、「それちょっとまずいんじゃない?」ということもする癖がある。

「生きていた信長」という三流映画が掛かっている映画館で、卯月に近づいてくる怪しいサラリーマン風の男を演じていた俳優は、当時は無名に近かったが、その2年ほど後に、萩原聖人&中谷美紀主演の映画「カオス」で、「怖ろしくリアルな演技をする」俳優として注目を浴びるようになる。光石研である。

「生きていた信長」で、信長を演じていた江口洋介は、その後、大河ドラマで信長を演じることになる。

親元を離れ、初めての一人暮らし。不安だけど新しい生活が鮮やかに切り取られている。
松たか子も最近は自分の色を出した演技で自在感を増しているが、このときは100%役になるための楷書風の演技。現在の草書風の演技と比べてみるのも面白い。

当時の松たか子は、頬がふっくらした感じで、2年前(1996)の連続ドラマ「ロング・バケーション」でも、山口智子にそれをいじられるシーンがある。またカレーを作るシーンでは、松たか子が実際にカレーを作っており、メイキング番組では、余った分をスタッフが美味しそうに食べるシーンがある。

憧れの山崎先輩(田辺誠一)がアルバイトをしている書店、武蔵野堂の周辺は、日本風の街並みではないが、出来てまだ新しい、千葉市の幕張新都心の幕張ベイタウン・パティオスで撮られている。加藤和彦が現れる画廊の周辺も車止めの形が同じであることからやはり幕張新都心で撮られたことが分かる。加藤和彦の役名は「画廊の紳士・加藤」で何者かは分からない。画家に「先生」と呼びかけていること、スーツ姿であることなどから画家ではないと思われ、ロードショー時には「大学の先生か何かかな?」と思ったが、画廊の女性は、「加藤さん」と呼びかけており、いわゆる「先生」と呼ばれる職業ではないようだ。編集者だろうか? いずれにせよ加藤和彦のチャーミングでジェントルな一面が映っており、加藤和彦の追悼映画にこのシーンが取り上げられなかったのは残念である。

音楽はCLASSICとなっていたり、女性名義の作曲家になっていたりするが、その女性の名前で検索しても「四月物語」しか引っかからない。ということはペンネームということになる。そしてプロの作曲家にしては拙い作曲技法ということで、正体は岩井俊二監督である。岩井監督はその後、CMの音楽を手掛けたが、作風はそっくりで確定となった。
なお、ピアノは松たか子が弾いており、オリジナルサウンドトラック「四月のピアノ」も発売されている。

大学に入ったことのない人がどう思うのかは分からないが、大学に入ったばかりの四月のワクワクドキドキ、おそらく人生で最も晴れやかな四月を描いた愛らしい中編映画である。

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2026年1月 5日 (月)

これまでに観た映画より(421) ナショナル・シアター・ライブ(National Theatre Live) 「インター・エイリア(Inter Alia)」

2025年12月27日 梅田の大阪ステーションシティシネマにて

大阪へ。大阪ステーションシティシネマで、ナショナル・シアター・ライブ(National Theatre Live。NTL、NTLive)「インター・エイリア(Inter Alia)」を観る。今年の7月23日にロンドンの英国ナショナル・シアター リトルトン劇場で初演された作品で、三人芝居であるが、主役であるロザムンド・パイク(ジェシカ・パークス役)がストーリーテラーを兼任するため、膨大の量のセリフをこなしている。ロザムンド・パイク以外の出演は、ジェイミー・グローヴァー(マイケル・ウィートリー役)、ジャスパー・タルボット(ハリー・ウィートリー役)。その他に、子役が計6人出演する。
作は、オーストラリア・メルボルン出身のスージー・ミラー。豪州で弁護士兼劇作家として活躍した後、2010年にロンドンに移住したが、現在は、英、米、豪の3カ所で演劇、映画、テレビドラマに関わっている。
演出は、ジャスティン・マーティン。スティーブン・ダルドルーと共にキャリアを築いてきた演出家である。
スージー・ミラーとジャスティン・マーティンのコンビは、前作「プライマ・フェイシィ」に続き、NTL上映作品に選ばれた。
「Inter Alia」は、ラテン語で「その他のことの中で」という意味である。

セットはシンプルである。とある家庭の一室、中央にカウチとキッチンテーブル、上手にキッチンがあり、下手はものを入れる棚になっている。

ジェシカは、英刑事法院判事に昇格したばかりの法曹。夫のマイケルは弁護士だが、稼ぎは余り良くないようだ。弁護士などは接客業なので、頭脳は優秀でも対人関係を築くのが苦手な場合は、顧客が付かず、稼げず生活保護へ、というコースもあり得るため、日本でも近年は苦労して勉強してそれでは割に合わないと、弁護士志望者は減りつつある。マイケルも肩身が狭いというほどではないが、余り出しゃばらないよう心がけているようだ。
「妻より夫の方が上で」とジェシカも一人で夫婦円満法を唱えるが、取りあえずそれはそれである。夫婦間に亀裂はない。だが、18歳の息子、ハリーのことは心配である。ハリーの性的経験に関してはジェシカは踏み入らないようにしていた。自分が、男女間の暴力訴訟を得意とする検事だったからかも知れない。しかし、あるとき、ジェシカはハリーのノートパソコン(英米で言うラップトップ)の訪問履歴を検索する。しない方が賢明だとは思うのだが、ポルノハブなどの性関係の投稿サイトの閲覧履歴や、自分たちの仲間で撮影した性的な動画を見て、ジェシカは動揺する。
そして、ハリーが、強姦容疑で起訴される。ハワイ関連のイベントに参加し、クラスメイトと関係を持った疑惑が浮上したのだ。
ハリーとクラスメイトとの証言は食い違うのだが……。

性暴力の裁判を長年に渡って担ってきた女性が、息子が起こした性加害事件にどう向かい合うのか描いた作品である。
ただ、その前に、両親ともに法曹という、特殊な家庭であることには触れておきたい。イギリスは階級社会であり、労働者階級から上流階級に上がるには専門職に就くしかない。法曹は専門職なので、階級を超えることが出来る。上流階級になれるのだ。ただ、上流階級出身の法曹も当然ながらいるので、この夫婦の出身階級は不明である。ジェシカはやたらお喋りであるが、自分たちの出身階級には触れていない。息子のハリーは幼い頃にいじめに遭っていたが、これに関しても階級が影響しているのか不明である。労働階級の方が荒れてはいるが、仮に上流階級でパブリックスクールに入っていたとしてもいじめに遭う可能性はある。
それでも現時点では上流階級にいると思って間違いないだろう。前作の「プライマ・フェイシィ」は、労働者階級から法曹となり、上流階級へと移った女性が主人公だったが、本作とは繋がっていない。

階級によって思想や信条は変わってくるが、この芝居では、どの階級でも起こる事件を扱っており、意図的にかどうかは不明だが、階級にまつわる話は描かれていない。
その代わりに、妻の方が夫よりも上という、努力しても少し歪んでしまう家庭像には僅かながら振れている。階級よりも前に妻と夫のランクによって家庭のバランスが崩れるということもあり得る。

ハリーがどこまで行ったらレイプかどうか、ジェシカに問うシーンがある。性教育が十分ではなかったのだが、日本も性教育に関しては先進国中最低レベルといわれているため、耳の痛い問題である。

終盤はジェシカとハリー二人の話となるが、幼き頃のハリーを子役が舞台上を駆け巡ることで演じている。
ラストはベストではないかも知れないが、上手いところに落としたなという印象を受ける。法曹としてというよりも母親として、ジェシカはハリーときちんと向かい合ってこなかったように思う。18歳、子離れの年齢。ハリーからの提案をジェシカが受け入れることが、ほんの僅かながら明るさを感じさせる。

とにかくジェシカ役のロザムンド・パイクのセリフ量が多く、圧倒される。演じるジェシカ・パークスも判事で超エリート。ただ母親としてはスーパーウーマンではなくありふれた母親であったことが、観客をホッとさせる。これは超人達ではなく、普通の人々の物語だ。
今後、親子で事件に向き合うこともあるかも知れない。だがその前に母と息子の二人の話が続くはずだ。

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2026年1月 4日 (日)

グスターボ・ドゥダメル指揮シモン・ボリバル・ユースオーケストラ レナード・バーンスタイン 「ウエスト・サイド・ストーリー」よりシンフォニック・ダンス

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2026年1月 3日 (土)

これまでに観た映画より(420) ndjc 若手映画作家育成プロジェクト2016 ショートフィルム 伊藤沙莉主演「戦場へ、インターン」

2025年8月15日

Netflixで、若手映画作家育成プロジェクト2016 ショートフィルム「戦場へ、インターン」を観る。主演:伊藤沙莉。出演:萩原みのり、郭智博ほか。郭智博の演技を見るのは、蓮佛美沙子主演版のNHK連続ドラマ「七瀬ふたたび」以来である。
上映時間約25分。若手映画作家育成プロジェクトからスターダムに上り詰める人も多いようで、歴代の映画監督や出演俳優の中にはかなり売れている人の名も見ることが出来る。

監督は藪下雷太。

伊藤沙莉の役名は麗子だが、劇中で呼ばれることはない。撮影現場で名前を呼ばれるのはベテランの人だけだ。主に大学2年か3年に行われるインターンで撮影現場に派遣されたのだが、当然ながら華やかな仕事は任されず、その技術もなく、撮影中に車が走る音が聞こえるとそれをマイクが拾ってしまうので、麗子が事前に車を止めることになる。その他にケータリングの準備をしたりと下っ端の仕事を担う。常にインカムをし、やり取りをする。

今は違うかも知れないが、映画の現場はパワハラの温床で、暴力、暴言が日常茶飯事であり、それゆえにタイトルに「戦場」が入っている。映画監督の塚本晋也は、日本大学藝術学部映画学科卒業時に、「映画には悪いイメージしかない」ということでCM制作会社に就職している。今回の組の監督も気難しそうである。
麗子が一台の車を止める。運転席には若い男。後部のフロアにはその妻が横になって苦しんでいる。産気づいて病院へ向かう途中なのだ。撮影班からは苦情が出るが、麗子は人命を尊重するためにスマホで救急車を呼ぶ。埼玉県内であるが、舞台となる昭和前期の建物が残る外れの方で、周りには畑が広がる田舎。救急車を呼んだことで麗子は怒られるが、反論する。気が強いというよりもかなり真面目な性格のようである。

一方、新人女優の舞(萩原みのり)は、性体験に乏しいことに悩んでいた。戦中の話で、戦地に向かう夫との最後の夜を演じるのだが、奥手であるためキスも昨日の撮影でしたのが初めてで、そこから先は経験がない。「他の人は経験しているのに」とコンプレックスを抱く。

そんな麗子と舞が出会い、舞が女優として成長するという話である。
22歳頃の伊藤沙莉は化粧も薄めで、ナチュラルな風貌。「美少女」にカテゴライズする人も案外多そうである。本人は顔にかなり強い劣等感を抱いているようで、「整形したい」などと言っていたが、その必要はないと思う。
そして笑顔は天下無双。撮影現場に入って舞を励ますような表情もするのだが、言葉はなくとも非常に雄弁である。

役柄故か暗い表情をしていることの多い萩原みのり。清楚な雰囲気だが、残念ながらもう女優は辞めてしまったようである。

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2026年1月 2日 (金)

初詣に行ってきました

今年はまず寺院から。京都御苑や革堂の近くにある真宗大谷派小野山浄慶寺。

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本尊である阿弥陀如来の前で礼拝した後、お屠蘇とお抹茶を頂き、住職と新年の挨拶と会話を。様々なことが話題になりましたが、最後はAIの脅威で締められました。

 

その後、神宮丸太町駅から京阪電車で七条へ。東山七条にある豊国神社に参拝。京阪七条駅から豊国神社に向かう間に小雪が舞う。大河ドラマ「豊臣兄弟!」の影響で賑わっているのではないかと思われましたが、余り人はいませんでした。ただ初めて参拝した2023年の元日にはほとんど誰もいませんでしたので、これでも知名度は上がっている方だと思います。遅い時間だったので参拝客が少なかったのでしょう。

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参拝者はGoogleマジックで消しています。

 

高台院(北政所、お寧、寧々、寧)を祀る摂社の貞照神社(さだてるじんじゃ)にも参拝。「豊臣兄弟!」では、寧々の名で浜辺美波が高台院を演じます。

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肝心の「豊臣兄弟!」のポスターは日の反射で上手く撮れませんでした。

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コンサートの記(938) 2025年度大阪音楽大学4年生 オペラ研究Ⅱ モーツァルト 歌劇「魔笛」

2025年12月25日 大阪府豊中市庄内の大阪音楽大学ミレニアムホールにて

午後5時から、大阪府豊中市庄内の大阪音楽大学第2キャンパスP棟ミレニアムホールで、2025年度大阪音楽大学4年生 オペラ研究Ⅱ モーツァルトの歌劇「魔笛」を観る。
授業公演であり、入場無料である(要予約)。昨年末は学生オーケストラによる「魔笛」の上演もあったようだが、今年はピアノ(連弾)、キーボード(三人まとめてピアノ演奏として紹介。關口康祐、竹村美和子、辻未帆)、フルート(早川奈那。大学4年)、バロックティンパニ(東寿樹。大学4年)という編成である。演出は昨年同様、中村敬一。ディクション指導:三々尻正、声楽指導は、石橋栄実(えみ)と晴雅彦(はれ・まさひこ)が受け持つ。指揮は瀬山智博。下手端の客席通路ステージ寄りに楽器を並べ、そこをピット代わりとしている

大阪音楽大学は特に声楽科において評価が高いが、在籍者も多い。男性は多くないが、女性が多いということで、一つの役を数人で演じ分けることになる。
「魔笛」というと、女性歌手からはパミーナ役の人気が高い。マンガ「のだめカンタービレ」おまけ的続編(オペラ編)でも、容姿は良くないが歌は上手く、実家が太いソプラノ歌手が自らがパミーナを演じる「魔笛」の上演を企画し、千秋真一が指揮を手掛けるという展開になっていた。「魔笛」の場合、夜の女王のアリア「復讐の心は炎と燃え」が最も印象的なアリアだが、高難度である上に、夜の女王は良い役とは言えない。三人の童子や三人の侍女も脇役である。それに比べればパミーナは出番も比較的多い。
ということで、パミーナはなんと5人体制(岸野羽衣、大島彩夢、宮本黎花、芝山聖玲南、田口華蓮)。パパゲーナ(吉田薫穂)、夜の女王(槇楓子)は1人ずつである。夜の女王は喉を痛めやすいので2日続けて歌えなかったりするが、公演は今日の1回だけなので問題なしである。三人の侍女も第二の侍女だけ2人体制である(三盃瑠奈子と長瀬いつき)。三人の少年も第二の少年は共にパミーナ役も歌う大島彩夢と岸野羽衣が入れ替わりで歌う。第1幕前半で第二の侍女を歌う三盃瑠奈子は、その後は第三の少年に回る。ということで、人気のある役とそうでない役がはっきりしていそうだ。
男性は、タミーノは野勢真稔が一人で歌うが、パパゲーノは、島羽槻と塚原波音で第1幕と第2幕を分ける。ザラストロは船本洸、モノスタトスに山澤奏仁。
その他の配役であるが、全部書くと時間が掛かりすぎるため、割愛とする。
合唱は、オペラ研究Ⅱの受講生が受け持つ。大学院生2年生から学部の1年生までいるが、4年生は全員役が付いているため、合唱には入っていない。

 

久しぶりの豊中市、久しぶりの庄内、久しぶりの大阪音楽大学、ザ・カレッジ・オペラハウスでなく、ミレニアムホールまで来たのは初めてである。
ミレニアムホールはその名の通り、西暦2000年に完成。9月の竣工である。外観も内装もどう見ても音楽ホールなのであるが、区分としては教室としているようである。P棟という校舎の一教室という位置づけである。「ミレニアムホール」も正式名称ではなく愛称としているようだ。

フリーメイスンの影響を受けているとされる「魔笛」(台本を書き、出演もしたシカネーダーとモーツァルトは共にフリーメイスンの会員だった)。フリーメイスンでは、「3」が重要な数字とされ、序曲で3つの音が鳴らされる他、三拍子の曲も思いのほか多い。
ただフリーメイスンの思想を広めるための作品ではない。

今回は、字幕で、物語が始まる前のストーリーが語られる。世界は絶対的な王によって支配されており、幸せに満ちていたが、王が亡くなる直前に、後継者を夜の女王からザラストロに変えたことで、世界の均衡を揺らぐ。王はまた、夜の女王の娘であるパミーナを高く評価していたが、甘やかされすぎているため、彼女をザラストロの下に送ることにする。

タミーノが蛇に追いかけられている(客席通路を使った演出あり。客席通路を使った演出はその後も繰り返し行われる)。ステージに上がったタミーノは気絶するが、三人の侍女によって助けられる。その後、現れた鳥刺し男のパパゲーノは、「助けたのは俺だ」と嘘をつくが、三人の侍女によってとっちめられる。
タミーノは美しきパミーナの肖像を見て一目惚れ。パミーナが夜の女王の下からザラストロの神殿へとさらわれたと聞き、救出へと向かう。
RPGによく似ているといわれる筋書きで、宮本亞門は実際にRPG内での出来事として「魔笛」を演出している。

夜の女王から娘を誘拐したザラストロが悪役なのではないかと言われることもあるが、基本的には陰を受け持つ夜の女王より、陽を抱くザラストロの方が善として終わる。ザラストロの神殿には、モノスタトスという黒人の奴隷頭がいるのだが、今日は肌を黒く塗っての出演であった。黒人を演じる際、肌を黒く塗るのは良くないとされるようになって来ているが、結局の所、塗らないと黒人なのかどうか分からないのが現状であり、他に良い方法も見つからない(「黒人です」という札を下げたりしたら、余計に嘲笑的である)。
ザラストロの宮殿は異国調(ゾロアスター教由来である)であるが、黒人も雇って面倒を見ているようだ。悪いことをしたら77回の鞭打ちの刑に処されるようだが。ザラストロ自身は人種には余り関心を持っていないようである。

タミーノもパミーナも王子であり王女である。つまり世間のことは余り知らずに育ってしまっている。そこでタミーノはパパゲーノを共にイニシエーションを受け、深く広い世界を知ることになる。仏教の「二河白道」に似たシーンが出てくるが、「二河白道」はゾロアスター教由来とされるため、同じようなシチュエーションになるのだろう。
この作品の特徴として、すぐ死のうとする人が出てくることが挙げられる。パミーナもパパゲーノもちょっとのことで死のうとする。傍から見るとちょっとのことでも本人にとっては深刻なのだろうが、やはり大人の悩みではないように思う。口を利いてくれなくなった(実際は、タミーノは「沈黙のイニシエーション」と受けている最中で話すことが出来なかった)、孤独になった(多分、世界中に孤独な人は数億単位でいる)というだけで死ぬ死ぬ言うのは、「魔笛」が最後に行き着いた境地から見れば子どもなのだろう。
なお、多くの人と交流することで自殺願望が弱まることを「パパゲーノ効果」と呼び、NHKがパパゲーノのサイトを開いていて、自殺防止に努めている。

夜の女王や三人の侍女、モノスタトスらは、ザラストロによってやっつけられるのだが、今回は最後に勢揃いし、和解があったことが示される。以前、びわ湖ホールで、佐藤美晴の演出で観た「魔笛」は夜の女王や三人の侍女の亡骸をそのままにして神殿へと戻ろうとするザラストロを描き、ザラストロの残忍さを明らかにしていたが、では本当のところザラストロは善なのか悪なのか。答えとしては、そんな簡単に善悪二元論で捉えるべきではないというのが今のところの答えである。

ザラストロがいなかったら、タミーノとパミーナは真の意味では結びつかなかったかも知れないが、同時にそのために夜の女王らが犠牲になるのは仕方ないと思っているようだ。そもそも夜の女王はパミーナにザラストロ殺害を命じている。これまではともかくとしてこれ以降は毒親である。パミーナの前に障壁として立ちはだかったのは実母であった。
これまでのことは深くは分からない。しかし夜が終わり朝が来る。
夜の女王という存在はまだ何かを隠していそうだ。

そして「善」という概念も危うい。ヒトラーもスターリンも「善」として登場した。ロシアもウクライナもイスラエルもパレスチナも皆自分が「善」だと信じているはずだ。「善」のような絶対的なものはとにかく脆く危うい。心して掛からねばならない。

 

瀬山智博指揮のアンサンブルは少人数ながら活気に満ちた音楽を奏でる。特にバロックティンパニを採用したのが成功で、強打が豪奢であると同時に、どこか戦時色を帯びているように聞こえた。従来の柔らかい音のティンパニだったらそうした印象は受けなかっただろう。

演技面ではもう一つの人もいたが、歌唱は一定のレベルをクリアしている。ただ、これでオペラ歌手になれるというほど甘いものでもない。大学4年生の発表としてはなかなかだったということである。

艱難辛苦をくぐり抜けたタミーノとパミーナに対し、イニシエーションを途中で止めてしまったパパゲーノであるが、パパゲーナというピッタリの相手が見つかる。聖道門に対する易行門。
誰もが聖人になってしまっては、世界はもたない。パパゲーノとパパゲーナのように子どもを増やしてこそ人類は繁栄する。

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2026年1月 1日 (木)

あけまして

おめでとうございます

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