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2026年1月14日 (水)

コンサートの記(941) JOE HISAISHI「MUSIC FUTURE」with JCSO

2025年9月30日 大阪・京橋の住友生命いずみホールにて

午後7時から、大阪・京橋の住友生命いずみホールで、JOE HISAISH「MUSIC FUTURE」 with JCSOを聴く。いずみホールには、2週間前に久しぶりに訪れたが、続くときは続く。
久石譲が、自身の本来の作風であるミニマル・ミュージック系のアーティストの作品を集めたコンサートで、東京では12年連続で行われているが、今年は東京以外では初となる演奏会が行われることになった。東京の次は大阪という訳で、自然な成り行きであるが、来年は大阪では行われず、東京と久石が指揮活動の拠点の一つとしている長野市で「MUSIC FUTURE」が行われる予定である。来年の長野公演では、久石のピアノ・ソナタが初演される予定で、今一生懸命書いているところだそうである。

久石譲は、大阪を本拠地(事務局は豊中市。定期演奏会場は大阪市北区のザ・シンフォニーホール)としている日本センチュリー交響楽団(JCSO。Japan Century Symphony Orchestra))の音楽監督を務めており、大阪が西日本最大の都市というだけでなく、手兵を持っているので演奏会を開催しやすかったのだろう。

曲目は、スティーヴ・ライヒの「Clapping Music」、テリー・ライリーの「G Song for String Quartet」、久石譲の「2 Pieces for Strange Ensemble」、ヴォイチェフ・キラールの「Quintet for Wind Instruments」、久石譲の「MKWAJU fot MFB」。キラール以外は存命中の作曲家である。
久石作品は久石自身が指揮を行い、他は室内楽編成なので日本センチュリー交響楽団のメンバーが指揮者なしで自主的に演奏を行う。

 

スティーヴ・ライヒは、ミニマル・ミュージックの作曲家としてはトップクラスに有名である。ライヒに師事したこともある加藤訓子(かとう・くにこ)が積極的にライヒ作品の演奏を行っており、「Clapping Music」も加藤がロームシアター京都サウスホールで行ったライヒ作品の演奏会で、開演前のウェルカム楽曲としてホワイエで演奏されたのを聴いている。タイトル通り手拍子のみによる音楽である。
久石は全曲の解説も担当。「Clapping Music」は、リズム譜の書かれたホワイトボードを出して貰い、「急に学校みたくなっちゃいましたが」と言いつつ、リズムの解説を行う。二人で演奏する3部からなる作品。第1部は二人とも同じリズムを叩くが、第2部から別のリズムを叩くことになる。第1奏者はそのままだが、第2奏者のリズムが変わる。だが、第2奏者のリズムをよく見ると、末尾の音が戻るときの先頭の音になっており、シンコペーションでずれているのが分かる。第3部もやはりシンコペーションで行われ、最終盤には第1奏者と第2奏者が再び同じリズムを叩く設計になっているという数学的な作品である。
久石は、センチュリー響の奏者二人(男女1人ずつ)にデモストレーションを叩いて貰って解説してから、二人に本番の演奏を行って貰う。
ミニマル・ミュージックは、聴いていてノリノリになる曲が多いのだが、日本のクラシックの演奏会では体を動かしながら聴くのはマナーが悪いということになっているので、乗りたい時は体の一部を他人に見えないように動かすしかない。
ジブリでない久石の音楽を聴きに来ているのだから、どんな曲が演奏されるの分かっている人ばかりで、大いに受けていた。

 

テリー・ライリーは、今年90歳になるアメリカの作曲家だが、コロナ禍の際に日本にいて、出国が出来なくなってしまった訳だが、日本の風土が気に入ってしまい、山梨県に家を買って住み着いてしまっているそうだ。
「G Song for String Quartet」は、元々は映画音楽として電子オルガンとトロンボーンの二重奏曲として書かれたものだが、クロノス・カルテットのために弦楽四重奏用にアレンジ。今回はそれが演奏される。ヴァイオリンは第1がセンチュリー響コンサートミストレスの松浦奈々、第2が池原衣美。ヴィオラは四家絵捺。チェロは北口大輔。

いかにも現代アメリカ的な格好いい曲である。ニューヨークなど東海岸の大都市に似合いそうである。演奏も質が高い。
ライリーは、膨大な量の映画音楽の作曲を行いながら、同時にコンサート用のクラシック作品も次々に発表しており、久石は「見習わないとな」と話していた。

久石の「2 Piece for Strange Ensemble」は、少しだけだが編成が大きくなる。ヴァイオリンやヴィオラは登場せず、チェロとコントラバスが出演する。
グランドピアノ2台が指揮が見えるように横並びになっているが、ピアノの他にもシンセサイザーが弾かれる(西川ひかりが演奏を担当する)。シンセサイザーがどんな音を出していたのかは確認出来なかった。
同じ旋律を全楽器が演奏し、やがて2台のピアノのメロディーだけが浮かぶように構築している。久石譲というとジブリ映画や北野武作品の映画音楽の作曲家として知られているが、元々の出発点はこうしたミニマル・ミュージックである。
久石はノンタクトで拍を刻む他に左手で数字を示す。指揮者が指で数字を表示する曲は即興が絡むことが多く、同じ譜面を使っても同じ演奏が再現されることはない。
他の作曲家の作品に比べると親しみやすさがある。久石は子どもにも受けるメロディーを書ける人だからだろう。

 

キラールの「Quintet for Wind Insturments」。フルート、オーボエ、ホルン、ファゴット、クラリネットのための作品である。キラールは映画音楽の作曲家としても活動していて、「戦場のピアニスト」の劇伴を手掛けている。ポーランドの作曲家であるが、生まれたのはウクライナだそうだ。2013年に81歳で亡くなっている。
「Quintet for Wind instruments」であるが、ファゴットが田舎の楽隊が演奏していそうなメロディーを吹き、それを元にした音楽である。ミニマル・ミュージックに傾倒したキラール。この曲だけは厳密にはミニマル・ミュージックとして作曲されたものではないが、ファゴットによる主題は何度も出てくる。
都会的なライリーの作品とは正反対のローカル性重視の音楽だ。

 

久石譲の「MKWAKU for MFB」。2023年に作曲されたばかりの作品である(元の曲は1981年に作曲され、レコーディングが行われている)。マリンバや鉄琴が音楽を主導する。コンサートミストレスは引き続き松浦奈々。MKWAKU とはスワヒリ語で「タマランドの樹」を指し、東アフリカの民族音楽を聴いていた時にヒントを得たそうである。
コードの進め方が久石的であり、そのまま「KIDS RETURN」のメロディーが流れ出しておかしくないような進行もあったが、勿論、流れなかった。
マリンバというアフリカ生まれで南米を経てアメリカで広まった楽器が真っ先に目立つ旋律を奏でるということもあり、汎地球的な音楽とも言うべき広がりを持った音楽となっていた。

ミニマル・ミュージックは、太古も存在し、20世紀に再び脚光を浴びた。反復の快感は心臓の鼓動に基づいている。太古と現在を繋ぐ音楽である。

 

現代音楽ばかりの演奏会であったが、比較的小規模のいずみホールということもあり、満員の盛況。久石作品にはスタンディングオベーションを行う人もいた。

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