« これまでに観た映画より(425) ジャン=リュック・ゴダール監督作品「新ドイツ零年」 | トップページ | コンサートの記(941) JOE HISAISHI「MUSIC FUTURE」with JCSO »

2026年1月14日 (水)

コンサートの記(940) 「ウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団 ニューイヤーコンサート」2026@フェスティバルホール

2026年1月11日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後2時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、「ウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団 ニューイヤーコンサート」2026を聴く。

ヨハン・シュトラウスⅡ世が率いたヨハン・シュトラウス管弦楽団の後継を目指して、エデュアルト・シュトラウスの孫で、ヨハン・シュトラウスⅡ世の又甥に当たるエデュアルト・シュトラウスⅡ世を招いて結成されたウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団。常設ではなく、ウィーンのヨハン・シュトラウス・ファミリー好きの音楽達が集結して演奏会などが開かれる。ウィーン・フィルなど、ウィーンの中でも世界的に評価されている団体のメンバーも含まれる。

毎年、元日に開催され、全世界に中継される「ウィーン・フィル ニューイヤーコンサート」。ヨハン・シュトラウス・ファミリーの音楽はそれを聴くだけでも十分との思いがあったり、「ウィンナ・ワルツやポルカは正月よりも夏に聴くと涼しくていい」と思っていたりするため、例年はシュトラウス・ファミリーのニューイヤーコンサートを聴きに行くことは少ない(京都市交響楽団は除く)のだが、ウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団の演奏会ということで、今年は出掛けてみることにした。

ウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団の中で、一際輝いているのが、ウィリー・ボスコフスキーの時代。クレメンス・クラウスが始めたウィーン・フィル ニューイヤーコンサートであるが、クラウスは61歳と、指揮者としてはかなり若くして死去。ヨーゼフ・クリップスが2年間引き継いだ後に、ウィーン・フィルのコンサートマスターであったボスコフスキーが指揮台の上でヴァイオリンを奏でながら指揮するという弾き振りを行い、ヨハン・シュトラウスⅡ世もまた弾き振りを行っていたことから人気となり、四半世紀にわたって君臨している。その後、ボスコフスキーはコンサートマスターよりも指揮者としての活動を増やすようになり、非常設ながら手兵として選んだのがウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団だった。ウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団の名声はボスコフスキーが築いたと言える。ボスコフスキーはウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団と共にドイツEMIに多くのワルツやポルカの録音を行い、日本でも東芝EMI(当時)から数多くリリースされた。
ウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団の歴史の中で特筆すべき二人目の指揮者は、アルフレート・エシュヴェ。エシュヴェは、ウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団とキングレコードにレコーディングを行ったが、顔がヨハン・シュトラウスⅡ世に似ているということで話題になり、来日した際はNHKの音楽番組に出演したりもした。

ウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団の歴代の指揮者は皆、ウィンナ・ワルツやポルカのスペシャリストということで、ほぼ全員が、NAXOS制作による「ヨハン・シュトラウス全集」に参加している。

今回の指揮者は、ヨハネス・ヴィルトナー。NAXOSに比較的早い時期から録音を行っていた指揮者としても知られる。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のヴァイオリン奏者を経て、指揮者に転向。指揮はNHK交響楽団名誉指揮者として知られたオトマール・スウィトナーに師事している。スロヴァキア国立コシツェ・フィルハーモニー管弦楽団、プラハ国立歌劇場、ライプツィッヒ歌劇場、ノイエ・フィルハーモニー・ヴェストファーレンなどの音楽監督を務め、ライトクラシックの演奏団体であるBBCコンサート・オーケストラの首席客演指揮者なども務めている。2014年からは、ウィーンの「ガルス野外オペラ」という催しの総監督の座にある。
日本では新国立劇場オペラで、ヨハン・シュトラウスⅡ世の喜歌劇「こうもり」のタクトを担った。

 

そんなヴィルトナーであるが、極端な太鼓腹。しかも下っ腹が膨らんでいるメタボのみならず上の方まで膨らんでいる。見るからに不健康そうだが、本人は至って元気である。腹の出っ張り具合に、女性客達が口々に「凄い! 凄い!」と呟く。

 

ウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団は、ヨハン・シュトラウスⅡ世が率いた楽団に近い編成で演奏が行われる。室内オーケストラ編成になるが音は大きめで、空間の広いフェスティバルホールでも全くマイナスにはならなかった。

薄いが上質の紙を使った無料パンフレット付き。オーストリア大使館などが後援しているためか、チケット料金なども含めて良心的な部分が多い。

 

曲目は、ヨハン・シュトラウスⅡ世のオペレッタ「こうもり」序曲、ヨーゼフ・シュトラウスのポルカ・フランセーズ「芸術家の挨拶」、ヨーゼフ・シュトラウスのワルツ「水彩画」、ヨーゼフ・シュトラウスのポルカ・シュネル「憂いもなく」、ヨハン・シュトラウスⅡ世のエジプト行進曲、ヨハン・シュトラウスのワルツ「ウィーン気質(かたぎ)」、ヨハン・シュトラウスⅡ世のオペレッタ「ローマの謝肉祭」、ヨーゼフ・シュトラウスのポルカ・シュネル「休暇旅行で」、フランツ・レハールのワルツ「金と銀」、ヨハン・シュトラウスⅡ世のポルカ「雷鳴と電光」、ヨハン・シュトラウスⅡ世&ヨーゼフ・シュトラウスの「ピッチカート・ポルカ」、ヨハン・シュトラウスⅡ世のポルカ・シュネル「ハンガリー万歳!」、ヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツ「美しく青きドナウ」

 

編成は変わっていて、指揮台の前にチェロが3台横に並ぶ。
ヴィルトナーは譜面台を用いず、全曲暗譜での指揮。ただピアノ演奏用の椅子が指揮台の前に置いてあったが、これはヴィルトナーがヴァイオリンの弾き振りをするため、ヴァイオリンの台代わりとして置かれたものである。
当初は、ステージ下手側を占めるヴァイオリン群が第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンだと思っていたが、ずっと同じボウイングをしているため、全員第1ヴァイオリンであったことが分かる。第1ヴァイオリンは9名で他のパートに比べて極端に分厚い。第2ヴァイオリンは対向配置で上手の客席側に5人で陣取っていた。その奥がヴィオラ3人である。コントラバスはヴィオラの後ろに3台で構えている。ティンパニは上手奥、スネアが下手奥だが、この二人は様々な打楽器を兼任する。

室内オーケストラ編成だけに、ゴージャスなサウンドという程ではないが、各楽器の光度や透明度は高く、ウィーンの楽団ならではの楽譜に書かれていない部分での緩急、強弱などが示され、日本のオーケストラが弾くウィンナ・ワルツやポルカとは異なった味わいがある。20世紀はどちらかというとそうしたローカリズムではなくインターナショナルが志向される傾向のあった世紀であり、「普遍的であることは良いこと」とされたが、京都人並みに頑固と言われるウィーンっ子は、伝統を頑なに守ってきた。今後も他の国ではシュトラウス・ファミリーの音楽が変わっても(おそらくもっとスマートになると思われる)、ウィーンのオーケストラが奏でるそれはほとんど変化しないのだろう。もっとも、ウィーン交響楽団やウィーン放送交響楽団が必ずしも巧いウィンナ・ワルツやポルカを奏でるかというとそうでもないのだが。両オーケストラ共に実演に接したことがあり、アンコール演奏でシュトラウス・ファミリーの作品を取り上げていたが、普段はウインナ・ワルツやポルカをほとんど演奏していないため、共に荒めであった。ウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団創設当初はオーストリア放送交響楽団(現・ウィーン放送交響楽団)から参加したメンバーが多かったようだが、今はどうなのだろう。

 

指揮者のヴィルトナーはナビゲーターも務め、「(日本語で)みなさん、ほんま(で言葉に詰まってしまい、ポケットからアンチョコを取り出して)いらっしゃいませ(繋がっていないように思うが、多分、別の箇所を読んだのだろう)」と挨拶し、英語での楽曲紹介も行う。日本語コメントでは、「おおきに」など大阪の言葉をなるべく入れるようにしていた。

楽団員が声を出す曲も多く、ヴィルトナーも、「ウィーン気質」では得意と思われるヴァイオリン弾き振りを行った。ヨハン・シュトラウスⅡ世の楽曲はヴァイオリンが甘美な旋律を奏でる曲が多いが、ヨハン・シュトラウスⅡ世が最も得意とした楽器がヴァイオリンだから、というのはこうして視覚で確認すると一層納得がいく。
数年前にザ・シンフォニーホールで、別のニューイヤーコンサートのアナウンスを女性スタッフが行っていたのだが、「ウィーン気質」を「ウィーンきしつ」と読んでいた。「きしつ」とも読むが、「気質」が「かたぎ」と読まれなくなる日が来るのかも知れない。

レハールのワルツ「金と銀」は日本で特に人気のある曲として知られる。立体感と生命力のある演奏に仕上げてきた。

ポルカ「雷鳴と稲妻」は、スネア(片面シンバル兼任)とティンパニを両端に据えたのが効果的で、視覚的にも楽しめるものになっていた。

ヴィルトナーは、「ピッチカート・ポルカ」のみノンタクトで指揮する。

「美しく青きドナウ」であるが、この曲だけミスが目立つ。大きなミスではないが3つほど。何度も演奏しているだけに却って隙が生まれやすいのかも知れない。

 

アンコール演奏であるが、4曲ある。
まず「一月一日」の管弦楽編曲版。勇壮な感じである。演奏が終わった後で、楽団員全員が「あけましておめでとうございます」と新年の式辞を述べる。

2曲目は、H・C・ルンビェの「シャンパン・ギャロップ」。打楽器奏者が、空気砲使っておひねりか何かを客席に発射する。楽曲自体は余り記憶に残る類いのものではなかった。

3曲目は、エデュアルト・シュトラウスの「テープは切られた」。打楽器奏者がオーストリアの車掌の制帽を被り、「次は大阪、大阪」とアナウンスしてスタートする。打楽器奏者は、汽笛という汽笛の音を出すためだけの楽器も吹く。軽快な走りを見せる曲であった。

最後はお馴染み、ヨハン・シュトラウスⅠ世の「ラデツキー行進曲」。ヴィルトナーは時折客席の方を見て軽く指揮。「下手側のお客さんだけ」「上手側のお客さんだけ」もやりたかったようだが、聴衆は追いつけなかった。

ヴィルトナーとウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団の楽団員は最後はステージの真ん中に向かって一礼。意味は分からなかったがよくやっている習慣なのだろう。あるいはヨハン・シュトラウスⅡ世に向かっての敬意だったのか。

今日は2700人収容のフェスティバルホールがほぼ満員。休憩時間にはザッハトルテが当たるプレゼントコーナーがあったのだが、当選者は10人。ヴィルトナーがおどけながらくじを引く。同じ階の同じ列の人が当選していたが、2700分の10では、やはり当たるのは難しかった。

Dsc_9483

| |

« これまでに観た映画より(425) ジャン=リュック・ゴダール監督作品「新ドイツ零年」 | トップページ | コンサートの記(941) JOE HISAISHI「MUSIC FUTURE」with JCSO »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« これまでに観た映画より(425) ジャン=リュック・ゴダール監督作品「新ドイツ零年」 | トップページ | コンサートの記(941) JOE HISAISHI「MUSIC FUTURE」with JCSO »